風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第六話:世界樹の姫)


作・風祭玲

Vol.1103





『……

 …さきほーこ…る…

 …はーなのー

 …かおり…とべー

 ……

 …かおりーよー…

 …とーどけ…

 …よっみの…はて…

 ………』

降りしきる雪を舞躍らせ、

透明感のある歌声が白銀色に染まる端ノ湖畔に響き渡って行く。

それに合わせて光の柱が湖面より伸びるが、

だが、

『また、この歌だ…』

白一色の世界とは対照的な黒い肌を晒し、

トレードマークのビキニパンツを己のマッスルボディにぴったりと張り付けている

沼ノ端のご当地ヒーロー・ムキムキマッチョマンこと牛島智也にはこの光は見えず、

『誰だ?

 誰が歌っているんだ?』

歌の主を探し始めていた。



クワッ!

智也は目を大きく見開き、

マッチョマン・7つの脅威の1つであるマッチョアイを使って、

周囲360度をくまなくスキャンしていくが、

だが、月面に置かれた金魚鉢の中を忙しなく泳ぐメダカの鱗に張り付いた寄生虫を

完璧に見分ける能力であるマッチョアイを以てしても

声の主の姿を検出することができなかった。

『今度こそ歌っている奴の正体をみてやる、

 里枝っ、

 トモエを頼んだぞ』

とトモエを里枝に託し、

智也は再び血しぶきを上げてマッチョスクランダーを装備すると、

バサッ

抜け落ちた黒い羽を数枚残して空へと舞い上がった。

「まったく、

 上には化けキツネがおるというのに

 相変わらず無茶をしおる。

 しかしこの歌。

 前々から気にはなっていたが、

 今ははっきりと面妖な気配を感じる。

 これは妖気なのか…

 いや…

 神格に近いモノを感じる。

 となると、やはり樹怨」

響き渡る歌に柵良美里もまた警戒をするが、

抜群の霊能力を誇る彼女であっても

湖面より上る光は見えてはいなかった。



歌は光の柱に纏わり付きつつも、

何かを探すかのように湖内を動き回りはじめる。

『耳障りな歌と共に現れた光、

 まったくもってすべてが不愉快ですっ』

空高く舞う狐の化生コン・リーノは湖から伸びる光の柱が見えるらしく、

それを苦々しく見下ろすと、

『どこの誰の仕業か知りませんが、

 私の”狩場”を汚すことは許しません。

  失せなさいっ!!』

語気を強めながら自分の周囲で灯っている狐火を光めがけて放った。

しかし、

『…無礼者』

湖面より抑揚を抑えた女性の声が響くや、

狐火は柱の前で弾き返されてしまうと、

ガツガツガツ!

姿が見えぬ無数の何者かに啄まれるようにして

狐火は食いちぎられ消滅してしまったのである。



『あいつの火が消された?』

湖面を飛行しながら智也はその光景を目撃すると、

『何かが…下に居る…』

氷結した湖面の下に居る者の存在に気づいた。

と、同時に

『……』

流れていた歌声が途切れた。

「歌が…」

「…途絶えた」

突然の静寂に払い串を構えた柵良はもとより

巫女神夜莉子と沙夜子も反射的に背中合わせになると警戒をする。

一方、

『歌声が

 消えた?』

響いていた歌が途切れたことで、

智也の注意力が一瞬緩むと、

『…み・つ・け・た』

その虚を突くように彼の耳に女性の囁く声が響くや、

シャッ!

湖面から放たれた光の矢が智也を貫くと、

シャリンッ!

幾重の鎖となって彼の体に絡みつき、

一気に氷の湖面に叩きつける。



『馬鹿な、

 私の狐火が』

自分が放った狐火が砕かれたことにコン・リーノは目を丸くすると、

『…無礼者は滅するのみ』

コン・リーノに向かって再びその声が響く。

そして、

くにゃ!!

彼の周囲の景色がいきなり歪むと、

『ギャォ!』

地の底から鳴り響くような声を上げる化生の鳥が1羽湧き出し、

それを合図に

『ギャォッ!

 ギャォッ!』

『ギャォッ!

