風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第参話:神格者の影)


作・風祭玲

Vol.1095





サァァァァァァ…

梅雨特有の霧雨が覆う沼ノ端。

時は深夜を回り、

梅雨に関わらず賑わっていた街中から人影が少なくなった頃。

サァァァァ…

湧き出すように現れた霧が這うように街中を包んでいくと、

霧の中に没していく建物があった。

その建物に一つ、

深夜にもかかわらず明かりが灯る部屋があった。

部屋の中ではの椅子にもたれかかように寝入っている男の姿があり、

男の前に置かれたノートパソコンの画面は白一色に輝いている。

寝入っている男の意識はいま何処にあるのかは定かではない。

しかし、耳を澄ましてみると、

『…助けれくれぇ〜!』

霧の中から助けを呼ぶ男性の声が聞こえてくる。



『はぁはぁはぁ

 はぁはぁはぁ』

荒い息の声と共に

立ち込める霧の中より一人の男が飛び出してくると、

何かから逃れるように無人の街中を走り抜けていく。

『誰か、

 誰か、助けてくれぇ!』

声をからし、

男は市民の憩いの場となっている中央公園へと飛び込んでいくと、

『ひぃひぃ

 ひぃひぃ』

幾度も振り返りながら公園内を駆け抜け、

そして、水が光り輝く池のほとりへと来た。

『ひぃはぁ

 ひぃはぁ』

池を取り巻く欄干に手を置いて男は息を整えていると、

『…みぃーつけた』

の声と共に、

フワリ

男の行く手を遮るようにして、

白装束の女性が舞い降りる。

『ぎゃぁぁぁ!』

彼女の姿を見た途端、

男は悲鳴を上げて腰を抜かしてしまうと、

『…はい、鬼ごっこはこれで終わりね』

男を見下ろしながら少女は言うと、

ミシッ

その男の脚から無数の樹の根が湧き出し、

濡れている地面に向かって伸び始める。

『やっやめろっ、

 やめろ!

 やめろ!』

次々と土の中へと潜り込んでいく根を引き千切りながら、

男は涙目になって声を上げるが、

しかし、

『…クスクス、

 …お前、

 …わたしの動画を見たんだろう。

 …それなら、逃げちゃダメだ。

 …逃げちゃだめだよぉ。

 …ちゃぁんと樹になってもらわないとね』

男に向かって少女は諭すように話しかける。

『いっいやだぁ!、

 樹になんてなりたくない!!

 たっ助けてくれ!、

 なんでもするから許してくれぇ』

男は縋りながら必死の形相で訴えるが、

ミシミシ

ミシミシ

懇願する彼の両足は根に引っ張られるように土の中へと潜り込み、

樹の肌が足元から上へと浸食しはじめた。

『やめてくれぇ!!!』

体の樹化が進むに伴い、

男は悲鳴を上げながら立ち上がると、

腕を大きく広げた。

そして、

『おっお・ね・が・い・だ

 樹・に・な・ん・て…』

そう言いかけたところで男の声は止まり、

メリメリメリメリィィィ!!!

