風祭文庫・異型変身の館






「樹怨 Act4」
(第四話:目覚める光)


作・風祭玲

Vol.1096





サクッ

サクッ

降りしきる雪の中を智也は一人で歩いていた。

樹の少女は何処に消えたのか、

なぜ雪の中を歩くのか、

どこに向かって歩いているのか、

そのような事は何も考えずに彼は雪の中を歩き続ける。

ザクッ

ザクッ

降りしきる雪は智也の膝より下を埋め、

その雪を蹴り上げるようにして前へ前へと歩いていくが、

しかし、いくら歩いても彼の目に入る景色は何も変わらなかった。

ハァハァ

ハァハァ

荒い息を吐き、

フラフラになりながらも智也は前へと進んでいくと、

『…かーれきーに…

 …はーなをー…

 …さーかせ…ましょー…』

の歌声と共に、

ポゥ…

彼の行く手に金色の輝きが姿を見せる。

『…あっ』

音も無く静かに輝くその光を見た途端、

智也は短く言葉を吐くが、

だが、これまで動いていた彼の足は動かなかった。

『ダ・メ…

 ヒ・カ・リ・ノ・ト・コ・ロ・ニ

 イッ・テ・ハ…』

雪の中から染み出すように出てくる言葉とともに、

引き留めるように足元の雪が重みを増す。

しかし、

『…行かなくては、

 …行かなくては、

 …あの場所に帰らなくては』

智也は動かない足を動かそうともがき始めた。

『行かなくては』

『…行かなくては』

『…行かなくては…』

「…おいっ」

『…行かなくて…』

「…おいっ」

『…行かな…』

「起きろっ」

「ん?」

何度もかけられる声と、

押し付けられ揺り動かされる肩の動きによって智也は目を覚ました。



「あっ!」

目を開けた途端、

智也は飛び上がるように頭を上げると、

ゴツンッ!

鈍い衝撃と共に智也の視界一面に白い火花が飛び、

同時に頭がカッと熱くなっていく。

しかし、それは長続きせず、

スグに熱さと入れ替わるかのように痛みがジワジワと浸み出してくると、

「いてぇぇぇぇぇ!!!!」

痛む頭を押さえながら智也はその場に蹲るが、

彼の横には同じように顔を抑える岬健一の姿があった。



「馬鹿野郎!

 いきなり飛び起きる奴があるかっ」

一方で顔面に智也の頭の直撃を受けた健一は

鼻を押さえながら怒鳴り声を上げると、

「お前こそ、

 避けろよ!

 運動神経良いんだろう!」

と文句を言う。

「ててててて…」

「朝っぱらからこれかよぉ」

文句を言いつつ痛みを堪えること約5分。

途方もなく感じられた時間が過ぎると、

ようやく二人を襲っていた痛みは引きはじめ、

程なくして耐えられる程度の痛みになると、

「あー、痛かった」

と言いつつ健一が立ち上がり、

「ったくぅ、ひどい目に遭った」

智也も追って立ち上がるが、

「あっ!」

何かを思い出したように突然智也は声を上げると、

慌てながら肩をひねり、腕を上げて自分の体を確かめはじめた。

「ん?

 どうした?」

彼のパフォーマンスを横目に見ながら健一は理由を尋ねると、

「あれ?

 あっ

 なんだ

 夢かぁ」

と智也は安堵の表情を見せる。

「はぁ?

 夢と現実の区別がつかなくなったのか?

 しっかりしてくれよ」

そんな智也を健一は茶化して見るせるが、

しかし、スグに真顔になると、

「それよりも表を見ろ」

とベランダを指さした。

「ん?

 ベランダ?」

彼が差した指に誘導される様に智也は顔を動かし、

外の景色を眺めるが、

その直後、

「うぉぉぉっ、

 なんじゃこりゃぁ!」

智也の絶叫が部屋中に響き渡った。



ドタドタ!

