風祭文庫・異形変身の館






「樹怨 Act2」
(第四話:伝説の真実)


作・風祭玲

Vol.1070





「ふぅ…」

嵯狐津野原の主・嵯狐津姫の後を追って

その臣下、妖狐・コン・リーノが

十二支の獣にされたレミングの武装集団と共に姿を消すと、

一人残された私は大きく息を吐いた。

が、その途端、

腰の力が抜けてしまったらしく、

ストン!

とその場に座り込んでしまうと、

「あは、

 あはははは…

 だめだ、

 あっ

 あっ足の力が入らない…」

と声を震わせながら震える足を押さえ込んでみせていた。

ずっと平然を装っていたものの、

それは只のやせ我慢。

緊張の糸が切れた途端、

この有様である。



「…考えて振舞え…か」

足を押さえながら

嵯狐津姫から言われた言葉を思い出すと、

私は懐より里枝の小枝を取り出した。

実行部隊の集団神隠しとなれば、

レミングはしばらく大人しくなると思うし、

それで柵良茉理が一息継げれば時間稼ぎになる。

でも、里枝の問題はまだ未解決だ。

「いったい何が起きているんだ…」

小枝を見つめながら里枝の身を案じるが、

しかし、私の心の奥には言いようもない不安があるのも事実。

そして、嵯狐津姫は私の心の奥にあるその不安を読み取り、

あの言葉を掛けたのに違いない。

『…里枝さんはご神木になってしまったとは言え、

 元は人間です。

 そのこと、決して忘れないでください…』

忘れていた黒蛇堂の警告が頭に響く。

「里枝は体は樹になったとは言っても、

 宿っている魂はまだ人間のままのはず。

 人間にとっては辛い暑さや寒さ、

 空腹や痛みなんてことは

 既に感じなくなっているけど、

 でも…

 一人ぼっちの寂しさに耐えられるだろうか。

 樹となってしまった自分の体を呪ってはいないだろうか。

 そして、変なことを考えていないだろうか。

 里枝と言葉を交わせるようになってから、

 私は彼女といろいろな事を話し、

 そして、判ってきたつもりだった」

『…私、樹になんてなりたくない!

  人間に戻りたいよ!

  美味しいもの食べて、

  お洒落して、

  友だちとお話して、

  楽しく笑いたいよ!

  結婚して、

  子供産んで、

  家庭を築きくの!

  お仕事もしたいし、

  まだまだやり足らないこと一杯あるよ!…』

14年前、自らの内臓を吐き出しながら、

里枝が自分の口で叫んだその言葉が彼女の本心であり、

忘れたくても決して忘れることができない彼女最後の声だった。

「里枝が樹になって14年が月日が過ぎた。

 その14年の間に私はTV局のディレクターとなり、

 里枝もまた神域で樹としての年輪を刻み、

 幹の太さや枝ぶりは大きくなり樹としての貫禄は増している。

 そして、私は心を通して彼女とは話をすることは出来るけど、

 けど、会話は里枝からの励ましばかり、

 きっと、私を気遣っているんだろうな。

 駄目だな、俺って…」

自分の力の無さを身に沁みながら、

一人で頭を叩く。

いまの里枝が何を思い、

何に悩んでいるのか、

そのことについてはほとんど知らない。

もっとも、彼女の悩みを知ったところで、

私ができることは限られている。

『体が重い…』

夢の中で訴える里枝の声。

「体が重いって、

 それはいったい何を指しているんだ。

 樹の手入れをしてくれ。

 ってことなのか?

 それなら、

 枝の剪定、

 害虫の駆除、

 根元の草むしり、

 落ち葉の片付け、

 堆肥の散布…それくらいならできる。

 まさか花が満開に咲いてしまって、

 枝が重くてたまらないってわけじゃないだろう。

 だからこそ不安になる。

 霊力が上がってきたとはいえ、

 里枝はご神木としてどうなのか?

