風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act2」
(番外編:訪問者たち)


作・風祭玲

Vol.1075





日本一の最高峰を遠くに望み、

風光明媚な湖畔を前にして広がる。

人類最後の希望と評される

超時空要塞都市・第三新沼ノ端市。



最先端の交通網が張り巡らされ、

多数のインテリジェントビルが立ち並ぶ都心より、

クルマで30分ほど走ると、

道路の両側には原生林が広がる樹林帯に様変わりする。

「竜宮神社・水源保有林」

市議会の議決により湖畔にある竜宮神社の森は

沼ノ端への貴重な水がめとして保護され、

併せて森林公園として市民の憩いの場となり、

その森の奥に再建された竜宮神社・奥の院は、

”願叶う縁結びの神”として

参拝者が絶えることはなかった。



”あれ”から1年が経とうとしていた7月、

森は平穏であった。

七夕の夜に開かれるイベントを目前にして、

準備作業が急ピッチで行われている中、

ご神木の周囲で騒ぎが起きていた。

「危ないから下りてきなさい!」

「真菜ちゃんっ、

 お願いだから下りてきて」

地上約10m、

四方に張り出すご神木の枝の一つに制服姿の少女がしがみつき、

今にも飛び降りてしまいそうな緊迫感が周囲を包み、

不測の事態に備えて枝の真下ではレスキュー隊が、

ネットを広げて待機し、

騒ぎを聞きつけた人達が不安そうに状況の成り行きを見守っていた。

「会田っ

 馬鹿な真似はやめろ!」

「そんなことをしても、

 解決にはならないよ」

「一度目の”ごめんなさい”がなんだっ、

 人間は失恋する毎に大人になるんだ」

彼女の友人達だろうか、

制服姿の少年と少女が声を上げるが、

「もぅあたしなんて、

 生きる価値がないのよっ

 ここから飛び降りて、

 死んでやるっ」

枝にしがみつく少女は泣き顔で言い返すと、

保護のため下から上ってきた警察官に足蹴を食らわせると、

張り出す枝の先へと這いずっていく。

「あぁ…」

その様子を見て周囲から不安な声がどよめいた時、

スルッ

「あっ」

彼女の足が滑り落ちると、

グルン

その体が半回転した。

「あああぁぁぁ!」

途端に悲鳴が上がるが、

しかし、

ブランッ

枝にしがみついていた腕を放さず、

少女は宙吊りの状態となった。



ザザザザッ

レスキュー隊はすぐにネットを

宙吊りになった彼女の真下に移動する。

「くっ…

 来ないで!

 下のネットをどかして!」

と彼女はレスキュー隊に向かって、

ネットをどかすよう声を張り上げる。

「真菜っ!

 お前は何を言っているんだ。

 この人達はお前を助けるために

 こうしているんだぞ」

彼女に向かって地上の友人達は声を張り上げると、

「うるさーぃ!

 お願いだから。

 あたしを死なせて!」

と彼女が叫び声をあげたとき、

シュッ

カァァァン!

投げられた一本のバラが彼女の手の横に突き刺さると、

一枚、花びらを落とす。

そして、

『本当にそうなのかぃ?

 お嬢さん』

の声と伴に、

シルクハットを被り、

纏ったマントで体を隠した男が

枝の先端側に立ってみせたのである。

「なんだあれ?」

「枝の上に立っているぞ」

「随分とデカイ奴みたいだけど」

「枝、折れないか?」

ググググ…

枝をしならせながら

バレリーナのごとく爪先立ちで立つ男は、

その視線を少女に向けると、

『改めてたずねる。

 君は、

 本当に死を覚悟しているのかね?』

そう問いかけた。

「そっそうよっ、

 大体誰よっ

 アンタは!」

男を睨み付けながら少女は怒鳴ると、

『別にいいじゃないか、

 君はどうせ死ぬんだろう。

 ならその前に、

 死ぬよな目に一度遭って見ようか』

と言うや、

バッ!

