風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act3」
(第拾壱話:姉ノ樹)


作・風祭玲

Vol.1087





ポチャン…


ポチャン……


ポチャン………

見渡す限り白一色の世界。


ポチャン…………

その世界には天も地の区別も無く、


ポチャン……………

色も無く、


ポチャン………………

形のある物が存在しない白紙の世界。

だが、何処からか聞こえてくる

滴り落ちる水の音が静かに響き渡っていた。


ポチャン……………

『……』

その世界の中で里枝の意識が目を覚ました。


ポチャン…………

『……』

しかし、目を覚ました里絵の意識はまどろみの中、

響き渡る水の音をただ感じるだけの

輪郭がぼやけた存在にしか過ぎなかった。


ポチャン………


ポチャン……

水の音はそんな彼女を追い立てるように響き渡り、

次第に彼女の意識はその輪郭を明確にしていく。

そして、彼女の覚醒が進むにつれ、


フワァァ…

白一色の世界に一本の横線が浮かび上がると、

世界を二分するようにして、

波紋が動いていく水面が姿を見せる。


ポチャン…


ポチャン…

水の音が響くごとに視界が利く空間は広がり、

やがて、その水面に浮かぶ人影が姿を見せた。

人影はご神木から分枝した里枝だった。



一糸纏わない里枝の身体は人の姿とは大きく異なり、

形良く膨らんだ乳房をもつ胴体は

肌の色こそ若芽のごとく緑色をしているものの、

スタイルは若い女性と変わらなかった。

しかし、両腕は樹の枝となって天へと向かって掲げられると、

その先で盛り上がるように無数の葉を茂らせ。

また、足は腿より幾重にも根が張り出すと、

水に浸かる膝からは根のみの姿となり、

その先には人の形をしたモノは存在しなかった。


ポチャン…


ポチャン…

なおも目を閉じたまま彼女にむかって、

水音は起床を促すように響くと、

程なくして瞼が動き、

『うっ

 うん?』

里枝は目をあける。


『ここは?

 どこ?

 やだ、

 私、樹になったまんまで立っている』

自身が葉を茂らせる樹の姿になっていることき気がつくと、

里絵はつい慌ててしまうが、

『そうだ、

 智也…』

すぐに彼のことを思い出すと、

それと同時に意識を失うまでの記憶が蘇ってくる。

そして、

『あっ…

 …そっか』

それらを思い出した彼女は目は曇らせると、

『…あたし、

 …行くところがないんだ…』

と寂しそうに呟く。

すると、

ポチャン…

その頃合を見計らうように

収まっていた水音が再び響き始めた。

『…水の音、

 …ここって何処なんだろう。

 …あたし、

 …このままずっと居ていいのかな…

 …樹でいれば何とか生きていけるみたいですし』

まるで誰かに護られているかのような、

居心地の良さを感じながら里枝は呟くと、

『……♪』

女性の声が歌声が響いてきた。

『え?

 誰?』

その歌声に里枝は驚くが、

『……♪』

歌声は静かに優しく響き続ける。

『だっ誰?』

歌声の主を探すように声を上げながら、

里絵は茂らせていた葉を戻すと、

同時に枝も手に変え、

足も戻した。

そして、

ジャボンッ!

水の音を響かせながら二本足で立つと、

『ねぇ、

 歌っているのは誰?

 何処にいるのですか?』

と声を上げながら里枝は水の中を歩き始めた。



「ふむ、

 アラートが上がっていたが、

 別に問題は無い様だな」

そう言いながら

館と中庭とを隔てている重い扉を開けて姿を見せたのは、

他ならない月夜野幸司だった。

「月夜野っ」

彼の姿を見た途端、

”海”と”華”はその名を呼ぶが、

『しっ!』

すぐに玉屋によって注意を受けると、

「いけない」

二人は慌てて口に手を当て、

3人は姿を見せた幸司を目で追いかける。

3人の存在に気がつかないのか幸司は中庭へと踏み込むと、

地形を無視してまっすぐに歩き、

その中央で佇む樹の前に立つと、

腰を落とし、

その根元で倒れたままの女性の頬を軽く触ってみせる。

「まだ眠られているのですか。

 夢の中で姉さんに逢えましたでしょうか?

