風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第拾五話:智也の世界)


作・風祭玲

Vol.1113





『すべてをあなたに託します。

 だから、

 必ず私を思い出してください。

 私は待っています。

 いつまでも…』



『君は…

 誰?…』



時は初夏

沼ノ端は萌え上がるような新緑に包まれていた。

太古の昔に火山噴火によって生まれた窪地・カルデラ内にある沼ノ端は

地殻変動によって三日月形に曲げられたカルデラ湖

端ノ湖畔に開けた高原都市である。

そして、その沼ノ端の周囲を緑のリング”森”が囲んでいるが、

高い標高のため春の訪れは遅く、

海沿いの緑が濃さを増してくる頃になって、

ようやく芽吹きの時を迎えるのであった。

だが、長い冬の間に樹々が溜め込んだ力を一斉の解き放つため、

沼ノ端の山は文字通り”緑”が爆発するのである。



「沼ノ端・ホープキングダム?」

沼ノ端市街地の真ん中にあるTV局。

その報道部に地方支局から異動してきたばかりの牛島智也の声が響くと

「そう、

 略して、N(沼ノ端)・H(ホープ)・K(キングダム)!」

と同僚記者は力を込めて言う。

「何かのテーマパークですか?」

言葉の意味が分からず智也は聞き返すと、

「あぁ、牛島はここに来たばかりで詳しくは知らないか。

 でも、沼ノ端・トランプ王国とか、

 ブルースカイ王国って名前は聞いたことがあるだろう」

手にしたマグカップからノンシュガー・コーヒーの香りを漂わせながら、

智也の上司にあたる記者が話しかける。

「あっ、

 それは聞いたことがあります。

 会議などでここに来た時に時折聞きました」

と智也は噂になっているテーマパークのことを指摘すると、

「実はな、

 その沼ノ端・ブルースカイ王国の事業主である運営会社が撤退してな、

 取得していた土地と権利を売却したそうだ。

 あそこの女社長…

 どこかの国の国王の娘って言いふらしていたが、

 結構、派手好きで、

 神様とか言う怪しげな男を引き連れていたし、

 こうなることは目に見えていたけどな。

 まぁどっちにしろ10回目の事業者交代、

 ”逃げ水プロジェクト”

 とはよく言ったものだ」

とその記者は事の詳細をを説明する。

「だけど、

 今度は本気らしいぞ」

先ほどの同僚記者が鼻息荒く言うと、

「ふーん、

 で、どこが引き受けたのです?

 その”のび太(N)放送(H)協会(K)”を」

TV局の看板ネコであり、

報道局のアイドルであるペルシャ猫のミケをあやしながら、

智也は聞き返すと、

「なんだよそれは、

 いいか、よく聞け、

 あのユグドラシル・コーポレーションを運営する。

 【KAGIYA Foundation】

 こと財団Kが購入したって話だ。

 これ、そのユ社の内部資料(一応極秘な)」

と言いながら同僚記者は智也に資料一式を渡した。

「ほぉ、神様から鍵様か。

 でも、ここでも財団Kですね。

 あんまりいいうわさは聞きませんよ、ここ。

 金の力でやりたい放題、

 あこぎな話は山のようにありますよ。

 それにしても片田舎の遊園地予定地を買うだなんて、

 よっぽど金があるんだな」

感心しながら智也は言うと、

「ついにあの森にテーマパークができるのかと思うと、

 胸が熱くなるよ」

「昼は

 ”パフと契約してドレスアップキーを集めるぱふー

  キーが集まったらヘルへイムの森で大魔女をやっつけるぱふー”

 のキッズランド。

 で夜は、

 グランプリンセスがお相手する大人の仮面舞踏会。

 決め言葉は”お覚悟はよろしくて…”か。

 確かに注目のテーマパークになりそうだな」

内部資料に目を通しながら智也は呟くと、

「それだけのために財団Kが手を出したわけではないよ」

と先輩の女性記者が口を挟んできた。

「何かあるんです?」

「財団Kはね、

 世界のあちこちで同じように森を購入しているの」

「森を?

 流行の自然保護ですか?」

「表向きはね。

 でも、その裏はある樹を探しているらしいの」

「樹を探す?