慌ただしく走る音が部屋に響き渡り、

机横に置かれた”里枝の鉢”の上を影が横切っていく。

そして、ベランダに通じる窓が開け放たれると、

智也は身を乗り出すように街を見下すが、

しかし、その彼の目に飛び込んできた沼ノ端の市街地は

白一色の雪景色になっていた。

「マジかよ!」

「7月になろうというのに、

 まるっきし冬の光景だな」

驚く智也の後ろに立った健一は

湯気が立つコーヒーを啜りながら

落ち着いた口調で話しかけると、

「なんで雪が…

 それに何時の間にこんなに降ったんだ?」

眼下の景色を見下ろしながら智也は呆気にとられていると、

「俺にもよくは判らない」

と健一は言う。

「判らないって、

 こんな大雪だぞ、

 気象庁は何も言ってないのか?」

「沼ノ端に大雪を降らせた雪雲の類は気象レーダーには映らず、

 気象衛星や気象監視システムにも引っかからない。

 深く立ち込めていた霧が晴れたと思ったらいきなりこの有様だ」

「霧が晴れたら?」

「あぁ、お前がそこパソコン机に突っ伏して寝ているときにな、

 自分の指先さえも見えなくなるほどの深い霧が立ち込めたんだ。

 で、何かヤバイような感じがしたんで、

 大急ぎで部屋の中に引き上げていたんだよ。

 お前、何かしたか?」

フルフル

健一の質問を智也は全力で首を横に振って否定すると、

「まぁ、一介のTV局プロデューサーが自在に大雪を降らせることができれば、

 ドラマ制作の連中は大歓喜だろうけど、

 そんなうまい話はこの世にあるわけはない。

 大方、妖怪…化生の仕業だろうけど、

 とはいってもこれだけの大雪となると、

 神様か悪魔のレベルだな」

「神様か悪魔って、

 沼ノ端にこんな雪を降らせて何の得があるんだよ」

「知るかっ、

 神様や悪魔が損得勘定で動くのか?」

「神様はともかく悪魔には損得勘定があるんじゃないのか、

 神様引き裂いて宇宙を改変した悪魔も居たことだし」

「で、その悪魔が神様を引き裂いたからって、

 大雪が降るのかよ?」

「さぁな?

 それに神様も神社じゃ賽銭を要求するじゃないか。

 神様も現金だよ」

「賽銭を要求しているのは取り巻いている人間の方だよ」

「はぁーあ

 こんな時に黒蛇堂さんがいれば相談できるのになぁ」

想像を超えた事象を前にして、

智也は専門の相談相手がいないことを嘆くと、

「必要な時に頼りになる相手はいない。

 と言うのもよくある話。っと」

澄ました顔で健一はコーヒーを啜る。



『コンッ!

 ”理”の流量、さらに2%ダウンしました!』

『なにぃ、また下がっただとぉ!

 仕方がない、

 5番ゲートを開いて緊急放出だ!

 ”理”の流れを止めるな!』

降りしきる雪をものともせずに

白一色の雪原に聳え立つ嵯狐津城。

その地下にあるコントロールセンターにコン・ビーの声が響き渡ると、

『コンッ!

 了解!』

の声と共に配下のキツネ達が手際よくオペレーションを始めだす。

『まったく、

 この一大事にコン・リーノさんは一体どこに行っちゃったんだろう。

 早く帰ってきてくださいよぉ!

 もぅ嵯狐津姫様も”ちょーお怒り”なんですから』

この場の総責任者であるコンリーノが不在のため、

コンビーは押しつぶされそうな重圧の中、

”理”の流れを映し出すモニターパネルと、

重い空気をもたらす城の上層階を交互に視線を送っていた。

一方、

『…くっそぉ!

 …首尾よくいっていたのにぃ

 …いったい誰ですかっ

 …あの女は!

 …見るだけ…と言って見逃したのが間違いでした』

自らが作り上げた結界内に智也を誘い込み、

首尾よく樹化の呪を掛けたものの、

しかし、あと一歩と言うところで、

金色に輝く女と言う邪魔が入ったために、

彼の計画は破たんしてしまったことに

コン・リーノはよほど腹が立ったのか

彼の本性であるキツネの姿を晒し、

金色の毛を逆立たさせていると、

『…コン・リーノっ、

 …アレは一体どういうことだ。

 …お前が作った結界は、

 …誰も入ってこられないものでは無かったのか?』

そんな彼を追い打ちをかけるようにして

不機嫌そうな樹の少女がまくしたてる。

すると、

『…(キッ!)お黙りなさい!

 …どんなに万全であっても、

 …想定外と言うものはあるんですっ!』

コン・リーノは樹の少女を睨みつけると、

苛立ちをぶつけるように怒鳴った。

『…なっ、

 …そっそんなに怒らなくてもいいじゃない』

日ごろ冷静なコン・リーノが見せた感情に

樹の少女は憮然とした表情になると、

『…もぅいいわっ、

 …私、帰る!』

と言い放ち、

コン・リーノをその場に残して歩き始めた。

『…くっそぉ、

 …よくも私の顔に泥を…

 …この落とし前は必ずつけてあげます。

 …やられたら、やり返す、倍返しですっ!!』

爪を噛みつつコン・リーノは決意するが、

『…ん?』

樹の少女の姿が傍にないことに気付くと、

『…こらっ

 …誰が帰っていい。って言いましたかぁ』

の声を残して霧の中へと消えていった。



フィン!