 私と会い、話をしているから、

 あの場は神域として機能している(はず)

 でも、私が居なくなったら、

 里枝はどうなるのだろうか…

 ご神木としての務めは果たせるのか、

 樹になって14年。

 里枝はご神木として一人前になっているのだろうか」

止め処もなく沸いてくる悪い予感に私は一人で震えていると、

『そうならないように、

 里枝さんと心を通わせてください』

の声と共に鍵屋が姿を見せた。

「かっ鍵屋さん、

 どこに行っていたんですか」

鍵屋の姿を見た私は声を上げると、

『えぇ、さっきからそこに居ました。

 嵯狐津姫やコン・リーノには居場所がバレていましたけどね。

 それにしても

 コン・リーノが文句を言いに来るのは予想していましたが、

 まさか、嵯狐津姫本人が降臨するとは予想外でした。

 嵯狐津姫に触れられて無事だった人間なんて、

 姫から”狸”と呼ばれた人から数えて400年ぶりですよ』

と鍵屋は言い、

『でも、人間界の病院をこの妖の世界にそっくりコピーして、

 自分を囮に暗殺者達を招き入れるだなんて、

 いくらあなたが神域への鍵の所有者だからといっても

 あまり感心しませんよ』

と注意をする。

「それは判っています。

 でも、時間がありませんでしたし、

 この選択が最良だったと思っています。

 けど、レミングが持ち込んだ銃火器のすり替え、

 さすが鍵屋さんですね。

 見事でしたよ」

『私はそういうのが嫌いなだけです』

「もし、人間界でこの騒ぎが起きていれば大惨事です。

 レミングたちは居直って言いがかりに使うでしょう。

 彼らと接触をしてそれが判っていましたし、

 また黒蛇堂さんからこの嵯狐津野原の話を聞いていたので、

 ダメ元でお願いしたのです」

そう言いながら、

銃弾を受けて穴だらけになっている紙人形に視線を落とす。

「で、

 連れて行かれたレミングたちはどうなるので?」

『命は奪われません。

 その代わり人間界の1年間に相当する時間、

 あの嵯狐津姫の贄になります。

 まぁ、あれだけの人数ですから、

 姫様も当分はお腹イッパイになるでしょう

 ところで体の方は大丈夫ですか?

 痛みを堪えてみたみたいですけど』

「えぇ、さっきまでは痛くて死にそうでしたが、

 でも今はまったく痛みを感じません」

鍵屋の質問に

私は痛みを感じなくなったことを言うと、

『なるほど、

 そのススキの穂が痛みを消しているのですね』

と鍵屋は耳に挟んでいるススキを指差す。

「これが?」

『そうです。

 そのススキの穂は只の穂ではありません。

 まぁ、何と言いますか、

 秘めている力を兼ね備えている

 嵯狐津姫の認証ってところですか』

「秘めている力を兼ね備えている嵯狐津姫の認証…

 ですか?

 そういえば、その嵯狐津姫が

 大事な話がある。

 鍵屋さんと一緒に来るように。

 って言っていましたが、

 なんでしょうか。

 この穂と関係しているのでしょうか」

金色のススキの原を見渡しながら尋ねると、

ポリポリ

鍵屋は頭を掻きながら、

『嵯狐津の裏に回れ。

 と言うことです』

と小さく言う。

「裏?

 ここには裏と言うのがあるのですか?」

『えぇ、

 見ての通り、嵯狐津野原は光に溢れています。

 そして、こことは別に

 光が届かないもう一つの嵯狐津野原があるのです。

 嵯狐津姫はそこにあなたを連れてくるよう、

 私に申し付けたのです。

 要件は…

 …恐らく、神域に絡んでのことでしょう』

「神域…ですか。

 では、話と言うのは

 レミングを嵯狐津野原に連れてきたことではなくて、

 里枝の件なんですね」

『恐らく』

「でも、なんで裏なんでしょう。

 こちらにお城があるんでしょう?

 嵯狐津姫のお城が」

嵯狐津姫がこの嵯狐津野原の城ではなく、

裏の嵯狐津野原に来るよう申し付けたことについて、

私は疑問を投げると、

『神域となると、

 あの件と絡んできますからね。

 となれば所轄は裏側になります』

「あの件?

 あの件って」

『それは追々。

 さて、

 先ほど私は400年前に

 人間が嵯狐津野原に来たことを言いましたが、

 さらに遡ること2000前にも

 別の人間が嵯狐津野原に来ているのです』

「2000年前にもですか、

 それってまさか」

『えぇ、

 徐福…臣下の道士です』

鋭い目線で私を見ながら

鍵屋は徐福の関係者が

この嵯狐津野原に来ていたことを言う。

ゴクリ

それを聞いた私は生唾を飲み下した。



「で、その臣下の道士と言うのは

 嵯狐津姫に会ったのですか?」

興奮した口調で私は鍵屋に尋ねると、

『いえ、

 嵯狐津姫には会いませんでしたし、

 会う必要はなかったのです。

 嵯狐津野原に来た道士には別の目的があったのです』

「目的?」

『嵯狐津野原の裏です。

 彼はそこに行こうとしたのです』

「また裏ですか…

 裏にはいったい何があるのです?」

『では、直接ご自分お目で確かめてください。

 光が届かない裏の嵯狐津野原とは

 どういうところなのか。

 もっとも人間界ではこちらの方が有名ですけどね』

そう言いながら

鍵屋は手にしている錫杖鍵の石突で地面を突くと、

ゴワッ

私の足元の影が口を開けるかのように広がり、

「え?

