風祭文庫・獣の館






「白鳥の羽ばたき」



作・風祭玲


Vol.303





カッ!!

ゴロゴロゴロ!!

夏の終わりを告げる雷鳴がとどろく中、

ザワザワザワザワ…

風に揺れる森の中に赤薔薇女学園の校舎が建っていた。

築60年を裕に越す煉瓦造りの校舎は、

創立から数々の淑女を輩出してきたこの学園のシンボルでもあり、

また、学園の歴史を指し示すものでもあった。



カチャッ

カチャカチャ…

その校舎と棟続きの北校舎の中にある実験室でメガネを妖しく光らせながら、

薄汚れた白衣を着た一人の男が研究に没頭していた。

「……水上君…

 …一応、理事長に報告をしておくが…」

彼の頭の中をほんの数時間前に告げられた校長の台詞がよぎる。

「水上君ね、きみはどういうことをしたのか判っているのかねっ」

その校長の言葉を代弁するかのようなヒステリックな教頭の台詞が続く、

そして、それらが彼の頭の中を響き渡ると、

「くっそぅ…」

彼の手に自ずと力が込もる。

「…あら、水上ちゃん

 この学校に居られると思っているの?

 ふぅぅぅん、

 判ったわ、

 それならパパに言いつけて明日にでもクビにしてあげましょうか?

 あたしに逆らったこと思い知らせてあげるわ」

「あのぅ、ガキがぁ〜っ」

最後に理事長の娘である木下リツコの台詞を思い出した途端、

彼は肩を振るわせながらこみ上げてくる怒りを必死になって押し込んだ。

水上嗣春…

この赤薔薇女学園で生物の教鞭を執っている教師である。

しかし、そのイメージからか生徒達にはあまり人気が無く、

また、その為か、理事長の孫娘である木下リツコに

なにかとちょっかいを出されていた。

そして、先日、

ついに堪忍袋の緒が切れてしまった嗣春がリツコを殴ってしまったことから、

彼を免職すべきと言う声が沸き上がっていたのだった。

「くっそう、

 木下リツコめ…

 僕をクビにするならすればよい。

 その代わりにそれなりの代償を払って貰うぞ」

そう呟きながら試験管やフラスコを手際よくかき回していった。



深夜…

激しく降り続いた雷雨がようやく収まった頃、

「ようし…

 出来たっ

 くっくっくっ」

肩を振るわせながらこみ上げてくる笑いを必死になって嗣春は押さえ込む。

そして、そんな彼の手元には

キラッ!!

っと光るボンベが数本立ち並んでいた。

「くっくっく

 見ておれよ木下リツコ。

 これで、お前を…」

と呟いたところで、

「おっと、その前に人体実験をしないとな」

嗣春はそう言いながら出来上がったばかりの

ガスが入った携帯型ボンベを手にとり

実験室の隅に立っている用具入れのドアを開けた。

すると、

ゴロン!!

「んーんーんー」

手を後ろ手に縛られ、口には猿ぐつわを噛まされた。

制服姿の女子生徒がその中から飛び出してくると呻き声をあげる。

「えーと、

 2年3組の小池和代ちゃんだよね」

優しい声で嗣春が声を掛けると、

「(ぷはぁ)、こんなコトをしてただで済むと思っているの?」

っと猿ぐつわを自力で解いた和代は声を上げた。

すると、

「さぁ、どうかなぁ〜」

嗣春は和代に小馬鹿にしたような返事をすると、

「君がリツコの指示を受けて僕を見張っていたのはお見通しだよ」

と続けた。

「なによ、そこまで知っててあたしにこんなコトをしたの?

 それで只で済むと思って?」

和代はけんか腰に言うと、

「ふふ…

 そうだね…

 君がこのまま人間の女の子で居られると、

 確かに僕は監禁の罪になるだろう。

 しかし、君がヒトでなくなったらどうだろうか?」

と嗣春は和代に告げた。

「なに?」

嗣春の言葉に和代の表情は硬くしながら聞き返すと、

「ヒトで無いものがいくら騒いでも

 その声に耳を傾けるヒトなん何処にもいやしないよ

 ふふ…

 これを見たまえ…」

そう言いながら嗣春はゲージに入れたウサギを和代に見せる。

「うっウサギがなんさのさ」

「まぁ見ててみな、ふふ」

と和代に嗣春が言うと、

シュッ!!

っとウサギのゲージにガスを少量送り込んだ。

すると、

これまで、モゴモゴと口を動かしていたウサギが急に暴れ出し、

そして程なく身体を痙攣をしながらゲージの底にその身を横たえた。

「ひっ!!」

その様子に和代は身を引くと、

「よく見るんだよ、和代ちゃん」

嗣春は和代にそう言うと、

ゲージを彼女の前に差し出した。

すると、

メキメキメキ!!