Dr・ナイトの屋敷跡にある森の奥、

雪に埋もれている井戸の周囲の空間が歪むと、

空中から樹の少女とコン・リーノが相次いで姿を現すが、

ボスッ!

『きゃっ!』

『うわっ』

雪に埋もれている地面に着地した途端、

ものの見事に足を取られてしまうと、

二人は抱き合うように引っくり返ってしまった。

『…うえぇぇ!

 …なにこれぇ?』

『…これは…雪?

 …この季節に?

 …いっいったい、どう言うことですか?』

すっかり真冬の雪景色となっている様子に

樹の少女もコン・リーノも戸惑いながら周囲を見回し、

そして、

『…これも、お前の仕業なのか?』

互いに相手を指さして尋ねた。

『…私は樹よ。

 …雪を降らせるなんてことは出来ません』

『…我が嵯狐津妖術を以てしても、

 …夏場にこれほどの雪を降らせることができるわけないです』

『…何があったんだ?』

二人は即座に疑惑を否定するものの、

しかし、それ以上の追求は出来なかった。



『…何かありましたか?

 …浮かない顔をしているようですが?』

『…え?』

月夜野浩司から掛けられた言葉に

裁判資料に目を通していた鍵屋は驚いて顔を上げると、

『…雪が降っているようですね。

 …鬼たちが噂をしていましたよ』

と澄ました顔で浩司は言う。

地獄界・閻魔大王庁。

様々な理由により地獄に落とされ、

閻魔大王の沙汰を待つ死者たちを収監している建物の一角に

”面会室”と札が掛かる部屋があり、

そこで鍵屋は生前、Drナイトを名乗っていた浩司と面会していた。

『ご存知でしたか、

 地獄に来られたばかりのあなたはご存じないと思いますが、

 地獄で雪が降ることはあり得ないのです』

彼に向かって鍵屋は説明をすると、

『地獄に雪が降る。

 なるほど”円環の理”の流れが滞ると、

 そのような現象が起きるのですね』

掛けている眼鏡を光らせて浩司は感心して見せる。

『円環の理…ですか?』

『あっいや、

 私が勝手に名づけたものです。

 昔見た映画にそのようなものがありましたので、

 気になさらないでください』

鍵屋からの質問に

浩司は自己の葉言を取り消すように手を横に振って見せるが、

『…でも、円環のごとく巡る”理”の流れと言うのは存在しますよね』

と問い返した。

『どうしてそれを』

彼の口から出た言葉に鍵屋は驚くと、

『枯れ木に花を咲かせましょう…

 あっ、花さか爺さんと言う昔話の一節なのですが、

 でも、これって”理”の流れを無視していますよね。

 枯れた木が花をつけるということはあり得ないのですから』

『いま、その気分を味わっているところです』

『そんな歌声をさっき聴きましたので、

 ふと思い出しまして…

 そう”理”については私が生前住んでいた屋敷に

 ”理”が漏れ出ている井戸がありましたね。

 興味がありましたので研究を行っていました』

『それで?』

『70年程度しか研究はできませんでしたが、

 最初は何かのエネルギーの類かと類推していましたが、

 研究を重ねるうちにこれは只のエネルギーではなく。

 人類文明を支えている機械エネルギーとは

 全く別種のエネルギーの流れである事が判りました。

 ところが、

 そう、15・6年ほど前を境にして

 ”理”の流れの計測値に変動が出始めまして、

 ”理”の流量が徐々に下がり始めたのです』

『15・6年前…からですか』

『こちらの住民である、あなたにはお気づきになりませんでしたか?』

『はぁ』

『まぁ、わたしが人間界で猛者を暴れさせたのも、

 減少する”理”に何かの刺激になればと思った一面もありましたが、

 あれからさらに状況が悪化しているのですね』

『さすがにアレは感心しませんし、

 あなたがここに落とされた要因でもありますよ』

『あはは、

 そういえばあの樹の芽はどうなったのかな。

 いえね、

 その井戸の中に鳥が種を落としたんでしょうか。

 樹の芽が一つ、井戸の中で芽を出していましてね。

 どういうわけか”理”を取り込んだらしく、

 井戸の中でありながらも成長してきたので、

 手が届くようになったら

 表に出してあげようと思っていたところなんですよ。

 そうだ、鍵屋さん。

