風祭文庫・モラン変身の館






「オレンルガイの槍」
(第1話:狙われた村)


作・風祭玲

Vol.802





『ガホッ

 ゲホゲホッ』

シンと静まり返った洞窟内に激しく咳き込む声が響き渡ると、

『だめよっ、

 おとなしく寝てなきゃ』

あたしはそう言いながら慌てて駆け寄っていく。

アフリカ・サバンナ…

そのサバンナの一角に聳える岩山があり、

その一角にある洞窟にあたしは居る。

何でこんな所に来てしまったのか、

ここで一体何をしているのか、

考え出したらキリが無いけど、

でも、あたしの足元には痛々しく包帯を巻いた、

サバンナの戦士・モランが横たわっていて、

あたしは彼の看病をしているのである。

『はぁはぁ

 はぁはぁ』

黒い肌を噴出す汗で光らせ、

モランは苦しそうに息をすると、

『しっかりしなさいオレンルガイっ

 あなたは戦士でしょう』

とあたしは声を張り上げた。

だけど、

ジワッ

彼の胸からお腹にかけて巻いた包帯には赤い血が滲み出し、

時間の経過と共に徐々に大きくなっていた。

「どうしよう…

 このままじゃぁ」

彼が負っている傷はとても深く、

とこか設備が整った病院で治療を受けないと助からないのは明白だった。

でも、女のあたしの手では彼をこの洞窟に運び込むのが精一杯で、

助けを呼ぶにもケータイなどは通じるはずも無く、

さらにあたしたち以外の人影などは皆無であった。



「え?

 マサイ族の狩りが原因でライオンが絶滅の危機?」

それは3週間前のことだった。

東京の雑誌社で契約記者兼カメラマンであるあたしは、

今度創刊される動物写真雑誌の打ち合わせをしていたとき、

「明美ちゃんっ、

 コレ知っている?」

と編集長から外電の記事に思わず目を見張った。

「そんなぁ

 それは確かにマサイはライオンを狩りますが、

 でも、あくまで儀式的なもので、

 絶滅をさせてしまうほど無茶じゃないと思います」

記事を読んだあたしはそう抗議すると、

「ふーん、そうか、

 じゃぁさっ、

 自分の目で見て見てこない?

 マサイがどういう狩をしているのか」

と編集長は目を輝かせながらあたしに迫った。

「えぇ!」

まさに青天の霹靂。

「新雑誌の目玉記事にするからさぁ」

続いて飛び出してきたその甘言に

あたしは背中を押させるように成田を飛び立ち、

そして、サバンナに降り立ったのであった。



「うひゃぁぁぁ!!

 地平線だよ」

サファリカーの天窓から覗き見たサバンナの景色にあたしは感動をしていると、

「気をつけてください」

とハンドルを握る現地のガイドが流暢な日本語で注意をした。

「え?

 なんで?

