風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第拾六話:キニサクアイツ)


作・風祭玲

Vol.1114





「彼女は待っている…

 いつまでも…

 いつまでもって、

 なんでそんなに待てるんだ?」



翌日、

取材を終えた智也はショッピングセンター・ドスコの屋上で、

川面を光らせて流れる川を眺めながら、

黒蛇堂での出来事を思い出していた。

「一体、自分を待っていると言う女性は誰なんだ?」

胸の奥で引っかかるものを感じながら、

智也は悶々としていると、

「牛島さんっ

 ここにいたんですか?

 探しましたよ」

智也を探していた同僚記者の声が響く。

「え?

 山の開発が始まった?」

「そうです。

 沼ノ端・ホープキングダム。

 ついに着工ですよ」

店内のファミリーレストラン内で

嬉しそうに同僚記者が言うと、

「木の伐採自体はすで一週間前から始まっているそうです。

 動き出すと早いですね。

 さすがは財団Kだ」

缶コーヒーに口をつけながらそう言ったとき、

「牛島くーん!」

不意に智也の名前が呼ばれた。

「あっ

 はいっ」

突然、名前が呼ばれたことにで智也は反射的に返事をすると、

智也の先輩である女性記者が駆け寄り、

「この近くに来たら

 牛島くんがここで取材をしているって聞いたので、

 寄り道しちゃった」

と言い、

そして、

「体、大丈夫なの?」

と智也の体調を案じて見せる。

「え?

 あっ、

 平気です」

その言葉に智也はガッツポーズをして返事をすると、

「そっ、

 それは良かった。

 一つお願いがあるだけど、

 牛島君、クルマで来ているんでしょう。

 悪いけど沼ノ端まで乗せてくれない?」

と頼み込んできた。

「構いませんが、

 またなんで?

 ご自分のクルマはどうしたのですか?」

訝しがりながら智也は尋ねると、

「いやぁ、壊れちゃってね」

と彼女は照れ笑いしてみせる。

「壊れたって

 そんなスマートフォンみたいに簡単に言わないでくださいよ。

 修理には出したのですか?」

「細かいことはいいのいいの、

 それよりも、

 例の森で財団Kが始めたんでしょう。

 沼ノ端に行く途中、

 ちょっとでいいから寄ってもらえないかな」

「あの森にですか?」

「そうよ、

 いま私が追いかけている取材対象。

 財団総帥、ミスターKこと鍵屋チルソニアン2世が沼ノ端に来ているのよ」

「総帥、御自らお出ましですか、

 となると、

 やっぱりあの森に黄金の果実が?」

「ユグドラシル・コーポレーションって、

 ”死ぬ死ぬ団”とか言う過労死率No1の

 反社会的ブラック組織との繋がりもささやかれているし

 そうそう、知ってます?

