風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act4」
(第壱話:森の少女)


作・風祭玲

Vol.1093





『…かっれきーにー…

 …はーなをー…

 …さーかせ…ましょー…

 ……

 …さっいたぁー…
 
 …はーなよー…

 …さきほ…これー

 ……』



それはよく晴れ渡った夏の日のことだった。

南洋上に腰をすえた荒ぶる調べの高気圧と

大陸高地より張り出す嫋やかな調べ高気圧とが奏でる

真夏のハーモニーによって水銀柱は駆け足で伸び、

気温40℃の絶対防衛ラインへと迫っていく、

そして、この容赦ない熱気によって

森中に響き渡っていた蝉しぐれが次第にその勢いを失ってしまうと、

森は静かな時を迎えた。



パタタタタタ…

昼前、

炎熱から逃れるように飛んできた一羽の鳥がとある樹の枝先に止まると、

トッ

トッ

軽いステップを踏みつつ右へ左へと動いていく。

そして、

トッ

トトトッ

鳥は日除けとなる葉陰の下へと移動すると、

盛んに首を動かしながら一息つくが、

それと同時に視界に入ってきたある物に興味を持った。

チッチチ…

トトッ

トトッ

小さく鳴き声と共に鳥は枝から幹へと移り、

身軽なステップのまま下へ下へと降りていくと、

幹の中ほどで盛り上がる胴吹きの中へと飛び込んだ。



鳥が潜り込んだ胴吹きの中には

塾した木の実が待ち構えていて、

チチッ

チチチ!

トトッ

トトトッ!

鳥は喜びの声を上げて熟した実を突き始めるが、

だが、実を包む表皮を容易に突き破ることが出来ず、

チチッ

チチチッ!

ついに痺れを切らした鳥は

声を上げてその実を丸飲みしようと、

口を大きく開けたとき、

ドォォォン!

ゴロゴロゴロゴロ!!!

湧き上がる雲の中より雷鳴が響き渡った。

バサッ

パタタタタタ!!!!

雷鳴に驚いた鳥は木の実を咥えて飛び立つと、

バラバラバラ!!!!

降り出した大粒の雨をくぐる様にして消えていき、

豪雨に撃たれる一本の樹が、

飛び去る鳥を見送る様に佇んで居た。



それから幾重にも年を重ねた春。

主を失った月夜野邸の正門に測量会社の社用車が数台停車すると、

測量機器を携えた測量員たちが降り、

屋敷の管理人と共に敷地内へと入っていく。

「こうして見ると結構広いなぁ、

 ここは…」

ヘルメットを被った頭を上に持ち上げて、

一人の測量員が屋敷を眺めると、

「向こうに見える森も、

 ここの敷地らしいですね」

と図面を見る別の測量員が返事をする。

「はぁ…

 旧華族のお屋敷とは、

 こうも広いものかね」

「これでも別荘だったそうですよ」

「爺さんが一人住んでいたらしいが、

 去年の怪獣騒ぎに巻き込まれて亡くなったとか」

「他に身内はいないのか?」

「独り身だったらしい」

「これだけの資産があっても、

 身寄りがないとはねぇ」

「ずっと気ままに生きてきたんだ、

 同情することはないね」

「それにしても、

 派手に建物が壊れていますけど、

 直撃を受けたんですかね」

「あいつらの誘導ミサイルって結構誤爆多いし、

 それに頼りのウルトラナントカも盛大にコケたしなぁ。

 ヤツの尻にでも潰されたんじゃないの?」

「あーぁ、

 もったいない。

 もったいない。

 どれも歴史ある建築物でしょうに」

崩れ落ちた建物を時々見上げながら測量員たちがそんな話をしていると、

「おいっ、

 口を動かすよりさっさと手を動かせ。

 聞いた話では、

 TSFが放った爆弾の何発かはここに着弾したそうだ」

と班長の腕章を巻く責任者は腕を組みながら言う。

「えーっ、

 それじゃぁ

 不発弾があるんじゃないんですか?」

「それは大丈夫だ。

 TSFのチェックは終わっている」

「ならいいんですが」

「あいつらの調査って信用できるんですか」

「測量を始めた途端、

 ドカン!