 クルマの中に居れば動物は襲ってこないはずだけど」

その注意にあたしは聞き返すと、

「獰猛なライオン・シンバが出没しているんですよ、

 この近くの村々では結構被害が出ているんですよ、

 家畜が襲われた。

 人が襲われた。ってね」

そうガイドは言うと、

「さらにクルマまで襲ったって聞くから、

 窓は絶対に開けないで下さい」

と付け加えた。

「うそぉーっ

 これじゃぁ、折角サバンナに来た意味が無いじゃない」

その言葉にあたしは悲鳴を上げると、

「あはは、

 そんなにガッカリしないで下さい。

 この近くにマサイの村がありますのでちょと寄っていきますか」

ガイドはそんなあたしに構わずにクルマを進める。



「うわぁぁ、

 コレはひどい…」

あたしとガイドが向かったマサイの村には人の気配は全く無く、

壊れた土壁の家、

白骨化した家畜の死体が無造作に捨てられていた。

「うーん、

 ひと月前にシンバに襲われたと聞いていたが、

 どうやら、村を捨てたみたいですね」

村の様子を見ながらガイドはそう説明をする。

「捨てた?」

すぐにあたしは聞き返すと、

「シンバは一度目をつけると幾度も襲ってきますからね、

 こういう場合、村を捨てて新しい所に行ったほうが良いんですよ。

 ただ、ここは血気盛んなモラン達が多くて、

 シンバを迎え撃つって息巻いていたんだけどなぁ、

 ひょっとして…」

ガイドは事情を話しながら何かに気付くと村の中を歩き始めた。

そして、ある小屋の裏に回ったとき、

「!っ」

何かに驚く素振りを見せた。

「何かあったんですか?」

そんな彼の姿を見てあたしが駆け寄ろうとすると、

「ダメ、ココには来ない方がいい」

とガイドはあたしを制止しようとするが、

そんな彼の行動にあたしもピンとくると、

構わずに駆け寄って行く。

そして、小屋の裏側に回ったとき、

「きゃっ!」

目に飛び込んできた惨状に思わず顔を背けた。



5人、いや10人はいるだろうか、

手に槍を持ち、

原色系の飾り物で頭や胸元も飾ったマサイの戦士・モランと思える死体が

白骨化した状態で倒れていたのであった。

「シンバの仕業ですね」

死体を見ながらガイドはことなげに言う、

確かにどの死体も何か強い力がかかったのか露出している骨は無残に折れ、

また噛み砕かれたように割れた頭蓋骨もあり、

素人目で見ても彼らが猛獣に襲われたのは間違い無かった。

「ひどい…

 他の村人達は?」

息絶えたモランに手を合わせながら

あたしは村人達の安否を気遣うと、

「他に争ったり、

 襲われた形跡が無いみたいですから、

 村人達は事前に他所に移り、

 モラン達のみが待ち構えていたみたいですね」

とガイドは言う。

「そうなんだ…」

それを聞いたあたしは少しホッとしながらも、

無念の最後を遂げたであろう死体に手を合わせる。

とそのとき、

手を合わせていた死体の手の先で、

一本の槍が地面に突き立てられていることに気付くと、

あたしは腰を上げ、

何気なくその槍に手を触れてみようとした。

すると、

グラッ…

まだ指が触れていないのに突然槍があたしに向かって倒れ始めると、

「あっ!」

パシッ!

槍の柄があたしの手の中に納まってしまった。

「どうしたのですか?」

あたしの声を聞きつけてきたのか、

ガイドがあたしの傍によってくると、

「これが…」

そう言いながらあたしは倒れてきた槍を見せる。

その途端、

「え?」

ガイドは驚きながらあたしと槍を交互に見て、

「あなたが抜いたのですか?」

と尋ねてきた。

「ちっ違いますっ、

 いきなり倒れてきたんですっ」

その問いにあたしはそう力説すると、

いきなりガイドは周囲をキョロキョロと見回し、

そして、

「その槍を急いで元に戻して、

 モラン達に見つかったら大変なことになる。

 そして、すぐにココから離れましょう

 シンバがあたしたちに気付くかもしれません」

と言うなりあたしの手から槍を取り、

元あったように地面に刺すと、

すぐにクルマに戻ろうとした。

だが、

ウルルルルル…

「ひっ!」

「きゃっ!」

村の外れに止めてあったサファリカーの傍に、

身長は2m以上があるであろうか、

大柄なライオンが一頭座っていて、

村から出てきたあたしたちを睨みつけた。

「シンバ!!」

ライオンを見たガイドはそう叫ぶと、

回れ右をして全速力で飛び出していく、

「あっちょっと!」

瞬く間に小さくなっていくガイドをあたしも追おうとするが、

グワッォ!

そんなあたしを威嚇するかのように、

ライオン・シンバはひと吼えすると、

ゆっくりとあたしに近づいてきた。

「ひぃっ

 あっあたしが目当てなの?