ザザザザッ

シャツを幹に巻き付ける一本の樹が

小雨が降る夜空に向けて枝・葉を大きく伸ばしていく。

『…ふふっ、

 …樹一本、できあがりぃ!』

そびえ立つ樹を見上げながら、

少女は嬉しそうにほほ笑むと、

『…絶好調でございますね』

と少女を褒め称えながら、

スーツ姿の男、コン・リーノが池のほとりに姿を見せる。

『…コン・リーノ』

その声に少女は振り返ると、

『…その調子でどんどん人間どもを樹になさってください。

 …人間どもは無暗に木を切り倒し、

 …多くの生き物を傷つけて参りました。

 …罰を与える頃合いかと思います。

 …でも、あなたには大切なお仕事があるのはご存知ですよね』

と細い目をさらに細めながら言う。

『…判っているって』

彼のその言葉が気にそぐわないのか少女は言葉短めに返事をすると、

『…牛島智也。

 …彼はこの男よりも先にあなたの動画をご覧になられています。

 …準備は既に整っております。

 …さぁ、彼のところに赴き、

 …この男のように樹にしてしまいなさい。

 …黒蛇堂たちが行方不明のいま、

 …この者を樹にしてしまえば鍵屋さんは孤立無援。

 …くくっ

 …くくくっ

 …そう、孤立無援なのですよ』

とコンリーノは笑いをかみ殺すように言う。

『…ちょっと待ってよ。

 …以前聞いたお前の話では、

 …その牛島智也と言う人間はただの人間ではなく、

 …地獄の裁定者と言うではないか。

 …準備は整っているというが、

 …本当に大丈夫なのか?』

少女は疑いの眼をコン・リーノに向けて聞き返すと、

『…もちろんですとも』

コンリーノは自信を持って返事をする。

『…その言葉、

 …ホラの大風呂敷ではないのだな』

『…はいっ、

 …大風呂敷などではありません。

 …私は嘘はつきません。

 …化生は信用第一ですので』

『………』

『…さぁ、参りましょう

 …余計な邪魔が入る前に』

『…余計な邪魔?』

『…いえ、

 …あなた様には関係ありません』

『…わかった』

相変わらずコン・リーノを疑いの目で見る少女だったが、

しかし、彼に念押しされて促されると、

不本意そうに公園を包んでいる霧の中へと消えていく。

そして、

フワッ

コン・リーノもまた大きなキツネの尻尾を振り、

靄の中へと消えようとするが、

ふと立ち止まると、

『…以前より私たちを監視しているようですが、

 …天界の方ではないようですね。

 …臭いでわかります。

 …これまで幾度となく機会を設けましたが、

 …いっこうに名乗られませんので捨て置くことにします。

 …よろしいですか、

 …あなた様はあくまで見るだけです。

 …もし、手出しをなされましたら容赦はしませんので』

振り返らず警告めいたことを言うと、

残された樹と共に霧の中へと消えていった。



「なぁ…」

「なんだ?」

「ひとつ尋ねていいか?」

「何も言うな」

「ってことは、

 私が何を言いたいのか判っているんだな」

「いいから黙って見ていろ」

タワーマンションの高層階にある智也の部屋。

その部屋の中で呆れた表情を見せる智也に対して

ベランダの健一は極めて真面目顔な顔をしていた。

「しっかし、

 そんな釣りまがいの仕掛けで、

 その幽霊っていうのは釣れるのかよ」

「馬鹿にするな。

 このお札はだなぁ、

 幽霊退治で高い実績のある”とある巫女”さんお手製の

 とてもありがたいお札だ。

 この釣竿に吊るした”魔寄の札”で、

 人間を樹にしている悪霊をおびき寄せて吊り上げ。

 そして、この”悪霊退散!”の札で成敗する。

 そうだ、まさに完璧な作戦だろう。

 わはははは」

お札を糸の先に吊るした釣竿を片手に健一は豪快に笑って見せるが、

この仕掛けを施してから今宵が三回目の夜となると、

笑って見せる健一のこめかみは微かに引き攣っていた。

「はぁ、そんなに上手くいくのなら、

 そもそも、
 
 こんな幽霊騒ぎは起きないんじゃないのか」

手で持ち運びができる小型の鉢植えに移した若木を指でつつきながら智也は言うと、

「やまかしいわっ!」

と健一はその言葉を遮る。

「はぁ…

 好きなだけやっとれ。