 ギャォッ!』

歪んだ景色の中より次々と化生の鳥が湧き出してくると、

瞬く間にコン・リーノの周囲を取り囲むと飛び回り始めた。

『鳥の化生ごときが…

 このわたしを威嚇するというのですか。

 随分と見くびられたものですね』

コン・リーノは金色の毛を逆立たせて、

周囲を飛ぶ鳥を押し返すかのごとく気を放つが

しかし、

『ギャォッ!』

先頭を切って飛んでいる鳥が声を上げると、

『ギャォッ

 ギャォッ!』

それを合図に鳥は一斉にコン・リーノに襲い掛かってくる。

『ふんっ、

 無駄なことを』

鋭い嘴を開いて啄ばんでくる鳥をコン・リーノは己が気で潰していくが、

『ギャオッ、

 ギャオッ!』

何羽潰されても鳥は歪んだ空間から湧き出し、

コン・リーノが放つ気に喰らついてくる。

『なんだ、こいつら。

 潰しても次々と沸いてくる…』

止め処もなく沸いてくる黒い鳥の姿にコン・リーノは次第に焦りを感じるが、

『えぇいっ、

 鬱陶しい!!』

の声と共に、

ドンッ!

コン・リーノは強烈な気を放って周囲を舞う鳥を一気に押しつぶした。

だが、

『ギャオッ、

 ギャオッ!』

全てが消し去られても歪んだ空間が健在である限り、

黒い鳥はさらに湧き出し喰らいつくと

次第にコン・リーノの気を蝕んでいった。

『はぁはぁ、

 くっそぉ…』

コン・リーノも次第に疲れを見せ始め、

それに合わせて彼が放つ気も薄くなってしまうと、

ザクッ!

ついに気の薄いところ突き破り鳥の嘴は彼の体に届いた。

『痛っ!

 おのれぇぇ!!!!』

体に走る激痛をこらえながら、

コン・リーノは身を守るための狐火を舞わせるが、

しかし、その狐火もコン・リーノの手から離れた途端、

鳥に集られると啄ばまれ消し去られてしまった。

『なにぃ!』

コン・リーノが驚くまもなく、

ザクッ

ザクッ

気を突き破った鳥の嘴は容赦なく啄み始めた。

『痛いっ

 やめろ!

 痛いっ

 やめろぉぉぉ!』

最初は怒鳴り声をあげていたコン・リーノだが、

『ぎゃぁぁぁ!!!』

ついに悲鳴が上げてしまうと、

彼の金色の毛は瞬く間に毟り取られ、

露わになった肌に鳥の嘴は食らいつき、

さらに鋭い爪で肌を引き裂くと、

嘴を深く突き刺し血肉を穿りはじめる。



「なんだあれは…」

湖岸からその様子を見ていた岬健一は

繰り広げられる凄惨な光景に思わず手で口を覆うと、

彼の足元では沙夜子と夜莉子が蹲り体を震わせている。

「あの狐の化生…

 どうなっちゃうの?」

口を抑えながら里枝は尋ねると、

「以前、チベットの山奥に行ったとき、

 鳥葬と言うのを見たことがあるが、

 まさにあんな感じだったな。

 もっとも、食べられているのは死んだ人だったが、

 けどこれは…」

健一はそう言いながら顔を背ける。

やがて、

ドサッ!

力が尽きたのか満身創痍のコン・リーノが湖面に落ちてしまうと、

『ギャォ!

 ギャォ!』

化生の鳥もそれを追って舞い降り、

傷だらけのコン・リーノの体をさらに啄みだした。

『嵯狐津姫さま…

 お助けを…』

渾身の力を込めてコン・リーノは主である嵯狐津姫の名を口にしたとき、

『このっ、

 大馬鹿者がぁ!!!』

雷鳴のごとく怒鳴り声が鳴り響くや、

ドォォン!

コン・リーノ周囲の雪面がいっせいに吹き上がり、

彼に集っている鳥を吹き飛ばした。



ズズン!

氷結した湖面に立ち上った雪煙がゆっくりと撹拌し消えていくと、

コン・リーノの落下地点から少し離れたところで

マッチョマンの姿をした智也が同じように這いつくばっていた。

『うっ動けない。

 まるで檻に閉じ込められたみたいだ。

 どうなっているんだ』

マッチョスクランダーをもぎ取られ、

さらに見えない鎖のような物で雁字搦めにされた智也は

額に汗を浮かばせながら藻掻いていると、

メキッ

メキメキ!

メキメキメキ!!

突然、彼の二本の足が木肌に覆われると、

瞬く間に木の幹へと変化し始め、

さらに肌を覆う木肌はゆっくりと彼の体を侵食しはじめた。

『樹…』

それを見た智也の脳裏に樹化していく里枝の姿がよぎる。

『まさか、

 おっ俺が樹になるのか。

 里枝みたいに…

 っていうか、ここは湖の上じゃないか、

 こんなところで樹になってしまったら』

考えられる最悪の事態に智也はパニックに陥りかけると、

『お前は樹になるのではない。

 わたしの元に還るだけ』

と女性の声が響いた。

『還る?』

その声に智也は聞き返すと、

フッ!

