風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第九話:樹化人の門)


作・風祭玲

Vol.1106





「智也が…

 あの木の実を食べていただなんて」

自分よりも先に牛島智也が翠果の実を食べていたことに

三浦里枝はショックを受けると、

『柵良さんっ

 申し訳ありませんが、

 牛タンは後回しにさせてください。

 智也さんが食べたという翠果の実。

 樹怨と関連があるようにしか思えません』

車外で立つ鍵屋は柵良美里に予定の変更を伝えた。

「判った。

 ただし、

 青森のホタテのバター焼き定食まで付きおうて貰うことになるぞ」

柵良はその条件と引き換えに承諾をすると、

『里枝さんもよろしいですね』

と里枝に同意を求める。

…コクリ

その言葉に里枝は一瞬躊躇ったのち頷くと、

『では蔵王までのルートを検索しよう。

 目的地は蔵王温泉で問題ないか?』

会話を聞いていた轟天号が皆に向かって尋ねる。

「それで構わんと思うが、

 岬殿、

 翠果の樹は間違いなく温泉の近くなんじゃな」

と岬健一に向かって柵良は念を押すと、

「えぇっと、

 昔のことですから、詳しい場所までは…

 ただ、宿泊したのは間違いなく蔵王温泉ですし、

 それに樹の場所まで多少歩きはしましたが、

 歩いていける距離となると、

 そう遠くはないでしょう」

一つ一つ思い出すようして健一は答える。

「思い出の中の真実。

 それが真であれば良いがのぉ」

柵良の叔父が茶を啜りながら言うと、

「叔父上っ!」

すぐに柵良が嗜める。



米沢から蔵王までの移動はさほどかからず、

鍵屋たちは難なく蔵王温泉に到着すると、

「うーん、

 これが冬だったらなー

 ひと滑りするのになぁ、

 雪がないスキー場ほど寂しいものがない」

轟天号から降り立った健一は

大きく背伸びをしながら緑一色のスキー場を嘆くと、

「雪なら氷漬けの沼ノ端でイヤというほどみたであろう。

 もぅ忘れたのか?」

と柵良はあきれ顔で指摘する。

「場所が変わればですよ。

 それに沼ノ端だってあれだけ雪が積もることが判っていれば、

 ちゃんとエンジョイしましたよ」

「へぇ…

 でもあの街の中でスキーをされたらそれこそ迷惑じゃない?」

「里枝ちゃんだって、

 スキー用具一式抱えて沼ノ端に来たじゃないですか」

「余計なお世話です。

 あっそうだ!

 スキー用具!」

「どうした?」

「置きっぱなしで来ちゃった」

健一の指摘に里枝は自分のスキー用具を

置きっぱなしにしてきたことを思い出すと、

「あの状況下ではそこまで手が回らなかったでしょう」

と夜莉子は言う。

すると、

「鍵屋さんっ」

里枝は鍵屋の手を握り締め、

「わたしのスキー用具、大丈夫ですよね。

 結構高かったのよ」

と目を潤ませながら問い尋ねた。

『え?

 えぇっと、

 とりあえず、沼ノ端は時間停止状態にあるので、

 置いてきたものが無くなる。

 と言ったことは起こりません』

気迫に押されるように鍵屋は返事をすると、

「本当ですかぁ?」

さらに里枝は上目遣いで念を押す。

『だっ大丈夫ですっ、

 ちゃっ

 ちゃんと事前に回収いたしますので、

 ご安心ください』

彼女の視線から逃れるかのように

鍵屋は視線をそらし約束をすると、

彼の手を握っていた手がいきなり変わり、

「スノーモービルもお願いっ

 弁償させられると大変なのぉ」

と健一も目を潤ませながら懇願してきた。



『うわぁ!

 自分はべっ便利屋ではありません!』

健一に迫られた鍵屋は泣き叫ぶように声を上げると、

『きゃははははははは!!!!

 なに言いだすのよ?