 上に行ったとき、

 その樹の芽を表に出してあげてくれませんか。

 日当たりの良いところに植えてあげると喜ぶと思います』

生前とは違い、饒舌な口調で浩司は鍵屋に言うと、

『判りました。

 あなたの裁判が結審しましたら上に行きますので

 その際に植え替えておきます』

『ありがとうございます。

 あぁ、そうか。

 樹の芽も…

 ”理”の変動も…

 他に15・6年前…と言えば

 あっ!』

何か思い出したような表情を浩司はして見せると、

『どうかしましたか?』

鍵屋はその意味を尋ねる。

『あぁ、そうだ。

 鍵屋さん。

 鬼が教えてくれましたが、

 あなたは結界関連の管理もされているとか』

『まぁ成り行きで』

『なるほど、

 それならご存じのはずだ』

『なんでしょう…か?』

『上の世界の話なのですが、

 沼ノ端・竜宮神社の鎮守の森。

 森林公園となっているところですが、

 15年…いや16年前に

 なぜ結界を解放状態にしたのかその理由を教えてほしいのです』

『え?』

『知ってのとおり、

 私は沼ノ端とは湖を挟んだ対岸に住んでいました。

 そして研究によりこの手の”術”が使えるようになった頃に、

 対岸にある鎮守の森に結界が掛けられていることに気付きました。

 腕試しにと何回か結界の開錠に挑みましたが。

 まぁ、無残なものでした。

 ところがその結界が16年前に突然解放状態されてしまったのです。

 理由は判りませんでしたが、

 お蔭であの結界の中に何があったのかを知ることが出来ました。

 そして、結界には管理者が存在し、

 その管理者によって結界がコントロールされていることも、

 しかし、結界のコントロールができるのは管理者のみのはず。

 その結界の管理者があなたであるなら、

 結界の開放を行ったのは鍵屋さん。

 あなた。と言うことになりますよね』

『いえ、

 私があの結界を弄ったしたことはありません』

『え?

 それはおかしいですね。

 じゃぁ一体、誰が解放状態したのでしょうか』

『私が訪問したとき、

 あそこの結界は結界としての機能は殆ど残っていなかった。

 それは、結界が張られてから十分にメンテナンスされてなかったため。

 とは思っていましたが』

浩司の指摘に鍵屋は思案顔になると、

ドスドス!

『………』

鬼が鍵屋に近づき、面会の時間が来ていること告げる。

『判りました、

 結界については私の方で調べます』

鬼に急かされた鍵屋は腰を上げると、

浩司に向かってそう言い残して面会室を後にするが、

だが、鍵屋の足は本庁に向かっていた。

『”理”の変調に結界の件。

 全ては16年前か』

鬼たちが総出で雪かきをしている中を鍵屋は足早に歩くが、

『そういえば…』

ふとある事に気付くとその場に立ち止り、

『里枝さんが樹にされた事件もちょうどその頃でしたね。

 しかも、場所は…

 誰が、鎮守の森の結界を操作したんだ?

 管理者である私に気付かれることなく…』

言いようもない不安を抱えながら鍵屋は庁舎に入ると、

オペレーションルームにある専用端末より、

天地冥界統一管理システム・イグドラシルにログインをする。

そして、16年前の結界に関するログを開錠すると、

鎮守の森に関する記録を広げていった。

『あの年の春の時点では…

 結界はクローズされたまま…

 5月…問題無し、

 6月…問題は無い、

 7月…ん?、ここで値がオープンに変わっているな…

 コントロールされたとしたらここか。

 けど、私への通知は…上がってない?

 それで、気づかなかったのか。

 でも、なぜだ?

 必ず通知は来るはず。

 もうちょっと詳しく…

 ん?

 んんん?

 え?』

在るデータを表示させたところで鍵屋の表情が固まった。

『この日。

 最初の結界侵入者はシステムが作動して排除されている。

 けど、

 次の侵入者は、

 侵入直前に管理者権を持つ者によって結界がオープンに変更され、

 その結果、侵入者の侵入を許している…

 侵入者は…三浦里枝さん…

 この日って、あの事件があった日だ。

 じゃぁ、里枝さんたちはあの樹のところにたどり着いたのは、

 偶然では無くて招き入れられた?

