風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第拾四話:里枝の道)


作・風祭玲

Vol.1112





『樹怨、あなたが…』

目の前に立つ樹怨を見つめながら

鍵屋が一歩進みでると、

『様、を付けぬか』

とすかさず老女は注意をする。

しかし、

スッ

樹怨は老女を手で制し、

『…なるほど、

 …お前はイザナギのか。

 …してこの私になに用じゃ』

と話しかける。

『樹怨。

 聞きたいことがありますっ

 あなたは1万年前にこの地に封印されました。

 それがなぜいま、

 このような行動を起こし、

 地獄界や人間界に干渉をしたのです?』

樹怨に向かって鍵屋は尋ねると、

『これっ、

 なんて事を言い出すのだ。

 それに樹怨様は封印されたのではない。

 自らの意思でここに根を下ろされたのだ』

と老女が注意をする。

『…よいっ

 …私があのようなことをした訳か。

 …見ての通り、

 …私はこの地に根を張っているが故に離れることはできぬ。

 …私の根は世の全てに伸び、

 …”理”が流れる路、

 …龍脈となって世の礎となっておる』

『存じております』

『…しかし、

 …その”理”がぞんざいに扱われてはおらぬか?』

『雑…にですか?』

『…コエンマ…

 …そなたは”理”をどのような物かと心得ておるか?』

『え?』

『…”理”は私とそなたの父であるイザナギと共に作り上げた

 …森羅万象すべての素。

 …竜より出でて世を潤し、

 …穢れを抱いて狐より還る。

 …そう謳われる”理”の循環・円環ではあるが、

 …謳われているのはあくまでも円環の片側にしか過ぎない。

 …ではもぅ片側はどうだ?

 …誰からも見えぬ片側はものを言わず、

 …誰も見向かれもせぬ無数の樹が黙々と

 …”理”の流れを維持し整えておる。

 …狐から竜へと流れる反対の流れ、

 …それがなくては”理”は円環とはならぬ。

 …太古の昔、

 …共に”理”を作り上げたイザナギと袂を分かち、

 …極である黄泉へと降り、

 …樹となり龍脈を世の隅々の延ばすことで”理”を支えた、

 …そして時が流れ、

 …皆は”理”が流れていることが当たり前となり、

 …天界はもとより、

 …地獄界ですら”理”の流れに理解している者が居なくなった。

 …”理”が流れていることが当たり前となり、

 …皆は”理”の意義すらも忘れ、

 …ただ円環を回せばよい。

 …そのように見下すようになった』

『別に見下してなんかいません』

樹怨の考えを鍵屋が否定しようとすると、

「そうか?」

と健一が口を挟んだ。

「人間界でもよくある話だよ。

 創業者が試行錯誤を重ねてようやくできあがったレシピが

 後継者に引き継がれていくうちに、

 ただ書いて在るとおりに従うだけの作業手順書になってしまう。

 なぜ、そういう方法が取られているのか。

 なぜ、その設定になっているのか、

 誰も疑問に思わず。

 誰も批判せず。

 いつの間にか形骸化して、

 ”僕たちはこのレシピに従ったまでデース”

