風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第五話:雪中花)


作・風祭玲

Vol.1098





ヒュォォォッ…

雪を伴い、容赦なく吹き付けてくる強風。

命あるものはみな白い氷雪の中に封じ込められ、

ひたすら歩き続ける男の姿のみが、

この場にて唯一輝いている命であった。

ザクッ

ザクッ

口を真一文字に結んで寒さに耐え、

膝まである雪をかき分けて

男は白い樹氷が立ち並ぶ中を黙々と歩いていく。

「誰かぁ!

 誰かいませんかぁ!!

 私の声が聞こえていたら返事してくださーい」

樹氷の森に向かって男は何度も声を張り上げるが、

しかし、彼が期待する返事はなく、

風の音が響くだけだった。

「って、ここってどこだよ。

 樹氷ってことは…蔵王か、

 ここは蔵王なのか?

 あははは…

 遠野で道に迷って蔵王を彷徨うって

 変だな、

 どこで道を間違えたんだ?

 っていうか、
 
 ありえねーだろっ、

 こんなことって!

 俺は遠野の河童渕で出会った、

 ”きゅっぷい”

 って鳴いて、

 耳にわっかを付けた真っ白で猫みたいな生き物を追いかけただけだ

 なのに…

 なんで、こんなところに居るんだよっ」

男は心からの叫びをあげるが、

だが、風の音がスグにその声を消していく。

「これって遭難っすか…

 はぁ、まだ彼女も居ないのに…

 ここで遭難して氷漬けになって、

 春になって雪の中から登山客に発見される。
 
 ってお定まりのコースですか」

涙を流しながら男は己の不運を嘆くが、

だが、

ヒュォォォォ…

樹氷の中を吹き抜けてくる風は

そんな彼を嘲笑うかのように舞い踊っていく。

と、その時、

『…かっれきーにー…

 …はーなをー…

 …さーかせ、

 …ましょー…』

幻覚だろうか、

男の視界に白き衣をなびかせながら宙を舞い、

歌声をあげる白い女たちの姿が見えてきた。

「これってまさか幻覚っていう奴?

 誰が…こんなところでくたばるかっ」

己の命を削っていく女たちを睨みつけると、

男は歩きはじめた。

やがて、陽が落ち、

雪が舞う冬山から次第に光が消えていくと、

夜の闇が背後から迫ってくる。

ザクッ

ザクッ

雪にまみれながらも男が進んでいくと、

パキン!

何かが割れた音が響く。

と同時に、

フッ

強く吹き付けていた雪交じり風が止まり、

同時に女たちの姿が掻き消えていく。

「!?」

それに気づいた男はその場に立ち止まると、

顔をゆっくりを上げて見せる。

すると、

ヒラヒラ

夜の闇に白いモノが舞い落ちてくる中に男は立っていた。

「なんだ?」

いきなり情景が変わったことに男は驚きながらも再び歩き始めると、

ヒラヒラ

ヒラヒラ

闇から降ってくる白いモノは次第にその数を増してくる。

不意に男は掌を広げてその白いモノを受け止めると、

「花…びら?」

彼の掌に落ちてきたものは一枚の花びらであった。

「なんだこれ。

 そんなに…ヤバイ状態なのか?」

現実と幻の区別がつかなくなってきたことに気付いたのか、

ひきつった笑いを作ってみせると、

と同時に、

ズシッ!

強い力が男の体に伸し掛かってきた。

「うごぉぉっ!」

まるで巨人に握りしめられているかのような力の圧力に

男は目を剥いて耐えていると、

『…かっれきーにー…

 …はーなをー…

 …さーかせ、

 …ましょー…

 ……

 …さっいたぁー…
 
 …はーなよー…

 …さきほ、

 …これー

 ……』

フワァァァ

夜の闇を縦に裂くようにして一筋の輝きが走り、

その輝きは次第に太さをましていくと、

暗闇を押しのけるようにして男の前に広がりはじめた。

「うぉっ、

 まぶしっ!」

光の圧力と言っても過言ではない輝きに抗するように

男は腕を構え顔を反らす。

そして、彼のの目が光に慣れてくると、

自分の目の前に立つ異なるものの姿が見えてくる。

「なんだ

 これは!!!」

驚きの声を上げる男の前には、

距離はまだ相当あるにもかかわらず、

視界を覆いつくほどの胴回りを持ち、

天を突くほどにまでそびえ立つ金色の巨樹が、

天空を覆うがごとく広げた枝先に無数の花を咲かせて、

男を見下ろしていた。

「樹?