 あなたっ、

 便利屋稼業しているじゃない!』

同じ頃、

沼ノ端の上空で玉屋の笑い声が辺りに響き渡ると、

『何がおかしいんです?』

笑い転げるラブリー・玉屋の元にハニー・イブキは舞い降りてきた。

『だってぇ、

 これ見てよ』

と言いながら玉屋はパッド型携帯端末を差し出し、

その中で録画していた動画を再生させる。

『轟天号からの実況を見ていたんだけど、

 鍵屋ったら自分で自分を否定してどうするのよ。

 それにすぐに書き込まれた轟天号のコメントも秀逸だわ。

 あぁ、もぅウケるぅ』

目から出た涙をすくいつつ玉屋は言うと、

『あらあら』

とイブキは呆れて見せる。

『おっかしぃ、

 ホント、

 彼は退屈させてくれないわ。
 
 そうだ、

 このことを地獄のヘル・ラインに書き込んで拡散拡散!』

そう言いながら玉屋は端末を操作をはじめだした。



「しかし、

 妙じゃのぉ」

鍵屋のやり取りの横で見ていた柵良は

合点がいかない表情をしてみせると、

『なにか、

 腑に落ちないことでも?』

と健一を押しやった鍵屋が尋ねる。

すると、

スッ

柵良は一本の祓い串を差出し、

「お主の記憶だけでは頼りないのでの、

 ここに来るまでずっと見てきたのだが、

 見ての通りピクリとせぬ」

と祓い串に動きがないことを指摘する。

「ひょっとして、

 これって探している樹の探知ができるのですか?」

祓い串を指さして健一が尋ねると、

「一応な、

 この祓い串は沼ノ端で樹怨が放った波動の中で晒したものだ。

 故に樹怨の波動を感知すると反応するのだが、

 鍵屋、お主が申しておる通り、

 牛島智也が遭遇した樹が樹怨由来のものであるなら、

 この祓い串に何らかの反応がある」

と柵良は説明する。

「それが何の反応もないのですね」

彼女の説明を聞いた巫女神夜莉子が聞き返すと、

「うむ」

「どれくらいの範囲を探知できるのですか?」

「場によりけりじゃが、

 どんなに悪いところでもおおよそ1里の範囲じゃの」

「1里?」

『現在の人間界の単位で4q四方ということになります。

 ですので半径2qの円内…と考えた方が良いですね。

 岬さんの話と、

 ここまでの移動量を加味すれば、

 この温泉地のどこかに樹があればその存在を検出できますね。

 ということは…』

「すでに樹は無い」

『それは最悪の結果です』

「もっと遠いところにあるんじゃないかな?

 とは地上をくまなく調べるのは大変か。

 いっそパパァっと空を飛べたらいいのになぁ」

空を見上げながら夜莉子は呟くと、

『できますよ』

それを聞いた鍵屋はあっさりと返事をする。

「え?

 空を飛べるのですか?」

『えぇ、

 あれを使えば…

 いやぁ、業屋さんに騙されて仕入れたアイテムがありましてね。

 いま玉屋さん達が遊んでいるアレです。

 女の子向けですし、

 あなたなら使いこなせるでしょう』

夜莉子に向かって鍵屋はそう答えると、

轟天号の中をごそごそと探したのち、

『これです』

と言いながらある商品を差し出した。



『かーわるんるんっ!』

アイテムが放つ声が辺りに響き渡ると、

「おぉ!」

「へぇ…」

『あは、すごいすごい』

驚く健一や里枝・トモエたちの前で、

「うわぁ、

 なにこれぇ!?