 って責任回避の証明書になってしまっている。

 創業者からしてみれば、

 不具合があったら直そう。

 改善点があったら追加しよう。

 後任に託した時、

 そうされることを信じていたのに…

 仮に創業者がひょっこり帰ってきて、

 そんな様子を見たら間違いなく激怒しますよ。

 樹怨さんは自分と鍵屋の親父さんとで苦労して作った”理”が

 ”とりあえず回せばOK!”的に

 扱われていることに腹を立てたんじゃないのか」

と指摘する。

『ほぉ、

 面白い格好をしてる割には。

 なかなか良いところを見ておるの』

それを聞いた老女が

健一のスカートを杖でめくって褒めると、

「スカートをめくらないでください」

お尻を押さえながら健一は抗議する。

『…”理”が流れることの有難味。

 …それを判らせるため、

 …私は”理”の流れをあえて乱した』

『それで、あなたの思いは届きましたか』

『…どこまで届いたのかはわからぬ。

 …ただあの者には届いてくれたと信じておる』

樹怨のその言葉と同時に鍵屋の表情が動くと、

その視線はあるところへと向けられた。

しかし、すぐに視線を戻すと、

『沼ノ端の人たちを樹にした理由もその一環ですか』

と尋ねる。

『…あれは半ば暴発であった』

『暴発…ですか』

『…私ともあろうものが、

 …つい感情的になってしまった』

『あなた様ほど方が』

樹怨の話に鍵屋は驚くと、

「(ぼそ)鍵屋さん、この場に夜莉子さんが居なくて正解でしたね」

と小声で健一は話しかける。

『(ぼそ)えぇ、樹になってまった妹さんから離すのに苦労しましたし』

「(ぼそ)ここに居たら違いなくブチ切れていましたね」

『これ、樹怨様の御前でこそこそ話すでない』

健一と鍵屋の小声の話に気づいたのか、

老女が注意すると、

『申し訳ありません、

 では…』

と鍵屋が話を続けようとする。

すると、

クポッ!

『…あっあの…

 …樹怨さんの事情は大方判りました。

 …でも、智也はどうして、

 …どうしてここに連れてこられたのですか』

白い手を上げて里枝は尋ねる。

『ここに参った人間のことか、

 成り行きとは言え、

 ここで命をおとさせてしまった事は、

 多少なりとも責任を感じておる』

と老女は言う。

クポッ

『…そんな

 …智也は本当に死んでしまったのですか?』

『ここは生身の人間が参るには”理”が濃すぎる。

 あの時、

 樹怨様に外の風に当たって貰おうと思い、

 結界の密度を下げたところ。

 彼の者が迷い込んで来た。

 生身の人間が来ることなどあり得ないのだが、

 偶然にも門の樹化人が付けていた翠果の実を食したことにより

 道が開き、

 ここに来てしまったようじゃ』

「そうか、

 智也のやつは

 赤絨毯でお招きに与ったわけではないのか。

 でも、”理”が濃いって言うけど

 俺達はなんとも無いぞ」

『お前達はその白いのも含めて神格者じゃ。

 故に”理”が濃いところでも普通に振舞えるのだ。

 それに彼の者は我らが招いてはおらぬっ、

 いま申したとおり迷い込んできたのじゃ』

『でも、その智也の魂を利用いたしましたね。

 彼の魂から智也の姿を模した傀儡を作り、

 その傀儡を通して人間界で振舞った、

 あくまでも牛島智也として』

鍵屋はそう指摘すると、

里枝を差し

『この方は元は人間でした。

 しかし、あなたが作った傀儡が、

 僕が管理している結界を明けてしまい、

 彼女をそこへと招き入れ、

 結果、その中に居た樹化人の翠果の実を食してしまった。

 そのために樹となりました』

と続ける。

『…見たかったのだ』

遠くを見る目で樹怨はそう言うと、

『…迷い込んできた智也という者の魂を見ているうちに、

 …円環の存在が当たり前となった世界を見たくなった。

 …それ故、この者の魂をこのまま円環の掟に従って流すよりも、

 …この者の姿を借りた傀儡を作り、

 …イザナギが…閻魔が守ってきた世界を見て参る。

 …見て参れば、

 …なぜ、あの時、イザナギは私の元から離れたのか。

 …それが判るような気がしたからだ』

『あなたが円環の掟を破ってどうするんです。

 で、収穫はありましたか』

『…うむ

 …かつてイザナギが申していた通りの世界だった』

『そうですか。

 でも、一つ判らないのです。

 一度は人間に戻った彼女になぜ翠果の実を再び与えたのですか?