 樹なのか?

 それにしてもなんてデカイんだ。

 縄文杉ってレベルじゃないぞ」

半分凍っている口を動かして男はつぶやくと、

ユラリ

空気がかすかに動き、

キラキラキラ

花びらに変わって光の粒が樹の枝から降り始める。

「え?

 え?

 えぇ?

 ゆっ夢を見ているのか?」

自分に向かって降ってきた光の粒子に男は声を上げていると、

「樹…怨?」

耳から聞こえてきた言葉を男は呟く。

だが、その時の彼の生命力はもはや限界に達しようとしていた。

急に男性の視界かすみだすと、

猛烈な眩暈に襲われ、

「あれ?

 あれ?」

その声を残して男は崩落ちるように倒れ込んでしまうと、

動かなくなくなってしまった。



光の粒子が静かに舞い踊る中、

コツリ

樹の袂より杖を突き、

古代装束をまとった老女が姿を見せると、

『…まったく生身の人間が無作法に神域に足を踏み入れるから、

 …命を落とすのだ』

と戒めいたことを言い、

杖で男の体を突いて見せる。

『…ふむ、樹怨様の身の回りを嗅ぎ回っているあの者の差し金か?

 …まったく、何を吹き込まれたのかは知らぬが、

 …妖一盃、通ることが罷らぬこの結界を

 …何食わぬ顔をして潜り抜けてきたことは褒めて遣わす。

 …だが、相応の支度もせずに神域に踏み込んでしまったのが、

 …己の不運と思うのだな。

 …穢れなきこの場に骸を晒すなどもってのほか。

 …早々に黄泉醜女に引き取らせようぞ』

動かぬ男を老女は幾度も杖で突き、

さらに杖先で男を仰向けに転がすと、

『…ん?』

男の顔に生気がかすかに残っていることに気付いた。

『…ほぉ、

 …まだ命の力が残っておったか。

 …なかなかしぶとい奴じゃ』

男がまだ果ててないことに老女は気づくと、

しばし考えるそぶりを見せる。

そして、

『…ふむ、

 …ならば、これを与えてみるか』

と言いながら、

老女は懐より翠果の実を取り出して見せる。

『…果肉を食した者を樹へと変化させる翠果の実。

 …この者が体の変化についていけずに果ててしまえば、

 …それまで。

 …もし、耐えることが出来たら、

 …少しは樹怨様のお役に立つだろう』

その言葉と共に老女が倒れている男に迫ると、

『………』

彼女の耳にある声が響いた。

『…なりませぬ』

その声に老女は動かずに反論するが、

『………』

声は再び響くと、

男の体の周りに光が集まり始める。

『…何をお考えですか。

 …なりませぬっ』

光に向かって老女は声を荒げるが、

『………』

それに反論するかのように声が響くと、

男の体に光の粒が取り付き、

その中へとしみ込むように消え始めた。

『…なりませぬっ!

 …ここは樹怨様の神域。

 …この者が支度もせずにこの神域に踏み入った事、

 …それ自体が罪です。

 …その代償としてこの場にて命を落とすか。

 …樹となり樹怨様に永久の奉公するかが、

 …この者に称えられた唯一無二の選択です』

男の体に次々と飛び込んでいく光に向かって声を上げるが、

だが、光の流れは止まらない。

『………』

『…何をお考えなのですか?

 …樹怨様』

光に向かって老女は声を上げると、

光の粒を取り込んでいく男の胸のあたりに光が集まり、

ミシッ!

