風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第拾話:辿り着いた場所)


作・風祭玲

Vol.1107





『大丈夫です。

 結界は完全に消失しています。

 そして、ここから樹怨に向かって道が伸びています』
 
鍵屋は樹化人を横目に見ながら言うと、

その途端、

柵良美里の叔父や巫女神夜莉子らが次々と樹化人に押しかけ

間近で観察をしはじめた。

『いくら調べても、

 もぅ何も出ては来ません。

 あなた方の前に立っているのは、

 人であったことのすべての証を失った只の樹です』

あきれた表情で鍵屋は言い切ると、

「只の樹…じゃと?」

顔を上げた柵良が聞き返す。

『はい、

 さっきも説明しましたが、

 この方が樹となってから1万年。

 その途方もない時間の間に

 樹は人間であった証を無くしていきました。

 そして、最後の拠り所であった樹怨との縁の記憶を

 里枝さんが断ち切ったため、

 樹は只の樹…普通の樹になってしまったのです』

「引導を渡したというワケか。

 己が樹となることを引き受けることと引き替えに」

『えぇ、

 ひょっとしたら、

 樹化人も里枝さんのその覚悟を知って

 役目を譲ったのかもしれません』

「ということは三浦里枝を唆したわしの責任は重大。

 と言うことじゃな」

『そこまでは…』

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。

 樹怨の元にたどり着くためには致し方がないこととはいえ。

 酷な決断をさせてしまったの。

 すまぬことをした」

健一の背中に背負われて眠っている里枝に向かって

柵良は頭を下げる。

するとその横で、

シャリン

鍵屋は鍵錫杖を構え、

『我が行く手の扉を閉ざす鍵よ。

 我はすべての鍵を司る管理者なり。

 我のため、

 施錠した鍵を解き、

 閉ざした扉を開くべしっ』

そう詠唱すると、

『オープン・ザ・ユァ・ロック!』

のかけ声と共に鍵錫杖で樹化人の前の空間を突き、

それを捻るように回して見せる。

ガチッ!

錠が外れる音が響き、

ゴワァァ

樹の根元にひと一人が屈んで通れる程度の穴が口を開けくとm

「ずいぶん小さい穴じゃのぉ」

それを見た柵良は驚きながら指摘するが、

鍵屋は腰をかがめると

通路の口を覗き込み始める。

『…この感覚。

 …確かに樹怨はここを通って人間界に介入していますね。

 …ただ、樹怨の残り香が強すぎますので、

 …人間である彼らがここを通ると、

 …幻惑させられる可能性がありますね。

 …ならば

 …何も見えない方がいいみたいですね』

そう鍵屋は一人で呟くと、

「これ、鍵屋?」

後ろに立つ柵良が不審そうに声をかける。

『あっすみません。

 樹化人から伸びる根が

 樹怨への通路を塞ぐように生えていますので、

 穴の大きさはこれが限界です。

 もっとも樹化人を切り倒してしまえば

 轟天号でも通れる程度には拡幅できると思いますが、

 どうされます?』

腰を上げた鍵屋は聞き返すと、

「そんなこと出来ぬ事ぐらい判ってろうに」

笑って柵良は答えると、

「さて、

 叔父上!」

と叔父の僧に声をかけた。



柵良との話が終わり、

僧が背を向けて座り込むと、

「お主ら、

 改めて尋ねるが、

 これより向こうはこの世にあらず。

 化生が跋扈する異界ぞ、

 ここに残るというものがあれば留め立てはせぬ」

と決意を尋ねる。

すると、

「沼ノ端に戻れず、

 とっ言って、

 里恵ちゃん達を放っては置けない。

 そうなれば、

 選択肢は一つしかないでしょう」

その問いにふざけ気味に健一は即答すると、

「行きましょう!」

の声とともに皆は頷いて見せるが、

「ん?

 サトはどうした?」

離れたところで座り込んでいる分枝妖精のサトに声を掛ける。

『サト…どうしたの?

 術を使いすぎて疲れちゃった?』

心がここに在らずの状態になっているサトの顔の前で

トモエは手のひらをを上下に振りながら尋ねると、

『え?

 あっ

 うっうん…

 大丈夫』

頭を押さえながらサトは立ち上がり、

『あーぁ、

 花粉だらけ…』

緑の葉が茂る自分の体を叩いて見せる。

「花粉かぁ、

 盛大に吹いたからの」

それを見た柵良は安心した表情を見せると、

『どう?