 それによって里枝さんは

 人間でも、樹でも、化生でも無い存在になってしまいました。

 なぜ彼女にそうしたのですか、

 その理由をお聞かせください』

『…人間が翠果の実を食せば樹になってしまう。

 …そのようにしたのはこの私。

 …イザナギが人の命を創るのなら、

 …私はその命を樹にすることで円環を回すようにした。

 …だが、里枝という者は一度樹になったのに、

 …それに逆らい人へと戻った。

 …これもまた掟に反する行為』

『Dr・ナイト…』

樹怨の話を聞いた鍵屋はある人物の名を呟き、

『それで、

 里枝さんを嗾けるようにして、

 2個目の翠果に実を渡したわけですね』

と指摘する。

すると、

クポッ

『…待って、鍵屋さん。

 …二個目の翠果の実を食べたのは自分の意思です。

 …あの実を食べると何が起こるのかを判って食べました。

 …だから、樹怨さんを責めないでください』

と里枝は言う。

『お前は何故、それが判ってて翠果の実を食べたのだ』

クポッ

『…実を食べることで智也に逢えるように思えたのです。

 …初めて実を食べて樹になったあと、

 …智也は色々とお世話をしてくれました。

 …草が生えれば草刈をしてくれましたし、

 …枝が伸びれば剪定をしてくれました。

 …無論、最初は言葉を交わすことなんて出来ませんでした。

 …片方は人間、片方は樹ですから当然ですよね。

 …でも、いろいろな事があって、

 …それを乗り越えていくうちに、

 …互いに気持ちを伝え合うことが出来るようになったのです。 

 …鍵屋さんのお父さんの力添えで…

 …智也に自分の気持ちを伝えることが出来る。

 …智也もまたこれに応えてくれる。

 …私にはそれで十分でした。

 …でも、さらにいろんなことが積み重なって、

 …私は再び人間の体に戻れました。

 …人間と樹この二つの姿を経験してきた私にとって、

 …いまのこの真っ白で目も鼻も口も何も無い体も

 …また愛しいです。

 …この体なら、

 …人間にも、

 …樹にも、

 …ひょっとしたら恐竜にもなれるかもしれません。

 …だから私はここに来たのです。

 …智也にたくさんお世話になったお礼に、

 …今度は私が智也を助けに行く。

 …そう心に決めてここにきました。

 …鍵屋さん。

 …さっき、私の目にいた智也は

 …樹怨さんの傀儡とおっしゃいましたよね

 …でも、それは違うと思います。

 …私が樹だった時、

 …ようやく心を通わせることができた時、

 …私は智也の魂を感じることができました。

 …確かに肉体は作り物だったのかもしれません。

 …でも、樹怨さんと同じように、

 …智也もまた傀儡を使っていたのだと思います』

『!!っ

 そうか、

 そうでしか。

 確かにそれなら辻褄が合う』

里枝の話を聞いた鍵屋はハタと手を打つと、

『…ねぇ、樹怨さん。

 …いまのこの私を見てどう感じます?

 …この体になったことを知ったとき、

 …とてもショックでした。

 …でもスグに気づきました。

 …だって、この身体ってほら、 

 …すべてに渡って何でも出来そうに見えませんか?』

樹怨に向かって里枝はそういうと、

その白い体をクルリと回して見せた。

『あきれた奴じゃ、

 樹怨様に向かって自慢をして見せるとは』

その様子を見た老女は呆れて見せると、

『…あの人間が私を通して…か。

 …ふふっ、

 …人間とはそこまで賢いか。

 …確かに、

 …人間界に赴き、

 …そこで出会った者達は皆前を向き、

 …夢を語っていた』

樹怨はそう言うと目を瞑る。

『父・閻魔は彼らのその可能性を信じています』

と鍵屋は言うと、

ジロッ

樹怨は鍵屋を見据え、

『して、如何したい。

 申せ』

と尋ねる。

『ありがとうございます。

 私達の要求は3つ。

 一つは牛島智也の現状復帰を含めた返還。

 一つはこの三浦里枝の肉体の復帰。

 一つはあなたが集団樹化をした沼ノ端市民の樹化の解除。

 以上をお願いできますか?』

樹怨に向かって鍵屋はそう要求すると、

「それでいいのか?」

と健一は聞き返す。

『えぇ、玉屋さんの日当と、

 カジさんの翠果園の復旧は私が責任を持ちます』

涙を流しながら鍵屋は言うと、

クポッ

『…あの智也は、

 …智也…身体は何処に居るのです。

 …覚悟は出来ています。

 …だから』

里枝は樹怨に向かって尋ねた。

すると、

『彼の者なら樹怨様の根元におるわ』

と老女は樹怨の根元を杖で指してみせた。

クポッ

『とっ智也!』

声を上げて里枝は駆け寄ろうとするが、

バチッ!