 この間、例のレインボー仮面が死ぬ死ぬ団のアジトを急襲して、

 超過勤務状態のアルバイトを多数救出したそうですよ」

「とにかく、

 そんな色々と曰く付きの人物の来訪と、

 急に始まった森の開発。

 きっと何かがあるわ」

「でも、どこに証拠があるのですか?」

「そんなもん。

 これから見つけるのよ!」

「えぇ!」

そんな会話の後、

皆は智也のクルマに乗り込むと、

一路、沼ノ端に向かって行く。


それから1時間近くが過ぎたころ、

智也のクルマが西日が照らすあの駐車場に滑る込むと、

駐車場と森の境界にには防護壁が張り巡らされ、

さらにカーテンで仕切られている工事用車両の出入り口には

「工事中につきご迷惑をおかけいたします」

という札がかかっていた。

「まさに大工事って感じすね…」

「ホント、大々的ね」

クルマから降りた3人はそう言いながら見回すと、

「取材の許可を取ってきます」

そう言い残して

女性記者は明かりが点いているプレハブ建ての事務所へと駆けていく。

「相変わらずパワフルだな」

彼女の後姿を見ながら智也はそう言うと、

同僚記者と共にゆっくり歩き、

工事用車両の出入り口から中へと入っていく。

すると、

景色はこれまでと一変して無数の重機が並べられ、

智也たちに工事が始まっていることを印象付けてきた。

「あの樹は無事なのか…」

それらを見ながら不意に智也は奥ノ院脇の樹のことが心配になると、

「ちょっと先行ってます」

そういい残して駆け出した。

「あっちょっと、

 まだ先輩が戻ってきません。

 勝手な行動は…」

「いいのいいの」

智也は突き動かされるように山中を走ると、

行く手を遮るように漂うガスを抜けていく。

そして、ガスを抜けた智也を待ち構えていたのは、

掘りこされて剥き出しになった赤茶けた土と

伐採され積み上げられている樹の山だった。

「そんな…」

衝撃の光景に智也の胸は締め付けられるように苦しくなり、

それを振り解くように足を動かすと、

あの樹がある奥ノ院へと向かっていく。

しかし、奥ノ院の建物は既に解体された後で、

基礎部分は土ごとえぐり取られていた。

また、周囲の森の樹もほとんどが伐採され、

残っているのは

花を咲かせているあの樹一本だけの状態になっていた。

「まだあった」

全身に花を咲かせている樹が健在であるのを見て智也はホッとするが、

しかし、その樹の周囲に作業員達が集まってくると、

「よーし、

 こいつが最後だ、

 さっさと終わらせよう」

ゴム手袋を填めた手で樹の幹を触る作業員が声を上げた。

すると、

「花に毒があるから気を付けろ」

「かぶれるから幹を素手で触るなよ」

「防護はしてあるか」

などと注意事項を言いながら伐採のための準備をはじめだした。

「やっやめっ…」

それを見た智也は作業員達に向かって言いかけたところで、

「牛島くんっ!」

女性記者の声で智也の名前が呼ばれると、

「取材中は勝手な行動をしないっ」

と窘められる。

「でっでも」

「いいこと、

 私たちは取材に来ているのっ

 取材先の作業の邪魔はしない。

 これは鉄則でしょう」

智也に向かって女性記者は言い聞かせると、

「ふーん、

 お探しの樹はなかったみたいね。

 ここはもぅ”用済み”ってわけか。

 しかし、無いと判れば仕事が早いわ」

と森に財団Kが探している樹が無かったことと、

以降の作業進捗の早さについて関心をしてみせる。

ビィィィィン!

不意にエンジン音が鳴り響くと、

バキバキバキバキ!!!

作業員が手にするチェーンソーによって

樹の枝が次々と切り落とされ、

花を着けた枝が樹の周囲に落ちていく。

しかし、作業員達は落ちていく花を見て感傷に浸ることなく

事務的に黙々と作業をこなし、

生い茂った枝によって作られていた樹のシルエットが見る間にやせていくと、

最後に残った太い枝すらも切り払われてしまった。



まるで両腕をもぎ取られた女性のように

すべての枝を失い幹だけとなった樹の姿を見て、

「もぅういいだろう」

智也の口からその言葉が漏れる。

「いま何か言った?」

その言葉が聞き取れなかったのか女性記者は聞き返すと、

「もういいでしょう。

 これ以上のあの樹の無残な姿はみたくありません」

と智也は言い切る。

すると、

「牛島君?

 あなたは自然保護のNGOじゃないでしょう」

と指摘された。

「う…」

その言葉に智也は声を詰まらせると、

「ここの土地は売却済み、

 伐採の作業許可取っている。

 伐採は手順に従って執り行われている。

 何か不備があるのですか」

女性記者はそう指摘すると、

「私たちができることは事実を目撃して、

 それを周囲に伝えること。

 もし、あの樹に特別な感情があるのなら、

 それを私たちの手段で伝えることね」

と注意をする。

「それは、

 そうですが、

 でも」

なおも納得がいかない表情を智也がしてみせると、

樹の周囲の作業員達はその幹の切り倒すための準備に入った。

紫煙を上げてチェーンソーが動き出すと、

ガリガリガリ!!!

幹の横から入った刃先が

人の顔を思わせる膨らみを削り取り、

幹を大きくえぐり取ると、

その反対側からも入ってくる。

程なくして、

メリメリメリ…

バキッ

折れる音を残して樹の幹は上半分を失うと、

今度は樹の根元にチェーンソーが入り、

バキバキバキ!

ズシン!

