風祭文庫・異形変身の館






「樹怨」
(第壱話:呪いの実)


作・徒然地蔵(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-316





長く降り続いた雨がようやく上がり、

空気の流れが止まると、

フワァァァァ…

その時を待っていたかのようにしてモヤが立ち込める。

モヤは静かに全てのものを包み込むと時を止め、

そして、再び動き出すまでの束の間を休息を皆に与えていく。



ここはとある県境に広がる樹林帯。

東の空が白み始めると、

止まっていた時は再び動き出し、

朝の木立に立ち込めるモヤは

やがて差し込んできた朝日によって

一枚一枚剥がされる様に消えていくと、

やがて一本の”樹”が姿を見せる。



梅雨の始まり・6月

雨雲が切れ久しぶりとなる朝日に青葉を輝かせて

生き生きと茂る周囲の木々とは対照的に、

朽ち落ちて建物の基礎だけが名残を残すその場より生える樹には

一枚の葉も芽吹いてはいなかった。

サワサワ…

木々の間を吹き抜けた朝の風が

葉を付けていない樹の枝をかすかに揺らすと、

『……』

眠りについていた樹がゆっくりと目覚める。

『…アァ…

 …アァ…』

目覚めた樹は天に向かって伸びている枝より

朝の日射しに向かって若葉を芽吹かせようとするが、

しかし、

ピシッ

枝からようやく顔を出した若葉は数少なく、

それどころか、

パキッ

既に枯れていた枝先が折れ落ちていく。

『…風ガウゴクノネ

 …ヨウヤク

 …ヨウヤク来タノカ

 …ソノ時ガ』

己の寿命が尽きようとしていることを悟った樹はそう呟き、

『…アァ

 …支度ヲシナイト』

の声と共に、

ミシッ

残された力を振り絞ると、

幹より大きな新芽を幾つも芽吹かせる。

そして、昼ごろには新芽は鮮やかな花となって咲き誇ると、

夕刻には花は実となり甘い香りを周囲に漂わせ始める。

『…準備ハ出来タ

 …サァ

 …ココニオイデ

 …ワタシノ後ヲ

 …ツグ者ヨ』

月明かりが差し込む夜、

幹にいくつもの木の実を実らせた樹はそう呟くと、

己の後を継ぐ者が来るのを待ち始めた…



ザワザワ

梅雨の晴れ間の風が吹き抜けるとある大学の構内。

この大学に通う俺・牛島智也は

学食の隅で彼女である三浦里枝と共に

焼きあがったばかりの写真を見ていた。

「よく撮れているじゃないか」

「ふっふっふっ、

 腕の違いよ、

 見習いなさい」

「よく言うわ」

「でも、楽しかったね。

 初夏の日差しと緑がとっても気持ちよかったし!」

俺と出かけた昨日のドライブのことを

里枝は思い出しながら背伸びをしてみせると、

「おいおい、

 あれはただのドライブじゃないんだからな」

と俺は注意をする。

「はいはい、

 判っていますよ。

 それにしてもいいクルマを持っているじゃない。

 さすが御曹司!」

「あれはオヤジのクルマだ。

 一介の大学生がクルマなんて贅沢品は持てるわけないだろう」

「はいはい、

 で、現地調査だったんでしょう。

 ナントカとか言う昔話の」

「あっ昔話をバカにするなよ。

 昔話にはな、

 実際に起きた事件が織り込まれているんだから」

「はーぁ、

 また始まった。

 いつもの薀蓄。

 で、今回はどんな昔話の調査だったのよ」

「お前…

 行く前にちゃんと説明しただろうが」

「そうだっけ、

 忘れたわ」

「あのなぁ

 まぁいいか、

 詳しく説明をするとバカを見るみたいだから、

 掻い摘んで説明をすると、

 まぁ、

 良くある男と女の悲しいお話だよ。

 ちょっと不思議な話だけどな」

「ってそれでおしまい?

 里枝、わかーんない」

「何のキャラだよ、

 それは」

「でも、いいわねぇ、

 御伽噺研究会って夢があってさ。

 夢を追い求める男の人って好きよ」

「なんか引っかかるなぁ

 その言い方って」

「で、成果はどうだったの。

 今度はどこの露天風呂で遭難したのかな?」

「あのなぁ!!!

 まぁ、いいか。

 とりあえず、これだな」

彼女の問いにそう答えつつ

俺はカメラに一枚の写真を表示して指し示す。

「あぁ、ここかぁ」

写真を食い入るように里枝は言うと、

苔に覆われた朽ち落ちた建物の基礎と思えしき場所から生える

一本の樹がその写真には映っていた。

「そういえば里枝、

 お前、この樹に成っていた木の実を食べてたよな。

 俺が止めるのも聞かずに」

と俺は彼女が木の実を食べたことを指摘すると、

「いいの!