 行けそう?』

とトモエはサトの意思を確認する。

すると、

『行けそう…

 ってどこに?』

合点がいかない顔でサトは聞き返した。

「おぃおぃ、

 話を聞いていなかったのか?」

里枝を背負う健一は呆れた声で言うと、

『これから、

 この穴を通って、

 樹怨のところに行くんだよ』

とトモエは樹化人の下にあいた穴を指さした。

『そう…樹怨のところに行くんだ。

 でも、なんで?』

『智也を助けに行くんだよっ、

 みんなで』

『智也?』

『しっかりしてよ』

『智也…

 …あっ、わたしの大切な人…だ』

ハッとした表情を見せながらサトは声を上げると、

「サトぉ、

 智也はキミじゃなくて、

 この里枝の彼氏だ、大切な人だ」

それを聞いた健一は背負っている里枝をサトに見せつけて言う。

ところが、

『違うっ、

 私は里枝っ、

 智也は私の大切な人!』

なおもサトは食い下がると、

「力を使いすぎて記憶が混乱しているのかしら、

 サト、いぃ?

 あなたはこの里枝さんから別れた分枝の妖精なんです。

 だから…」

そう言いかけたところで、

『私、行く。

 智也を助けに』

とサトは声を張り上げた。



『難しい年頃ってものなのでしょうか?』

サトを見ながら鍵屋は指摘すると、

「気のせいかな?

 なんか子供の雰囲気が消えたな」

健一はサトの変化を言う。

すると、

「意見が出そろったところでよろしいか?」

パンパン!

柵良が手を叩いて皆の注目を向けると、

バッ

注連縄が下がる綱を引き出して輪を作ってみせる。

「これは…」

「移動結界じゃ、

 この中に入れば化生どもは手を出せぬ。

 皆の者っ

 一列になってこの結界を持て、

 樹怨の元まで一気に行くぞ!」

柵良はそう声を張り上げると、

「おーっ!」

掛け声と共に移動結界が掴まれていく。

「では、

 出発じゃ!」

柵良が声を張り上げたとき、

「なぁ…」

彼女の耳元で眠る里枝を背負う健一が声をかけた。

「…何も言うな」

その声に柵良は振り返らずに言うと、

「7:30発っ、

 トッキューオー、発車しまーす!」

とはしゃぐトモエの声が背後から響いてくる。

「…後ろの連中、

 …あぁ言っているぞ」

「お主の言いたいことはようわかる。

 じゃが、いまは非常事態じゃ。

 細かいことには…構うな」

「はぁ…」

「では、

 我等はこれよりこの通路を通り樹怨の元へと向かう。

 参るぞ!」

と言う柵良の掛け声と、

「やれやれ、

 この歳になって電車ゴッコとは」

健一の嘆き声を残して、

ズォッ!

樹化人の前から姿を消した。

そして、彼らが消えた後、

樹化人から小さな光の球がわき出して来ると、

いずこともなく消えいく。



「真っ暗で何も見えない…」

「私たち歩いていないんだけど」

「でも、どこかに向かって動いている?」

すべての光源がオフとなった闇の中、

結界の綱に囲われた柵良達はその場に佇んでいるはずだが、

しかし、どこかに向かって引っ張られ動いていることを感じていた。

「目をつむって電車に乗っているみたいね」

「あぁ、その感覚か」

『でもさ、変な臭いがするよ』

「そう?

