風祭文庫・異形変身の館






「樹怨」
(第2話:樹の宣告)


作・徒然地蔵(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-317





あれから2週間が過ぎた。

その後も里枝とはこれまでと変わらない毎日を過ごしていた。

もちろん、山の中で見た里枝の秘密は彼女を含めて誰にも喋っていないし、

里枝が晴れの日に用事があると言っても、

『ああ』と頷いて一人行くのを見送るだけだ。

今日は数日体調を崩して大学へ顔を見せていない里枝のお見舞いに、

授業のノートを持って一人暮らしの里枝のところへやって来ていた。

外は日差しがきつく、アブラゼミがやかましく鳴いている。

ピーンポーン。

呼び鈴を押すが返事がない。

ドアは無用心にも少し明け気味にしてあった。

蒸し暑いので風を通したいのは分かるが。

「里枝、入るぞ」

その言葉と共に部屋に入ると、

首まで夏布団を被って寝ている里枝の姿があった。

どうしたものか部屋はすごい湿度になっている。

加えて何十本もの水の入ったペットボトルと数個のポリタンク。

ベランダには何も植わっていない土の乱れたプランターと肥料が見えている。

里枝はこちらを虚ろな目で見ていた。

「…智也…お見舞いに来てくれたのね。

 ありがとう」

「しんどそうだけど、体は大丈夫なのかよ」

「うん…

 私、体がどんどんおかしくなっていってる。

 どうしよう…」

と里枝は救いを求める目で俺を見た。

『やっぱり!』

直感的に事情は察することができたが

それに気づいた素振すらできない俺は

「どうしようって?」

と困惑して気づいていない振りをしてみせる。

すると

「あのね、今はベッドに横になってるけど、

 でも、さっきまでベランダの辺りでずっと日光浴してたの。

 お日様にあたらないと息が詰まる思いがして仕方がないの。

 それに、体から水抜けていく感じも再発して、

 前より酷くなってるの。

 体の渇きも止まらなくて、

 水をガブガブ飲んじゃうし。

 それに…それにね、土に足を埋めたくなったり、体に虫を這わせたくなったり…

 こんな異常な私の体のこと言えるの、智也だけだよ。

 信頼してるし、それに智也には私の痴態、見られちゃってるし…」

『えっ!』

俺はぎょっとした。

密かに後をつけて覗き見していたことが里枝には気付かれていたのだ。

「…ご、ごめん!お、俺…」

「やっぱり智也だったんだね。

 あの日、誰かが谷間から離れて行く足音がして、智也っぽい後ろ姿が見えて。

 いいんだよ智也。

 その日は恥ずかしさと変な悔しさで一杯だったけど、

 おかげで異常になっちゃった私の体のことも楽に話せるし」

そう言って里枝は手を伸ばすと落ち込む俺の顔をそっと撫でてくれた。

しかしその手は恐ろしく冷たいものだった。

俺は里枝の額に手を当てたが、

案の定、額にも人の温もりがない。

「冷たっ!

 ちょっと待ってろ、

 今すぐ湯を沸かしてあったかい飲み物でも作ってやるからな!」

俺は大急ぎで焜炉にヤカンを乗せて最大火力で火をつける。

その途端、

「キャアアアア!

 やめて!

 火は、火はいやああああ!

 見たくない!

 消して!

 消して!」

途端に里枝がパニックに陥ってのたうち回りだしたのだ。

「どっどうした!」

それを見た俺は困惑しながらも急いで火を止めると里枝の元に駆け寄る。

里枝はぐったりして肩で息をしていたが、

はだけた肩は刺青でも掘ったように緑色をしていた。

「里枝、お前…」

「見ての通りよ。

 私ね、体も頭もどんどん変になっていってる。

 私どうなっちゃうんだろ…。

 怖い…怖いよ。

 私怖い。

 自分が自分でなくなっていくのが怖い。

 ねえ、智也助けて!

 助けて!」

抱きついて泣きじゃくる里枝の冷たい体を俺は強く抱きしめていた。

「智也…

 そう言えば最近変な夢を見るの。

 山にドライブへ行った時に樹の実を採ったあの人面樹みたいなのがね、

 時は近い、時は近い。

 って私に囁く夢なんだけど…」

何でもいいから手掛かりが欲しくて、

俺たちは藁にもすがる思いで山へ行ってみることにした。



その日の夕方。

俺と里枝は車を山中に止め、記憶を頼りにあの樹を探していた。

しかしあの樹はなかなか見つかってくれず、時間ばかりが過ぎていく。

夏の陽はとうに落ち、

夕暮れのセミの物悲しい鳴き声もかすれ、

山は闇に包まれだしていた。

「くっそぉ!」

言いようも無い焦燥感が俺の心を締め付けてくるのを感じながらも、

俺と里枝は樹を探した。

そして、ヘトヘトになった頃、

俺たちの前にぼうっと青白く光る樹が姿を見せたのだ。

すべすべとした白い木肌。

幹は人の身長ぐらいから左右に分かれており、

実が枝ではなく幹から直接にいくつも生えている。

「あった!

