風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act3」
(第四話:里枝の帰宅)


作・風祭玲

Vol.1079





「旦那様」

沼ノ端郊外の広大な屋敷に執事の声が響くと、

「何事かね、

 セバスチャン」

池の鯉に餌をやっていた男がおもむろに振り返る。

「残念な知らせです。

 月夜野捕縛に動いていましたクノイチ2名ですが、

 昨夜、捕縛実行を知らせた後、

 音信不通となりました」

と執事は”華”と”海”の件を伝える。

「ほぉ」

「如何いたしましょうか」

「捨て置け」

「は?」

「いまはそれに構っている暇はないし、

 また、あの者達も無能ではあるまい。

 要請があれば、

 いつでも戦略航空隊を出せるようにしておけ」

「畏まりました」

男の指示を受けた執事は頭を下げると、

その場を離れて行く。



場所は変わって同じ頃

「牛島さーんっ、

 牛島プロデューサー!

 お客さんでーす。

 若い女性の方でーす」

TV局内のオフィスに智也を呼ぶ声が響き渡ると、

「ですって…」

「牛島さぁ〜ん

 今度はどちら様でしょうか?」

「あらぬ噂も立ちますし、

 もぅいい加減、

 身を固められてはいかがですかぁ?」

「議事録は作成しておきますので…

 心置きなくお会いになってくださぁい」

打ち合わせメンバーからのそのような呟きと

羨望の眼差しの集中砲火を受けた智也は、

「ちょちょっと、

 席を外しますっ」

の声を残して席を立って行く。



「黒蛇堂さんではないですか」

『お久しぶりです』

TV局内の打ち合わせコーナー。

そこで智也を待っていたのは黒蛇堂であった。

「えっと、

 前回来られたのが…確か」

『去年の6月です』

「そっか、

 1年以上前でしたか」

黒蛇堂の返事を聞いて前回の訪問から

1年以上開いていることに気がつくのと同時に、

「!!っ」

その訪問直後に起きた出来事も思い出した。

『里枝さんのことを思い出されましたか?』

彼の表情が少し動いたことに

黒蛇堂はその理由を尋ねると、

「えぇ…

 そうだ、表出ませんか」

気持ちを切り替えようとしたのか

智也は黒蛇堂を誘う。



『名曲喫茶…ですか』

「はい、

 最近のお気に入りなんです」

黒蛇堂を伴って智也が訪れたのは、

TV局から歩いて5分ほどの喫茶店だった。

「いかがですか?

 どこかあなたのお店と雰囲気似ていると思いませんか?

 あなたと出合った頃と比べて沼ノ端も随分と変りましたが、

 この街にはまだまだこのような喫茶店が残っているんですよね」

裏通りに面した喫茶店のドアを智也が開けた途端、

ゆっくりと流れるピアノ曲の音色が二人を包み込む。

「店主のこだわりでしてね。

 今となっては珍しいアナログレコードなんです」

まるで時が止まったかのような店内を案内した後、

智也はコーヒーを二つ注文をすると、

窓際の小さなテーブル席を黒蛇堂に薦め、

その向かいに座る。

『そうですね、

 確かに私の店と空気が似ていますね

 なんだか落ち着きます』

半世紀以上時間が止まった様な店内の佇まいが

気に入ったように黒蛇堂は言うと、

「さて、さっきの話の続きですが、

 1年前、

 この手で里枝の”執着”を滅したことは悔やんではいません。 

 これはだれかに指図されたわけではなく、

 自分で考えてのことですので」

と言いながら、

彼は運ばれてきたコーヒーカップを軽く啜ってみせる。

『そうですか』

「で、今日はどのようなご用向きでしょうか?

