風祭文庫・異形変身の館






「樹怨」
(第参話:根生い)


作・徒然地蔵(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-318





満月が煌々と辺りを照らし出す真夏の夜。

「はぁはぁ」

「はぁはぁ」

その月明かりを背にして

俺は里枝の手を引き必死で走っていた。

『フフフ、

 逃ゲテモ無駄ダヨ。

 オ前達ハ、

 ココカラ逃ゲラレナインダヨ』

逃げる俺の背後から

あの樹の声が追いかけてくるが、

しかし、

「里枝っ、

 何も聞くなっ」

俺は手を引いている彼女に向かって声を上げると、

「くっそぉ!」

森に向かって走っていった。



「畜生っ

 誰が…

 里枝を樹になんてさせるかっ」

月明かりのおかげで思いのほか周りがよく見える中、

俺は焦燥感に駆られながらも

草木をかき分けて先を急ぐが、

『フフフ…

 フフフ…』

樹の声も同じように追いかけてくる。

不意に里枝の足どりが重くなってくると、

「里枝っ

 もっと早く走れ!」

彼女に向かって俺は怒鳴り声を上げる。

しかし、

「そんなこと…

 言っても…

 私…

 早く…

 走れない…」

手を引かれる彼女は気弱なことを言う。

「何を言ってるんだ、

 お前、

 足には自信があったんだろう」

高校時代、陸上の選手だったと豪語していた

里枝に向かって俺は怒鳴り返すと、

行く手を阻むように立ち込めてきたモヤの中へと飛び込んだ。

このモヤを抜ければ俺達は逃げ切れる。

「このぉ!」

その思いで俺は一面真っ白な中を駆け抜けた。



タッタッタッ

タッタッタッ

『ドコニ逃ゲテモ無駄ヨ』

モヤに入っても樹の声は俺達を追いかけてくる。

「うるせーっ、

 しつっこいぞ!」

振り返らずに俺は怒鳴ると、

里枝の冷たい手を握り、

ひたすら走り続ける。

そして、

フッ

ついにモヤの中から抜け出すことが出来ると、

「やった」

俺はモヤを抜けた安堵感を感じながら

駐車場に止めてあるクルマめがけて走って行く。

しかし、

『オ帰リナサイ。

 待ッテイタヨ』

俺達を待っていたのは乗ってきたクルマではなく、

社の跡に立つあの樹だったのだ。



「なんで…」

枝じゅうに満開の花を咲かせる樹を見ながら俺は呆然とすると、 

『フフフ

 言ッタデショウ。

 私カラ逃レヨウトシテモ、

 無駄ダヨッテ』

と樹は話しかけてくる。

そして、

『サァ、オ嬢チャン。

 私ノ花ハ綺麗ニ咲イタヨ。

 受ケ取リナ。

 私ノ花粉ヲ、

 オ嬢チャンハ

 ソコデ樹ニナッテ、

 根ヲ生ヤシ

 枝ヲ伸バスンダヨ』

里枝に向かって樹は話しかけると、

フワァァァ

満開の花から淡く光る花粉が一斉に沸き立ち、

こっちに向かって来る。

「ひぃぃ、

 来ないで!」

それを見た里枝は叫び声を上げて身をかばった時、

「里枝!」

俺は里枝の体を抱きかかえると、

襲い掛かかろうとする花粉から間一髪脱出し、

「お前の望みどおりにはさせないぞ」

と樹に向かって怒鳴った。

『ナゼ逆ラウ』

「うるせーっ、

 何でお前に従わないとならないんだ」

『ココデ樹ニナッタ方ガ幸セナノニ』

「ふざけるなっ、

 こんな山奥でじっと動かない樹になんてなったところで

 幸せになるはずはないだろう」

『私ノ木ノ実ヲ食ベタオ嬢チャンハ、

 樹ニナル運命ナンダヨ』

「しつこいぞ、

 何が運命だ、

 里枝は何処から見ても人間だし、

 これからもずっと人間だ」

『今ハソウ見エルダケ。

 私ハ樹ダカラ判ル』

「もぅお前の話は聞きたくもない。

 俺は帰るからな。

 里枝と一緒に俺達が住む世界に。

 お前はそこでずっと花でも咲かせていろ」

『ソウカ。

 デモ、

 判ルヨウニナル。

 オ嬢チャンハ、

 樹ニナルコトガ、

 幸セデアルコトニ』

樹はそう言うと、

吹き上がらせていた花粉の勢いを弱めていく。

「なんだよ。
 
 あっさりと引き下がるのか?」

樹からの勢いが削がれてきたのを感じた俺は立ち上がると、

『行クガイイ。

 デモ、オ前ハ