 洞窟にあるような臭いではないな」

『うーん、

 何かが淀んでいるって感じですね』

「いろんなものが溜まっているんじゃないか」

「火山が近いし、

 硫化水素や二酸化炭素が溜まっているところを通過したら

 一呼吸で即あの世行きだな」

「変なことを言わないでよ」

「大丈夫、

 ガスにまかれて気付いたら

 六文銭を手に三途の川の渡し舟を待っているって」

「やめてよぉ」

「余計なことを言うでない。

 この道は異界への通路じゃ。

 その様な仕掛けあろうはずがない」

「柵良さん、

 それの根拠ってどこにあるんです?」

『まぁまぁ、

 柵良さんの言う通り。

 この道はあの樹化人が守ってきたものです。

 大丈夫ですよ』

「鍵屋さん、

 あなたがそう言うなら」

鍵屋の説明に健一たちは納得すると、

「皆の者、

 目を閉じるのじゃ。

 何も見るでない。

 心の目をしっかりと見開けば、

 余計なことを考えなくなる」

と柵良は声を張り上げると、

『大丈夫です。

 私が見張っていますので

 安心してください』

鍵屋は声をかける。

すると、

「何も見えないのに

 どうやって見張るんです?」

と突っ込みが入った。

「なんか奈落の底に通じる道って感じで

 気味が悪い」

不意に夜莉子が呟くと、

この声に

ピンッ

皆が掴んでいる結界の綱に緊張が走ると、

「なぁ」

健一が話しかけた。

『どうしました?』

「智也のやつも

 ここを通ったのかな?」

『そうだと思います』

「こんな暗闇をか?」

「樹怨が招いたのだろうから、

 このような闇ではなかったのであろう」

「お招きか、

 いいなぁ…

 こっちはこんなに怖い目に遭っているに」

「そうだ鍵屋さん。

 あなたが沼ノ端を封印した後、

 同じような暗闇になったけど、

 あの時と同じような灯りはつけられないの?」

鍵屋に向かって夜莉子が尋ねると、

『申し訳ありません。

 あの明かりは自分が張った結界の中だから灯すことが出来ました。

 仮にここで灯しても、

 見えるのは今持っている結界の範囲内のみ。

 その外側は何も見えません』

「そっか、

 それなら目を瞑っていても同じか

 不便ね…」

そう夜莉子が返したとき、

「そんなに目が見えないことって不便?」

と眠っていたはずの里枝が問いかけてきた。

「里枝ちゃん。

 起きていたのか」

思いがけない声に彼女を背負っていた健一が驚くと、

「私を背負ってくれていたの?

 ありがとう。

 もぅ大丈夫だから

 下ろしていいよ」

里枝は健一に向かって言う。

「あっ、

 あぁ判った」

その声と共に背中から里枝を下ろすと、

ザザッ

ザザザッ

里枝の体から生える葉が摺れる音が響き、

その音が変わることで

彼女の体が地に付いたことを知らせる。

「足の根っこ、

 地面にもぐりこまないか?」

と心配そうに健一は声をかけると、

「うん、

 それは大丈夫みたい。

 ここって地面じゃないでしょ」

ガサガサ

と葉音を立てながら里枝は踏みしめて見せると、

「まぁ確かに、

 何かの上に乗っているみたいじゃの」

と柵良は言う。

「あーぁ、

 わたし裸じゃない。

 しかも体中葉っぱが生い茂っているし、

 これじゃぁ本当に歩く樹だわ」

闇の中であるに関わらず目が見えるかのように振舞ってみせると、

「こんな闇の中でも判るのか?」

里枝に向かってが尋ねる。

「ん?

 何も見えないよ。

 でも…自分は樹。

 樹として振舞えば闇なんて苦じゃない。

 樹には目がないからね」

「そういうものか?」

「そうよ、

 樹は目がなく、

 耳がなく、

 幹を触られれても感じにくい。

 でもね、

 根っこは敏感なのよ。

 何かが少し変わっただけですぐに判る。

 もっとも、判ったところで出来ることといったら、

 根っこが生えていく方向を変えるだけだけどね」

「なるほどなぁ」

「ねっ、

 どこかに向かって動いているみたいだけど、

 あの樹化人のところからここに入ったの?」

「ん?

 あぁそうだよ。

 鍵屋さんが開けてくれた」

「そっか、

 この闇が智也のところまで続いているのね」

「そうだよ、

 里枝ちゃんがその体の代償に結界を壊してくれたお陰だよ」

「ううん、

 別にいいよ。

 あの時はあの扉を開けないと

 智也のところには行けないって必死だったし、

 それに自分も樹にならないと

 智也に顔を合わせられないような気がしてね」

健一の言葉に里枝がそう返すと、

『コホンっ』

鍵屋が軽く咳払いをして、

『樹の心…

 樹の魂は何処に宿るか判りますか』

と尋ねた。

「樹の魂ですか?

 上の方?」

その質問に夜莉子が答えると、

「いや、

 枝や葉っぱじゃないか?」

「葉っぱは冬には落ちちゃうよ」

「じゃぁ幹?」

「うーん、

 でもなんか違うような」

などと話をしていると、

ズズンッ

鈍い音が闇の中に響き渡ると、

「うわぁ」

バランスを崩し皆は一斉に転んでしまった。

「いてて」

「事故かよ」

そのような言葉が響くと、

「面妖な…」

と柵良の声が響く。

そして、

『あっ

 ちょっと待ってください』

それを聞いた鍵屋が慌てて柵良を制止させようとするが、

「化生っ、

 退散!」

の声と共に一瞬の輝きと共に、

柵良が払い串を振り切った姿が目に入った。

と同時に、

ビシッ!