身につけていたシルクハットとマントを剥いで見せた。

その途端

「うわぁぁぁぁぁ!!!」

詰め掛けていた観衆から悲鳴に近い声が響くと、

ピピピピーーーーーッ

たちまち警察官が笛を鳴らし、

「こらぁ、

 何だそれは」

と警棒で男を指してみせる。

『まぁまぁ、

 落ち着きたまえ、

 みなさん。

 私の名前は、

 タキシード・マッチョマン仮面!!

 沼ノ端の平和を護る使徒なのでーすっ』

そう男は自己紹介をすると、

仮面をつけた顔と、

青いビルダーパンツ一枚が股間を覆うのみの

筋肉で盛り上がる漆黒の肉体を誇らしげに見せ付ける。

「どこがタキシードだよっ」

「素っ裸じゃねーかよっ」

「変態っ!」

それを聞いた観衆からはその様などよめきの声が漏れるが、

『むんっ!』

『むんっ!』

『むーん!!』

それらの声を無視してマッチョマンは枝の上で飛び跳ね始めた。

「あぁぁぁ…」

「何を考えているんだあいつは!」

タキシード・マッチョマンの予想外の行動に、

警察官もレスキュー隊も

そして観衆も呆然と見ているだけだった。

その一方で、

「やめて、

 やめて、

 あたし落ちちゃうっ」

自殺志願だった少女は涙を流しながら、

そう懇願するが、

『はーはははは、

 大丈夫ねっ、

 この枝は決して折れませーん!

 何故ながら、

 この枝は女の人のオッパイが変化したものだからでーす。

 オッパイは決して折れませーん!』

とマッチョマンは言うと、

ビョーン!

勢いをつけて飛び上がった。

しかし、

ガツンッ!

上に張り出した別の枝がマッチョマンの脳天を直撃すると、

『うごっ!』

マッチョマンは目を剥き、

頭を押さえながら、

飛び上がった枝へと落ちていく。

『(さっ里枝…

  お前、私が飛び上がった際、

  枝の角度を…変えたろ)』

頭を押さえながらマッチョマンは呟くと、

『………』

と彼の耳に樹からの声が響く。

『(場の勢いだって、

  本気にするなよ)』

その声にマッチョマンは不服そうに言うと、

思いっきり体重をかけて枝を撓らせ、

ズバァァン!

「きゃぁぁぁぁ!」

その反動により悲鳴を上げる少女と伴に、

大空高く舞い上がって行った。



「ひぃぃぃぃぃ」

見る見る小さくなっていく下界の様子に、

少女は顔を引きつらせると、

『どうかな?

 死ぬような目に遭っている気分は?』

と腕を組みながらマッチョマンは余裕たっぷりに問いたずねる。

「たっ助けて…」

それを聞かされた少女は必死になって救いを求めると、

『君はあそこから飛び降りて死ぬつもりじゃなかったのか?』

と聞き返した。

すると、

「止めますっ

 自殺するの止めますっ、

 だから、

 助けて!」

涙を溢れさせながら少女はそう懇願すると、

『そうか、

 それなら…』

返事を聞いたマッチョマンは静かに頷き、

目を閉じる。

そして、

カッ!

っと目を見開くと、

『このバカヤロウ!!

 いいかっ

 自分の命を粗末にするようなことはヤメロ!

 もしっ、

 また自分を傷つける真似をしてみろ。

 ご神木はそれを許さないし、

 今度はここから地面に叩きつけるぞ!!

 私は手加減しないからなっ、

 それでもいいかっ』

と少女を指差して、

マッチョマンは思いっきり怒鳴ると、

ビクッ

「ひっ!」

その怒鳴り声に少女は一瞬硬直し、

ブルブル

と震えだすと、

「うわぁぁぁ!!!」

泣き出してしまった。

『まったく…

 もぅ命を粗末にするなよ』

それを見たマッチョマンは

少女の背中を鷲づかみにすして諭すと

二人の上昇は止まり下降へと変る。

『で、どこに落ちたい?