ある光景が智也の脳裏に浮かび上がった。

花びらが舞う巨樹の根元。

その根元に座り込みうな垂れるように体を預ける男性と思われる人の姿。

しかし、男性には生気が無く衣から覗く肌も黒ずみ朽ち掛けている。

『…何かの事件の被害者?

 …ミイラ化…している?』

脳裏に浮かんだ光景に智也は困惑していると、

ミイラ化した男の躯は巨樹に飲まれるように崩れながら木肌の中へと没していく。

『さぁ、

 わたしの元に還りなさい』

と命じるように女性の声が響く。

『なぜだ?』

声に向かって智也は言い返すと、

ブワッ!

智也に向かって吹きかけるように花びらが舞い、

『お前はわたし』

と声は話しかける。

『言っている意味が分からない。

 第一、君は誰なんだ』

『わたしか、

 わたしはお前であり、

 そして樹怨である…』

『樹怨?

 樹怨…

 どこかで…聞いた事が…』

返事をしながら智也の目から次第に光が消えていき、

彼の体は蝕む樹の中へと没していく。

『さぁ、戻ろう。

 お前のあるべきところに、

 早池峰に…』

樹化していく智也に向かって畳みかけるように声は囁き続ける。



「ちょちょっと、

 智也の姿が見えないと思ったら、

 あんなところにいる。

 もぅ何をやっているのかしら」

湖面上で倒れている智也の姿を里枝は見つけると

苛立ったように文句を言うが、

しかし、智也のただならない様子に気づくと

「なんか様子がおかしい」

と呟いた。

「うーん、何があったのかな…

 マッチョスクランダーも装備していないみたいだし

 それに心はここに有りって感じじゃないな」

と隣に立つ健一は詳細を知るために持ち出した双眼鏡を顔に当てて言う。

すると、

「言霊を感じます」

吐き気を乗り切った沙夜子が立ち上がるとそう断じた。

「言霊?」

「はい、

 言葉を用いた呪です。

 無駄な力がまったく無い、

 鋭く研ぎ澄まされた言霊を感じます」

「そんなぁ!」

沙夜子の説明に里枝は悲鳴に近い声を上げた。

すると、

『ねぇ、

 あなた達にはあれが見えないの?』

皆に向かってトモエが話しかけてきた。

「何が?」

彼女の言葉に里枝が聞き返すと、

『そっか、

 人間たちにはあの光の柱が見えないんだ』

と返事をしながらトモエはその視線を上にあげる。

「光の柱…そんなものが?」

少女につられるようにして皆が顔を上げると、

「降ってくる雪だけで何も見えないな」

と目を凝らしながら健一が言う。

「化生とは違う特別な気配、

 神格級の気配を感じます。

 おそらく言霊もそのものが使っているものかと」

視力ではなく周囲の気配を感じ取った沙夜子が言うと、

「沙夜ちゃん。

 その神格級の別のお客さんがお見えになったようよ」

と夜利子がさっき雪煙が立ち上った方を指さした。



『たっ助かったのですか』

自分を啄ばんでいた鳥が消されたため、

体を震わせながらコン・リーノが起き上がると、

フワッ

彼の目の前に金色の狐尾が九本、

揺れているのが目に入った。

『これは…』

驚くコン・リーノの前に居たのは

紛れもない彼の主である嵯狐津姫であった。

『さっさっさっ

 嵯狐津姫様っ!!』

悲鳴に近い声を上げてコン・リーノが腰を抜かしてしまうと、

コン・リーノに背中を見せている嵯狐津姫は振り返らず、

『すぐにこの場を退けっ

 コン・リーノっ!』

と強い口調で指図する。

『しっしかし』

コン・リーノはその指図を拒もうとすると、

『わらわの指図に従えぬと言うのか?