 なんで?」

「理由は判らないわ、

 でもね、

 黄金の果実。

 とか言う果物を生らす樹を探しているみたい。

 その辺はユ社が担当しているそうよ」

「先輩っ、

 煽るのはいいですけど、

 その話、裏付けがないじゃないですか」

「いいじゃない。

 夢があって」

「夢って…」

女性記者の話を聞いた智也はどうリアクションしてよいのか判らずに、

困惑した表情をして見せると、

「先輩、

 可哀想に牛島が固まっていますよ」

先ほどの記者は指摘をした。



「まったく、あの人も困ったものだ」

女性記者が去ったのち、

ヤレヤレといった顔で同僚記者は智也に話しかけてくると、

「確かに夢があっていいですけど…」

と言ったところで智也は言葉を濁した。

「お前の言いたいことは判る。

 確かに夢は大事だけど、

 でも、夢に引きずられてしまっては

 道を見失ってしまうからな」

「ですね」

「ん?

 どうした?」

「いや」

「?」

「あの、先輩」

「なんだよ」

「これ、先輩に相談すべきがどうかわかりませんが」

「女の話か?」

「え?

 まぁ」

小指を立てて聞き返す記者に

智也は少し困惑した表情を見せながらうなづいて見せる。



「はぁ?

 樹になった女の夢ぇ?」

休憩室に記者の声が響き渡ると、

「いえ、どちらかというと、

 女の人のような…姿の樹が出てくる夢なんです」

と智也は訂正する。

「なんだそれは?」

「自分にも判りません。

 そんな夢を以前から度々見ていたのですが、

 沼ノ端に引っ越してから頻度が増えまして」

「はぁ?」

「なんでしょうか、

 これ?」

「いや、俺に聞かれてもな、

 カウンセラーじゃないし」

「…ですよね、

 どうもすみません。

 お時間取っていただいて」

「別にかまわないけど、

 あれか、

 牛島にはそっち方面の趣味があるのか?」

「え?」

「だから、

 女を縛ってムチでビシバシ叩く趣味」

「そんな趣味は持ち合わせていません」

記者の言葉につい智也は声を上げてしまうと、

コト

紙コップを置く音が近くで響き、

「そういえば、

 ユ社が購入した森に

 不思議な花を咲かせている樹があるらしいですよ」

と休憩室に居た別の女性記者が話しかけてきた。

「え?

 そうなんですか?」

それを聞いた智也が興味深そうに聞き返すと、

「そもそも、

 あの森は湖畔の竜宮神社のもので、

 その森の奥には神社の奥ノ院があるんだけど、

 管理をしていた神職が高齢になってね。

 神社の祭礼も湖畔の社で行うようになったために、

 奥ノ院は荒れ放題。

 買収話を持ってきたユ社にあっさりと森を売っちゃったのよ」

「神社の森を外資に売却ですか。

 世も末だな」

「でも、売却の条件として、

 森の維持が記されているようだけど。

 あの神職、すっかり耄碌しているからね。

 言われるまま判を押しちゃったんじゃない」

「で、その樹というのは」

「やっぱり気になる?」

「一応」

「樹は奥ノ院の近くに生えているらしいんだけど、

 1年中、花が絶えることなく咲いているようよ」

「1年中…花がですか?」

「さらにその花も、

 一度見たら忘れらない花らしんだけど、

 なぜかカメラを向ける気にはならなくなるとか。で

 ネットで探しても花の写真が無いそうよ。

 不思議よね」

と言う。

「おぃおぃ、

 全部伝聞でお前が見てきたんじゃないのか?」

話を聞いていた同僚記者は声を上げると、

「すみません。

 私、山登りが苦手なもので」

その言葉を残して女性記者は休憩室から去って行った。

「そういうことはちゃんと取材して来いよ」

女性記者に向かって同僚記者は小言を言うと、

「不思議な花ね…」

と智也は考える顔をする。

「をっ、

 早速ミステリーハンターの血が騒いだか?」

「誰がミステリーハンターです」

「違うのか?

