風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第七話:沼ノ端封印)


作・風祭玲

Vol.1104





大雪に見舞われた地獄界。

地獄名物の針の山も血の池も白一色に塗り替えられると、

日ごろ亡者を追い立てている獄卒たちは大雪になす術も無く

亡者とともに身を寄せ合い震え上がっていた。



”非常事態警報発令中”

地獄界を司る閻魔大王庁。

警報発令を伝える情報ディスプレイに幾重にも影を落として

職員たちはあわただしく動き回っているが、

鍵屋は一人で大王庁の一室にこもっていた。

『あーもぅ、

 やめだ。

 頭のギアが全然入らない』

デスクワークに没頭していた彼が不意にその声を上げると、

バサッ

手にしていた資料ファイルを放り投げ、

頭の後ろに手を組みながら、

ギシッ

椅子を倒し体を預ける。

『はぁ…

 Dr・ナイトの弁護を担当する。と意気込んではみたけれど、

 色々やらかしている分、一筋縄じゃいかないし。

 さて、どーすっかなぁ…』

天井を見上げながら鍵屋は引き受けてしまった仕事量の大きさに

ついぼやいてしまうと窓の外に視線を向ける。

白一色の外の世界。

もし雪が無ければ彼の知り合いであるカジの翠果園が広がっているはずだが、

しかし、雪に覆われた翠果園にはあるはずの翠果の樹の姿はなかった。

雪に覆われる直前に突然現れた鳥の襲撃を受け、

収穫前の翠果の実もろとも全滅してしまったのだ。

『…あの鳥は記憶に間違いがなければ八咫烏。

 …八咫烏の主は検索したところ樹怨となっています。

 …そして、樹怨は1万年前に”理”の流れを阻害し封印された神格者。

 …けど、命の部屋で輝く樹怨の光と同じ波動の光が別の所で輝いていた。

 …記録の追跡によりその光を持つ者は17年前に鎮守の森にて結界を操作し、

  結果、三浦里枝が翠果の実を食してしまった。

 …また世界のすべてを見通せる黒蛇堂・白蛇堂の失踪。

  この事件の発生時の記録を辿ると先ほどの光の痕跡が伺えます。

 …地獄で降るはずのない大雪。

  雨や雪などの”気”の操作は封印中の樹怨が行える専権事項。

 一見するとそれら事象を結びつけるものがないように見えるけど、

 でも、ある一本の糸が透けて見えます』

不意に鍵屋は頭をグシャグシャに掻きまわすと、

『…だぁぁ!!』

と声を上げ、

そして、

『牛島智也…

 君がこれらの事柄が織りなす図形の重心。

 だというのであるなら辻褄は合います。

 しかし、もしそうだとしたら、

 君は君の手で結界をこじ開け、

 里枝さんをあの樹へと招き、

 そして翠果の実を食べさせたことになる』

白い世界を映る窓を眺めながら鍵屋はそう呟くと、

徐に立ち上がり、

『この仮説を肯定するにも、

 否定するにも、

 必要となるパズルのピースがまだ足りません。

 やはり私が上に行った方が良かったのでしょうか。

 玉屋たちに任せましたが心配です。

 樹怨についてもっと情報を集めないと、

 このような場合、

 一つ対応を間違えただけで取り返しが付かないことになります』

と案じた。

すると、

ガチャッ

不意に部屋のドアが開け放たれた。

『ど、どなたですか?』

ドアに向かって鍵屋は声を掛けると、

『あー、

 ここにいた』

の声とともにイブキの上司であり、

閻魔大王庁・技術部部長のアカギが入ってきた。

『アカギさん?

 どうしたんですか、

 いきなり』

きょとんとしながら鍵屋は理由を尋ねると、

『鍵屋、

 悪いけどひとつ仕事をお願いするわ』

と切り出した。

『仕事、ですか?

 申し訳ありません。

 いまは見てのとおり重要案件に集中していますので、

 イレギュラーなご依頼はお断り…』

そう言いかけたところで、

『わしからの依頼だが、

 無理かね?』

の声とともに副指令・ジョルジュが顔を出した。



『人間界に…

 副指令を送り届けるのですか?