 ちょっと恥ずかしいよ」

紫を基調としたコスチュームに身を包んだ夜莉子は

顔を真っ赤にしてスカートを抑えていると

『お似合いですよ』

と鍵屋は笑顔で言う。

「鍵屋、

 本当にこれで空を飛べるようになるのか?」

柵良は問い尋ねると、

『あっ、はい、

 見かけによらず耐久性とパワーは抜群でして、

 既に玉屋さんたちはこれを使用して沼ノ端を守っています』

「なるほど、のっ。

 では済まぬがひとっ飛びくれぬか」

そう言いながら夜莉子に祓い串を渡すと、

「はーぃ、

 これもあたしの務めっ。

 フォーチュン・夜莉子っ、

 樹の調査に行ってきまーす!」

皆に向かって夜莉子は敬礼をすると、

腰から羽を広げるや、

空に向かって飛び去っていく。



「しっかし、

 すごい世の中になったな」

小さくなっていく夜莉子を見送りながら、

健一は感心していると、

「私たちの世界とあっちの世界の常識を混ぜないの」

と里枝は釘を刺した。

「ふーん、

 なぁ、鍵屋さん。

 あのアイテムはまだあるのか?」

『あぁ、

 あと1個あります。

 青いのが。

 そうだ、柵良さん、いかが…

 …ってそっか、柵良さんは』

健一の問いを受けて鍵屋が言いかけたところで、

ガシッ

いきなり鍵屋の首を柵良の腕がロックし、

「鍵屋…

 世の中には気付いて良いことと悪いことがある。

 折檻されたくなければ、

 これ以上言わなくてもよかろう」

殺気を漂わせつつ耳元で警告をする。

そして、

「わしの言うたことを理解したなら、

 首を2回縦に振るとよい」

そう付け加えると、

コクコク

鍵屋の首が2回縦に動いた。

「何をしているんです?」

その様子を見ていた健一が理由を尋ねると、

「いや、なんでもない

 のっ鍵屋」

と柵良は鍵屋に同意を求めると、

『そうですっ、

 なんでもありません。

 柵良さんがかつて美少女せ‥せ・せ・

 選挙管理委員会の議長を務められていたことは横に置いといて、 

 夜莉子さんに蔵王を徹底的に調べていただく必要がありますね』

鍵屋は棒演技でごまかしつつ返事をする。



「まーったく、

 空を飛べるのは嬉しいんだけど、

 でも、こんな格好をさせられちゃった上に

 樹の探査を押し付けられって」

祓い串を片手に空を舞う夜莉子はそう愚痴をこぼすが、

「沙夜ちゃんが見たらなんて言うかなぁ、

 笑い転げるかなぁ…

 それとも目を輝かせるかなぁ」

と沼ノ端で樹の姿にされた彼女を想うと、

スッ

その頬に涙が光る。

しかし、すぐにそれを拭ってみせると、

「とにかく、

 今は岬さんが言っていた樹を探さないと」

頭を切り替えて、

「よし、この辺で気配を…」

空中に止まった夜莉子は祓い串を構えなおして見せる。

だが、

「うーん、

 本当に何も反応もないよぉ」

柵良同様、

能力者である夜莉子は祓い串を通しての感覚に戸惑うが、

「あっちに行ってみよう」

とさらに蔵王の周辺をくまなく探すものの、

「うーん、

 全然見つからないよぉ」

全く反応しない祓い串に泣き言を言い始める。

結局、樹の波動を見つけることが出来なかった。



「おらぁ」

「やったなぁ」

『これでも喰らえ!』

その夜、枕が飛び交う中、

「ここと、

 ここと、

 ここはチェック完了。と」

『まだ確認していないのはこっちですね』

「もちょっと街の方を見てみますか?

 智也、サクランボ食べたがっていましたし」

「サクランボはもはや関係なかろう」

柵良、健一らによる作戦会議が宿泊した宿の一室で行われ、

「よし、これで行こう、

 夜莉子、すまぬがまた明日も頼む」

と柵良が枕投げに参加している夜莉子に向かって告げたところで、

ヒュン!

ボフッ

飛んできた枕が顔を直撃した。

「おぬしらっ!」

柵良の怒鳴り声が響き渡ると、

「おいっ、

 夜も遅いんだから、

 子供はさっさと寝る」

と健一が諭す。

『え〜っ、

 まだこれからなのにぃ』

トモエが不満そうに言うと、

『明日も早いんだから、

 さっさと寝ましょう』

分枝妖精が皆に声を掛ける。

「あっありがとう…

 えっと…」

健一が分枝妖精に礼を言おうとするものの、

その声を詰まらせると、

「どうかしました?」

と里枝が尋ねた。

「いや、

 彼女は呼ぶときってなんて呼べばいいのかなっと」

頭を掻きながら健一は分枝妖精を指さすと、

『そういえば、

 ちゃんとした彼女の名前聞いていませんね』

「でも、元は私だし」

「里枝ちゃん1号、里枝ちゃん2号と言うのは」

「真面目に考えてください」

『里枝さんの1文字を取ってでサトと言うのは如何です?』

鍵屋のその提案に

「うんまぁ」

「彼女がそれでよければ」

と分枝妖精を横目で見ると、

『なんですかぁ?』

空気を読んでか分枝妖精がやってきた。

『え?

 私の名前?』

「サト

 というのはどうかなぁとね」

『えぇ!』

「不満か?」

『だってぇ』

そう言いながら分枝妖精は里枝を見ると、

しばし黙り。

『いいわ、それで』

その言葉を残してトモエ達のところへと去っていった。

「何か言いたそうだったな」

サトと名が決まった分枝妖精を見送りながら、

健一と鍵屋は口をそろえる。
 


翌日、夜莉子による樹怨探査が再開され、

夜莉子は手筈通りに探査を実行していく。

しかし、

「ふぅ、

 もぅ調べるとことは全部調べたよ」

相変わらず手がかりが掴めないことについ愚痴をこぼしてしまうと、

「残っているとしたら山の向こうしかないか。

 こうなったら、

 山を越えて向こうに行ってみようか」

地図を眺めながら意を決すると、

シュンッ!