 私はこっちで調べ物をしているから、

 行こうか、里枝」

そんな健一に関わるまいと智也は背を向けると、

鉢植えを抱きかかえ、

立ち上がっているパソコンに向かい合う。



コチッ

コチッ

コチッ

時計が奏でる規則正しい音の中、

ベランダの健一はお札を吊るした釣竿を握りしめながら、

パッド型情報端末で例の幽霊動画を再生続け、

その一方で智也はパソコンで幽霊画像の情報検索と、

そのついでに鉢植えにした若木の管理についての情報も検索していた。

『ふふっ、

 何をしているのかと思えば、

 あまりにものの程度の低さに呆れてものが言えません。

 まったく”地獄の裁定者”と言っても所詮は人間ではないですか、

 その程度の焦眉で化生共を統べる嵯狐津姫様の臣下である

 このコン・リーノに抗するなど笑止千万!』

智也のマンションから離れたところにある雑居ビルの屋上より

彼らの様子を伺っていたコンリーノは笑ってみせると、

『さぁ、出番ですよ。
 
 ぬかりの無いようお願いしますよ』

舌なめずりをしながら呟くと、

スッ

指をそろえた右手を高々と掲げ、

フッ!

合図を送るように投げるように振って見せる。



「いつまでそんなことをしているんだよ、

 私の部屋は釣堀じゃないぞ」

あきらめずに釣竿を握りしめている健一向かって

智也は呆れ半分に声をかけると、

「しっ、

 静かに」

真面目顔の健一は唇に立てた人差し指を当てて注意をする。

と、その時、

フワリ…

智也の部屋に霧のようなものが掛かり始めると、

見る見る視界を奪い始めた。

「ん?

 なんだこれ?」

霧の存在に智也が気づいたときには彼の周囲の視界は既に遮られ、

「岬ぃ!」

とベランダの健一に向かって彼の名を呼んだものの、

完全に智也の視界は奪われてしまっていた。



『…おーぃ

 …おーぃ、岬ぃ!』

手にしていた鉢を置いて、

智也は座っていた椅子から立ち上がると、

健一の名を呼びながら部屋の中を歩き始めるが、

だが、いくら歩いても壁に当たることはなく、

どこから入ったのか、

智也は広大な空間を一人で歩き続けていた。

『…おーぃ、いないのか?

 …おーぃ、いたら返事をしろ』

霧に向かって智也は声を張り上げてみるものの、

しかし、その声への返事は返ってこなかった。

『…おかしい。

 …部屋の中にいたはずなのに。

 …まるで表を歩いているみたいだ』

屋内の気配が全くないことに智也は警戒をしつつ歩いていくが

しかし、見渡す限りの乳白色、

視界は1mもなく、

自分の胸から下は霧の中へと沈んでいる。

だが、何も見えないわけではない。

よく目を凝らせば

乳白色の中に佇むように伸びる薄い影が右に左にと見えてきた。

『…樹?』

それらの影が樹であることに智也は気付くと、

サクッ

彼の足元で落ち葉が踏まれる音が鳴り響いた。

『…落ち葉…

 …そっか、

 …ここは森なのか?

 …森に居るのか?』

足元から響く音で智也は部屋の中ではなく、

森の中に居ることに気付くと、

フワァ

視界を覆っていた霧が少し薄れ、

木立の姿が先ほどより見えてきた。

『…霧が…晴れてきた?』

自分の手足が見えてきたことで、

智也は息苦しさを感じなくなってくると、

サクッ

サクッ

室内用スリッパで落ち葉を踏みながら前へと進んでいく。

サクッ

サクッ

『…いきなり森の中って、

 …化生の仕業か?

 …でも、どこだ?

 …ここは?』

霧の奥から次々と姿を見せる樹々を避けつつ智也は進んでいくと、

次第に霧を白く照らす光が強くなってきた。

そして、新たに姿を見せる樹がなくなると、

白い光が真上から照らし出す場所へと飛び出した。

『…森が終わった?

 …広場…らしいな?』

足元を見ると落ち葉は無く、

茶色い地面が見えている。

クルッ

クルッ

右に、

左に、

智也は体をよじって上半身ごと視野を動かすと、

『…ん?』

右側の奥の方でポツリと佇む影が見えた。

『…なんだ、あれ?』

惹かれる様に智也は影に向かって歩き始めると、

影は次第に大きくなり、

やがて4本の大ぶりの枝を空に向かって伸ばす樹が姿を見せた。

『…あれ?