 またなぜ?』

湯気が立つ湯飲みをすすりながら鍵屋は聞き返すと、

『沼ノ端で樹怨が動き出したわ』

と湯呑を持つアカギは言う。

『え?』

その言葉に鍵屋は表情を強張らせると、

『もっとも沼ノ端に出現した樹怨はあくまでも影。

 本体は封印場所でもある早池峰にいるわ』

『しかし、影とはいえ、

 喧嘩を仕掛けてきた嵯狐津界の重鎮コン・リーノを

 赤子の手を捻るかのごとく潰し、

 救援に駆けつけた嵯狐津姫との間で一戦を交えておる』

アカギとジョルジュは交代でそう説明をすると

モニターに沼ノ端の様子を映し出した。

その途端、鍵屋の顔から表情が消え、

『あのぉ〜』

とモニターを指さした。

『鍵屋、

 情勢は常に動いています。

 嵯狐津姫はコン・リーノ回収を第一とし、

 速やかに嵯狐津界へと撤収してました。

 現在、樹怨と交戦しているのは、

 玉屋と私の部下であるイブキです』

アカギは無表情で言い切る。

『…そぅ…ですか』

それを聞いた鍵屋はモニターに視線を戻すと、

『なに…をやっているんですか?』

と呆れたようにつぶやき、

やがてワナワナと肩を震わせながら、

『玉屋さんっ

 私はそう言うことをしてくれ。

 と言った覚えはありませんっ。

 もぅ、見てはいられませんっ、

 私が行きますっ!

 行ってこんな馬鹿げたことを止めさせますっ』

怒鳴り声をあげて立ち上がった。

その途端、

『その通りです。

 時は急ぎます。

 沼ノ端直通のユグドラシル・レインボーライン超特急トッキューOを抑えてあります。

 これがそのチケット。

 トッキューOにはカーゴを併結するよう手配いたしましたので、

 あなたの愛車・轟天号とは駅で待ち合わせをしてください』

鍵屋の勢いに合わせるようにアカギは手際よくチケットを渡すと、

『行くと決めたら

 さっさと行くっ』

の声とともに鍵屋を追い出した。



『やぁ!』

鍵屋たちが駅に到着すると、

彼の愛車・轟天号は先回りしていて

学生服を着た少年の姿で明るく声をけてきた。

『のんきに

 やぁ!

 ではなぁいっ!』

その行いに鍵屋は眼鏡を光らせながら関節技を仕掛けると、

『仲はよさそうだな、

 まぁスキンシップはその程度で十分だろう』

とジョルジュは笑いながら自転車を背負う轟天号を眺める。

そして、

『ふむ』

頷くと、

『これから樹怨の所に行くというのにその装備では心もとない。

 これを使いなさい』

と鍵屋にあるものを手渡した。

『これは…』

手にしたものを見た途端、

鍵屋の顔に緊張が走ると、

『不満かね?』

と問い尋ねる。

『いえ、

 そのようなことは…

 ただ鍵を生業とする者である以上、

 鍵の素性は見るだけで分かります。

 しかし、この黒のドレスアップキーとは』

『許可は取ってある。

 さっそく使うといい』

ためらう鍵屋の背中を押すように肩に手を置き軽く叩く。

『はぁ』

それを感じながら鍵屋は手にしたドレスアップキーを見つめ、

改めて愛車を見つめると、

『樹怨とはそれほどのものなのか、

 よし、

 行くぞ、R!』

と声を張り上げ、

愛車の胸についている鍵穴にドレスアップキーを差し込んだ。

カチン!

何かが開錠される音が響くと、

ドンッ!

激しい放電とエナジーの流入が轟天号を襲い、

『あひぃぃぃぃぃ!!!!!』

彼の悲鳴と

『あうっあうっあうっ』

続いてあえぐ声が響いた。

そして、次第にその姿が変わっていくと、

轟天号は真紅ボディに流線型のフォルムを持つ

パワー溢れるパワーカーへと姿を変え、

ブォンッ!