 希望が無ければご神木の前だが』

落ちながらマッチョマンが尋ねるが、

既に少女の気絶してしまい、

その問いに答えることはなかった。



「おっ落ちて来たぞ!」

「退避ぃ〜っ」

上空から迫ってくるマッチョマンの影に、

地上で成り行きを見守っていた警官や観衆達が

クモノコを散らすかのごとく一斉に逃げ始める。

そして、

ドスンッ!

『むんっ!』

彼らが待ち構えているまん前に

マッチョマンは見事着地して見せると、

『もぅ、

 死ぬような真似はしないと誓った』

と言いながら、

気を失っているの少女を警察官に引渡し、

放り投げたシルクハットとマントを拾い上げると、

『さらばだ、

 また会おう』

の言葉を残して、

『とぅっ!』

ご神木の枝に飛び移ると、

その枝をバネして空のかなたへと飛び去っていった。



「変質者だ!」

「緊急手配しろ!」

マッチョマンが去った後、

警察官があわただしく動き、

やがて人々が去っていくと、

一人の女性がその場に残っていた。

『くすっ

 まったく、智也さんもお茶目なのですね』

黒蛇堂は笑いながらそう呟くと、

ご神木の前に立ち、

『こんにちわ、

 お久しぶりですね』

とご神木を見上げながら挨拶をする。

『智也さんのお陰で、

 自殺志望だった彼女は周囲の注目を浴びることなく、

 この場から去ることが出来ました。

 恐らく、

 人の噂も彼女の自殺未遂よりも、

 智也さんの奇行に向けられ、

 このままウヤムヤになってしまうことでしょう』

『………』

『えぇ、

 とても人思いの優しい方ですね。

 この1年、

 彼の活躍のお陰で街はとても平和ですよ』

『………』

『そうですね、

 あの時、あなたが大変なことになっていたのは、

 判っていましたが、

 でも、私は手を出すことは出来ませんでした』

『………』

『そうです、

 この問題はあなたと智也さんが

 自分の力で解決しなければなりませんでした。

 自分の力で解決したからこそ、

 あなたも、

 智也さんも次へと進めたのです』

黒蛇堂はご神木と言葉を交わし続け、

そして、

あることがご神木から告げられた途端、

『え?』

黒蛇堂は一瞬驚いた顔をして見せるが、

すぐに笑みを浮かべると、

『そうですね。

 でも、里枝さん、

 あなたはこの1年の間で

 ”力”が大変強くなりました。

 ご神木としても申し分がありません。

 しかし、まだ未熟です。

 ですので、

 今のあなたは、

 ”あなたでしかできないこと”

 に集中してください。

 そうすれば巡り巡って

 智也さんの手助けとなります。

 では…また会いましょう』

その言葉を残して彼女は去って行った。



程なくして、

周囲に霧が立ち込めてくると、

ローブを纏った男性・鍵屋が姿を見せる。

あれ以降、鍵屋がここに来るのははじめてである。

鍵屋はご神木の前に立つと、

『三浦…里枝さん』

見上げながら話しかけるが、

彼女の顔は鍵屋の頭よりもはるかに高い、

四方に向かって伸びる枝の上にあり、

目の窪みはそこより森の外を見ているようにも見える。

『参ったなぁ…』

頭を掻きながら彼は言葉を捜すと、

『申し訳ないっ!』

といって頭を下げてみせ、

『もっと早くここに来て、

 あなたに謝らなかったのですが

 色々やらなければならないことがありまして、

 こちらの時間で1年が経ってしまいました。

 あの時、私がもっと早く動いていれば、

 あなたをそんな姿にさせることはなかったはず。

 過ぎたことを言っても仕方がないと思いますが…』

と言う。

『………』

『…そうですか。

 それがあなたの選択であり、

 その姿も選択の結果ですよね』

『………』

『え?