 すぐに退けっ、

 そして嵯狐津にて謹慎をしておれ』

と強い口調で命令した。

『なぜ?』

吐き出すようにコン・リーノはつぶやくと、

『いま、身をもって知ったであろう。

 お前がどうこう出来る相手ではないっ、

 わらわの術が凌駕している間に大人しく退け。

 向こうが優ったら…

 お前は二度と嵯狐津には還れなくなるぞ』

上空を舞い始めた化生の鳥の群れを苦々しく見上げながら嵯狐津姫は言う。

『しかし…ぐっ…

 判りました。

 その前に姫様、教えてください。

 姫様を凌駕するというあれは一体…』

そうコン・リーノが言いかけたところで、

『…おや、そこに居るのは嵯狐津かしら』

と声は問い尋ね、

『…嵯狐津がわたしの前に姿を見せたということは、

 …くすっ

 …閻魔もすぐ傍に居るのね』

嬉しいのか声は笑いを含めて見せる。

『なんなんです。

 これは…』

光のみの姿でありながらも、

嵯狐津姫に向かって笑って見せた声の底知れ無さに

コン・リーノは恐怖というものを感じると、

ゆっくりと後ずさりし、

そしてクルリと背中を向けると一目散に走り始める。

その直後、

『ギャォッ!』

上空を舞う鳥から鳴き声が響くと、

逃げるコン・リーノの後を追いかけ始めた。

『ひぃぃぃ!!!』

『コン・リーノっ!』

嵯狐津姫は振り返り素早く上掛けを剥ぎ取り、

それを丸めるやコン・リーノ目がけて放り投げる。

すると、

嵯狐津姫の上掛けは狐の姿となって雪原を駆け抜け、

鳥が襲い掛かる直前のコン・リーノに取り付き、

そのまま次元の狭間より異界へと押し込んだ。

『逃げおおせたか』

コン・リーノの脱出を嵯狐津姫は見届けると安堵した表情をして見せる。

そして振り返ると

自分の周囲を舞い始めた鳥を見据え、

『失せろ!』

鳥に向かって嵯狐津姫は眼力にてそう命じると、

ボッ!

鳥は砂像のごとく砕け消滅していく。

『くすっ、相変わらずね…

 わたしも本気を出しましょうか』

嵯狐津姫に向かって声はそう囁くと、

ギンッ!

光の柱の輝きが一気に増し、

と同時にそれは、

「なんだこれは!」

「光の柱が…」

里枝達の目にもはっきりと姿を見せたのであった。



メキッ

キキキッ

メキメキッ

彼女の前に聳え立つ光の柱に変化が始まり、

次第に柱の太さを増してくと、

まばゆく輝く樹の幹となって天空に向かってその背を突き上げる。

そして、幹から沸き出た枝葉が幾重にも重なりながら伸びていくと、

光の巨樹を神々しく演出していく。



『うひゃぁぁぁ』

智也の高層マンションのベランダより、

光の巨樹が姿を見せた端ノ湖を見ながら玉屋は声を上げると、

『先手を打たれましたね』

と玉屋に同行してきた地獄・閻魔大王庁の職員であるイブキは冷静に答え、

着信通知が出ている携帯端末を操作し始める。

『こんなことが起きているのに、

 全然動じないとは大したものだわ、あんた。

 そういえばそれって”化生Pad”て言うんでしょう。

 最近流行っているみたいだね』

端末を眺めるマヤに向かって玉屋は話しかけると、

『えぇ、

 …すべては化生の仕業。

 で片付けばいいんですけどね。

 あぁ、副指令ですか、イブキです。

 申し訳ありません、

 樹怨に先手を打たれました』

と玉屋をあしらいつつ画面に向かって話しかける。

『そう言うのなら、

 私もしっかりと仕入れているよ』

打ち合わせを始めたイブキを横目で眺めつつ、

玉屋はごそごそと何かを取り出すと、

『じゃーん!

 巷で大人気の”化生時計”!

 これを腕に付けてこうやって作動させると、

 隠れ潜んでいる化生もたちどころにぃ

 見つけたっ、

 交通事故で生まれた猫の化生・自爆猫っ!

 どっかーん』

と一人で盛り上がる。

しかし、

『(アタマ、大丈夫?)』

イブキが放つそんな冷たい視線を感じた途端、

『えぇ、判っていますよ。

 いい歳こいた大人がする遊びじゃないんでしょ』

冷めた声で返事をした。

とその時、

フィン…

玉屋の腕に付けられてた化生時計が反応すると

智也の部屋を指示した。

『あれれ?

 本当に化生が居たんだ』

それを見た玉屋は少しホッとした表情を見せたのち、

『この中か。

 あのぉ、御在宅でしょうか。

 ちょっとだけ失礼しまーす』

の声とともに硝子戸を開けて中に入って行く、

そして化生時計が指示す場所へと向かうと、

カウンターの上に置かれた小さな鉢植えを化生時計は指示して見せる。



『これが

 化生?』

一本の小さな枝のような樹が植わっている鉢植えを覗き込みながら、

玉屋は小首を捻っていると、

『それで化けているつもり?