 は勘弁してほしいですよ、まったく」

笑いながら測量員たちは敷地内の基準点へと向かい、

その場を起点に測量をはじめだした。



「もぅちょい右」

「そうそこ」

春の日差しの下で測量員たちはテキパキと作業を進め、

作業場所は屋敷からそれに続く森へと移動していく。

「ホント、手つかずの森ですね。

 手が行き届いている向こうの森林公園とは対照的だなぁ」

「あはは、

 ”放置”と言わないところがお前らしいな。

 まっ、この自然を残して

 レジャーランドに変身して欲しいけどな」

「そのレジャーランドですが、

 今度は大丈夫なんでしょうね」

「こうして測量をしているし、

 上も乗り気だから、

 今度は大丈夫だろう」

「だといいんですが」

「そうだな」 

測量員たちはそんな会話をしつつ、

森の奥へ奥へと向かっていく。

そして、

「ん?」

あるところで

三脚にすえられた測器を覗いていた測量員が不審な声を上げると、

何度も測器から目を離し、

そして覗き込む仕草をしてみせる。

「どうした?」

彼のその行動に気付いた班長が声をかけると、

「あれぇ?」

測量員は不思議そうに小首を捻って見せる。

「何やっているんだ?」

測量員の元に班長が駆け寄ると、

「そこの古井戸のところですが、

 女の人がいるんですよ」

と森を指し示した。

「女の人だとぉ」

それを聞いた主任は測量員を押しのけ、

代わって自分が測器を覗き込むと、

「ん?」

小さな声を上げ、

測量員と同じように測器から目を離しては

森の手前にある古井戸を見つめ、

また測器を覗き込む仕草を繰り返し始めた。

「主任、

 やはりいますよね。

 そこを覗くと女の人が」

上司に向かって測量員は話しかけると、

「そんな、バカな」

と責任者は声を上げた。

そのとき、

『…おじさんたち

 …ここで

 …何をしているの?』

不意に女性の声が近くで響くと、

「ん?

 測量をしているんだよ」

と班長は測器から目を離さずに答える。



『…はてな?

 …その測量ってなんなの?』

「何なのって、

 こうして地面を測って、

 それを元にして図面を書くんだよ」

『…図面ってなぁに?』

「地面を整地したり、

 建物を建てるために必要なもの。

 あそこの壊れた建物を壊して、

 いらない樹を切って、

 ここをレジャーランドにするだよ」

『…いらない樹を切って

 …レジャーランドにする?』

「そうだよっ、

 ここの土地の持ち主が代わったんだ。

 遊園地を作るんだよ。

 沼ノ端・トランプ王国っていう名前の遊園地をね」

と班長が答えたところで、

「ん?

 どうした?」

他の測量員達が顔を青くして震え上がっている様子に気付くと、

怪訝そうに尋ねた。

「はっ班長!

 そっそれ…」

「あん?

 何をしているんだお前たち、

 さっさと仕事をしないか」

彼らに向かって班長は怒鳴り飛ばすと、

「あっあっあっ」

それにもかかわらず

測量員は震える手で班長を指差してみせる。

「なんなんだよ?」

怪訝な顔をしながら責任者は振り向くと、

『…いらない樹を切るって言ったわよね、

 …それって私も切ってしまうってことなの?

 …私、いらない樹なの?』

と訴える白装束の少女が宙に浮かんでいた。



「ゆっ

 ゆっ

 幽霊ダァ!」

森の中に測量員たちの悲鳴が響くと、

『…いやっ、

 …私を切るなんて、

 …そんなの絶対に許さないんだから!

 …さぁ樹怨の力よ。

 …この人たちに樹の気持ちがわかるように、

 …してあげなさい』

測量員達に向かって少女はそう言うと、

フワァァァ

黒い髪が大きくたなびき、

その髪の色が新緑の緑色に染まるのと同時に、

ザザザッ

少女の肌を新緑の芽吹きが一気に覆い尽くしていく。

その直後、

『…そぅっ、れっ!』

森の中に少女の声が響き渡った。



「うわぁぁぁぁ!」

「助けてくれぇぇぇ!!!」

「いやだぁ、

 樹になりたくなぁぁぃ」

測量員たちの絶叫が追って響き、

やがてその声が途切れると、

ガシャァン!

