風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第八話:露天風呂遭難事件)


作・風祭玲

Vol.1105





ドゥン!

ゴワァァァァァ!!!!

夏の日差しが照りつける高速道を

1台のクルマが北を目指して走り抜けていく。

ォォォォォォ…

『………』

ハンドルを握る鍵屋は終始無言で、

エンジンの音と路面を蹴るタイヤの音が車内を支配していた。

一方、中央分離帯を挟んだ向こう側の車線では

警察・軍・TSF等の政府系安全保障組織の車両が物々しく南下していく。

『暑いですね。

 ちょっと、エアコンを強くしましょう』

そういいながら鍵屋が手を伸ばして操作を始めたとき、

不意に彼の手がナビケーションの操作卓に触れてしまうと、

車内にラジオニュースの声が流れ始めた。

その途端、

「!っ」

車内の空気が変わると、

『すみません。

 すぐに切ります』

それに気付いた鍵屋は急いでラジオを切ろうとするが、

「そのままにしてください」

と助手席に座る三浦里枝が制すると、

「沼ノ端は手が付けられない様子じゃのぉ」

ラジオニュースに耳を傾けていた柵良美里は

沼ノ端が置かれた状況をつぶやく。

「タウンヒーティングを使って追い払う。

 なかなか良いアイデアだと思ったけど、

 向こうが一枚上手だったか」

頭の後ろに手を回して岬健一はそう言うと、

「ところで、

 役場の人って言っていたんでしょう?

 そのプランを持ってきた人って」

夜莉子は樹怨への対抗法を提案してきた人物について言及した。

「あぁ、

 樹になってしまったんじゃないかな…

 どっちにしても時間が止まっているのだから、

 本人は何も感じないんだろうけど」

「しかし、妙じゃのぉ」

「何がです?」

「手際が良すぎるのじゃ」

「手際?」

「うむ、

 忘れられた存在の沼ノ端・タウンヒーティングを隅々まで知り尽くし、

 しかも、あの大雪で街が混乱しているさなか、

 端ノ湖畔の我らのところに赴き、

 いきなり攻めてきたはずの樹怨本体の弱点の指摘と、

 その制圧のための手段としてタウンヒーティングの活用を持ちかけ、

 しかも即実行のための手筈を整えていた。

 模範解答を示して見せる教師のようにな」

「…ずっと上から私たちを見ていたみたい」

「…向こう側の人間だったのか?」

柵良の指摘に皆の視線が鍵屋へと向けられる、

そして、

「鍵屋…

 お主は何か知っているのではないのか?」

と柵良は鍵屋を問いただすが、

考え事をしているのか彼からの返事はなく

「鍵屋?

 聞いておるのか?」

と柵良の呼ぶ声が車内に響いた。



『樹怨っ、

 あなたの夢を封印いたしますっ、

 ロック・ザ・ユァ・ドリィームッ』

樹怨が放った”呪”により、

沼ノ端の住民たちが樹の姿に変えられた光景を目の当たりにした鍵屋は

己が渾身の力を込めて封印術を発動させた。

瞬く間に辺りは闇に包まれ、

全ての光が途絶えると、

「おっおいっ、

 何も見えないぞ!」

「うろたえるなっ!」

闇の中に岬健一と柵良美里の怒鳴り声が響いていく。

『落ち着いてください。

 柵良さんが張られた結界内の私たちには何も危害はありません。

 ただし、その場から一歩も動かないでください。

 闇雲に動いて結界から出てしまったら闇に取り込まれます。

 いま光を放ちます』

皆に向かって鍵屋は声を上げると、

軽く気合を入れる声とともに、

ボッ!

青く燃える火が灯り、

淡く周囲を照らし始めた。

「あっ」

「おっ」

鍵屋が放った光に照らし出されたのは

 鍵屋

 三浦里枝

 里枝’(分枝が転じて生まれた妖精)

 トモエ

 岬健一

 柵良美里

 巫女神夜莉子

以上の7名(分枝妖精含む)であった。

『全部で7名ですね』

一人一人目で確認した鍵屋は結界内の人数を言うと、

「封印術を仕掛けたか」

と柵良は尋ねる。

『はい、

 樹怨の呪が沼ノ端の域外に広がる前に止めなくてはなりませんでしたので

 少々強引ではありますが沼ノ端全域の”理”を封印させてもらいました』

彼女の問いに鍵屋は答えると、

ヘタ

とその場に座り込む。

「おいっ大丈夫か?」

それを見た健一が案じると、

『申し訳ありません。

 沼ノ端にはあなた方のご家族が居るのに、

 こんな乱暴なことをいたしまして』

そう鍵屋は謝ると、

「あぁ、心配だけどな、

 ここからは出られないんだろう?