 やっと見つけたぞ。

 この樹だ!」

樹の幹を何度も叩きながら俺は声を上げると、

里枝もまたその樹を見つめていた。

しかし、俺達の視線は自然と樹が二股になる部分に浮き出た女の顔のような隆起に向けられる。

眼孔のような二つの窪み、

その間の鼻のような盛り上がり、

口に見える小さな洞。

無言で俺達を見つめる顔を見つめていると、

『ココマデ時間ハカカッタケレド、

 ヤット育ッテクレタミタイダネエ…』

どこからともなく不気味な声がした。

「里枝、お前今しゃべったか?

 なんか、こ、声が聞こえた気がするんだけど…」

「しゃ、しゃべってないよ。

 で、でも、わ、私にも、こ、声みたいなのが聞こえたわ…」

俺たちは震え上がり手を強く握りあう。

そして、

「だ、誰だ!

 悪戯してるのは!」

と声を上げると、

『フフフ。

 ソウ怖ガリナサンナヨ。

 アタシサ。

 アンタラノ前ノ樹ダヨ』

見ると樹の顔がこちらを見てにんまりと笑っていたのである。

「!」

俺と里枝は呆然自失してしまうと、

全身の力が抜けてヘナヘナとその場にへたり込んだ。

しかし、樹はそんな俺達に話しかけつづけた。

『アタシモモトハ人間ダッタケド、変ナ樹ノ実ヲ食ベタバッカリニコノ姿サ。

 デモ、ヤット開放サレル。

 子孫ノ放ツ花粉ニアタレバ、アタシハ枯レテ死ネルノサ。

 モットモ、樹齢50年ノアタシダカラダケドネ』

「なに?」

俺たちは樹の顔から語られた言葉に体を硬くした。

変な樹の実、

それを食べて今の姿になったという目の前の樹の存在。

言葉どおりに考えれば樹の言う子孫が誰か、

次に樹になるのは誰か、答えは明白だ。

俺は震える声で樹に虚勢を張って問いかける。

「な、なんだよ、変な樹の実って…。

 そ、それに一体どこにお前の子孫が現れるっていうんだ!

 訳の分からないことを言うな!」

声を張り上げる俺の横で里枝は顔面蒼白になり、

ぶるぶると震えている。

『フフフ。

 アンタタチダッテ本当ハモウ気ガ付イテイルンダロウ?

 現実離レシタ存在ノアタシガ言ウノモナンダケドサ、

 元人間トシテ言ワセテモラウヨ。

 今起キテイル現実、

 気ガ付イテシマッテルコトニキチント目ヲ向ケナヨ。

 ソコノオ嬢チャン。

 アンタハアタシト入レ替ワリニ樹二ナルノサ』

「い!!

 いやああああああああ!!!!

 ああああああああああ!!!!」

夜の山中に里枝の悲痛に満ちた絶叫が木霊した。

「た、助けて!

 お願い助けて!

 なんでもするから!

 私、樹になんてなりたくないよぉぉぉ!」

里枝はもう発狂寸前で、

ぎりぎりのところで精神を保っている。

『ソレハ無理サ…。

 仮ニアタシガ願ッタトシテモネ。

 ソレヨリ運命ヲ受ケイレルコトサ。

 ソウスレバアンタモ苦悩カラ開放サレルンダ。

 オ日様ノ光、気持チイイト思ウンダロウ?』

「いやああ…言わないで。

 お日様なんて嫌い!

 もういや、聞きたくない!」

振り乱した髪を書き上げて里枝は泣きじゃくっている。

『サア…オ嬢チャンノ成長ノタメニ、

 特別二栄養素ヲ葉カラ分泌シテヤルヨ。

 風ニ乗ッテスグアンタニ届クカラネ。

 兄チャンハニゲトキナ。

 人間ガ吸ウト麻痺シチマウヨ。』

「り、里枝、一緒に逃げるんだ!」

俺はとっさに里枝の手を引くと、

風上を目指して来たのと逆方向に走り出した。



つづく



この作品は徒然地蔵さんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。