 なにこれ?

 わっちょちょっとぉ!」

瞬く間に私は影に飲み込まれてしまった。

そして、

『牛島さん。

 到着しました。

 目を開けてください』

という鍵屋の声に促されて閉じていた目を開けると

衝撃の光景が私の前に広がっていた。



「これは!」

目の前に広がる光景に

私は恐怖に体中を震わせながら声を上げると、

『えぇ、

 これがあの嵯狐津野原の裏側であり

 もぅ一つの姿です。

 こちらが本当の姿なのかもしれません。

 いかがですか。

 あなた方、人間が

 ”地獄”

 と呼んでいる世界を目の当たりにした感想は』

と隣に立つ鍵屋は涼しい顔でこの場所の説明をする。

「これが…地獄…

 本物の…」

『えぇ、そうです。

 ここに来るのは嵯狐津野原で浄化出来ずに闇に堕ちた亡者か、

 嵯狐津姫に認められた者のみ…

 牛島さん。

 あなたは嵯狐津姫に認められ資格を与えられたので、

 ここに来られたのですよ』

「認められたからって、

 嵯狐津姫はいったい何者なんです。

 妖怪の類ではないのですか?』

『まぁまぁ、慌てないでください。

 そのうち判りますよ。

 さて、あなたにまず知ってもらいたい歌があります』

「歌ですか?」

『はい、

 このような歌です。

 ”龍より生まれし下る理は、

  世満たし穢れ狐に至る。”

 ”狐にて全て払いし理は、
 
  天に登りし龍へ還る。”

 以上です』

「和歌…ですか?」

『えぇ、

 この歌の龍とは天の極を示し、

 狐は地の極を指しています。

 この世はこの天地2つの極に挟まれていまして、

 天の極・龍より生まれて流れ下った理は

 世を満たし穢れながら地の極・狐へと集まります。

 そして、狐にて穢れを落として龍に還るのです』

「はぁ、

 要するにこの世には”理”と言うものが、

 こう、天と地の間をグルグル回っているぞ。

 ってことを言っているのですか?

 じゃぁ、嵯狐津野原というのは、

 それでいう地の極、と言うわけですか」

『そうです。

 嵯狐津野原は地の極であり、

 あの場にて世の穢れを漉しとり、

 それを嵯狐津姫が浄化しているのです。

 そして浄化された理は天に昇華していくのです』

「はぁ…」

『でも、

 浄化できないものがあります』

「できないもの?」

『えぇ、執着に穢れ切ったた理・亡者です。

 亡者は嵯狐津野原では浄化できずに、

 嵯狐津野原の影よりこの地獄へと堕ちてしまいます。

 地獄に堕ちてしまったらもぅ浄化はできません。

 見ての通り、獄卒たちが堕ちてきた亡者を捉え、

 あのように処理をしているのです』

と鍵屋が指差した先では

厳つい鬼たちが堕ちてきた黒い塊を捉えると、

手にした金棒で叩きのめした後、

針の山や火の川で黙々と処理をしている様子が見て取れる。

「うっ」

黒い塊が人の姿に見えてしまった私は、

思わず吐き気を催してしまうと、

『大丈夫です。

 それが正常な感覚です。

 見ての通り、

 嵯狐津野原と地獄は表裏一体です。

 嵯狐津の影は地獄に通じ

 地獄の光は嵯狐津に通じています』

と鍵屋が説明をしたとき、

『おいっ

 そこで何をしている』

突然、野太い声が響くと、

ズンッ

ズンッ

地響きを立てながら、

金棒を担いだ鬼たちが迫ってきた。

「うわっ

 見つかった!」

私は声を震わながら逃げようとすると、

『逃げてはなりません。

 地獄で獄卒から逃げることは重罪です』

鍵屋と言いながら鍵屋は腕を掴む。

「そうなんですか」

彼の言葉に私は思わず体を硬直させると、

ズンッ!