 封印とは一体、何をしたんだ?」

と健一は尋ねる。

『呪はいわばそれを放った能力者の希望。

 希望は夢であり魂であります。

 そして魂は”理”に従うものでありますので、

 ”理”を封印することで”呪”の進行を止めました。

 その結果、呪に侵された沼ノ端の時が止まり、

 光が消え闇に覆われたのです』

「時…時間が止まった?」

『はい、

 樹怨にこれ以上勝手にさせぬよう、

 強硬手段を執らせてもらいました。

 申し訳ありません』

座り込みながらも鍵屋は頭を下げると、

「智也は…どうなったの?

 この闇の中で封印されたの?」

智也について里枝が尋ねる。

『それは…』

その問いに鍵屋が答えようとすると、

『もぅここにはいないよ』

とトモエが言う。

「いないって?」

里枝は驚いた口調で聞き返すと、

『この闇に閉ざされる直前、

 差し出した手を引き戻すように樹怨は消えちゃった。

 智也も一緒にね』

闇の一角を見据えながらトモエは言うと、

スッ

指でその方向を指し示し、

『樹怨と智也はこの向こう、

 ハヤチネという所にいる』
 
と答える。

「ハヤチネ

 早池峰山かっ」

それを聞いた柵良が尋ねると、

『早池峰山。

 確かに樹怨はそこに封印されています。

 ってことは智也さんもそこに連れていかれたのか』

鍵屋は考える表情を見せる。

「行こうよっ

 すぐにっ、

 鍵屋さんのあの変なクルマなら

 あっという間に行けるでしょう」

と里枝は鍵屋に迫った。

『変なクルマって…

 確かに轟天号は変なクルマになっちゃいましたけど、

 ただし、

 行くにあたりこの場で解決しないとならない問題が2つあります。

 一つは私の轟天号の定員は2名であること、

 そして、もぅ一つは…』

そう鍵屋が言いかけたところで、

ブォンッ!

『私は変なクルマではない!』

闇の中からエンジン音と共にその声が響き渡ると、

ヘッドライトを輝かせながら

真紅の車体が鍵屋達の視界に入ってきた。

そして、

『私の定員なら変更することができるぞ』

と皆に向かって話しかけてきた。

「このクルマ、結界の外にいたよな、

 クルマは封印されていないのか?」

首をひねりながら健一は呟くと、

「それよりも

 いま誰がしゃべったの?

 クルマの中には誰もいないよね」

クルマの中に声の主が居ないことに夜莉子が驚くと、

『安心しなさい、お嬢さん。

 わたしはあなた方に危害を及ぼしたりはない』

と轟天号は言う。

「なんと、人工知能というわけか」

「いま気づいたけど、すごーぃ」

柵良と里枝も目を丸くして驚く。

しかし、

『ジュニア、

 ドレスアップキーだ』

轟天号は取り合わず鍵屋に向かって指示をする。

『ジュニアって、

 そろそろその言い方はやめていただけませんか、

 私にはちゃんとした名前がありますので、

 それにドレスアップキー…と言われても、

 補助座席でも出てくるんですか?

 って言いますか、

 2シーターのクルマにどうやって7人を乗せるんです?』

困惑した口調で鍵屋がキー探すそぶりをしてみせると、

シャァッ!

1台のミニカーが飛び出してくるなり、

鍵屋の手の中に納まった。

『わっとと』

『紹介しよう。

 シフトカーだ。

 シフトカーは君や私をアシストするのと同時に、

 私のドレスアップキーでもある。

 さぁ、ジュニア。

 シフトカーをキーモードにチェンジしなさい』

『チェンジって…』

轟天号の言葉に促されて鍵屋がシフトカーをいじると、

シャキンッ

とシフトカーが縦方向に二つに割れ、

表裏が返るとドレスアップキーへと変化する。

『ほぉ』

感心しながら鍵屋はそのキーを轟天号のキーボックスに差し込むと、

『ソイヤ!!』

の掛け声と共にその車体が変形し始め、

瞬く間に定員8名のワンボックスカーへと変化したのであった。

「すっげーっ」

「どういう仕掛けなの?」

2シーターのクルマが瞬く間に変形したことに里枝と健一は目を丸くすると、

『ドレスアップキーがあればこの通り、

 フレキシブルに対応できる』

と轟天号は胸を張るが、

『ちょっと、フレキシブルすぎませんか?』

当の鍵屋は顔をひきつらせていた。




「とりあえず

 これで全員がこのクルマに乗れるようになったけど、

 どうやってこの闇を突き抜けて早池峰山に向かうんだ?