豪快な音を上げて樹は横倒しとなると、

作業員の手によって転がされていく。

そして、最後に残った根にワイヤが掛けられると、

手際よく根が処理され、

エンジン音と共にワイヤが引っ張られると根が浮き

土の匂いを吹き上げながら地面から引き抜かれていった。

その時、

智也の耳にハッキリと女性の悲鳴を思わせる声が響き渡った。

「!っ」

突然響いたその声に智也は慌てて周囲を見回してみると、

「どうしました?」

それを見た同僚記者が訝しがりながら尋ねる。

「いや、

 なんか声が聞こえたみたいで」

「またぁ、

 脅かすのは止してくださいよ」

智也の脇を突きながら同僚記者は笑ってみせると、

「取材中に冗談を言えるなんて、

 それって余裕がある。って思って良いのかしら」

それを見た女性記者は皮肉を言うと、

「使えるところを残して

 綺麗さっぱり伐採されてしまいましたね」

「なんかすがすがしい気分だわ

 さて、見たところ、

 件のミスターKも現れないみたいだし。

 私たちも引き上げましょうか」

その言葉を残して、

智也一人を残して2人は去って行った。



一人残った智也は、

さっきまで樹が生えていたところを見るが、

しかし、あるのはポッカリと開いた空間のみで、

周囲に花をつけた枝と、

土の匂いを漂わせている樹の根が

無造作に転がっているだけだった。

「………」

その光景に智也は言いようもない喪失感を感じながら

樹の幹を積み上げた場所へと向かっていくと、

その最上部に積み上げられた樹の幹を見上げ、

そして、無我夢中になって花をまだつけている幹の枝を引っ張った。

すると、

ズルッ

ザザザ…ゴトンッ

バランスを崩した樹の幹が落ちてしまうと、

智也の足元に転ろがってくる。

転がり落ちてきた樹の幹を見ると、

削り取られたはずのふくらみの上部は残っていて、

虚ろに開く左右二つの窪みが

死者の眼窩のように空を見上げていた。

「うっ……」

それを見た途端、

智也はこみあげてくる気持ちを抑えられずに

幹の前に座り込むと泣き始めた。



『…なんで、泣くの…』

不意に少女の声が響いた。

その問いに智也は答えずに項垂れていると、

『…その樹はあなたにとって大切な樹?』

と声は尋ねる。

「わからない…」

やっと口を開いて智也は返事をすると、

「わからないけど、

 でも、無性に悲しいんだ」

そう訴えた。

『…なんで?』

「この光景をみて君は何も感じないのか?」

怒りを見せながら智也は顔を上げると、

樹が切り倒されて荒涼とした景色の中にあの少女が立っていた。

「君は…」

『ねぇ…

 樹ならここ以外にもいっぱいある。

 あそこの森にも、

 こっちの森にも、

 ここの開発を指揮した人は、

 ちゃんと残す樹を考えて手を付けたのね』

「だからって!」

『だから?』

「…だから…」

『なんで、あなたはその樹に固執するの?」

「…それは」

『確かにこの樹は少し変わった樹。

 枝の張り具合はいびつだし、

 樹の幹には人の顔のような膨らみがある。

 しかも毒々しい花を年中つけて、

 何より幹に毒を持っている。

 切られて当然じゃない?』

「…そうだけど」

『ここには自然を生かした施設が作られることが決まっている。

 その施設にこの樹は必要かしら』

「君は何が言いたいんだ。

 僕にこの樹のことを忘れろ。

 と言っているのか」

『じぁ、私から聞きたいけど、

 なぜあなたはこの樹をそんなに贔屓にしているの?

 他にも樹はあるのに、

 あなたはこの樹を贔屓にして、

 色々お世話をして、

 樹の毒で体を壊しても、

 切り倒された後、

 こうして涙を流している。

 なぜ?

 答えて!』

智也に迫りながら少女は問うと、

「それは

 わからない。
 
 でも、僕にとってこの樹は見過ごしてはいけない樹だと感じるんだ。

 なんでだろう。

 ただの樹なのに。

 ろくな目にあっていないのに、

 でも、見過ごしてはいけない。

 必ず立ち止まって手を添えてあげる。

 必ず話しかけてあげる。

 必ず。

 必ず、

 そうすればいつか、

 時が来たら樹は返事を返してくれる。

 時が来たら手を握ってくれる。

 そんな気がするんだ」

と訴えた。

すると、少女は笑みを浮かべ、

『なるほど、

 ちゃんと思い出して来ているのね。

 安心した』

と言う。

「君は…

 何者なんだ?」

『わたし?