 あの後、お腹もこわさなかったし。

 あっ、

 ひょっとして智也も食べときゃよかったと思ってるんでしょ」

「誰がっ、そんなこと思うか」

里枝のその指摘に俺は語気を強めながら否定すると、

「ったくぅ」

むくれながら写真をめくり

美味しそうにアケビのような木の実を頬張る里枝の写真を眺めた。

確かに彼女の背後には里枝が実を採った樹が大写しで映っている。

写真に写る樹はすべすべとした白い木肌で、

人の身長ぐらいの高さ幹が左右に分かれ天に向かって枝を伸ばしているが、

その枝についている葉は数少なく。

樹勢が落ちていることは明らかだった。

そして珍しいことに、

彼女が食べている木の実がその葉の少ない枝に成っているのではなく、

幹から直接生えていたのである。

「それにしても、

 この時期に実が成っている樹って言うも珍しいな、

 普通秋だろう」

写真を見ながら俺は疑問を呟くと、

「結構歩いたよね」

と里枝は言う。

「あぁ、

 途中でモヤに巻かれて、

 エライ目に遭ったけど、

 里枝に引っ張られてた辿り着いたんだよな」

「えーっ、

 あたし、手なんて引っ張ってないよ、

 智也があたしの手を引っ張ってくれたんでしょう」

「俺じゃねーって」

「じゃぁ誰よ」

「知るかっ」

そんな会話をした後、

「ねえ智也、

 なんかこれ人の顔に見えない?」

写真を覗き込んでいた里枝が、

写真の樹も幹が二股に分かれている部分の少し下を指差してそう指摘した。

「人の顔?

 何処が?」

彼女の指摘に怪訝そうな顔をしながら、

俺は画像のその部分を拡大してみると、

「え?

 何これ」

思わず絶句してしまった。



指摘された部分にはまさしく人の顔の形、

そう女の顔と思える形のものが隆起しているのである。

そして、その顔は里枝とカメラを向けていた俺の方を見ながら、

薄気味悪く笑っているように見えたのであった。

「な、なんだよこれ…」

「うわ!

 すごーい!

 ひょっとしてこれって人面樹って言うヤツ?」

「おいっ喜ぶなよっ、

 あーっ、気持ち悪い」

「ねぇ、それTVに投稿しようよ。

 ほら、恐怖の心霊写真なんてやっているじゃない」

「あのなぁ…

 こ、こんなの消去、消去!」

里枝から写真を取り上げた俺は、

印画紙に火をつけると、

卓上の灰皿に押し込んだ。

「あーあ、もったいない。

 もぅ御伽噺研究会の癖に怖がりなんだから」

そんな俺を見ながら里枝は小ばかにしてみせると、

「それとこれは関係ないでしょう。

 こんな気味の悪い画像は消去っ

 いいだろ、

 他にも一杯撮ってあるんだから」

彼女に向かって俺はそう言うと、

俺達は気持ちを切り替えるように次の画像を表示させた。



1ヵ月後

7月は梅雨末期の雨が降り続いていた。

「梅雨も終わりだからの雨が降るのは仕方が無いけど、

 でも今年は雨が多いな…」

教室のガラス窓を叩く雨を鬱陶しく見ながら俺はそう思うと、

「まーいーか、

 晴れたら晴れたで暑くなるし、

 8月にはちゃんと晴れろよ」

と気持ちを切り替えて講義を聴くものの、

その一方で別のことが気になっていた。

そして、講義の終了後、

机でぐったりしている里枝に近寄って行くと、

「里枝、

 最近ずっとしんどそうだな。

 顔色も悪いぞ」

と心配そうに声を掛ける。

「心配してくれてありがとう。

 体がとってもだるいのよ。

 雨続きで気が滅入ってるのかな」

「確かにな、

 この雨、もう5日間も降り続いてるし、

 いい加減晴れて欲しいよな」

と俺は頷きながら表を見る。

すると、

「ちょっと、ごめんね」

そう言いながら里枝は持ってきている大きな水筒を開くと、

直接水筒に口をつけコクコクと飲みはじめた。

最近、彼女はそうやって水を飲むことが多くなっていた。

「相変わらずよく飲むなぁ、

 そう言えば前に言ってた日中にすごく喉が渇くってことは

 今は落ち着いてるのか?」

「うっうん。

 それと体から水が抜けるような変な感じも、

 ここのところは少しまし。

 でもその時の方が元気だったよ。

 今の方が力が出ない感じで…」

「そうか…」

確かにここ最近の里枝の様子はどこかおかしかった。

食欲が無いと言ってあまり食事を摂らず、

その反面、喉が渇くといっては水をがぶ飲みする。

そして、今日みたいに雨が続くと元気が無くなる。

さらに…

里枝自身は気づいているのか判らないけど、

彼女の肌が緑色に染まってきていて、

言いようも無い気味悪さを俺は感じ始めていた。



雨を降らせていた低気圧がようやく通過したのか、

窓を叩いていた雨が止み、

雲間から久しぶりに陽の光が差してくる。

その途端、

「あ!