山頂の御釜を越えて反対側へと向かっていく。

そして、

分水嶺の尾根を越えて高度を下げ始めた途端、

サワッ

祓い串が反応を示した。



『はい、鍵屋です。

 え?

 祓い串が反応した?』

夜莉子からの電話に鍵屋の表情が変わると、

「なに?」

「見つかったの?」

「場所はどこじゃ?」

皆が一斉に駆け寄ってきた。

『山の向こう側?』

スマートフォンに耳を当てながら鍵屋は声を上げると、

『そうか!』

話を聞いていた轟天号は声を上げる。

「山の向こう側って?」

その言葉に里枝が聞き返すと、

『蔵王の温泉は2つある。

 一つはいま私たちがいる蔵王。

 もぅ一つは山の向こう側だ』

と轟天号は説明し、

『すぐに移動しよう』

と促した。



「フォーチュンっ、

 スターバーストォォ!!」

緑が生い茂る山中に夜莉子の声が響き渡ると、

流れ星を思わせる光が森の中を突っ切るが、

シュボッ!

ある場所でそれが消えてしまうと、

「きゃぁぁぁぁ!」

別の場所から夜莉子が縦回転をしながら飛び出していく。

「あぁ!

 まただ!」
 
大きく広げて空中で止まった夜莉子は臍をかみながら振り返ると、

「堅牢な結界って訳ね。

 これは結界のプロにお願いするしかないけど、

 でも、こんなに厳重じゃぁ

 ここが”当たり”と言っているようなものじゃない」

と軽く笑って見せる。

そして、

「でも、

 ここの緑はちょっとおかしいよね」

周囲の植生とは大きく違っていることを指摘したとき、

彼女のスマートフォンが鳴り始めた。

「はーぃ、

 フォーチュン・夜莉子でーす。

 え?

 下?」

電話を受け取った夜莉子が下を見ると、

森を縫って伸びる道の路肩に赤いクルマが止まっていて、

そのクルマの脇で人影が手を振っていた。

「あっ、

 ここが判ったの?

 早ーぃ」

轟天号が自分の真下にいることに驚くと、

「よく判ったわね」

と声をかけながら舞い降りていく。

「ご苦労じゃったの」

舞い降りた夜莉子に柵良が労うと、

「うん、

 柵良先生の祓い串と、

 その部分だけ生えている変てこな樹で一目瞭然よ」

 でも、相当強い結界が張ってあるね。

 思いっきり当たっても向こうにすり抜けちゃうから」

と腰の羽をリボンに代えて夜莉子は状況を言う。

『強い結界はそれだけ封印力があります。

 でも、その外側に残してしまったものには無力です。

 樹怨がこの世界に出るために利用したので、

 周囲の植生に影響を与えたのでしょう』

それを聞いた鍵屋は笑ってみせると、

『では、

 この鍵の匠がその堅牢なる結界を

 見事解きほぐして見せましょうか』

運転席から降りるなり鍵錫杖を取り出だして見せる。

「でも、本当に翠果の樹があるのでしょうか?」

念を押すように夜莉子が尋ねると、

「それは大丈夫!」

と里枝は言い、

「この二人を見て」

トモエとサトを指さした。



『ざわざわぁ〜』

『同じく、ざわざわぁ〜っ』

里枝に指をさされた二人は

まるで静電気のごとく髪の毛が逆立ち、

さらに体中をびっしりと若葉が埋め尽くしている。

「なにこれぇ?

 まるで樹の化生じゃない」

それを見た夜莉子が驚くと、

「トンネルを出た途端この有様よ。

 そう言うわたしもほらっ、

 この通り!」

そう言って里枝は自分の腕を見せると、

見事な鳥肌が立ち、

さらに毛の先が若葉のような緑色に染まり始めていた。

「もぅ樹ではない。

 そう思っていたんだけどね。

 こうして翠果の樹の気配に反応してしまう所を見ると、

 わたしにはまだ樹の要素が残っていたみたい」

驚く夜莉子に里枝は笑って見せると、

「うんまぁ、

 そういうことじゃな。

 こればかりはわしではどうにもならん」

横の柵良は言う。

すると、

『フォーチュン・夜莉子さん。

 申し訳ありませんが、

 上からエスコートしていただけませんか?