暗闇に亀裂が入ったかのような光が入ると、

パリンッ!

割れる音ともに通路の足元が一気に崩れ落ち。

「しもうたっ!」

柵良が自分の判断ミスを悔いる間もなく

「うわぁぁぁ!!!

 今度は下かよぉぉぉ!!」

崩れていく通路と共に皆は闇の中へと落ちていった。



ドズンッ

「わたっ!」

ドタドタドタ

『いたーぃ!』

「うわっ!」

闇の中を落ち続けたものの、

さほど加速はつかなかったため、

尻餅をつく程度で地面に落ちると、

「みんなっ

 無事かっ」

安否を尋ねる柵良の声が響く。

「横にぶつかったり、

 下に落ちたり、

 踏んだり蹴ったりってこの事だな」

「でも、相当落ちた割には、

 ダメージが少ないな」

『この結界に守られましたね』

鍵屋は柵良が張った移動結界の綱を指さす。

「そういう効果もあるのか」

思いがけない結界の効果に健一は驚くと、

『ここはどこ?』

とサトが尋ねる。



「暗くてわからなかったけど」

「森…みたいですね」

周囲を見回し、

そして上を見上げながら夜莉子と健一が言うと、

皆は鬱蒼と生い茂る巨木の森の中にいた。

『大きな樹!!』

「なんてでかい樹だ」

見上げるほどの巨木が覆いかぶさってくる様子に皆は驚くが、

「巨樹の世界というわけか?」

と柵良は鍵屋に尋ねる。

『少し待っててください。

 位置を確認します』

柵良の問いに鍵屋はそう返事をすると、

「なんか…

 気持ちの良いところね?」

そう言いながら里枝は立ち上がると、

体中から湧き出している葉を輝かせながら

クルリと回って見せる。

「樹を隠すには森の中。というが

 確かにこのような森の中では

 半ば樹となっているそなたにとっては居心地がよいかもしれぬな。

 色々あって突かれたであろう。

 少し休むとよい。

 われらは向こうで作戦会議をしておる」

柵良はテーブルほどの岩が転がっている場所を指さしてそう言うと、

「向こうで作戦タイムじゃ!」

そう声を張り上げて腰を上げた。



パタンッ

柵良が去ったのち、

「ふぅ」

里枝は仰向けになって倒れると、

背中で土の感触を確かめる。

ドクン

ドクン

体の中をゆっくりと巡っていく異質の感触を里枝は全身で感じ、

緑の葉に覆われた両手を持ち上げると、

視界を覆う巨木の緑と重ね合わせた。

「葉っぱに覆われたわたしの手…

 もうすぐあなた方のお仲間になります」

巨木を見つめながら里枝はそう呟くと、

スッ

と目を閉じ、ある光景を思い出しはじめた。

里枝が初めて樹になろうとしていたとき、

智也と二人並んで眺めていた天井。

あの時、

里枝はこのまま水を断ち枯死することを望んでいた。

しかし、例え樹となっても生きることを選んだ結果、

いまこうして異界の樹を見上げている。

「大丈夫よ。

 私は樹にはならない」

緑に染まる手を見上げながら里枝はそう呟くと、

ギュッ

と手に力を籠め、

「智也を助けだして、

 人間に戻る」

と決意する。

その時、

ヌッ

サトが里枝の視界に入ると、

『ねぇ』

と話しかけてきた。

「なっなに?」

上半身を起こして聞き返すと、

サトは自分の体を里枝と同じサイズに膨らませるや、

トスンッ

里枝の横に座り込んだ。

「サトってそういうこともできるの?」

驚きながら里枝は尋ねると、

『やり方を教えてもらったの。

 ここって、

 気持ちいね』

とサトは上を見上げながらいう。

「そうね。

 気持ちの良いところね」

サトと同じように顔を上げて里枝は言うと、

『ねぇ…』

と話しかけてくる。

「なっなに?」

『あのさっ、

 このまま…ここに居ていいよ』

「え?」

サトの言葉の意味が理解できずに里枝は聞き返すと、

『あなたはここに居なよ。

 ずっと、

 ずーーーと、

 ね?