低く響くエンジン音とともに

真新しい車体を輝かせると、

『待たせたね、ジュニア。

 私は轟天号マーク2Rだ』

鍵屋に向かってナイスミドルの声で話しかけてきた。

『本当に轟天号なのか?』

驚くほどの変貌を遂げた愛車の姿に鍵屋は驚くと、

『ほぉ!』

ジョルジュは感心した表情を見せ、

『さて、列車の時間だ。

 詳しい話は中で話そう。

 早く乗車したまえ』

鍵屋と轟天号マーク2Rに話掛け、

改札口へと向かって行った。



ゴウン

皆を乗せた超特急トッキューOは静かに地獄を発車し、

一路沼ノ端目指して加速を始める。

『大雪にも拘わらず、

 定刻の出発とは大したものだ』

カーゴの車内より雪に埋もれる地獄を見ながらジョルジュは感心してみせると、

『で、話とは』

と鍵屋が切り出した。

すると、

『久しぶりだね、

 ジョルジュ』

と轟天号が落ち着いた口調で話しかけてきた。

『まぁ、

 相変わらずこんなことをしているがね』

『閻魔は…

 相変わらず縁起物を集めているのか』

『あぁ、

 あの癖は治らないな』

『地獄を統率する者がそれでは示しがつかないだろう』

『個人の趣味までは干渉できんよ』

などと二人のとりとめのない会話が続き、

『あのぅ…

 お話とは』

しびれを切らした鍵屋が割って入った。

『あぁ、すまんすまん。

 つい話が弾んでしまった』

『気にするな、ジュニア。

 私たちはかつての仲間だ』

『そうですか…

 で、お話とは…』

『うむ、

 これから我々が相手をする樹怨のことだ』

とジョルジュは鍵屋に言うと、

『封印されて大人しくていたのが

 急に具現化したそうだな。

 何があった?』

轟天号が聞き返す。

『それは彼が鋭意調査中だ。

 ところで

 君は命の灯の部屋には行ったかね?』

『はい?

 はぁ、参りましたが』

『ふむ、

 そこで、あの光は見たかね?』

『光…』

彼の言葉を聞いて鍵屋は

胸につかえていた物が一気にこみ上げてくると身を乗り出し。

『命の灯の部屋の光のことを尋ねられる。ということは、

 私が神格者の間にて見た光の素性と、

 もぅ一つの光について答えて頂ける。

 ということですね?』

と念を押す。

『その様子では部屋の奥、神格者の間にて、

 光…樹怨の輝きを見たようだね』

『間違いなくあれは樹怨…の輝きなのですね』

『そしてもぅ一つの光。

 それは人間達の灯火の間にて輝く

 牛島智也の命の光の輝き、

 こっちも同じように…』

『そこまでご存知で』

『地獄の副指令を伊達に長くは勤めてはいない。

 あの二つの光を見た君は、

 どう判断を下すかね?』

『え?

 僕の判断ですか?

 光の強弱はありますが、

 二つの光が持つ波動・志向・基盤はまったく同じ、

 それ故、二つは同一と判断いたします』

『ふむ、

 良い判断だ』

『でも、なぜ、

 牛島智也の光が神格者の間にもあるのですか、

 彼は神格者なのですか?』

『逆だよ』

『逆?』

『あの光は牛島智也の命の光ではなく

 神格者・樹怨の輝きだよ』

『では、牛島智也の命の火は?』

『そのようなものは存在しては居ない』

『なんですって?

 だって、

 現に僕は彼と会い、彼と言葉を交わしています。

 副指令だってお会いなされているでしょう。

 牛島智也に…

 それが存在しないだなんて』

『影と会い、

 影と話すことならできるな』

『影?

 では…

 副指令は牛島智也は樹怨という神格者の影だと言うのですか、

 大体、樹怨という神格者はどのような者ですか?

 周囲の…僕や黒蛇堂さんたちの目を欺くとなれば、

 相当の格がないと』

腰を上げて鍵屋は訴えると、

『それは私が説明しよう』

と轟天号が割って入った。

『樹怨…神格者であり、

 閻魔、君の父親とはかつて夫婦だった』

『え?』

『君の父親がバツイチだったことが驚きかね』

『そういう驚きでは…』

『では、君にとって腹違い…

 いや、異母兄弟がいることが驚きかね』

『ぶっ!』

その説明を聞いた鍵屋は盛大に吹くと、

『異母兄弟についてはまだ話してはおらんぞ。

 それにこう言うことはもっとオブラートにくるんで説明しないと

 閻魔と樹怨殿に失礼と思うが』

『そうか?