 大丈夫、

 姉さんがあなたをシッカリと護ってくれますから」

女性に向かって幸司は優しく話しかけると、

「里枝さん。

 あなたの力。

 せひ姉さんのために役立ててください」

と囁くとゆっくりと腰を上げ、

「さて、

 そんな所に隠れてないで、

 出て来てはいかがですか?」

と声を張り上げた。

『ちっ、

 見つかっていたか』

その声を聞いた玉屋は軽く舌打ちをして腰を上げると、

「おやおや?

 私は鍵屋さんをご招待したはずです。

 あなた様をご招待した覚えはありませんでしたが」

影から姿を見せた玉屋に向かって呆れたように言う。

『すみませんね。

 お城の舞踏会に向かうためにチャーターした馬車が

 ここに横付けしたものでね。

 悪いけど、

 こちらの舞踏会に飛び入り参加させてもらいます。

 さて、月夜野幸司。

 いえ、Dr・ナイト。

 地獄界総司令・閻魔の名に置いて、

 あなたを捕縛いたします』

玉屋は手にした”魂”の札を指し示しながら、

幸司に向かってそう声を上げると、

「ふーん、

 なるほど、

 地獄界からわざわざ馬車でお越しになられたとは、

 鍵屋さんのご同僚様でしたか?

 で、捕縛をなさるとおっしゃいましたが、

 どのような咎…でしょうか?」

月明かりを受けて輝くメガネを指で上げながら

幸司は尋ねると、

『しらばっくれる気?

 あなた…

 理を貯め込んでいるでしょう?

 地獄の許可なく、

 理を淀ませるのは禁じられているわ。

 それが理由よ。

 神妙にお縄になるか?』

幸司に向かってその意思を確かめると、

「断る」

彼は即座に返答をする。

『そうか、

 ならば実力行使だな』

その返答を聞いた玉屋はどこか嬉しそうに言うと、

着ていたローブを脱ぎ捨て、

肩が露になったシングレットとショートパンツの姿となり、

準備運動をするかのように右と左の肩を順に回し始めた。

「おやおや、

 もぅ交渉打ち切りですか?

 気の短い方ですね」

それを見た幸司は揶揄すると、

『ふんっ、

 余裕かましているのも今のうちだよ。

 言っておくけど、

 私は鍵屋見たい甘くは無いからね』

「これは…

 私も安く見られたものです」

『準備運動、終わりっ』

幸司の言葉を遮るように玉屋は声を上げると、

一瞬、彼の姿を見定め、

フッ!

と息を吐くと、

ヒュンッ!

たちどころに姿を消してみせる。

そして、次の瞬間。

「!!っ」

幸司の腕がすばやく動くと、

ゴッ!

玉屋の拳を幸司は肘で受け止めていた。

『くっ

 止めただと!』

「くすっ」

最初の一撃を外された悔しさを見せる玉屋に対して、

余裕の笑みを浮かべる幸司。

『ならば!』

フッ

再び玉屋が姿を消し、

ドン!

ドン!!

ドン!!!

それぞれ違う方向から放たれた衝撃が幸司を襲うが、

しかし、その全てを彼は受け止めてしまうと、

「この私に力づくで当たるとは、

 愚かなことです」

とあくまで余裕の表情で言う。

『馬鹿なっ、

 人間のお前があたしが見えているのか?』

「さぁ?」

『おのれっ!』

「無駄なことを」

なおも玉屋は攻撃を続けるが、

幸司はそれらを往なしてしまうと、

「あなたなら、

 もっと別の力があるでしょうに。

 しかし、それを使わずにこのような徒手空拳で、

 戦いを挑まれることはある意味敬意を表します。

 けど、これ以上のお付き合いは

 私にとって時間の無駄ですので…

 本気で参ります」

と言いながら

スッ

掛けていたメガネを外してみせる。

その瞬間、

フッ!