 …この樹…』

樹を見上げながら智也はこの樹に見覚えのあることに気付くと、

『……来てくれたのね』

と女性と思えしき声が掛けられた。

『…誰?』

周囲を見回しながら智也は声の主を探すと、

『……こっち、

 ……ここよ』

と樹の方から声が響く。

『…え?』

その声に誘われるように智也は視線を樹に向けると、

地面から延びる幹の上方、

幹が二股になって分かれるところに、

まるで幹に埋め込まれるような姿の女性の顔があり、

さらに顔の下から胸元にかけて、

人の肌と思える肌色が樹の幹の凹凸に合わせて浮かび上がっているが、

しかし、胸の膨らみのところから延びる太い枝の場所で途切れていた。

『……待って居たわ』

唖然と見上げている智也に向かって顔は話しかけると、

『…待って居た?』

智也は樹に向かって聞き返す。

『……えぇ、

 ……私はあなたを待って居た。
 
 ……この奥深い山の中で』

『…君は、

 …あれ?

 …誰だ?』

『……誰って?

 ……どうしたの?

 ……私のこと、忘れたの?』

『…うっ

 …思い出せない…

 …誰だ、君は?

 …君は私にとって大切な人なのか?』

『……決まっているでしょう。

 ……私はあなたにとって大切な人。
 
 ……あなたがここに来るのをずっと待って居たのよ』

『…そうか、

 …そうなのか。

 …それはすまない。

 …でも、思い出せないんだ。

 …君が誰なのかを』

『……そんな。

 ……思い出してよ、私のこと』

『…ごめん。

 …本当にごめん。

 …でも、思い出せないんだ。

 …私にとって大事な人に似ているけど…でも…

 …どうしても思い出せないんだ。

 …こんなこと言うべきではないけど、

 …すまない。

 …君の名前を教えてくれないか』

『……名前?

 ……わたしの名前って』

『…頼む。

 …君の名前を、教えて…

 …あれ?

 …うっ、

 …くそっ、

 …急に眠くなってきた。

 …どうしたんだ?

 …それに、

 …体が動かなくなって』

『……あぁっ、

 ……ちょっと。

 ……寝ちゃうの?

 ……ここで寝ちゃだめぇぇ!』

『………Zzzzzzz』

『……もぅ!!!

 ……あなたが寝ねては私の呪が成就できないじゃない。

 ……コン・リーノさんに怒られちゃう。

 ……仕方がない、

 ……こうなったら!』

樹の顔は己の根元で寝込んでしまった智也を見下ろして唇をかみしめると、

『……うんっ!』

力を込める表情をしてみせる。

すると、

ズズズズズ、

樹の幹が揺れ始め、

ズォォォッ!!

寝入ってしまった智也の周りから多量の根を噴き上げた。

そして、その根先を次々と智也の体の中へと突き刺すと、

『……ふふふっ、

 ……作戦変更よ。

 ……樹になっていく恐怖で引きつるあなたの顔を見ることはできないけど、

 ……でも、寝てしまったのが運のつき、

 ……たっぷりと樹ネジーを注いであげて、

 ……あなたを立派な樹にしてあげる』

と言うや、

ビクンッ!

体に突き刺した根がうねる様に動き始めた。

すると、その根の動きに合わせて、

ジワジワ

智也の脚から根が吹き出すと、

ギシッ

ギシギシッ

彼の体が樹化し始めた。



『……くくくっ、

 ……裁定者と言えども、

 ……寝てしまって赤子も同然』

次第に樹になっていく智也の姿を眺めながら、

霧の中から姿を見せたコン・リーノは笑みを浮かべると、

『……さぁ、

 ……さっさとこの者を樹にしてしまいなさい』

と命じる。

『……わかっているわよっ、

 ……いちいち命令しないで』

コンリーノの言葉に樹の顔は不快そうに答えると、

『……あいつがうるさいから、

 ……さっさと始末してあげるわ』

と言い、

グンッ!