ゲージの中から異様な音が響くと、

バリバリバリ!!

見る見るウサギの前足が変化し、

さらに、ウサギの身体も異様な姿へと変化していく、

「ひぃぃぃぃ!!」

その様子を見た和代は顔を真っ青にして悲鳴を上げた。

「ふふ、どうだい?

 僕が作ったこのガスの威力は…」

バサッバサッ!!

かつてウサギだった生命体を眺めながらそう嗣春が言うと、

「さぁ、次は君の番だよ」

と和代に告げた。

「いっいやぁぁぁぁぁぁ!!」

実験室に和代の悲鳴が上がる。

「助けて、

 お願い!!

 水上先生の言うこと何でも聞きますっ

 リツコとは絶交します。
 
 だから!!」

そう和代は泣き叫ぶが、

「ふふ…

 だめだよ、

 君はリツコくんの信任が厚いじゃないか?

 そんな君が彼女を裏切るようなコトを言ってはね…」

笑みを浮かべながら嗣春は和代に言い聞かせると、

和代の襟首を掴みそのまま教職員用のシャワー室へと押し込んだ。

「いやぁぁ!!

 やめて!!」

泣き叫びながらドアをドンドンと叩き続ける和代に向かって、

「じゃぁね、小池和代くん、

 成績上位の君を失うのはこの学校にとって誠に残念だけど、

 でも、これまでよく頑張ってきた。

 もぅ勉強はしなくていいからね…

 じゃっさようなら」

と言うと、

シャワー室への配管にガスボンベから伸びた管を繋ぐとガスを流し始めた。

「お願いっ

 やめて!!

 あたし、化け物なんかになりたくない!!

 だから!!」

必死で訴える和代の口元に嗣春が放出したガスが漂い始めた。

「うっ…」

ガスが流れ込んできたことに和代が気づくと、

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

半狂乱になって暴れ始めた。

しかし、

メリメリメリ…

彼女の身体にガスの効果が効き始めると、

和代の手は見る見る変形し、

そして、それは全身へと及んでいく、

ゴギギギギ…

グックエッ!!

クエッ

クエッ

徐々に和代の口から嘴が伸びていくと、

言葉を喋るコトが出来なくなり、

また変形していく腕にはビッシリと羽毛が生えそろっていく、

「もぅいいかな…」

ガスが効力を失った頃を見計らって、

ガスマスクを付けた嗣春がシャワー室のドアを開けると、

クゥー!!

バサバサバサ!!

ヒトでなくなってしまった和代が羽ばたきながらシャワー室から飛び出すと、

校舎の中を飛び回り始めた。

「ははははは…

 凄い、凄いよ、

 君は立派な”鳥”だよ

 ははははは…」

その様子に嗣春は頭を抱えて笑い転げた。

そして、

「はははは…

 大成功だよ…

 ははは…

 …さて…」

彼のその目が妖しく光ると、

「明日は年に一度のバレエ鑑賞会…

 ふふ…

 あの体育館には全校生徒が集まりバレエに見入る。

 その時、このガスを空調を通して体育館に注入をすると…

 はははは…これは面白いことになるぞ」

嗣春は笑いながらガスボンベをジッと眺めていた。



「おはよー」

「はよー」

翌朝、

嗣春の企みに気が付かずにリツコ達は制服を翻して元気に登校してきた。

そして、

「ねぇ…あれ…」

佐藤トモミが校舎脇の池に一羽の白鳥が浮いているのを見つけると駆け寄っていった。

「へぇ、白鳥なんて珍しいわねぇ

 昨日の雷で迷い込んできたのかしら」

白鳥を見ながらリツコがそう言うと、

バタバタバタ

クェクェクェ!!