幸司、いやDr・ナイトの姿が消えると、 

『まてっ』

玉屋も姿を消し、

二人は”海”と”華”の動態視野を持ってしても、

姿を追いかけることが無理な

時間を引き延ばした世界での徒手空拳の闘いをはじまった。



ザバッ

ザバッ

『ねぇ、

 誰なんですか?

 何処いるの?

 あなたが歌っている歌って何?』

十数メートル程度の視界がやっと確保されている中を、

里枝は水の音を響かせながら歩き続けていた。

『ねぇってばっ、

 居るんでしょう?

 あなたはここの主さんですか?

 あたし、

 このままここに居ていいんですか?』

声を張り上げながら

里枝は水の中を歩いていくと、

響く歌声は次第に大きくなり、

歌を歌う主に近づいていることが判る。

そして、

ポチャン!

彼女の耳に水滴が落ちる音がこだますると、

『こっち?』

その音に引かれるように里枝は左に曲がった途端、

フワッ

行く手に影が姿を見せた。

『影…』

それを見た里枝は、

ザバ

ザバ

ザバ

スピードを上げて急ぐと、

最初はぼんやりとしていた影が次第に大きくなっていく、

そして、その姿にメリハリが付いてきたとき、

ザバッ

里枝は歩くのを止めた。

『樹だ』

立ち止まった里枝はそう呟きながら見上げると、

そこにはタコの足の様な根を水面に持ち上げ、

幹の胴回りは数メートルもある

大きな樹が聳え立っていた。

『…あっあなたなの?

 歌っていたのは?』

樹に向かって里枝は声を上げると、

『…♪っ』

歌声は止み、

ポチョン!

水面に出ている根から水滴が零れ落ちる。

『…ねぇ、何か言ってよ。

 あたしここに居ていいんでしょう?

 私には他にいく所がないの』

訴えるように里枝は声を張り上げると、

『…訪問者よ、

 …あなたがここに来るのを。

 …私は長い間、待っていました。

 …私と共にこの場に居続けてください』

とやさしく囁く。

『そうなの?

 良かったぁ。

 ここを追い出されら

 どうしようかと思っていたの』

樹のその言葉に里絵は安心したように言うと、

『じゃぁ、

 遠慮なく』

の言葉と同時に、

バッ!

その場で腕を枝にすると葉を茂らせ、

足から根を吹き上げさせる。



ガッ!

ボッ!

ズンッ!

玉屋とDr・ナイトが姿を消した途端、

樹の周りで生える草が削られ、

さらには地面やレンガの壁に幾つもの打撃跡が作られていく。

そして、

「ちょちょっと、

 なっなにか…」

「これって

 人間がするケンカじゃないよね」

まさに次元を超えた二人の戦いを

物陰に隠れた”海”と”華”は

冷や汗を流しながら見守っていた。

その一方で、

『ふーんっ、

 私のスピードについてこられるなんて、

 あんた、

 本当に人間を辞めているんだね』

時間を引き延ばした世界の中、

玉屋は感心したように言うと、

『いえ、

 人間を卒業した。

 そう言って頂けると、

 これまで苦労してきた甲斐があります』

同じ世界に居るナイトはあくまで冷静さを装っていた。

『そうかいっ、

 大勢の女性達を犠牲にしての苦労か、

 大層な苦労だね。

 けど、

 そんな付け刃で長くは息は持つまい。

 なら、

 これでそうだ!』

一瞬の間を突いて玉屋はすばやく幸司との間を詰め、

そして、彼の下腹部に拳を放った。

ところが、

『えぇ、

 無理は利きませんので、

 あなたから飛び込んでくれるのを

 待っていましたよ』

まるで待ち構えたいたかのように幸司は答えると、
 
彼女が放った拳を軽く受け止め、

すばやく持ち替えて身体を密接させる。

その直後、

ズンッ!