 智也はさっ、

 私が必ず助ける。

 私が里枝となって助ける。

 大丈夫。

 だから、

 あなたはここで根を張って、

 樹になっちゃいなよ』

そうサトが言った途端、

サトの頬を里枝の手が叩いた。

頬を抑えながらサトは驚いた顔で里枝を見ると、

「いくら私の分枝でも、

 口にして良いことと、

 悪いことがあるのっ、

 それ位判らないの?」

サトを睨み付けながら里枝は怒鳴ると、

サトもまた里枝を睨み付け、

『分枝だからって言う理由だけで、

 私を見下げているの?

 そんなハンパな体をして何様のつもり?

 笑っちゃうわね』

と言い返す。

その途端、

里枝の手が伸び

サトののど元を鷲掴みにすると、

自分の顔に近づけながら、

「お前、いまなんて言った?」

と語気を強めて尋ねた。

グッ!

口をかみしめてサトが里枝を睨み付けると、

「おぬしらっ

 何をやっておる」

と柵良の声が響いた。

「ふんっ」

鼻息と共に里枝はサトを突き飛ばすと、

「化生なんかに智也は渡さないよ。

 あんたこそ化生らしくここに根を張りなさい」

そう言い残すと柵良達のところへと向かって行く、

『ぐっ』

残されたサトは突き飛ばされた勢いで

地面に這いつくばってしまうと、

両手で土を引っ掻くように握りしめ、

そして、去っていく里枝の後ろ姿に向かって

握りしめた土を投げつけると、

『…里枝はこの私。

 …鉢の中に樹は2本も要らないの。

 …やっぱり…間引くしかないよね』

と呟く。



「サトと喧嘩をしていたのか?」

会議をしていた岩場にやってきた里枝に健一は事情を尋ねると、

「こっちはその気はないんだけど、

 なんか突っかかって来るのよ。

 頭にきちゃう」

葉の音を立てながら里枝は文句を言うと、

「喧嘩をするような子じゃなかったんだけどなぁ」

頭を掻きながら健一は言う。

「急に大人びてきたし

 やっぱり花粉を浴びたのと関係あるんじゃない?」

夜莉子が指摘すると、

「花粉のぅ…

 確かにあの花粉には樹木を活性化させる力があった様じゃな」

「うん、

 私がこんな体になったのも花粉の影響のせいだし、

 サトが大人になってくるのは仕方がないかなぁ」

「その割にはアイツは全然変わらないけど」

そう言いながら健一がトモエを指さすと、

『なになに?

 私の噂をしているの?』

と無邪気に聞き返してきた。



『里枝さんとサトさんとの波動が近くなってきているので、

 そのせいもあると思います』

話を聞いていた鍵屋がそのことを指摘すると、

「なんだ、

 近親憎悪って奴か?」

と健一が聞き返す。

「なんじゃ。

 思春期特有の乙女の病ではないか」

柵良は言い切った。

「なんですか、それ?」

呆れるようにして健一が尋ねると、

「ほれ、中学から高校にかけて、

 何かとご両親にけんか腰になったことはなかったか?

 これまであやふやだった自分という”個”が固まり、

 それを中心にして廻そうとするものの、

 当然のことながら周囲の者とぶつかっていく。

 そして、真っ先にぶつかるのが、

 兄弟、家族と言うことになる。

 まぁ、時とともに角が取れて、

 本物の大人になっていくのだがのっ、

 サトは急激に己が個を得たため、

 自分のコピー元であるお主と激しくぶつかったのであろう」

「はぁ…

 化生にも思春期があるのか」

「でも、なんで人間と同じような個ができちゃったのかな」

「簡単じゃ、

 昨夜、おぬし等がサトに名前をつけたであろう?」

「名前?」

「そうじゃ、

 サトという名をなっ

 それまでは名を持たぬが故、

 里枝のおまけのような立ち位置でもなんとも思わなかった。

 しかし、名を授けられたために個が出来上がり、

 それによって、

 里枝とは同根ではあるが別の格を得てしまった。

 それが体を活性化させる花粉を浴びたために、

 一気に心が成長してしまい、

 里枝、お主と並び立ってしまったのじゃ」

「では、どうすればいいのです?」

「難しいのぅ、

 サトが現実と折り合いをつけることができればよいが、

 化生はある意味純朴じゃからの」

そう柵良が言ったところで、



ズンッ!

風を伴った波が森を突き抜けると、

ザッ!