 正体見せなさいっ』

とイブキの声が響くや、

パン!

手を叩く音が部屋に響いた。

すると、

玉屋が覗き込んでいた鉢植えの樹がプルンと揺れ、

『きゃっ!』

小さな悲鳴とともに樹は女性の姿へと変化すると、

ペタンと鉢植えの上で座り込んだ。

『おぉ!』

目の前で起きた出来事に玉屋は目を丸くすると、

しげしげと見据える。

わずか手のひらほどの大きさしかないものの、

その姿はまさしく人間の女性であったが、

その髪は青葉をまとった樹の蔓が幾重にも重なり、

また足先は広がった根毛の中に隠れていたのであった。

『化生というより

 樹の妖精かな?

 あれ?

 でも、どこかで見たような…』

妖精を眺めながら玉屋はその顔に見覚えのあることをつぶやくと、

『…あの…』

と妖精は話しかけてきた。

そして、彼女から事情を聴いた途端、

『あぁ!

 あの御神木になった人の分枝ぃ!』

玉屋は声を上げてハタと手を打った。

『ん?

 どういうこと?』

事情が分からないイブキが問い尋ねると

『実は…』

玉屋はこの部屋の持ち主である智也と里枝の身に起きたことを説明した。

『ふーん、

 なるほど』

話を聞いたイブキは大きく頷き、

『ってことは、

 アレと関係しているのかな』

再びベランダに出ると湖に姿を見せた巨樹を指さして分枝妖精に尋ねる。

その問いに分枝妖精は小さく頷き、

『…お願いがあります。

 …私をあそこまで連れて行ってください。

 …智也の身に危険な事が起きているんです』

そう懇願した。

彼女の願いを聞いた玉屋とイブキは顔を見合わせたのち、

『だって』

『言われなくても、行くつもりよ』

『でもどうやって行く?』

『地道に歩いていく時間はないか』

『いっそ空でも飛べたらね』

そう言葉を交わしたところで、

『お困りのようだね。

 僕と契約をしてくれればお手伝いをしてあげてもいいよ』

そう不意に声を掛けられた。

『契約?

 あっ業屋九兵衛っ!』

二人は声を掛けてきた白いマスコット風の小動物を指差すと、

『玉…屋!?

 それにイブキ…さんも、

 って地獄詰めの君がなんでこんな所に居るの?』

九兵衛は顔を引きつらせ、

そのままクルリと向きを変えると、

『うん、

 やっぱり僕は湖から離れてはいけないんだ。

 急いで戻らないとならないので、これで』

とそそくさと立ち去ろうとする。

しかし、

むんずっと彼の首がつかまれ、

『いいところで会ったわ。

 閻魔大王庁からあなたに呼び出しが掛かっていること、

 知らないわけないよね』

イブキは彼の頬を指で突付くと

それをぐりぐり捻るように回しながら尋ねる。

『さっさぁ、

 何のことかな?』

彼女の問いに九兵衛はしらばっくれて見せると、

『あっ、そうだ。

 いいものがあった!

 以前、あんたの兄貴、

 業屋八兵衛に騙されて仕入れたこいつが役に立つことが来たわ』

そう言いながら、

玉屋はあるアイテムを取り出し、

付属のカード帳から3枚のカードを取り出して素早くセットすると、

「かーわるんるんっ!」

と声を上げるそのアイテムを掲げて見せる。



『樹怨…ここまでするとは、

 本気であの人と”事”を構えるつもりなの

 それに、あなたが捕らえているその人間はどうするつもり?』

嵯狐津姫は目の前に聳え立った巨樹に向かって話しかけると、

『…くすっ』

小さな笑い声とともに巨樹の前に女性と思えしき人影が湧き上がるように立ち昇る。

『樹怨…』

その人影に向かって嵯狐津姫は再度話しかけると、

『…あの方と表裏一体のあなたの口からそんなことが聞けるなんて、

 …滑稽ね』

と影は笑う。

『…目的は何?』

『…目的?

 …そうねぇ

 …とりあえず、

 …お迎えでしょうか?

 …この者のね』

『…お迎え?』

『…そう、お迎え。

 …この樹怨さま直々のお迎え。

 …すごいでしょう』

『…只で済むと思っているの?』

『…なんのことかしら?』

『…お迎えと言いつつあなたが持ち出した樹。

 …イグドラシルをこんなことに出現させて、

 …1万年前と同じことをする気?