 樹怨が残した気が強すぎて

 結界の詳しい位置を把握できないんです』

と鍵屋が夜莉子に上空からの誘導を依頼をする。

「うん、

 判った」

その言葉を残して羽を広げた夜莉子が舞い上がると、

『さて、

 ここからは徒歩になります。

 轟天号。

 悪いですが留守をお願いします』

愛車に向かって鍵屋はそう頼むと、

『適当に流すことにするよ』

と答える。

そして、

『ではみなさん。

 参りましょう』

鍵屋はそう声をかけると山の中へと分け入っていった。



ザザザッ

ザザザッ

夏草が生い茂る山の中を上空の夜莉子からの指示を受けつつ、

鍵屋達は前へと進んでいく。

「この先に結界があるのか、

 でも、変だな。

 雪が積もっていたとはいっても、

 あの樹に近づくのはもっと楽だったぞ」

難行という言葉がピッタリの状況に

健一はつい愚痴をこぼしてしまうと、

「っていうか、

 向こうの蔵王から入ったんでしょう?

 どう考えても距離が合わないし。

 それに樹氷がある雪山を越えていくのは変よ」

と後に続く里枝は記憶の矛盾を言う。

すると、

「招き入れられたか」

会話を聞いていた柵良がそう言うと、

「招き入れられた?」

皆の視線が柵良に集まった。

「力のある化生がよく使う手じゃ。

 そうやって狙った獲物を己が縄張りに誘い込み、

 一気に憑りつくのじゃ」

「なるほど、

 じゃぁ、この状況は向こうに拒否られている。

 ということですか」

「まぁの、

 それ故、

 化生の本性が見て取れる」

「しっかし、智也が樹になる実を食べたのに、

 なんで里枝ちゃんのように樹にならなかったんだ?」

と健一は疑問を口にすると、

「…それは…

 翠果の実を食べてすぐには樹になりません。

 私も食べてから根や葉が生えて

 完全な樹になるまで時間がかかりました」

里枝は自分が樹になった時のことを言う。

すると、

『翠果の呪はいわば遅効性です。

 最初のうちは日に当たると気持ちが爽快になったり、

 土のにおいを好むようになります。

 そして、症状が進みますと、

 肌に葉緑素が入り込んで緑色に染まり、

 やがて樹の特徴…

 足から根が生えてきたり、

 肌から葉が生えたりしてきます。 

 そうなると人間の食事ができなくなり、

 根から養分を吸収するようになります。

 もはや日常生活が困難になり、

 ほとんどの場合、

 この時点で人間としての生活を諦め、

 樹として土に植わることを選択します。

 ここから一気に樹化が進みます。

 肌が木肌へと変化すると、

 体は樹の幹となり、

 腕は枝となって指一本すら動かなくなります。

 そして、日差しを目指して枝となった指から枝葉が茂り、

 根は養分と水を求めてさらに深くへと潜っていき、

 水分と養分を勢いよく吸い上げ始めます。

 次第に体の中は樹脂と樹液で満たされ、

 そして最後は…

 樹として生きていく上で不要なものを全て吐き出して、

 完全な樹となるのです』

「うっ」

鍵屋の説明を聞いた健一は表情を硬くすると、

「…体の中を満ちていく樹液に押し出されて、

 内臓が全部出ていくんです。

 その時が一番苦しくて、

 いっそこのまま殺してほしいと願いました。

 でも、動かない体はそれを許してくれず、

 臓物が次々と吐き出され、

 肺や心臓も出されていくんです。
 
 そのうち、視野がかすんでくると、

 目が押し出されて何も見えなくなり、

 耳がふさがって何も聞こえなくなると、

 口は開いたまま固まって行くのです。

 やがて、樹になった体は土の中に張った根から

 水分と養分を吸い上げ始め、

 空に向かって広げた葉で光を受けて糧にする。

 暑さを感じず、

 寒さを感じず、

 光が弱く短くなれば、

 葉が落ちていき、

 光が強くなって来きて、

 前にも話しましたが合図が来ると、

 一斉に剥けて新しい葉を広げる。

 自分の姿がどうなっているのか、

 智也からどう見られているのかを知ることができないまま

 それをひたすら繰り返すのです。

 それが樹になった者の生き方…」

「興味本位で聞いてしまってごめん」

里枝からの体験を聞いた健一は謝ると、