 向こうの支局でも大活躍だった。と言うじゃないか。

 武勇伝。

 聞いているぞ」

「話に尾ひれが付いただけですよ

 自分は何もしていません」

彼の言葉にムッとしながら智也は席を立った。



『…智也。

 …わたしを

 …思い出して』

『君は…

 誰だ?…』

『…わたしは』

「!!っ

 なんだ、

 またこの夢か…

 誰なんだ」

夜明け前の沼ノ端の街明かりが差し込む部屋で、

飛び起きた智也は寝起きの頭を振って見せる。

そして、

「はぁ」

大きくため息をついて天井を眺めると、

「1年中花が咲く樹か、

 なんか気になるな」

そう呟きながら、

”駐車場より入ル。”

と記載された地図を横目で見た。

一方、

同じ明け方の森に一人の少女が現れると、

キョロキョロ

と周囲を見回し、

何かを探す素振りをしてみせる。

そして廃屋と化した奥ノ院の影から顔を出した途端、

パッ

と明るい表情をして見せた。

トトト

軽い足取りで少女は藪の中へと分け入っていくと、

その中に立っている樹のそばへと近づき、

じっと樹を見つめた後、

大きくお辞儀をして見せる。

そして、手を伸ばして

ポンポン

と幹を叩くと、

ズルッ

幹に付いていたコケが

溶けるように滑り落ちてしまった。

”…もう半分過ぎたと言うのに”

”…浄化、進んでない”

その様子を見た少女の口が残念そうに動くと、

再び樹を見上げ、

”…智也、もぅ待たせられない”

”…いいわね”