 結界の変更を行った管理権を持つ者は……樹怨…

 樹怨?』

その名を呼びながら鍵屋の手が止まると、

『エンプレス(女帝)・樹怨。

 1万年ほど前、

 彼女は禁じられているイグドラシルへの干渉を行い、

 その機能の一部を取り込んでしまった。

 その結果、彼女が統率をしている”理”の流れが大きく乱れ、

 ”理”が巡る天界・人間界・地獄界に多大なる影響が起きた。

 その後、樹怨は封印され、

 同時に”理”の秩序回復のための緩衝帯と、

 謹慎中の樹怨に代わって”理”の管理を行う、

 嵯狐津界が設けることになった』

と鍵屋に向かって玉屋が話しかけてきた。

『玉屋…さん?』

『なに、驚いた顔をしているの?』

『いっ、いきなり話しかけられましたので…』

『へぇ、意外とウブなところがあるんだね』

『それって、どう言う意味ですかっ』

話しかけてきた相手が玉屋と知った鍵屋は

けんか腰になって返事をすると、

『樹怨の事、知らなそうだったからね、

 それに纏わるお話をしたまで。

 でも、この話って、

 地獄の住民なら誰でも知っている話なんだけど』

唇に人差し指を当てながら玉屋は鍵屋を見下す視線を投げる。

『ちょっと、忘れていただけですっ!』

『本当?』

『もぅ、なんですか。

 用があるならさっさと話してくださいっ』

苛立つように鍵屋は怒鳴ると、

『カジさんの翠果園、

 なんか、

 とんでも無いことになっているみたいよ』

と玉屋は言う。

『え?』

彼女のその言葉に鍵屋は驚き腰を上げると、

雪が降る中、

大王庁にほど近いカジの農園へと向かっていく、

すると、

ギャオッ

ギャオッ

ギャオッ

『くおらぁ!!!

 これ以上、オラの樹を喰うんじゃね!

 とっとと消え失せろぉ!』

翠果の樹が並ぶ畑の上を鳥と思えしき化生が無数に舞い、

その下では怒鳴り声を上げて追い払うカジをよそに、

舞い降りた鳥の化生は樹の幹を啄み、

すでに半分以上の翠果の樹が姿を消していたのであった。

『カジさんっ!』

『助けてくれ!

 雪が降り出したら、

 いきなりこいつらが現れて、

 オラの樹を喰いだしたんだ!』

駆けつけた鍵屋に向かってカジは涙ながらに訴えると、

『判りました』

カジの訴えを聞いた鍵屋はそう返事をして、

キッ!

翠果の樹を啄む鳥の化生を見据える。

そして、

シャッ!

鍵錫杖を取り出し素早く印を切ると、

カッカッカッ!

化生の周りを次々と結界が張り巡らされ、

次の瞬間、

ボシュッ!

結界に取り込まれた化生は

圧縮されるかのように消えていった。

『あぁ、良かったぁ』

すべての化生が消え去った後、

カジはホッと胸をなで下ろすと、

『鳥の化生は私の方で預からせて貰いました。

 再度確認したいんですけど、

 雪が降ってから現れたのですね』

カジに向かって鍵屋は尋ねる。

『あぁ、そうだ。

 雪が降り出してから、

 1羽、2羽と舞い降りてきて、

 それから樹を喰いだしたんだよ。

 あーぁ、

 せっかく育ててきたのに全滅だよ』

首に掛けていたタオルを捻るように握り、

無残な姿になってしまった翠果の樹々を

カジは無念そうに見つめる。

『…これも、偶然ですか?

 いや、作為的なものを感じます。

 となると、

 首謀者は…樹怨?』

カジの後ろ姿を見つめながら鍵屋は呟くと、

徐に携帯電話を取り出しある電話番号を押して行く。

しかし、

『…やはり…出てはくれませんか』

いくら呼び出しても電話口には出てこない黒蛇堂に

鍵屋は不安を覚えると、

手帳を取り出しスケジュールの確認を始めだした。

すると、

『裁判の合間を縫って上に行く気?』

と玉屋が尋ねる。

『えぇ、以前から黒蛇堂さんとは連絡が取れませんし、

 いろいろと調べたいことがあります。

 直接、上に行って確認をしないとなりません』

その言葉に鍵屋は人間界に向かうことを言うと、

『地獄の沙汰で手を抜かれては困ります』

アカギの助手であるイブキが声を掛けてきた。

『イブキさん?』

『はいっ、

 アカギ博士の指示で上に行くことになりました』

と鍵屋に向かってイブキは言い、

『玉屋さん。

 申し訳ありませんが、サポートよろしくお願いします』

と玉屋に向かって頭を下げる。

『しかし…』

なおも鍵屋が食い下がろうとすると、

ポン!