 あっ、

 里枝なら先月に会ってきたばかりですので、

 変なことにはなっていないはずですが」

『里枝さん…に会われたのですか?』

「はい、

 根元のコケが幹に向かって生えてきているので、

 くすぐったいから何とかして。とか、

 勝手に枝の上で暴れるな。とか、

 色々と小言を言われましたよ。

 とは言ってもコケはむやみに毟ると幹を傷めますし、

 枝の上は…

 あれは緊急的な処置でしたから、

 まぁ、その…」

『先月の自殺志願の女の子のことですね、

 私もあのときあの場に居て様子を伺っていました。

 智也さんらしい気を配った対応をされていましたね。

 あの女の子、

 すっかり立ち直って次の恋に燃えているみたいです。

 私の店に来た女の子達がそんな話をしていました』

「え?

 あそこに居たんですか、

 いやぁ、参ったな…

 でも、あの子が立ち直ってくれたのなら、

 良かったです。

 あははは」

店内に智也と黒蛇堂の笑い声が響き、

そして、一瞬の間が開くと、 

『牛島さん…』

不意に黒蛇堂は智也の名を言う。

「はい?」

『不躾で申し訳ありませんが、

 牛島さんには婚約といいますか、

 ご結婚の予定ってあるのですか?』

と尋ねた。

「ぶっ!」

黒蛇堂からの予想外の質問に

智也は啜っていたコーヒーを思わず吹いてしまうと、

「いっいきなり…

 突拍子も無い質問ですね」

と口周りを吹きながら聞き返した。

『あ、驚かしてしまってすみません。

 別にこれといって理由は無いのですが』

智也の様子に黒蛇堂は慌てて繕うと、

「いますっ」

黒蛇堂に向かって智也は真面目な顔で返事をした。

その直後、

カタッ

店内で物音が響くと、

「……ん?

 ネズミかなぁ?」

智也は天井に視線を動かし、

追って顔を見上げる仕草をしてみせる。

『ネズミがいるのですか?』

「さぁどうでしょう。

 ネコかもしれませんね。

 入り口のところで丸くなっていましたから。

 そうそう、

 半年前、取材で訪れた沼ノ端高校は…いや凄かったですよ。

 あの高校は節分にお祭りをするのですが、

 校長室の真上の教室に40tの現役戦車が置いてありましてね。

 いやぁ、最近の学生はやることのスケールがでかい

 レオパルドって言う戦車でして、

 カッコ良かったですよ」

黒蛇堂に向かって智也は涼しい顔でそういうと、

「っと話を戻して…はい、

 私には心に決めた女性が居ます」

と再度言う。

『そうですか、

 その方とはいつご結婚を?』

「うーん、

 いつになりますかぁ…

 難しい質問ですね」

『何か障りになっていることでも…』

「実はまだプロポーズをしてはいません。

 何しろ、

 向こうは自分の仕事で手一杯みたいですから、

 こっちのことまでは構っていられないようで」

『はぁ…

 お仕事をされているのですね』

「えぇ、

 山の中でご神木をやっていますよ」

『え?』

「あなたがよーく知っている女性です」

呆気に取られる黒蛇堂を煙に巻くように智也はコーヒーを啜ると、

店内を探るように視線を動かす。

そして、黒蛇堂の後ろのガラス戸に反射して見えている

自分の背後の壁に掛かかるアンティークな鏡に

”店内には存在しない人物の人影”

が映っていることを確認すると、

智也は表情を緩め、

「黒蛇堂さん。

 里枝がご迷惑を掛けているみたいで

 申し訳ありません」

と頭を下げた。

『え?

 里枝さんのこと、

 ご存知だったのですか?』

その言葉に黒蛇堂は驚きながら尋ねると、

「えぇ、まぁ

 マッチョイヤーは地獄耳。

 ですので…」

と答える。

『そんなに耳がよければ…

 聞こえたでしょうに…

 彼女の声が…』

それを聞いた黒蛇堂は不満そうに愚痴をこぼすと、

「いやいや、

 マッチョイヤーといえども

 街をオールカバーすることは出来ません。

 ただ、あなたがこの店に入ったとき、

 私の後ろにある鏡に向けて

 ”術”を掛けたのが聞こえましたのと、

 それに先月、

 里枝…いや、ご神木のところに行ったとき、

 ご神木の根元に意味不明の大穴が開いていたのと、

 久兵衛がなぜか挙動不審になっていたので、

 事情を聞いてみたのです。

 そうしたら、

 ”閻魔様からお墨付きをもらったので

  株分けして分身を作りました。

  分身は動けない自分とは違い、

  人と同じように振舞うことが出来るので、

  大事にしてあげてください。

  今朝方、出て行ったので間もなくそちらに参ります。”