智也の体に差し込んでいる根に力を込める。

すると、

智也の樹化がさらに進み、

ベキベキベキ!

音を立てて両手が枝に変わると、

ザザザ…

指先だった枝から葉が一斉に生い茂っていく、

そして、彼の顔が樹肌の中へと没していくと、

『……ふははははははは!!!!

 ……さすがです。

 ……さすがですよ。

 ……井戸であなたを見つけたとき、

 ……私はあなたが持つ底知れぬ力を見抜いていました。

 ……それ故、細工をした動画を人間どものネットを使って公開して、

 ……ずっと、投資をしてきました。

 ……いまそれが報われたのです。

 ……あーはははは!

 ……あなたに投資をして正解でした』

コン・リーノの高笑いの声が響き渡っていく。



『なぜ…

 なぜ、ここにあなたの光があるのです?

 一体、なんで?』

地獄・命の部屋の奥、

神格者の間に差し込む一筋の光を見上げながら、

鍵屋は驚き呟くと。

ブブブブッ

携行していた携帯電話が振動する。

『あっ、

 はっはい。

 え?

 報告書の記述内容に問題が?

 判りました。

 すぐ参ります』

鍵屋に掛かってきた電話は閻魔大王庁からの呼び出しであり、

Drナイトの事件について提出した報告書の説明を求めてきたものだった。

そして、

『なぜあなたの光がここにあるのか、

 調べたいのは山々ですが…』

後ろ髪を引かれる様に鍵屋は光の筋に背を向けると神格者の間を後にし、

大王庁へと戻っていく。



『急に呼び出ししてしまって、

 ごめんなさいね』

閻魔大王庁・発令所横にある部屋に鍵屋が出向くと、

白衣を纏った技術責任者である女博士・アカギが彼を出迎えた。

『提出した報告書に何か不備がありましたか?』

やや緊張した面持ちで鍵屋は理由を尋ねると、

彼女の横に立つ助手・イブキが進み出て、

『はい、

 この報告書にある記述のことでお呼び出しいたしました』

と呼び出し理由を告げる。

『何か間違いでも…』

『あなたより提出していただいたこの報告書では、

 現在、沼ノ端周辺の”理”は通常に戻っている…

 とされていますが。

 これは、きちんと計測された結果なのでしょうか』

鍵屋に向かってイブキは尋ねると、

『数か所で計測いたしましたが、

 異常を示す値は計測されませんでしたので、

 そのように報告いたしましたが』

『計測時間は?』

『え?