測器を据えた三脚がゆっくりと傾き、

倒れていくと、

倒れた三脚の周囲には

破れ作業服を身に纏う樹々が無言で立っていた。

『…ふぅ』

乱れた髪を軽く振って少女は呼吸を整えると、

少女の肌を覆い尽くしていた木の芽は消え去っていく。

『…ねぇ、

 …樹になった気分はいかが?』

と無言にたたずむ樹に向かって話しかけるが、

『…あら、

 …素直じゃないのね。

 …折角、樹になれたのだから、

 …もっと嬉しそうにしなさいよ』

樹からの返事を聞いた少女はやや不機嫌そうにそう返しながら、

樹に幹を軽く小突くと、

森の奥で日の光を浴びている井戸へと向かって行く。



『…御用は御済になりましたか』

その声と共に、

フッ

井戸の脇に目を細め笑みを浮かべるスーツ姿の男性が姿を見せる。

『…コン・リーノ』

男性の名を呼んで少女は井戸の淵に腰かけると、

『…何の用だ?』

急に口調を変えて尋ねた。

『…人間を見事樹に変えてみせたあなたの力、

 …しっかりと拝見させてもらいました。

 …お見事です』

『…それって、褒めているのか?』

『…いえいえ、

 …評価をして差し上げているのです。

 …それと、
 
 …昨年より貴方様のお体を侵していた毒もようやく抜けたみたいですね』

『…そうだな。

 …だいぶ力を使うことができた。
 
 …貴様がよこしてくれた霊水については礼を言おう』

『…お役に立てて光栄です。

 …あなた様にご都合した霊水はただの霊水ではございません。

 …我が嵯狐津に伝わる霊水。

 …そう、龍脈を満たし流れる”理”を汲み出した霊水でございます』

『…そうか。

 …貴様は霊水以外も色々なことを教えてくれた。

 …お蔭でわたしは誰なのか、

 …何をすべきなのかが判ったし、

 …わたしの存在を認めない者の存在もわかった』

『…はい』

『…ところで何の用でここに来た?』

『…いえ、あなた様の様子を伺いに参りましただけです』

『…それだけか?』

『…はい』

『…見え見えの嘘をつくな。

 …言っておくが、わたしは樹の化生だ。

 …ここに居る皆の様に日の光を葉で受け佇むのが本来の姿。

 …真面目に付き合うと、

 …お前にとって大事な1日を無駄にするぞ』

『…御心配には及びません。

 …妖の価値を見出すのが私の仕事ですので』

『…その目が曇ってなければよいが』

少女はそう言うと、

フゥ

と息を吐き、

『…力を使い過ぎたようだ』

そう呟くのと同時に、

キシッ

少女の足元から根が湧きだすと、

キシキシキシ!!!

見る間に二本の脚を木肌が覆い、

一つの姿へと纏まっていく。

そして、

ギギギギギ…

空に向けて両腕が伸びていくと、

ザザザッ

腕から無数の枝を葉を吹き出し、

少女は樹の姿へと変貌していく。

『…まだだ、

 …まだ私の体から毒は抜けきってはいない。

 …もっと力を、
 
 …樹怨の力を高めなければ。

 …あの毒蛇女めっ、

 …己の毒でわたしの体を腐らせようとした。

 …でも、毒は間もなく抜ける。

 …毒が抜けたら、

 …わたしはあの街に降りて行くつもりだ。
 
 …そして、わたしが在るべきところに帰る』

と言うと、

膨れ上がる幹に顔を埋もらせながら、

少女は視線を沼ノ端を向ける。

『…当代のご神木であるあなた様のその本懐。

 …きっと叶いますよ。

 …無論、私どもがそのお手伝いいたします』

少女の決意を聞いたコンリーノはウンウンと頷きながら歩き出し、

そして、樹化させられた測量員の元へと向かうと、

『…そうだ。

 …一つ、ご提案があります』

と言いながら落ちているスマートフォンを拾い上げ、

『…目覚めましたら、

 …ネットデビューをする気はありませんか?