 沼ノ端の街全体を封印してあるんだろう、

 ここは湖の近所だし、

 闇雲に突っ走って湖にドボンじゃ、

 話にならないぞ」

轟天号の車内を覗き込みながら健一が尋ねると、

『それなら大丈夫です。

 封印は法術に則って施錠されています、

 法術の流れに従って走れば表に出られます。

 ただし、

 先ほど私が言おうとした2番目の問題点があります。

 そう出ることは簡単なのですが、

 問題は戻ってくるとき。

 ここから出て行って早池峰山で無事解決し、

 樹怨の呪が消えたとしても、

 この封印が解けるわけではありません。

 そして、封印をかけたのは他ならない私なのです』

「なるほど、

 すべてが終わった後、

 またここに戻らないとだめなのか」

『はい、私がこの場所に戻り、

 封印を解除して初めて沼ノ端は元の姿に戻ります。

 その為には誰かがここに残ってもらい、

 戻ってくる私たちの道標になってもらう必要があります。

 黒蛇堂さんが一番の適任なのですが…』

「なら、鍵屋さん。

 あなたがここに残るのか?」

『じゃぁ、どうやってここから出るのです?』

「あっ」

「私が残りましょうか?

 樹になった沙夜ちゃんを残しては行けませんし」

『女の子を一人残すわけには』

「だったら、俺が残ろう。

 早池峰山に行っても足手まといだろうし」

『いえ、

 能力がある方ではないと…道標にはなりません』

「ならばわしかのぅ…」

『樹怨のところに乗り込むんですから、

 柵良さんが残られては困ります』

「うーん」

手を挙げるものが出尽くした時、

「おぉ!

 ここにおったのか」

の声とともに柵良の叔父である僧が

闇の中から浮き出るように姿を見せた。

「叔父上っ」

『そんな、

 封印された空間を生身の者が来るなんてありえない。

 どうやってここに来たんです?』

鍵屋は真顔で僧を質すと、

「なぁに、

 こいつに連れてきてもらったのよ」

と僧は追って姿を見せたネコの化生を指した。

「うわっ」

それを見た健一は思わず声を上げると、

『これだ!』

キセルを咥えるネコの化生から何かを感じ取った鍵屋はそう言い切ると、

すぐ化生の手を握り締め、

『悪いけど道標になってくれないか』

と懇願した。



「鍵屋っ、何を考えておる」

『この場に居て道標になってもらうというのは、

 孤独と戦うことになります。

 でも、彼なら大丈夫のような気がするんです』

柵良の質問に鍵屋は答えるが、

『?』

『?』

当の化生は左右を振り返り困惑してみせていた。

「うーん、

 依頼内容を理解しているのか怪しいな」

それを見た健一がそう指摘すると、

「鍵屋とやら、

 炬燵は持っておらんのか?」

と僧は尋ねる。

『炬燵ですか?

 あぁ、それなら』

心当たりがあるのか、

鍵屋は轟天号の中に体をもぐりこませると、

『地獄の銘木・血之池一本松を匠の鬼が削り出した逸品です。

 もし道標になっていただけるのであるなら、

 これを進呈いたします』

と言いながら

炎のごとく真っ赤に染まった櫓炬燵を化生の前に置いて見せる。

『!!っ』

その途端、化生の目つきが変わるや、

ゴロゴロ

と炬燵にすり寄り、

幾度も頷いて見せる。

「お主の依頼、引き受けると言うておる」

それを見た僧が鍵屋に化生の意思を伝えると、

『あっありがとうございます。

 では早速、炬燵にあなたの名前を刻みますので

 名前をお聞かせください?』

鍵屋は化生に尋ねる。

すると、

スッ

鍵屋の前に一枚の名刺が差し出された。

『なになに、

 あなたの冷えた心を温めます。

 無差別炬燵道・師範・地場衛?…チバエイ?

