風祭文庫・モラン変身の館






「夫の本心」


作・風祭玲

Vol.1049





「じゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

毎朝繰り返される夫との会話。

この会話がその日の朝、交わされる唯一のものであり、

毎日、

毎日、

代わり映えのしない短い会話を

私はオウムの如く繰り返しています。



夫とは見合いで知り合いました。

地方公務員…

そのネームバリューが持つ将来への安全性、

この一点で私の両親は乗り気になり、

半ば押し流されるように私は夫と結婚をしました。

お見合いしたときもそうでしたが

夫は口数の少ない人でした。

いえ、口数が少ない。と言うより、

自分の考えを人に知られたくない。

そう思っているようでした。

他人ならいざ知らず、

妻である私にも夫は心を閉ざしているのです。

いったいこの人は何を考えているのかが全く判りません。

いえ、生活費はちゃんと入れてくれますし、

お金で苦労しているところは全くありません。

でも、夫と心が全く通わないのです。

え?

性生活ですか?

それは…

私の求めに応じてちゃんとしてくれます。

でも、私が求めたときのみであって、

決して夫からは求めることはありません。

それに、私としているときも、

どこか事務的といいますか、

心がこもっていないのです。

心がないセックスほどつまらない物はありません。

そんなセックスをするくらいなら、

女性用のバイブレーションで諌めたほうが何倍もマシです。

だけど、私の周囲はそんな夫をほめるのです。

確かにそうでしょう。

他人が見る夫は非の打ち所がない立派な人なのですから。



1年目の結婚記念日も、

2年目の結婚記念日も、

これといったイベントはなく、

淡々と過ぎていきました。

夫の両親が資金を全額出して建てて貰った自宅。

将来子供ができても良いように子供部屋も用意してあります。

でも、まだその部屋の主は居ません。

仕方がないでしょう。

あのような心がないセックスでは子供ができるはずがありません。

一体、夫は何を考えているのか、

あの済ました顔の奥に潜む願望とは何か、

私は知りたかったし、

教えて欲しいのです。

もし、それを知ることができれば

いまの退屈な日々はきっと変わると思うのです。



そして、そんな日々に変化が訪れる出来事が、

突然やってきたのです。

きっかけは宅配屋さんが持ってくる、

ネット書店からの配送品でした。

『海風に揺れる一輪の華っ!』

つけていたTVから聞こえてくる音をバックに

「ありがとうございました」

去っていく宅配屋に向かって私は頭を下げますと、

届けられた箱を見ます。

それはいつも夫が利用しているネット書店のもので、

箱を持ってみると意外と重量があります。

私が知っている限り、

重い本といえば辞書ぐらいです。

でも、箱の大きさは辞書と言うには

大きくて、薄いものでした。

「辞書…

 じゃないよね。

 だとしたら何?」

私は無性に中身が知りたくなりましたが、

でも、箱の封を破る訳には行きません。

このまま置いて置いても仕方がないので、

夫の書斎へと運び、

机の上に置こうとしたとき、

箱が机から滑り落ちてしまったのです。

「あっ」

私は声を上げて受け取ろうとしましたが、

でも、重量のある箱は指先を弾いて床に落ちてしまうと、

音を立てて封が破れてしまったのです。

「やっちゃったぁ」

後悔しても始まりません。

封が破れた箱を拾い上げますと、

中から一冊の本が出てきました。

それは表紙を外国語が飾る写真集のようなものでした。

「?」

手にとって中をあけてみると、

そこに描かれているものに私は声を失いました。