 と説明してくれたのです。

 久兵衛の挙動不審は…

 ”身から出たサビ”

 としか言わなかったので、

 それ以上は聞きませんでしたが」

と事情を説明した。

『そう言う事だったのですか』

それを聞いた黒蛇堂は安心したように

コーヒーカップに口をつけると、

「で、里枝を待っていたのですが、

 いつまでたっても来ない。

 とは言っても

 警察に捜索願いを出すわけには行かないし、

 こっちも困っていたところなんです」

と智也は言う。

『彼女、行く当てが判らなくて

 途方にくれていたようですよ。

 そこを鍵屋さんに拾われて、

 うちに…』

「なるほど、

 勢い良く飛び出しては来たものの、

 街は14年前とは様変わり、

 どこに行けばいいのか判らなかったのでしょう。

 それで、

 黒蛇堂さんのところで世話になっていた。

 と言うわけですね」

と智也は里枝の行動を推理すると、

コクリ

黒蛇堂は頷く。

「無鉄砲にも程があるな。

 まぁそういうところは、

 昔も今も変わらないかぁ…

 まぁ、里枝らしいといえばそうだけど」

と言いながら、

智也はコーヒーを軽く啜る。

『里枝さんに会われますか?

 呼べばすぐに来ますよ』

「え?