 見かけによらず固い名前なんですね』

と名刺を見ながら鍵屋はそう尋ねると、

「地場衛と書いて

 ジバニャンと呼んでくだされ」

と僧は口を挟んだ。



『これで懸案事項は解決したな。

 では、ジュニア。

 早池峰に向かおうか』

『ではみなさん、

 轟天号に乗ってください』

轟天号と鍵屋に促されて里枝たちが乗り込むと、

運転席に置いてあったスマートホンから呼び出し音が鳴り響く。

「ピンク色のスマートホン!」

「やだ、可愛いのを持っているんですね」

それを見た里枝と夜莉子は指摘すると、

『ナントカラインというのがやりたいからって

 玉屋さんに無理やり持たされたんですっ!』

と鍵屋は言い、

『この封印には巻き込まれなかったのか、

 相変わらず悪運が強いな。

 はい、もしもーし』

面倒そうに電話口に出た。



『あぁ、鍵屋?

 生きていた?

 派手にやってくれたわね。

 どさくさに紛れて私たちまで封印をするつもりだったでしょうけど、

 そうはいかせませんから』

封印された沼ノ端の上空、

腰より伸ばした羽を大きく広げて空を飛ぶラブリー玉屋は

嫌味を込めて言うと、

漆黒の海に没した沼ノ端を見下ろす。

『え?

 今から早池峰に向かう?

 樹怨のところに殴り込みに行くの?

 まったく、無茶しちゃって、

 あぁ、私はパスするから安心して、

 責任問題になったらアンタ一人に腹を切ってもらうつもりでいるから』

そう玉屋が話をしたところで、

TSFのファイターが彼女たちの目の前を通り過ぎていくと、

沼ノ端の上空に浮かぶ錠前めがけて攻撃を仕掛けた。

『TSFが今頃のご到着かぁ、

 雪が降っているときに動けばよかったのに、

 明確な目標が出てこないと動けないんだから』

とあきれた口調言い、

『うん、

 人間たちが今頃になって始めだしたよ。

 必死になってあんたの錠前を攻撃しているから、

 流れ弾に当たらないように裏口から出な』

そうアドバイスをする。

そして、

『あたしとハニーはここに居るから、

 気を付けて行っておいで、

 大丈夫だって、

 ラブリー玉屋は無敵なんだから』

と鍵屋に伝えると、

『まったく、

 男ってどうしてこう世話が焼けるのかしら』

髪を解く仕草をしながら、

玉屋は終話ボタンを押してみせる。



『沼ノ端の外が大騒ぎになったそうです』

スマートフォンを切った鍵屋は皆に向かってそう伝えると、

『さて、沼ノ端のことは無敵な玉屋さんたちに任せて、

 私たちは早池峰山に参りましょう、

 では、後を頼みます』

この場に残るネコの化生に向かってそう伝えると、

ブォォォン!

鍵屋達を乗せた轟天号は闇の中へと飛び出していった。

そして、化生は轟天号を見送ると、

『ふっ』

大きく咥えていたキセルを吹かした後、

ノテ

受け取った炬燵を抱えて歩き出すと、

すぐそばに立つ沼ノ端高校へと向かっていく。

そして、校長室の前で生える一本の樹の元にその炬燵を置くと、

化生はゆっくりと炬燵に足を入れた。

すると、

『おやぁ、

 新しい炬燵ですか。

 よろしいですな』

その声が化生の耳に微かに響いた。



「鍵屋っ!」

車内に鍵屋を呼ぶ柵良の声がこだますると、

『はいっ、

 何でしょう』

ようやく声に気づいたのか、

鍵屋の口から返事の言葉が出る。

「ハンドルを握りながら考え事か?」

やや呆れながら柵良が指摘すると、

『申し訳ありません』

そう鍵屋が謝ると、

視線の先にインターまで2kmの看板が迫ってきた。

「おぉ、もぅこんなところか、

 すまぬがの、

 この先の佐野インターで下りてくれないか」

と柵良が指示すると、

『はい?

 えっと、

 佐野で用事でもあるのですか』

困惑した口調でその理由を尋ねる。

すると、

「佐野と言えば、佐野ラーメン。

 それを食せずに佐野を通ることはまかりならん」

と柵良の叔父である僧が口を挟んだ。

『え?

 食事ですか?

