風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act2」
(第五話:命の灯)


作・風祭玲

Vol.1071





『よく来たな…』

エレベータから降りた私に向かって

その声がかけられると、

柱のない広大なフロアの窓際に置かれた重厚な机に肘をつき、

口元で手を組む男性の姿があった。

「あなたは?」

男性に近寄り話しかけると、

『この地獄と嵯狐津野原を統べるお方だよ。

 牛島智也君』

と男性の傍らに立ち、

後ろ手に手を組む鬼が男性の紹介する。

「それって…?」

『彼が閻魔大王庁・総指令の閻魔大王ですよ。

 そして隣に立っているのが、

 副司令のジョルジュさん』

と鍵屋が耳打ちをする。

「え?

 この人がえっ閻魔様?

 でも、嵯狐津姫はどこにいるんです?」

鍵屋の話に私は驚きながらも

嵯狐津姫の姿を探していると、

『鍵屋』

閻魔大王は鍵屋の名を呼んだ。

『はいっ』

『猛者が現れたのは知っているな』

『はい、

 このところ出現が多いみたいですね』

『原因は判っているのかね』

横に立つジョルジュが口を挟むと、

『おおよそ見当はついています』

と鍵屋は言う。

『うむ、

 なら、なぜ手を打たぬ』

『我々が猛者退治にリソースを割り当てている間、

 地獄としてなすべき作業が止まってしまう。

 地獄の業務停滞は嵯狐津に影響を及ぼし、

 やがてそれは天界に波及し、

 理の輪廻に大きな障害となる』

『そのことは判っています。

 しかし、

 私の力だけでは無理なのです』

『無理とは?』

『地獄における猛者出現の多発は

 人間界における神域・ご神木の不調が

 その要因と考えられます。

 しかし、私には神域を監視監督する権限はありませんので、

 ご神木を聴収しその意向を探ることができません。

 そのため神域を正常化させるには、

 ご神木と因縁がある

 この牛島智也の力が必要なのです』

閻魔大王とジョルジュに向かってそう鍵屋は答えると、

「!!っ」

私はハッとしながら彼を見た。

『牛島智也』

今度は私に向かって閻魔大王は話しかけてくると、

「はっはいっ」

私は慌てて返事をする。

『嵯狐津野原で私が言った言葉を覚えているな』

「はっ…はぁ?

 あの失礼ですが、

 嵯狐津野原でお会いしましたっけ」

閻魔大王の言葉を聞いた私は逆に質問をすると、

『鍵屋、

 彼には説明をしていないのかね』

とジョルジュは鍵屋に質す。

『いえ、

 まだです』

その質問に鍵屋は返事をすると、

「鍵屋さん。

 どういうことですか?」

私は事情を鍵屋に尋ねた。



「え?

 閻魔大王と嵯狐津姫は同一人物?

 それって、

 あの閻魔様は嵯狐津姫ってことですか?