 一か所、3分程度かと』

『なるほど』

口を挟んできたアカギは

鍵屋の答えを聞いて納得した表情をして見せる。

『私の計測方法に問題でも?』

『そうねぇ、

 問題がある。と言えばありますし、

 だからと言って、

 別の方法で計測をしても結果は同じでしょう』

鍵屋に向かって彼女はそう言うと、

目でイブキに合図を送る。

『?』

意味が分からない顔を鍵屋はしていると、

壁のスクリーンが灯され、

その中で幾つものウィンドウ画面が開いていく、

そして、一つのウィンドゥ画面がフルスクリーンでで表示されると、

その画面が上下に分割された。

『よろしいでしょうか』

鍵屋に向かってイブキは声をかけると、

フッ

分割された上側に一本横に向かって線が伸びるグラフが表示され、

『こちらが、

 現在、沼ノ端で観測されている”理”の波形です』

と説明し、

続いて下側にも同じ横に伸びる線を表示させると、

『こちらは、

 沼ノ端以外の地域で同じように”理”が静まっている場所の波形です。

 スケールは2つとも同一のスケールです』

と説明をする。

『見てのとおり、

 上と下は”理”の乱れを引き起こす災いの類が起きてないため、

 理想的なフラットな線となっています』

『そのようですね』

アカギの説明に鍵屋は頷いて見せると、

『しかし』

と彼女は続け、

それと同時に表示されている波形のスケールが拡大され始めた。

そして、

『え?』

画面を見る鍵屋の表情が動くと、

上と下の線が全く違う姿へと変わっていく。

『これっていったい…』

異なる結果を見せるグラフを見ながら鍵屋は声を詰まらせると、

『下の線は見ての通り、

 完全に振り切れてカオス状態になっているのに対して、

 上の沼ノ端はまだ一本線です』

『なんで?』

『結論から言いますと、

 このような状態になる現象は一つだけあります』

とイブキは口をはさむ。

『それは?』

『見てわからない?

 ”凍結”よ。

 観測値だけで判断すれば、

 沼ノ端の”理”は凍結状態であるといっても過言でありません』

鍵屋に向かってアカギ博士はそう指摘すると、

『まさかっ、

 ”理”が凍結しているだなんて、

 第一”理”をどうやって凍らせるのですか。

 それに”理”が凍り付いてしまったら、

 それこそ地上もこの地獄も大騒ぎになっているはずです』

机をたたいて鍵屋は声を荒げると、

『鍵屋さん。

 ”理”が凍るときってどうなるかわかります』

とイブキは尋ねる。

『”理”が凍るときって』

『実は以前、実験をしたことがあるの。

 ”理”の凍結実験。

 その時のことを言いますと、

 ”理”が凍結するその直前まで

 ”理”は流量を減らしながらも普通に流れています。

 けど、何かの切っ掛けで凍結が始まると波動パターンは平坦となり、

 それがある一定の時間をおいて一気に動きを止めてしまうわ』

『その状態が凍結なんです』

『”理”が凍結してしまったら何が起きるのです?』

話を聞いた真顔で鍵屋が迫ると、

ドタドタドタ!

血相を変えた獄卒が飛び込んでくるなり、

『たっ大変です。

 アカギ博士っ!

 白いモノが!

 冷たくて白いモノが上から降っています!』

と声を張り上げた。

『!!っ』

その言葉に皆は顔を合わせて部屋を飛び出していくと、

『おぉ…』

『なんだこれ?』

『雪ってやつだよ。

 おれ、始めた見たよ』

地獄に降りしきる雪を見上げながら、

獄卒たちはしきりに感心して見せていた。

『地獄に…雪が…』

空より絶え間なく降り注ぎ、

次第に地獄を白色に染めていく雪を見ながら鍵屋は声を詰まらせると、

『…かーれきーに…

 …はーなをー…

 …さーかせ…

 …ましょー…』

何処からともなくその歌声が響き渡って来た。

『歌?

 誰が歌っているんだ?』

歌声を聴きながら鍵屋は呟くと、

『この歌は…まさか。

 もはや猶予はならないってことね』

と横に立つアカギは言う。



『地獄に雪とは風流なものだな…

 …とのんびり言ってはいられないか』

大王庁の上層階、

閻魔の執務室より副指令であるジョルジュが窓際に立って言うと、

その視線を閻魔に向けて見せ、

『今の歌声。

 聞こえたか?

 この雪は彼女の仕業であることは疑いの余地もないというわけだな』

と言葉短めに尋ねる。

すると、

カタン

閻魔は立ち上がり、

『ちょっと、下に行ってくる』

と言葉を残して去っていく。

『ふむ』

その後姿をジョルジュは見送ると、

『枯れ木に花を咲かせる。か、

 またこの言葉を聞くことになるとはな、

 因果なものだ』

そう呟き、視線を外へと向ける。

コツリ

コツリ

神格者の間に足音が響くと、

鍵屋が見ていた一筋の光の前に閻魔が立った。

そして

『閖っ、

 先日、コエンマが連れてきた者に君の影を見た。

 もしやとは思っていたが、

 やはり君は軛を解き、出て来たのか』

と光を見上げながら言うが、

しかし、その言葉への返事は返って来なかった。



『……ふはははは!!!

