風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act3」
(第参話:幻惑の館)


作・風祭玲

Vol.1078





第三新沼ノ端市を見下ろす山の中。

8月といえども夜も更けてくると、

山頂付近の空気は次第に冷却され、

やがて重い冷気となって静かに山を駆け下りていく。

そして山腹で市街地から上がってくる熱気の上に覆いかぶさると、

たちどころに霧となって辺りを包み込む。



ヒュンッ

ササササ



乳白色に包み込まれた霧の中を黒い影が移動していく。

影は鬱蒼と茂る森の全てを知り尽くしているかのように

巧みに木々を避けながら走り、

やがて姿を見せた古びれた洋館の前へと辿りつく。

ここは旧華族・月夜野家の敷地であり、

洋館は100年以上前に当時の月夜野家当主によって、

別宅として建設されたものであった。



カチャン

ギッギィ…

鍵が開けられるのと同時に

重厚な扉が軋む音を立てながら開くと、

コツリ

落ち着いた足音を響かせながら

一人の人影が屋敷内へと入っていく。

コツリ

コツリ

窓から入ってくる光に掛けているメガネを輝かせながら、

影の主である男は屋敷の中を歩いていくと、

「!!」

何かに気付いたのか、

その足を止めると、

ゆっくりと振り返る。

と同時に

「月夜野、幸司さんですね」

確かめるように名を尋ねる女性の声が響くと、

スッ

男・月夜野幸司の前に

髪を後ろにまとめたスーツスカート姿の女性・二人が

男の視線の先に立っていた。

「おやぁ?

 お客人とは珍しい」

人差し指でメガネを軽く押して引き上げながら、

幸司は返事をすると、

「やっと捕まえたわ!

 月夜野幸司っ、

 こちとら、旦那様からあんたを連れてくるように

 言われているんだから、

 大人しくご同行願いましょうか」

女性の片方が男を指差して声を上げる。

「旦那様…

 あぁ、あの御仁の関係者でしたか。

 ならばなおさら

 名前を名乗られたらいかがです?

 それが礼儀と言うものでしょう」

メガネに指を当てたまま幸司は指摘すると、

「申し訳ありませんが

 私達には名乗れる名前はありません。

 どうしても…と仰るのなら、

 私は”華”」

「あたしは”海”よ」

と女性達は自己紹介をする。

「なるほど、

 コードネームと言うわけですか、

 まぁそれもよろしいでしょう。

 それにしてもまだ夜明け前ですよ。

 夜討ち朝駆けとは

 女性のすることではないと思いますが」

笑い顔を崩すことなく幸司はそう返すと、

「何を言っているのっ、

 こっちはあんたをずっと追いかけて来たのよ!

 今の今までどこに隠れていたのっ!

 悪いけど、

 このまま旦那様のところに行って、

 申し開きをした貰うわ」

痺れを切らし方のように

”海”は男を指差して怒鳴り声を上げる。

「別に逃げも隠れもしては居ません。

 あなた方が訪問されるタイミングが悪かっただけです。

 とは言いましても、

 確かにあの方には出資をお願いしている手前、

 事業の進捗を報告する必要がありますね」

彼女の指摘に幸司はウンウンと頷きながら返事をすると、

「では、

 ご同行していただけるのですね」

”華”が改めて幸司の意思を確認をする。

「えぇ、

 行きますよ。

 どこにでも」

その問いに幸司はあっさりと同意すると、

「どういうこと?」

「なんか、拍子抜けですね」

”海”と”華”は顔を見合わせヒソヒソ話をする。

すると、

「あぁ、そうだ。

 出かける前に温室の花壇に水をやりたいのですが、

 よろしいでしょうか?」

と幸司は尋ねる。

「まっまぁ、

 花に水をあげるくらい構わないど

 さっさとしてよね、

 こっちは忙しいんだから」

「ありがとうございます。

 そうだ、

 花壇までご一緒しませんか?」

「え?

 いいの?」

「えぇ、

 お美しいあなた方も来ていただければ、

 花壇の花達も喜ぶでしょう」

「やだなぁ…

 そんなに持ち上げないでよ。

 照れるじゃない」

「海っ」

幸司の言葉に気を許してしまった”海”を”華”は嗜めると

改めて幸司を見つめ、

「判りました、

 では参りましょう」

と返事をする。



広い屋敷の中を張り巡らされている廊下を

燭台を手にして先導する幸司を後を二人は進んでいくと、

「ねぇ、”華”ぁ、

 気になったんだけどさ、

 以前、この屋敷を調査したとき、

 温室なんて言えるようなものは無かったよね」

「えぇ、

 私もそれが気になっていました」

「ってことは、

 アイツ、

 適当なことを言って逃げる気なのかなぁ」

「でも、花壇の話をしてきたのは向こう。

 なにか別の仕掛けがあるかも…」

「それってなに?