 ずっと前…

 そう、この樹がここに根を下ろした時から、

 私は樹と牛島智也、あなたを見てきた』

「ちょっと待て、

 君はいくつだ?」

怪訝そうな顔をしながら智也は尋ねると、

『乙女にその質問は失礼よ…』

と少女は答え、

『樹はね。

 自分の寿命は自分で決めることができるの。

 例え幹が折られ、

 根が掘り起こされても、
 
 まだ寿命ではない。

 樹はそう思えば、

 どこからでも根を生やし枝葉を伸ばして

 再び花を咲かせる。

 樹はその気になれば何千年も生きられるの』

と言いながら、

少女はバラバラに落ちている樹の枝から一本を選び出すと、

智也に向かって差し出し、

『智也さん。

 この枝をよく見てごらんなさい、

 花を咲かせ始めたわ。

 幹はノコギリでバラバラに切られたのに、

 でも、枝はいつもと同じように花を咲かせる。

 真っ白できれいな花…

 とてもあの毒々しい花を咲かせていた樹の花とは思えない花ね』

と言う。

「確かに…」

智也は咲き始めた可憐な花を見ながら呟くと、

『あの毒々しい花と幹の毒はこの樹が溜め込んだ妖素の影響。

 樹は花を咲かせることで毒を浄化してきたけど、

 でも、妖素に穢された樹にとって浄化はなかなか進まず、

 ここに根付いてから1年中花を咲かせ続けても、

 完全に浄化できたのは枝の一部だった。

 それではとても間に合わない。

 だから伐採は樹にとって妖素を一掃するチャンスだったの。

 智也さん。

 この枝をあなたに託します。

 枝を根付かせて再び樹にしてください。

 枝が樹となり、

 再び白い花が咲かせたとき、

 あなたはすべてを思い出します。

 樹があなたにとってどのような存在だったのか』

枝を見る智也に向かって少女がそう告げたところで、

声が止まった。

「ちょっと待って、

 思い出すって何を!」

突然の静寂に智也は顔を上げて叫ぶが

しかし、そこに少女の姿はなく、

智也一人が掘り起こされた赤土の上に立って居た。

『…まずは自分の足で私に追いつける様になってね。

 …そうしたら、

 …ご褒美に私の名前、教えてあげる』

という声が智也の耳に響き渡っていった。



「折れた樹の枝を根付かせる方法?」

TV局に戻った智也は園芸に詳しい職員を探して問うと、

「そりゃぁ、

 挿し木だろうな」

と返事が返ってくる。

「挿し木ですか?」

「あぁ、

 植木鉢と水はけの良い土を用意して、

 剪定した枝をそれに挿すんだ。

 そしたら水を絶やさぬよう日陰において2・3週間待つ。

 すると、剪定した枝に根が生えてくるから、

 根が育ったところで土を変える。

 いいか、

 そこそこ放置で、

 そこそこ面倒を見る。

 それが挿し木の肝だ」

と職員は言う。

「はぁ」

職員に言われるまま智也は植木鉢と土をDIYセンターで購入すると、

条件を整えてあの樹の枝を挿した。

それから2週間の間、

水を絶やさないように土を湿らせ続け、

そして2週間後、

恐る恐る枝の周囲の土を除けてみると、

枝の切り口から髭のような白い根が生えていた。

「よしっ!」

それを見た智也はガッツポーズをしてみせると、

土の環境を維持しながら枝を普通の鉢へと移して行く。

普通の鉢に移してから一ヶ月後には新芽が顔を出し、

やがて新しい枝も生え始めてくると、

次第に枝は樹の様相へを成長し、

冬を迎えたころには鉢植えの中で小さな樹に変貌していた。



「え?

 海外に転勤ですか?」

年が明けて2月、

智也に対して海外転勤の内示が告げられた。

昨年の隠し子の噂が局の上層部に入り、

事が大ごとになる前に智也にはしばしの間、

沼ノ端を離れてもらう裁定が下されたのであった。 

「まったく、

 今頃人事が動き出すだなんて、

 何をやっているのか」

報道局の中ではこのタイミングを逃した裁定について

疑問を呈する者も出てくるが、

「鉢植え…どうしよう」

当の智也は海外勤務中の鉢植えの世話について頭を悩ませていた。

『…え?