体中から葉を茂らせているトモエやサト、

そして里枝本人の体を包む木の葉が一斉に鳴った。

「あっ

 この感覚…」

足から生えている根で何かを感じ取った里枝がつぶやくと、

『樹怨ですっ』

鍵屋の怒鳴り声が響く。

そして、間をおかずに、

ォォォォン…

正面の森の奥からうなる様な声が響いてくると、

ぶわっ!

半透明の巨大な手のようなものが湧き出してくるなり、

鍵屋たちを手元に引き寄せるような動きをする。

その途端、

ドンッ

皆を押し込むように気の渦が生じると、

猛烈な風が皆を襲ってきた。

「うぉぉっ、

 なんだぁ」

「飛ばされる!」

「きゃぁぁぁ!」

森の中に柵良達の怒鳴り声が響くと、

「いやぁぁぁぁ!!」

里枝があげた悲鳴は飛ぶようにして森の奥へと移動していく。

『くっ、

 立ち止まれない』

鍵屋は鍵錫杖を使おうとするが、

しかし、迂闊に術を使えば

柵良や健一たちが何処に飛ばされて分からない。

『…何も手が出せない』

どうすることもできないことに鍵屋は恨めしく感じていると、

再び光が消え、

鍵屋たちは暗闇の中へと放り込まれる。

「また暗闇かよぉ!」

健一の嘆く声が響き、

皆は空中を飛ばされる状態で闇の中を突き進んでいく、

そして、暗闇に目が慣れたころ、

行く手に小さな光の点が姿を見せた。

「光ぃ!」

それを見て夜莉子が声を上げると、

『どこに出る?』

近づいてくる光点を鍵屋は不安げに見つめるが、

吸い込まれるように光点の中へと飛び込んで行った。



ドサッ!

「あいたぁ!」

光に飛び込むのと同時に

全員がコンクリート敷きの床を思わせる場所に投げ出されるが

パァァァ

闇に慣れた目にとってここに降り注ぐ光は刺激が強く、

体に茂る葉の影に目を隠せる里枝・トモエ・サトを除いた全員が

視力を一時的に失った。

『視力をやられました』

「目が見えないよぉ」

「だめだ、

 目が見えない」

鍵屋や健一たちは目を瞑り視力が回復するのを堪えていると、

「大丈夫ですか?」

と里枝が声をかける。

「里枝ちゃんは目が見えるのか」

「えぇ、

 葉っぱのお陰で」

「そっか、

 樹の体も役に立つときがあるんだな」

「はぁ…」

『すみません。

 いまどういう状況なのでしょうか?

 教えていただけませんか』

手の甲を目の部分に当てながら鍵屋は尋ねると、

「えぇっと、

 なんて言ったらいいのかな」

里枝の困惑した返事が返ってくる。

「とんでもないところなのか?」

「そうじゃないんです」

「どういうこと?」

「よく知っている場所なんです」

「?」

「落ち着いて聞いてください。

 あの、

 金太郎の松。

 わかりますよね」

「なんだいきなり。

 よく知っているよ。

 沼ノ端の下流、植苗の名所だからな」

「そこにいるんです。

 私たち」

「はぁ?」

「正確に言いますと、

 金太郎の松近くのドスコのおっ屋上、

 その屋上の駐車場です」

と里枝は自分の上に掲げられている

【Dosco&i】

の看板を見上げながら言う。

「ドスコの屋上に居ると申すかっ?」

光に目がなれ視力を回復してきた柵良が

目を細目にしながら立ち上がると、

「あぁ本当にドスコだ。

 端匂川が見えるし、

 沼ノ端の近くに戻っちゃった?

 でも、こんなに川幅広かったっけ」

と視力が戻った夜莉子が

対岸が霞んでよく見えない川を指さした。

「うーん、

 2km以上川幅があるな」

「ちょっと降りてみようよ」

川を眺める健一に夜莉子が声をかけると、

「ねぇ、

 ドスコの中、誰もいないよ」

店内から戻ってきた夜莉子が声をかけてきた。

「定休日か?」

「ドスコは年中無休、

 こんなに陽が高いのに誰もいない…か」

「なぁ

 ここが本当に金太郎の松のドスコなら、

 川に掛かっているはずの新幹線の鉄橋が見えないのは変だぞ、

 それに有料道路の橋も見えない。

 っていうか、

 川に全く橋が架かってないじゃないか、

 どうなっているんだ?