 変身されているので??」

”?”を頭の上に大量に浮かべて、

私は鍵屋に聞き返すと、

『別に閻魔大王が嵯狐津姫に変身しているわけではありません。

 閻魔大王と嵯狐津姫は並列に存在しています。

 牛島さん、嵯狐津野原と地獄は表と裏、

 光と影、そういう関係だと説明しましたよね』

「はい」

『閻魔大王と嵯狐津姫もまたそういう関係なんです。

 ただし、閻魔大王と嵯狐津姫はそれぞれの世界の要であるが故に、

 一つに繋がっているのです』

「一つに繋がっている?」

『姿は二人で存在しますが

 しかし心は一人…

 二身一心というものです』

「はぁ…」

鍵屋の説明を半分程度しか理解できない私は

気の抜けた返事をしていると、

『さて、

 君は神木となった三浦里枝をどうするつもりだ?』

と閻魔大王は口元で組んだ手を崩さずに質問をしてきた。

「どうするって?」

『現在、三浦里枝は神木として機能不全の状態にある。

 そのことは判っているな』

「夢で里枝は異変が起きていることを告げては来ています。

 しかし、いろいろ邪魔が入って、

 実際にどういう状態なのかについては確認していません」

『それは君の管理の不届きではないのかね』

「いきなりそう言われましても…

 第一、私は神域の管理人ではありません。

 ただ里枝の面倒を見ているだけです。

 樹になってしまった里枝は自分の枝を整えることも出来ません。

 だから、私は、

 彼女の枝の剪定をしたり、

 根の周りの草むしりをしたり、

 害虫の退治などもしています。

 それでなんとか言葉を交わして、

 そうやって、コミュニケーションをとっているのです。

 それは確かに、

 最近仕事で忙しかったり、

 レミングのような変な連中が邪魔をしたりして、

 会うこともままならず、

 話も殆どしてはいませんが。

 でも、里枝は私を応援してくれているのです。

 がんばれって!」

閻魔大王とジョルジュに向かって私は言うと、

『それが、

 彼女の本心だという証はあるのかね」

とジョルジュは尋ねた。

「え?

 いったい何を言うんですか。

 里枝が嘘をついているとでも言うんですか?」

思わぬその質問に私は声を詰まらせながら聞き返すと、

それを見た彼の視線は閻魔大王へと向けられ、

閻魔大王の視線は鍵屋へと向けられる。

「私が間違っているとでも言うんですかっ」

そんな彼らに向かってつい怒鳴ってしまうと、

『牛島さん』

話を聞いていた鍵屋は私に話しかけ、

『あなたはご神木について心得違いをしています』

と言う。

「心得違い?」

その言葉に私は驚くと、

ブンッ

突然床が光り輝き、

『君は、

 理の輪廻については知っているね』

とジョルジュは尋ねる。

「はい、

 鍵屋さんから教えてもらいました」

『よろしい。

 理は天と地を極にして循環をしている。

 ただし、これは地の極に多大な負担がかかってしまう』

そうジョルジュが言うと床に2つの極が表示され、

追ってその極をめぐる理の流れが映し出される。

『地獄・地極の過負荷なっている分を天極に回すことができれば

 それに越したことはないが、

 しかし理の性質上、

 それが不可能であるため、

 地極の負担を軽減させるために、

 地極の構造を嵯狐津野原と地獄の二段構えとし、

 統べる者も閻魔大王と嵯狐津姫の二人体制とした。

 しかし、嵯狐津野原と地獄の二段構えになったから、

 と言って万全ではない。

 君も知っているだろう。

 人間界は年を追うごとに人口を増やし発展していっている。

 それ故に嵯狐津野原に降りてくる穢れもまた増大している。

 無論、穢れを浄化するのは嵯狐津野原の役目ではあるが、

 しかしモノにも限度がある。

 そのため我々は天界と諮り、

 人間界各所に神域を設け、

 神域を統べる神木を指定して、

 それを穢れの仮受けとした』

「え?