 鉢植えのお世話ですか?』

「頼るところはあなたしかいないのです」

黒蛇堂の少女に向かって智也は頭を下げると、

『海外赴任ってどれくらいなのですか?』

と少女は尋ねる。

「2・3年で戻れるとは思いますが」

その質問に智也は答えると、

少女は少し考え、

『いいでしょう。

 お引き受けいたします』

と笑顔で答えた。

そして、智也が沼ノ端を離れる前日。

「申し訳ありませんが、

 よろしくお願いします」

そう言って鉢植えを黒蛇堂に持ち込むと、

『はいっ、

 よろしくね』

少女は鉢植えの中で枝葉を伸ばす樹を軽くなでて見せた。

そして智也を見ると、

『白くて可憐な花を咲かせるんですね』

と言う。

「え?

 判るんですか?」

それを聞いた智也は驚くと、

『えぇ、

 よーく判ります。

 責任を持ってお世話いたしますので、

 お仕事がんばってください』

少女は胸を張ってそう言うと、

「お願いいたします」

の声を残して智也は黒蛇堂を後にした。



それから8年の月日が流れた。

「牛島報道局長補佐。

 お帰りなさい」

夏を間近に控えた7月はじめ、

辞令によって帰国した智也は報道局員に迎えられて出社してきた

そして、にこやかにあいさつをしながら、

局長補佐の席に腰を下ろすと、

「君が毎週送ってくれたEU通信簿は実に役に立ったよ、

 おかげで他局を出し抜くことができた」

と局長が褒め称える。

「自分の仕事が役に立ってうれしいです」

日に焼けた肌に広い歯を浮かび上がらせて智也は返事をすると、

その局長が手招きをしてみせる。

「はい?」

招かれるまま席に行くと、

「で、例の隠し子は片付いたんだろうな」

と耳打ちされた。

「いや、

 そんな子はいませんって

 勘弁してくださいって」

何度も頭を下げながら智也は言うと、

その日は海外赴任の報告から歓迎会と会議や宴席が続き、

ようやく開放されたのは夜遅くなってのことだった。

「ふぅ、

 8年ぶりの沼ノ端か…」

夜の沼ノ端を歩きながら智也は帰ってきたことを満喫するが、

その足はあるところへと向かって行く。

だが、

「え?」

智也の目の前に信じられない光景が広がっていた。

黒蛇堂の看板が掛かるレンガ造りの古風な建物は姿を消し、

代わりに明かりを灯すコンビニがそこにあった。

「いらっしゃませ」

アルバイト店員の声に迎えられて智也がコンビニに入ると、

「あのぅ」

と店員に声をかける。

「なんでしょう」

笑顔で店員は応えると、

「昔、

 ここに黒蛇堂というお店があったのですが、

 ご存知ありませんか?」

と問い尋ねるが、

「さぁ、

 自分は先週バイトに入ったばかりなので、

 昔のことは…」

店員はそう答える。



コンビニから出てきた智也は呆然とするが、

しかし、

「黒蛇堂さん。

 どこに行っちゃったんだ?」

と智也は黒蛇堂の消息もさることながら、

託していた鉢植えも行方不明になってしまったことに動揺していた。

すると、

『かーれ木にぃ〜

 はーなをぉ〜

 咲かせぇ〜

 ましょぉ〜』

不意にその歌が夜の街に響き始めた。

と同時に、

智也の脳裏に端ノ湖に巨大な樹が聳え立る姿が映る。

「うわっ!

 なんだ!」

突然、頭の中に出てきたビジョンに智也は驚くと、

『さきほーこ〜る…

 はーなの〜

 かおり…とべ〜

 …

 かおりーよー〜

 とーどけ〜

 よっみの…はてぇ〜』

と歌が再び響いてくる。

すると、

また智也の脳裏に別のビジョンが映し出された。

真っ白に凍りついた湖と、

自分に向かって手をさし伸ばす女性の姿。

「!!

 この人…

 知っている。

 でも…

 誰?」

あと一歩で記憶の糸が繋がらないことに、

智也はいらだちながら歌声に向かって駆け出した。

そして、表通りに出ると、

街路樹を縫うようにあの少女ゆっくりと歩いているのが目に入った。

「あの女の子だ!」

それを見た智也はスグに少女を追いかけるが、

しかし、樹の陰に少女が入ると、

離れたところの樹から少女は出てくる。

「待て!