地響きを立てて二人はレンガの壁に激突した。



『ぐはっ!』

時間を引き延ばした高速運動による自身の質量の増大と、

さらに、

それ以上の幸司の質量をまとも受けた玉屋は潰されてしまい、

大きなダメージを受けてしまうと、

『うぐぅ…』

通常の時間に戻った玉屋はその場に蹲ってしまう。

「玉屋さんっ!」

「うわっ、

 まっずーっ」

『くくくっ、

 相当なダメージを受けたみたいですね。

 まっ自分が巻いた種ではありますが、

 あなたはどうも頭に血が上りやすいようですね』

二人の視界に姿を見せたナイトは

痛みを堪える玉屋を見下しながらながら言うと、

『この野郎…

 言わせておけば…』

髪を振り乱し歯を食いしばりながら、

玉屋は立ち上がる。

『ほーぉ、

 アレだけのダメージを受けながら

 立ち上がるとは、

 さすがは閻魔大王の姪だけのことはありますね、

 ならばあなたの名誉に掛けて

 全力で痛めつけてあげましょう』

と言った後、

ナイトはニヤリと笑って見せると、

フッ

また姿を消す。

と同時に、

玉屋に全方位からの打撃の雨が降り注いだ。



「やめて!」

「なぶり殺しじゃない」

「ちょちょっと、

 何とかしてあげないと」

「でもどうやって?」

倒れることすら許されないほどの、

猛攻を受けている玉屋の姿に、

”華”と”海”は手を出しあぐねていた。

「なんでもいいです。

 Dr・ナイトの足を止めれば、

 玉屋さんを助けることが出来ます」

「だから、どうすればいいのよ」

「そんなことは…

 簡単ですっ

 ”海”あとを頼みます」

”海”に向かって”華”はそういい残すと、

ダッ!

玉屋に向かって走り出した。

「まさか、

 自分が体を張って?

 あぁんっ、

 もぅ、

 どうなって知らないから!!」

それを見た”海”もまた飛び出していく。



ポチャン!

根から滴り落ちる水の音が響く中

『………』

樹に変身した里枝はじっと佇んでいた。

ポチャン!

ポチャン!

まるで時を刻むかのように水の音は響き続け、

再び響き始めた歌声が静かに流れていた。

ところが、

『………

 んっ

 んんっ

 もぅだっだめぇ!』

ガマン比べに負けたような声を上げて、

里枝は変身を解いて人間の姿に戻ると、

『ちょっと聞いていいかな』

と樹に話しかける。

『…なんでしょうか?』

話しかけられた樹は歌を歌うのをやめて返事をすると、

『あなたって、誰なの。

 どうして、私に優しくしてくれるんですか?』

と尋ねる。

『…わたしは…

 …樹です』

『そんなことは言われなくても判っています。

 第一、それを言ったら私も樹ですから』

『…わたしは待っているのです』

『誰を?』

『…弟です』

『へぇ、弟さんが居るんですね』

『…ずっと待っていました』

『もうじきいらっしゃるのね』

『…はい』

『で、どうするの?

 見たところ、

 あなたは私の本体と同じ、

 動くことが出来ない樹ですよね。

 弟さんが来たら、

 ここでお話をするの?』

『…はい』

『そっか、

 じゃぁ、私がここに居たら邪魔ですね。

 姉弟水入らずの場所に居座って悪いことをしたわ。

 向こうの方で樹になっているから』

姉ノ樹のとの会話の後、

里絵は移動しようとすると、

『…待って』

姉ノ樹は呼び止める。

『はい?』

『…あなたはここに居てください』

『でも、

 悪いじゃない。

 それに、

 私、目の前で仲が良い所のを見せ付けられるのは、

 ちょっと…イヤだし』

姉ノ樹に向かってつい本音を言ってしまうと、

『…あなたがここに居ないとならないんです。

 …でないと、

 …わたしが叱られます』

里枝に向かって姉ノ樹は事情を話す。

『叱られる?

 弟さんに?

 樹になったあとでも

 叱られることってあるのですか?