 さっきの鍵屋さんの話とちょっと違います。

 神域は実を食べた徐福たちが樹になって、

 それが変化したと…」

『話は最後まで聞きなさい。

 沼ノ端に設けられた神域であるが、

 ここは我々地獄から奪ってきた木の実を食べて、

 樹となってしまった徐福の森がある。

 穢れの仮受としては都合がよかったため、

 我々は神域の神木となった徐福にその役を与え、

 彼らは人間界時間・2000年の間その職務を行ってきた。

 しかし、想定外のことが起きた。

 一つは、人間界の時間の百年ほど前、

 神域を守るはずの巫女が、

 禁じられている神木の実を食べ、

 強引に神木の世代交代を行った。

 このことは大事件であり、

 我々は早急に対策を取り行ったが、

 世代交代を行った神木は不安定な状態であったために、

 わずか百年と言う短い期間で寿命を迎えてしまった。

 本来ならここで立て直しを図るべきところなのだが、

 人間界時間の一四年前。

 我々の準備中に君の想い人である三浦里枝が

 神木の実を食べてしまい。

 次なる神木として交代してしまった』

「くっ」

床に表示される里枝が樹になっていく様子を見ながら、

私は臍を噛むと、

『問題はこれからなのだ』

その私に閻魔大王は話しかける。

『いまの、三浦里枝だが、

 体は樹・神木となり神域の他の木々と繋がってはいるが、

 しかし、その魂は先代の神木と同様であり、

 執着を持っている。

 それ故に、

 押し寄せてくる穢れの対応が十分にできず、

 身動きが取れなくなってきている。

 無論、君が会いに行かず、

 それによるストレスが動きが取れないのも

 要因の一つではあるが、

 しかし、それは対処療法であって解決ではない。

 いつまであのような状態にしていくのか

 と言うことだ』

『本来、ご神木には数百年の寿命がある。

 恐らく、三浦里枝もこれから数百年間、

 あの場にてご神木としての務めを行うことだろう。

 しかし、君に残されている寿命はいかほどなのか?

 君の命が尽きた後、

 三浦里枝はどうなるのだ?

 心を通わせる者は来ず、

 執着を持った不完全な状態であの場で居続け、

 神木としての務めを行っていく。

 何百年もたった一人で…

 彼女はそれを全うできるのか』

「うっ」

閻魔大王とジョルジュの言葉に私は声を詰まらせるが、

「しっしかし、

 先代の神木・明日香は100年間ではありましたが、

 立派に神木の務めをして来ましたし、

 私の寿命もまだ数十年はありますっ」

と反論すると、

『明日香は一人ではなかったことは知っているだろう』

そうジョルジュは指摘する。

「一人では…

 あっ」

その指摘と共に、

私の脳裏に神木としての役目を解かれた明日香が、

地面の中から彼女の恋人で事件の切っ掛けとなった男性

信二を引っ張り上げたことを思い出した。

『そうだ、

 先代があのような状態であったにも関わらず、

 神木としての務めを果たせたのは、

 信じあう二人で務めをしてきたからだ。

 神木の執着は傍の相方に向けられ、

 役目を解かれるのと同時に執着も消えてしまった。

 それに対して今の神木は一人でそれをこなそうとしている。

 不完全な状態では神木の務めは果たせまい』

私を見つめながら閻魔大王はそういうと、

『それに、君の寿命ではあるが、

 確かに数十年の残り時間はあるが、

 しかし、それは理論上の最大値でしか過ぎない。

 事故、災害、不意の病…

 君の寿命を一気に奪い取っていく可能性がある事象は

 いつどこで君を襲うのか見当はつかない。

 もしそうなってしまった場合、

 君は如何にして彼女を独り立ちさせるのかね?』

『我々は一刻も早い神域の正常化を望んでいる。

 君には決断を迫ることになると思うが、

 三浦里枝はすでに人間ではない、

 我々と同じ化生だ』

『一枚、戸を挟んでの交流。

 人と化生とはそう言う間柄であり、

 言葉を交わすことはできても、

 互いの手を握り合うことはできない。

 そうだな、鍵屋』

閻魔大王とジョルジュはそういうと鍵屋を見る。

「鍵屋さん…」

視線を追って鍵屋を見ると、

『牛島智也への話は以上だ』

『牛島智也君、

 閻魔大王が君に持たせた裁定役の札。

 その札に書かれている文字の意味をよく考えることだ。

 文字は我々が定めたものではない。

 君の魂がその文字を定めた。

 何をしなければならないのか、

 何をすべきなのか、

 君は自分自身と向かい合って決めることだ』

ジョルジュが私に向かってそう告げたとき、

カッ

窓の外で閃光が光り輝くと、

ズンッ!

