風祭文庫・異形変身の館






「契約の代償」


作・風祭玲

Vol.775





闇夜に浮かび上がる古びれた寄宿舎。

かつてはバレエ学校に通う少女達の歓声が響き、

レッスンのピアノの音が響いた建物も、

いまでは住むものが途絶え、

朽ちようとしている。

そんな寄宿舎の角に

かつてレッスン室だった部屋があった。

そして、その部屋の中に

ポゥ…

何かの紋章を描くように蝋燭の火がともされると、

「・・・・・・・」

荒れ果てた床の上に描かれた魔法陣の上で、

血が滴る贄を前にして、

一人の少女が立てひざ姿で一心不乱に祈りをささげていた。

「・・・・・・・」

足に怪我をしているのだろうか、

少女の右足には痛々しくギブスが巻かれ、

またその両脇には松葉杖が置かれている。

「・・・・・・・」

祈り始めてから既に1時間以上が過ぎ、

少女の表情に疲れが見えたとき。

ゴボッ

贄から滴り落ちる血液が微かに泡立つと、

ユラッ

不意に目の前の蝋燭の火が揺れた。

そして次の瞬間。

ボボボボボ…

正面の蝋燭以外の火が一斉に消えてしまうと、

ジワジワと部屋の中を暗闇が支配してきた。

ズシン!

急激に空気は重くなり、

タラ…

威圧してくる闇の力に少女の頬に一滴の汗が流れ落ちて行く。

すると、



『…誰だ…

 わしを呼ぶのは…』



地獄の底から響いてくるような声が響いたのは、

それから程なくのことだった。

「!!っ」

響き渡った声に少女の顔に緊張が走り、

そして、

「悪魔よ…わたしに力をお貸しください…

 もはやあなた様しか頼れる者はいないのです」

と唯一灯りが点る蝋燭に向かって声を上げた。

『ほほぅ…

 わしを頼ってか』

その少女の願いに悪魔の声が返ってくると、

「はい、

 あなた様が望むものならば、

 わたしは全てをささげます。

 ですから、

 ですから、

 わたしに力をお貸しください。

 明日の舞台に立たせてください」

懇願するように少女はそう訴え、

深々と頭を下げた。

『ほぅ…

 それ程までしてわしに祈るか?』

それを見てか再び声が響くと、

「よろしくお願いします」

少女・敷島奈由は涙を流しながら返事をし、

「お願いです。

 わたしに力を、

 明日の舞台に立てる力を」

と懇願した。

すると

『よかろう…』

少し間を空け、

声はそう告げると、

「ほっ本当ですか?」

一筋の希望に縋るように奈由は声を上げた。

そして、そんな奈由の後ろで、

ボコボコ…

何か液体状の物体が沸き立つ音が響くと、

「!!っ」

奈由は慌てて振り返った。

すると何もなかったはずの床に上に泡を噴きながら、

粘性のある液体が姿を見せ、

見る見るそれは量を増やしていくと、

ヌーッ

泡の中からツルリとした円柱を伸ばし始めた。

そして、円柱の高さが女性の身長とほぼ同じになったとき、

グニィ

まるで粘土細工の如く円柱は歪み始め、

瞬く間に半透明の裸体の女性へと姿を変える。

「うそっ」

突然現れた女性の姿に奈由は思わず身を引くと、

ニッ

その女性の口元が緩み、

『何を怖がっているの?』

と鈴の音のような女性の声で尋ねてきた。

「え?」

思いがけないその声色に奈由は驚くと、

『ご主人様よりの言いつけでここに来た。

 お前が敷島奈由か?』

女性は目を開け、

瞳の無い漆黒の眼で奈由を見る。

「はっはい…」

てっきり声の主が自分に力を与えてくれるもの…

そう思っていた奈由にとって、

半透明の女性の登場は予想外のことだった。

すると、女性は音を立てずに奈由に近づき、

半透明の手を伸ばし、

立膝の奈由の顎を上げさせる。

『うふっ、

 お前の心の中は夜が明けた後に行われるバレエのことで満ち溢れている。

 そして、それに出られなくなった身の不幸を呪っている。

 ふふっ

 いいわぁ、

 その陰なる気に溢れた心と

 何かに縋ろうとするもぅ一つの心。

 わたし、そういうの大好きなの。

 さぁ、契約よ。

 わたしがあなたをバレエに出させてあげる代わりに、

 主に代わってあなたの大切なものをいただくわ、

 良ければ、わたしの手の甲にキスをしなさい』

女性は奈由にそう命じると、

「はい」

奈由は素直に頷き、

スッ

女性の半透明の手の甲にキスをした。

『契約完了…

 では、間もなく夜が明けるし、

 手早くしましょう』

契約を終えた女性はそう告げると、

ゴボッ!