 …きっとお役に立てますよ』

無言で佇むご神木に向かってコンリーノはそう話しかけた。



初秋の端ノ湖に突如姿を現し、

駆けつけたTSFのファイター相手に

大立ち回りを演じた植物怪獣が消滅してから半年が過ぎ、

桜の花びらが舞う沼ノ端市街地からはその爪あとが消えようとしていた。

「ふぅ…」

春風が吹きぬけるTV局の屋上で

牛島智也は転落防止用の柵に背中を預け、

広げた両肘をその柵の上に乗せながら晴れ渡る空を眺めていると、

「………」

最近、沼ノ端で耳にする歌を口ずさんだ。

すると、

「ほーぉ、

 お前が鼻歌を歌うとは、

 どういう風の吹き回しだ?」

の声と共に彼の友人である岬謙一が声をかけてきた。

「ん?

 岬ぃ!

 いつ沼ノ端に帰ってきたんだ?」

その声を聞いた智也は顔を上げて返事をすると、

「あぁ、三日前だ。

 で、お前の部署に顔を出したら、

 こっちにいるって返事があったからな」

と言いながら長期の海外出張に出ていた謙一は

智也のとなりで同じように背中を柵に預ける。

「こんなところに来て、

 そっちは大丈夫なのか?」

「書類仕事は大方片付けてきたから

 大丈夫だ」

「そうか、

 長い出張、お疲れさん。

 しばらくゆっくりできるな」

「まぁな、

 お前が手掛けているマッチョマン、

 視聴率がいいみたいだな。

 ”喰らえっ百倍返し”だっけ?

 マッチョマンの決め台詞が、

 すっかり流行しているじゃないか」

「うまいこと流れに乗っただけだよ。

 私は大したことはしてはいないよ」

「そうか、控えめな奴だな。

 それにしても、

 さっき、口走っていたその詩のフレーズに合うのは、

 お前よりも月夜野幸司の方が合うんじゃないのか?」

「Dr・ナイトかぁ…

 なんか、懐かしい名前って感じがするな」

謙一の口から出てきたその名前に智也は笑って返事をすると、

「で、里枝ちゃんはどんな様子なんだ?

 あの騒動の後、

 俺はすぐに海外出張に出てしまったし、

 人づてに色々忙しかったと聞いたけど、

 彼女、いま沼ノ端には居ないそうだな」

タバコを咥えた謙一は里枝の近況を尋ねる。



半年前、

樹にされていた里枝が人間に戻って全てが終わったわけではなく、

彼女が樹になっていた間、

止められていた時間が動き出したために、

様々な手続きや審判が里枝や智也に嵐のごとく降り注ぎ、

それらを終えることで

ようやく人間社会への復帰できたのである。



「あぁ、大変だった。

 特に大変だったのは

 里枝の家族より出されていた失踪届の処理。

 これは里枝はともかく、

 私も警察に出向いて任意の事情聴取を受けたよ」

タバコを一服吸って智也は返事をすると、

「まーそだろうなぁ、

 確か、里枝ちゃんが居なくなったときも、

 警察で事情聴取されたんだよな」

とそれを聞いた謙一は昔を思い出してみせる。

「そんときはお前も疑っただろう?」

「仕方が無いだろう、

 事情を知らなかったんだから」

「まぁ、

 彼女は樹になってしまいました。

 なんて言えるわけも無いし

 あの時のことはちょっと思い出したくは無いな。

 で、警察での聴取の後は

 沼ノ端総合病院に入院しての様々な検査、

 そして、実家への里帰りと関係者への挨拶だ」

「目まぐるしいなぁ」

「あぁ、

 里枝自身は自分が樹になっていたことは口外しなかったし、

 また失踪は原因不明の記憶喪失によるもの。

 と警察が結論づけたので、

 失踪中の詳細については、

 詳しく聞かれることは無かったらしい」

「ふーん、

 でも、あの里枝ちゃんが実家に帰ったら、

 大変だったろう」

「それはもぅ、

 15年以上も行方不明だったし、

 しかも、

 見た目全然年を取ってないことには、

 猛烈な突っ込みの嵐だったらしい」

「あははは…

 あの容姿で30代半ばと言われてもな

 初対面の人には容易には信じられないだろうな」

「若く見られる分、問題ないだろうけど、

 まぁ、ちょっと見た目が若すぎるわな」

「で、大学に復学したって、

 年明けに里枝ちゃんからメールもらったけど」

「あぁ 

 ひーひー言いながら勉強しているみたいだ。

 まぁブランクがえっらい長かったからなぁ…」

「でも、よく復学できたな、

 16年・17年だっけ

 里枝ちゃんのブランクは、

 普通、そんな長くは休学できないぞ」

「さぁ?