 だって、さっき寄った羽生のサービスエリアで…』

その言葉に鍵屋は先刻立ち寄ったサービスエリアで

柵良達が食事を取ったことを指摘しようとすると、

「腹が減っては戦は出来ぬ。

 ほれ、北関東・東北地方のご当地B級グルメをくまなく網羅しておる、

 この”日本全県味めぐり・グルメの細道”を進呈しよう」

と柵良はガイドブックを差し出した。

すると、

「おぉ、すまんの」

の声と共に叔父の僧が手を伸ばし、

そのガイドブックをひったくるなり、

「まずは佐野のラーメン。

 続いては宇都宮のギョーザ。

 おぉ、そうじゃ。

 日光に立ち寄って老舗ホテルのオムライスでも食せぬか」

と提案をしてきた。

『かっ、各駅停車じゃないですかっ』

それを聞いた鍵屋は肩を震わせると、

「いっ、いっ、いい加減にしてください!」

助手席に座る里枝が怒鳴り声をあげた。

その声に皆が口をつぐむと、

「私達は旅行をしているんじゃないんですよ。

 智也を…

 いいえ、沼ノ端の人たちのために

 樹怨がいる早池峰山に向かっているんでしょう?

 それなのに

 のんびりとご飯を食べ歩いている場合じゃないでしょ」

と声をあげた。

「早池峰といえば岩手っ、

 岩手といえば盛岡冷麺じゃな」

ガイドブックをめくりながら叔父の僧がつぶやいた途端

ドコッ!

柵良の鉄拳が僧の頭上に炸裂し、

「叔父上は少し黙っててください」

と念を押すように言う。

そして、

「お主の焦る気持ちはわかる。

 じゃがのっ、

 実質的に人質を取られ、

 圧倒的に向こうが有利である状況を覆すとなると、

 闇雲に押しかけてもダメじゃ。

 丹念にどんな小さな情報をも漏らさず集め、

 事態の全容を正確に把握し、

 そして対策を立てる。

 焦ってはダメじゃ」

「だからと言って」

柵良の言葉に里枝は不満そうにすると、

『確かに…樹怨の本体は早池峰山にあります。

 地獄の関係者でも半ば忘れられていた情報なのに

 今回の騒ぎで知られるようになってしまった。

 そう言うリスクを承知で樹怨は智也さんを拉致していった。

 それほどまでに智也さんの価値があるというわけです。

 となると、

 早池峰山には何らかのトラップが仕掛けられていると思います。

 私たちをこの世から永遠に消し去るためのトラップが』

鍵屋はそういうと、

「怖い…」

夜莉子はそうつぶやき身を縮こませる。

すると、

『かーれ木にぃ〜

 はーなをぉ〜

 咲かせぇ〜

 ましょぉ…』

分枝妖精が里枝に肩の上で歌い始めた。

「どうした?

 樹怨の歌なんぞ歌い始めおって。

 カラオケにでも行くか?」

『いえ、

 この歌が響きはじめると、

 ”理”がざわつんです。

 この歌を聴いていたときは

 歌の主が樹怨であることには気づきませんでしたが』

「枯れ木に花を咲かせましょう。

 これは花咲爺さんの歌ですね」

巫女神夜莉子が指摘すると、

『ねぇ、あなたも覚えているでしょう?

 人間達で言う春というのが来る直前。

 山の木々の根元を撫でていくあの感じ』

分枝妖精は里枝に樹木の間に早春に起こる感覚を尋ねた。

『なんですかそれ?』

鍵屋が尋ねると、

「え?