 罠を張っている。

 ってこと?」

「判りません。

 私達が訪問する。

 と言うことが事前にわかっていれば、

 それなりに凝った罠も張るでしょうが、

 そうではありませんし、

 何を以って自信を持っているのか理解できません」

「つまり、

 油断してはダメってことね」

「えぇ」

歩きながら二人は会話を交わすと、

「こちらです。

 どうぞ」

幸司は二人を招きながら、

目の前の重い木製のドアを開いて見せる。



「うわぁぁぁ」

扉を通った途端、

二人は昼間の様な眩い光に包まれるのと同時に、

目も前に広がる光景に驚きの声をあげる。

「いかがです?

 自慢の花壇です」

そんな二人に向かって幸司は胸を張って見せると、

「すごい…」

「こんなに手入れが行き届いた花壇って、

 はじめて見た気がします」

世界中のありとあらゆる花々が色彩の洪水となって

迫ってくる様子に二人は呆気に取られていた。

「見て!

 この胡蝶蘭、

 凄く大きいよ!」

「…人の背丈以上ありますね。

 こんなに大きいのは見たことがありません」

「うわぁぁぁ、

 この水仙、

 叩くとちゃんと応えてくれる!

 おもっしろーぃ!」

「そっそうですね」

花壇の中を伸びる回廊を歩いていく幸司の後を追いながら、

ついはしゃいでしまう”海”に対して、

”華”は花壇が見せる色彩に不審に感じてか、

周囲に気を配りながら警戒をするが、

その背後で開いていたドアが音も無く消え失せたことには

気付くことはなかった。



文字通り、色彩の洪水と化している回廊を抜けた途端、

一気に視界が広がると、

遠くに佇む一本の樹を望む広場へと出た。

「ここは?」

キョロキョロと周囲を見回しながら

広場を進んでいくと、

その中央には12本の樹が円形に植えられ、

二人は惹かれるように樹が作る円の中へと入っていく。

そして、

「”華”っ、

 見て…」

とさっきまではしゃいでいた”海”が声を上げると、

「”海”っ

 こっちもです」

”華”も取り囲む樹をにらみ付ける。



「なによなによ」

「何かの儀式?」

円を描く12本の樹は

どの枝もモノを包み込むように上に持ち上げるように伸び、

鳥かごのようになった枝の中では

ネズミ

ウシ

トラ

ウサギ

龍

ヘビ

と言った12支の獣が閉じ込められるように入っていた。

「あたし、

 生きた龍ってはじめてみたわ。

 本当に龍っているのね」

「待って、月夜野が居ない!」

幻の獣が収められている樹の側によって

感心している”海”に対して、

”華”は先を歩いていたはずの幸司の姿が無いことに気付くと、

「なにぃ!?」

”海”も慌てて”華”の元へと駆けつける。

「”海”っ!」

「判っているって!

 ケンカなら買うわよ」

二人は背中合わせになると、

バッ!

着ていたスーツスカートを剥ぎ取ると、

忍び装束になって小太刀を構える。



『おやおや、

 クノイチの方々、

 随分と物騒なものをお持ちで…』

不意に幸司の声が響くと、

「どこに隠れているのっ」

「こらぁ!

 さっさとでてきなさーぃ!」

”華”と”海”は姿の見えない幸司に向かって声を上げる。

『隠れては居ませんよ』

その声に応えるように再び幸司の声が響くと、

ヌーッ

二人の前に幸司が地の底から沸きあがるように姿を見せた。

「うわっ

 なっなによっ

 どんなマジックを使ったのよ」

「焦らないで、”海”

 向こうの思うが侭です。

 どこに隠れていたんですか?」

突然出てきた幸司に二人は驚きつつも、

厳しい表情で質問する。

『くっくっく、

 まぁまぁ、

 折角、私自慢の花壇に来られたのですから、

 いいものをお見せいたしましょう』

とメガネを指で上げながら幸司は言うと、

フワッ

音も無く”華”の目の前の移動するや、

『ククッ』

小さく笑うと、

『ふんっ!』

ボスッ!