そう言い残して何処へと去って行った。



次の休日。

牛島智也はエンジン音を高らかにあげる愛車とともに

街から延びるバイパスを駆けあがっていた。

曲がりくねる山間コースが尽きて森を抜けると一転、

道は一直線に高原を突き抜けていく。

この場面の切り替えが智也にとって最も好きな瞬間だったが、

しかし、アクセルを踏み込みたい気持ちを抑え、

制限速度以内でクルマを流しながら、

「確かこの辺だったな」

路肩に視線を動かして目印である駐車場を探す。

と、その時、

智也の視界に不意に少女が姿を見せると、

その少女の横を智也のクルマは通り過ぎて行く。

「いまの女の子。

 ここにもか…」

まさに湧いて出てきたような少女に智也は驚いてクルマを止めると、

丁度クルマの左側に駐車場が広がってた。

「あっ、

 ここだ…」

この駐車場が事前に調べていた駐車場であることを確認すると、

「しかっし、

 こんな所に駐車場なんてあったっけ?」

大学卒業後TV局に入社した智也は地方支局を転々と異動をしてきたが、

本局のある沼ノ端は会議などで訪れることが多く、

沼ノ端の隅々まで頭に入っているつもりだった。

しかし、この駐車場の存在はまったく知らなかった。

ハンドルを切ってクルマを駐車場に入れると、

ザザザザ…

荒れた路面に積もる砂がクルマのタイヤを大きく鳴らす。

駐車場の一角にクルマを止めると、

「で、あの子はどこだ?」

と少女の姿を探すが、

右を見ても、

左を見ても、

それらしい少女の姿を見つけることができなかった。

沼ノ端市街を見下ろす見晴らしの良い一直線のコース。

もし女の子が道路傍を歩いていたら、

まだ視界に入るはずだが、

何処にも女の子の姿は無かった。

「あの女の子。

 ここにも出てきたな」

智也にとって少女の姿を見たのはこれが最初では無かった。

大学時代から時折姿を見せるが、

だが何処の誰なのかまったく判らず、

また、彼女が智也の前に姿を見せると、

決まってオカルトめいた”何か”が起こるのである。

それ故、

同僚達からは”ミステリーハンター”という

有難くない称号をいただく羽目になっていたのであった。

「沼ノ端にまで追いかけてきたか。

 夢と関係があるのかな」

小首を捻りながら智也はクルマから降りて、

助手席側に向かい何気なく市街地と反対側の山を見たとき、

ある光景が智也の脳裏に映し出された。

…助手席に座る女性。

…その女性に智也は何かを話しかけるとドアを開く。

…自分に向かて笑顔を見せる女性だが、

 しかし、彼女の足先は大きなビニール袋に覆われ、

 異様に膨らんでいる。

…智也はその女性を助手席から引き出すが、

 彼女の肌は緑色に染まり、

 露わになっている肌には

 植物の芽を思わせる小さな突起が無数に突き出している。

「なんだこれ?」

常識的に考えるとありえない女性の姿に、

「こんな特撮、観たっけ?」

と植物の怪物が絡む特撮映画を思い起こすが、

しかし、そのような映画を見た記憶はなく、

智也は頭を左右に振ると、

「変な妄想だな。

 きっとあの女の子を見たせいだな」

と笑って見せる。

そして、

「例の樹はこの登山道を行った先か。

 ふっ、山歩きなら得意だ」

山登りの支度を既に済ませていた智也は

駐車場から山に延びる小道へと踏み入れた。

「なんだか、

 前にもこの景色を見たような気がするけど、

 でも、ここって初めてだよな。

 …デジャブーってやつか?」

そう言いながら山に向かって伸びる小道を進んでいくと、

程なくして視界が白っぽく染まり始め、

やがてガスとなって視界を遮ってしまった。

「おぉ、

 雰囲気満点じゃないか」

ガスに囲まれ右も左も判らない状況に陥ったにも拘らず、

智也は期待感を胸に前に向かって歩いていく。

「初めてのところでこういう状況に陥ると、

 少なからずパニックになるものだけど、

 でも、冷静でいられる。

 これって肝が据わっている。

 ってことだな」

落ち着いた気持ちで智也は進んでいくと、

立ち込めていたガスが次第に薄くなり、

程なくして視界からガスは消えてなくなった。

「なんだ、これっぽっちか

 もう少し幽玄の雰囲気を楽しまさせてくれよ」

白いガスがたまっている後ろに

視線を向けながらも智也は前に進むと、

道は次第に細くなり、

やがて、

ザザッ

ザザザッ

生い茂る笹をかき分けて前に進むようになっていった。

それでも進んでいくと、

不意に広い空間が彼の前に広がり、

それと同時に空間の中心にある社を思わせる

朽ち果てた建物が姿を見せる。

「!!っ」

その建物を見た途端、

智也の目は大きく見開かれると、

ダッシュで走り始める。

そして、

「間違いない。

 これは夢に出てくる神社だ」

と再三にわたり智也を悩ましてきていた、

夢に出てくる神社であることを確認すると。

「竜宮神社の奥ノ院」

と屋根が抜けた建物を見上げながらつぶやく。

その途端、

智也の頭の中にある光景が浮かび上がった。

…自分の服にしがみつく女性。

…智也はその女性に何かを話しかけると、

 女性の足の袋を取って見せる。

…同時に袋の中から溢れるように出てきた、

 白くて長い植物の根を思わせるもの。

「うわっ」

自分の目で見たようなリアルな光景に

思わず智也は声を上げてしまうと、

「何なんだよ、

 今日は変だぞ」

とその場にしゃがみ込んで見せた。

「やっぱりこんな趣味あったのかな。

 でもなんて妄想をしているんだ」

自分の頭を小突きつつ立ち上がり、

何気なく振り返った途端、

「そこかっ!」

という言葉がその口から洩れた。

智也が振り返った先の藪の中に一本の樹が立っていて、

自然のまま人の手が入っていないせいか、

樹の幹は幾度も脱落を繰り返したらしい跡を残すコケに覆われ、

幹や伸び放題の枝には何本ものツタが絡んでいた。

さらに樹の上に向かって重そうに枝葉が広がっているものの、

それらを彩るように満開の花が咲いていた。

「間違いない。

 この樹だ。

 言われた通りものすごい花が咲いているけど、

 でも、樹は夢の中に出てくる樹と一緒だ。

 けど、夢の樹には花はないんだけどな」

夢と現実との違いに戸惑いながら智也は立ち上がると、

樹に向かって歩いていく。

そして、

生い茂る藪を手で払いのけながら、

樹に近づこうとするが、

「くそっ、

 これ以上近寄れないか」

樹の周囲はまるで主を守るかのように、

藪が茂っていて容易には近づけなくなっていた。

「これ以上は進めないか。

 しかし、なんだこの毒々しい色と形をした花は…

 これじゃぁカメラを向ける気にもならない」

ため息をつきながら智也は樹を見つめ、

「でも、記者の端くれである以上、

 取材は一応しないとな」

そう言いながらハンディカメラを向けると録画を開始する。

後での編集を考えて樹の他、

奥ノ院の建物なども写し、

そして、再び樹に戻った時、

「え?」

智也の目にはその樹の姿が人の姿に見えた。

「なんだろう、

 この樹…女の人に見え…

 …ふっ気のせいだ、

 気のせい。

 夢と現実を混ぜるなって、

 大体、こんな樹なんてどこにでもあるよ」

というと、

「花以外変わったところはないし、

 TVで紹介することもないかな」

の言葉を残して樹の前から去って行った。



ザザザザ…

智也が立ち会った後、

吹き抜けていく風が無言で立つ樹の枝葉を鳴らすと、

樹のそばに少女が姿を見せる。

そして、後ずさりしながら樹の全体像を眺めると、

”…どうする?”