 オ嬢チャンヲ連レテ、

 マタ戻ッテクル。

 ココデオ嬢チャンヲ樹ニスルタメニ』

「負け惜しみを…」

今が逃げるチャンスと思った俺は、

樹の攻撃を警戒しつつ、

里枝を抱き上げると再び走り出した。

「今度こそは逃げ延びてやる

 二度とこんなところに来るか」

そう思いながら俺は再びモヤの中に飛び込むと

ひたすら走り続けた。

「里枝は、

 俺の女だ。

 誰が、

 樹になんてさせるかよ」

何度もその言葉を心の中で呟きながら俺は走り、

そして、

フッ

視界を阻んでいたモヤが切れると、

目の前に伸びる一本道を一気に駆け抜けていく。



火事場のクソ力と言うのはこういう事を言うのだろう。

普段なら人間を抱きかかえて走れないはずの俺が、

里枝を抱きかかえて走りきったのだ。

そして

「はぁはぁはぁはぁ

 ざっざまぁみろ…」

月明かりの下、

俺はそういうと、

ドンッ

主を待っていたクルマの横に座り込んだ。

「大丈夫?」

座り込む俺に向かって里枝は心配そうに話しかけると、

「あぁ…

 大丈夫だ」

そう返事をしてクルマのドアを開け、

その助手席に彼女を座らせる。

「まったく何が樹になったほうが幸せだ。

 お前の花粉はもぅ届かないし、

 声も聞こえない。

 あばよっ」

駐車場から伸びる道に向かって俺はそう悪態をつくと、

「帰るぞ!」

の声と共にクルマのキーをまわした。



シャァァァッ

俺と里枝を乗せたクルマは一路、街に向かって降りていく。

ハンドルを握る俺は、

チラチラと隣に座る里枝を見るが、

よほどさっきのことがショックだったのか、

彼女は黙ったまま俯いていた。

「なっなぁ…」

そんな彼女を心配して俺は声を掛けるが、

「……」

里枝からの返事はない。

「もぅ気にするな。

 大丈夫。

 花粉は浴びてないんだろう。

 あの樹のことは忘れろ。

 その肌も俺が何とかする。

 水は…大丈夫だ」

街に戻った後のことを考えながら俺は言うと、

「あっ

 あれ?

 そんな…」

里枝は戸惑うような小声であげて

スカートの上から左足を押さえる仕草をする。

「どうした?」

ハンドルを握りながら俺は尋ねると、

「…さっきから左足が…

 左足がおかしいの」

と声を絞るようにして返事をする。

「左足がおかしいって、

 どうした?」

心の中に黒いものが広がって来るのを感じながら聞き返すと、

「やだ、足に何かが生えてくる」

里枝はそう訴えると、

着ていたワンピースのスカートを捲りあげ、

自分の足を晒した。

と同時に、

「な、何これ!

 へっ変な毛がたくさん生えてる!!」

と叫び声をあげたのである。



キッ!

クルマは急停止し、

「どうした?」

俺は身を乗り出して里枝の足を見ると、

ジワッ

ジワジワジワ

里枝の左足のスネから

男性のスネ毛以上のびっしりと細かい毛が生え、

普通の毛よりもやや太くて白いその毛は

緑色の肌の上で目立つ存在になっていた。

「と、智也、

 どうしよう…」

訴えるような目で里枝は俺を見ると、

「これって…

 根…」

俺は生えてきた毛が植物の毛根であることに気づくと、

里枝を見た。

と同時に、

『ココデ樹ニナッタ方ガ幸セナノニ』

あの樹の言葉が俺の脳裏に響き渡る。

「くそっ!

 誰がっ」

俺はこの言葉を否定すると、

ゴワッ

エンジンを吹かせ再びクルマを走らせる。

「何が幸せだ。

 里枝は花粉を浴びてしまったんだ。

 だから、足が根になろうとしているんだ。

 させるかよっ

 そんなこと!」

自然とアクセルを踏む力が強くなり、

クルマは夜のバイパスを猛スピードで走り抜けていく。

その一方で里枝はただ黙っていて、

毛根を生やしていく自分の足を見つめていた。

ミシッ

ミシッ

クルマの中に不気味な音が響き渡り、

それが何を示しているのかはお互いに分かっていた。

でも、それが何であるかは考えたくない。

けど、時間は待ってくくれなかった。

「あっ

 とっ智也、足が!

 靴の中があふれてくる!

 それにごそごそ動いてて気持ち悪いよ!」

そう訴えるのと同時に

ボンッ!