 ……あーはははははっ!!!

 ……これでいいです。

 ……そうこれでいいんですよ』

樹となって立ち上がった智也を見上げながら、

コンリーノは腹を抱えて高笑いを続けていると、

『……え?

 ……あれ?』

急に樹の顔の戸惑う声が響いた。

『……ん?

 ……どうしました?

 ……いつも通りにさっさと終わりにしなさい』

それにコンリーノが気づくと、

『……なんか、

 ……変!

 ……変なんです!』

と樹の顔は訴える。

『……何が変なのですか?

 ……はっきりと

 ……状況を言いなさい』

苛立ちながらコン・リーノは樹の元へと向かっていくと、

ヒラリ

ヒラリヒラリ

と白いものが落ちてきた。

『……ん?

 ……なんです?』

落ちてくる白い物体をコン・リーノは受け止めると、

それは彼の掌の上で静かに溶けていく。

『……氷?

 ……いえ、雪ですか』

それが雪であることにコン・リーノが判ると、

『……私は雪を降らせろ。

 ……なんて命令していませんよ』

と彼は樹に向かって怒鳴ると、

『……知らない。

 ……あたし、何も知らないよぉ、

 ……第一、雪の降らせ方なんて教わってないもん』

そう樹の顔は言い返し、

『……それよりも、

 ……樹にしたこの人の奥から…

 ……なにか、

 ……別の何かが』

と困惑した表情で訴える。

『……なに?』

少女の訴えにコンリーノは表情を変えると、

『…かーれきーに…

 …はーなをー…

 …さーかせ…

 …ましょー…』

突然その歌声が響き渡ると、

パキン

樹になってしまった智也の体から何か割れる音が追って響いた。

すると、

キシッ

キシキシキシッ

幹が急速に凍結しはじめたのか、

白く光る部分が見る見る幹を覆い始める。

『……どっどういうことですかっ』

コンリーノにとっても想定外の事に細い目を見開いてしまうと、

恐る恐る手を伸ばし、

凍り付いた智也の幹にその指先を触れて見せる。

すると、

ビシッ

カシャァァァァァァァンンンンン!!!!

凍り付いた樹が突然ガラスを割るように割れ、

ガシャガシャガシャ!

ズザザザザザザ…

粉々に砕け落ちてしまった。

『……バカな!』

顔を引きつらせるコン・リーノの前に、

割れ砕かれた氷の山が出来上がり、

大量の白い氷の粒子が舞い上がっていく。

『……何が何事が起きたのです!』

突然の出来事にコン・リーノは氷の山に飛びつくと、

『……一体、何がぁぁぁぁ!』

その氷の山を掻き分けていく、

しかし、コン・リーノがいくら掘っても、

そこには砕かれた氷しかなかった。



『……どういうことですか?

 ……これは』

7・3にまとめ上げていた髪を乱してコン・リーノは声を上げると、

『……コン・リーノさん!』

と樹の顔の声。

『……なんですか?』

その声に不貞腐れるようにコン・リーノは返事をすると、

『……あっあっあっ?』

と樹の顔を引き攣らせながら何かを指摘する。

『……だから、なんなんです?』

コン・リーノは声を荒げる。

すると、

フワァァァァァ…

砕けた氷から吹き上がる氷の粒子が人の形へと姿を作っていく。

しかし、その姿は智也のそれとは大きく違っていた。

『……なにっ』

その様子を目の当たりにしたコン・リーノは目を見開くと、

スゥゥゥゥ…

彼の前には粒子が作る裸体の女性が立ち上がった。

『……誰だ?

 ……それに、

 ……この押してくる強い力は!