 …そんなことをしたら天界が黙っていないし

 …今度こそは只じゃすまないわ』

『…天界?

 …あぁ、見ているだけの役立たず集団?』

『…口が過ぎます』

『…別に構わないわ、

 …イグドラシルはこの私そのもの。

 …何をどうしようと私の判断が優先される。

 …それが気に入らないというのなら、

 …私の存在を消せば良い。

 …もっとも、そうなったらどうなるか。

 …一番よく分かっているのは他ならない天界でしょう?』

『…なるほど、

 …すべての源はあなたから始まったことですものね』

『…そう、本来ならわたしこそ、神…

 …それは言ってはいけませんでしたね。

 …でも、理の大循環の源は他ならないこの私。

 …”理”は私から流れ出て、世を巡り、

 …もぅ一つのあなたである閻魔で裁かれ、私に戻る。

 …その視線で物語ればだれが神なのかは明白ですわ』

『…ふっ、

 …なるほど、

 …しかし私の役目はその世を巡る理の流れの管理であり、

 …理の流れを乱すものは私の手で正すのが役目。

 …もし、乱れの元が理が出るところであれば、

 …それを正します』

スッ

懐より扇を取り出した嵯狐津姫は影を見据える。

『…交渉決裂

 …でしょうか』

影は軽く笑ってみせた時、

ピキッ!

構える嵯狐津姫の体に幾本もの亀裂が入った。

『ちっ!』

『…くすっ、

 …地の底の者が長く人間界に居すぎましたね。

 …このまま時間切れで砕けてしまいます?

 …それともわたしの手で始末してあげましょうか』

焦りを見せる嵯狐津姫に対して影は優位に立つと、

ブワッ

『ギャォッ!』

影の背後から一斉に無数の鳥が湧き上がり、

雪が舞う湖の空を黒く染めはじめた。

『私の忠実な下僕、八咫烏よ。

 あの者を食べておしまい』

と指図すると、

鳥は嵯狐津姫めがけて次々と舞い降り始めた。



「この世のおしまいかよ」

空を埋め尽くす黒い鳥の群れを見て健一が悲鳴を上げると、

里枝は乗ってきたスノーモービルに跨りエンジンキーを回した。

「おっおいっ、

 何をする気だ?」

それ気にづいた健一が慌てて声をかけると、

「智也を迎えに行く!」

と里枝は短く答えた。

「迎えに行くって、

 あいつがいるところは凍っているとはいえ湖の上だぞ

 それに鳥が、

 あの鳥が襲ってきたら」

スノーモービルの前に立った健一はそう説得を始めた。

「じゃぁ、

 誰が助けに行くの?

 何もしないでこのまま見ているだけなんてイヤよ。

 何のために足があるの。

 何のために動く手があるの。

 黙って立っているだけなんて、

 樹だけで十分よ!」

そう訴えた。

「うっ」

彼女の気迫に健一が返せないでいると、

「どいて」

エンジンを吹かし、

里枝はスノーモービルのハンドルを切る。

「だったら、俺も連れて行け!」

と健一は言うが、

「ここで二人が乗ったら帰りは三人よ。

 氷が割れちゃうでしょ」

その声を残して、

ブォォォッ

里枝はスノーモービルと共に氷結した端ノ湖内へと飛び出していった。

「馬鹿野郎!

 くっそぉ」

湧き上がる雪煙を見送りながら健一は臍をかんでいると、

『女は強いな』

の声と共に白髪の男性が彼の隣に立っていた。

「誰?」

怪訝そうに健一は返すと、

『私か?

 ソコの役場から来たものだ』

と男性は細い目で健一を見つめながら言う。



端ノ湖に一筋の雪煙が舞い上がり、

氷結した湖面をスノーモービルが一直線に突き進んでいく。

「智也、

 いま助けに行くから」

ハンドルを握る里枝は智也めがけてアクセルをさらに回すと、

スノーモービルは限界近くにまで速度を上げる。

近づく里枝に

『ん?』

影が気づくと、

『人間か?

 愚かな』

と接近するスノーモービルを見据えるが、

『そう、

 あなた…なのね』

何かに気づいた影は目を細めると、

『あなたの気持ち。

 確かめさせてもらいます』

の言葉とともに左手を差し出し、

その指先を軽くはじいて見せた。

その途端、

ドンッ

指先の周囲の空間が歪むと、

歪みは瞬く間に里枝を包み込む。

「うわっ」

突然湧き上がった雪煙が里枝の視界を奪い、

そして視界が戻ったとき、

彼女は緑が萌える初夏の山中に立っていた。

「なに?