どのページもアフリカの奥地で裸の姿で暮らしている、

野生部族の男達や女達の姿が納められていて、

ページごとに英語の注釈がついています。

ポルノ…と呼ぶにはお門違い。

どちらかと言うと学術書と言った面持ちの本のページをめくりながら、

ふと、こんな肉食的な逞しい男の人に抱かれたいな…

そんな妄想が私の心の中を駆け抜けていきます。

しかし、すぐに頭を横に振りますと、

役所で事務をしている夫との接点が見つかりません。

あの人ってこういう学部、出ていたっけ…

夫の個人情報についてスルーしてきたため、

なぜこの本を買ったのが理由がわかりません。

「なんで、こんな本を買ったのかしら…」

そう思いながら

一日中この本のばかり事を考えていると、

夫が帰宅してきました。

「あのぅ…」

帰宅した夫に私は声を掛けますと、

「あなた宛に本が届いたのですが、

 その、箱が破れてしまいまして」

とすまなさそうに言いながら、

破れてしまった箱と本を差し出します。

すると、

一瞬、夫の表情が動き、

「そっそうか」

そう言って本を手に取ると、

本を調べるよりも、

私の顔を伺うように見ます。

「あのぅ、

 なにか?」

そんな夫の表情を見たことがなかったので、

私は小首を傾げながら聞き返しますと、

「いや、なんでもない。

 箱は…捨てていいから」

そういい残して夫は書斎へと入っていったのです。



夫は明らかに動揺していました。

確かにあの本がポルノの本なら私も小言の一つは言ったでしょう。

でも、見るからにあの本はお堅い本。

私が口を挟める筋合いのものではありません。

ただ、夫がなぜあの本を買ったのか、

その理由を聞きそびれてしまいました。

その後、何回か夫と口を利くチャンスはありましたが、

なかなか本の事は言い出せずに時間だけが過ぎていきました。

そして、

「おやすみなさい」

書斎であの本を眺めている夫の背中に向かって、

私はそう声を掛けますと、

一人ベッドに入ります。

けど、なぜ夫はあの本を買ったのか

その理由がどうしても知りたくなった私はベッドを抜け出すと、

夫の書斎へと向かったのです。



書斎の明かりはまだ点いていました。

微かに開いていたドアから明かりが漏れる書斎を覗き込むと、

「え?」

なんと、夫はあの本をオカズにしてオナニーに耽っていたのです。

私は声を出すことができませんでした。

目を凝らしてみると、

夫がオカズにしているのは、

見開いた片方に黒々とした男達が格闘を行い、

もぅ片方にその男達を煽るように女達が乱舞しているページでした。

「この人って…

 こう言うのが好きだったのか…」

これまで見せたことがなかった彼の心の一部を私は見てしまったのです。

そして、何も言わずにベッドの中へと戻ると、

夫はどちらのページを見てオナニーをしていたのかが気になってきました。

「やっぱり、女の人を見ながらだよね」

「でも、男の人だったら、

 あの人、そっちの趣味があったのかしら」

「ううん、きっと女の人よ。

 だって、あの写真の女の人って

 私よりもずっとプロポーション良いし」

私の頭の中を色々な考えがグルグル回り始めます。

そして、ようやく眠りに入った頃、

私は目覚まし時計に起こされたのでした。



「いってくる」

「いってらっしゃい」

夫はオナニーの事を私に見られていたなんて知らずに出勤していきます。

一方、私は相変わらず昨夜の事が頭から離れず、

家事は捗りませんでした。

「あぁん、もぅ

 どっちなのよっ」

書斎であの本を開いた私は

左のボディペインティングを施した筋肉質の男達が互いに格闘するページと、

右のオッパイむき出しの女達が肌を輝かせながら踊るページ

この双方に向かって怒鳴り声を上げます。

と、そのときでした。

ピンポーン!