その中から小さな光の芽が頭をもたげ双葉を開いて見せる。

『…樹怨様っ!』

老女の怒鳴り声が響くが、

ミシミシ

ギシギシッ

開いた双葉から吹き出すように本葉を伴った枝が伸びると、

瞬く間に枝は幹となり、

成長していくにつれて幹は人の姿へと変っていく。

そして、倒れている男と同じ姿へ、

同じ立ち姿へと幹は変貌してしまったのであった。



『…樹怨様、

 …何をなさっているのかお判りですか?』

肩を震わせて老女は訴えると、

樹の幹から変貌した男はゆっくりと自分の手を動かし、

掌を握ったり開いたりしながらその感触を確かめて見せる。

『…ふむ

 …体が動くとはこういうことなのか。

 …なるほど』

『…樹怨様っ』

『…そう声を上げるな。

 …お前はうるさい』

『…いいえっ、

 …黙って見過ごすわけには参りません』

『…騒ぐなっ、

 …この者の姿と声。

 …そして記憶を借りて、

 …ちょっと外へ見物に行くまでよ』

『…どちらまで?』

『…そうねぇ、

 …まずは人間界。

 …次に、閻魔ちゃんの地獄界。

 …できれば天界も覗いてみたいわね』

『…なぜ?』

『…え?』

『…あなた様は1万年前、

 …円環の理を傷つけ改変をして以降、

 …ずっとこの地にてお籠されてきました。

 …それがなぜ禁を破り、

 …外の世界に行かれることを決心なさったのですか?』

『…お前にはわかるまい。

 …だが、約束をしよう。

 …わたしは見るだけ、

 …円環の理が再構築された世界を見るだけだ。

 …気が済めばここに戻ります』

『…はぁ』

老女は大きくため息を吐くと、

『…何のためにここで年を重ねてきたのか。

 …いま、見だけと仰いましね。

 …ならば、いいですかっ。

 …見るだけですぞ。

 …あなた様はあくまでも見るだけ、

 …人間界。

 …いいえっ、万に一つ、

 …地獄界、天界に足を踏み入れることになっても、

 …あなた様はそのお姿で見るだけですぞ。

 …よろしいですかっ』

老女は戒めるように声を上げた。

すると、

『…わかっているって

 …じゃ行ってくるね。

 …ふふっ、

 …1万年ぶりね、

 …閻魔ちゃんに逢うのって、

 …元気にしているかな』

と男は呟くと、

その体をまばゆい光で包んでいく。

そして、

パァァァンン!

矢を射るがごとく天に向けて光の帯が放たれると、

苗床にした元の体を残して消えてしまったのである。

『…まったく

 …何事も起こらなければ良いのだが、

 …いや、樹怨様のことだ、

 …きっと、何か大騒動を起こすであろう。

 …ほうき星を落としたときは多くのトカゲが死に絶えたし、

 …南国の火の山を手違いで吹き飛ばしたときは

 …人間どもが滅亡の手前まで追い込まれた。

 …さて、厄介なことになる前に天界と話をつけておくか』

天に昇っていく光の帯を見送りながら老女は嘆いて見せる。



「里枝ちゃん!

 どうして沼ノ端に?」

リニア中央新幹線・新沼ノ端駅のコンコース。

この街を離れていたはずの三浦里枝に声を掛けられた岬健一は驚きながら聞き返すと、

「ふふん、

 レポートの提出が終わって時間ができたから、

 様子を見に来たまでよ。

 リニアって早いわね。

 さっき品川の新東京駅を出たと思ったら、

 もぅ沼ノ端なんだから」

と里枝は得意そうに言う。

「なんだ、

 そういう事だったか」

彼女の話を聞いた健一は胸をなで下ろし

安心した表情を見せるが、

「で、その荷物は何?」

と里枝が担いでいる大所帯の荷物を指さした。

「決まっているでしょう。

 スキー用具よ。

 沼ノ端で季節外れの大雪が降っている。

 って今朝の全国ニュースで言っていたから、

 大慌てで支度してきたの。

 いやぁ、東京行きの”はやぶさ”じゃぁ

 これが目立ってねぇ」

「そりゃそうでしょう。

 一応、いまは6月なんですから…」

理由を聞いた健一はジト目で彼女を見ると、

「ほら、

 私ってずっと樹だったから、

 枝先に雪を乗せることがあっても、

 スキーをする機会が無かったのよ。

 だから、沼ノ端でスキーができるって

 つい嬉しくなっちゃって」

「なるほど。

 とはいっても、

 沼ノ端にはまともなスキー場は無いですよ。

 元々そんなに降ることろじゃないですから」

「細かいところは気にしない。

 現にこんなに積もっているじゃない」

と降り積もる雪でクルマが身動き出来なくなっている駅前広場を指さした。

「うぉっ、

 いつの間に!」

まさに雪国レベルの積雪量になっていることに健一が驚いていると、

「岬さん、

 大変です、中継車が」

スタッフの一人が血相を変えて駆け込んできた。

「あらら

 完全に雪に埋もれたな…

 ってこれじゃぁ中継はできないし、

 局には歩いて戻るしかないか」

スタッフが総がかりで雪の中から掘り起こしに掛かっているものの、

焼け石に水状態となっている中継車を健一は不安げに眺めていると、

ブォォォン!

吹き上がるエンジン音が響かせながら、

雪煙を巻き上げてスノーモービルが駅前広場に飛び込んできた。

「すごーぃ」

入ってきたスノーモービルに里枝は目を輝かせると、

フォォォン!