彼女の靴が

中に充満していた無数のそれらの圧力で弾き飛ばされた。

そして、靴を弾き飛ばした足には、

無数に沸いたそれが

履いていた靴下を穴だらけにして、

うねっていたのである。

「いやぁぁ、

 ね、根よ…

 私の足が根っこになっている」

もはや里枝の足は水栽培のヒヤシンスの球根のように、

無数の毛根を生やしていて、

靴の制約から開放されたためか、

待っていたとばかりに

どんどんと伸び始める。

「くそぉ!」

ハンドルを握る俺は思いっきりハンドルを叩くが、

しかし、クルマのスピードは緩めずに街を目指していた。



ザザザッ

キッ

里枝の部屋近くにクルマを止めたときは、

既に夜半を回り、

時計の針は午前を指していた。

「大丈夫か」

「うっうん」

「足を地面につけるな」

「そんなことを言われても」

駐車場にクルマを止めた俺は里枝の肩を担ぎ上げ

根を吹き上げる彼女の片足が地面に付かないように注意しながら

彼女の部屋に向かっていく。

里枝の足から生える根は

手の施しようがないほどに増え、

既に指を判別することは不可能な状態になっていた。

「いいか、

 そっとだ。

 慌てるな」

もしこの根が生えた左足を地面に突けてしまったら、

間違いなく理恵の足はそこで根を張り、

樹になってしまう。

絶対にそんなことをさせてはならない。

「くっそお、

 こんなことなら遠くても

 しっかりと舗装された駐車場に止めれば良かった」

里枝の部屋の一番近い所ということで

ここを選んだことを悔やみつつ、

俺と里枝は一歩一歩進んでいく。

すると、

「あっ」

小石に躓いたのか、

里枝はバランスを崩してしまうと、

根を生やす左足が地面についてしまった。

「ばかっ」

それを見た俺はすぐに怒鳴るが、

ミシミシミシ!!!

足から生える根はその性質に逆らわず、

地面に潜り込みはじめた。

「やだ、

 助けて!」

「待っていろ!」

地面を掻き分けるように根を張ろうとする

里枝の左足を俺は思いっきり引っ張ると、

ブチッ

ブチブチブチ!!

根が引きちぎれていく音を上げ始める。

しかし、

ズブ、

ズブズブズブズブ…

引き抜く速さより地面に根を張る速さが早く、

足から湧き出る毛根が次々と突き刺ささると、

地中へと潜り込み、

地表に見えている足からは、

まるでマストを支えるロープのように根が降りて張りつめていく。

「このぉ!

 くそぉ!

 抜けろぉ!」

「いやぁぁ、

 抜いて、

 はっ早く足を抜いてぇ」

小声で悲鳴をあげる里枝を横にして、

俺は力の限りを振り絞って彼女の足を引っ張った。

「ええい!

 くそぉ!

 この野郎」

あらん限りの力で里枝の足を引っ張ると、

「い、痛い!

 痛いいい!」

根となった右足にまだ痛覚が残っているのか、

里枝は痛がり始める。

それにも構わずに足を引っ張り続けると、

ゴソッ

潜り込む一方だった足が上へと動き、

ベリベリベリ!

イヤな音を立てながら

彼女の左足を地面から引き剥がすことに成功した。

「はぁはぁ

 はぁはぁ

 やっと抜けたぁ

 里枝、右足はもう絶対に下につけるな!」

俺は里枝に向かってそう注意をした途端。

ボンッ!

今度は彼女の右足の靴が弾けとんだ。

「なに?」

左足ばかりに注意が向き、

右足のことはノーマークだった俺は驚くと、

「あっあっあぁぁぁぁ」

根を噴出す右足を見ながら里枝は声を上げる。

「んなろぉ!

 こんな所で里枝を樹にさせるか」

右足が地面に潜り込む前に俺は里枝を背負うと、

里枝の部屋へと飛び込んで行く。



「ここなら根は生やせないだろう」

フローリングの床に里枝の体を置いて、

俺は汗をぬぐい取ると、

ミシミシ

ミシミシ

彼女の両足の膝下は根で完全に覆われ、

根は潜り込む地面を探しながら互いに絡み始める。

「どうしよう

 私、もぅ歩けないよぉ」

根と化した自分の足を見ながら里枝はそうこぼすと、

俺は鋏を持ち出し、

「そんな根っこ、

 切ってやる」

と言うと里枝の根を切り始めた。

けど、それは無駄なことだったことにすぐに気がついた。

里枝の根はいくら切っても、

次々と新たしく生えてくるし、

足から生える太い根を切ろうとすると、

「痛い、

 やめて!」

里枝が痛がるため

根をすべて切ることは出来なかった。

「くっそぉ!