握った拳を彼女の胸に目掛けて叩き込んだ。

「こらぁ!

 ”華”に何をするのっ」

それを見た”海”が声を上げると、

「うっ”海”っ!」

”華”の引きつった声が響く。

「え?」

彼女の声に”海”が目を凝らすと、

その直後、

「なっ何よっ、

 そっそれぇ!」

悲鳴に近い声が響き渡った。



「ひぃっ!」

『くくっ』

顔を引きつらせる”華”の胸の下、

そこに幸司の腕がめり込むと、

『さぁて、

 どこかなぁ?』

と言いながら、

幸司は”華”の体内を弄りはじめる。

「やめて!

 離して!」

自分の体にめり込む幸司の腕を握りしめ、

”華”は体を抜こうとすると、

『んっ、

 ありましたね』

と幸司は囁くと、

その手を一気に引き抜いてみせた。

すると、

ボボッ

”華”の胸から引き抜かれた幸司の右手に

火のついた1本のロウソクが握り締められていた。

「なっなにぃ!」

「ロウソク?

 それって」

幸司の手に握られているロウソクに”海”と”華”は驚くと、

「これは”華”さんの”命の灯”ですよ」

と幸司は答える。



「あたしの命の灯?」

幸司から告げられた言葉に”華”は顔を強張らせると、

「あははは、

 何を言っているのよ、

 そんなのが命の灯だなんて、

 信じるわけ無いでしょう」

”海”は幸司を指差して笑って見せる。

すると、

『なら、

 こうして見せましょうか?』

”海”の指摘に幸司はそう返事をすると、

握っているロウソクに力を込めた。

その途端、

「くっ苦しい…」

”華”が胸を押さえながらその場に蹲ってしまうと、

「はっ”華”っ!

 しっかりして!!」

苦しむ彼女の姿に”海”が慌てて駆け寄った。

『そう、

 いま”華”さんの生殺与奪権は私の手の中にあります。

 彼女を生かすも殺すも、

 私のこの指一つ』

二人に向かって幸司は勝ち誇るように言うと、

「それを返しなさいっ」

怒りに震える”海”が幸司に飛び掛った。

しかし、

『おっと』

幸司は巧みに”海”かわすと、

『あははは、

 鬼さんこちら、

 手の鳴る方へ』

の声と共に”海”を小馬鹿にするように舞ってみせる。

「このぉ!

 あたしを怒らせない方が身のためよ!」

中々つかまらない幸司の足を止めようと、

”海”は幸司に向けてクナイを一投するが、

『あははは、

 どこに向かって投げているんですかぁ』

とクナイの射線から身をそらしてさらに嗾ける。

「うっ”海”っ、

 奴の挑発に…乗っちゃダメ」

胸を押さえながら”華”は”海”に警告をするが、

「くくくっ!

 無茶、腹が立った!

 これでどうだ!」

シャッ!

シャッ!

シャッ!

怒り心頭の”海”が幸司の正面めがけてクナイを数本放つが、

その一つが幸司が持っていたロウソクに突き刺さり、

火を消し飛ばしてしまったのである。

「はっ、

 しまったぁ!

 はっ”華”ぁぁぁ!」

それを見た”海”は”華”の元に掛けつけるが、

すでに”華”は目を見開いたままコト切れていた。

「”華”ぁぁぁ」

涙を流しながら”海”が叫んでいると、

『くっくっく、

 酷いことをしますね。

 盟友の命の灯を消してしまうだなんて、

 あなたが彼女を殺したのですよ』

と”海”の耳元で幸司は囁く。

「ぐっ、

 ”華”はあなたが殺したんでしょう!」

唇をかみ締めて”海”は幸司に掴みかかろうとすると、

ブッ!

「あっ!」

その”海”の胸元に幸司の手が潜り込んだ。

そして、

その手が引き抜かれると、

『はーぃ、

 これがあなたの”命の灯”です』

と言いながら火のついたロウソクを差し出して見せる。

「あっあたしの…

 そっそれを返しなさい!」

自分の命の灯火を見せられた”海”は、

青ざめながら飛び掛るが、

彼女の伸ばした手がロウソクに届く直前、

幸司の手からロウソクが抜け落ちると、

彼の足元に転がっていく。

「はっ!」

それを見た”海”は即座に

転がり落ちたロウソクを拾おうとするが、

ベキッ

それよりも先に幸司の足がロウソクを踏みつけると、

ロウソクは真っ二つに折られ、

燃え盛っていた灯はかき消されてしまったのであった。



『くっくっくっ、

 他愛も無い…』

火の消えたロウソクに手を伸ばして倒れている”海”を見下ろしながら、

幸司は笑い声を上げると、

パチン!