 晴れてきた!」

陽射しを見た里枝はうれしそうに立ち上がると、

小走りで外に向かって駆け出していく。

「おっおいっ、

 子供か、お前は!

 それに調子は良いのか?」

息を切らせながら駆け出していく里枝の後を追いかけてると、

「お日様が出たのよぉ!

 はぁぁぁぁぁ!!!

 気持ちいい!!

 やっぱりお日様の光は最高ぉ!!

 蛍光灯の光なんか比べ物にならないわぁ!!!」

と里枝は空に両手を広げ、

気持ちよさそうに全身で日光を浴びはじめた。

「なんだよっ、

 さっきまでとは雲泥の違いじゃないか」

そんな彼女の姿を見た俺は呆れながら教室へと戻ると、

里枝が置いていった鞄と傘をもって外へ出る。



とそのときだった。

「あれ?」

日光を浴びる彼女の様はどこかで見たような気がしたが、

「なんだっけ?」

どうにも思い出すことが出来ない。

「どこかで見たような…

 ひょっとしてデジャブーと言うものかな…

 疲れているのかな俺って」

頭を叩きながら俺はそう呟くと、

「なぁ、よかったな、晴れて。

 じゃあ一緒に帰ろうか。

 午後の講義には出ないんだろう?」

と里枝に声を掛けた。

しかし、

「あ、智也ごめん…

 私、ちょっと寄りたいところがあるから先に帰ってて」

「え?

 寄りたいところって?」

「え、えっと…と、

 とっ図書室、

 そう図書室よ!

 調べ物があって時間がかかりそうなの」

「ふーん、

 じゃあ、先に帰るな」

「うん、ごめんね」

俺に向かって里枝は誤ると走り去っていく。

「っておいっ、

 傘と荷物はどーするんだ」

俺は手にしたままの里枝の傘と鞄を掲げて見せるが、

その俺の声には答える事も無く、

彼女の姿は視界から消えていた。

「はーっ、

 またかよ」

一人残された俺の口からその言葉が出ると

「ったくぅ、

 あっちに図書館は無いつーのっ」

と緑が生い茂る山を鬱陶しく見上げてみせる。

そう、里枝の奇行の一つと言うべきか、

太陽の光が降り注ぐ天気が良い日に限って、

彼女は居なくなっていた。

「何処で何をしているんだ、

 あいつは…」

さすがにそのことが気になった俺は

悪いと思いつつも里枝の後を追い始めた。



里枝が向かった先はやっぱり大学の裏山だった。

彼女は周囲に人の気配がないかを確認しつつ、

大学構内と山を区切る柵を乗り越えると、

草木の生い繁る山の中へと姿を消して行く、

「なんの用があってこんな山の中へ?」

少し間を置いて俺も柵を越えると、

彼女の足跡を手掛かりに奥へと進んでいく、

「うわっ、

 なんだこれは」

生い茂る木の枝と葉、

そして安息の場を奪われた虫から容赦ない攻撃を受けながらも、

俺は進んでいくと、

やがて視界が広がり

目の前に小さな谷間が姿を見せた。

大学から見て一つ尾根向こうに広がる谷筋である。

手付かずの自然が未だに残るその谷間で里枝の姿を見つけた俺は

忍び寄りながら彼女の様子をうかがいはじめた。



鼻歌を歌いながら谷筋の底に下りた里枝は

土に這いつくばるようにしてスコップで穴を掘っている。

「スコップ?