突如白鳥は羽ばたき始めると、

リツコ達に何かを訴えかけるようにして声を上げた。

「それにしても随分と大きい白鳥ねぇ…」

リツコはダチョウを二回り小さくしたような大柄な白鳥を訝しげに眺めると、

「でも、なにかを言おうとしている見たいよ」

トモミが白鳥を指さした。

すると、

「ははははは…

 なにか言いたそうとは面白いことを言うね」

と二人に嗣春が声を掛けた。

「あら、水上先生…

 そうやって先生面していられるのも今日までですわよ」

嗣春の姿を見たリツコは彼を睨むようにそう言うと、

「はははははは…

 そうだねぇ」

と嗣春はただ笑みを浮かべているだけだった。

「なぁに、あれ?」

「気味悪いわねぇ…」

嗣春が去っていった後、

トモミがリツコに話しかけると、

嗣春の様子を見ながら顔を見合わせた。



「え?、和代が行方不明?」

教室に入ったリツコは

嗣春を見張るように命令をしていた和代が

行方不明になっていることを聞き声を上げた。

「まさか…水上が和代を…」

そうトモミが話しかけると、

「まさか、水上にはそんな度胸はないわよ

 大方、どこかで眠り込んで居るんじゃないの?」

と言うと、

「うん…確かに、和代って何処でも寝るから…」

トモミはそう呟いた。



トントントン

カンカンカン

体育館ではバレエ団のスタッフによって舞台の準備はほぼ終わっていた。

「今日はよろしくお願いしますよ」

リツコの父親である赤薔薇女学園理事長の木下利昭が

そうバレエ団の責任者に声を掛けると、

「はいっ

 今年も我々のバレエに生徒達を感動すると思います」

と返事をした。

「そうですか、

 年に一度のことですからね、

 楽しみにしていますよ」

利昭はレオタード姿で身体をほぐす団員達を横目で見ながらそう責任者に告げる。

そして、準備が着々と進む体育館裏の空調室では、

「ふふふふ…

 理事長、あなたの目の前で娘が変身していくのをシッカリと見せてあげますよ」

と呟きながら

カチャカチャ

嗣春が体育館に流れ込むダクトに細工をしていた。



体育館に全校生徒が集まり、

やがて、音楽と共に年に一度のバレエ鑑賞会が始まった。

「へぇぇ…今年は白鳥の湖なんだ」

手渡されたパンフを眺めながらそうトモミがリツコに話しかけると、

「そうねぇ…」

胸元のリボンを弄りながらリツコは返事をした。

程なくして、舞台の前にリツコの父親である理事長の利昭が立つと、

延々とこのイベントのすばらしさを語り始めた。

「ったく、パパったら話し始めると長いんだから…」

利昭の言葉にウンザリとしながらリツコが文句を言う。

しかし、これが彼女にとって最後となる言葉になるとは

その時は想像もしえなかった。

やがて、はじまったバレエに全校生徒の目が一斉に釘付けになるが、

しかし、その裏では嗣春がガスを放出するタイミングを計っていた。

物語は時間と共に進み、

ついに、悪の根元である悪魔が倒されると、

王子と白鳥姫が永遠の愛を誓い合うシーンへと進んでいった。

そして、二人が寄り添ったその瞬間、

「いまだっ」

嗣春はガスマスクを被ると用意したボンベのコックを全開にした。

しゅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜っ

彼の調合したガスは悪魔の音を響かせながら、

ゆっくりと体育館の中へと忍び寄って行く。



彼の作ったガスの最初の餌食になったのは、

舞台でスポットライトを浴びている相沢圭子だった。

彼女は女子校での公演と言うことに不満を持っていたが、

しかし、こういう積み重ねが後にものを言うことを知っていたので、

渋々応じていたのだった。

そして、王子との喜びの踊りを踊っているときに身体に異変を感じた。

「あれ?」

ジワッ…

スポットライトを浴びている自分の両手に、

白くて薄い産毛が生え始めたのを見つけると、

「何かしら?」

バレエを踊りながら機会がある事にそれを観察した。

すると、

ジワジワ…

圭子の腕に生え始めた産毛は次第に太く長くなっていく、

「何よこれ!!」

それに驚いた途端、

バッ!!

彼女の腕に生えた産毛は

瞬く間に鳥の羽毛へ変化すると急速に伸び始め、

すぐに彼女の腕を覆い尽くしてしまった。

「いっいやぁぁぁ!!」

白い翼へと変化していく自分の腕に圭子は悲鳴を上げるが、

しかし、その時、彼女の口には嘴が生え、

さらに身につけているチュチュを突き破るようにして、

全身から羽毛が生え始めていた。



一方、圭子の変化が始まる直前…

白鳥たちの一人を演じていた高野美佳は、

舞台の隅の方で、白鳥たちの踊りを踊っていた。

「はぁ…

 今日はコレで終わりか…」

まだ駆け出しの彼女にはこうして舞台にでられるだけでもラッキーだった。

「さて、終わったら…

 そうだ、あのブティック

 今日バーゲンだったわねぇ」

等と考えていると、

突然、

「いやぁぁぁぁぁ!!」

悲鳴が上がると、真ん中で踊っていた相沢圭子が

見る見る鳥の翼と化していく分の腕を上げながら悲鳴を上げた。

「なに?

 こんな、演出あったっけ?」

突然の出来事に美佳は驚くと、

バサッバサッ!!

っと瞬く間に翼となった腕を羽ばたかせながら、

相沢圭子が舞台の上をかけずり回りはじめた。

「ちょちょっと、どうしたの?」

予定の無いことに美佳が飛び出すと、

「え?」

「痒い!!」

「なにこれぇ」

「いやぁぁぁ!!」

舞台隅でポーズを取っていた他の団員達からも一斉に声が挙がった。

「どうしたの?」

その声に美佳が自分の腕を見ると、

ジワジワジワ…

言いようもない痒みと共に彼女の腕にびっしりと鳥の羽が生え始め、

さらに、羽は美佳の全身から生え始めていた。

「なっなによ、

 やめて!!