 あぁ…

 なんて言うのかな、

 ピリッと痺れるというか、

 そういうのが山の奥の方から波紋を広げるようにやってくるんです。

 ちょっと根が気持ちよくなって、

 ちょっと変な気持になっちゃうそんな感じ…

 それが走り抜けると、

 また次がやってきて、

 そして、また次がやってくる。

 まるで眠っているものを起こすように何度もやって来るんです。

 すると、

 根がムズムスしてきて、

 それを解消するかのように一気に水を上げ始めて、

 上がった水は脈を通じている枝の先をズンズンと押んです。

 そうそう、

 冬の間、樹は何もしていないわけじゃないんですよ。

 冬は樹にとって蓄えの時なんです。

 土の養分を吸い上げて枝先に貯めて、

 それが溢れたら幹に溜まっていくんです。

 養分でパンパンになったところで、

 水が上がってくるんですから、

 もぅ爆発直前。

 それがちょっとしたきっかけで一気に剥けるんですよ。

 ズルリとね」

そう里枝が芽吹きの感覚を言うと、

「やだぁ、
 
 エッチ!」

と夜莉子は頬を赤らめながら声を上げた。

「そういうわけでは…」

その声に里枝は困惑して見せると、

「芽吹きの時の樹の感覚って

 聞いたことが無いからな、

 面白いよ、里枝ちゃん」

と健一は目を輝かせ、

「で、剥けるとどうなるんだ?」

そう聞き返した。

「いったい、何を期待しているんですかっ、

 剥けたら一気に葉が広がっていくんですよ。

 枝中からぱぁーとね。

 それだけですっ

 でも、智也に植えられて樹になったとき。

 この手の皮膚を突き破って初めて葉が生えたときは、

 痛くて仕方がなかったけど、

 次の春。

 枝となった指から葉が生えたときはその感覚でした。

 あの頃はまさか人間に戻れるなんて思ってもいませんでしたから、

 あぁ、これを何度も繰り返していくんだな…

 って思っていました。

 樹って…当たり前だけど、

 動けない。

 見えない。

 聞こえない。

 言えない。

 触られても明確にそれを感じることも出ない。

 そして何より、

 時間というものの感じ方が違ってました。

 この時間の感覚の違いが怖かった」

「感覚の違いですか?」

里枝の話に鍵屋は聞き返すと

「はい、

 いまこうして皆さんとおしゃべりすることができるのは

 人間として同じ時間を共有しているからなんです。

 でも、樹はさっきも言いましたが、

 本当に何も出来ない。

 できることと言えば

 葉を広げて枝を伸ばすぐらいしかない。

 でも、その代わり、

 持てる時間は途方もなく長いんです。

 いえ、引き伸ばされている。

 そういったほうが良いかもしれません。

 ふと目を覚まして、

 何かを考えて、

 何かを思う。

 それだけで何日が過ぎたのか、

 すでに1ヶ月が過ぎているのかもしれません。

 それだけ樹の時間の感じ方が違うんです。

 私、樹になる前はそんなこと考えてもみなかった。

 智也に植えられて、

 足から根が生え、

 手が枝となって葉を茂らせ、

 体が幹となり、

 樹として生きることに必要の無いものをすべて捨て、

 本物の樹として生まれ変わったとき、

 初めて気づいたんです。

 樹の時間と人間の時間の違うことの怖さが。

 樹になったばかりの頃は私と智也は同じ時間にいた。

 でも、次第に私と智也の時間が離れ始め、

 智也の存在が時の流れと共に消えてしまっても、

 私は山の中でいつまでも葉を茂られている。

 そんな姿になることが怖くなったのです。

 もっと智也とお話をしたい。

 もっと智也と触れあっていたい。

 できる限り智也と同じ時間の流れにいたい。

 だから、智也が巻き込まれたとはいえ

 なにかと私にコンタクトしてくれていたことが嬉しかったし、

 そのお蔭で人間の感覚を失うことがありませんでした。

 あっごめんなさい。

 変な方向に話が行ってしまいましたね」

話の流れを自分語りにしてしまたことに里枝は恐縮して見せると、

最後に、

「夜莉子さん。

 樹にとってエッチになるのは、

 お花を咲かせるときですよ」

と付け加える。

「ほぅ…

 その辺、詳しく知りたいな」

「あのねっ

 うん、

 でも、花が咲くとき。

 やっぱり、普通とは違う感覚だったなぁ

 樹は動けないから進んでエッチはできないけど、

 でも、時が来ると至る所が昂揚してきて