 こんなことならあの樹の所に行くんじゃなかった」

俺は自分の判断を後悔するが、

しかし、もはや後戻りすることは出来きず、

俺は根を生やし続ける彼女の足を見るしかなかった。



「どうだ、今度の溶液は? 

 気分はいいか?」

「うっうん。

 なんか体の中を栄養が染み渡る感じがする。

 あたしの体に合うみたい。

 これなら大丈夫」

園芸の本を参考に調合した水耕栽培用の溶液を満たした浴槽に足をつけながら

俺に向かって里枝は笑みを浮かべる。

あれから半月が過ぎていた。

8月もお盆を過ぎると秋の気配が忍び寄り、

日中は暑い空気は夕方には涼しさを帯びていた。

浴槽の中に置いた椅子に腰掛けた里枝は

そこを満たす溶液に自分の足を浸し、

それから伸びる根を漂わせている。

「なぁ、

 食事は良いのか?」

「え?

 あたしもぅ何も食べなくても大丈夫って

 知っているでしょう」

俺の問い理恵はそう返事をする。

「そっそうか」

無駄な質問と思いつつも、

あえて聞いてみた質問だったが、

しかし、彼女から返ってきた返事は

俺の質問が無意味であることを伝えていた。

里枝はもぅ何も口にすることはない。

彼女の栄養は足の根から吸収される。

そう里枝は根から栄養を吸収して生きる

生き物になってしまったのだ。



「くそっ、

 これじゃぁ、

 植物と同じじゃないか」

食事をせず浴槽に足を浸し座ったままの里枝は、

水耕栽培の植物となんら変りはない、

俺は何のためにあの森から脱出してきたのか、

判らなくなっていた。

『ココデ樹ニナッタ方ガ幸セナノニ』

またあの樹の声が俺の頭の中に響き渡る。

この声は俺が悩むと必ず響いてくる。

「うっうるさいっ」

耳を塞いで俺は否定するものの、

でもこのまま里枝の水耕栽培を続けるのか、

それとも…

選択の日が迫っていることは薄々覚悟していた。



でも、

「なぁ、里枝」

「なぁに?」

こうして話しかければ彼女は返事をするし、

「この漫画面白いな」

「クスクス、そうね」

買ってきた漫画を読みながら笑うこともする。

「おーぃ、

 講義のノートを持ってきたぞ」

「ありがとう

 そこに置いといて」

大学で俺が取ってきたノートを参考に勉強もする。

こんな里枝の何処が植物なんだ。

いまの里枝が出来ないことは

立って歩くことと、

物を食べることと飲むこと、

そして、温もりが無いことだけだ。

ただ、それだけが出来ないだけ、

だから、俺は里枝を植物だとはとても思えなかった。

けど…

「と、智也ぁ」

不意に里枝の声が響いた。

「どうした!」

その声に俺は浴室に飛び込むと、

「陽射しが

 陽射しが窓から入ってきた」

と里枝は怯えながら窓から差し込む陽射しを指差し震えていた。

「ちっ、

 もぅそんなに…」

秋分まであとひと月、

夏場は入ってこなかった夕方の陽射しが

浴室に入るようになってきたのだ。

「待っていろ、

 いま窓を閉めるから」

里枝には届かないところにある

換気用に空けていた窓を俺は閉めて見せると、

「太陽の光に当たったのか?」

と問い尋ねる。

「ううん」

その問いに里枝は首を振って答えると、

「そうか」

俺は安心しながら彼女の頭を撫でてみせる。

根から栄養を吸収するようになった里枝は、

日差しを浴びると、

浴びたところから芽吹くようになってしまっていた。

最初はそのことに気がつかずに、

うっかり陽射しを浴びさせてしまい、

痛がる彼女を押さえつけながら、

芽吹いた芽をむしりとる事が幾度もあり、

それ故に陽射しの動きには敏感になっていた。

しかし、根で生きる里枝の体にとっては、

俺の行為は迷惑の他しかない。

彼女の体からすれば、

芽吹き、

そして葉を茂らせて、

根から吸い上げた養分を日の光で光合成する。

そのサイクルが本来の姿なのだが

俺は決してそれを認めなかった。

でも彼女の頭や脇からは小さな葉が顔を出していて、

髪を梳くごとに

パラパラと葉を落としていく。

でも、まだ樹ではない…

里枝はまだ樹ではない。

里枝は俺の大切な女性なのだ。

たとえどんな体になってしまっても…



9月

部屋に差し込んでくる中秋の名月を俺は見上げていると、

「ねぇ」

浴室から里枝の声が響いた。

「どうした」

俺は浴室に顔を出すと、

「お月様、見たい」

と里枝は言う。

「お月様?