モービルはグルリと円を描いて停車し、

乗っていた男性が悠然とモービルから降り立った。

「ん?

 あの人は…」

男性の姿に見覚えがある事にづくと、

「よぉ、

 仕事、サボってないで、

 ちゃんとやっとるかぁ」

智也の元上司であり、

いまの健一の上司である榊が手を挙げて見せる。

「榊さんっ」

「いやぁ、まさか6月にコイツに乗れるなんて夢にも思っていなかったよ」

「今日、有休ってなっていましたけど、

 それを引っ張り出していたんですか」

「あははは」

「っていうか、

 いいんですか?

 公道を勝手に走って」

「細かいことは気にするな。

 それにこの雪じゃ、

 クルマはとっくに役に立たないだろう。

 だったら、こいつの出番だ」

「………」

榊はご満悦そうにモービルの車体を叩いて見せると、

「お知合いですか?」

と里枝は健一に尋ねた。

すると榊は里枝に視線を向け、

「ん?

 こちらの御嬢さんは?」

と尋ねる。

「あぁ、三浦里枝さんです。

 牛島の婚約者ですよ」

健一は里枝を知らない榊に向かって説明をすると、

「ふむ」

榊は考える素振りをして見せ、

「牛島が婚約をした。と話は聞いている。

 だがな、岬。

 ヤツに8歳以上若い嫁をもらうことは犯罪行為だと言っておけ」

と警告をする。

「はぃ?」

「よく考えてみろ、

 お前らが20歳の時、

 彼女はまだ小学生だぞ。

 その小学生を嫁にすると言うことはだ、

 もはや犯罪だ。と言っているんだ?」

「榊さん

 論点ズレていますよ。

 それにこう見えても三浦さんの年齢は…」

と健一が言いかけたところで、

ドゴッ

彼の足先に里枝が持っていたスキー板を包む肩掛け袋が落ちてきた。

「うごぉ!」

目を剥いて健一は痛みを堪えてると、

「ごめんなさい。

 手が滑って」

と里枝は謝り、

そして、

「ご心配ありがとうございます。

 智也…

 いえ、牛島君って若い子が好みの様で」

榊に向かって挨拶をした。

「あははは、

 いや、こんな若い娘さんを嫁にするだなんて、

 牛島も隅には置けないな。

 で、これから牛島のところに?」

「はい、

 この雪で困っていたんです」

「そうか、

 それなら、私が送ってあげよう。

 このスノーモービルならスグに到着するよ」

キラリ☆

と歯を輝かせながら榊は誘うと、

「何をしている、

 早く乗らないか」

いつの間にかモービルに跨っていた健一が二人に催促をする。

「おいっ、

 勝手に乗るな。

 俺のモービルだぞ」

「岬さん。

 これに乗って局に顔を出すんでしょう?

 なら、私も乗せてくださいよ」

「あのなっ

 モービルは二人乗りだ!」

そう榊が怒鳴ったところで、

「岬さんっ、

 私たちも乗せてくださいっ」

の声と共にスタッフたちも榊のモービルに群がってきた。

「こらぁ!

 モービルは二人乗りだ」

「細かいことは気にしない下さいよ」

「この雪の中を歩かされるのは勘弁してください」

と群がるスタッフたちは口にする。

さらに榊と里枝、彼女の荷物を積み込んで、

「お前らっ、

 落っこちても知らんからなっ」

ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!!

ブォォォォォォッ!!!!

唸り声と黒煙を吹きあげて、

リンゴの特売コーナー状態のスノーモービールが

雪が降りしきる沼ノ端の街へと向かっていった。



『次は…お前…ですか』

雪が降りしきる沼ノ端中央公園。

その上空に浮かぶコン・リーノは、

フッ

と息をつく様に笑みを浮かべると、

『まったく、

 この私を誰だと思っているのです?

 この世の輪廻である”理”、

 ”理”を統べる嵯狐津姫様の第一臣下であるコン・リーノですよ。

 この私に…お前だなんて、

 まぁよくもヌケヌケとそのようなことを言えるものですね。

 君っ、

 自分の立場を判っているのですか?

 私がその気になれば、

 ただではすみませんよ』

と上から目線でマッチョマンに向けて言う。

しかし、

『それはどうでしょうか?