 智也はそんなことはしないけど、

 変なの?』

それを聞いた里絵はそう呟くと、

ビュッ

不意に風が吹き、

姉ノ樹の枝が大きく揺れ、

し間を開けて

『…弟を愚弄することは許しません』

と警告をする。



「だぁぁぁぁ!!!」

棒立ちになって攻撃を受けている玉屋に向かって

”華”は全力で走り、

そして、

ヒュンヒュンヒュン

彼女の周りを渦巻きながら唸る風の中に飛び込んだ。

と同時に、

ドドドッ

その”華”のボディを数発の拳が直撃するが、

ガッ!

その最後の一発を自分の拳で止めると、

『なっ!』

”華”の前に驚くDr・ナイトが姿を見せる。

「もっもぅ、

 それくらいでいいでしょう。

 玉屋さんは、

 立っているだけで精一杯のはずですよ」

ナイトに向かって”華”は声を張り上げ

すかさす体を回して蹴りを入れると、

気を失い倒れ落ちる玉屋を抱えてみせる。

そして

「これ以上、

 戦うと言うのであるなら、

 この私が相手になります」

と声を上げた途端、

「だぁぁぁぁぁ!!!」

”海”の叫び声が迫ってくるのと同時に、

ドゴッ!

ナイトのわき腹に”海”の渾身の蹴りが決まった。

『ウガッ!

 まったく…

 こんなことなら…

 あなた方は捕らえずに…

 さっさと始末するべきでした』

痛むわき腹を庇いながら悔しそうにナイトはそう呟くと、

『お前達、

 この私を怒らせたことを後悔するがいい!』

と声をはりあげる。

その途端、

ゾロッ

ゾロゾロ

中庭に異形の者達が湧くように姿を現すと、

”華”と”海”に近づいてくる。

「なにこれぇ」

「まさか」

迫る異形の群れを見ながら、

”華”はあることに気付くと、

「Dr・ナイトっ、

 この獣達はみな元は女の子だったんですね」

と問い尋ねた。

『くくくっ、

 あぁ、そうだよ。

 私が厳選した婦女子を獣化ウィルスによって美しく作り変えたのだよ。

 どうだね。

 美しい牙、

 美しい爪、

 美しい角、

 そして、美しい毛並…

 どれもとってもこの美しさに適うものはいない』

その問いにナイトは笑いながら答えると、

「なんてことを…

 旦那様から得た資金をこんな事に使っていただなんて、

 皆幸せな暮らしがあったでしょうに」

「あなたっ、

 こんなことして良心が痛まないの?」

『くくっ、

 旦那様?

 あなた方にとってその旦那様は聖人ですか?

 くくくっ、

 私と同じ黒く汚れきっている悪人ではありませんか?

 そんな方の手下に文句を言われる筋合いはありませんよ』

天を仰ぐ顔に手を当ててナイトは笑ってみせると、

「確かに、

 旦那様にも影はあります。

 でも、罪も無い無抵抗の女性達を

 無理やりこのような姿にしてしまうことはいたしません。

 私っ、

 あなたのやり方を絶対に認めるわけにはいきません。

 私っ、

 堪忍袋の緒が切れました!!」
 
「おうよっ、

 海より広い心の私でも、

 ここらがガマンの限界よっ!」

立ち上がった二人はそうを叫ぶと、

ナイトに向かって握った拳を向ける。



ポチャン!

『別に愚弄なんかしては居ないわ。

 ただそう思っただけです。

 そりゃぁ、

 あなたの弟さんみたいな立派な人ではないですから、

 多少はヒネテは居ますけど』

姉ノ樹からの警告に里絵は不愉快そうに言い返すと、

ビュォッ!

また風が吹き受けた。

『ちょっと、あなたっ、

 言いたい事があるのなら、

 態度じゃなくて、

 はっきりと言葉で言ってください!』

と指差して声を上げる。

すると、

ポチャン!

また水の音が木霊すると、

『…あなたの…

 …あなたの道標は何処を指していますか?』

と姉ノ樹は問いかけてきた。

『はぁ?