 そんな…

 あたし食べても美味しくは」

震える足を引きずりながら、

あたしは村に引き返すが、

シンバもまたあたしを追って村に入って来た。

「いや、

 いや、

 いやよ、

 ここで死ぬだなんて、

 まだ25よ!、

 男も何も知らない処女の身で命を散らすなんて、

 いやっ!」

涙を流しながらあたしはそう叫ぶと、

ハシッ!

さっきの槍を地面から引き抜き、

シンバに向かって構えた。

ルルルルル…

鬣の効果もあってか、

巨大な顔と金色の目でシンバはあたしを睨みつけ、

まるで品定めするかのように右へ左へと身体を動かす。

その一方であたしは泣きじゃくりながらも、

「誰が…死ぬもんですかぁ」

構えた槍の剣先を下に下げ、

シンバの動きに身体をシンクロさせた。

学生時代、

3ヶ月間だけ在籍した”なぎなた部”での稽古の成果が

こんなところで発揮できるとは思ってもいなかったが、

でも、あたしは死にたくない。

という一心でシンバが隙を見せるときを待った。

瞬き一つ出来ないにらみ合いの時間が過ぎていく、

と、そのとき、

村はずれからエンジン音が響いた。

どうやら逃げ出したガイドが戻り、

サファリカーに駆け込んだらしい。

「あっ」

その音にあたしの注意がそれると、

ダッ!

シンバがあたしに向かって突進してきた。

あたし同様、

シンバもまたあたしが隙を作るチャンスを狙っていたのであった。

「しまったっ」

後手に回ってしまったあたしは攻撃をチャンスを失い、

それどころか、猛獣を相手に防戦をするハメになってしまった。

「ひぃぃぃ!」

毛に覆われた太い前脚と尖った爪が迫る中、

”だいじょうぶ…”

あたしの耳にそんな声が響くと、

それと同時に

スッ!

槍を握るあたしの手の上に透き通った黒い手が重ねらた。

その途端、

グッ!

あたしの手に力がこもり、

槍を咄嗟にその前足に絡ませると、

そして、力を全て振り絞って一気に振り上げた。

するとシンバの前脚はあたしの前から弾かれ、

あたしに襲い掛かろうとしていた爪は視界から消えるが、

代わりに体制を崩したシンバの背中が

あたしに向かって突っ込んできた。

確かな記憶があるのはそこまでである。

なぜなら次の瞬間には

ドシン!

シンバの体当たりを受けたあたしは

ものの見事に弾き飛ばされてしまうと、

宙を舞ってしまっていた。

”こんなところで死ぬだなんて…”

サバンナの青い空を見上げながらあたしはそう思うが、

なぜか走馬灯を見ることはなかった。



『おいっ

 おいっ』

遠い向こうから男の声があたしに呼びかけてくる。

”あれ?”

”誰かが呼んでいる”

”男の人?”

”あはっ、じゃぁここはあの世なのかぁ”

幾度も呼びかけられる声にあたしはそう思っていると、

バシャッ!

いきなり液体のようなものが顔に掛けられた。

そして、その次に漂ってきた強烈なアンモニア臭に

ハッ!

あたしは目を覚ますと、

「くさぁぃぃぃぃ!」

と声を上げながら飛び起きてしまうが、

『おぉっ!!!』

と同時に何かに驚く声が響くと、

あたしの前に黒い顔が迫った。

「うわっ」

突然のことにあたしは悲鳴を上げると、

『おわっ!』

その黒い顔も驚きの表情を見せる。

「え?

 あれ?

 あたし?

 なにを…」

周囲をキョロキョロを見渡しながらあたしは記憶を整理すると、

『お前こそ、

 ここで何をしていた』

とさっきの黒い顔が現地の言葉で尋ねてきた。

『え?

 あなたは…』

その言葉に合わせてあたしは聞き返すと、

『ここは僕の村だ。

 この僕の村で君は何をしていたんだ。

 と聞いている』

と顔は頭に付けている原色の飾りを揺らしながら尋ねた。

『え?