 私には結婚の経験がないので配慮が行き届かないようだ』

『そこまでは言ってはおらんよ』

と鍵屋そっちのけでまた話が進んでいく。



『あっあのぉ〜、

 思いっきり話が飛んでしまって、

 ついていけないんですが』

小さく手を上げて鍵屋が訴えると、

『あぁ、すまんすまん。

 聞いてのとおり、

 樹怨という神格者は閻魔と同格であり、

 それ故、所帯を持った。

 そして、樹怨はこの地獄界はもとより、

 天界・人間界・嵯狐津界を含めた

 理の流れが巡るこの世界の創造主となった』

とジョルジュは説明をする。

『あの…話が大きすぎません?』

冷や汗を流しながら鍵屋は突っ込みを入れると、

『いま乗っているこの超特急トッキューOが走っている路線名にもなっている

 地獄と天界をつなぐ世界樹・イグドラシルは知っているな』

『それは…まぁ』

轟天号の質問に鍵屋は頷くと、

『樹怨とはそのイグドラシルそのもの…と言うか、

 私達がイグドラシルと呼んでいるものは

 樹怨の姿を写して作られたイミテーションにしか過ぎず、

 樹怨自身は理のため贄となり世界樹・イグドラシルになった』

『なぜ、そのようなことを』

『イザナミである彼女がそれを望んだからだよ』

鍵屋の質問にジョルジュは答える。

『イザナミ?

 望んだ?』

『国造神話の詳細は省くが、

 天界より放たれた光が届き、

 闇の時代を終えたこの世界に

 最初に舞い降りた神格者イザナミ、イザナギ、

 この二人が世界を創造し、

 そして世界を支える神々を作り上げていった。

 しかしすべてを作りえる前に…

 いや、最後の仕上げとして、

 イザナミはイザナギと袂を分かつと、

 翠果の実を食して己が体を樹に変え、

 地に根を張り、
 
 枝葉を伸ばして”理”の流れを作り上げ、

 それによって世界樹・イグドラシルが生まれた。

 一方イザナギは身を挺して理の流れを作り上げた

 イザナミのために理の裁定者となり、

 まぁ、あとは言わなくても判るな』

『……』

話を聞き終えた鍵屋はしばらく黙っていると、

『聞かせてください。

 ではなぜイザナミ…

 樹怨は今になってこんなことを始めたのですが?』

と質問をする。

『それは判らない。

 いや、わたしもその理由を知りたい。

 どこかで行き違いがあったのか。

 それとも何か別の目的があるのか。

 ただ一つだけ判っていることは、

 さっき君が口にした牛島智也という人物が

 何かの鍵となっていることだ』

鍵屋の質問にジョルジュは答える。

『そういえば、

 一万年前にも”理”で重大なインシデントがありました。

 それ故に樹怨は封印されたと、

 いまお話しされた国造神話は、

 それよりもさらに遡りますよね。

 何があったのです?』

と尋ねた。

『それは…』

『ん?

 説明はしていないのか?』

『まだ早いと思ったし、

 閻魔直々に説明するのが筋だからな』

『なるほど』

『また二人でひそひそ話ですか?』

困惑した表情を見せるジョルジュと轟天号の会話に

鍵屋は疑惑の視線で見ると、

『コホン!