玄関のチャイムの音が響き渡ったのです。

「はーぃ、どちらさまで」

声を上げて私はインターホンに出ますと、

『業屋と申します。

 現在、訪問販売をしておりまして』

初老の老人が手もみをしながら

インターフォンに向かって話しかけているのがモニターに映し出されます。

「えぇ、

 そういうのって間に合っていますが」

一抹の胡散臭さを感じた私はそう断りの返事をしますと、

『然様でございますか。

 いえ、お宅様から人の本心を知りたい。

 と言うような気配を感じましたので、

 お伺いしたのですが』

と老人は話します。

「え?」

老人のその言葉に私はハッとすると、

「ちょっとだけなら

 話を聞いても良いですよ」

そう言ってドアのロックを外しました。



老人の名前は業屋九兵衛と言って、

どんな願いも叶えてくれる。

と言うのがふれこみらしい。

「まっ、そういう話は話半分にしておきましょう」

業屋が差し出した名刺を手に私はそういいきると、

「いやいや、

 先に一本取られましたね」

業屋は笑って見せますが、

すぐに、

『拝見したところ、

 奥様は旦那様と上手く行っていないご様子』

と私と夫との関係を言い当てます。

「なんで?」

そのことを私は聞き返しますと、

『いえ、わたくしは鼻が利きましてね。

 そういう空気でこの屋敷は満ち溢れているいのが判ります』

と話します。

「はぁ」

『ひょっとして、

 旦那様のご本心が判らないとか』

「なぜそれを」

『わたくしは鼻が利きますので』

驚く私に業屋は再度同じ事を言いますと、

『さて、ものは相談ですが

 この解決方法として良いものがあります』

と提案してきました。

「良いもの?」

『はいっ、

 この商品・キボウカナエールは

 相手の本心が知りたい。

 などとそう思った場合、

 相手が考えていることを実現化させるものです』

業屋はそう説明しますと、

「実現化させるって、

 出来るのですか、

 そんなことが」

『はいっ

 どんな望みでも叶えて差し上げますので』

驚く私に業屋はそう言って笑みを見せます。

そして、

『ただし、一つ条件があります。

 あなたにとって、

 それを叶えることが、

 ご自分の人生を賭する価値があるのか。

 ご自分の人生を賭ける価値があるのか?

 と言うことです』

と私に問い尋ねます。

「それは…」

業屋の問いかけに私は押し黙ってしまいますと、

『わたくしがご提案しましたこの商品には

 御代と言うものはございません。

 御代はあなた様の未来です。

 あぁ、未来と言っても、

 あなた様の人生を奪い取るわけではありません。

 人は幾重にも伸びる未来を1本だけ残して

 それ以外は常に切り捨てております。

 その取捨選択の際に、

 わたくしどもが関与させていただき、

 不要になった未来を頂いていくわけです。

 もちろん、その代償としまして

 こちらの商品を提供させてもらうわけでして、
 
 ある意味、廃品交換…っといいますか、

 そのようなものです、はい』

と説明をします。

けど、私には何のことなのか判らず、

ただ頷いていますと、

『で、いかがなさいますか。

 こちらの商品・キボウカナエール

 お使いになりますか?

 あなた様の人生を賭して』

と業屋は尋ねます。

いま私は夫の心の扉に手を掛けています。

もし、夫の心の扉を開くことができれば、

これまでの乾燥した夫婦生活に

潤いをもたらす事ができるかもしれません。

そう考えた私は業屋が差し出した

キボウカナエールを手に取りますと、

「じゃぁ、

 これを頂きます」

と告げたのでした。



『毎度ありがとうございました』

そう言い残して業屋は去っていきました。

私の手にキボウカナエールを一つの残して、

そして、わたしはすぐに夫の書斎へと向かうと、

あの本のあのページを開き、

キボウカナエールの蓋を取ったのです。

そして、

「お願い、

 夫が興味を持っているものを私に教えて」

と願ったのです。

すると、

カッ

周囲がまばゆく光り、

バッ!

私は着ている服がはじけ飛んでいきます。

さらに

ビクンッ

ビクンビクンッ

私の体が2・3度痙攣をすると、

メリメリメリメリィ

体全体がグルリと裏返っていくような

そんな感覚に陥ってしまうと、

気を失ってしまいました。



どれくらい気を失っていたのでしょうか、

「うん?」

目を覚ましますと、

私は夫の書斎で倒れていました。

「うーん」

クラクラする頭を抱えながら起き上がりますと、

「え?」

目に飛び込んできた自分の右手の肌は真っ黒に染まり、

手には縄のようなものが巻かれています。

「これって?」

驚きながら視線を体へと移動していくと、

私の体の右半分は黒い肌が光り、

左半分にはその肌の上に黄色の土の様なものが塗りこめられていたのです。

そして、

股間からは

グンッ!

夫のものとは比べ物にならないサイズの男性の性器が聳え立っていたのです。

「うそっ、

 なにこれぇ?」

黒い肌と黄色の土、

自分の股間から生えている男性器。

それらを見た私は飛び起きますと、

部屋の様子が違って見えます。

「え?

 え?