 ……まさか』

その場にいるだけで威圧してくる力に

コン・リーノは抗しながらも

裸体の女性は樹の顔を見上げ、

『……枯レ木ニ…

 ……花ヲ…

 ……咲カセマショウ…』

と光る唇が動いた。

『……だれっ!

 ……誰なのっ!

 ……あなたは誰?』

女性に向かって樹の顔は声を上げると、

フッ

粒子の女性は質問には答えず、

代わりに笑みを浮かべると、

その直後、

ムクッ!

その体が一気に膨らみ、

ズザザザザ!!!

樹よりも高い”光り輝く樹”へと変身していく。

『……光り輝く樹だと。

 ……しかし、この光は。

 ……まさか、神格者?

 ……いや、そんな訳はない。

 ……神格者がここに来ることなどありない』

コン・リーノは樹が放つ光に神格の気を感じ取るが、

すぐにそれを否定すると、

『……どこの化生かは知らぬが、

 ……私の結界の中で勝手な真似は認めないぞ』

そう声を張り上げて狐火を放つ。

しかし、

彼が放った狐火は輝く樹をすり抜けてしまうと、

スゥーッ

光る樹は霧に溶け込むように消えて行く。

『……牛島智也は!!

 ……居ない。

 ……まさか、

 ……逃げただと?』

『……そんな、

 ……私の呪が…破られたって』

光る樹と共に智也の姿が消えてしまったことに

コンリーノと樹は呆然としながら霧を見つめていた。



『鍵屋…』

地獄に降りしきる雪を見つめながらアカギは鍵屋に話しかけると、

『なんでしょうか?』

鍵屋は聞き返す。

『枯れ木に花は咲くか?』

その鍵屋に向かってアカギはそう問いかけると、

『え?

 枯れてしまった木には花は咲きませんが、

 それとも人間界のお伽噺の話のことですか?
 
 確か”花さか爺さん”の一節にそのようなのが』

キョトンとした顔で鍵屋は返事をした。

『野暮なことを聞いてしまいましたね。

 そう。

 枯た木が花をつけることはあり得ない。

 なぜなら枯れた木は命を終えているから。

 もしその木が花を咲かせたのなら、

 それは”理”の定を破るものであり、

 この世界の流れに背くこと。

 鍵屋、”樹怨”と名を知っていますか』

『樹怨?』

『そう、樹怨。

 遥か太古の昔、

 ”理”に逆らったがゆえに封じられた神格者』

『聞いたことがありません』

『そうか、

 その樹怨が封印を解いたらしい』

『それはどういう…』

『封印を解いた目的は何なのか、

 詳細は分かりません。

 何しろ地獄で樹怨を知る者はほどんど居ないのですから』

『樹怨というのはどういう神格者なのですか?』

『”理”の統率者と聞いています』

『ちょっと待ってください。

 ”理”の統率者が”理”に逆らったのですか?

 なぜ?』

『何故なのかは本人でないとわかりません』

鍵屋の質問にアカギはそう返答すると、

白一色に染まっていく地獄を見つめて見せる。



ヒュォォォォォッ

夜明けの沼ノ端の空に一羽の鳥が舞い上がっていく。

バサッ

バサッ

大きなリングを足で掴み、

鳥は羽ばたきながら、

沼ノ端市街から端ノ湖の間を何度も往復していく。
 
「やれやれ、

 夏が間近と言うのに雪景色とはな」

空を舞う鳥を見上げながら、

巫女・柵良はそうつぶやくと、

その視線を社務所へと向ける。

そして、その社務所の中では

「ねぇねぇねぇ、

 沙夜ちゃんスゴイよ。

 一面の雪景色!!」

「ちょっと待ってて、夜莉ちゃん。

 いま大事なところだから、

 確かに夕べ”理”にスパイクが出ていた。

 やはり、沼ノ端に何かが起きている」

空を舞う鳥から送られてくる情報を見つめながら、

巫女神沙夜子は沼ノ端で起きつつある異変を感じ取っていた。



つづく