建物を揺らす地響きが響き渡った。

『終わったな』

振り返らずに閻魔大王は呟くと、

『…侵攻中の猛者は殲滅いたしました。

 退避中の獄卒各員は速やかに通常業務に復帰してください。

 繰り返します。

 侵攻中の猛者は殲滅いたしました。

 退避中の獄卒各員は速やかに通常業務に復帰してください…』

と放送が流れる。

『やれやれ、

 その分、仕事は溜まってしまったがね』

それを聞いたジョルジュは困った表情をしてみせると、

『では、失礼いたします』

話が途切れるのを見計らうように鍵屋は挨拶をし、

閻魔たちに背中も向けた。

すると、

『鍵屋』

閻魔は鍵屋に声をかけ、

『月夜野幸司のことは知っているだろう。

 理の流れを変えようとするあの者の行状を

 見過ごすわけにな行かなくなってきた。

 早々に対応を取れ』

と言う。

『判っています』

その言葉に鍵屋は短く答えると、

『牛島さん、

 行きましょう』

私に声をかけた。



下に降りるエレベータの中。

『ちょっと、

 付き合ってもらいたいところがあります。

 よろしいでしょうか』

鍵屋は不意に言うと、

ピッ

目的階よりさらに下の階のボタンを押した。

「どこに行くんですか?」

訝しがりながら私は尋ねるものの、

しかし、鍵屋は答えず、

本来降りるはずの階を通りすぎていく、

そして、

カシャーッ

ドアが開くと、

無数に灯る燈明の明かりが私を迎た。

「この部屋は…?」

『この世に生きとし生ける者たちの命の灯の部屋』

「それって…」

彼の説明に私は驚くと、

すっ

鍵屋は何も言わずに部屋の奥へと向かっていく。

「鍵屋さん、

 待ってください」

その後を私は慌ててついていくと、

燈明の明かりは私たちを招き入れるように、

スッ

と動いて通路を作り、

私と鍵屋はその通路を進んで行った。



揺れ動く無数の明かりは

何か言葉を交わしているようにも思えるが、

しかし、私の耳には何も聞こえず、

やがて目が慣れて来たころ、

不意に鍵屋は立ち止まった。

「どうされました?」

立って上を向く彼に話しかけると、

鍵屋さんは何もない空間に向かって右手を翳して見せる。

すると、

彼の手に明かりのついた一本の蝋燭が舞い降り、

それを手に取ると、

『ごらんなさい、

 これがあなた、

 牛島智也の命の灯です』

と言いながら私に手渡した。

「こっこれが私の命の火?」

『そうです。

 この灯が燃え尽きるとき、

 それはあなたの寿命が尽きるときです。

 どうですか?

 自分の命を手に取った感想は?』

燃え盛る蝋燭を手にする私に向かって鍵屋は話しかけると、

「これが…

 私の命…なのか」

と私は感慨深げに呟き、

ジッと燃え盛る蝋燭を見入る。

手にした蝋燭の重み、

いや、自分の命の重みを腕全体で感じ取っていると、

『これが、三浦里枝の命の灯です』

そう言って鍵屋は里枝の蝋燭を差し出して見せた。

「なっなんですか?