 あなたの村?

 村…

 そうだ、シンバは?

 あたしを狙っていたシンバは?』

ようやく記憶が繋がったあたしは槍を抱えながら立ち上がると、

既に日は暮れかけていて、

人気の無い村は闇に包まれようとしていた。

『あっ、

 どこか行っちゃったんだ』

命をかけて対峙していたライオン・シンバの姿が無いことに、

あたしはホッとしながらその場に座り込むと、

『その槍、

 ムシルのだ』

と朱染めの衣・シュカを身体に巻き、

赤く染めた髪を結い上げたマサイの戦士・モランはあたしに言う。

『え?

 そっそうなの?』

その指摘にあたしはハッとして

手にしていた槍をあの白骨死体のところに戻そうとすると、

『戻さなくていい、

 お前はその槍をムシルから引き継いだのだ。

 そして、シンバと戦った』

とモランは地面に残るシンバの足跡に鼻を近づけていた。

『臭いを嗅いでいるの?』

モランの行為の意味にあたしは尋ねると、

『シンバ、またここに来ていたのか、

 くそぉっ』

地面から鼻を離したモランは悔しそうに言う。



パチパチ…

夜の闇に抗するように火が燃え盛り、

その火を挟んであたしとモランは地面に座っていた。

『あの…』

重苦しい雰囲気お振り払うようにあたしは口を開くと、

スッ!

いきなりモランは右手を突き出し、

『これ、お前が握っていた。

 シンバの鬣だ。

 シンバと闘い、

 生きて鬣を奪えた。

 お前はシンバに認められた』

と言うと、

パサッ!

綺麗に編みこまれた茶褐色の獣毛があたしに手渡された。

『わっ綺麗…』

それを見た瞬間、

あたしは思わずそう口にするが、

『シンバはお前を必ず殺す。

 だから鬣を切らせた。

 異郷の者の様だが、

 もはや、ここから逃れることは出来ないぞ』

とモランは警告をする。

『え?』

それを聞いた途端、

あたしの顔から一斉に血が引き、

そして、

『がっガイドさんは?