 いやぁぁぁ!!」

ザワザワザワ!!

幾重にも伸びてくる羽毛に美佳の身体は次第に飲み込まれていった。



「ねぇ、どうしたのかしら…」

「さぁ?」

ついさっきまで整然と素晴らしいバレエを舞っていたバレリーナ達が突如騒ぎ始めると、

後ろに控えていたスタッフが一斉に舞台に駆けつけていく、

そんな彼らの姿を、

リツコ達は皆首を傾げながらその成り行きを見守っていた。

しかし、嗣春が作り上げたガスはそんな彼女たちに忍び寄ると

一人残らず飲み込んでいった。

やがて、

「うわぁぁぁぁぁ」

スタッフの悲鳴が上がると、

クェクェクェ!!

鳥の鳴き声が舞台から響き渡り、

バサバサバサ!!

チュチュとトゥシューズを巻き付けた白鳥が一羽、

体育館の中をぐるぐると飛び回り始めた。

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

突然の出来事に生徒達から一斉に悲鳴が上がる。

「落ち着きなさい」

女教師がマイクを片手に怒鳴り声をあげると、

「一体何が起きたんだ!!」

他の教師達も皆舞台に上がっていった。

すると、

バサバサバサバサ!!

クェクェクェ!!

舞台の上から無数の白鳥達が次々と飛び立ちはじめた。

生徒達は皆唖然としてその模様を眺めていたが、

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

突如、一人の生徒が悲鳴をあげながら立ち上がると、

腕をまくり上げてしきりに何かをむしり取り始めた。

「どうした!!」

担任がその生徒の所に駆け寄っていくが、

しかし、悲鳴は次々と生徒の間から響き始めた。

「ちょちょっと」

その様子にリツコは隣に座っているトモミに話しかけようとすると、

「いやぁぁぁぁぁ…」

トモミは泣き出しそうな声を上げながら

しきりに腕をむしっていた。

「え?」

見てみると、トモミの腕にビッシリと白い羽毛が生え、

更に、

ミシミシミシ…

その腕の形が崩れ始めていた。

「とっトモミ…」

唖然とするリツコに、

「うっうっうっ

 …いや、あ、口が、口が変…」

そう言いながらトモミは口に黄色い嘴が生え始めた顔を向けた。

「きゃああ!

 トモミ!!

 トモミに嘴が生えてきてる!」

リツコが悲鳴をあげると、

次第にトモミの顔は白い羽毛に覆われ、

そして、ついに鳥の鳴き声をあげると、

バサッバサッ!!

っと翼に姿を変えた腕を羽ばたき始めた。

その間にも、

グッグッグッ

彼女の首が伸びていくと、

スカートの中から水掻きの張った脚が姿を現した。

「そんな…トモミが鳥に…」

そう、リツコの前でトモミは一羽の白鳥へとその姿を変えてしまったのだった。

「とっトモミが白鳥になった…」

リツコは震えながらそう呟くと

「うぐっ…」

っと自分の喉を締めながら苦しみだした。

「うそ、こんなのいや、あ、あ、あ…」

見る見るうちに白い羽毛に覆われていく自分の腕を見ながら、

リツコは言葉を失い、泣き出し、そして鳴き出した。

「クェクェクェ」

体育館の中でおびただしい数の大振りの白鳥達が

半狂乱で右往左往するのを確認しながら嗣春はニヤリと笑うと、

付けていたマスクを外すし、

胸ポケットから携帯電話を取り出し電話をかけ始めた。

「あっもしもし…水上です。

 私が送った資料は読んで頂けましたか?

 えっえぇ…

 大丈夫です、大成功です。

 いまこの模様をメールで送りますので、

 ぜひ、ご検討ください、月夜野博士」

と話すと嗣春は携帯電話に付いているデジカメで

白鳥たちが舞う体育館の様子を次々と撮影していった。

そして、リツコが座っていた席で呆然と立っている白鳥を見つけると、

「ふふ…鳥になった気分はどうかね、リツコくん?」

と囁きながら白鳥の長く伸びた頭を撫でると、

「さぁ、飛んでもいいんだよ、君は鳥なんだから」

とリツコに告げると、

嫌がる彼女を抱きかかえると、

バッ!!

っと天井へと放り投げた。

すると、

「くぅぅぅ!!」

リツコは鳴きながら羽ばたいていった。

「さて、この学校にはもぅ用はないな」

嗣春は周囲を眺めながらそう言うと、

鳥で埋まる体育館から出ていった。



おわり