玉屋は鍵屋の肩を叩き、

『悪いけど、

 君はここでお留守番。

 仕事をしっかりとしてください』

と言う。

『ぐっ!

 仕方がありません。

 では、一つお願いがあります。

 Dr・ナイトの屋敷はご存じですよね。

 その屋敷の奥にある森に井戸があって、

 井戸の中に一本の樹が育っているそうです。

 その樹を日の光が当たるところに植え替えていただけませんか。

 月夜野浩司から頼まれたものです』

と玉屋に向かって言う。

『なんだ、そんなこと?

 いいわ、引き受けるわ』

鍵屋の話を聞いた玉屋は了解の合図をみせると、

『お願いします。

 私もこちらで出来ることをします』

そう言い残して鍵屋はカジの農園を去って行った。



「また、雪が降ってきたな…」

ヒラヒラ舞い始めた白い雪を見上げながら健一は言うと、

「地球温暖化はどこに行ったんだよ。

 これじゃぁ、氷河期の襲来だよ」

と雪に足を取られないようにしながら智也は歩いていく。

「いきなりの大雪じゃぁ

 交通機関は当然全滅だよなぁ。

 にしてもだ。

 もろいものだなぁ…人類文明って」

健一は身動きがとれずに立ち往生しているバスやタクシーを呆れ半分に見ると、

「無茶を言うな。

 7月を前にしての大雪じゃぁ、

 雪国のバスを持ってしても立ち往生するよ。

 ほら、この交差点を渡ればTV局だ」

「やっとついたか」

智也と健一はそんな会話をしながら、

ピョンピョンと跳びようにして横断歩道を渡り

テレビ局の建物へと駆け込んでいく。

局の中は案の定、てんやわんやの状態になっていて、

スタッフ達は上へ下へと忙しく駆け回っていた。

報道部の健一はスグにこの状況に取り込まれてしまったが、

その一方で智也はこういう非常時に於いては

バラエティ系が行う仕事の殆どは部下がこなし、

彼自身が行うものはあまり多くはなかった。

「なんか、暇になっちゃった…

 こんなことなら休めばよかったかな」

手持無沙汰になってしまった智也はそう呟くと、

午後になると屋上より雪が舞う市街地を眺めていていた。

すると、

バサッ!

雪が舞う中、悠然と羽ばたく一羽の鳥の姿が目に入った。

「鳥かぁ…

 結構大きいけど、

 ワシやタカの類かな?

 ん?

 脚に何か掴んでいるみたいだけど、

 うーん?

 なんだぁ?」

リング状のものを脚で掴み、

市街地から端ノ湖へと向かう鳥を目で追いながら智也は呟くと、

サクッ

屋上に降り積もった雪を踏みしめる音と共に

彼の背後に人影が立った。

「ん?

 何か用?」

ポケットに入れた手にあるものを握りしめながら

智也は振り向かずに尋ねると、

『いえいえ、

 大した用ではございません』

と男の声の返事が返ってきた。

「大した用ではない…ですか」

視線を後ろに送りながら智也は聞き返すと、

『はい、

 スグに終わります』

と男は言うが、

スススス…

雪面に落ちる人影に大きな尻尾を思わせる影が伸びていく。

「なるほど…

 化生のお客様でありましたか。

 で、どこのどちら様でしょうかっ!」

智也はそう声を上げると、

バッ!

すばやくポケットから青色のビキニパンツを取り出して

高々と掲げ、

「マッチョプリズムパワー、メイクアップ!」

と声を張り上げた。

その途端、

ゴワッ!

突如巻き起こった漆黒の旋風が智也の体を包み、

その風の中で智也の体から衣服が消えてしまうと、

ビシッ!

青いビキニパンツが股間を覆う。

そして、ビキニパンツに覆われた股間がモッコリと膨らむと、

『ぬぉぉぉぉぉっ!』

智也の体は漆黒に染まりながら体中の筋肉が一気に膨らみ、

ゴゴゴゴゴ!!!!!

汗の匂いと熱気を伴ったオーラーを噴き上げていく。

そして、

ドォォン!

吹き上がるオーラが旋風を吹き飛ばしてしまうと、

『ムッキムキ!!