即座に結界が里枝を弾いてしまうと、

その場で尻餅をついてしまった。

クポッ

『え?

 なぜ?』

困惑した素振りを里枝がしてみせると、

『前にも言ったではないか、

 その身体が白くて目鼻が無いのは、

 身体が妖素で穢れておるからじゃ。

 穢れた体で樹怨様に触れることは罷りならん。

 まずは身を清め、妖素を抜いてくることじゃ。

 そうすればお主が希望する姿となる』

と老女は指摘し。

『二番目の答えは以上じゃ

 三番目はコエンマ。

 お主が沼ノ端に仕掛けた封印を解けば、

 それに合わせて樹怨様の呪は解ける。
 
 で、一番目だが、

 牛島智也の復帰については、

 我等に異存は無い。
 
 ただし問題があるのは…判っておるな』

そう言いながら老女は鍵屋を見据える。

『鍵屋…』

これまで成り行きを見ていたトモエが促すと、

「それってこの婆さんが来たために、

 話の途中で終わっていたことだよな」

と健一が聞き返した。



『はい、

 先ほど樹怨が言っていましたが、

 蔵王を訪れていた智也さんは樹化人が付けていた翠果の実を食し、

 それが元でこの樹怨…の元に迷い込んでしまいました。

 なぜ、智也さんがここに迷い込んでしまったのかは

 おそらく本人でも判らないでしょう。

 ただ、”理”の力により命を落とした智也さんの魂は、

 円環に導かれること無く樹怨…の体内に溶け込み封印。

 その智也さんの魂から姿を借りて傀儡を作成して、

 傀儡を使って智也さんとして人間界に入っていったのです。

 それ以降の智也さんの行動はあなた方がよく判っていると思います』

「改めて言われなくても良くわかっている。

 で、それがどうかしたのか」

話を聞いていた健一は首を捻りながら聞き返すと、

『わからない?

 とっても大事なことなんだけど』

とトモエは言う。

その時、

クポッ

『ちょっと待って』

里枝が声を上げると、

クポッ

『ここで封印された智也と、

 傀儡の智也って、

 まるで私とサト…の関係じゃない。

 樹怨さん。

 もし、あなたの元に眠っている智也を連れ帰った場合、

 智也は樹怨さんと共に傀儡を操っていたころの事、

 すべて覚えているのですか。

 このお婆さんがいま話したことを聞くと、

 覚えていないように感じるのですが』

と尋ねた。

『引き継がれているかどうかは、判らぬ。

 ただ、明瞭な意志も持ち傀儡を通して体験をしていた樹怨様と、

 封印状態の中から樹怨様と傀儡を通している人間とでは、

 記憶にも自ずと差が出てくる』

「つまり何か。

 智也にとってはすべては夢の中。

 目が覚めたらきれいさっぱり。

 ってわけか」

『そう、

 智也にとってはすべては夢の中の話なの。

 目が覚めたらその体験はすべて消え去るのみ』

とトモエは言う。

クポッ!