 うっうん…

 いや、今はやめておきます」

『どうしてです?』

「実はこの後、

 アポされていまして、

 広告代理店の人と打合せなんです。

 いま、里枝に会ったら…

 今日の仕事が出来なくなってしまいます」

と智也は小さく笑って返事をすると、

『あ…』

黒蛇堂はハッとしてみせる。

その途端、

智也のスマートフォンからメールの着信音が鳴り響いた。

「んーっ、

 はぃはぃ」

着信したメールの確認をした後、

「すみません。

 広告代理店の人が局に来たようです。

 黒蛇堂さん。

 誠に申し訳ないのですが、

 里枝を私のマンションにまで連れてきていただけませんか。

 場所はここです」

黒蛇堂に住所を記した紙を手渡した智也はそう依頼すると、

請求書を手に、

「じゃお願いします」

の声を残して飛び出していった。

『お忙しい方なのですね…』

黒蛇堂は彼の後姿を見送りながらそう呟くと、

『でも、

 とても嬉しそうでしたね。

 里枝さん』

小さく笑いながら、

視線の先の鏡に同意を求めた。



「…あーはいっ、

 部屋まで上がってもらって大丈夫なのですね。

 判りましたぁ」

沼ノ端の郊外に聳え立つタワーマンション。

そのエントランスホール脇の管理室で

対応していた警備員が電話を置くと、

「三浦里枝さんとご友人の方々。

 お待たせしました。

 牛島さんと連絡が取れましたので、

 ロックを開錠しました。

 エレベータで上がってください。

 14階の1405です」

と案内をしながらパネルを操作する。

『智也って、

 こういうところに住んで居るんだ。

 なんか、凄い』

マンション設備に感心しながら

里枝は側面がシースルーになっているエレベータに乗り、

外の景色を見ながら言うと、

『もっと都心部にお住まいかと思いましたが…』

『意外と郊外でしたね…』

同行している黒蛇堂と鍵屋はその背後で囁く。

『えっと、

 ここは私が開けていいのでしょうか』

エレベータを降りた里枝は

1405と書かれたドア前で戸惑うと、

『あなたが訪問者なのですから、

 どうぞあけてください』

と鍵屋は言う。

『はぁ、

 なら』

その言葉に押されて、

里枝は恐る恐る手を伸ばすと、

『失礼しまぁす』

の声と共にドアを開ける仕草をする。

すると、

カチャッ

ドアは軽い音を立てて開き、

『あっカギは開いてます』

そう言いながら里枝は中に入ると

追って黒蛇堂と鍵屋も入っていく。

すると、

『早いお帰りだねぇ、

 ちょっと部屋を使わせてもらっているよ』

と女性の声が響いた。

『え?』

その声に里枝は驚くが、

『!!っ』

黒蛇堂と鍵屋には聞き覚えのある声らしく、

二人は顔を見合わせた後、

大急ぎで中へと入っていく。

すると、

『あれ、

 黒蛇堂に鍵屋じゃない。

 どうしてここに?』

『鍵屋、

 何しに来たの?』

と白蛇堂と玉屋がリビングのテーブルに

資料を広げて顔を付き合わせていた。

『ねっ姉さんこそ、

 どうしてここ居るの?』

『玉屋、

 お前、ここで何をしているんだ』

二人を指差して黒蛇堂と鍵屋は声をそろえると、

『え?

 え?

 え?』

一人事情を理解できない里枝は困惑した表情を見せていた。



『あっあたし達は、

 この方をここに案内しに来たまでで、

 あっ

 この方はこの部屋の契約者である牛島智也さんの恋人です』

白蛇堂と玉屋の質問に黒蛇堂は里枝を手で指して説明すると、

『(里枝さん、

  あちらの白蛇堂さんは黒蛇堂さんのお姉さんで、

  もぅ一人は玉屋と言いまして、

  私の知り合いの様なものです)』

と鍵屋は小声で里枝に紹介をする。

『あっ、

 みっ三浦里枝と言います。

 よっよろしく』

『はっはいっ』

初対面の3人は会釈してみせると、

『で、玉屋たちはなんでここに居るんです?』

それを見た鍵屋は問い尋ねた。

すると、

『あれ?