いきなりその姿を解き、
 
スライムを思わせる不定形なモノへと姿を変えた。

そして、

唖然と自分を見てる奈由に近づくと、

シュルンッ!

ガボガボガボ!!

瞬く間に奈由に巻きつき。

その細い身体を己の中へと取り込んでしまった。

「!!!っ

 苦しい!」

スライム化した女性に取り込まれ、

呼吸が出来なくなった奈由は苦しみ藻掻くと、

『静かにおしっ

 同化できないだろう』

と女性の声が響く、

「え?」

その声に奈由が目を開けると、

シュワァァァァァ…

奈由を包み込んでいたスライムの女性が消え始め、

フッ

何も無かったの様に奈由が一人そこに座り込んでいた。




ザワザワ

ザワザワ

昼前、

開演時間が刻々と迫る中、

控え室では舞台衣装に着替えを者、

メイクに勤しむ者、

振り付けを再確認する者でごった返していた。

そして、着替えとメイクを終えた少女達が廊下に集まってくると、

「どうしましょう?

 大変なことになりましたわ」

「えぇ、

 疲労骨折ですって」

「あらまぁ、

 困りましたわねぇ…」

「今度の主役は敷島さんでなくては

 務まりませんですわよ」

と深刻な表情で奈由の話題をする。

すると、

「おはようございます」

挨拶の声が響き、

バックを抱えた野島美穂が姿を見せると、

「あらぁ野島さんっ!」

少女達は一斉に美穂の名前を呼び、

「聞きました?、

 敷島さんのこと?」

「疲労骨折ですってよぉ」

と話しかける。

だが、

「そっそうですかぁ?」

美穂はその会話に係わり合いを持ちたくなさそうに返事をすると、

「良かったですわね、

 これで、今日の主役はあなたに決まりですわね」

と嫌味たっぷりに言う。

「そっそんなぁ

 あっあたしは…」

その言葉に美穂は何か言い返そうとしたとき、

「だれが

 主役ですって?」

の声と共に奈由がやってきた。

「敷島さんっ」

「脚はよろしくて?」

「心配でしたのよ」

たちまち奈由の周りに彼女達が集まると、

一斉に骨折をしたという脚の心配をする。

すると、

「えぇっ

 大丈夫ですとも、

 ほらっ、

 ちゃぁんと歩いているでしょう?」

と奈由は美穂に向かって誇らしげに脚を見せ付けた。

「よっよかったですね…」

傷一つ無い脚を見せ付けられた美穂はハニカミながらそういうと、

「えぇ、

 ですから、

 今日の主役はわたしにお任せを、

 あなたは舞台の隅から見てると良いですわ」

イヤミたっぷりに奈由はそういうなり、

満面の笑顔で控え室に入ると、

その後を追って彼女達も入っていった。

「まぁ、いいか、

 やっぱり主役は敷島さんだよ」

そんな彼女達を見送った後、

美穂はそう呟くと、

自分に割り当てられた控え室に入っていった。



「ふふん、

 ふふん」

あれほど痛んでいた脚の痛みも消え

奈由は鼻歌交じりでメイクをする。

有名バレリーナの母親と資産家の父親を両親に持ち、

何不自由なく奈由はバレエの道を歩んできていた。

だが、そんな順風満帆の彼女のバレエ人生に待ったをかけた女が現れた。

野島美穂。

サラリーマンの父親に専業主婦の母親。

奈由からみれば吹けば消し飛んでしまいそうな家庭で育った彼女だったが、

しかし、そんな美穂が見せるバレエのセンスは抜群であり、

舞台監督などの評価も高かった。

無論、強力なライバルの登場に手を拱いているわけではなく、

奈由はアレコレ策をめぐらし、

事あるごとに彼女の芽を摘み取ってきたのである。

だが、今度の公演で奈由は主役に抜擢されたものの、

しかし、美穂もまた控えとして抜擢されたのであった。

突き放したつもりが、

気がつけば肉薄していた。

その焦りだろうか、

奈由はそれまで以上にレッスンに汗を流した。

だが、昨日。

レッスン中に脚に激痛が走ると奈由はその場に倒れてしまった。

診断結果は疲労骨折。

あまりにも急激且つ無茶なレッスンをしてしまったために、

奈由の身体が悲鳴を上げてしまったのであった。

「日ごろから地道にレッスンを積んで置けばよかった」

いくら後悔しても始まらない。

その一方で奈由は様々な手を尽くして、

早期治癒の方策を探し、考え、

そして、導き出したのは、