「サトは智也が吐き出された内臓を

 根元に埋めてくれたお蔭で生まれました」

結界の影響でもぞもぞ動く葉っぱの塊となったサトを

自分の肩へと誘って里枝は言う。

「うーん…

 そういう詳しいことは何も知らないからなぁ…」

頭をかきながら建一は里枝を見ると、

『過ぎ去ったことを言っても始まらないよ、

 いま出来ることをしよう』

とサトほどではないにしても

葉にまみれた姿のトモエは言う。



『はい、判りますっ、

 ここなんですね』

スマートフォンを耳に当てながら鍵屋が立ち止ると、

「ここに樹があるのか?」

と健一は目を凝らしながら周囲を見回して見せる。

「強い力を感じますが、

 でも何も見えませんね」

「うむ、

 結界としては上出来じゃ」

これまでの景色と何も変わらない様子に皆は困惑していると、

シャリンッ!

鍵屋は鍵錫杖を大きく掲げ、

『みなさん、

 下がっていてください。

 今から結界の開錠を行います』

そして、

鍵屋だけに許されている最高権限を持つ開錠呪文を詠唱するや、

『オープン・ザ・ユア・ロック!』

の掛け声と共に、

手にした鍵錫杖を振りかぶるとある一点を突く。

そして鍵錫杖を大きく捩じって見せた。

すると、

ガチャリ!

何かが外れる音が響き渡ると、

ブンッ!

森の景色が大きく引き裂かれ、

鍵屋の前に神々しく輝く一本の樹が姿を見せる。

『間違いない。

 翠果の樹』

地獄に生えている翠果の樹と同じ姿に鍵屋は近づこうとすると、

『わ・で・に・ぢ・が・づ・ぐ・な』
 (我に近づくな)

言葉にならない意思の声が響くのと同時に、

ボンッ!

強烈な花粉が辺りに吹き出し、

ビシッ

それと同時に鍵屋を阻むように新たな結界が張り巡らされた。

『この私に対して結界を張るとは』

それ見た鍵屋が再度開錠しようとするが、

だが肝心の鍵錫杖が鍵屋の手を離れ樹の側に取り込まれていた。

『しまった!』

そのことに気付いた鍵屋は臍を噛むと、

「里枝ちゃんっ!」

健一の怒鳴り声が響く。

『どうしました?』

その声に鍵屋は振り返ると、

「あっあっあっ

 いやぁぁぁぁ」

花粉を被った里枝の体が緑色に侵され、

緑色に染まったところから新芽が吹きだし始める。

「花粉じゃっ」

それを見た柵良が声を上げると、

「いやぁ、

 樹になるなんてイヤァァァァァ!!!」

悲鳴を上げる里枝の体が膨らみ出し、

その中で膨れ上がった新芽が

里枝が着ていた衣服を引き裂いてしまうと、

バリバリ

ビリビリ

ズザザザザ!!

智也たちに緑の塊となった里枝を見せつける。

そして、

ザワザワザワ…

彼女の足から白い根が噴き出すように伸びると

周囲の土の中へと潜りはじめる。

「あっ足が土の中に…

 やめて!」

必死になって里枝は枝葉が伸びて歪になった手を健一に向かって差し出すと、

「里枝ちゃんっ」

健一はその手を握り締めて構わず引き寄せる。

ガサッ!

ザザザッ!

樹が根元から引き抜かれるような音が響き渡り、

辺りに土の匂いと青臭い匂いが立ち込めてく。

「大丈夫か?

 里枝ちゃん」

お姫様抱っこをしながら建一は里枝に尋ねると、

「ひぐぅ、

 ひぐぅ」

樹化人間を思わせる姿になった里枝は泣きじゃくり始めた。

「鍵屋さんっ、

 一旦、引きましょう!

 このままじゃ、

 里枝ちゃんが本物の樹になってしまう」

鍵屋に向かって健一は怒鳴ると、

『いっ致し方がありません』

断腸の思いで鍵屋が添う決断しようとしたとき、

ガサッ

『この程度で狼狽えるなんて、

 見てはいられないねぇ』

葉の音を響かせながらサトが声を上げると、

『こらっ、

 あたしっ』

と葉先で里枝の頭を叩く。

「なっなによっ」

『あのさっ、

 あんたに生えた葉っぱや枝・根は樹怨由来じゃないこと、

 判っているんでしょう?』

「それがなによっ」

『だったらなぜ怯えているのよ』

「だって、

 葉や枝ならともかく。

 根が生えてきたのよ。

 根が土の中に潜って根づいたらどうするのよ。

 動けない体になるなんてイヤよ」

『逃げちゃダメだよ』

悲鳴を上げる里枝を諭すようにトモエの声が響き、

ガサガサガサ!