 黒蛇堂はともかく、

 鍵屋はここがターミナルになっているのを

 知らないの?』

と白蛇堂は言う。

『ターミナル?』
 
『なに寝ぼけたことを言っているの、

 ここの主は”導”の札を持つ地獄の裁定者よ』

『裁定者にはターミナルの設定・管理権が与えられているから、

 私達が協力してここに竜脈を引き込んでターミナルをつくったわけ』

『ちゃんと”主”を駅長として登録してあるし、

 地上の制約を受けないターミナルの確保は私達にとって悲願だったしね』

『あそこの沼ノ端千メートルタワーと比べると格は落ちるけど

 でも、いい物件にめぐり合えて助かったわ』

『まぁ、あまり出歩かない黒蛇堂には関係ないから、

 知らないのは仕方がないけど』

『鍵屋…あなたは本当に知らなかったの?』

鍵屋に向かって白蛇堂と玉屋は代わる代わる説明をすると、

『いや、

 まぁ、色々と忙しかったし

 まぁ…なぁ』

鍵屋は冷や汗をかきつつ返答に窮してしまった。

『さてと、

 居づらくなってきたし、

 出かけるとするか』

そんな鍵屋を横目で見ながら玉屋は

広げていた資料を片付け、荷支度を始めだす。

『そうだ、玉屋。

 先月、久兵衛をイジメたそうだけど、

 あまり弱い者いじめをするなよ、

 アイツはあれでも地獄の関係者なんだから』

その姿に玉屋に向かって鍵屋は注意をすると、

『イジメをしたつもりはないわ。

 ちゃんと仕事をしていないからお仕置きをしたまでよ』

と玉屋は反論すると、

『!っ』

何かに気付いたような顔をした後、

『あなた!』

と声を上げながら里枝を指差し、

『どこかで会った波動だなと思っていたけど、

 あなた、ご神木じゃない。

 ってことは、

 人間でなくて化生ね』

と確認をする。

『だから、

 なんですか』

その言葉に里枝は不満そうに返すと、

『ふーん、

 ご神木から株分けした方となれば、

 ”花ノ弓”を持っているわね』

探るように尋ねる。

『はっはい…』

その質問に里枝は身構えて頷くと、

『その弓を力づくで奪いたいところだけど、

 でも、ジョルジュ副指令は

 ご神木に弓の使用者を定めて渡せ。と命じ、

 そして、ご神木はあなたにその弓を託した以上、

 私はあなたに手を上げることはできないわ。

 自分贔屓で癪だけどさっ』

と文句を言うように言う。

そして、

『鍵屋っ、

 Dr・ナイトにしてやられたんですって?』

苛立ちをぶつけるように鍵屋に向かって言うと、

『だっ誰がっ、

 向こうが勝手に逃げていったんだ』

すかさず鍵屋は噛み付いた。

『Dr・ナイト。

 日に日にやばくなっているわよ。

 あれはもぅ人間と言うより化生かもしれないわ。

 ひょっとしたら、

 もぅあなたよりも手ごわくなっているかも、

 私達がここで顔を突き合わせていたのは

 奴を討伐するための作戦会議。

 じゃぁ、白蛇堂。

 私、先に行くね。

 里枝さん、

 あなたも戦力としてカウントしたから、

 花ノ弓をちゃんと撃てるように鍛錬しなさい』

苛立つ鍵屋をあしらいつつ玉屋はベランダに出ると、

フッ

その姿をかき消した。



『さ・て・と。

 じゃぁ私も出かけますか』

玉屋を見送った白蛇堂はそう言うと腰を上げ、

そして、

『鍵屋…

 Dr・ナイトと遊んでいる暇はないわよ。

 あいつ、本格的に”理”を操作し始めたわ。

 叩くのなら早くすることね。

 こじらせて”地獄”が出張ってきたら、

 只では済まなくなるし、

 そうなると、

 真っ先に傷つくのはその子の本体の方よ』

鍵屋に向かって白蛇堂は警告すると、

ベランダへと出向き、

『その対策も兼ねてここにターミナルを作ったのよ。

 里枝さん。

 あなたの彼氏、結構な策士よ。

 鍵屋も少し見習った方が良いわ、

 じゃっ、

 後はよろしく』

の言葉を残して姿を消してしまった。



『勝手に好きなことを言って、

 こっちは色々やっているのに』

相次いで二人が姿を消したベランダに向かって、

鍵屋は不満そうに言うと、

『鍵屋さん…

 あの二人が言っていたことって』

玉屋と白蛇堂の言葉の意味を里枝は尋ねた。

『ふぅ…』

鍵屋は大きく息を吐き、

『すみません。

 この件は私の問題でもありますので、

 少し時間をください。

 時が来たらご説明します。

 では、用事を思い出したので、