 そんなにお気を使わなくてもいいですよ。

 あなたに会えたことで

 私も少しは肩の荷を下ろすことができます』

『………』

『いえっ、

 その様なことは…

 でも、あなたはお強い。

 ご神木として生きる道を選んでも、

 なおもその気持ちを

 持ち続けることが出来るのですから。

 ふぅ…

 私も決断をしないとなりませんね』

『………』

『そうです、

 やはりお見通しでしたか、

 えぇ、出遅れてしまいましたが

 過ちは正さねばなりません。

 あなたとお話が出来て良かった。

 では、コトがすみましたら、

 また会いましょう』

その言葉を残して鍵屋は去っていく。



ユラッ…

奥の院の場が微かに揺らいだのは、

鍵屋が去って小一時間ほど過ぎた頃だった。

フワリ…

と白い装束を纏う女性が静かに舞い降りると、

『っとっ

 竜宮神社・奥の院前っと

 ここでいいのかな?』

女性は手にしたメモ帳をチラ見しながら、

改めて場所を確認してみせる。

『まったく、

 コン・リーノったら、

 献上されていた贄を返すから、

 ここに来いっ、

 だなんて言って来たけど、

 まだ7月になったばかりよ。

 これって返品ってコトなのかしら』

と心配そうに周りを見渡してみせるのは、

黒蛇堂の姉・白蛇堂だった。

『そういえばここって、

 最近、公園として整備されたみたいね。

 確か、ちょっと前にご神木が代替わりして…

 ひ弱なご神木があったと思ったけど…』

そう言いながら白蛇堂は辺りを見回すと、

『………』

彼女に話しかける声がした。

『え?

 いまのって?

 って』

白蛇堂は驚きながら振り返ると、

『………』

『うそっ、

 あのひ弱なご神木があなたなの?』

と聳え立つご神木を指差す。

『………』

『あっ、

 そう、

 そんなことがあったのね。

 もぅ黒蛇堂ったら何をしていたのかしら』

『………』

『はいはい、

 で、あなたがご神木として生きる覚悟は判ったわ、

 でも、それって、

 もう一つの覚悟は出来ているの?』

『………』

『なるほどね、

 互いに確かめ合ってのことか、

 なら、あたしは口を挟むことはないわ。

 でも、いまどき、珍しいわね。

 ここまで芯の強い子って』

白蛇堂がご神木と会話を交わしていると、

サクッ

霧の中からスーツ姿の一人の男性が姿を見せると、

敷き詰められた玉砂利を踏みしめながら、

”二人”の所へと近づいていく。

スンスン

スンスン

『ふむ、

 なるほど』

細い目をさらに細くさせながら、

男は空気の匂いを嗅ぎ、

そして、小さく頷くと、

『穢れなき、

 匂いですね』

と呟く。

『淀む空気を好む私達妖にとっては、

 少々居ずらい空気ではありますが、

 しかし、気分転換には良いものかと思います。

 白蛇堂さん。

 時間ぴったりですね』

と男は白蛇堂に声をかけた。

『コン・リーノっ』

男の存在に白蛇堂は気付くと、

『で、返品ってなによっ

 あたしにはクーリングオフは利かないわよ』

と白蛇堂は腰に手を当てて言うと、

『いえいえ、

 年末に納めてもらった贄の返品ではありません。

 鍵屋さんに収めてもらいました贄の期限が来たので、

 お返しに参った次第です』

彼女に向かってコンリーノは言う。

『鍵屋の?

 アイツ…あなたに贄を献上してたの?

 へぇ、人は見かけに寄らないものね…

 でも、

 それなら、

 アイツを嵯狐津野原に呼び出して、

 そこで引き渡せば済む話でしょう。

 わざわざ人間界に来る必要はないと思うわ』

彼に向かって白蛇堂は言うと、

『鍵屋さんを嵯狐津野原に呼びつけるのは懲りましたので

 贄の授受はこちらで行うことにしました』

『へ?