 この蝋燭は…」

差し出された蝋燭を見た私は驚きの声を上げると、

『見ての通りです』

と鍵屋は言う。

「だって、

 なにこれぇ、

 あのぅ、

 これって

 どう見ても普通では無いでしょう」

困惑しながら私は聞き返すと、

鍵屋は静かに首を縦に振り、

『牛島さん。

 彼女の命の灯がここにあること自体が

 普通ではありません』

と鍵屋は言う。

「あっては、

 いけないのですか…」

『はい、

 さっきも言いましたが、

 ここは、

 この世に生きとし生ける者たちの命の灯の部屋、

 であって、

 化生の灯の存在は許されません』

「!!っ」

『ここに灯が存在するということは、

 三浦里枝は完全な化生に生まれ変わっていない証なんです。

 それ故に彼女の命の火を灯す蝋燭は

 御覧の通りいびつな形となってしまっているのです』

「そんな…

 じゃぁ、

 化生の…

 鍵屋さんたちの灯はどうなっているのですか?」

鍵屋に向かって

つい、そのことを尋ねると、

『御覧になりますか、

 では、こちらに来てください』

そう言って鍵屋は里枝の灯を空へと返し、

再び歩き始めた。

「あっ」

それを見た私も自分の灯を空へ返し

鍵屋の後を追いかける。



歩き始めた鍵屋はなかなか立ち止まらず、

周囲の灯りも次第に少なくなっていく。

やがて、暗闇の壁のようなものを通り抜けると、

再び灯りが見えてきた。

「!!っ

 そうか今の暗闇が…

 人と化生とを隔てている”戸”なのか」

ジョルジュの話を思い出した私は振り返るが、

すぐに鍵屋の後を追いかけた。

鍵屋に追いついた私は灯りを眺めるが、

どの灯りにはさっきのような力強さはなく。

どこか急いて輝いているようにも見る。

「なんか、

 違う…」

そう思いながら私は明かりを見ながら歩くと、

鍵屋は立ち止まり、

『牛島さん。

 ここで輝いているのが化生の灯です』

と私に向かって鍵屋は言い、

再び右手を空に掲げると、

フワッ

空に翳した鍵屋の手に舞い降りたのは、

ロウの無い長い芯。

「ロウが無い…」

それを見た私はそう指摘すると、

『はい、

 化生の灯にはこの様にロウはありません。

 長い芯だけが燃えているのです』

と説明する。

「なんで?」

私の灯と化生の灯のあまりにもの違いに驚くと、

『生きる者とと化生との違い…

 それは執着です。

 あなたの灯のロウはその執着が具現化したもの。

 執着があるからこそ、

 生き物は命の灯を燃やして生きるのです。

 けど、化生には執着がありません。

 だから、ロウは無く、

 芯だけが燃えているのです。

 けど、芯だけでは炎の力は弱く、

 燃える速さも速い、

 あなた方と比べると、

 化生の命は無限に近い長さを持っていますが、

 でも、化生が命を終えるときは、

 スッと消えてしまいます。

 嵯狐津野原に行くことなく、

 私たちは存在を消すのです。

 判りますか、

 これが化生の命なのですよ』

と鍵屋は言う。

「そんなに、

 弱いものだなんて」

その説明を聞いた私は改めて、

化生達の灯を見ると、

確かに息を吹きかけただけでも、

消えてしまいそうな灯ばかりである。

『牛島さん。

 これが私の命の灯です。

 これが玉屋さん。

 これが黒蛇堂。

 これが白蛇堂。

 業屋に華代…』

と燃える芯を指さしながら、

彼自身と彼の仲間たちの名前を言う。

「鍵屋さん。

 つまり…は、

 里枝をここに連れてこなくてはいけないんですね」

拳を握りしめながら私は言うと、

『先ほども言いましたが、

 生きる者たちの命の灯の力は執着です。

 生きることへの執着。

 その執着が強ければ強いほど、

 ロウは太く、

 そして、炎は消えにくくなります。

 けど、度が過ぎれば、

 炎はロウの中に沈み消えてしまいます。

 そうなったら嵯狐津野原では浄化できません。

 地獄へ堕ちてしまいます』

「では里枝をあのいびつになった蝋燭から

 ここに連れてくるためには…」

『あのロウを振り払わないとなりません。

 里枝さんの蝋燭があのような姿になっているのは、

 執着を持ったまま化生の命を得たためです。

 あなたは里枝さんのその執着を断ち切らないとなりません。

 そうしないと、

 里枝さんの命はあのロウに溺れ、

 そして、消えてしまいます。

 できますか?

 里枝さんが持っている執着を断ち切ることを』

「里枝はそのことを知っているのでしょうか…」

『ご神木となったときに気付いたでしょう。

 でも、それは言えません。

 なぜなら、

 里枝さんの執着はあなたへの気持ちなのです。

 執着を断ち切り、

 完全なご神木になってしまったら、

 あなたと会う幸せも、

 言葉を交わし

 励ます喜びも消えていきます。

 里枝さんがあのような状態であるにも関わらず、

 命の火を煌々と燃やせるのは、

 あなたへの想いがあるからです。

 でも、もし、あなたの寿命が尽きてしまったら、

 里枝さんはどうなります。

 閻魔大王の前であなたは数十年の寿命があるといいました。

 先ほどの蝋燭をみても

 十分にそれだけの時間が残されていることは判ります。

 しかし、あの蝋燭には不慮の事故や災害は想定されていません。

 牛島さん。

 もし、あなたが事故や災害などで

 命を落としてしまったらどうなるんです?