 マッチョマーン!!』

の掛け声と共に、

高速で回転する黒い塊が飛び上がり、

雪原に影を落とした。

『ふふっ』

その姿を影は笑みを浮かべながら見上げ、

視線を動かしていくと、

シュタッ!

『野生を忘れた悲しい狐さん。

 この元祖・ムッキムキマッチョマンが、

 あなたのムッキムキ、取り戻して見せる』

屋上の給水塔に飛び乗った塊は、

その筋骨逞しい漆黒の肉体を誇らしげに掲げながら、

シュタッ

その指先を影に向けたのであった。



『ふっ、

 お生憎です。

 野生など、この私には無用のものっ、

 このコン・リーノ、

 あなたに受けた屈辱を

 倍返しにさせてもらいます』

ドンッ!

マッチョマンに向かってコン・リーノは殺気を放つと、

『舞えっ、狐火!』

の声と共に無数の狐火を放つ。

ドォン!

たちどころにTV局の屋上に巨大な火柱が立ち上がると、

同時に、2つの影が弾けるように飛んでいく。



『逃げるおつもりですか?』

マッチョマンを追う形になったコン・リーノは声を上げると、

『場所を変えるまでだ』

とマッチョマンは言い、

シュタッ

シュタッ

その巨体には似つかはない身軽さで、

街の上空を駆け抜けていく。

『暴れても被害が出ない湖に誘い込むつもりですね』

マッチョマンの目的地を見抜いたコンリーノは目を細めると、

『想定通りです』

と言いながら舌舐めずりをし、

『さぁ、あなたの出番ですよ。

 今度はしくじらないで下さい』

と声を上げた。

すると、

『はーぃ』

少女の声が響くや、

ヌォォォォッ!

マッチョマンの行く手の下方より、

無数の樹の枝が伸びると、

彼の視界を大きく遮る。

『ぬぉぉっ、

 なんだこれは!』

突然、伸びてきた樹の枝にマッチョマンは驚くが、

避けることが間に合わず

そのうちの一本に取り付いてしまうと、

シュルルル

枝よりツタが伸び、

うねりながらマッチョマンを捕まえようとする。

だが、

その程度のことで捕まるムッキムキマッチョマンではない、

『こいつは、

 樹の化生かっ。

 ならば、ムンッ!』

マッチョマンは絡みついてくるツタを掴み上げると、

溢れ余るパワーで迫ってくるツタを束ね、

瞬く間にロープにしてしまうと、

『マッチョッ

 チョウチョ結びの術っ!』

の声と共にマッチョマンはロープにしたツタを引っ張りながら、

広がった枝を縛り、

見事なチョウチョ結びを作り上げた。

すると、

『やだぁ!

 枝が縛られちゃったぁ!』

地上から少女の声が響くと、

『このぉバカっ』

コン・リーノは手で顔を覆って見せる。

その声を聴きながらマッチョマンは地上に降り立つと、

『君かね。

 樹の化生は』

中央公園の真ん中で根を張り、

上に向かって枝を伸ばしている樹の少女を指さした。

『だっだから、

 なんだって言うのっ、

 あぁんもぅ、

 枝が縛られて体を戻すことができないよぉ』

マッチョマンによって枝を縛られたため、

次のアクションに移ることが出来なくなった樹の少女は文句を言うと、

『ふふふっ、

 君もコン・リーノの一味のようだね

 何をたくらんでいる?』

『知らないわよ、

 ちょっと世話になったから、

 手伝ってあげているだけ。

 もぅ、こんな目に遭うんだったら、

 手伝うんじゃなかったわ』

と樹の少女は文句を言うと、

『狐火ぃ!』

上からコン・リーノの声が響き、

矢のごとく無数の炎が降ってくる。

『いやぁぁ!!

 火ぃぃぃ!』

樹になった姿のため

身動きができない樹の少女の悲鳴が上がると、

ボッ

ボッ

彼女の体から延びる枝に火が燃え移った。

『きゃぁぁぁぁ!

 助けてぇ、

 枝が、

 あたし、燃えちゃうよぉ』

枝の至る所から火を出して、

樹の少女は悲鳴を上げていると、

『馬鹿野郎!