『じゃぁ、

 智也を助けても意味がないじゃない!』

『本当に意味がないの?』

クポッ

『え?』

『智也の魂はいま目の前の樹怨に封じられている。

 それを放っていてもいいの?』

クポッ

『そんなこと言われても

 どうすればいいのっ』

目鼻の凹凸が無い頭を抱えて里枝は声を上げると、

『鍵屋さん、

 その答え。

 ちゃんと用意してあるんでしょう』

トモエは鍵屋に話を振ると、

『まだ、すべてが決まったわけではありません。

 解決法を提案できる準備はできています。

 しかし、樹怨に確認する必要があります』

と言い、

『樹怨、

 尋ねたいがよろしいですか?』

樹怨に向かって声を上げた。

『あなたが牛島智也の魂を複写して作り上げた傀儡の

 記憶と人格の編纂、

 そして因果をまとめた物は何処にあります?』

『それなら、

 ほれここにある』

そう言って老女は光の玉を取り出して見せると、

『なるほど、

 では、これを譲って頂けるのですね』

『構わぬが、

 何をするつもりじゃ?』

老女の問いかけに、

スッ

鍵屋は懐から小さな珠を取り出すと、

パチン

と指を鳴らす。

すると、

ポッ

珠に小さな光が宿り輝き始めた。

『この光の玉は今回の解決のため、

 自分が作り上げたもので、

 光の玉の中に人間界とほぼ同じ世界を構築してあります。

 なぜこのような世界を構築したのか。

 それは智也さんを巡る因果律の修正です』

と周囲を見渡しながら鍵屋は言う。

クポッ

『智也の因果律の修正?』

首をかしげながら里枝は尋ねると、

『いま、私達が智也さんを連れて人間界に戻り、

 沼ノ端の封印を解いたとしても、

 智也さんにとっては夢の話であって、

 記憶もすぐに消えてしまうでしょう。

 これでは人の姿では無くなった里枝さんにとって、

 まさしく最悪の結末になります。

 それを防ぐため、

 眠った状態の智也さんと

 里枝さんにはこの世界に入ってもらい、

 特に智也さんはこの世界の中で

 樹怨が智也さんと過ごした時間を

 現実として認識しながらトレースしていただきます。

 そうすることで本物の智也さんの記憶に

 傀儡の記憶が重ねられ、

 同時に因果と因果律の修正も行います』

「それなら智也一人押し込めばいいんじゃないか、

 何で里枝ちゃんまでその中に入らないとならないんだ?」

健一はそう指摘すると、

『これは二人に受けてもらわないとならない試練なのです』

「試練?」

『はい、

 因果律の修正はそれだけでも”理”に過大な負担が掛かります。

 ただし、負担が大きいのは判断が”理”に委ねられた場合です。

 今回の場合”理”にもっとも負荷が掛かるのは、

 トレースを受けた智也さんが里枝さんのことを思い出すことです』

「それって大したことじゃないだろう」

『違う。

 もっとも難易度が高くて難しいことよ』

「そうなのか?」

『健一さん。

 ちょっとこういうことを想像して下さい。

 ある日、あなたが街中を歩いていて、

 TV局の中継に出会ったとします。

 そこでカメラが振られ、

 あなたは取り囲んでいる人たちと共に映りました。

 友人達も毎日見ている番組です。

 当然、後日あなたは友人達に自慢し、

 そしてTVに映ったことを確認するでしょう』

「まぁな」

『でも、友人達はなんて返すでしょうか』

「ん?