 アイツ…

 何をしでかしたの?』

『まぁ、ちょっと、

 そうですね当分の間は、

 嵯狐津野原への出入りは控えてもらいたいですね…』

『相当なことをしたのね…』

『左様で…』

『(あのバカ…

  何をやたかしのよ。

  もぅこっちの仕事の邪魔をしないで欲しいわ)

 で、受け取る物件は…』

呆れた様に息を継ぎながら白蛇堂は尋ねると、

『はい、こちらでございます』

コンリーノがそう言うや、

ドサッ!

白蛇堂の目の前に返還されてきた贄が山積みとなる

『え?

 なにこれぇぇぇぇぇ!!』

その人数を見た途端、

白蛇堂は悲鳴を上げると、

『もぅ、

 鍵屋のツケにするからね』

文句を言いながら回収をすると、

何処へと消えていった。



『なるほど…

 あなた様が嵯狐津姫さまが気になさっていた。

 ご神木ですか?』

返還された贄を抱えて白蛇堂が去った後、

コン・リーノはご神木を見上げながら頷いてみせる。

『………』

『ほぉ、

 言葉は交わせるのですか』

『………』

『いえいえ、

 牛島智也さんとは、

 まぁちょっとしたことがありましてね。

 我が主も気になさっているのです。

 で、検分も兼ねてこうして参った次第であります』

『………』

『そうですか。

 嵯狐津野原を受け持つ我々といたしまして、

 あなた様のご神木としてのご活躍をお祈りしております。

 あなた様がきちんとお勤めを果たしていただければ、

 その分、下流を受け持つ我々に余裕が生まれます。

 我々に余裕があれば、

 地獄に…

 そして、天界にと、余裕の連鎖が生まれ、

 巡って、あなた様にも余裕が出来るというものです。

 事情はあえて聞きませんが、

 人としての生きる道を捨て、

 化生の道を選ばれた以上、

 長い時間を生きることになります。

 ご活躍、ご期待しています』

コン・リーノはその言葉を残して去っていった。



「こんにちわ、

 里枝さん」

柵良茉莉が声をかけると、

バサバサバサ!!!

ご神木の枝に止まっていた鳥が飛び立っていく。

「あっ驚かせてしまいましたか?」

その音に茉莉は困った表情をして見せるが、

彼女の耳には里枝の声は聞こえてこない。

「うーん、

 まだマッチョマン・レディに変身しないと、

 あなたの声を聞くことは出来ないみたいですね。

 といっても、

 いまの私はマッチョマンの種は持っていなし

 すみません、

 一方的に話をさせてもらいます。

 私、今度、結婚をすることになりました。

 お相手は…

 …智也さん』

と彼女が智也の名を告げた途端、

ビシッ

ご神木の幹から音が響く。

『と、言うのはうそ!