 もし、私が勝ったら、

 あなたには土下座してもらいましょうか?』

何処から来たのかちょこんとお座りしている白い犬の目の前で

マッチョマンも負けじと言い返すと、

『おいっ』

と樹の少女に向かって声をかけた。

『…なっなによっ』

『今のうちに根を切っておけ、

 ここから脱出するぞ』

『…え?』

『早くしろ、

 今度火を被ったらお前は幹まで黒焦げだぞ。

 そうはなりたくないだろう』

振り返らずに話しかけるマッチョマンの声に、

『…う…ん』

樹の少女は同意すると、

ブチブチブチ…

地中に埋めている根を切り始めた。

『それによく似た音、

 昔、聞いたことがあるな』

『…何か言った?』

『いや、なんでもない、

 根を切ったら枝を伸ばせ、

 あいつに気付かれないようにな』

コン・リーノを睨みながら、

マッチョマンは樹の少女と話していると、

『何をコソコソ話しているのですか?

 私は全力であなたを潰しますよぉ』

その声と共に

バッ

コン・リーノは着ていた背広の上着をはぎ取った。

すると、

ずずずずずずずんんん!!!

コン・リーノの体が一気に膨らんでいくと、

金色の獣毛を輝かせ、

まるで小山のような巨大な化けキツネがマッチョマンの前に姿を見せた。

『これがあいつの本当の姿かっ』

目の目に聳え立つ化けキツネを見上げながらマッチョマンは呟くと、

シュルルルル

ミシミシミシ

樹の少女から枝が伸びてくる。

『…こっこれでいいの?』

『あぁ、それでいい。

 よしっ、

 まっするすくらんだぁ!!』

樹の少女から延びる枝をマッチョマンは鷲掴みにすると、

彼の飛行ユニットを呼び出した。

ギエェェェェェ!!!

バサァ

バサァ

その呼び出しに応えて黒い怪鳥が降りしきる雪の中から姿を見せ、

地上のマッチョマンに向けて急降下をしてくる。

『よっしっ、

 行くぞ!』

それを目視で確認したマッチョマンは、

樹の少女の幹を勢いよく引き抜くと、

ウォォォォッ!!!

ズドドドドド

100mをわずか3秒で走り抜けるマッチョ走法で、

一気に駆け抜けていくが、

『にがさんっ

 狐火っ!』

それを見たコン・リーノは大きく口を開くと、

カカッ!

背中の絨毛を光らせ、

ゴワァァァァァ!!!

マッチョマンに向けて火炎を吐いた。

だが、間一髪。

『すくらんだー

 くろーぉぉぉすっ!』

『ぎえぇぇぇぇぇ!!』

ガシッ!

ブシュッ!!!

マッチョマンはドッキングに成功すると、

漆黒の肉体から鮮血を噴き上げて大空へと舞っていく

『…どこに逃げても無駄だ!!』

ゴワァァァァァ!!!

『いいか、

 枝と根っこを俺の体にしっかりと絡ませろ。

 落っこちるんじゃないぞ』

抱きかかえている樹の少女に向かって、

マッチョマンはそう言い聞かせると、

『…はっはいっ』

シュルシュルシュル

樹の少女はその返事と共に、

マッチョマンの動きの邪魔にならないように枝と根を絡ませていく、

『飲み込みの早い奴だな

 名前はなんていう』

『…え?』

『君の名前だよ』

『…名前って?』

『まさか、

 無いのか?』

『…私…樹だし、

 …芽を出したときには、

 …何も…』

『そうか、

 じゃぁ、私が名付けてあげよう。

 うーん、

 何がいいか

 …トモエ。

 そう、トモエ。

 君はトモエだ』

『…ト・モ・エ

 …私の名前?』

それを聞いた途端、

樹の少女は姿形を人間へと変え、

マッチョマンに絡みついていた枝は人の手に変わった。

『急にどうした?』

『…ううん、

 …なんか、

 …ずっと、

 …ずっと探していた沢山のものが

 …一度に見つかった感じがして』

と眼下に見える端ノ湖に視線を落として、

樹の少女・トモエはそう呟くとマッチョマンの背中にしがみついた。

『ちょろちょろと、

 飛び回るんじゃありません。

 狐火っ!』

コン・リーノの怒鳴り声が響や、

ゴワッ!

マッチョマンに向かって炎の塊が迫ってくる。



フィン!

雪景色の沼ノ端を見下ろす高層マンションの14階

そのテラスに設けられたステーションポイントが久方ぶりに光り輝くと、

フッ

二人の女性・玉屋とイブキが光の中から姿を見せる。

『きゃっ!』

『おっとぉ!

 なんのっ!

 無事着地!