 仲間を見殺しにする気かぁ!』

コンリーノに向かってマッチョマンは怒鳴り声を上げた。

だが、

『まったく、

 足止め要員にもならないのなら、

 その身を燃やしてそいつを倒すのです』

とコンリーノは言う。

『いやだぁ、

 お願いだからあたしを燃やさないでぇ』

枝を炎上させる少女は泣きながら訴えると、

『ったくぅ、

 ちょっと我慢しろ』

そう言いながらマッチョマンは樹の少女に近づき、

その幹に手を当てるとゆっくりと腰を落とす、

そして、

『マッチョッ、百裂拳応用。

 マッチョ張り手ぇぇぇぇ!』

と怒鳴りながら、

『どすこいっ

 どすこいっ

 どすこいっ』

パン

パン

パン

樹の少女の幹を叩きだした。

『どすこいっ

 どすこいっ

 どすこいっ』

パン

パン

パン

掛け声と共にマッチョマンが繰り出す張り手の速度は速くなり、

樹の幹の振動が早くなってくると、

ザザザザザ…

燃え上がる枝が落ち始めた。

しかし、マッチョマンは手を緩めずに叩き続け

その音が止まった時、

樹の少女は幹1本を残して佇んでいたのであった。

『ふぅ

 ふぅ

 ふぅ、

 どうだ?

 枝を全部叩き落とせばもぅ燃えることはないだろう』

肩で息をしながら、

パンッ!

マッチョマンは樹の幹を軽く叩くと、

『さっ、

 次はお前だ!』

と上空で見下ろすコン・リーノを指した。



「沙夜ちゃん。

 どんな感じ?」

中央リニア新幹線・新沼ノ端駅。

雪が舞うコンコースで

手にしている鏡を見つめる巫女装束の少女・沙夜子に

同じ巫女装束の別の少女・夜莉子が話しかけると、

「なんか丙・丁つけがたい低レベルな戦いだね」

と鏡よりコン・リーノとマッチョマンの戦いぶりを観察していた

小夜子は返事をする。

「何をしておる。

 先を急ぐぞ」

そんな二人に引率役でもあるもう一人の巫女・柵良は声を掛けると、

「はーぃ」

二人は声をそろえて返事をすると、

大急ぎで柵良の後を追いかける。

「雪が小降りになったようだね」

「そのようだな」

三人が歩く駅前は白一色の雪景色。

「柵良さん。

 で、樹怨っていうのは本当に来るんですか?」

と夜莉子は柵良に問い尋ねると、

「お主等が放っている使役からも感応反応が出ておるであろう。

 間もなく…やってくる」

ササササ

緋袴に差し込んだ払い串の先を靡かせながら、

柵良は沼ノ端に忍び寄ってくる気配を指摘すると、

三人の横をチェーンを付けたTV局の中継車が横付けされた。

「巫女か?

 こんな雪の日に何をしているんだ?」

3人の巫女を横目で見ながら健一は中継車から降りると、

大雪によって市内の交通機関がマヒ状態になっているために

駅の構内は文字通り足止めされている人たちでごった返していた。

と、その時だった。

「あっ!

 岬さーん」

突然、健一にとって聞き覚えのある声が響くと、

一人の女性が手を振りながら走ってきた。

「え?

 あれ?

 さっ里枝ちゃん?」

健一の目に飛び込んできたのは他ならない三浦里枝だった。



『きゅっぷいっ、

 やぁ、良い子のみんな。

 僕のことを覚えているかい?

 みんなは僕のことを忘れるはずはないから、

 あえて自己紹介はしないよ。

 なぜ、湖の畔に居るのかって?

 決まっているだろう。

 樹怨が現れるのを待って居るんだよ。

 僕はね、

 営業をしながらずっと待って居たんだ。

 さぁ、樹怨。

 僕の前にその姿を現したまえ、

 1万年ぶりに見せるその姿を』

白く愛くるしい小動物を思わせる姿をした

その者は湖上で集合と離散を来り返す光の粒の群れに向かって言うと、

同じ頃、

『なりませぬ、樹怨様っ。

 あなた様は

 ただ見るだけ、何もせぬ。

 そう仰られました。

 そのお言葉を反故になさる気ですか』

金色に光り輝く巨木に向かって、

老婆の姿をした化生は声を上げると、

『やはり、行かせるべきでは無かったか』

巨木の根元に抱かれる骸へとその視線を落とした。



『…かっれきーにー…

 …はーなをー…

 …さーかせ…ましょー…

 ……

 …さっいたぁー…
 
 …はーなよー…

 …さきほ…これー

 ……』

雪が舞う沼ノ端にその歌が静かに響き、

沼ノ端を嵐の前の静けさが包み込んでいった。



つづく