 それがツンと刺したとき、

 蕾が膨らんで、って何を言わせるんですか」

「ほほぅ、

 花のプリンセス…

 なんて絵本があったけど。

 そっか、

 樹からしてみれば、

 樹をその気にさせて無理矢理花を咲かせてしまうのだから、

 とんでもないエロ本だったというワケか」

「もぅその辺で良かろう。

 なるほどな…

 しかし、牛島智也が樹怨の影だったというのは、

 因果というわけじゃな。

 あっ鍵屋。

 佐野インターじゃ。

 ウィンカーを点けい」

里枝の話に頷きつつ柵良はインターの出口を指さした。

『やっぱり、下りるんですね』

鍵屋は諦めの口調で返事をした。



『いま戻った』

閻魔大王庁の執務室に副指令のジョルジュの声が響くと、

『ご苦労だったな』

机に両肘をつき口の前で手を重ねるポーズで閻魔はねぎらう。

『あれの封印には巻き込まれなかったようだな』

『直前に脱出した。

 樹怨のシナリオの片棒を担がされたことは少々癪に障るが、

 あのような事をされて致し方があるまい。

 樹怨も同じように手を引いたが、

 さてコエンマはどう出るかな?』

『いま早池峰に向かっている』

『そうか、

 足が早いな』

『いつまでも子供ではない』

『しかし、樹怨は君の…』

『あぁ、かつて妻だったものだ』

『未練はないのか?』

『答える義務はない』

『素直じゃないな。

 まぁ君らしいといえるが、

 彼女がコエンマにどう接するか、

 心配にはならないのか?』

『………』

『まぁ我々が手を出せば

 どう転んでも悪い方向にしか進まないか、

 こうなったら、 

 コエンマに期待するしかないか。

 あっそうそう、

 轟天号の基幹システムを書き換えといたよ。

 コエンマにはよい刺激になるだろう』

『そうか、

 久しぶりに目覚めて、

 何か言っていたか?』

『あぁ、

 君がまだ縁起物を集めているのか気にしていたぞ』

『それこそ余計なお世話だ』

ジョルジュの言葉に閻魔はそう答えると、

びっしりと縁起物が置かれた壁際の棚を見る。

『地下の命の灯の間…

 その隣にある”忘れられた部屋”にもまだあるんだろう?

 彼女…イナザミと集めていた縁起物が。

 女子職員が時折その部屋で行方不明になるそうだが、

 空間の維持は大丈夫か?』

とジョルジュは心配すると、

『問題はない』

閻魔は短く答える。



「さすが、米沢っ

 旨い肉であった」

米沢牛の幟が立つ店から、

満足そうに僧が出てくると、

『人間ってこういうのもおいしいと感じるの?』

「えぇそうよ」

「あたしもぅおなか一杯」

トモエ、里枝、夜莉子達が追って店から出てくる。

『佐野、宇都宮、日光、田島、会津、郡山、福島、米沢…

 ふぅ…

 ここから一気に仙台に行きませんか?』

指折り数えながら鍵屋は提案すると、

「待て鍵屋っ、

 牛タンは確かに大事ではあるが、

 その前に口直しのデザートが必要じゃ。

 ここは山形に出でて佐藤錦を食し、

 胃腸を整えた上で牛タンに仕掛かるべきと

 わしは思うがいかに」

と駐車場の轟天号の前で柵良は言う。

その時、

「佐藤錦?」

急に健一が思案顔になった。

「どうした?

 佐藤錦になんぞ因縁でもあるのか?」

それを見た柵良が理由を尋ねると、

「いや…

 なぁ、里枝ちゃん。

 以前、山形で佐藤錦…サクランボを食べたことがあったよな」

と健一は里枝に問い尋ねた。

「山形?

 サクランボ?

 うーん、記憶にないわ。

 あっでも、

 岬君たちスキーか何かで山形に行ったんじゃなかったっけ?

 ほら、大学時代に」

「そっか、大学…

 あっ!」

それを聞いた健一が何か思い出したのか声を上げると、

「ん?」

皆の視線が彼に集まる。

その直後、

「智也の露天風呂遭難事件!」

健一と声を上げた。



『なっなんですか、

 それは』

困惑気味に鍵屋は聞き返すと、

「ずっと昔になるけどな、

 大学時代この先にある蔵王温泉に

 智也とスキーに来たことがあったんだ。

 まぁ、サークル仲間の貧乏スキー旅行だったけど、

 そっか、里枝ちゃんは不参加だったか」

「事件顛末はあとで聞きましたけど、

 で、智也が露天風呂で遭難したんでしょう?

 しかも女風呂で…一体何をやったのだか、

 智也にそのことを聞いても

 知らない。

 の一点張り、

 でも、遭難したのって蔵王温泉だったっけ?