 そりゃぁ、
 
 取り上げられ方にもよるけど、

 中継画像の取り巻きの一人だったら

 気づかないんじゃないかな」

『それです』

「え?」

『この世界の中で里枝さんは一本の樹になります。

 しかし、傀儡の記憶をトレースしている智也さんは

 実は100%トレースすることはできません。

 因果の重大要素の一つに偶然というのがあります。

 しかし、偶然には”偶然は二度起きない”大鉄則があります。

 二度起きる偶然は偶然に在らず、必然である。

 因果の要素に必然もありますが、

 必然は因果の骨格的なものであり、

 肉となるのは偶然であります』

「ちょっと待った。

 すまん。

 言っている意味がよくわからないんだけど」

手を上げて健一は鍵屋を制すると、

『すみません、

 つい熱くなってしまいました。

 どんなに似せた世界でも

 つまり同じ状況は再現できなくて 

 智也さんからすれば

 あっと言う間に画面から消えてしまう里枝さんの存在を把握し、

 しっかりとした記憶として焼き付けなければなりません』

「簡単じゃないか、

 俺がぶん殴って教えてやるよ」

『それは無理です』

「はい?」

『この世界に入る事が出来るのは、

 現時点で樹怨の呪を受けている者、

 そして、試練を受ける智也さん里枝さんと深い繋がり…

 いわゆる血縁関係者であり、

 しかも親兄弟の上流側ではなく、

 子・孫と言った下流側の者のみです。

 そのため健一さんも柵良さんも夜莉子さんも

 当然、自分も入ることは出来ません。

 そして、里枝さんですが、

 樹としてただ植わっているだけではありません。

 里枝さんには身体の浄化という

 大仕事を行ってもらわなくてはなりません』

クポッ

『…浄化ですか』

『はいっ、

 里枝さんの身体には黄泉醜女の毒・妖素がまだ残っています。

 そのため、その様な姿になっているのです。

 もし、その姿のまま人間界に赴けば、

 その身体から漏れ出る毒によって

 身体に触れることはできません』

「うわっ、

 なにそれ」

『それを浄化するためも里枝さんは樹となり、

 花を咲かせるのです。

 おそらくは意識をしなくても花は咲き出すと思いますが、

 春に若葉を茂らせる以上に、

 花を咲かせるのは苦行となります。

 初めのうちは一輪が二輪咲けばいいほうでしょう。

 その身体の中の黄泉醜女の毒はあなたが樹となって根を下ろし

 地脈を流れる水と共に理を取り込み、

 陽に向かって葉を広げることで解毒が始まり、

 翠果の花を咲かせることで解毒が終わります。

 そして、最後に翠果の実を成らせること地に還っていきます。

 毒が無くなるまで毎年毎年ずっと繰り返すのです。

 それが樹となったあなたのお仕事なのです。

 しかも、ノンビリはしていられません。

 智也さんが樹怨の記憶をラーニングをする時間は無制限ではありません。

 注意してもらわないといけないのは、

 今の時間を追い抜いた時点で記憶は閉じられ、

 因果もまた固定されてさし変わります。

 そして、さし変わった時点でもし、

 智也さんが里枝さんのことを思い出せず、

 また、里枝さんも毒の解毒が終わらなかったら…

 言わなくても判りますよね。

 そういう条件でお二人に試練を受けてもらうのです』

「智也からしてみれば、

 いつもの日々をすごしながら、

 おぼろげながら見えてくる里枝ちゃんをつなぎあわせて

 時間までにしっかりとした里枝ちゃんの記憶にしないとならない。

 一方、すべてを知っている里枝ちゃんは樹である故に何も言えず、

 何もアピールできずに期限までに自身の解毒を終える。

 この二人が出会うことって

 どう見ても無理ゲーじゃないか」

クポッ

『サトが言ったことってこのことだったのね』

「いやぁ、サトは里枝ちゃんが毒まみれになるまでは予想して無いよ。

 でも、解毒のイベントがなくても難易度高いよ」

『ねぇ、里枝。

 どうする?』

里枝の手を引いてトモエは決断を迫る。

『判りました。

 試練を受けます』

鍵屋の話を聞いた里枝は頷くと、

クポ

『私は智也を信じます。

 鍵屋さん。

 お願いします』

そう言いながら里枝は頭を下げると、

『判りました』

その返事と共に

鍵屋は光の玉に向かって開錠の施術を施行する。



程なくして光の玉に変化が起きると、

『では、樹怨。

 御身の中の牛島智也の魂と肉体をよこして下さい』

と樹怨に向かって言う。

すると、

『…よかろう』

その言葉と共に2つの光が螺旋を描きながら樹怨の身体から離れ、

鍵屋が持つ光の珠へと飛び込んでいく。

『確かに受け取りました』

それを確認した鍵屋は頭を下げると、

スッ

先ほど老女から受け取った光をその光の玉へと入れ、

その後、里枝に視線を向け、

『あなたは選択の門まで私がお連れします』

と言いながら手を差し出した。

クポッ

『はい』

鍵屋の言葉を受けて、

里枝は真っ白な手を差し出すと、

「里枝ちゃんっ

 がんばれ!」

響き渡った健一の声援に、

クポッ

『うんっ、

 がんばるよ』

とガッツポーズをする素振りをしてみせる。

『では参ります』

鍵屋はそう声を掛けると、

フワァァァァ…

光の珠は等身大に大きくなり、

『さぁどうぞ』

と鍵屋がエスコートで里枝は光の中へと消えていった。



その時、

『…チャンネル0、サト聞こえる?