 10点満点!』

着地の瞬間、

積もっていた雪に足を取られて転んでしまったイブキに対して、

玉屋はバランスを大きく崩すものの、

しかし、持ち前の粘り腰でなんとか体勢を立て直すと、

体操選手の如く着地を決めて見せた。

『うわぁ、

 こっちも大雪かぁ』

見渡す限りの雪景色となっている沼ノ端を見渡しながら、

玉屋は感心して見せると、

『ここまで樹怨の影響が出ているだなんて』

起き上がったイブキも白一色の世界を怪訝そうに見つめて見せる。

そして、手早く背負ってきたリュックサックからPad型端末を取り出すと、

アレコレと操作を始めだした。

『どんな感じ?』

その様子見ながら背後から玉屋が話しかけると、

『…まだ、樹怨は具現化していないようです。

 でも”理”の流れには既に大きなゆがみが出ているようです。

 しかも歪みの幅は現在も拡大しています』

『それってなに?

 もうすぐ樹怨が降臨するってこと?』

『そう見ていいかと思います』

『で、どうします?』

『とにかく、

 降臨が予想されているところに向かいましょう。

 何としても樹怨の具現化を止めないと』

とイブキは言い切る。

その時、

ズズン!!!

街中に大きな衝撃波が走ると、

雪が激しく降る端ノ湖に火柱が次々と立ち上っていく。

『なにあれ?』

それに気づいた玉屋が声を上げるのと同時に

ドォン!

ボボボボボンンン!

遅れて届いた衝撃波があたりを揺らした。

『まさか、

 樹怨?』

『違いますっ。

 樹怨は火の法術は使えません。

 この波形パターンは…化生。

 力の強い化生が湖周辺に…

 一体…

 二体…

 三体存在しています』

と画面を見ながらイブキは声を上げる。



「一体、どこのアホじゃ!

 この一大事に余計な騒動を起こしおって!

 ワシが直々に成敗してくれる!」

端ノ湖に立ち上る火柱を仰ぎ見ながら柵良美里は怒鳴ると、

「ふんっ」

気合一発、自分の使い魔を呼び出し、

その上へと飛び乗った。

「ちょっと、柵良さん。

 置いていかないでよ」

「二人ともそこで待っておれ、

 スグに片づけてくる」

困惑気味の巫女神夜莉子・沙夜子に向かって

美里は鼻息荒く指示を出すと、

「行けっ」

の言葉一つで湖に向かって飛んでいく。

「あーぁ、

 行っちゃった」

「ふーん、

 あの火柱を上げたのはキツネの化生だな、

 狐火であの威力か…

 まぁ、柵良さんなら何とかなるでしょう」

放っている使い魔から送られてくる映像を鏡で見ながら沙夜子は頷くと、

「それでいいの?」

と夜莉子は怪訝そうな目で見る。

「柵良さんの好きにさせればいいよ」

夜莉子の視線に構わず沙夜子はあっけらかんと答えると、

「さて、それ以外の化生は…」

と他の化生についても走査し始める。

「うん?

 すばしっこいなぁ…

 二体仲良く並んで…

 一体は樹の性質の化生だな。

 もぅ一体は…うーん?」

そう呟いた途端、沙夜子が難しい顔になると、

「どうしたの?」

「やば、判別ができないタイプの化生だ」

と言う。

「何それ?」

「一言で言えば無属性。

 それ故、相手にするには一番厄介なタイプだよ。

 あっと、キツネの戦闘力が出た。

 67800かぁ…そこそこ強いな」

「へぇ、

 化生の強さ算出できるんだ」

「使い魔に持たせているリングにスカウター機能を搭載したんだ。

 化生の強さを数値で出せれば攻略し易いしね、

 けど、雪がこうも激しくてはこれ以上の哨戒は難しいか、

 柵良さんも出向いたし、

 使い魔は一旦引き上げた方が良いな。

 あっ樹の化生の戦闘力が出た…そんなに強くないか。

 でも、無属性は…ありゃエラーか、

 エラー

 エラー…ねぇ

 無属性で戦闘力の判定が出来ない。

 本当に存在しているのかな、この化生…」

鏡を見ながら沙夜子は小首をひねっていると、

ゴゴゴゴゴゴッ

駅の方面より黒煙を吐きながら

鈴なりの人を乗せた榊のスノーモービルが迫ってきた。

「なに…あれ?」

「上海ナントカとかいう中国の見世物?」

唖然としながら二人は接近してくるモービルを見ていると、

カッ!

近い距離で火炎が輝き、

ドォォォン!