 え?」

頭の上にあったはずの鴨居が目線の下にある様子に

私は目をパチクリさせた後、

あの本を抱えて

頭をぶつけないようにしながら書斎を飛び出すと、

股間の男性器をペチペチ撥ねさせながら、

自分の化粧室へと向かいます。

そして、そこに置いててある姿見に自分の体を映し出した途端。

「そんな…」

私は声を失ってしまったのです。

鏡に映し出された居たのは、

あの本の男のページの真ん中で屈強の男を組み伏せていた、

黄色い土で体をペインティングしている裸体の野生戦士、

そのものだったからです。

「そんな…

 あの人は、

 この姿を見ながらオナニーをしていたの」

衝撃の事実に私は落胆して座り込んでしまいました。



姿見に映し出される自分の姿は、

見る人によってはおぞましく見えると思います。

身長2m近い漆黒の筋肉質の体と長い手足。

その体に施された体半分を覆うボディペインティング、

頭は泥で塗り固められ、

鳥の羽が飾りのように付けられています。

顔は黄色の土の他に黒い土で付けられているアクセントによって、

悪魔か歌舞伎役者のような面持ちになっています。

誰が見ても未開の地の野蛮な戦士の姿に他ありません。

「どうしよう…

 こんな姿になって」

このときになってあの業屋が言っていた言葉を思い出されます。

未来を頂くって、まさかこんなことに…

どうすることも出来ない絶望が私を覆いつくしますが、

時はそんな私を待ってはくれません。

がっくりと項垂れながら、

私は途方にくれていると、

「ただいまぁ」

玄関から夫の声が響いたのです。



「え?」

その声に私は驚きの声を上げて時計を見ますと、

夫が帰宅する時刻を時計は指していました。

「そんなぁ」

もはや誰に見つからずに逃げ出すことも出来ません。

「おーぃ、

 居ないのかぁ?」

部屋の明かりもつけず、

返事も返ってこないわたしの訝ってか夫の呼ぶ声がします。

会話のない鬱陶しい存在だったはずの夫の声に、

私はつい涙を流してしまいますと、

ヨロヨロ

と立ち上がり、

玄関へと向かいます。

そして、野生戦士の姿のままで夫の前に立ったのです。

「えっ」

自宅の奥から出てきた漆黒裸体の野生戦士の姿を見て、

夫は唖然としています。

自分がオナニーのおかずにしていた、

その野生戦士が本の中から出てきたかのように姿を見せたのですから、

無理はありません。

そんな夫を見ながら私はその場に膝を折って座ると、

そして三つ指を着きながら、

「お帰りなさいませ、あなた。

 わたしはこの本の通り

 あなたが興味を持っている姿になってしまいました」

と話を掛けたのです。

「その声…

 まさか」

私の声を聞いた夫は呼び指しながら問い尋ねると、

「はい、

 私のこの姿でオナニーのオカズにしていたんでしょう。

 だからわたしはその姿になったのです」

そう言います。

「そっそんなバカな」

なおも信じられない様子の夫の股間は大きく盛り上がり、

ズボンに見事なテントが出来上がっています。

間違いありません。

夫は私のこの姿を見て興奮しているのです。

「あなた…

 あなたは、ひょっとして

 男性同性愛者なのですか?」

そんな夫に私は問う尋ねますと、

「ちがうっ!」

夫は力強く否定します。

「でも、

 私は男…

 野生部族の男なのですよ、

 そんな私を見て興奮するのは、

 男性同性愛者ではないのですか」

そう問いただすと、

「どういう事情でそうなったのかは判らないけど、

 おっ俺は…

 男性なら誰でも良いわけではない。

 あっアフリカの

 野生戦士の姿に興奮するだけなんだ」

と答えたのでした。



男性のフェチと言うのは理解出来ません。

夫が言うには、

アフリカの奥地で暮らす、野生部族の戦士に強く引かれるものがあって、

それ故にその戦士の写真を見ながらオナニーをしているとのこと、

私が突然変身してしまったことについては、

嬉しいものある反面、

子供もまだの状態でこの先どうしたらよいのか混乱している。

との事でした。

「なぁんだ、そんなことだったの」

ハッキリ言ってしまえばその程度の事でした。

でも、それを知るには高い代償を払ったかもしれません。

私はすでにその野生部族の戦士になってしまったのですから、

でも、悲観することはありませんでした。

私の変身については面白いことがわかったのです。

あの本にある一定距離に近づくと、

私は野生部族の戦士に変身してしまい。

離れると元の女性に戻るのです。

つまりあの本に近づかなければ問題は起きないのです。



そのことが判った私達は、

夜になると、

「おいっ、

 いっいいかな」

あの本を手にした夫は

部屋の外から私に話しかけますと、

「はいはい」

わたしはそれに答えるようにして夫の書斎へと向かいます。

そして、書斎に入ると、

あの野生戦士に変身して、

オナニーをする夫の前で、

ボディペインティングされた漆黒色の肉体を披露するのです。

夫の本心を知ったことで、

私たち夫婦は絆を深めることができ、

二人の間に吹いていた隙間風はいつの間にか消えていたのです。



「ねぇ、あなた。

 子供ができるまでよ。

 こういうことは」

「良いじゃないか、

 おいっ

 もっとちゃんと見せろ、

 そこはこうだ」

「ちょっと変なところ触らないで」

「いいじゃないか」

「もぅ」



おわり