 相手は別の方です。

 この森は市に寄贈しましたが、

 でも、私一人で神社を護ることは

 無理なのは判りました。

 だから、縁を伝ってお婿さんを貰うことにしたのです。

 でも、変身していなくても

 ちゃんと私の声は届いているのですね。

 なんか安心しました。

 去年の騒ぎの際、

 智也さんには助けてもらったこと、

 いまも感謝しています。

 だけどあの人の心には

 私が入る隙がありませんでした。

 私、智也さんにアタックしたんです。

 返事はごめんなさいでした。

 私はあなたが羨ましいです。

 人ではなくなっても、

 人に想われ続けている。

 それって大切なことですよね。

 ふぅっ、

 なんか、愚痴っぽくなってしまいました。

 じゃぁ私はこれにて失礼します」

その声を残して茉莉は去っていくと、

しばしの静寂が訪れる。



『ふむ、

 ここが例の現場かね』

霧の奥より後ろ手に手を組みながら、

白髪の男性が姿を見せたのは、

それからしばらくしてのことだった。

『なるほど…

 これは見事なご神木だ』

ご神木を見上げながら男性は頷いて見せると、

『………』

ご神木からの声が男性に響く。

『んっ、

 執着は滅したが、

 意志はしっかりと残っているようだな。

 安心したよ。

 で、どうかね、

 その身で居ることは辛いかね』

表情を変えずに男性は尋ねると、

『………』

『なるほど、

 覚悟は出来ている。と、

 まぁ、それを聞いただけでも、

 地獄から上ってきた甲斐があるというものだ』

『………』

『なぁに、

 そこまで気にすることはない。

 君は君の役目を果たすまでだ。

 ただし、

 君の時間は途方もなく長いぞ。

 君の彼、牛島智也の残された時間は数十年ほどだが、

 君は人間界の時間で言うと数百年以上、

 場合によっては千年単位の時間を

 その姿で生きなければならない。

 その分、君が感じる時間と、

 彼が感じる時間とに差異が出てくる。

 それも覚悟の上だね』

鋭い視線で男性はご神木に尋ねると、

『………』

『そうか、

 それも覚悟の上か。

 いや、つまらない事を聞いてしまってすまない。

 地獄としては執着にまみれた理・亡者の処分は

 なるべくしたくないのでね。

 君がきちんと理の維持管理をしてくれるのであれば、

 とても心強いよ。

 さて、人間界時間のこの1年。

 地獄は君の働きぶりを見てきた。

 君は我々が求めいた以上に働き、

 地獄もその恩恵を受けた。

 感謝しているよ。

 実は私がここに来たのは言わば面接だ。

 君とこうして直接を話をして、

 君の考え、

 君の覚悟、

 それらを聞かせてもらった。

 うん、

 君ならこれを渡しても大丈夫だ。

 これはな、

 閻魔大王より君への

 ”お墨付き”だ、

 受け取りたまえ』

男性はそう言うと、

差し出しした木札をかつて里枝が内臓を吐き出し、

その後、樹脂によって埋められた跡へと差し込んだ。

すると、

ズズズ…

彼が差し出した木札が幹の中へと潜り込んで行く。

『ふむ』

男性はそれを確認すると、

『それの”力”の実行権は君にある。

 自由に使うがよい』

と言い、

『さて、実はもぅ二つほど話がある』

と続けた。

『一つ目はそう”向こう”のことだ。

 君も神木として感じていると思うが、

 既に理の流れに異変が生じておる。

 この件について小閻魔…

 あっいや、鍵屋がやっと動けるようになった。

 同時に閻魔の姪である玉屋を動くことになると思うが、

 そうなった場合、

 君に著しく負荷が掛かることになるが、

 そこは何とかそれを凌いでもらい、

 鍵屋・玉屋のバックアップをして欲しい。

 今後に備えてこの”花ノ弓”を渡して置く。

 鍵屋、玉屋、また他の者でも構わないが、

 君がこの弓を所持するのに相応しいと判断した者に渡してくれ。

 神木として本格的に動き出したばかりの君に

 色々無理を押し付けるようだが、頼む。

 そして、もぅ一つ。

 それは牛島智也のことだ。

 先日の件で牛島智也に過大な負荷が掛かり、

 その影響だろうか

 彼の命の灯に好ましくない”揺らぎ”が出てきておる。

 すぐにどうこう…と言う事はないが、

 なにぶん、あの時の負荷が強すぎた。

 いまは小さな”揺らぎ”であっても

 一旦、事が進み始めると、

 最悪、彼の存在すらも危なくなる。

 君の力でより良い方向へと導いてあげてくれ。

 ではなっ

 頼んだぞ』

男性…地獄界の副指令であるジョルジュはそう言うと

励ますようにご神木の幹を叩き、

立ち去っていく。



タタタッ
 
最後に現れたのは、

白いチンクシャこと久兵衛だった。

『………』

『おやぁ、

 君から声をかけてくるなんて珍しいね。

 どういう風の吹き回しだい?』

『………』

『そうさ、

 僕は何かと忙しい身でね。

 そうだ。

 君も僕と契約して魔法少女になってみないか?