間髪入れずに轟音が轟く。

「近いわ」

「ちょっとヤバいな?」

「柵良さん、

 ケンカを売ったもの返り討ちにされたのかな」

「かもな…」

「私たち、行かなくていいのかな」

「行くなら今でしょ」

「でも、この雪じゃぁ」

「アレに乗っけてもらえばいいよ」

の声を残して沙夜子が飛び出すと、

「止まってぇぇぇ!」

の声と共に沙夜子は飛び出すとモービルに向かって手を振って見せる。



「見て、

 湖からまた火柱が上がったわ

 しかも近くなっている」

火柱が立ち上る端ノ湖方面を指さして里枝が声を上げると

「間違いない。

 ありゃぁ化生の仕業だ」

とハンドルをを握る健一は声を上げた。

「なんだ?

 化生って?」

それを聞いた榊が聞き返すと、

「人智が及ばない魑魅魍魎の類です」

「おっおいっ、

 そんなモノが本当にいるのか?」

「榊さん。

 この世はいろんな不思議の事だらけですよ。

 人間の知識なんて…

 砂漠でつかみ上げる一握の砂にしかすぎません」

「随分と詩人みたいなことを言うじゃないか」

「えぇ、

 いろいろと経験させてもらいましたので」

一瞬、里枝に視線を送ったのち、

榊に向かって健一が言うと、

「止まってぇぇぇ!!」

の声と共に巫女装束姿の少女が車道に躍り出てきた。

「うわぁぁぁ!!!」

突然出来てた巫女・沙夜子に健一は慌ててブレーキを掛けるが、

定員オーバーのモービルの挙動は甘くはなく、

ぐるっと数回転してしまうと、

乗っていたスタッフを雪の中に撒き散らしながら停車したのであった。

「いきなり飛び出すなっ、

 危ないだろう!」

血相を変えて健一は怒鳴り声を上げると、

「これに私たちを乗せて湖に向かってください」

「暴れている化生を止めないと、

 とんでもないことに」

と夜莉子も飛び出し、真剣な表情で訴えてきた。



「化生?

 君たち、化生のことが判るのか?」

二人の言葉に健一が聞き返すと、

「はいっ」

沙夜子・夜莉子は力強く返事をした。

「わかった。

 乗れ」

それを聞いた健一は彼女たちに乗車を許すと、

「お前たちはここから歩いて局に向かえ、

 榊さん。

 申し訳ありませんが、このモービル貸してください」

と榊に向かって言う。

「全く、

 このスノーモービルは高いんだかならな、

 傷つけたら承知しないぞ」

健一の肩を叩いて榊は降りると、

「で、このお嬢さんはどうするんだ?」

里枝を指さした。

「里枝さん。

 申し訳ありませんが…」

里枝に向かって健一は降りるよう催促をしようとするが、

「智也は間違いなく向こうにいるよね」

と聞き返す。

「恐らく…」

「じゃぁ、行こうか、

 智也のところに」

彼の返事を聞いた里枝は笑ってみせると、

「はい、はいっ」

健一は頭を掻きながら返事をし、

「一応、君たちの名前を聞いておこうか」

と二人に向かって言う。

そして、

「身の安全は各自で行ってください

 事故時の責任は持ちかねますので」

里枝と沙夜子、夜莉子を乗せたモービルは、

雪煙を噴き上げると戦いの場である湖に向かって突進していく。



「この結界っ

 破ってみるかっ!!」

降り注ぐ火炎を避けつつ

マッチョマンとコン・リーノとの戦いの渦中に割って入ってきた美里は

コン・リーノを封じるように結界を展開していた。

『おのれぇ、

 人間ごときがぁ

 調子に乗るなぁぁ!!!』

巨大化けキツネに変身していたコン・リーノもがく様に力を籠め、

『ふんっ!』

の気合と共に

ズドンッ

瘴気を放つって見せるが、

ギーーーン!

美里の結界はそれに持ちこたえてしまうと、

『うごぉ!』

ギギギギギっ

さらにコン・リーノの動きを封じていく。

『くっ、押し競か…』

力に耐えながらコン・リーノは呟くと、

『ならば』

の声と共に全身の毛を逆立てると、

結界の一点に瘴気を集中させる。

「なんのっ、

 押し競で負けたことわないわ」

一方の美里もそれに応じると、

ゴォォォォォッ

結界は彼女とコン・リーノとの間で高速回転する円盤へと圧縮された。

『すげーっ』

その様子を目の当たりにしたマッチョマンは驚いていると、

「そこのお前っ」

手にした払い串で美里はマッチョマンを指し、

「何ボケっとしておる、

 早々にこの場から立ち去れいっ」

と指示をした。

『え?