 誰かが後ろで手でも回したんじゃない?」

「心当たりがあるのか?」

「うんにゃっ、

 勘だ。

 でも、普通そう言うものじゃないかな、

 横車が押された時って」

「横車か、

 しっかし、誰なんだろうなぁ…

 里枝ちゃんの為に横車を押した人って、

 智也、

 お前は気にならないのか?」

「心当たりはなんとなくあるし、

 気になるといえばなる。

 でも、いまは余計な詮索はしない。

 下手に詮索して、

 里枝の折角の学生生活に水を差す分けには行かないしな。

 今の私が出来ることは、

 彼女が無事大学を卒業させることだ。

 その為に必要であれば、

 真意不明の好意にも甘えようと思う」

「ほぉ、

 人間が出来たなぁ、牛島君は」

「おおぃっ、

 いい加減、若造じゃないんだからさ」

「あはは、

 で、

 サラリと里枝ちゃんを呼び捨てにしているけど、

 ケジメはつけてきたんだな」

「ん?

 まぁな…」

「で、どうだった?

 向こうのご両親の反応は、

 お嬢さんをください。

 って言ったんだろう」

「おぉいっ、

 まぁ、一応、普通の反応だった」

「なるほど、

 で、式は挙げたのか?」

「形だけな、

 でも、籍はまだ入れてない」

「へ?

 逆じゃね?

 それって」

「いや、

 まぁ、なんというか、

 彼女を三浦里枝として卒業させてあげたいんだ」

「卒業を待って正式に結婚か。

 変なフラグにならなければいいが。

 けど、それだと子作りは当分先…

 あぁ、里枝ちゃんの肉体が20代前半なら焦ることは無いか」

「なんかイヤらしい言い方だなそれ」

そんな会話を交わした後、

ふぅ…

二人は大きく息を継ぐと、

クルリ

向きを変え、

「半年振りに沼ノ端に戻って来たけど、

 あの事件の爪あとはほとんど残って無いな」 

話を変えるように

沼ノ端の市街地を見下ろしながら健一はいう。

「そうでもないぞ、

 探せばまだあの事件の傷跡はいっぱい残っているよ」

「そっか、

 復興もまだ道半ばが、

 そうそう娘がな…

 俺が出張から帰った途端、

 奥の院の森にあったご神木が無くなった。

 って肩を落としていたぞ」

「あぁ、里枝も気にしていたよ」

「やはり代わりがあるのか?」

「その辺、

 黒蛇堂さんたちが調べてくれているはずだったんだけどな」

「はずだった?」

智也の言葉尻を健一は捉えると、

「ふぅ」

智也は小さく息を継ぎ、

そして、健一を見ると、

「帰国したばかりの岬健一君が知らない

 沼ノ端3つのキーワード』

と大声を上げ、

「ひとーつ。

 ご神木が無くなっても”理”の流れは何も変わっていない」

「ん?

 それって、何か変なのか?」

「ふたーつ。

 黒蛇堂さんと白蛇堂さんが行方不明だ」

「え?」

「みぃーつっ。

 Drナイトの屋敷跡が買収された」

「ほぉ!

 でも、それって奇妙なことか?」

指を折って沼ノ端で起きている怪事について話す毎に、

健一は突っ込みを入れる。



「なぁ、黒蛇堂さんと白蛇堂さんが行方不明って、

 いつからだ?