 いきなり何を言い出すの?』

『…弟には道標があります。

 …わたしはその道標に従うまで、

 …弟を愚弄するあなたには

 …どのような道標があるのですか?』

『うっ、それは…

 私には…』

姉ノ樹の言葉に里絵は窮してしまうと、

ポゥ

里枝の身体に中にある”花ノ弓”がその返事をした。

『あっ』

身体に響いた弓の言葉。

分枝の際、

本体から自分に託された言葉を里枝は思い出すと、

『あっ、あるわよっ』

と叫ぶ。

『…そうですか、

 あなたにも道標があったのですね』

『そうよっ』

『…では、その道標が指し示す道を、

 …あなたは歩いているのですか』

『そっそれは…

 って言うか。

 なんで、私ばっかり責められるの?

 そもそも、あなたは誰?

 その質問には答えてないでしょう?』

『…先ほども言いましたが、

 …わたしは…樹。

 …弟を護り従う樹です』

『はぁ?

 弟を護って従うの?』

『………』

『ふーん、

 都合が悪いことには黙ってしまうのですか』

『…弟は私の為に全てを投げ出し、

 …そして、背負いきれないほどの業を背負いました。

 …その弟を私は護り、

 …そしてその指示に従わなくてはなりません。

 …それが私の道標です』

『悪いですが、

 あなたのその考えには同意できません。

 何が何でも弟さんに従わなければならない。

 っておかしいじゃないですか。

 あなたの意思はそこには入れてもらえないの?

 弟さんに命じられるまま、

 右を向いて、左を向くわけ?

 じゃなぁ、あなたは一体何なの?

 それじゃぁ、まるで弟さんの道具じゃない』

『…弟は待ってくれていました』

『今度はなによっ』

『…私が眠りについた80年もの間、

 …弟は自分の時を止めて待ってくれていたのです。

 …私のために…

 …私は…

 …私を護り待ってくれていた弟の為に

 …報いなければなりません』

『だからって、

 その理屈はおかしいって、

 だって、時を止めてあなたを待っていたのは、

 弟さんの勝手じゃないですか。

 それなのにあなたが恩に着る必要は無いですよ』

『…弟は私の為に自ら手を汚し続けてきました。

 …弟の業は私も背負わないとならないのです』

『もぅ、

 弟想いも大概にしなさい。

 大体、業ってなんなのですか』

『…弟は…

 …私のために多くの女性を獣にし、

 …そして理を貯めてくれました。

 …弟は止まりません。

 …止まれないのです。

 …立ち止まったら、

 …弟は道標をなくして弟ではなくなってしまいます』

『ん?

 あなたの弟さんって公園で女性を襲い、

 そして、私を襲ってきた。

 Dr・ナイトとか言うあの男なの?』

里枝は話をしている樹の弟が公園で里枝を遅い、

そして、あの雨の中、

自分に手を差し伸べた男性であることに気がついた。



『ほぉ、

 この状況にあっても

 意気込みを見せたことは認めてあげましょう。

 でも、あなた方が拳を向ける相手は私ではありませんよ』

”華”と”海”の決意を見たDr・ナイトは余裕たっぷりに言い、

そして、

『さぁ、皆さん。

 この方々を見事退治してあげた方には、

 褒美として元の姿に戻してあげましょう』

と声を張り上げる。

「あっ、てめーっ、

 それで釣るかぁ」

「弱みに付け込んでの振る舞いっ、

 決して許せません」

それを聞いた”海”と”華”はナイトに向かって文句を言うが、

『ごわぁぁ!』

目を光らせた獣人たちが牙を剥き、

一斉に”華”と”海”に向かって雪崩込んでくる。

「ちょっと待ってぇ」

「話を聞いてください!」

「私たちはあなた達とケンカをしに来たんじゃないのよ」

「落ち着いて、

 あなた方はDr・ナイトに操られているのよ!」

手刀や蹴りで獣人たちを退けながら、

”華”と”海”は声を上げるが、

『ぐわぉっ!』

獣人たちは一切聞く耳を持たずに攻撃を続ける。

「くっそぉ!

 こうなったらぁ。

 忍法・クノイチ

 大・爆・発!」

力を込めて”海”がそう声を上げると、

カッ!