 まぁ、なんだ。

 早い話が閻魔の再婚。

 そう、君の母上が閻魔の元に嫁がれたとき、

 それを知った樹怨が癇癪を起してな、

 ちょっとした騒ぎになったのだよ』

『私が己の肉体を捨てて

 ”理”の流れに飛び込んで樹怨を説得したことで

 何とか収まったが、

 一歩間違えれば”理”の流れは絶たれ、

 世界は無に帰していたところだった』

と事情を説明をする。

『親父…

 何をやってるんだよ』

顛末を聞いた鍵屋は気恥ずかしさを感じるが、

しかし、その気持ちを振り払い、

『判りました。

 脳細胞がトップギアに入りました。

 樹怨の元に行きましょう』

と決意を言うと、

『間もなく沼ノ端〜

 沼ノ端〜

 お降りになるどなた様もお忘れ物のないようにお願いしま〜す』

車内アナウンスが沼ノ端到着を告げた。



「あれが樹怨か。

 …なるほどのぅ。

 さすが世界樹と呼ばれることだけはある」

柵良美里は氷雪に覆われた端ノ湖湖面に姿を見せた巨樹を

感慨深げに仰ぎ見ていた。

そして、仰ぎ見つつも彼女の霊感を総動員してその正体に迫るが、

「ん?」

あることに気付くと

「…なるほど、影というわけか。

 世界樹と申しても所詮は樹。

 そこまで小回りが利くというわけではないようだな」

と口元を緩ませる。

しかし、その眼光は鋭いままで、

「さて、あの二人が樹怨の注意をひきつけておく間に

 人質の救出ができればよいが

 いつまでもつかはわからん。
 
 次善の手を打つ準備をしておく必要があるな」

そういいつつ、

上空で樹怨と樹怨を警護する鳥と格闘している二人と、

スノーモービルで湖内に飛び出していった三浦里枝にその視線を向けた。



『いつまで眺めているの?』

「え?」

分枝妖精からの言葉に里枝は

ハッ

と我に返ると、

『しっかりしてよ』

と小言を言いながら、

ペシッ

里枝の額を叩く。

「もぅ、

 可愛くないわねっ

 妖精らしく可愛らしく振舞いなさいよ」

叩かれた額を手で押さえながら、

里枝は文句を言うと、

『すみませんねっ、

 元からの性格ですので』

文句を言われたことが気に障ったのか、

分枝妖精はプィッと横を向いてしまう。

そして、

『玉屋さんたちが注意をひきつけてくれるそうなので、

 その間にさくっと仕事を片付けてくださいな』

と膨れながら機械的に言う。

「言われなくっても判ってますっ」

ブォォォ!

ハンドルを握りなおした里枝は再びスノーモービルを走らせるが、

雪煙を挙げて白一色の湖の上をいくら進んでも

智也が捉えられている場所に近づくことはなかった。

「しっかし端ノ湖って結構広いのね、

 なかなか智也のところにたどり着けないよ」

遠くに見える智也の黒い影を見つめながら

ついぼやいてしまうが、

程なくして

「おかしい…」

里枝は状況の奇妙さに気づいた。

「もぅ30分近く走っている。

 どんなに広いといっても細長い端ノ湖を横断しているのに

 智也のところにたどり着けないって、

 どう考えてもおかしいよ。

 それによく見れば景色も全く動いていないし。

 これってどう考えても変!」

白一色に染められて距離感がつかめなくなっているものの、

景色が全く動いていないことを里枝は指摘すると、

ブレーキを操作して驀進するスノーモービルを止めようとした。

しかし、

「え?

 ブレーキが

 掛からない?」

里枝が跨るスノーモービルは止まることなく、

白い世界を突き進んでいく。

『ちょっとl

 何をしているのよ』

分枝妖精の怒鳴り声の下で、

「止まって!

 止まってよ!!」

青ざめながらも里枝は必死になってブレーキを幾度も操作をするが、

スノーモービルは止まるどころかさらに速度を上げ、

彼女の視界から周囲の景色が消えた瞬間、

フッ!

空中に放り出された感覚と、

そのまま白の世界の中に落ちていく感覚が里枝を包み込み、

『きゃぁぁ!!』

「ひぃぃぃ!!」

里枝と分枝妖精の悲鳴が響き渡った。



『かーれ木にぃ〜

 はーなをぉ〜

 咲かせぇ〜

 ましょぉ…』

「歌?」

耳から聞こえてくる歌に里枝が目を覚ますと、

ブワッ!

彼女は一面の花びらが舞う中に立っていた。

「ここは?

 どこ?」

真っ白な雪に覆われた世界。

しかし、空は漆黒色に染まり、

雪の代わりに花びらが舞い踊っている。

「そうだ、妖精…

 ってアレ?

 いない」

一緒にいたはずの分枝妖精が居ないことに里枝は気づくと、

「誰かぁ!」

「誰かいませんかぁ?」

と周囲に向かって声を張り上げた。

けど、彼女の声への返事はなく、

ただ花びらが舞い続けていた。

「どこよ、

 ここは?」

肩を竦め、

足元の雪を踏みしめながら里枝は歩いていくと、

その先に一本の巨樹が姿を見せる。

「これは…」

巨樹に惹かれるように里枝は歩き、

その根元に近づいた時、

「智也!」

体を巨樹の幹に預ける形で倒れている智也の姿を見つけた。

それを見た里枝は駆け寄ろうとすると、

スッ

里枝を阻むように白い手が倒れている智也の体の上に乗せられた。

そして、

スーッ

樹の中から湧き出るように古代の姫の衣装をまとった女性が姿を見せ、

倒れている智也の体を抱きしめてみせると、

『よく参ったな。

 だが、この者は渡さぬぞ』

と里枝に向かって言う。

「なっ何を言っているの?