 これ」

健一が景色を眺めながら言うと、

『これは…』

鍵屋も立ち上がり周囲の状況を眺めた。

そして、

『!!っ

 そうか』

場所の正体に気づくと、

『すぐにここから出ましょう』

皆を追い立てながらドスコから出た。



「こんな格好で知っている街の中を歩く羽目になるなんて」

体を隠すように生える木の葉の音を立て、

足から延びる根を引きずりながら里枝が歩いていくと、

「でも…

 全然道が熱くない」

日差しを受けているにも関わらず、

熱を帯びていないアスファルト道路のことを指摘した。

「なんか、

 SF映画に出てくるような

 ニセモノの街って感じだな」

それを見た健一はつぶやくものの、

街に住民たちの姿はなく、

シンと静まり返る無人の街を歩き、

堤防を越えると川の畔に出た。

「広い…川ね」

「端匂川はこんなに広くはない」

「鍵屋、

 ここはどこだ?

 さっきの様子では

 判っているのであろう」

『どう説明していいのか』

「なんぞ、ややこしい場所なのか?」

『いえ、

 端的に申し上げますと、

 いま私達の目の前に流れている川は

 あなた方が知っている端匂川という川ではありません』

「それは判っておる」

「じゃぁどこにいるんだ?」

鍵屋に向かって健一は言い返すと、

『いま居る場所ですが

 あなた方、人間界の地図で言いますと、

 平泉と言う街の近くに居ます』

「平泉?

 奥州藤原の?」

「蔵王から仙台を通り越して平泉までワープしたのか、

 これってすごくね?」

「しもぅた。

 牛タンを食べ損ねたわ」

「そんなことを言っている場合じゃないでしょう」

「かつて藤原秀衡は極楽浄土を再現しようとして、

 平泉に都を作ったのですよね」

「じゃなにか?

 ここがその藤原秀衡が作ったジオフロント、

 第三新平泉市だと言うのかっ」

「もちょっと現実をみましょうよ」

『よく聞いてください。

 私達が立っているこの場所は此岸(しがん)呼ばれ、

 広い川向こうに微かに見えているのは

 彼岸(ひがん)と呼ばれています」

川向こうを指差して鍵屋が説明すると、

「此岸に彼岸…?」

健一は呟く、

と、同時に、

「はっ!

 柵良先生っ」

川の正体に気づいた夜莉子が声を上げた。

「なるほど、向こうは涅槃。

 そして目の前の川は三途の川であり、

 この河原は賽の河原と言うわけか…

 老い先短い叔父上よりも先にこの目にすることになるとはの、

 親不孝の誉れじゃな」

と柵良は笑ってみせる。

「三途の川って、

 マジかよぉ!」

それを聞いた健一が慌てて川面に向かって駆け寄ろうとすると、

「川の水に触れてはならんっ!」

柵良が声を張り上げた。

「え?」

その声に健一は金縛りにあったかのごとく止まると、

「あれを見よ」

と今いる場所から離れたところを指差した。

すると、そこには川の水が波しぶきを上げていて、

しかも幾重に並ぶ光の玉の列が此岸から彼岸に向けて

川を渡るように動いている。

「三途の川を渡るあれって…

 まさか」

顔色を青くして健一は振り返ると、

「現世にて己が命を終え、

 彼岸に渡ろうとする者たちじゃ

 見よ、

 川の水が当たるごとに

 煩悩が禊がれ流れ落ちていくわ。

 わかるか?