 命を落とされてもあなたは嵯狐津野原で浄化され、

 天へと還って行きますが。

 残された里枝さんの灯はロウに溺れて消えてしまうでしょう。

 そうなったら嵯狐津野原では浄化されずにこの地獄に堕ち、

 待ち構えている獄卒たちによって滅せられるか、

 群がる亡者たちの依代となってしまい、

 猛者になってしまうかのどちらかです。

 あの鬼型決戦兵器を弾き飛ばした心の壁。

 あれこそが地獄に堕ちた亡者達の執着なのです。

 猛者・亡者は天に還るわけでも、

 存在を消すわけでもありません。

 ここ地獄で処分されるのです』

「やめてくれ!」

耳をふさいで私は声を上げると、

「なんでだよ、

 里枝がそんなに悪いことをしたのかよ。

 ただ樹にされただけじゃないか。

 それななのに私が死んだら里枝は地獄に堕ちて、

 あの鬼たちに殴られ焼かれ切り裂かれるだなんて、

 なんでだよ」

泣きながら鍵屋の胸ぐらをつかみ上げる。

『では、なぜ、

 里枝さんを神域に植えたのですか?

 それ以外の選択肢もあったはずです。

 でも、あなたはそれをせずに、

 この選択をいたしました』

「……」

鍵屋の指摘に間違いはなかった。

私は掴み上げていた手を放すと、

その場に座り込み、

ジッ

と里枝の小枝を見つめていた。



「くっそう、

 俺の手で里枝の執着を切らないとならないだなんて」

どんなに悔やんでも仕方がない。

私はその時その時のベストの選択をしてきたはずだった。

でも、それは結果的に彼女を苦しみへと追い詰めていたのである。

「ごめんっ、里枝、

 あのとき、君を山へ連れて行かなければ、

 こんなことには…」

意味のない懺悔をしても無駄だった。

”あの日、私一人で出かければ”

”山に向かわなければ”

”木の実を食べさせなければ”

”街に戻らなければ”

”風呂場に居させれば”

”部屋で朝を迎えていれば”

”神域の外に植えていれば…”

それら沢山の”れば”を否定してたどり着いたのが

”いま”である。



”あの時、里枝の執着を切っていれば…”

私がその後悔をするとき、

私はもぅこの世には存在してはいない。

けど、私以上の寿命を持つ里枝は存在し、

私への執着によって彼女は地獄へ堕ちていく。

”自分が死んだ後のことは知らない。

 里枝が地獄に堕ちてしまおうが、

 それは里枝の勝手に思い込んだことの結果であって、

 自分が頼んだことではない。

 だから、気にすることはない”

確かにこの理屈も成り立つ。

でも、それではあのレミングと同じ

ジコチューな思い上がりだ。

だから、私は決断をしなければならない。

里枝を苦しめている執着を切り、

彼女を完全な樹に、化生に生まれ変わらせる。

それが里枝の希望であり、

私でしかそれができない。

でも、

でも、

でも…

それをしてしまったら私と里枝は、

心の中で抱き合うことができない存在になってしまう。

”一枚、戸を挟んでの交流”

ジョルジュの言葉が圧し掛かってくる。

そう、人と化生とはまさにそう言う間柄であり、

いくら手を伸ばしても互いの手を握り合うことはできない。

「里枝!

 里枝里枝!

 里枝里枝里枝!