緑の塊が里枝に迫ってきた。

そして、

スッ

里枝の前に翠果の実を差し出し

『これを食べて、

 直ぐに』

と命令をする。

「何をする気だ?」

それを見た建一が声を上げると、

「なるほど、

 呪に侵される前に強い相手を取り込む気か」

と柵良は言う。

「え?」

その声に皆が驚くと、

「いま、お主を樹の姿にしようとしている呪はあの樹が放った花粉・呪じゃ。

 しかも直接働きかけて樹にしようとしているのではない。

 お主の中に残っている”樹”を活性化させているにしか過ぎない。

 じゃが、その実はあの樹の主である樹怨の実。

 どちらの呪が強いか自ずと判るであろう」

と柵良は指摘する。

「そっが」
(そっか)

柵良の言葉に里枝は冷静さを取り戻すと、

「でぼ、ごれを食べだら…」
(でも、これを食べたら…)

「お主、声が…」

里枝の声の変化に柵良は気づくが、

「えぇいっ、

 さっきお主が言うたであろう。

 その実を食べてもすぐには樹にはならないと、

 樹になるには時間がかかると、

 ならば、

 樹になりきる前に智也を助けるのがお主がすることじゃ」

その言葉に里枝はハッとすると、

ガブリ!

躊躇いなく翠果の実を齧った。



シュワァァァァァ…

程なくして里枝の体の樹化の速度が遅くなると、

トントン

里枝は合図で健一に下ろしてくれるよう頼んだ。

「大丈夫か、

 里枝ちゃん」

里枝のことを案じながら建一は下ろすと、

ザザザッ

ガサッ

「ぐっ」
(くっ)

よろめきながらも

樹の葉や枝が擦れる音を上げて里枝は立ち上がった。

「だっだいじょうぐ…よ…」
(だっ大丈夫…よ…)

樹化の進行によって喉が潰れたのか、

唸るような声を上げて里枝は

なおも抱きかかえようとする健一を制すると、

キッ!

と結界を張る樹を見据え、

「…あなだも」
 (あなたも)

「…もどは」
 (元は)

「…んにぃんぐぇんだったんでじょぉ」
 (人間だったんでしょう)

「…だぁっだらぁ」
 (だったらぁ)

「…わだじぃ…のぉ」
 (わたしの)

「…ぎぃもじぃぃ」
 (気持ち)

「…わがづぃでじょぉ」
 (判るでしょう)

呂律が回らなくなってきても

なおも強い口調で話しかけながら、

根が噴出した足を一歩一歩踏みしめて、

里枝は翠果の樹に向かっていく。

そして、

「…ざっざどぉ!」
 (さっさと)

「…どぉじなざぁい」
 (通しなさい)

の声と共に、

枝が伸び形が変わった手を結界に取りつかせると、

それを侵し食い込みはじめた。

そして、切っ掛けを作ると一気に引き裂いていく。

『わ・ら・わ・に・よ・る・な』

里枝に向かって樹はそう叫び、

結界の力を強めて抵抗するが。

「あ・ぎ・ら・め・る・がぁ!!!」
(あきらめるかぁ!)

里枝は一歩も引かず、

渾身の力を込めて結界を引き裂くが、

ブワッ

再び花粉が噴き出すと、

ビチっ

ブチブチ!

彼女の体から新しい無数の枝が突き出して伸び、

それが里枝の手足に絡まり、

結界を引き裂く手を引きはがそうとする。

だが、里枝は足の根を張り、

「ど・び・が・ぉ、
 (扉よ)

 い・が・げぇぇぇ」
 (開けぇ)

の声とともにあらんかぎりの力を込めると、

ビシッ!

張りつめた糸が切れたかのように結界は消え失せた。



ザザザ…

静寂が辺りが支配し、

光を失った翠果の樹と、

その樹の前で仁王立ちになっている樹が無言で立っていた。

『里枝さんっ』

それを見た鍵屋が慌てて駆け付けると、

上空の夜莉子も降りてくる。

「しっかりしろ、里枝ちゃん。

 ここで樹になっている場合じゃないだろう」

と健一が里枝だった樹をはたくと、

『慌てないのっ』

トモエが割って入り、

クイッ

とサトにここに来るように合図を送る。

すると、

ひょいっ

樹化した里枝の上にサトが舞い降り、

『よく頑張りました。

 あたしっ!