 どうしたの?」

跨いでいたはずのスノーモービルは消え、

ハイキングに来たかのような軽装で山の中を歩いていることに気づくと

「そんな、

 なんで?」

困惑しながらも山の中を進んでいく。

そして、

ある一本の樹が彼女の前に姿を見せたところで立ち止まると、

「あっ!」

里枝の口から驚きの声が上がった。

彼女にとって忘れるはずのない樹。

かつて、その樹の幹に生っていた実を食べてしまったがゆえに、

樹へと変化させられた曰くの樹である。

「なんで、

 どうして」

あの時と同じ幹に実をつけている樹を見ながら、

里枝は1・2歩下がると、

その場から立ち去ろうとする。

しかし、

『どうしたの?

 わたしの実を食べていかないの?』

と樹が話しかけてきた。

「ひっ」

その声に里枝は飛び上がるように驚くと、

『さぁ、わたしの実を食べて』

『実を食べてもぅ一度樹になろうよ』

『樹でいたほうが楽じゃない?』

そう話しかけながら樹は分身するかのように里枝の周囲を囲み、

『さぁ』

『さぁ』

と迫ってくる。

「来ないで、

 こっちに来ないで!

 樹になるなんてイヤよ。

 何もいえず、

 何もできない樹になんて誰がなるもんですかっ」

里枝は迫る樹を払い除けて脱出しようとするが、

不意に動けなくなると、

ギシギシギシ

彼女の足から生えた根が地面に潜り込み、

土の中に根を広げ始めた。

「やめて、

 いや、

 樹になんてなりたくない」

腰から下を樹の幹に変化した里枝は悲鳴を上げると、

『そんなこと言わないでよ』

『一緒に森の中で枝葉を広げた仲間でじゃない』

と里枝に耳に囁いてみせる。

「ひっ!」

その声に里枝は耳をふさぎ。

「助けて、

 智也!」

と声を上げた。

そして、次の瞬間。

『目を覚ましなさい。

 あたしっ!』

と里枝の耳に別の声が響いた。

「え?」

思いがけない声に里枝ははっとすると、

ブンッ!

取り囲んでいた樹が一斉に姿を消し、

同時に森が消えていくと、

里枝は凍り付いた湖面の上で止まっているスノーモービルに跨っていた。

「あれ?

 どうして」

キョトンとしながら彼女は周囲を見回していると、

ペチッ

と不意に彼女の頬が叩かれ、

親指ほどの小さなな顔が覗き込んできた。

そして、

『目が覚めた?』

と話しかけてくると、

「え?

 だっ誰?

 って

 え?

 あたし?」

頭と体の要所を小さな若葉で覆いながらも

自分と瓜二つの顔を持つ妖精を里枝は見据えそう呟く。

『初めまして…

 というのは変だよね。

 私は樹だったあなたから分かれた分枝。

 だから、

 わたしはあなたでもあるわ』

”分枝”妖精は自己紹介をすると、

「分枝…

 そっか、

 あなたはわたしから分かれたあの分枝なのか。

 ん?

 でも、どうやって?

 わたしはあなたを連れてきた覚えはないけど」

分枝妖精の説明に里枝は納得しつつ疑問に思うと、

『あの人たちに連れてきてもらいました』

そう返事をして空を指さした。

「?」

その指につられて里枝が空を見上げると、

グォォォォッ!!!!

巨大な白爪草の4枚の葉が衛星軌道上より落下してくるところで、

空を黒く染めて飛ぶ鳥に逃げ場を与えることなく

さらに鳥を湧き出させている歪んだ空間もろとも押しつぶしてしまうと、

ズンッ!

沼ノ端を大きく揺るがした。



『おぉ!

 さっすがっ、ハニーバトンの威力っ、

 凄いねっ』

腰から4枚の羽を伸ばし空を舞う玉屋は手をたたくと、

『そんなことはどうーでもいいでしょっ、

 ラブリー・玉屋さんっ

 っていうか、

 空を飛べるからといって、

 何でわたしまでこんな格好を…』

とイブキは自身が着ている衣装と短めのスカートを気にしてみせる。

すると、

『間に合ったからいいじゃない。

 ハニー・イブキ。

 その可愛い格好を副指令が見たらなんていうかな?』

『ふざけたことを言わないのっ』

『さーて、

 こっちも負けては居られないわね、

 人間界での傍若無人は許しませんよぉ!