”魔術”に頼ることだった。

美穂には主役は渡せられない。

その一心で奈由は魔術を使い、

悪魔を呼び出すことに成功したのであった。



「では、わたし達は先に行ってます」

その声を残して取り巻きの少女達は衣装を翻して去っていくと、

「ふぅ…」

奈由の支度もほぼ終わり、

鏡の前には華麗なバレエ衣装を身に着けメイクを施した、

美しいバレリーナが座っていたのであった。

「うんっ

 大丈夫よ、

 大丈夫っ」

そう自分に言い聞かせながら、

コト

トゥシューズを鳴らし、

奈由は立ち上がろうとした。

その時だった、

シュワァァァァァァ…

いきなり奈由の身体から湯気のようなものが吹き上がり始めると、

ジュクジュクジュク!!

張り詰めていた肩や腕の肌に皺がより始める。

「え?

 えぇ?

 なんなのこれぇ?」

突然のことに奈由は驚くと、

『あぁら、残念。

 時間切れだわ』

とあの半透明の女性の声が響いた。

「時間切れ?

 時間切れってなんなのよ?」

それを聞いた奈由は女性に向かって聞き返す。

すると、

『なにって

 あなたの身体の限界が来たのよ。

 だから、わたしの術もこれまでね』

と女性は返事をする。

「そんなぁ、

 せめて、

 せめて、舞台が終わるまで」

徐々に身体が萎ませながら

奈由はそう訴えるものの、

『そんな事言ったって無理よぉ

 もぅ、あなたの身体はわたしの術を支えられる力は無いわ、

 だからね、

 潮時なのよ。

 さぁて、

 じゃぁあたしはご主人の下に帰るから、

 あなたからは頂くものは頂いていくわ』

女性はそう告げると、

シュワワワワァァァ…

奈由の身体から立ち上る湯気はさらに激しくなり、

ズズズズズズ…

まるで空気が抜けていくように奈由は急速に萎み、

スルッ

萎んでいく肩から衣装の肩紐が外れてしまうと、

ゴトッ!

肉と骨が消えた脚より穿いていたトゥシューズが脱げ落ちる。

そして、さっきまで座っていた椅子の上に

奈由だった皮と衣装が折り重なり始めると、

ブランッ

中身を無くした腕の皮が椅子から垂れ下り、

パサッ

張りを無くしたメイクの顔がその上に落ちる。

『誰か、

 誰か助けて…』

シュゥゥゥゥ…

ゆっくりと顔が潰れていく感覚を感じながら、

奈由は助けを呼び続けるが

次第に口が動かなくなり、

顔から厚みが消えてしまうと、

バレエ衣装に半ば埋もれている人の皮が残っていたのであった。

『うふっ、

 聞こえる?

 あなたの肉と骨、そして血は全て代償として頂くわ。

 それと、これはあたしからのサービスとして、

 少しの魔力をあ・げ・る。

 うふふふっ

 心と皮だけじゃ何も出来ないものね』

椅子の上で血肉を失い

皮だけになってしまった奈由に女性の声が響くと、

フワリ…

奈由の皮が浮き上がり、

そして、衣装と共に何処へと消えていった。

こうして敷島奈由はその日限りでバレエ団から姿を消し、

公演は野島美穂が立派にその代役を果たしたのであった。



それから月日が流れた。

深夜、懐中電灯の明かりが動くと、

「ねぇ、ここってお化けが出るんでしょう?」

と少女の声が響く。

「あはは、大丈夫だって」

そんな少女を宥めるように男の声が響くと、

ギィ…

古びれた寄宿舎のドアが開いた。

コツ

コツ

怯える少女を背後に回し、

男は廊下を進んでいくと、

かつてレッスン室だった部屋にたどり着いた。

「ここかぁ」

そう言いながら男はドアを開けるが、

鍵は壊れているらしく、

ドアはまるで招き入れるかのように音も無く開く。

「ここってなんなの?」

怯える少女は男に部屋について尋ねると、

「あぁ、ここでな、

 お化けよく目撃されるんだよ、

 なんか、白いものがフワフワと…」

と説明をする男の声が途中で途切れてしまうと、

「やだぁ、

 話を止めないでよぉ」

少女は涙声を言いかけるが、

その少女の顔が一気に凍りついた。

『丁度良かったわ、

 そこのあなた達…

 あたしを着てくださらない?。

 もうすぐ舞台の幕が上がるのよ』

二人に向かってそう話しかけるバレリーナ…

いや、バレエ衣装を身に纏った人の皮が宙に浮かんでいたのであった。



おわり