と指を鳴らす。

その途端、

ブワッ

花壇も広場もかき消すように姿を消し、

二人は夜露に濡れる草地の上に倒れていた。

そして、

「くくっ、

 あのお方の手の者だと言うから、

 相当の手練れかと思いましたが、

 大したことはなかったですね。

 がっかりです。

 まったく、

 このロウソクは只のロウソクなのに、

 命の灯だと信じ込むだなんて…」

そう言いながら

幸司は踏みつけたロウソクを手にとって見せると、

「本物の命の灯は地獄にあって

 持ち出すことは出来ないのですが、

 まぁ、そのことを知る必要は無いでしょう。

 それにしても、

 見事に暗示に掛かってくれて、

 怖いくらいです。

 これも姉さんのお陰ですよね」

幸司は自分の背後に立つ樹に向かって話しかけると、

フワリ

背後の樹が光輝く。

「このまま実験台に使おうかと思っていましたが、

 気が変わりました。

 鍵屋さんにはこの方達に相手をしてもらいましょう。

 ちょっと魅力的に体を改造してあげて…

 くっくっ

 鍵屋さんをご接待。

 くっくっ

 鍵屋さんは女性には優しい方ですから、

 きっと面白いかくし芸を見せてくれるはずです」

注射器を取り出した幸司はほくそ笑んで見せると、

「ご招待は間もなく訪れる、

 満月の夜にしましょうか

 あははは…」

高らかに笑い声をあげていた。



場所は変わって、沼ノ端市内黒蛇堂

『あっあなたが…

 あのご神木の…里枝さん?』

黒蛇堂の店内で鍵屋が驚きの声を上げると、

「はっはぁ…」

里枝は心地悪そうに返事をしてみせる。

『どうして?