 ご褒美をあげるね』

と褒めながら、

里枝に向かって術を仕掛ける。

その術が効いてきたのか、

次第に里枝の樹化が解けて人の姿へと戻っていくが、

しかし、人の輪郭を取り戻したところで

『うーん、

 これが限界』

そう音を上げてしまうとサトはヘタれてしまった。

「もうちょっと頑張れよ。

 まだ葉っぱが体を覆ったままじゃないか。

 それに足だって根っこ張ったままだし」

サトに向かって健一は文句を言うと、

「完全に解けぬのは

 まさしく樹怨の呪のせいじゃな」

と柵良は指摘する。

『大丈夫です。

 結界は完全に消失しています。

 そして、ここから樹怨に向かって道が伸びています』

翠果の樹の周囲を調べた鍵屋はそう言うと、

「間違いはないのだな」

柵良は聞き返した。

『えぇ、この樹は樹怨の番人として、

 1万年前にこの地に根を下ろしたようです』

「1万年前って、

 縄文杉よりも遥かに先輩じゃないか。

 世間に知れたら

 これだけで世界自然遺産モノだぞ」

目を丸くして健一は声を上げると、

「でも、樹化人…

 元人間だった樹を世界遺産とはちょっとね」

眉を顰めながら夜莉子は言う。

『樹化人…樹化人の門ですか。

 確かに言えてますね。

 ただ、樹として長く生きてきたため、

 人間だった頃の記憶はほとんど失っているようです。

 そのため、格が上である樹怨の言いなりになってしまい、

 門番としての役目も樹怨のために働くようになり、

 さらに命じられるまま智也さんを誘い、

 翠果の実を取らせたのでしょう』

「なるほどのっ」

話を聞いた柵良は大きくうなづくと、

「里枝の方は大丈夫そうか?」

と健一に里枝の容態を尋ねる。

『ちょっと疲れて寝ているだけ、

 こんなの大したことないよ。

 同じ姿の私がそう言うんだから』

サトは木の葉の塊となった自分の体を叩いて言う。

「なるほどな、

 とは言っても、

 里枝ちゃんの足に根っこが生えたままだけど」

『だったら引き抜いちゃえ』

「いいのかよっ」

『根っこは飾りですっ、

 お偉いさんにはそれが判らんのです』

「トモエっ

 どこで覚えたんだよ、

 その言葉」

『夕べ、

 まくら投げの後だよ』

「ったくぅ

 里枝ちゃん。

 悪いけど引き抜かせてもらうよ」

気を失っている里枝に健一は声をかけると、

「いよっ!」

気合の声と共に

地に根を張っている里枝の体を引き上げる。

「そんなに深くまで根を張ってなかったから

 楽に抜けたな」

地面から引き抜かれた途端、

樹の堅さを失ったのか、

里枝は葉音を立てながら智也の腕に抱かれると、

「こっちはオッケーだ」

と声をあげた。

「さて、

 叔父上!」

それを聞いた柵良が叔父の僧を呼ぶと、

「我らはこれより樹怨の元に参る。

 誠に申し訳ないが…」

そう言いかけたところで、

「ここで門番をせい。

 と言うのだろ。

 まったくこの老骨に無茶を言いよるわ」

と返す。

「叔父上っ」

思いがけないその言葉に柵良は驚くと、

「さっさと行け」

僧は柵良達に背を向け、

その場に座り込んだ。

「忝い」

その叔父の背中に柵良は頭を下げ、

「鍵屋、

 行くぞ」

そして、頭を上げると

鍵屋に向かって声を張り上げた。

鍵屋が唱える詠唱が森の中に響き渡り、

その声が消えると。

森は静けさを取り戻していた。



「ふん。

 行きおったか」

静になった森の中に僧の声が響くと、

ブォンッ!

その静寂を引き裂くかのごとくエンジン音が響き渡り、

程なくして木を押しのけ草をかき分けて

轟天号が僧の前に飛び込んできた。

「なんと!」

突然のことに僧が驚くと、

『コエンマは行ったようだな』

とクルマの中から声が響く。

「置いていかれて癪に障ったか」

『いや?』

「ならば、お主も門番じゃ。

 酌をせい」



つづく