 智也を返して!」

女性に向かって里枝は怒鳴るが、

『この者は私の声を聞き届けてここに参った。

 だから私はこの者を招き入れた。

 お前に返す謂れはない』

と女性は言い返す。

「智也っ、

 起きて!

 この女、こんなことを言っているよ。

 起きて言い返してよ」

倒れてる智也に向かって里枝は怒鳴るが、

『うふふっ、

 何を言っても無駄よ』

と女性はいう。

「無駄って…」

『いいしょう、

 この者が本当はどういう姿になっているのか、

 お前に見せてあげよう』

里枝に向かって女性はそういうと、

スーッ

智也の上に乗せている手をゆっくりとどかして見せる。

すると

智也の体はみるみる黒ずんでいくと、

カサッ

黒い眼孔をみせるミイラ化した遺体にへと変わり果てていく。

「いっいやぁぁぁぁ!!!」

里枝の悲鳴があたり響きわたり、

そして花びらが舞い始めると、

『うふふふ、

 そう、この者の魂はすでに私の中に溶け込んでおる。

 これは抜け殻。

 どうしてもこの者と話をしたいというのであれば、

 これを食し、

 樹となって根を張ればできるようになるぞ、

 かつてお前がそうしていたようにな』

と里枝に向かって女性は木の実を差し出した。

「これは…」

女性から手渡された木の実は、

まさしく翠果の実。

かつて里枝の体を樹の姿へと変えた木の実だった。

「これを食べれば智也に会えるの?」

翠果の実を見つめながら里枝はそう呟くと、

「智也に会えるのなら…」

と決意した彼女が口を開けたとき、



『タイヤッコーカン!』

の掛け声が響くや、

『いけませんっ

 里枝さん!』

と鍵屋の怒鳴り声が響き、

ブオンッ!

エンジンの音とともに真紅の光が里枝の周囲を引き裂いた。

「え?」

ブワッ!

音と光に里枝は呆気にとられると、

ブォォォッ!

花びらは雪となって舞い散り、

暗闇は白い光の中へと砕けていく。

そして、

『間に合ったようだな。

 ジュニア』

『あぁ、

 間一髪だ』

里枝の前の前に停車したクルマの中から鍵屋が降り立つと、

『樹怨っ、

 よく聞けっ、

 わたしは閻魔の血を引く者、

 閻魔の息子だ』

と鍵屋は目の前に聳える氷の巨樹に向かって声を張り上げた。



『この湖の湖面は樹怨に支配されていて、

 時の流れすらも支配されている。

 これでは迂闊には手が出せない』

その様子を湖岸より眺めていたジョルジュは満足そうに頷くと、

『さて、向こうの作業はどうなっているかな?』

と湧涌谷で進められている作業を進捗助教を確認する。

ゴワァァァァァ

地中から吹き出す高圧蒸気と立ち込める有毒ガス。

そして時折地面を揺らす火山性地震。

普通の人間ならたちまち命の危険に晒される苛酷な環境でありながら、

人影は手にはめた軍手と、

股間に張り付けるビキニパンツ一丁のみと言ういでたちで、

筋肉で盛り上がる黒い肌に汗を浮かべながら手早く作業を行っていた。

彼、いや彼女はマッチョマンレディ。

沼ノ端の平和を守る使命のため

この過酷な作業に身を投じているのである。



『14番パイプ、いきますっ!

 そぉーれっ』

その掛け声と共に、

ヒュンッ!

銀色の巨大なパイプが宙を舞うと、

ぐるりと鉛直方向に3回転した後、

ゴウンッ!

蒸気を吹き上げる井戸のそばに向かって落ちていく。

『んーっ、

 よしっ』

それを確認すると、

『次っ15番パイプ、いきますっ

 そぉーれっ』

とマッチョマンレディは次のパイプを射出し、

先ほどのパイプそばに落としていく。

見事なコントロール。

このような芸当はマッチョマンでは無理であり、

繊細なコントロールができるマッチョマンレディしかできないのであった。



マッチョマンレディは手際よくパイプを配置していくと、

まるで子供がブロック玩具で遊ぶかのようにそれらを繋ぎ合わせていく、

そして、最後の一つ、

観光センター地下まで来ている沼ノ端に続く本管との結合用のパイプを手にしたとき、

『うーん、

 先に本管と結合してから温泉パイプにつながる管に結合するか、

 それとも温泉パイプに結合してから本管に結合するか、

 手順書にはその辺書いていないのよね』

と作業手順書を捲りながら考えはじめる。

そして考えること5分。

『よし、先に本管に繋ごう』

と本管結合を優先することを決めると、

『ふんすっ、

 うるとら

 すーぱー

 まっちょ1000%ぱわーぁぁぁぁ!」

マッチョマンレディがあふれんばかりの筋肉を盛り上げ、

パイプを観光センター地下に打ち込もうとしたとき、

ズズンッ!