思案する顔をしてみせる。



この場には智也は二度と来ないつもりだった。

しかし、

「ふぅ…」

翌週。

汗をぬぐいながら智也はその樹の前に立っていた。

「なんだろう…

 只の樹なのに…

 何故か気に掛かる」

誰に頼まれて来たわけでもなく、

智也は樹の前に立ち、

何も言わず、ただ樹をじっと眺めていた。

日が傾くまで智也は樹を眺め、

「やっぱり刈るか」

その言い残して去っていく。

そして、智也が立ち去った後、

木の陰から女の子が姿を見せると、

”よしっ”

と気合いを入れるポーズをしてみせる。



次に智也が来たのは、

半月ほど経ってのことだった。

智也の手には草刈り道具を携えていて、

ビィィン!

山の中にエンジンの音が木霊すると、

樹の周囲で盛り上がっている雑草の刈り取りを始めた。

ザザッ

ザザザッ

智也の動きに合わせて樹の周囲で生い茂っている藪は刈り取られ、

樹の根元が次第に露わになっていく。

「よーし、

 こんなモノかな」

幹の根回りの空間をある程度確保したところで、

智也は流れる汗をぬぐうと、

「うん、

 周りの騒がしさが消えて少しは見てくれが良くなったな。

 花は相変わらずケバイけど」

と言いながら樹の幹を叩いて見せた。

その途端、

ムワッ

腐臭ともつかない悪臭が樹から漂ってくると、

「うわっ、

 臭いっ!」

智也は反射的に鼻を抑えるが、

と同時に

「あれ?」

見上げた樹の幹に奇妙な膨らみがあることに気づくと、

幹に寄って手を伸ばす。

そして、

その膨らみに手が届くと、

サッサ

と軍手をはめた手で苔を拭う仕草をする。

すると、

バサッ

幹についていたコケが紙をはがすように剥がれ落ちてしまうと、

コケの汚れがついた智也の手の下から、

膨らみの中に左右に離れて並ぶ二つの穴と

その下で開く楕円形の穴が姿を見せた。

「あはっ

 まるで人間の顔だな」

膨らみと穴の配置から

それらが人間の顔に見えた智也は感心し、

全体の印象を把握しようと数歩下がるものの、

生い茂っている枝葉にスグに隠されてしまった。

それを見た智也は
 
「枝が邪魔…か」

と呟く。

そしてその翌週。

智也は剪定鋏を持参してくるが、

しかし彼の顔は何かで”かぶれた”のか、

痛々しく包帯が巻かれていた。

「医者に大人しくしていろ。

 と言われたけど、

 樹の剪定ぐらいなら大丈夫だろう」

そう言いながら智也は

伸び放題になっている枝の剪定を始めだした。

枝が次々と切り落とされ、

咲いている花と共に枝が落ちていく、

”あっ”

朽ち落ちた社の影からその様子を覗き込んでいた少女は

驚いた表情を見せると、

サッ

と引っ込み、

”智也…だめ。

 そんなに切ったら…もっと毒が”

と呟くと姿を消した。

「おっ

 なんとかお前の顔が見えるようになったな。

 女の人かな…

 なかなかの美人じゃないか」

人の顔を思わせる幹の膨らみを撫でながら

智也はそう言うと、

「でも、どこかで見たような…」

と考え込むが、

スッ

不意に一筋の涙が頬を伝っていった。

「あれ?

 何で涙が」

いきなり出てきた涙に智也は驚くと、

「?」

意味がわからずそれをぬぐい取ってみせる。

程なくして、

ザザザ…

ザザー

吹き抜けていく風が樹の枝と葉を揺らしはじめると、

「ここで一休みするか」

身体の熱が奪われていく気持ち良さから、

智也は剪定鋏を置き樹の根元に腰を下ろた。

「なんだろう…

 心が安まる」

樹の根元に身体を預けてるうちに智也は寝入ってしまい。

ハッ

と目を覚ました時、

日は既に西に傾いていた。

「あれ?