 待ってくれ!」

智也は声を張り上げながら少女を追いかける。

『…まずは自分の足で私に追いつける様になってね』

8年前、少女に言われた言葉が智也の脳裏に響き始めた。

「待って!

 お願いだ。

 止まってくれ!

 君なら知っているだろう。

 黒蛇堂のこと、

 鉢植えのこと、

 だから、待ってくれ!」

現れては姿を消す少女を追いかけて智也は街の中を走り、

そして、中央公園内の池の畔に来た時。

その欄干の傍で少女が智也を待つように立っていた。

「はっ

 はっ

 はっ

 やっと、

 追いついた」

少女の正面で智也はへたり込んでしまうと、

『やっと私に追いつけるようになったのね。

 じゃぁ、ご褒美に教えてあげるね』

座り込む智也の頭の上からその声が降ってくる。

「!!っ」

その声に智也は顔を上げると、

『でもね、

 あなたが求めているものを直接教えることは出来ないの。

 ただし、

 違うことを教えることは出来るわ』

と少女は言う。

「なんだよ、

 それって」 

『不満そうに言わないの。

 私があなたに教えられる超一級の機密情報。

 そ・れ・は

 トモエ…

 私の名前よ』

「別に君の名前なんて興味ない」

『そうでもないよ、

 この名前を付けてくれたのは

 牛島智也さん。

 あなた、なんだから』

「僕が君の名前を付けた?」

『うふっ』

驚く智也にトモエと名乗った少女は笑みを浮かべると、

『いまのはあなたの記憶の糸を繋ぐのには十分すぎる情報。

 智也さん。

 もぅすべてを思い出せるよ。

 大切な思い出、

 だけど、残された時間はこの夜明けまで、

 急いでね』

そう言い残すと、

『じゃぁねっ!』

トモエは笑いながらその場から飛び出していく、

「あの女の子の名前を僕がつけた?

 大切な思い出って?」

智也は考え込むと、

いつしか黒蛇堂があったところへとと歩いていた。

だが、いくら周囲を探しても黒蛇堂の看板を掲げる店舗は無く、

コンビニが放つ光が8年の時間を告げている。

「8年も経っているんだから、

 仕方がないか」

あきらめ気味に智也はつぶやいたとき、

宴席で報道局長が言った言葉がよみがえってきた。

【沼ノ端・ホープキングダム?

 あぁ、あのテーマパークか。

 ほら、5年前に財団Kが某国に煽てられて融資をしていた

 インフラ・ナントカ国際銀行が破綻したのを知っているだろう?

 その債務整理で財団は国家予算級の保証を要求されて夜逃げ。

 煽りを食らって運営会社は倒産したよ。

 いまは元の山に戻っているよ】

「元の山に…

 ひょっとしたら」

かすかに見えてきた光とこみあげてくる感情を胸に

智也は局の駐車場に戻ると、

止めてあった愛車とともに

一路、山へと向かっていった。



月明かりの下、

駐車場からの景色は工事を思わせるものは何もなく。

傷つけられた山は自然の中に返っていた。

ザザザザッ

あの時と同じように生い茂っている笹をかき分け、

立ち込める霧を抜けて智也は山の中を進んでいくと、

空間が一気に開けた。

8年前、綺麗に伐採され

赤土が顔を覗かせていた場所はすっかり草に覆われ、

新しく生えたであろう背の低い樹がポツリポツリ顔を出している。

その中を智也は進んでいくと、

「あっ」

全身に白い花を咲かせる一本の樹が

月明かりを受けながら周囲を圧倒するように立っていた。



「そこにいたのか」

両手を前に合わせてスッと立っている女性を思わせる

その姿を見た智也は声を失うと、

一歩

一歩

慎重に歩み寄り、

そして手を伸ばすと、

幹にある膨らみにその手を添える。

そして、

目を瞑っている女性の顔を思わせるその膨らみを撫でながら、

「君は…

 だれ…?」

智也はそう問いかけるが、

樹は何も答えず、

風に吹かれるまま生い茂る枝葉を鳴らした。

5分、

10分、

30分、

智也は問いかけても答えない樹のふくらみをじっと見つめ続けていた。

そして東の空が明るくなってきたとき、

「誰なんだ?