突然辺りを地震が襲った。

『え?

 あっ

 きゃぁぁぁ!』

地震の震動は瞬く間に組み立て中のパイプラインを崩してしまうと、

その上に乗っていたマッチョマンレディも滑り落ちてていく。

そして、パイプラインが崩壊する中、

マッチョマンレディは手にしていたパイプを放り投げると素早く飛び上がり

谷を横断しているロープにしがみついた。

ガゴォン!

手放したパイプがレディの足元で轟音を立てると、

『ぐっ』

マッチョマンレディは谷を横断するロープウェイのケーブルに捕まることには成功するが、

しかし、宙づりの状態になっていた。

『どこか降りるところは!』

飛び降りるための目標となる足場がないか探すが

けど、そのような都合の良い物はなく、

そうしている間にも彼女の手が滑りはじめる。

『あぁ、だめっ!』

力尽きて手を放そうとしたとき、

ハシッ!

強い力が彼女の手を握った。

『え?』

思いがけないことにレディは驚くと、

『ふぁいとぉ!』

その者がかけ声を上げ引き上げはじめた。

そして、その声に応えるように

『いっぱぁつっ!』

とマッチョマンレディはケーブルによじ登ると、

彼女を助けたのは

沼ノ端のもぅ一人のご当地ヒーロー・競パンマンであった。

『あっありがとう』

『大丈夫ですか?』

『えぇ、なんとか』

『ならよかった。

 仕上げは僕もお手伝いします』

『助かります。

 お願いするわ』

マッチョマンレディと競パンマン、

沼ノ端の2大ヒーローはがっしりと手を握ると、

『沼ノ端タウンヒーティングの工事に関わるなんてね』

と競パンマンはウィンクしてみせる。

『本当、

 こんなことになるとは思ってもみなかったわ』

それを見たレディは黒い肌に白い歯を浮き上がらせる様に笑って見せると、

『この工事を依頼してきたあのオジサンて本当に市役所の人なのかな』

『あら、あなたのところにも来たの?』

『はい。

 資材とか、

 工事の手順とかも教えていただきましたし』

『手際が良いわね。

 街は大雪で大混乱だというのに…』

『ここの蒸気を引いて一気に雪を溶かそうって言うんでしょう。

 あのオジサン頭いいよ。

 僕たちの力であっという間に工事を終わらせないとね」

『えぇ…』

そんな会話を交わしたのち、

二人は再び谷に降りると地震で崩れたパイプを再度組み上げていく、

そして、

『ふんっ、

 うるとら

 すーぱー

 まっちょ1000%ぱわーぁぁぁぁ!』

マッチョマンレディがあふれんばかりの筋肉を盛り上げると、

『どすこぉぉいっ!』

ズドンッ!

本管が埋まっている場所目がけて、

最後のパイプを打ち込んだ。

『うんっ、

 手応え有り』

ゴウンっ!

本管と打ち込んだパイプとの接合を伝える振動をレディは満足そうに感じると、

『おーらいっ!』

源泉にいる競パンマンに向かって合図を送る。

そして、

『ふんすっ』

ガコンッ!

井戸と本管を繋ぐバルブが開かれると、

『いっけぇぇ!!!』

マッチョマンたちの声に送られて

ブォォォッ!

湧涌谷から吹き出す蒸気は温泉水と共に

凍り付いている沼ノ端目がけて流れはじめた。



程なくして、

ズドォォン!

ブォォォッ!

地面を揺らし沼ノ端の一角から蒸気の柱が吹き上がると、

ズズン!

ズズン!

沼ノ端市街の至る所から蒸気が吹き上がり、

同時に街に張り巡らされたタウンヒーティング・システムが稼働を開始、

街を凍り付かせていた雪や氷を急激に溶かしはじめた。

『うむ、

 はじまったな』

それを感じとったジョルジュは満足そうに頷くと、

「ちょっとぉ」

『え?

 何が起きたんだ?』

里枝や鍵屋、

そして

『なにが…

 起きたのだ?』

樹怨もまた状況の変化に困惑する。

その間にも、

ゴワァァァァァ!!!!!