 もぅ夕方か…」

頭を掻きながら智也は立ち上がると、

置いてあった剪定鋏が消えていた。

「やられた

 寝ている間に猿にでも持って行かれたか」

頭を掻きながら智也はそう言うと、

「また来るよ」

そう言い残して山を下りて行く。

しかし、次の週も、

その次の週も智也は来なかった。



山から戻ったその夜。

智也は中毒とみられる急性症状を起こし、

病院へ救急搬送されたのであった。

しかし、診察した医師は何の中毒を起こしたのか、

原因がつかめず、

様々な視点から精密検査を繰り返したものの、

結局、原因不明とされてしまったのである。

体調を取り戻した智也が職場に復帰できたのは、

秋の気配が忍び寄り始めた初秋のころだった。

だが、

そのころから智也の周辺で変な噂が流れ始めた。

「知っている?」

「何?」

「牛島さんに隠し子が居るらしいよ?」

「ホント?」

「何人か見た人がいるのよっ

 牛島さんと一緒にいる女の子を」

「やだ、なにそれ?」

TV局の女子職員から出てきた噂はまったく間に広がり、

「牛島、ちょっといいかな」

会議の後、智也は呼ばれると、

「え?

 隠し子ですか?」

と質問を受けたのであった。

「女子職員の噂、

 知っているだろう?」

「知りませんが」

「おぃおぃ、

 病み上がりとはいえ、

 お前は報道部記者だろう。

 少しはその方面のアンテナも立てておけよ」

「はぁ」

「で、君が連れ回している女の子って誰?」

「連れ回している女の子?

 いえ、知りませんが?

 何のことです?」」

「君が中学生ぐらいの女の子を連れ回している。

 って噂が立っているんだよ」

「全く記憶にはありませんが、

 大体写真でもあるんですか」

「写真…?」

「写真がないなら根も葉もない噂ですよ」

「まぁ…いいわ、

 とにかくだな、隠し子が居たとしても、

 それはお前個人の事情だから別にどうこう言うつもりはない。

 だがな、

 児童買春だけはするなよっ、

 児童買春で捕まったら、

 一発でアウトだからな」

と声の主は警告すると、

首を伸ばした手先で横に切る仕草をして見せる。



「ご機嫌ななめだね」

その日の夜、

智也は馴染みの居酒屋で呑んでいると、

店の女将が話しかけてきた。

「ん?

 まぁね」

女将の声に智也は突き放したように返事をすると、

「なぁ」

と声をかけた。

「なんだい?

 病気が治ったら、

 今度は別のトラブルを抱えたのかい」

「そうじゃなくて、

 女の子…」

女将に向かって智也はそう言いかけると、

「いやなんでもない」

と言い、

グッ

酒が入ったコップを一気に飲み干して見せる。

「女の子?

 どこかのクラブの女の子に手を出して、

 ヤクザな男に言いがかりをつけられた。

 とか言うんじゃなよね」

「そんなんじゃねーよ」

「じゃぁなによ」

「だから何でもないって」

そう智也が言い放つと、

『憑かれているね、

 お兄さん』

と白づくめの女性が意味深に話しかけてきた。

「憑かれている?」

女性のその言葉に智也は振り返ると、

『占ってあげようか?』

と女性は持ち掛けてきた。

「あはっ、

 占い等は信じない主義なんだよ」

酒の匂いを漂わせながら智也は言うが、

女性は自分の前にある器を横に寄せ、

トランプを軽く切って見せる、

そして、

『一枚引いてみな』

とその束を差し出すと、

言われるまま智也はその中から一枚を引いた。

『ふーん。

 待ち人有り…か。

 あなたに付きまとっているって言う女の子は、

 その待ち人の関係者だね』

そう女性は指摘すると、

「待ち人?

 待ち人って誰だよ」

女性に迫りながら智也は聞き返す。

『占いは信じない主義じゃないの?』

と女性は切り返すと、

「そりゃぁ、まぁ、

 でも気になるじゃないかよ

 そんなことを言われたら」

その言葉に智也は口ごもりながら言い返した。

『わかる範囲で答えると、

 待ち人は…女性。

 あなたと縁が相当深いよ。

 身に覚えない?