 これで失礼します』

里枝に向かってそう言うと

智也の部屋から出て行ってしまった。

『黒蛇堂さん…』

里枝は残った黒蛇堂に困惑気味に話しかけると、

『鍵屋さんへのあてつけにしても

 姉さんがあそこまで人を褒めるのは珍しいことです。

 智也さんが何故、

 このマンションを購入したのか、

 ターミナル以上に何か理由があるかもしれません』

『そうですか…

 なんか智也が

 私が知っている智也と違っているように感じます』

『人は成長しますからね』

『はぁ、

 ところで鍵屋さんは大丈夫でしょうか』 

『大丈夫でしょうけど、

 私の判る範囲で、

 鍵屋さんたちの事情を説明いたしましょう。

 里枝さんもうすうす気付いているとは思いますが、

 実はあなたとよく似た境遇の女性、

 翠果の実を食べ樹になってしまった人が

 もぅひとかた、居らっしゃるのです。

 そして、その女性を大切に想う人は、

 彼女を人間に戻そうと努力したのですが、

 あろうことか人の道を踏み外してしまったのです』

『ひょっとして

 それって、

 私が鍵屋さんと出会うきっかけになった、

 女の人を襲っていた変な男の人のことですか?』

話を聞いた里枝は公園で出合った事件について尋ねると、

『はい…』

黒蛇堂は頷いてみせる。

『あの人が…』

『姉さんや玉屋さん、

 そして鍵屋さんは手段は違えど

 彼の暴走を止めようとしています。

 と同時に里枝さん。

 あなたの力と智也さんの力も必要なのですが、

 しかし、

 いまそれをお願いすることはまだ出来ません。

 この件は里枝さん一人では

 太刀打ちが出来ないと思います。

 そのため、智也さんとお逢いになって、

 お互いの気持ちを通じ合わせてください。

 大事なことはあなた方が気持ちが一つになることです。

 あなた方は間違いなく切り札になりますので』

『切り札…ですか』

『えぇ、

 ちょっと物騒なお話で申し訳ありません。

 さて、私も長居してしまいました。

 あまり長く店を開ける訳には行きませんので、

 私もこれで退散いたします』

里枝に向かって黒蛇堂はそういうと、

『では、

 智也さんによろしくとお伝えください』

その言葉を残して黒蛇堂は去って行った。



『ふぅ…

 なんか急に静かになっちゃったな…』

一人、智也の部屋に残った里枝は手持ち無沙汰になると、

西日を浴びるベランダに置いてある椅子に腰掛け、

椅子とセットになっている丸テーブル越しに

正面に迫る山を眺めた。

それらを眺めながら、

『智也って、

 こういう景色を毎日見ていたんだね』

と呟いた後、

『ふぅ…』

大きくため息をつくと、

丸テーブルの上に上半身を伏せた。

そして、

山より聞こえてくる蝉時雨の声を聞きながら、

『さっきの話、

 あたしの本体…

 ご神木は知っているのかなぁ』

テーブルを指でなぞりながら呟くと、

『(月夜野さんのことですか、

  彼女の存在は感じていますよ)』

とご神木の声が里枝の脳裏に響き渡った。

『え?

 うそっ、

 こんなところでも私の声が聞こえるの?』

突然のご神木からの声に里枝は戸惑うと、

『(そこにはターミナルだと、

  言われてませんでしたか?

  ターミナル上に居るアナタを

  手に取るように感じることはできますし、

  ここから見ることも…出来ますよ)』

とご神木は言う。

『手に取るようにって…』

『(その椅子に腰掛けているのなら、

  顔を上げて正面をよく見てください)』

『正面?

 あれ?

 あっ!』

その声に戸惑いながらも里枝は正面の景色を良く見るのと同時に

『うそぉ!』

と小さく声を上げて

両手で口を塞ぐ仕草をしながら驚いてみせる。

『(判りましたか?)』

『山の中のご神木が…見える』

『(えぇ、

  実際にその場所は、

  森の中に立つ私から一番街が見えるところなのです。

  智也は仕事から帰ってくると、

  そうやって座り私のほうを見ているのですよ。

  もっとも、

  言葉を交わすことはできませんが)』

とご神木は言うと、

『そうだったのか…

 この部屋の秘密はこれだったのか』

『(お陰で動けないこの身であっても寂しくはありませんでした。

  もぅ一人の、私。

  智也のこと頼みますね)』

『任せて!