豊富な蒸気の力を得たタウンヒーティングシステムは

副系統システムの稼働を開始。

それにより豊富な湯量を誇る湧涌谷より源泉が揚水されると、

沼ノ端全域に源泉の配水を開始。

それによってあふれ出た温泉水が端ノ湖に流れ込むと、

キシキシキシ

バキッ

凍り付いていた端ノ湖の湖面は一気に溶け出したのであった。



『いかんっ、

 湖面が溶け出した。

 ジュニア!

 すぐに脱出をするぞ』

『はっはいっ、

 里枝さんっ、
 
 このクルマに乗ってください!』

急激に溶け出した湖面に鍵屋は里枝に声をかけると、

『でっでも、

 智也が!』

と里枝は巨樹の下で動かないマッチョマン・智也を指さした。

『里枝さん。

 申し訳ありませんが。

 彼はそこには居ません。

 ここから見える彼は樹怨の影です』

里枝に向かって鍵屋そう告げると、

「影って…

 あなたもあの樹と同じことを言うのですか?」

それを聞いた里枝はさっき見た幻のことを言う。

バキ!

その間にも里枝の足下の氷に亀裂が入り、

『ごめんなさいっ

 もぅ時間がありません』

それを見た鍵屋は中が強引に里枝の手を引くと、

彼女の分枝妖精もろとも轟天号に引き込んだ。

そして、

『出してください!』

声を張り上げると、

『おーけー、

 岸まで一気に行くぞ!』

ゴワァァァン!!

雪煙を噴き上げて轟天号は崩壊を始めた湖面を一気に駆け抜け、

最後は水煙を噴き上げながら健一達が待つ岸へとたどり着いた。



『…閻魔の息子だと。

 …ということはあの女の子供。だというのか。

 …あの女がここまでわたしを愚弄するのか…』

岸に向かう轟天号を見下ろしながら樹怨は呟き、

そして、

『…ならば目にものを見せてやろう』

そう言うと、

ブワッ

巨樹の枝葉から一斉に花粉が放たれる。

吹き上がった花粉は沼ノ端を満たす蒸気に混ざり

誰に気づかれることなく沼ノ端全域へと染み渡っていくと、

雪が消えたことで街に出ていた市民に忍び寄っていく。

一方、湖岸では

「すごいクルマだな」

岬健一は目を丸くさせながら轟天号を眺めていると、

「鍵屋さん。

 説明してください。

 智也が影ってどういうことですか」

里枝が鍵屋に食ってかかっていた。

『里枝さん。

 落ち着いて聞いてください』

里枝の肩をつかんで鍵屋が説明をしようとしたとき。

『待って』

何かを感じ取ったトモエが割って入った。

『どうかしましたか』

『空気がおかしいよ』

「え?」

トモエの言葉に皆が驚くと、

「呪じゃぁぁ!

 息をしてはならぬっ!」

柵良が怒鳴り声を上げながら駆け込んでくるなり、

ズンッ!

周りにしめ縄が下がる結界が張り巡らされた。

「柵良さんっ!

 息をするなってどういうことですか」

口を押さえながら柵良の言葉の意味を健一が理由を尋ねると、

「いやぁぁぁ!!!」

巫女神夜莉子の絶叫に近い悲鳴が響き渡った。

その声に皆が駆けつけると、

「沙夜ちゃん!

 沙夜ちゃん!!

 沙夜ちゃぁぁん!!!」

巫女装束を巻き付けて枝葉を伸ばす一本の樹に

巫女神夜莉子がしがみき泣き叫んでいた。

『これは…』

衝撃の光景に鍵屋は声を失うとすぐに唇を噛みしめ、

湖岸に添う街へと掛けだしていく。

そして、彼がそこで見たものは、

衣服を幹に巻き付け無言で立っている無数の樹の姿だった。

『これが、

 樹怨の呪ですか』

肩をふるわせながら鍵屋はそう呟くと、

徐に鍵錫杖を取り出すと大きく振りかざし

『樹怨っ!

 鍵屋の名を以てあなたの夢っ

 封印させてもらいますっ

 ロック・ザ・ユア・ドリーム!!』

と声を張り上げる。

その直後、沼ノ端の上空に巨大な錠前が下がり、

封印術施工中を示すモノアイが光り輝いた。



つづく