 …こちらチャンネル10。

 …いまから鍵屋の世界に突入ます。

 …準備OK?』

トモエは頭に付けたインカムに向かって話しかけると、

『…了解っ

 …では手筈通り後方支援よろしくっ!』

そう声を上げるとトモエは自分の足下に

”川”を渡る際に使用した魔方陣を展開し、

閉じかけている光に向かって突進を始めだした。

そして、

『どいて!!!!』

声を張り上げると、

「あっおいっ、

 トモエっ
 
 なにをする気だ!

 こらぁっ!」

健一の怒鳴り声を背中で聞きながら、

光の中へと飛び込んで行く。



クポッ

『真っ暗で何も見えない…

 鍵屋さん。

 何処に居るのですか?』

『大丈夫です。

 僕はここに居ます』

里枝に向かって鍵屋は言い、

『この暗黒は里枝さんも何度も体験されている思いますが、

 次元の狭間というのはどこも真っ暗なんです。

 さて、

 実はこの先に目には見えない門があります。

 ただし、ただの門ではありません。

 選択の門。といいます』

クポッ

『選択の門?』

『はい、

 世界は様々な要素によって構成されていて、

 同じ世界は2つ存在することはありませんが

 極めて似た世界なら幾つも存在することができます。

 さっき私は世界を作ったと申しわげましたが、

 現時点ではまだ卵の状態です。

 選択の門にて選択を行ったときを以て

 私の世界は卵から孵り展開されています。

 そして、その時に一筋の光が見えますので

 その筋に向かって一直線に進むものです』

と続ける。

クポッ

『そうなのですか』

『どうされました?』

クポッ

『怖いんです』

『怖い…?』

クポッ

『この暗闇が怖いのではありません。

 これから私が智也の運命が決めてしまうことが怖いんです』

『確かに、

 自分で自分の命運を弄る場合、

 サイコロを振るがごとく、

 えいっ!やっ!

 と出来ますが、

 でも、他の人を巻き込むとなると、

 慎重になってしまいます。

 これは仕方がありません』

クポッ

『今更こんなことを聞くのも変ですが、

 何故、蔵王で翠果の実を食べる以前の設定で試練は行わないのですか』

『今回の修正を行うにあたって、

 どうしても智也さん、里枝さんのお二人のどちらかが、

 翠果の実を食した事実が必要なのです。

 もし、他の方だった場合、

 今回の事象そのものを否定することになり、

 記憶と因果の修正が出来なくなってしまいます。

 そうなると永遠のループに入ってしまい。

 ”理”はエラーとしてお二人の消去を行ってしまいます』

クポッ

『つまり、

 二度翠果の実を食べた私が食べた事実を無かったことにする代わりに、

 智也が食べた翠果の実を食べたことにすりかえるのですね』

里枝はそう指摘した。

『その通りです。

 そのことにより智也さんは蔵王で翠果の実は食べることなく、

 ここにくることも無く

 樹怨が智也さんとして過ごした時間をトレースしてもらいます。

 その代わり、

 里枝さんが蔵王で翠果の実を食べた結果、

 樹化人となって樹怨とのつながりを持っていただく。

 里枝さんが何処で樹化人となり根を下ろすのかは、

 里枝さんの因果の中から設定できますので、

 沼ノ端…

 竜宮神社の奥ノ院脇となるでしょう』

クポッ

『あそこね。

 あそこならいいわ。

 あそこで根を下ろして樹になるわ』

1度目の樹化の際、

智也に植えてもらった場所を思い出しながら里枝は頷くと、

『さて、

 ここが選択の門です。

 自分がエスコート出来るのはここまでです。

 ここから先は里枝さんご自身でお決めになり、

 進んでください』

そう言い残して、

鍵屋の気配は里枝の周囲から消えていった。

クポッ

『ここで私と智也の運命が決まる』

押しつぶされそうな気持ちをグッと怺えて、

里枝が進もうとした時、

『里枝ぇぇぇぇっ!』

不意にトモエの声が響き渡ると、

里枝の背後から光が迫り、

『つーかまえた!』

の声共にトモエが抱きついてきた。

クポッ

『トモエっ、

 あなた何処から来たの?