目の前に鬼が聳え立ち、

『んーっ、

 なんだ貴様らは?』

覗き込むように顔を寄せてくる。

『どうも、お久しぶりです』

鬼に向かて鍵屋は澄ました顔で挨拶をすると、

『誰かと思ったら鍵屋じゃないか。

 何しているんだそんなところで、

 ん、そいつは…

 新しい亡者か?

 随分と活きが良いみたいじゃないか』

と言いながら鬼は私を見ると、

『おや?

 それは…』

何かに気付いたのか、

急に表情が変わると、

ビシッ!

『さっ、裁定役様であらせられますかっ

 大変失礼をいたしましたぁ!』

鬼はいきなり背を伸ばして敬礼をすると、

そそくさと立ち去って行く。

「へ?」

思いがけない展開に私は呆気にとられると、

『獄卒はあなたを裁定役として認識したようですね』

と鍵屋は言う。

「裁定役?

 なんですか、それって?」

『地獄の沙汰を下し仕置きをする役ですよ』

「沙汰…仕置き?」

『えぇ、あなたの胸に下がっている木札。

 お気づきですか?』

「え?

 あっ、なにこれ?

 こんなの無かったはず」

鍵屋の指摘に私は自分の胸元を見ると、

そこには”導”と一文字書かれた

名刺ほどの大きさの木札が下がっていた。

「導?

 なんですか?

 これ?」

木札を手にしながら不思議そうに見ていると、

耳に指していたハズのススキがいつの間にか消えている。

『”導”