 あっ、
 
 いや…』

「お主がその場に居ては

 押し競に集中できぬだろうが、

 樹怨が具現化する前に早々に立ち去れ」

困惑するマッチョマンに向かって、

キレ気味に柵良は怒鳴るや、

「ふんっ」

気合一発、

その払い串を振って見せる。

すると、

ゴワッ

『うわぁぁぁぁ』

巻き起こった突風にマッチョマンは飛ばされてしまうと、

ギェェェェ

彼の肩を掴んでいた怪鳥が弾き飛ばされ、

マッチョマンは人の姿になった樹の少女・トモエを背負ったまま

湖畔の雪原に突っ込みたちまち雪だるまとなって行く。



「ほぉ、筋肉ダルマが見事な雪だるまだな」

マッチョマンが雪だるまになったところにスノーモービルから降りた健一が声をかけると、

『お前、来ていたのか、

 こんな雪、大したことはない』

健一に向かってマッチョマンは怒鳴ると、

『まっちょ、ふぁいやぁ!!!』

の掛け声ひとつでたちまち雪を吹き飛ばしていく。

『むんっ!』

漆黒色の裸体を再び晒したマッチョマンは鼻息荒くポージングをして見せると、

「相変わらずね」

あきれ顔の里枝が声をかける。

『え?

 さっ里枝?

 いっいつ、沼ノ端に?』

思いがけない彼女の登場にマッチョマンは驚くと、

「沼ノ端で大雪が降っている。

 ってニュースで言っていたから、

 スキーでもしようかなぁ…と思ってね、

 さっきリニアで着いたと・こ・ろ」

と理由を言う。

『スキーって、

 お前…』

「あたしってずっと樹だったし、

 久方ぶりのスキーでも…って思っていたけど、

 でも、とてもそんな雰囲気じゃないみたいね」

『当り前だ』

「とりあえず智也が元気そうでよかったわ」

マッチョマンのお腹を叩きながら里枝はそう言うと、

「で、こちらの方は?」

と彼が背負っているトモエについて尋ねる。

『あぁ、こいつは…』

「ふーん、樹の化生ね。

 匂いでわかるわ。

 智也って本当に化生とは縁があるみたいね」

『うるせーっ、

 元を正せばお前が樹になったところから始まったんだろうが』

「あら、言うわね。

 あの木の実がなっている樹に連れて行ったのは智也の方じゃない」

『え?

 里枝の方だろう?

 里枝がさっさと山に入って行って、

 こっちはそれについていっただけだ』

「違うわよ、

 私は智也の後を追いかけたのよ。

 智也が目もくれずに行くから…」

「まーまーまー

 今は昔のことを言い合っている場合じゃないでしょう」

昔を指摘する会話が水掛け論になりかけたところで夜莉子が割って入ると、

「お主らっ、

 いつまでそこで無駄話しているのじゃ」

と押し競をしている柵良が声を上げた。

「とにかく、

 ここから引いた方が良いみたい」

柵良の戦いを見上げながら里枝は言うと、

「あの黒いのがさっき見ていた無属性の化生?

 なんだ、ちゃんと具現化しているじゃない」

と沙夜子は呟く。

「ねぇ、あなたの名前はなんていうの?」

マッチョマンが背負っている少女に向かって里枝は話しかけると、

『トモエ…

 この人がそう名付けてくれた』

とトモエは返事をする。

「智也…

 あなた化生の名付け親になったの?」

それを聞いた里枝はマッチョマンに聞き返すと、

『ちょっと、

 私のことを化生って言わないでよ』

不機嫌そうにトモエは声を上げて腕を上げると、

里枝を叩こうとした。

そして、そのトモエの手を里枝が反射的に受け止めた時、

「え?」

『え?』

二人の脳裏にあるビジョンが流れ込んできた。

…夏の日。

…夕立。

…鳥。

…井戸。

「まさか」

『これって?』

『?

 どうしたんだ…二人とも?』

見つめ合う里枝とトモエの様子にマッチョマンは戸惑っていると、

『……

 …さきほーこ…る…

 …はーなのー

 …かおり…とべー

 ……

 …かおりーよー…

 …とーどけ…

 …よっみの…はて…

 ………』

その歌声共に

スッ

彼の背後で光の柱が静かに伸びた。



つづく