 とは言い切れないけど、

 精一杯やります』

『(はい)』

里枝とご神木はその様な会話をしていると、

西日は山の中へと吸い込まれ、

程なくして秋の匂いをかすかに乗せる風が吹き始めた。



『ふぅ、

 お腹イッパイだわ。

 カップラーメンなんって

 久しく食べてなかったから

 美味しかったぁ』

日が落ちても智也はなかなか帰宅せず、

お腹を空かせた里枝は

彼が買い置きしてあったカップラーメンを見つけると、

続けてそれを3つほど平らげてしまっていた。

『それにしても、

 冷蔵庫が見当たらないけど、

 智也ってこんな食事ばっかりなのかなぁ…』

納戸に山と積まれたインスタント食品を眺めながら呟くと

『インスタントばっかりじゃ、

 体に良くないけど…

 けど、随分と色んなインスタント食品が出ているのね。

 へぇ…ご飯モノもあるのか…』

積まれたインスタント食品の中から

一つのパッケージを手に取ると、

里枝は珍しそうに眺める。

そして、

『んーっ、

 こんなことをしてても仕方がないし、

 ちょっと部屋の探検でもしようかなぁ』

そう言いながら、

改めて部屋の様子を見渡してみると、

『ん?』

部屋に置かれたある物が目に入った。

それは高さ80cm、幅80cmほどの円筒形のプランターで、

植わっている植物は無いものの

覗き込んでみると中には土が入っていた。

『植木鉢?…

 結構、大きいわね。

 中に土は敷いてあるんだ。

 でも、肝心の植物が植わってない…

 どうするつもりなのかな』

部屋の中におかれた主の居ないプランターを見ながら、

里枝は小首を捻ると、

『あっ、

 ひょっとして』

ふとあることが頭に過ぎる。

そして、

『よいしょっ』

その鉢に登って、

腰を落としてみると

『あぁ、やっぱり…

 サイズが合う。

 そっか、

 あいつ、私の為にこれを置いたのか』

と里枝は鉢が自分のために置かれたことを実感すると、

『ならば…

 ご期待に応えて』

彼女は着ていた服を脱ぎ、

プランターの中で体を樹体姿に変貌させると、

枝を伸ばし葉を茂らせ、

足の根を伸ばすと掻き分けるように土の中へと沈める。

『(うん…

  いい感じ…

  この格好で植わっているのも良いかも)』

鉢の中に綺麗に収まったのを里枝は感じていたとき、

チャッ!

「ただいまぁ!

 里枝、居るかぁ?」

の声と共に智也が帰ってきた。

『(え?!)』

思いがけない智也の帰宅に里枝は慌てて

体を人間の姿に戻そうとしたが、

慌ててしまったためか

思うように樹の姿から戻ることが出来なかった。



『(うわぁぁ!

  どうしよう)』

里枝は葉を揺らしながら困惑していると、

「居ないのかなぁ?」

そう言いながらリビングに入ってきた智也は、

「ん?」

プランターに植わって居る樹の存在にスグに気付くと、

「んーっ」

顔を近づけ、樹をじっくりと眺め始めた。

『(うわぁぁ…

  そんなに顔を近づけないで、

  こっちは動けないんだから)』

智也に見つめられていることに、

里枝は緊張してしまうが、

しかし、どうすることも出来ずに時間だけが過ぎていく、

そして、プランターの下で、

脱ぎ捨てられたままになっている女物の服の存在に気付くと

「なるほど…」

智也は小さく頷き、

そのまま納戸へと向かって行った。

『(なっなにかな?)』

智也が残した気配を里枝は追っていくと、

程なくして智也は赤いサンタ服の姿で戻って来る。

『(なに、その格好…)』

季節はずれのサンタ服に里枝は冷たい視線を向けるが、

無論、その視線を智也は感じるはずはなく、

ガサッ!

持って来たダンボールを開けて、

その中から発光ダイオードの電飾を取り出すと、

里枝の樹体に巻き付け、

さらに枝や葉にクリスマス飾りのデコレーションを施していく。

そして、

「スイッチオン!」

の掛け声と共に里枝をキラキラと輝かせると、

「メリークリスマス!!」

パァァァン!

の掛け声と共にクラッカーの音を響かせた。



その直後、

『バカモノぉぉ!!

 勝手にクリスマス・ツリーにするなっ!』

の怒鳴り声と共に里枝は樹体から人間体に姿を変えると、

「うおぉっ、

 クリスマス・ツリーがいきなり人間になった!」

と智也はオーバーの驚いて見せ、

「いやぁ、

 部屋の中で独りで鉢植えに植わって樹になっていたから、

 てっきり気の早いクリスマス・ツリー・ゴッコでもしているのかな…

 と思ってね。

 それなら、きちんとクリスマスを演じてあげるのが、

 TVマンの務めだろう」

と無邪気に言う。

『まったく、智也はもぅ…』

智也を見ながら里枝は顔をほころばせると、

智也はそんな里枝を抱きしめ、

「おかえり」

と囁いた。

そして、

『うん、

 ただいま』

その言葉に里枝は返事をすると、

二人はしばしの間、抱き合っていた。



「なぁ里枝…」

『なっ何?』

「気分が盛り上がっているところ済まないけど、

 取りあえずその電飾、

 はずそうか」

『っ…

 バカ…』



つづく