 ちくしょう!!!」

小枝を握りしめ、

化生たちの命の火を眺めながら、

私は彼女の名を思いっきり叫び号泣した。



長い時間、

私はその場に座り込んでいた。

そして、

「里枝…

 お前はそのことを知っていて

 私のことを気遣っていたのか。

 黒蛇堂を通してこの小枝を渡したのも、

 どんなに危ない目に遭っても大丈夫なように

 身代わりとなって守り。

 私が悩んでいるときには、

 以前の姿を作って励まして…」

と呟くと、

あの春の日に、

私を励ますために姿を見せた里枝の姿を思い出した。

「馬鹿野郎っ、

 樹にくせに生意気なことをしやがって、

 余計に泣いてしまうじゃないかよ。

 判ったよっ、

 待っていろ、

 今度は私がお前を助ける番だ。

 戻ったらすぐにお前のところに駆けつける。

 どんな妨害があってもだ」

涙を拭った私は心にそう誓うと、

”導”と書かれた木札をきつく握りしめる。

と、その時、

『牛島さん!!』

人間たちの灯のエリアから鍵屋の叫び声が響いてきた。

「どうしたんです?」

その声を聴いた私は涙を拭いて駆けつけると、

ボッボボボボボボボ…

異様に燃え上がる蝋燭が鍵屋の手に握られていた。

「これは」

それを見て驚く私に

『柵良茉理さんの蝋燭です』

と鍵屋は言う。

「茉理さんの。って、

 茉理さんに何かあったんですかっ」

茉理の異変を告げる蝋燭の様子に

私は慌ててしまうと、

『さっきまで安定して燃えていたんですけど、

 急に炎の勢いが乱れ始めました』

「それってどういう意味ですか」

『人が精神的に追い詰められて、

 よからぬことを考え始めたとき、

 この炎は大きく乱れます。

 ほら、他の蝋燭でもそういうのがあるでしょう。

 一瞬の気の迷いでも炎は揺らめきますが、

 しかし、茉理さんのこの燃え方はあまりよくない。

 自分の命を削っていますっ

 この方は間違いなく追い詰めらています』

と鍵屋は緊張した面持ちで言う。

「追い詰められているって、

 まさか、レミング!!

 あいつら、

 神隠しでは懲りずに

 茉理さんにターゲットを変えたんだ。

 こうしてはいられない」

柵良茉理がレミングに追い詰められている。

それを知った私は居ても立ってもいられなくなってしまうと、

『判りました。

 とにかくここから出ましょう。

 閻魔大王庁の中から人間界には直接行けません』

焦る私を見て鍵屋はそう言うと、

蝋燭を戻し、

エレベーターへと駆け込んだ。

そして、扉が閉まる寸前、

「里枝、

 お前のその蝋燭、

 きちんとしてやるからな」

いびつに燃える彼女の蝋燭に向かって誓ってみせる。



『念のため一旦、

 嵯狐津野原に戻ります』

大王庁からでた私に向かって、

鍵屋はそう言うと、

カッ

鍵錫杖の石突きで地面を叩いた。

と同時に

カッ

今度はその石突きから光が溢れ、

瞬く間に私と鍵屋を包み込んでしまうと、

私と鍵屋はススキの穂が棚引く嵯狐津野原へと戻っていた。

「この嵯狐津野原の下に地獄が…」

そう思いながら地面を眺めていると、

『人間界への直通空間通路を開きます。

 ただし、

 嵯狐津野原と人間界とでは

 違う時間の流れとなっています』

と鍵屋は言う。

「時間の流れ?

 そうだ、鍵屋さん。

 いまから戻ると人間界は何月の何日になりますか?」

彼の話を聞いた私は驚いて聞き返すと、

『えぇっと、

 嵯狐津野原と一番近い人間界の時間は…

 7月7日の夕刻を過ぎですね』

「それって、

 茉莉さんが返答をする日だ。

 鍵屋さん。

 悪いけど出口を柵良茉莉さんの自宅前にしてくれませんか」

『構いませんが…

 柵良さんって、あの柵良美里さんの関係者ですか?』

「柵良美里さん?

 ですか?」

『沼ノ端高校の保健医をしているのですが、

 違うようですね。

 では出口をその方の玄関前にお繋ぎいたします』

私に向かって鍵屋はそう言うと鍵錫杖の鍵を取り出し、

空間に向かってそれを差し込んだ。

そして、

ガチンッ!

と鍵を回すと、

ブンッ!

目の前に光り輝く入り口が姿を見せた。



「えぇいっ

 地獄・裁定役を申し付かった

 この牛島智也様が

 閻魔様に代わって、

 お仕置きだぁ!!」



つづく