 君は…

 僕にとって君は何者なんだ!」

樹に向かって智也は声を上げると、

拳を振り上げ、

「答えてくれ、

 里枝っ!」

ドンッ!

まるで感情を爆発させるかのように声を張り上げ、

幹を拳で殴った。




ザッ!

夜明け前の空に風が舞い上がると、

キシッ!

何かが軋んだ音が響く。

「え?」

自分の口から思わず出た言葉に智也は驚くと、

「里枝?」

と人の名を再度呼ぶ。

「里枝?

 里枝?

 里枝…なんだろう。

 決して忘れてはいけないはずなのに、

 なんで忘れて…

 え?

 え?

 え?」

幹を殴った際に怪我をしたのか、

血がしたたり落ちてきた手で樹の膨らみを触ると、

流れ出た血が樹の膨らみのあるところに付着する。

「あっ………」

まるで紅を差した唇を思わせる姿になったその窪みを見ていると、

『智也…』

と唇が自分の名を呼んだように動いて見せた。

「里枝…」

そう呼びながら惹かれるように自分の唇を重ね合わせた途端。

「あっ

 あっ

 あっ

 あっあぁぁぁぁ!!!」

智也は頭を押さえながらその場に蹲ってしまうが、

同時に彼の脳裏には無数のビジョンがあふれかえり、

それが取捨選択され並びなおされていく。

そして、

ギシッ!

今度は大きな音が響くと、

周囲の景色から艶が一気に消えて、

色を付けたアンドアートを思わせる姿へと変わり、

ギシッ!

また音が鳴ると、

今度はその色が抜けるように褪せてしまうと

全てが砂の色へ変わっていった。

バサッ!

サラサラサラ…

次々と崩れ落ちていく砂像の中、

智也と樹はその砂場の中に立ち、

「里枝…

 すべてを思い出したよ」

と智也は樹に向かて呼びかけると、

ひしっ!

樹の幹をきつく抱きしめる。

すると、

『…樹である限り三浦里枝は死なず、

 …何度でもよみがえる。

 …クスッ』

と智也の頭の中に里枝の声が響き、

『…もぅ、いつまで待たせるのよ。

 …時間ぎりぎりじゃない』

追って呆れた声が響いてきた。

「ごめん」

『…謝ることはないわ。

 …信じていたから』

里枝はそう言うと、

樹の全体を覆う樹皮が剥がれるように落ちていき、

その下から真っ白な肌が姿を見せる。

そして、

グッ

グッ

その体が動き始めると、

枝から変わった両手が智也の肩を握り、

そして、

『んしょっ』

の掛け声とともに、

土の中から足を抜けると、

『お待たせっ』

ツルンとした真っ白な裸体を見せて里枝は智也の肩を叩く。

「あっあぁ」

『さっ、沼ノ端に帰ろう』

「そうだな、

 …帰ろう。

 うん、帰ろう」

里枝の声に促されて智也は気合を入れるように自分の両腰を叩くと、

その里枝をお姫様抱っこで抱えあげた。

『やめてよ、

 恥ずかしいじゃない』

「意外と軽いんだな。

 中身入っているのか?」

『空っぽで悪かったわね。

 だって、

 まだ人間じゃないもん…』

「そっか、

 なら仕方がないな」

『それでいいの?