 牛島さん、あなたはその文字に従って、

 地獄の沙汰を下し、仕置きます。

 それがあなたに求められているものです。

 では行きましょうか、

 この世界の嵯狐津姫のところに』

と鍵屋は言うと歩き出した。



「鍵屋さん、

 ちょっと待ってください」

先を行く鍵屋に私は話しかけると、

『なんでしょう』

と彼は振り返らずに返事をします。

「いや、

 いきなり裁定役だなんて言われましても、

 私には何のことなのかさっぱり…」

『嵯狐津姫は恐らく、

 先を見越してあなたにその役を下さったのでしょう。

 別に裁定役になったからと言っても、

 その役を完遂しなくてはならないと言う訳ではありません。

 する気が無ければ放置すればよいのです。

 でも、必要となる場面は

 向こう側からやってくるようになりますので、

 結局やらざらなくなりますけどね』

「えーっ、

 ただでさえ、仕事が忙しいのに」

『仕方がありません。

 これも縁ですよ』

「はぁ…

 ちょっと話は変わりますけ

 嵯狐津野原で鍵屋さんは、

 2000年前に徐福臣下の道士が嵯狐津野原の裏、

 ここ地獄を目指した。

 と言ってましたよね」

『はい』

「さっきの話では、

 ここ地獄に来ることができるのは、

 穢れを落とせずに堕ちてきた亡者か、

 嵯狐津姫に認められた者のみと言いました。

 で、その道士は来たのですか」

『はい、

 来てしまったのです。

 と言うより、

 強引に押し入ってきた。

 と言った方が正解です』

「強引って…

 そこまでして来たいところなんですかねぇ、

 ここって…」

鍵屋の返事を聞いた私は、

怪訝な表情で周りを見渡してみせる。



私の周囲の景色は、

赤茶けた岩肌が剥き出し、

針のごとく鋭くとがった山、

川面は血の色に染まり、

その中で半裸の獄卒たちが

黙々と堕ちてきた亡者たちを処理している。

まさに生命と言うものの存在に完全に否定した世界であり、

地獄図そのままだった。

「こんなところに…

 何の用事があって徐福の臣下は来たんだろう」

そんなことを思いながら歩いていると、

不意に光が差してきた。

「光?」

手を翳しながら私は光の方を見ると、

『その光は嵯狐津野原から差し込んでいるのです』

と鍵屋は説明をする。

「へぇ、

 地獄に光か…

 まるで天井から下がる蜘蛛の糸みたいだな」

スッ

と遥か上から差し込んでくる光の帯が、

小説にあった蜘蛛の糸を思い出させると、

『(徐福の臣下はあの光を伝って降りて来たんです)』

と鍵屋は小声で言う。

「(そうなんですか)」

その声に私も小声で返すと、

『よう、鍵屋。

 久しぶりだな』

と声がかけられた。

声がした方を振り返ると、

獄卒、いや鬼がにこやかに手を振っている。

『久しぶりです、カジさん』

鬼に向かって鍵屋は挨拶をすると、

その鬼の後ろには雑木林…いや果樹園が広がっていた。

「地獄なのに…

 樹が生えている」

生命など存在しない。

そう思っていた地獄で出会った果樹園に私は驚くと、

鬼は鍵屋と話しながら樹の手入れをはじめだす。

「結構、

 マメな鬼さんなんだな」

そう思いながら鬼を見ていると、

「え?」

あることに気付いた私は驚きの声を上げてしまった。

『どうした兄ちゃん。

 スイカ…食べたいのか、

 ほれ』

その私の声が聞こえたのか、

鬼は振り返り樹からもぎ取った木の実を私に差し出すと、

「この実は…」

鬼から手渡された実…

それはまさしく、

里枝が樹になってしまった元凶である、

あの木の実だった。

「そんな…」

私は走り出し生えている樹の一本一本を調べ始めた。

「まさか、

 この樹は、

 みんな、

 元は人間!?」

そう思いながら樹を調べるが、

しかし、どの樹にも顔のようなものはなく、

どこを見てもただの樹でしかなかった。

『ここに生えているのは、

 翠果(スイカ)の樹と言って、

 地獄の樹です』

樹を調べている私に向かって鍵屋は言うと、

「翠果の樹?」

私は立ち止まり振り返ります。

『えぇ、

 翠果の樹に生る翠果の実は

 獄卒・鬼たちの大好物でしてね。

 カジさんの果樹園は大繁盛なんですよ』

『おぉそうだ。

 俺が作る翠果は地獄一の旨さだ。

 しかもこの実を食べると不老長寿になる!』

鍵屋の説明を受けて鬼は胸を張って見せる。

「あはは…

 って不老長寿ってまさか」

鬼の言葉に私は驚くと、

『(えぇ、

  徐福臣下の道士は、

  不老不死の霊薬として、

  この翠果を盗りに来たのです)』

と鍵屋は耳元で囁いた。



鬼の果樹園を辞した後、

「鍵屋さん。

 これは私の想像なのですが、

 翠果の実を盗んだ道士は、

 あの光の帯を登って嵯狐津野原に戻り、

 そこから沼ノ端へと帰って行った。

 そして、不老不死の霊薬を探していた徐福に

 翠果の実を渡した」

と私は自分が推理したことを言うと、

『正解です』

鍵屋はそう答えます。

「けど、徐福は皇帝が待つ大陸には帰ってこなかった。

 なぜなら、帰れなくなったから…

 その理由は、

 徐福は翠果の実を食べてしまい。

 里枝と同じように樹になってしまったから。

 そっか、鬼にとっては只の果物である翠果の実だけど、

 人間がそれを食べると樹になってしまうんだ。

 樹の寿命は長く、

 ある意味、不老不死…そういっても過言ではない。

 かっ鍵屋さん!」

『推理が結構飛んでいますが、

 概ね合っています。

 道士が持ち帰った翠果の実を

 徐福は不老不死の効力を調べるため食べ、

 樹になってしまいました。

 そして、彼が大陸より連れてきた臣下達は

 樹になってしまった徐福を悼み悲しむと、

 後を追うように翠果の実を食べ、

 みな樹となってしまったのです。

 やがてそこは神域へと変わり、

 村の人たちは樹になってしまった徐福一行のために

 竜宮神社を建立したのです』

「そうだったのか…」

徐福から里枝までの糸が一本に繋がり、

その糸の先端に自分が居ることを私は実感すると、

「里枝…」

私は拳を握りしめがら彼女の名を呟く。



『お気持ちは判りますが、

 先を急ぎます』

声を殺して泣く私に鍵屋はそう言うと

やがて見えてきた建物へと向かっていく。

「ここに嵯狐津姫が居るのですか?」

目の前にそびえる巨大な建物を見上げながら、

私は鍵屋に話しかけると、

『はい、

 ここです』

と鍵屋は言う。

「でも…」

困惑しながら私が表札を見ると、

そこには

”閻魔大王庁”