 遠野の温泉じゃなかったの?」

「遠野…

 そぅそぅ、これがまた不思議な事件だったんだ。

 あいつが行方不明になったのは間違いなく蔵王温泉。

 夜中にいきなり起きてな、

 歌に呼ばれたからちょっと露天風呂に行ってくる。

 そう言い残して消えたんだよ。

 そして、そのまま本当に消えたんだ、アイツ」

「神隠しか」

「冬だし、

 樹氷があるくらいだから当然周囲は雪が積もっている。

 そんな中、浴衣一枚で姿を消したから、

 大騒ぎになったんだ。

 けど、翌朝。

 智也は発見された。

 はるか遠く離れた遠野の温泉でな、

 女湯の露天風呂に浮かんでいたのを

 宿の従業員に発見されたんだよ」

『遠野…』

健一の言葉に鍵屋は思案顔になると、

『…マップを表示しよう』

轟天号はナビケーションシステムに東北の地図を表示した。

そして、

『ここが蔵王温泉。

 で、ここが遠野の温泉』

表示されたマップを指さしていく、

と、その時、

「ちょっと待って」

里枝は声を上げると、

「遠野の上…北にある山って」

『早池峰山ですね。

 遠野・早池峰山から見れば蔵王は鬼門角か…』

「ただの偶然じゃないようだな…」

「じゃが待て、

 いきなり紐づけるのは危険じゃぞ、

 岬殿、

 牛島智也は”歌に呼ばれたから”そう言い残してて消えたのだな」

「あぁ…」

「もし、呼んだのは樹怨だとして、

 なぜ、牛島智也なのだ?

 他の者は呼ばれておらんのか?

 誰ぞ、樹怨の歌、もしくは声を聞いてはおらんのか?」

「言われてみれば…」

「なぜ、牛島智也だけが呼ばれたのか、

 そこを解決せねばならん」

「うーん」

「ねぇ、さっき佐藤錦でこの遭難事件のことを思い出したよね、

 サクランボと遭難事件って何か関係があるの?」

「あぁ、智也がな。

 蔵王に向かう途中、

 せっかく山形に来たんだから、

 少し足を伸ばしてサクランボ食べないか。

 って言いだしてな」

『冬にサクランボですか』

「あるわけないじゃない」

「だろう?

 で、サクランボを探したんだけど、

 アイツが納得するものが無くてな、

 だけど、諦めきれない様子だったけど、

 蔵王に着いてからどこで見つけてきたのか、

 サクランボより面白い木の実を見つけた。

 って変な木の実を持ってきたんだ」

「変な木の実?」

「あぁ、

 人の姿をした樹に生っていた。っていうから、

 見に行ったんだ。

 まぁ確かにその樹は見つかったけど、

 でも、人の姿というには…ほど遠かったな。

 ほら、

 ご神木していた頃の里枝ちゃんの方が人の姿していたよ」

「そういう褒められかたされてもあまり嬉しくない。

 で、樹には実は生っていたんですか?」

「あぁ、

 確かに生っていたよ

 アイツいきなりそれを齧って見せてな、

 味はそこそことか言っていたな。

 遭難事件はそれからすぐだよ」

「囓って…って、

 智也、その実を本当に食べたんですか」

「え?

 あっあぁ…

 食うか?

 って実を一つ渡されたけど、

 食べる気はしなくて捨てたよ」

「ちょっと待って!」

健一から話を聞いた里枝は声を上げると、

自分のバックを開けて何かを探し始める。

そして、

「ねぇ、

 ひょっとして智也が齧った木の実ってこれと同じモノ?」

そういいながら里枝は震える手で木の実を差し出した。

「ん?

 あっ、

 これだこれ!

 里枝ちゃん。

 どうしたのこの木の実?」

木の実を見ながら健一はそう言うと、

『それは…』

それを見た鍵屋は目を大きく見開き、

『里枝さん…

 その、木の実はどこで手に入れました?』

と尋ねる。

「樹怨に…

 樹怨から貰いました。

 これを食べて樹になれば智也に会わせると」

『まさかっ』
 
里枝の返事を聞いた鍵屋は表情をこわばらせると、

「里枝ちゃん。

 ひょっとしてその木の実は」

「翠果の実です。

 鍵屋さんはよくご存じのはず」

と里枝は言う。

「え?」

「なんじゃと」

彼女の言葉に皆の視線が一斉に向けられると、

『この実は地獄に生える樹の実。

 地獄の獄卒…鬼たちにとっては疲れを癒すただの果物なのですが、

 しかし、人間がそれを食してしまうと…』

そう鍵屋が説明をしたところで、

「はい、

 私はこれを食べて樹になりました」

と里枝は言う。

「それが…」

皆の目線が釘付けになる中、

「智也が…

 あの木の実を食べていただなんて」

里枝は動揺を隠せなかった。



つづく