 私が人間じゃなくても』

「なんか、

 どうでもよくなっちゃった」

『そっそう…なの。

 あの…』

「なに?」

『ううん、

 沼ノ端に戻ったら話すわ』

「そっか」

そのような会話をしながら二人は消えていくと、

山の稜線から朝日が昇り、

光がすべてを飲み込んでいく。



『…樹である限り我は死なず。

 …何度でもよみがえる。

 …か』

見届けた樹怨は感慨深げにつぶやくと、

『動物の寿命は成体になるまでの時間の

 5倍程度しか生きることができません。

 しかし、植物はその制限が無く、

 望む限り無限に生き続けることができます。

 故に動物は”理”の”動脈”を、

 植物は”静脈”を

 それぞれ役割を分かつことで担当しています。

 それを決めたのは他ならないあなたと、私の父』

樹怨に向かって鍵屋はそう言う。

『…樹はどんなに傷つけられても、

 …死ぬことは無い。

 …樹で言う死とは、

 …生きることを放棄すること。

 …表が何をしようと、

 …裏から見ればそれは一瞬のこと。

 …判っているはずなのに、

 …自分が定めたことなのに、

 …そのことに疑問を持ってしまった』

『樹怨、

 一つ教えていただけませんか、

 なぜ、あなたは1万年前にこの世界に篭られたのですか?』

『…なぜだろうな。

 …イザナギが天界から降臨してきた女神との間に子をもうけた。

 …その話を聞いたとき、

 …私はイザナギとの間に障壁を設けるのはやめるべきと悟った。

 …そして"理”を動と静に再編してそれぞれに託し、

 …この地を己が生きる場所と思うて、

 …引きこもったのだ。

 …まさか、

 …あの時の子にこのようなことを言われるとはな』

『差し出がましいことを申し上げてしまい、

 申し訳ございません。

 さて、話をあの二人に戻しますと、

 因果律の再構築は無事に済みました。

 修正因果を基盤とした

 ”正常な沼ノ端”へ

 二人を戻しますがよろしいですね』

樹怨に向かって鍵屋は尋ねると、

『…お前に任せる』

と樹怨は答える。

『ありがとうございます。

 ただ一つだけ、

 問題が残っています』

『…なんだ』

『翠果の実を食した三浦里枝についてです。

 今回の因果律の修正は主に牛島智也に対しての修正で、

 三浦里枝については翠果の実を食した事実を残しています』

『…それで?』

『勝手な申し出なのですが、

 翠果の実の呪。

 それを解消してもらうことは出来ませんでしょうか』

鍵屋は里枝の身体を樹化している呪いについて、

その解消について尋ねた。

『…呪の解消か、

 …一度目は致し方がないで済ませられるが、

 …しかし、二度目は己が意思で食しているが』

『そこを曲げてのお願いとなります』

『…仕方がるまい。

 …私が泥をかぶろう。

 …元をただせば私が原因だからな。

 …では受け皿を』

そう樹怨が告げると、

『はいっ』

鍵屋は返事をして解消の呪を一時的に受ける器を探し始めた。

すると、

『これを使って』

の声と共にトモエが鍵屋の横に姿を見せると、

鍵屋から託された鍵を差し出した。

『これは…

 いいでしょう』

その鍵の謂れを思い出した鍵屋は笑顔で受け取ると、

『樹怨っ、

 これにお願いします』

と声を上げて鍵を差し出した。

『…のぅ…』

『何でしょうか?』

『…イザナギ…

 …閻魔は達者か?』

『えぇ、

 元気です。

 当分死ぬことはないでしょう』

『…親の事をそのように言うな』

『これは言葉が過ぎましたね』

『…わたしがいらぬ疑念を持ったため、

 …この二人には多大な迷惑を掛けた。

 …すまぬことをした』

呪が注ぎ込まれる鍵を見ながら樹怨は言うと、

『あの二人なら、

 許してくれると思います』

『…そうか?』

『あなたはこの世界を陰で支えている支配者。

 もっと自分が作った世界の事を信じればいいのです。

 それが樹怨としての道を行くことを定めた者の宿命です』

『…言うのぅ』

『えぇ、

 あの閻魔の息子ですので』

『…あの女に似ておるな』

『誰に似ているのです?』

『…お前の母親だっ

 …物事を悪く考えずに、

 …いつも前しか見ておらんところがそっくりだ』

『ありがとうございます。

 ではこの鍵を里枝さんに託します』

呪の受領が終わった鍵を手に鍵屋は言うと、

スッ

鍵はその手の中から消えていく。

そして、

『健一さん、

 トモエさん。

 僕たちがすべきことは終わりました。

 智也さん里枝さんは既に沼ノ端に向かっています。

 さっ帰りましょう』

二人に向かって鍵屋はそう言い、

再び樹怨を向くと

『もし、また会うことがあれば』

その言葉とともに鍵屋は頭を下げると、

樹怨の元から去って行った。



『こちら、チャンネル10。

 サト、お疲れ様っ

 智也と里枝の因果の修正は無事完了。

 放たれた因果はすべて私の元に収束したわ。

 え?

 うん。

 判ってる。

 私たちが行わなくてはならない最後の大仕事。

 それをキチンと終わらせてすべてを閉じる。

 サト…

 さぁ、お覚悟を決めなさい!

 ですわ。

 クス

 じゃ、沼ノ端で』



つづく