の文字が書かれていた。



「閻魔って、

 やっぱりあの閻魔大王のことですよね。

 嵯狐津姫は閻魔様と関係があるのですか?」

鍵屋に質問をすると、

『んー…

 まぁ、関係があるといえばそうなりますか』

彼は複雑な表情をしながら、

頭を掻いて見せる。

「はぁ…」

鍵屋のその姿に私は一抹の不安を感じると、

『では行きましょう』

その言葉を残して鍵屋は

大王庁の正面玄関に向かって歩き出した。



ピッ

カシャッ

「人間界のセキュリティーですか?」

正面玄関に設置された認証器に

自分の木札を翳して通る鍵屋に続いて、

私も”導”の木札を翳して見せる。

すると、

ピッ

認証器の液晶画面に私のプロフィール全てが表示されると、

カシャッ

通行バーが開いた。

「すごい、

 いつの間に調べたんだ」

画面の情報を見た私は驚愕してみせると、

『閻魔帳と照合しているんですよ』

と鍵屋は言う。

「あぁ、なるほど。

 閻魔帳なら仕方がないか」

その説明に私は納得して見せるが、

「あの、

 閻魔帳ってオンラインになっているのですか?」

と鍵屋に尋ねる。

『えぇ、そうですよ。

 地獄はもとより、

 天界にも、

 人間界にも閻魔帳はオンラインで結ばれています』

「まっマジですか?」

『もっとも人間界からのアクセスは規制がかけられていますけどね』

「まぁそうでしょう」

鍵屋の説明を聞きながら閻魔大王庁に踏み込んだ私だったが、

エントランスホールから続くその内部は

まさに人間界のインテリジェントオフィスと

そっくりなことに再び驚かされた。

「なんか…

 ここって本当に地獄なんでしょうか、

 なんか、社員が鬼のコスプレをしている会社に来ているような

 そんな錯覚をしてしまいます」

書類を抱え、

首からセキュリティープレートを下げる鬼たちと

すれ違う度に私は自分の頭を叩いて見せると、

『あはは、

 地獄でも人間界の良いところはどんどん取り入れていますからね』

「そうですか?」

『理に囚われずに、

 様々なものを生み出していくことについては

 人間は非常に長けています。

 それ故に過ちも多いですが、

 でも、すぐにそれを乗り越えてしまう。

 知恵の実を人間に与えたことについて、

 天界ではたびたび論争になりますが、

 一方で恩恵も受けているのも事実です。

 特に地獄では…』

私の質問に鍵屋はそう答えたところで、

乗っていたエレベータが止まると、

私の目の前には巨大なパネルが聳え立つ

天井の高いホールが見えてきた。

「すごい…

 こんなのが地獄にあるんだ」

感心しながらホールに足を踏み入れた

私たちを出迎えたのは

『パターン、青っ

 ”猛者”ですっ』

『第一種、戦闘配置っ!

 関係各所に通知!』

『第二次防衛ライン突破されました!』

『ありったけの戦力をつぎ込め!』

『出し惜しみをするなっ』

『猛者、血の池エリアに向けて侵攻中』

『一般獄卒の退避完了!!』

『初号機、

 弐号機、

 射出準備完了!

 いつでも出せますっ』

『すぐに出して!』

緊張した空気と、

鬼たちの怒号と指示の声だった。



何事かと思いながら私はパネルを見上げると

尖った山の影から姿を見せた巨大な怪物が、

地上からの猛攻撃をものともせずに

地獄の中を移動していく様子が映し出されている。

「(なんですか、

  アレは?)」

パネルを指さして鍵屋に小声で話しかけると、

『地獄に堕ちた亡者が寄り集まって出来た”猛者”というものです。

 以前は鬼たちがそれこそ人海戦術で退治していたのですが、

 いまではこの様にして退治をしているみたいですね。

 随分と様変わりしたものです』

と説明をすると、

装甲を纏った巨大な鬼型決戦兵器が画面の端に姿を現した。

「閻魔大王庁って

 人間の命をやり取りしている

 証券会社のようなところと聞いていましたが、

 特務機関の作戦指揮所って感じですね」

程なくして始まった鬼型決戦兵器と

猛者との死闘の映像を横目で見ながら、

私はそうつぶやくと、

キンッ!

剣を構え猛者に突撃していった鬼型決戦兵器が

バリアのようなものに当たるや

いとも簡単に弾き飛ばされる。

「バリアー?」

『心の壁です』

「心の壁?」

『猛者はあのような心の壁で守られていまして、

 地獄の者にとってはそれが非常に厄介な存在なのです』

「なんで?」

『それは、

 猛者は浄化しきれず地獄に堕ちてきた人間の魂のなかで、

 もっとも強い心を依代にして

 固まったものだからです』

「はぁ…」

『まぁ、鬼の仕事は鬼に任せて、

 私たちは行きましょう。

 嵯狐津姫は上にいるそうです』

と鍵屋は言うと、

私たちは再びエレベータに乗り、

嵯狐津姫が居るフロアへと到着をする。

そして、ドアが開くと同時に

柱の無い広大な空間が私を出迎えたのであった。



つづく