 せーのっ、 

 たーまやー・目からビィィムッ!』

の掛け声とともに、

ズドンッ!

発生した衝撃波が舞う雪を蹴散らすや、

玉屋の目より放たれたビームが巨樹を直撃すると

巨樹の枝葉が吹き飛び、

キラキラ

と無数の氷のかけらを落としていく。

『おのれっ!』

その様子に影は怒りの表情を見せると、

『…くすっ、

 …歪みは正されていくようだな』

嵯狐津姫はそう呟き小さく笑って見せる。

そして、

『…もはやわたしが手を下すことはないか』

その声を残して嵯狐津姫の体は砕け消えていった。

『傀儡め…』

嵯狐津姫が消えた後、

影は苦々しく言うと、

フッ、

その体に色がつき始め、

『閻魔…

 全てはお前の差し金か』

長い髪を流す古代の貴婦人を思わせる姿となり、

その口元を歪ませて見せる。




『ふむ、

 なかなか面白い趣向のようだな』

湖岸に立つ初老の男性は巨樹の周囲で行われている戦闘を眺めながらそう呟くと、

「何か言ったか?」

健一は聞き返す。

『いや、なんでもないが

 だいぶ混沌としているようだな』

と男性は言い、

『あれに一矢報いたいんじゃないのかね?』

鋭い視線で聞き返した。

「誰だあんた。

 警察の関係者か?

 それとも軍の関係か?」

訝しがりながら健一は聞き返すと、

『君はさっき伝えたはずだが、

 まぁいい、

 改めて言うが役場から来た者だよ』

と男性は答える。

「役場からねぇ…

 どうもその言葉を額面どおりには受け取れないわ」

頭を掻きながら健一は返事をすると、

夜莉子と沙夜子も怪訝そうな目で見つめていた。

「…何か感じる?」

「…うーん、

  なにも?

  でも…」

男性の正体を見極めようと二人は既に霊視を行っていたが、

しかし、何か引っかかることは感じ取っても、

確信を求めるものはつかめては居なかった。



『枝を切ってくれと頼まれてな。

 確かに邪魔な枝が生い茂っているな』

周囲にかまうことなく男性はそう言いながら巨樹を見上げて見せると、

「あの巨樹の枝払い?

 誰だよ、そんなことを頼んだのは

 それに今はそれどころじゃないだろう」

落ち着いた表情の男性に健一は嫌味を言うと、

『ここの街にはタウンヒーティングシステムというのがあるそうだな』

と男性は聞き返した。

「タウン・ヒーティング?

 あぁ、湧涌谷の温泉蒸気で沼ノ端を暖めようという、

 前の市長が作ったアレか」

『あるのだね』

「まぁなっ、

 でも、使い物にならないぞ。

 なんせ9割工事が終わったところで、

 湧涌谷の火山活動が活発になったとかで工事は中止、

 計画を進めてきた市長はその責任を取って辞職する騒ぎになったからな。

 湧涌谷に打ち込んだ井戸と閉鎖中の観光センター地下にある本管を繋げば

 沼ノ端の街中から蒸気が噴き出すことになるけど。

 ってまさか、あんたそれを…

 それと枝払いとどんな関係があるんだ?」

『ふむ』

健一の説明を聞いた男性は目を細めて頷くと、

「ちょっと待て、

 湧涌谷は未だ噴火警報レベル2が発令中で、

 立ち入りは厳しく制限されているんだぞ。

 誰が降りて工事をするんだっ

 丸腰で降りて

 えっさかほいっ、ガチャン!

 ほれ、開通!

 って訳にはいかないだろう」

こわばった表情で健一は男性に向かって言うと、

『それは大丈夫だ。

 丸腰でも頼りになるエージェントに

 先ほど発注をかけたところだ』

と男性は返事をする。



風光明媚な沼ノ端の背後にそびえる火山・端ヶ岳。

カルデラ中に複数の頂を持つ端ヶ岳の中腹に

沼ノ端の観光名所の一つである湧涌谷がある。

活発な火山活動の地熱により

湧涌谷の谷底には沼ノ端を凍り付かせている雪は一切積もらず、

赤茶けた岩肌が吹き出す高圧蒸気に炙っていた。

その灼熱地獄の谷底で動く黒い影があった。

『さぁて、

 じゃぁ工事を始めましょうか』

軍手をはめた腕を高く伸ばして準備運動を始めたのは

他ならぬマッチョマンレディであった。



つづく