 黒蛇堂さんたちには挨拶に行かないとと思っていたからな。

 なんだかんだであの時はお世話になったし」

黒蛇堂・白蛇堂姉妹の行方不明の件を健一は正すと、

「正確に行方不明と決まったわけじゃなくてな、

 ただ、Dr・ナイトの事件直後、

 黒蛇堂の店舗に

 ”しばらく店を休む”

 と張り紙がだされたままなんだ」

「おぉいっ」

「もぅ半年以上張り紙は剥がされないし、

 ずっと、店を閉じたままだったので、

 この間、ちょっと覗いてみたんだ」

「それって、

 不法侵入じゃないのか?

 鍵屋さんと入ったのか?」

「まぁな、

 たまたま店の前で鍵屋さんと出会ってな、

 で、黒蛇堂のことを尋ねたら、

 鍵屋さんも連絡が取れなくて様子を見に来たらしい」

「なるほど、

 で、どうだった?」

「全くの無人だった」

「手がかりは?」

「ないっ、

 すぐに戻ってくるつもりで出かけたのか、

 ちゃぶ台の上には飲み掛けのお茶が残されていた」

「ミステリーだな」

「鍵屋さんが言うには、

 あの夜、

 私の部屋から黒蛇堂さんと共に店にいったん戻ってきたらしい。

 そこで黒蛇堂さんは里枝から尋ねられた”理”のことを気にして、

 直ぐにご神木の跡を見に行く。と

 従者の方と共に出かけたそうだ」

「ふーむ、

 よーし、判った。

 犯人はグレムリン!じゃなかった。

 その従者だ」

「おぉぃ」

「で、お前はそのご神木の跡には行ったのか?」

「あぁ、それはもぅ、

 事件の後、すぐに里枝と一緒に行ったし、

 黒蛇堂さん達が行方不明って知ってからも調べている。

 でも、穴が開いているだけで何もなかった」

「うーむ、

 店内は…飲み残しのお茶が残っているだけ、

 従者の人も居ないんだよな」

「あぁ」

「よーし、判った。

 犯人は鍵屋だ。

 前々から奴は怪しいと思っていたんだよ」

「お前なぁ」

「いろいろ聞いてみたいけど、

 いま、奴は地獄なんだろう?」

「あぁ閻魔大王が裁判長で、

 月夜野姉弟の裁判をやっているとか」

「ほぉ、

 文字通り、地獄の沙汰だな」

「で、ナイトの屋敷を買収したのは?

 誰?」

「そっちに行くのか?

 ほら、沼ノ端メルヘンランドって覚えているか?」

「メルヘンランド?

 あぁ、

 あの名前が毎年更新されながらも

 それ以外の動きが全く無い。

 計画だけのレジャーランド!」

「そう、それ」

「確か、メルヘンランドの前は…

 …沼ノ端メイジャーランドだっけ、

 スィーツ王国って言うのもあったし、

 パルミエ王国というのもあったな」

「そのシリーズの初代は沼ノ端・光の園だよ」

「あはは、そうだった。

 公園墓地みたいな名前だった。

 で、まさか…」

「そう、そのまさかだ。

 沼ノ端・トランプ王国。

 今度は本気らしいぞ」

「ほぉ〜っ

 どこからそんな金がでたのやら」

「去年の総選挙で大勝して

 政権に返り咲いた阿部野橋内閣」

「アベノバシノミクスかっ」

「おーよ。

 東京オリンピック開催まで決めちゃって、

 しかも、オリンピックまでに東京湾を埋め立てて、

 新都市・ネオ東京を作るという。

 バビロンプロジェクトも始めたものだから、

 株が上がる上がる」

「あの辺鄙な埋め立て地の先に新都市だなんて…

 だったら、

 ウチの局に入る広告料もあげてホシーナっと」

「番組制作者の本音か」

「当然!」

「でな、

 そのトランプ王国だけど、

 表向きは妖精たちとの触れ合いをうたっているけど、

 裏側はカジノだという話だ」

「おおぃ、

 昼は可愛い妖精たちと共に、

 キング・ジコチューをやっつけるシャル!

 ってなキッズランドで、

 夜になると

 ルージュでバキューンなお姉さまが相手をしてくれる

 アダルティーワールドかっ

 お姉さまとのラブリー・カードゲームに負けたら

 億の借金背負わされた上に、

 ペリカ払いの地下強制労働!