 ほら、これがその契約書だよ』

『………』

『あはは、

 冗談だよ、冗談。

 でも、この1年で君の”力”は成長したね。

 君のような”力”の強い者が魔法少女になってくれたら

 僕も心強いんだけど、

 でも、樹では仕方がないよね。

 この契約書のことは忘れてくれ』

『………』

『キツイことを言うね。

 僕が居たからこそ、

 君をご神木に導くことが出来た。

 感謝されることはあっても、

 恨まれることはないと思うよ』

『………』

『あはは、

 中々鋭い指摘だね。

 そうそう君達について色々調べさせてもらったよ。

 先代のご神木・明日香と茉莉さんとは縁者だったとか、

 でも、地獄から持ち込まれ木の実が、

 徐福と言う人が求めていた

 不老不死の霊薬だったのも面白いね。

 地獄ではごく当たり前の果物なのに…

 ここでは違った性質を持つ。

 もっとも君はそれを己の体で証明して見せたんだ』

『………』

『あはは、

 まぁ確かに、樹の寿命は長いし、

 切り倒さない限り死ぬことも無い…

 いや、仮に切られても、

 挿し木にすればいくらでも生きながらえる。

 ここのソメイヨシノと言う樹や

 コーヒーと言うの樹だって、

 それを大勢の人間達が挿し木して増やしたのだからね。

 それを不老不死といえばそうなんだろうけど

 まぁ、なんでそこまでして、

 人間は不老不死を求めるのか
 
 僕には理解できないよ。

 あっこんなこと君に言っても仕方がないか』

『………』

『わかったわかった、

 大人しく退散しよう。

 おや?

 ここにはジョルジュ副指令も来ていたのか、

 僕のこと何か尋ねていなかったかい?』

『………』

『使えないなぁ…

 そういう時はね、

 信頼できるパートナーが活躍してくれて安心しています。

 って言うものだよ。

 上の方が来た時は言葉には気をつけるように。

 では、またくるね』

もっとも身近なジコチューである久兵衛が

その言葉を残して去って行く。



日が落ちて夜になると、

イベントのリハーサルが始まった。

奥の院の前に設営された特設ステージ上では、

照明が輝き、

音楽が流され、

スタッフ達は入念にプログラムの確認と

打ち合わせを行う。

リハーサルは3時間ほどで終わり、

スタッフが去っていくとご神木は静寂に包まれた。

すると、

〜〜♪

森の中を静かな歌声が響き始めた。



〜〜♪



〜〜♪


歌声は誰が歌っているのか判らない。

ただ、夜の風に乗って山を下り

沼ノ端の街中へと広がっていく。



「どうされました?

 牛島プロデューサー?」

「ん?

 いや、歌がね」

「歌…ですか?」

「そう、

 誰が歌っているんだろうなぁ…

 とても澄んだ歌声だ。

 懐かしいような、

 それでいてやさしい歌だ。

 昔、里枝がこんな歌を歌っていたな…」

番組の打合せで深夜までTV局に残っていた

智也の耳にも歌が入ってくると、

コーヒーが入ったカップを揺らしつつ、

聞こえてくる歌にしばし耳を傾ける。

「はぁ…

 私には何も聞こえませんが」

耳を澄ませても何も聞こえないスタッフは

怪訝な表情をして見せるが、

しかし、智也は目を閉じると、

その歌を口ずさみ始めていた。

そして、

「…そうだ、

 明日、里枝のところに行ってみよう。

 今度は普通の格好でな」

そう呟くと、

智也はつかの間の眠りに落ちていく。



『どうされました?

 マスター』

『ん?

 歌を聴いていた。

 これは、里枝さんの歌だ』

業務支援用アンドロイド・Rの質問に

鍵屋は答えると、

『化生にも落ち着きをもたらす

 やさしい歌です。

 私も…

 このような歌が歌えるようになるときが、

 来るのでしょうか』

そう呟きながら、

眼下に見えるレンガ造りの古風な洋館を眺める。

『あそこに…

 月夜野が居る』

鍵屋にとってケジメをつけるときが刻々と迫っていた。



樹怨 Act2・おわり