 そのお姿に…

 ご神木はどうなっているのですか?』

続いて事情を知りたい黒蛇堂が身を乗り出して尋ねると、

『えっと、

 何から話せばいいのかな…

 そっそう、

 ひと月前のこと…で、

 智也が自殺志願の女の子を助けた日のことです。

 あの騒ぎの後、

 黒蛇堂さんに、

 鍵屋さん、

 白蛇堂さんとコンリーノさん、

 さらにに茉莉さんと

 いろんな方が見えられて、

 私と話をされたそうです。

 その後、地獄のジョルジュ副指令が見えられて、

 私に閻魔大王様からの”お墨付き”を渡したそうです。

 そしてその際に、

 先日の件で智也に負担が掛かりすぎて、

 彼の理が穢れに溺れないようにして欲しい。

 と言うのと、

 Dr・ナイトの件で大変なことになるから、

 それに備えるようにと、

 言付けられたそうです。

 あっ”そうです”といっているのは、

 実はいまの私にはその時の記憶が無くて、

 その、

 もぅ一人の私…

 …ご神木から教えてもらったもので…』

と里枝は事情を説明する。

『ご神木とあなたは意識は別なんですね』

話を聞いた鍵屋はそう問いかけると、

『はい、

 私の記憶は14年前、

 樹にされていくところで止まっていまして、

 気がついたら14年が経っていて…』

『なるほど』

『ご神木から聞いた話では、
 
 お墨付きと言うのを貰って、

 さらに、これから起こる大変なことを知らされたので、

 それで何とかしないと。と困っていたら、

 根から新しい芽が出て、私になったと…』

『そういうことか

 謎は解けた』

話を聞いた鍵屋は大きく頷いてみせると、

『謎ってなんすか?』

黒蛇堂はすかさず聞き返す。

その途端、

グキュル

再び里枝のお腹が盛大に鳴ると、

『え?』

思いがけない彼女からの音に

従者を含めて3人の視線が一斉に里枝に向けられると、

『あっその…

 お腹が…空いて…』

と里枝は自分のお腹を手で押さえながら訴えた。



『いただきまーす!』

黒蛇堂の奥で里枝の声が響き渡ると、

『どうぞ、

 召し上がってください。

 一応、人間の口に合うよう調理しましたが、

 もし、味が合いませんでしたら、

 何なりとおっしゃってください』

と食事の支度をした従者は笑顔で言う。

『ありがとうございます。

 っていうか、

 うわぁぁ、

 美味しい…この冷麦。

 天ぷらも久々だわぁ…』

黒蛇堂と鍵屋の前で里枝は、

目の前に置かれた膳に箸を付けると、

『どうやら、

 お口にあったようですね。

 良かったです』

と従者は言う。

『で、さっき言っていた謎と言うのは』

食事をする里枝を見ながら黒蛇堂は鍵屋に再度質問をすると、

『ご神木の里枝さんと、

 この里枝さんとは同一人物いうことです』

と胸を張って答える。

『でも、そうなると、

 里枝さんは化生と言うことになりますが、

 しかし、人間と同じように味が判り食欲もある。

 この場合…彼女は半妖…になるのでしょうか』

鍵屋は黒蛇堂に振った。

『半妖とは、

 人の理と妖の理とが混ざり合って生まれ者のことを指します。

 しかし、この里枝さんは、

 化生の理と人の理とが共存していると言いますか、

 互いに支えあっている共生関係といった方がいいかもしれません』

と話を振られた黒蛇堂は手鏡の姿をした”遠見の鏡”を見ながら言う。

『それは?』

『遠見の鏡です。

 普通、遠方の様子を見るときに使うのですが、

 この様に対象物の状態を確認することにも使えるのですよ』

『遠見の鏡ですか

 はぁ…

 こっちの世界も技術革新が進んでいるのですね』

『あの、ウサギの博士が作ったものです』

『ウサギ?

 あぁ…バニーの…

 そういえば最近、名前を聞きませんね。

 どうしているのかな』

『噂がないということは、

 ご健勝なのでしょう』

『確かに、下手に出張られても、

 いい迷惑ですからね。

 そういえば、

 黒蛇堂さんも彼の被害に遭われたのでしたね。

 あのバニースタイルは味がありましたよ』

『コホンッ!

 鍵屋さんっ。

 口が過ぎますよ』

などと黒蛇堂と鍵屋が話をしていると、

『ごちそうさまでしたぁ』

全てを平らげた里枝は満足げに言う。



『なるほど…

 そういうことですか』

食べ終えた里枝を見ながら黒蛇堂は確信すると、

『何か判ったのです?』

と鍵屋は問い尋ねる。

『里枝さん』

『はい』

『あなた、ご神木から株分けして、

 この街に下りて、

 それからずっと公園の池に居た。

 と言ってましたよね』

『はい』

『その間に食事をしたことは?』

『えぇっと殆どありません。

 樹になって水に浸かっていると、

 お腹が空かなくなるので』

『その池で何か変わったことは』

『変った事ですか?

 うーーん』

『どんなに小さなことでも良いのですよ』

『小さなことですかぁ?

 あっ、

 お魚が居なくなりました』

『それは?』

『私が池に来たときは、

 鯉とかフナとかがいっぱい居たんですけど、

 気付いたら居なくなっていたんです』

『池の中に居たときは、

 樹になっていたんですよね』

『えぇ…

 ずっとじゃないですけど、

 空腹を紛らわせるのと、

 人の目を誤魔化すには、

 樹になっているのが一番かな。

 と思って』

『そうですか…』

里枝の話を聞き終わった黒蛇堂は静かに頷くと、

『それがなにか?』

事情が飲み込めない鍵屋は小首を捻りながら尋ねる。

すると、

『里枝さん。

 あなたはこれからどうするおつもりですか?』

と黒蛇堂は今後について尋ねた。

『え?