一瞬光が輝き、

その次に大音響と共に衝撃波が走った。

そして、

『ぎゃぁぁぁ!』

その衝撃波によって十数名の獣人が吹き飛ばされるが、

すぐに無事だった者達が襲い掛かってくる。



「もぅ、キリがないわ」

「どうする?」

「どうするって、

 言われましても」

「もぅ一回大爆発しちゃおうか」

「やめなさいって」

「そんな事言ってもぉ」

多勢に無勢、

二人は徐々に追い詰められていくと、

『お前達、

 いつまでも甚振ってないで、

 さっさと始末しなさい。

 全員で一斉にかかれば簡単でしょう。

 そうでないと褒美は上げられませんよ』

とナイトは言う。

すると、

『ごわっ』

その指示に従うように、

取り囲んでいる獣人たちが一斉に動き出そうとしたとき、

キラッ

一瞬、光の帯が走ると、

シャッ

シャッ

シャッ

獣人達の周囲を柵が次々と囲み、

ガシャンッ!

瞬く間に柵は鍵が掛けられた牢となって、

獣人達を個々に分断して拘束をすると、

キンッ

中に現れた魔方陣が次々と獣人達を抜けて行く。

そして、

魔方陣が抜けた獣人は溶けるように体が崩れ、

再び体が作り替えられると

皆、元の女性の姿へと戻っていた。

『ばかな!!、

 私の成果が…』

女性の姿に戻った獣人達の姿を見てナイトは驚愕すると、

ストッ

その牢の前にローブ姿の男性が降り立って見せる。



『鍵屋…』

『いつまでたってもお迎えが来ないので、

 入らせてもらいましたよ、

 Dr・ナイト、

 いえ、月夜野幸司!』

驚くナイトに向かって鍵屋は鋭い視線で睨むと、

『くっ、

 くふふふふふ』

彼はいきなり笑い出し、

『そうでした、

 そうでした。

 私はあなたをご招待していたのですよ』

と笑いながら言う。

「はぁ?」

「何を言っているのでしょうか?」

「形勢逆転されたので

 虚勢を張っているんじゃない?」

ナイトの豹変振りを見た”海”と”華”はそう呟くと、

『くふふふふ…』

幸司は笑みを浮かべ続けながら、

鍵屋のところへと向かい、

『ようこそ、

 我が屋敷へ』

と手を払うように頭を下げてみせる。



ポチャン!

『あなたの弟さんが、

 あのDr・ナイト…

 あなたは知っているんですね。

 弟さんがどんなに酷いことをしているのか』

姉ノ樹に向かって里枝は声を上げると、

『…はい』

樹は短く返事をする。

『なせ止めてあげないんですか』

『…私が従うだけ』

『判りました。

 私はここに居たらいけません。

 智也のところに帰らなきゃ

 帰ってあなたの弟を止めないと

 ますます犠牲者が増えますので』

姉ノ樹を仰ぎ見ながら里絵は言うと、

『…さっきまでは行くところがないって言っていましたよね』

と樹は尋ねる。

『えぇ、

 確かにそう言ったわ。

 でも、考えを変えました。

 私の中にある花ノ弓からの言葉で目が覚めました。

 あなたは間違っています。

 弟さんの事がそんなに大切なら、

 どうして、

 弟さんが手を汚すのを黙ってみていたのですか?

 お姉さんなら止めるのが普通でしょう?』

『…何度も言いますが、

 …私にはそれは出来ません』

『それが理由?

 あなたは出来ないんじゃない。

 しないんです。

 あなた…

 実は弟さんを利用しているんじゃないですか?

 そうでしょう?』

『………』

『ほら、黙る。

 あなたは本当に都合が悪くなると黙りますね。

 判りました。

 私は智也のところに帰ります。

 そして、勝手なことをしたことを謝って、

 間もなく眠りにつく本体が果たせなかった夢を遂げます。

 それが私の道標です!』

と言い切るのと当時に、

『あれ?』

あることに気付いた。

そして、

『ねぇ…あなた、

 さっき80年間眠っていた。

 と言いましたよね。

 なら、なぜそんなに弟さんのことを想えるのですか?