 お主がその川の水に触れた途端、

 お主の肉体は煩悩とともに流れ落ち、

 白い骨だけが残ることになるぞ。

 それでも良いのか?」

と柵良は言う。

「うわっ、

 まるで強酸性の川じゃないかっ」

それを聞いた健一は慌てて川面から逃げると、

「この目で死者の禊を直に見るとはの。

 つまりこの虚飾の街は

 死者を彼岸へと送り出すための舞台装置…

 というわけじゃな」

振り返りながら柵良は現生と同じ姿の街を見る。

『この街は見るものが最も親しんだ街に姿を変えます。

 彼の者達は親しんだ街から送られて彼岸へと渡り、

 わが父、

 閻魔によって裁かれます。

 そして業を背負い地獄に落るもの、

 天界に向かって昇る者に別れ、

 ”理”となるのです』

皆に向かって鍵屋が説明をすると、

「あんた、

 まさか閻魔大王の」

鍵屋を指さして健一が尋ねた。

『はい、息子ですっ』

「うわっ!」

それを聞いて驚きの声が上がると、

『そんなに驚かないでください。

 自分の裁定者のライセンスはB級

 下っ端です』

と鍵屋は言う。

「へぇ…

 閻魔の息子でもそんなものなのか、

 って、

 閻魔大王に嫁さんがいたのか

 知らなかったなぁ」

『そういうことです』

「けど、

 閻魔大王の息子なら、

 霊丸のひとつでも撃てるようにならないのかな、

 ちょっと憧れているんだけど」

と健一が右手の人差し指を伸ばす仕草をして持ちかけると、

『出来ますよ。

 これを使ってください』

そう言いながら鍵屋は健一にあるものを渡した。



『かーわるんるん!』

賽の河原にその掛け声が響き渡ると、

「なんじゃこりゃぁ!」

青いスカートを翻し黒ベストをまとった健一が立っていた。

『そのツインテール。

 とってもお似合いですよ、

 プリンセス』

お腹を押さえて笑い転げまわる里枝たちをよそに、

鍵屋はまじめな顔をして健一の肩を叩くと、

「ちっくしょーっ、

 こーなりゃ、

 この弾丸マシンガンが俺の霊丸だぁ!」

と健一は怒鳴り声を上げる。

すると、

『さて、お陰で最大の懸案事項が片付けることが出来ました』

怒りに打ち震える健一をよそに鍵屋は落ち着いた口調で言うと、

「それってまるでお荷物だったような言い方だな」

と絡んでくる。

「ねぇ、

 あたし達はどうなるの?」

里枝が手を上げて尋ねると、

『里枝さんたちは…

 このまま三途の川に入っても大丈夫です』

と鍵屋は笑顔で言う。

『えーっ!

 そうなの?』

『さっき、話の途中でしたが、

 樹の魂は根にあります。

 根は地中にあり、

 地脈へとつながっています。

 そのため樹は冥府の住民であり、

 此岸と彼岸を自由に行き来できる唯一の存在なのです』

「そうなのかっ」

『もっとも動かぬ樹に

 そのような力を発揮出来る場が限られますが、

 里枝さんが樹だったころ、

 春になると何処からか刺激がやってくる。

 と言っていましたよね。

 その刺激の源、

 そう、葉を落として眠りについていた樹を起こすため

 その呼び声を発しているのが、

 あの岸の向こうに居る、

 樹怨…イザナミなのです』

「……えーと、

 鍵屋さん。

 いま、さらっと

 とんでもない事を言いましたよね。

 樹怨がイザナミだと」

『イザナミとイザナギ、

 国づくり神話の主人公。

 仲の良い夫婦であり、

 協力してこの世界の礎を作りましたが、

 ご存じのとおり、

 色々あって二人が袂を分かち、

 その結果、

 生と死、

 この二つの事象が世界の対極として存在することになり、

 両極を巡る循環の輪として”理”が生まれました』
 
「やれやれ、

 国造り神話まで出てきたか、

 この世界には2つの極があることが普通であることになっているし、

 そういう面でみると動物と植物もどちらも命あるものだけど、

 命の形態は全く対照的だな」

鍵屋の説明を聞いた健一は里枝を見る。

そして、

「だいぶ樹になってきているみたいだけど

 まだ動ける?」

里枝に向かって健一は尋ねると、

「確かに動きにくくなってきたけど、

 でも大丈夫。

 智也に会うまでは樹にはならないよ」

と笑顔で返事をした。



そのとき、

『ちょっとぉ!

 サトが居ない』

とトモエが知らせてきた。

「え?」

「本当だ…」

「いつ居なくなったんだ?」

「ドスコではおったぞ」

姿が消えたサトを探してみなが周囲を見ている頃、

無人のドスコ店内にサトの姿があった。

カチャッ

カコン

ドスコのアウトドア・コーナーで、

サトは手を伸ばして手斧をとると、

それを大きく振りかぶり、

ズゴンッ!

と近くにある木製のベンチに向かって振り下ろす。

『へぇ…

 街はニセモノでも、

 置いてある商品は本物なんだね』

ベンチを切り裂いた手斧の感覚にサトは満足そうに笑うと、

『智也…

 ちょっと遅くなるけど待ってて。

 私のフリをしている化け物を間引いてからそっちにいくから、

 鉢の中に居るのは私一人…

 間引きはちゃんとしないとね。

 だって私が三浦里枝なんだから』

と声を上げ、

『ふんっ!』

再び手斧を振り下ろすと、

ベンチは二つに折れ砕けていく。



つづく