 それは…まぁ、なんといいますか、

 智也のところに行きたいです。

 アイツには色々迷惑を掛けてきましたし、

 こうして人間の様な体を頂いたこと、

 そのことも知らせたいですし…』

『人間の様な体…

 その心がけは決して忘れないでください。

 さて、

 あなたが智也さんの所に向かうことは反対はいたしません。

 ぜひ、行ってあげてください。

 彼もきっと喜ぶでしょう。

 ただし、その前に重要なお話があります』

里枝の話を聞いた黒蛇堂は真面目な顔でそう告げた。



『重要な話ですか?』

『はい…』

『それって、

 私が智也と一緒に暮らすことが出来なくなる。

 と言う話でしょうか』

『あなたがこれからお話をする注意点を守らなければ

 そうなる可能性が大いにあります』

『それは、どのような…』

黒蛇堂の言葉に里枝を含めた皆は緊張すると、

『では…里枝さん。

 改めて言うことになりますが、

 あなたのその体は見た目は人間ではありますが、

 あくまでも樹の化生であり、

 それを変えることは出来ません。

 あなたは樹の化生として

 この先も生きて行くかなければなりません。

 しかし、それと同時に人間の…

 三浦里枝だったときの内臓もその体内に収められていて、

 それから生み出される活力を化生の拠所としています。

 そのためそれらの維持もしないとなりません』

『そのことは…

 ジョルジュ副指令から教えてもらいました』

『そうですか、

 ならば、そのことを知っている上でお話します。

 14年前、

 あなたが樹にされた呪は”変貌型の呪”ではなく、

 ”置換型の呪”でした。

 ”置換型の呪”は呪の発動と共に体を置き換える形で進行し、

 最後に残ったモノを全て吐き出して呪は完全な形となります。

 智也さんから貴方が樹になる直前、

 幹から内臓が吐き出されたこと、

 そして、その内臓を根元に埋めたことを聞いています。

 あなたの記憶が樹になる直前で途切れていること。

 その体に人間の内臓が収められていること。

 そして株分けしてご神木の根からその体が作られたこと。

 それらを考えますと、

 あなたはご神木から株分けして出来た樹の化生の体に

 三島里枝の内臓を有した、

 共生形の化生と言うことになります』

『そのような化生は聞いたことがありませんが』

『鍵屋さんでも聞いたことがありませんか。

 えぇ、私も店を構えて長いですが、

 確かにこのような姿の化生と出合った事がありません』

皆に向かって黒蛇堂は説明をする。

『あのぅ、

 私はどうすれば良いのですか?

 智也とは会ってはいけないのですか?』

説明を聞いていた里枝は困惑気味に問いかけると、

『さっきもお話しましたが、

 智也さんには是非会ってください。

 あなたが”動ける”樹の化生として命の火を灯したのは、

 そのためでもあります。

 そして、里枝さん。

 あなたは人間の子を生むことが出来ます』

と黒蛇堂が告げた途端、

『!!』

皆の目が一斉に黒蛇堂に向けられた後、

里枝に向けられる。

『そっそれって、

 本当ですか?』

顔を上げて里枝が聞き返すと、

『はい、

 智也さんがあなたの内臓全てを埋めてくれたお陰で、

 いまのあなたは子を宿すことも出来ます』

と黒蛇堂は言い切る。



『そっか…』

それを聞いた里枝はうれしそうにはにかんで見せると、

『智也に会う勇気が湧いてきました』

と言う。

しかし、黒蛇堂は真面目な顔になると、

『でも、良かっただけではないんですよ。

 これは大事な注意事項ですので良く聞いてください。

 あなたがいまの様に普通に人の食事を摂るのであれば、

 何も問題は起こりませんが、

 問題は食事を摂らなかったりして、

 バランスを崩したときです。

 化生と違い、

 人の体は生きることに貧欲です。

 己が生きるためなら、

 どのような手段も選びません。

 一方、化生は術に長けています。

 化生の術と生きるための人の欲。

 この二つが自分の命ために合力したとき、

 体は化生の術を用いて全て取り込もうとします。

 植物の根と言うのは実は恐ろしいものでして、

 触れたものの中に潜り込み、

 それら分解吸収してしまう性質があります。

 里枝さん、

 あなたの体が飢餓状態に陥った場合、

 あなたの体は根を伸ばし、

 辺りの物を構わずに吸収し取り込んでしまいます。

 そう、池の中の魚たちを取り込んでしまったようにね』

『!!っ』

黒蛇堂の話に皆は一様に驚くと、

『そっそんな…』

口を押さえて里枝はショックを受ける。



『怖いですか?

 ご自分の体が』

そんな里枝に黒蛇堂は尋ねると、

コクリ

里枝は無言で頷く。

『その様な危険性があるにもかかわらず、

 ジョルジュ副指令はあなたの存在を認めました。

 大丈夫、

 あなたはそれに打ち勝つことが出来ます。

 そして、智也さんに逢って全てをお話なさい。

 きっと彼はあなたを抱き留めてくれますよ』

『そっそうですか?』

『えぇ、この14年間。

 彼は様々な面で苦難続きでした。

 そして、それを全て乗り越えて来ています。

 彼を信じましょう』

と里枝に向かって黒蛇堂は言うと、

『はいっ』

彼女に向かって元気よく返事をした。



つづく