 女の子は…

 ひょっとしたら女性の子供かもね。

 あんた、意外とやっているんじゃないの?』

ニヤリと笑いながら女性は指摘すると、

『僕は無実だ!』

と智也は声を張り上げる。

『はいはい、

 この近くに妹がやっているこの手の店がある。

 黒蛇堂て言うんだけど、

 本当に無実なのかどうか真実が知りたかったら、

 そこで相談してみな』

席を立った女性はそう告げると、

『お勘定よろしく、

 占いのお代だよ』

の言葉を残して去って行った。



「黒蛇堂?

 ここか?」

それから十分後、

智也は黒蛇堂の前に立っていた。

新手の勧誘か、

それとも…

期待と不安を重ね合わせて智也は重いドアを開くと、

『いらっしゃいませ』

の声とともに黒い衣装をまとった10代と思える少女が挨拶をする。

「えぇっと、

 白い…なんて言ったっけ。

 あっ、とにかくあなたのお姉さんに…」

予想外の少女の登場に智也は困惑しつつ居酒屋での顛末を話すと、

『お姉ちゃんったら』

と少女は顔を赤らめ、

『申し訳ありません』

智也に向かって頭を下げた。

「あっいや、

 しかし、不思議な店ですね」

一言でいえば魔法系ショップというべきか、

エキゾチックな店のたたずまいを眺めながら智也は感想を言うと、

『はい』

と少女は笑顔で返事をする。

そして、

『あなたに関わりのあるという

 女性と少女について知りたいのですね』

と尋ねた。

「判るのか?」

身を乗り出して智也が聞き返すと、

『この手の話の場合。

 因果が絡んでいる場合が多いんですよ。

 ですので…』

そう言いながら、

コト

少女は店のカウンターに曰くありげな円盤を置くと、

『申し訳ありませんが、

 あなたの記憶とそれに纏わる因果を調べさせてください。

 この上に両手を並べて置いてください』

と命じる。

「あっあぁ…」

言われるまま智也が手を置くと、

その途端、

ブワッ!

智也の周囲の景色が飛び、

これまで智也が通ってきた時間が多重になって蘇る。

「うぉっ、

 なんだこれは!」

これまで智也が歩んできた人生が

ビデオのごとく再生されていくが、

『ん?』

途中で少女の表情が動くと

『うーん』

それ以降の智也の記憶を見ずに

少女は考え込むそぶりをしてみせる。

「やっぱりわからないんだろう」

そう智也は言うと、

スッ

少女は円盤の上で手を動かした。

すると、

ザッ

智也の記憶が一斉に動き、

そして、あるところで止まる。

『ここです?』

「え?」

それは大学時代、

サークルでどこかに温泉に行こうと相談をしたところだった。

『ここから先のあなたの記憶が二重写しになっています』

と少女は指摘する。

「二重写し?

 ってなんだ?」

不思議そうな顔をする智也に向かって黒蛇堂は指をさすと、

『あの場面から先、

 あなたは人生は下敷きになっている別の人生の上をなぞるようにして

 今の人生が上書きされているのです。

 まるで、下書きの人生を手本にするように。

 やっぱり、因果律の修正が入っているみたいですね。

 なにを目的にしているのかしら』

という。

「因果律ってなんだよ」

『簡単に言いますと、

 あなたが人生を送ってきた中で、

 様々な出会いと別れ、

 様々な決断と反省をしてきていると思います。

 それらを因果といい、

 線状に結んだものを因果律といいます』

「いまひとつ良くわからないな」

『…ごめんなさい。

 どう説明したらいいのかな』

「いいよ、

 無理してしなくても、

 要は運命線ってやつだろう」

『はぁ…

 ただ、事情までは判りませんが。

 女性と女の子は下書き側の人生と深い関係がある。

 と私は見ています。

 言えるのは、

 あなたは女性とはすでに接触しています。

 心当たりはありませんか?

 最近のことなんですが』

少女はそう問いただすと、

「え?

 最近女性とお知り合いになっただなんて…

 それって取材対象者も関係あります?」

智也は聞き返す。

『そこまでは…

 でも、言えるのは一つ、

 この女性はあなたにとってとても大切な人です。

 そして、女性はすべてをあなたに託しています。

 思い出してあげるべき人なのか、

 否か、

 すべてを決めるのはあなたなのです』

智也を指さして少女は言うと、

ニコリ

と微笑み。

『彼女はあなたを待っています。

 いつまでも、

 いつまでも待っています。

 私にはそれが判ります』

と告げた。



つづく