 うーん、やるなっ、帝愛トランプ王国!」

「おいっ、

 勝手に設定を作るな」

「はー、

 でも、よくもまぁ許可が下りたものだ」

「ナイトの一件で、

 沼ノ端に悪いイメージが付いのでそれを払拭と、

 被害に遭った街の復興のためとからしい」

「一歩間違えると奈落の底に突き落とされるぞ」

「市長も県知事も乗り気だし、

 市議会・県議会も承認しているので

 どうすることも出来ないってことだ」

「悪い予感がする…な」

二人はそう言葉を交わすと、

「で、最初に言っていた、

 ”理”の流れが変わっていないって?」

「あちこち飛ぶなぁ」

「一応、キーワードは抑えとこうと思って」

「順番通りに行け。

 で、”理”だけど、

 鍵屋さんが計測した結果、

 何も変わっていないそうだ」

「それって、

 あれか?

 里枝ちゃんの代わりのご神木が居る。

 ってことだろ?

 なら、万々歳だし、

 里枝ちゃんも森のことを気にする必要はないじゃないか」

「確かにな。

 ただ、ここで問われるのは、

 ご神木の引き継ぎが行われていないってことだ。

 沼ノ端に流れる膨大な”理”の力。

 その”力”を新しいご神木は御しなくてはならない。

 先代から役目を引き継ぐことで樹はご神木となり、

 ”理”を御することができる。

 しかし、引き継ぎは行われないまま、

 どこかの樹がご神木となった。

 いまのところ大人しい”理”だけど、

 一旦、波打ち唸り始めたら

 新しいご神木は果たして御することができるのか」

「結構、”理”のコントロールって難しいものなんだな」

「2発撃った風船波動砲だけど、

 裏方は大変だったと里枝は言っていたよ」

猛者を葬ったあの波動砲のことを思い返しながら智也は言うと、

フワリ

春の空に煙が舞って行った。



「Dr・ナイトの屋敷跡に女の人の幽霊が出る?」

智也の耳にその噂が届いたのは、

梅雨の真っ盛りの雨の日のことだった。

「らしいぞ」

智也に向かって謙一は眉を顰めてささやくと、

「でも…確かにあそこでは、

 Dr・ナイトによって大人数の女の子が人体実験させられていたけど、

 鍵屋さんが言うには死者は居ないと」

と智也は噂を否定しようとするが、

「うーん、

 でも、屋敷跡の古井戸から女の子の幽霊が這い出てくる。

 と言うのは本当らしい、

 現に動画投稿サイトに心霊動画がアップされているんだよ。

 ほら、これを見てみ」

そう言いながら謙一はタブレット端末を差し出すと、

智也に見せる。

「んーっ、

 いまいち不鮮明だけど、

 確かに古井戸から白い着物を着た

 長い髪の女の子みたいのが這い出てくるな…」

画面を覗き込みながら智也は言うと、

「ん?」

急に思案顔になり、

「なぁ」

と端末を返しながら健一に話しかける。

「ん、なんだ?」

返してもらった端末を仕舞いながら健一は返事をすると、

「この動画…

 ふつーに見て、大丈夫か?」

と智也が尋ねると、

「なんだよっ、

 急に…」

「いや、

 その動画を見たあと、

 夜になると、

 パソコンの画面からその女の子が這い出てきて、

 寝ている私の首を絞めてくる…なんてことが…」

「あははは、

 そんな、どこかのホラー映画ではあるまいし」

智也の懸念に対して健一は笑い飛ばすと、

「だよなぁ、

 あははははは…」

と智也もまたつられて笑うが、

「あははははは…

 はぁ…」

笑っていた健一の表情が急に暗くなると、

「はぁ?」

智也の顔がかすかに引き攣った。

「まぁ、そうやって笑っているうちが華だよな、

 ホント」

「ちょっと待て!」

「なんだよっ」

「どういう意味だ、

 今の言葉は!」

「ん?

 なんだ、

 お前、噂を信じるのか?」

「信じる信じないじゃなくて、

 その意味深な”含み”と”間”は何だ。
 
 と聞いているんだ」

健一に向かって智也は怒鳴ると、

「樹怨…」

彼は急に真剣そうな表情をしてみせると

そう呟いた。



つづく