 なぜ、そこまで考えが回るのですか?

 私も樹の端くれ。

 樹にとって眠りとはどういう意味があるのか知っています。

 あなた…樹のふりをしているけど、

 実は執着でしょう?

 悪いけど、

 この世界から抜けさせてもらうわ』

樹に向かって里絵はそう啖呵を切ると、

ブォッ

突如強い風が吹き、

『…イカセナイ…

 …オマエハ、ワタシノダイジナコマ。

 …オマエヲ、イカセハシナイ』

と声が響いた。



月夜野幸司の屋敷の中庭。

その中庭で、

ナイトと鍵屋がにらみ合っていた。

『Dr・ナイト…

 悪いですが、

 あなたに与えた知識。

 全て没収させてもらいます』

鍵錫錠を携えた鍵屋はナイトに向かって声を上げると、

『ふむ』

彼は頷いてみせ,

『それが出来るものなら、

 やって御覧なさい』

前かがみになって踏ん張ると、

鍵屋に敵意を剥き出しにしてけしかけてくる。

そして、その次の瞬間。

ボッ!

ズンッ!

ナイトと鍵屋の姿が消えると、

ガ・ガ・ガガガガ!

ギ・ギギンギンギン!

鍵屋とナイトの戦いが始まり、

瞬く間にナイトが放った魔法陣と、

その魔方陣を拘束する鍵魔法陣が幾重にも展開されていく。



ドーン

ドドドン

二人の戦いは空気を揺らし、

そして地をも揺らし始めた。

『ん?

 始まったようじゃのっ

 閻魔の息子とその息子が生み出してしまった物の怪との戦いが』

激しく揺れる理の波を感じたDr・ダンは、

酔いつぶれて隣で寝ているバニー1号に毛布を掛けると、

夜明け前の空が広がる蚊取りブタの上に立ち、

ドドーン

ズズーン

ドーン

人の耳には遠雷が鳴っているようにしか聞こえない音に耳を傾ける。

『ふむ、

 派手にやっとるのぅ』

音を聞きながらダンはしばしの間その場に佇み、

響く音を聞き続ける。

やがて、

ドゴォォォン!

一際大きな音が響き渡ったのを聞くと、

『うん、

 勝負が決まったようじゃな』

と呟いた。

そして、

『どれ、

 理はどうなっているかのぅ?』

その足で仮設の発令所に行くと、

『おーぃ、

 コン・ビーはいるかぁ?』

と声を張り上げるが、

『コンッ!』

返事をしたのはそのコン・ビーではなく、

留守居役のキツネであった。

『ん、

 コン・ビーはどうした?

 え?

 仮設標的を設置に行ったまま帰ってこない?

 なにをやっとるんじゃ、

 あいつは?』

返答を聞いたダンは呆れて見せると、

『仕方が無い、

 わしがオペレーションをするか、

 管理者権限で構わんじゃろ』

と観測機器に繋がっているコンピュータを操作はじめだした。

その直後、

『!!っ

 何だこれは!』

モニターを見る彼の顔から血の気が引いてくと、

『こっ理が急上昇中じゃと、

 いっいかん。

 湖内に漏れ出し埋没林に絡み始めた…

 きっ緊急事態発生じゃぁ!

 至急、地獄に通知っ』

と声を張り上げた。

それと同時に、

ズーン!

ズドドドドドドド!!!!!

夜明けの沼ノ端に大きな揺れが襲い掛かかると、

ゾゾゾゾゾゾ…

端ノ湖の湖面に大きな渦が巻きはじめ、

やがて、その渦の中より、

ジュルジュルジュル

幾重にも巻いた植物の茎が伸びていく。

そして、

茎は次第に太さを増していくと、

ギシギシギシ!!!

それは高さ20mを越す植物へと成長し、

頭頂部に巨大な蕾をつけたのであった。



『こちら、TSF!

 緊急事態発生!

 端ノ湖に怪獣出現!

 繰り返す。

 端ノ湖に怪獣出現!

 TSF所属各ファイターは直ちに出撃!

 端ノ湖に急行せよ!』



つづく