 そんなのを見てどうするんだ」

そう俺は問い返すと、

「見たいの、

 お月様の光なら芽は出ないでしょう。

 ねぇ、部屋に連れて行って、

 お月様を見たいの」

と里枝は言う。

「まっまぁな」

彼女の言葉に押されるように、

俺は里枝を座っている椅子から抱きあげた。

「あれ、

 こいつの体ってこんなに軽かったっけ」

以前と比べて遥かに軽くなっている彼女の重さに俺は驚くが、

しかし、そのことは口にせず

月の光が差し込む部屋へと連れて行く。



ザザッ

ザザッ

足から伸びる根を引きずりながら

俺は月の光が当たっている床に里枝を寝かせると、

その隣に並んで寝転ぶと月を見る。

「綺麗なお月様」

夜空に浮かぶ月を見ながら里枝はそう呟くと、

「そうだな」

俺は相槌を打つ。

「あの時も月が出ていたね」

「あの時?」

「ほら、夜の山であの樹に会ったときよ」

「そうだっけ、

 思い出したくないな」

「あたしね。

 智也に手を引かれて走りながら、

 月を見ていたの。

 変よね。

 急いで逃げなくてはいけないのに、

 月を見ているなんて、

 でも、

 あの時の月は綺麗だったわ。

 あんな綺麗な月を毎晩見られるなら、

 あたし樹になっても…」

「馬鹿なことを言うなっ」

里枝の口から樹になることに賛同する言葉が出るのが怖かった。

俺は咄嗟に自分の声でをれを封じてしまうと。

ギュッ

里枝は俺の手を握り、

「ねぇ、

 あたしって人なの?

 それとも樹なの?」

そう尋ねてきた。

「決まっているじゃないか、

 里枝は人間だよ。

 誰が見ても人間なんだよ」

体を起こして里枝の上に圧し掛かると、

彼女の顔を見つめながら俺はそう言う。

しかし、

「バカを言わないで、

 足から根を生やし、

 日に当たると芽が出て、

 何も食べることもなく、

 締め切ったお風呂の中で一日中座り続けている。

 そんなあたしは人間なの?

 どう見ても水耕栽培の植物じゃない。

 もぅ、イヤなの。

 自然の風にあたり、

 お日様の光にあたりたいの。

 雨が降れば濡れてしまうし、

 雪が降れば雪だらけになってしまうけど、

 でも、こんな所で生きていくより、

 自然の中で生きたいの」

涙を流しながら里枝は訴える。

「それは…」

確かに彼女の訴えは正当だ。

元の体にする方法は判らないまま、

こんな狭い部屋に押し込めて、

日の光に怯え

水耕栽培の真似事を続けるなら、

いっそ、あの山の中で樹となって枝を伸ばし

葉を茂らせて生きた方がどんなに幸せか…



『ココデ樹ニナッタ方ガ幸セナノニ』

またあの声が俺の脳裏で響いた。

「判っている。

 判っているけど、

 でも、それは…

 こうして里枝と言葉を交わすことが

 出来なくなってしまうことだ、

 そんなのはイヤだ」

グゥゥゥ

俺は声を殺して泣き始めた。

大粒の並が俺の頬を伝わり、

下の里枝の顔に落ちていく。

「泣いて居るの?」

俺を見つめながら里枝は囁く、

「悪いかよぉ」

涙でクチャグチャになりながら俺は返すと、

「泣き虫ね」

と呆れたように里枝は言う。

「…いやだよぅ、

 お前と別れるなんて、

 イヤだよう」

そんな彼女に向かって俺は本音を言うと、

「あたしも、

 あのお風呂で水に漬かるのはイヤ、

 ねぇ、

 このままずっとここでこうしてようか」

「え?」

「このままずっとこうして

 二人並んでお月様を見ているの、

 明日の朝までずっと…

 智也は明日の朝になってもちゃんと起きれるけど、

 でも、あたしは起きることは無いと思う。

 だって、萎びて枯れちゃっているから。

 ふふっ、

 水耕栽培の植物って弱いって聞いたことがあるわ、

 きっとあたしなら目覚めることなく枯れているはすよ。

 ねっ、このままお月様を見ていよう」

里枝の目は正気だった。

そして、

それが別の意味も伝えていることに俺は気がついていた。



つづく



この作品は徒然地蔵さんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。