 何処から持ってきたんだそんなもの。

 それにあいつこんな所で穴を掘って

 何をするつもりなんだろう?」

小首を捻る俺をよそに里枝はどんどんと穴を掘り、

やはて彼女が掘る穴が人の膝ぐらいまでの深さになってしまうと、

「…ふう。

 ま、こんなところでいいかな…」

額の汗をぬぐいながら里枝はスコップを置いた。

「文字通り”墓穴を掘る。”って奴か、

 それとも

 ”穴があったら入りたい。”って奴か、

 ってこんな所で一人漫才かいっ!」

俺は一人でボケと突っ込みを演じていると、

「あぁ、喉が渇いちゃったな…」

そう言いながら雨あがりの地面にできた水たまりへと近づいて行く。

そして、その水たまりの前で四つん這いになると、

泥に汚れた水面に頭を下げたのであった。

「…え?」

驚きの光景に俺は目を見張るが、

俺が見ていることなど気づかないのか、

里枝はゴクリゴクリとその泥水を飲んでいく。

「マジか、

 って大丈夫か、あいつ…」

泥水を飲む彼女の脇には透き通った湧き水が流れているが、

しかし、それには目もくれずに泥水を飲み続ける。

やがて里枝は泥水から口を離すと、

「…ふふふ、

 土の混じった水はやっぱり美味しいな…」

口元を泥まみれにしながら笑みを見せたのであった。

「ちょっと、

 冗談にしてはキツイぞ、

 ってまさか気が狂ったのか?」

彼女の姿を見た俺は背筋を寒くするが、

更に驚かせたのは

「さてと…」

の声と共に里枝は着ているものを一枚一枚脱ぎ始めたのであった。

山の中で突然始まったストリップに俺は当惑するものの、

ブラジャーが肩から抜き取られて形の良い乳房が露わになり、

ショーツにも手が掛けられると、

肉付きの良い尻と秘所が空気に曝される。

そして、里枝は一糸まとわぬ裸になってしまうと、

「肌で感じる山の空気はいいわ…」

そう言いながらバケツを持つと、

さっき掘った穴の中に何かを入れ始めた。

「なんだ?」

怪訝そうに俺は目を凝らすと、

里枝が穴の中に注ぎ込んでいるのは、

有機肥料といえば聞こえが良いが、

間違いなくそれは蝿が飛び回る”肥え”だった。

「うっ」

漂ってきた独特の臭いが俺の鼻を突くのと同時に、

思わず吐き気を催すが、

確かにこの近くには家畜を飼う農家があり、

周囲の畑には”肥え”が野積みされている。

口を押さえながら俺は様子を伺っていると、

里枝の様子をみていると、

彼女は肥えを穴へ注ぎ込むと、

いきなりその中へと降り立ち

まるで植樹でもするかのように、

掘り起こした土を自分の足にかけ始めた。

「ああ、やっぱり天然の肥えはいいわ。

 こうして漬かっていると 

 体の中から元気が湧いてくる…」

と言いながら細い足がみるみる土の中に消え、

裸で膝まで土に埋まった滑稽な女の姿が現れると、

里枝は大きく両手を空に向けて広げ、

体一杯に夏の日差しを受けたのであった。

「気持ちいい…

 お日様の光が気持ちいい…

 ああ、気持ちいい…

 足に触れる湿った土の感触が気持ちいい…

 最高…」

里枝は陽の光を浴びながら艶っぽい表情を浮かべていると、

フッ

緑色に染まり始めていた彼女の肌の色が濃くなっていく、

すると、

フワリ

彼女が立つ場所からバニラを思わせる甘い匂いが漂ってきた。

スンッ

「!?

 この匂い…

 どこかで嗅いだことがある」

鼻を突いてきた匂いを嗅いだことがある俺は、

それを思い出そうとするものの、

やはり思い出すことが出来ない。

「くっそぉ!

 どこだっけか?」

自分の頭を何発か殴りながら思い出していると、

…ブーン…

その匂いに誘われてか、

蜜蜂が俺の近くを横切って里枝の方に飛んで行き、

気がつけば里枝の周りには

既に蜜蜂がもう何匹も飛んでいたのであった。

「ふふふ、

 来てくれたのね…」

寄ってきた虫に向かって里枝は囁くと、

虫たちは競い合うように里枝の乳房や秘部に群がりだした。

虫嫌いの里枝のはずなのに、

悲鳴を上げるどころか、

虫たちを払おうともしない。

それどころか虫たちを誘い、

喜んで戯れているように見える。

「ああ…虫さんたち、

 くすぐったいけど気持ちいい…

 気持ちいいの…

 もっと…もっともっと私を刺激して…」

里枝は恍惚の表情を浮かべている。

すると、

蟻にまでが里枝の体によじ登り始め、

蟻が作る行列が足を伝って秘部に伸びたのであった。

「はあ、はあ…

 気持ちいい…

 いいよぉ…」

里枝はもう何も考えられない様子で、

何度も何ども体をのけぞらせた。

「はあ、はあ、はあ…

 ふふふ。

 あはははは」

土に足を埋めて裸体に夏の日差しを浴びながら、

体に虫をはべらせて喜ぶ里枝。

俺は思いもしなかった彼女の秘密と、

そこに無断で立ち入ったことへの嫌悪感を感じたとき、

『…何ヲ見テイル…』

俺の耳にその声が響いた。

「え?」

響いた声に俺は周囲を見張ると、

『…去レ…』

また声が響いた。

次の瞬間、

「ひっひぃぃ」

俺はその声から逃げるようにして引き返していたのであった。



つづく



この作品は徒然地蔵さんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。