 すぐに戻りなさい』

引き離したトモエに向かって里枝は怒鳴ると、

『大丈夫。

 トモエが進むべき道を示してあげる』

とトモエは言う。

クポッ

『進むべき道って、

 トモエ?

 あなたはいったい何者なの?』

トモエに向かって里枝は尋ねると、

ギュッ

トモエは里枝をきつく抱きしめ、

『トモエのママは里枝。

 トモエのパパは智也。

 って言うの。

 トモエはね。

 ママが樹になったばかりのときに、

 パパがママに愛の証を立てたんだ。

 その時、トモエの命が灯ったの』

と言う。

その直後、

里枝は自分が樹になった直後、

一輪だけ付けた花に対して

智也が性行為を行ったことが思い出され、

そして、その花が実となったとき、

雨の中を鳥が咥えて飛び去っていったことを思い出した。

『あなたは…

 あの時の…』

トモエの素性について里枝はすべてを理解すると、

『トモエは里枝の夢と希望。

 だから神様であってもトモエを消すことは出来ない』

と言う。

『そう、判ったわ。

 じゃぁエスコートお願いね。

 私の希望さん』

トモエの頭を軽く叩いて見せると、

『もぅ一人居るよ』

とトモエが言い、

サッ!

同時に一筋の光が差し込み里枝の前方を照らし出した。

クポッ

『これは?』

差し込んできた光の筋に里枝は驚くと、

『サトの光』

とトモエは言う。

クポッ

『え?』

その言葉に里枝は驚くと、

『サトは沼ノ端・智也の部屋の中に居て、

 そこから光を放っている。

 里枝、あなたを導くためにね。

 大丈夫。

 私とサト、この二人が灯台となって二人を導く。

 ふふっ大丈夫。

 もぅ結果が出ているの。

 トモエと言う結果がちゃんと出ている。

 これは誰も変えられない。

 この先の世界は樹怨も鍵屋も誰も手が出せないところ、

 さぁ行こう』

と言うと、

『うんっ』

里枝は元気よく返事をして、

差し込んできた光に向かって歩き始めると、

真っ白な里枝の身体を樹皮が覆い始め出した。

メリメリ

ミシッ

樹皮に覆われた胸から2本の枝が伸び、

伸びた枝から若葉が芽を出す。

さらに腕が上へと伸ばされていくと、

樹皮がそれを覆い、

無数の枝が張り出していくと、

一斉に芽を付け始めた。

ズズズ

ズズズズ

いつの間にか足からは根が広がり

里枝はそれを引きずりながらも歩くが、

やがて足の歩みが止まると、

左右の足は一本に融合すると幹となっていく。

『よいしょっ』

自分の力で動くことが出来なくなった里枝をトモエは後ろから押し、

少しずつ、

少しずつ、

二人は前へと進んでいく、

メリメリメリ

ゴボツ!

顔の周囲を樹の肌に覆われたとき、

口の穴しかなかった里枝の顔に、

左右に離れて新たな2つの穴が開いた。

そして、その顔も樹皮に覆われてしまったとき、

ストンッ!

里枝の身体は落ちるように沈み、

ザザザザッ

それを合図に足の根が一斉に広がっていった。



沼ノ端市街地を見下ろす早春の山の中に

かつて奥ノ院と呼ばれた廃屋が建っている。

屋根も抜け落ち、

今にも崩壊しそうな建物の脇に、

コケも蔦も纏っていない真新しい樹が一本、

静かに植わっていた。

そして、同時刻。

「ふわぁぁ〜」

沼ノ端市街にある大学の図書室で、

牛島智也が大あくびをしながら起き上がると、

「今頃起床かぁ」

と呆れる声が響いてくる。

「うるせーっ

 あーぁ、

 暇だなぁ

 こんなことならスキーに行けばよかったかな、

 蔵王にいくって言っていたっけ」

起き上がった智也はスキーに出かけた仲間達が残したパンフを眺めると、

「俺には関係ないな」

そう言いながら紙を丸め

ゴミ箱へと放り込んだ。



つづく