 確か、クルマに乗って…』

と尋ねると、

『シンバに襲われたクルマがこの先の谷に落ちていた、

 それに乗っていた者の姿は無かった』

とモランは村の外れでクルマが遭難をしていることを言った。

『うそぅ!』

それを聞いたあたしは悲鳴を上げると、

慌てて腰を上げるが、

『どこに行くつもりだ?』

手元の槍に手を掛けながらモランは尋ねる。

『決まっているでしょうっ

 助けに行くのよ』

そんなモランにあたしは怒鳴ると、

『いまここから一歩でも踏み出せば、

 お前は一つの動物、

 たくさんの動物達がお前を狙ってくる。

 お前は自分の身を守れるのか?』

とモランはあたしに警告をした。

『うっ』

その警告にあたしは言葉を詰まらせると、

『日が昇るまで待て』

モランはそう言うと、

ゴロリと横になった。

確かにモランの言うとおりだ、

動物写真を数多く撮ってきた経験上、

何も備えをしてない状態での夜間外出は危険であることは十分に知っている。

そして、必要な装備は全てサファリカーの中、

まさに八方塞りであった。



こうして一睡も出来なかった夜が開け、

早朝、白み始めた空の下、

あたしは槍を片手にモランに教えてもらった谷に向かうと、

確かに1台のサファリカーが5mほどの崖から落ちていて、

4つのタイヤを空に向けていた。

『そんなぁ…』

まさしくあたしが乗ってきたサファリカーであった。

震える足を奮い立たせてあたしは崖を下り、

運転席を覗き込むが、

そこにはガイドの姿は無く、

ただ、血と思われる黒いものがハンドルから垂れているだけだった。

『ひどい…

 殺しちゃったの?』

それを見たあたしはショックを受けると、

『シンバは10を越す村を襲い、

 多くの牛と人を殺してきた。

 一人ぐらい増えたところで何も変わらない』

追いかけてきたのかあたしの後ろに立ったモランは落ち着いた口調で言う。

『ちょっとぉ、

 その言い方って酷いんじゃない!?』

それを聞いたあたしはすかさず言い返すが、

『そんなことよりも自分の心配をしろ』

モランはそう言うと、

川の対岸にある稜線のある一点を見詰めた。

『え?』

あたしはモランが見詰めている先を見ると、

『!!』

そこにはあのライオン・シンバがこっちを向いて立っていて

朝日を一身に浴びていたのであった。

『見張られている…』

毛を金色に輝かせ、

まさに仁王立ちといってもいいその姿にあたしは恐怖すると、

『ちっ、

 ここからでは槍は届かないし不利だ』

ギリッ!

手にしていた槍を握り締めながらモランは口惜しそうに言い、

ザッ!

あたしに背を向け歩き始めた。

『ちょっとぉ!』

去って行くモランにあたしは声をかけるが、

だけど、モランはあたしの声に構わず、

さっさと立ち去っていってしまった。

「もぅ!」

そんなモランの態度に苛立ちながら、

サファリカーに戻ると、

あたしはシンバの視線を注意しつつ、

後部座席のドアをこじ開け、

その中から荷物を引っ張り出すと、

足早にこの場を後にした。



『えぇ!

 オレンルガイって19才なのぉ?』

戻ってきたマサイ村であたしはモランの名前と年齢を聞き、

驚きの声をあげていた。

モランの名前はオレンルガイ。

まだ19才の年下の”少年”であるが、

だけど、少年とはいえ、

彼の身体は無駄なく鍛え上げられ、

黒く光る肌と高い身長、

そして眼窩が突き出た表情等から

あたしはてっきり年上だと思っていた。

そして、何より驚かされたのは、

彼には許婚が居ることだった。

『なっなんだ、

 何か問題があるのか』

あたしの驚いた顔を見てオレンルガイは困惑すると、

『なんか負けたようなそんな気がする…』

と呟きながらあたしは座り込んでしまった。

『何を拗ねているのだか知らないが、

 勝手にしろ』

そんなあたしに構わず彼は亡骸の所に行くと腰をかがめ、

遺品を整理しているのだろうか、

丁寧に亡骸からアクセサリー類を外すと、

白骨を集め、

それらを村の外れに掘った穴に埋めていく。

『…ねぇ

 ちょっと聞きたいんだけどさっ、

 シンバに倒されたそのモラン達ってオレンルガイの仲間なの?』

そんな彼を見ながらあたしは話を振ってみると、

『あぁ…』

その問いに言葉短めに答える

『そう、じゃぁそのとき、

 オレンルガイはここに居なかったんだ…』

それを聞いたあたしはそう呟くと、

スッ!

オレンルガイの背筋が伸び、

『わたし達はシンバと長い間戦ってきた。

 だが、最近になってシンバの力が強くなり、

 さらに賢くもなってきたので、

 みんなと相談試合い、

 弱い者達をここから遠ざけることになった。

 わたしは”長”にここを去る者達の警護と

 新しい場所での再建を任された。

 そして、

 役目を終えて急いで戻ってきてみたらこの有様だ』

と語気を強めながら言う。

『そうなの…』

そうとしかあたしは返事をすることが出来なかった。

恐らく彼もここで死んだモラン達と共に戦いたかったんだと思う。

それが、長の命令とはいえ生き残る事になってしまって相当悔しいのだろう。

むき出しのオレンルガイの肩がかすかに震えていることにあたしは気付くと、

それ以上何もいえなかった。

あたしは無言で彼を見ていると、

『オレムシルはわたしにモランにしてくれた大事な人だ。

 恐らくシンバと最後まで戦い続け、

 そして、力尽きる前に後に続く者に託したのであろう』

そう言いながらオレンルガイは振り返り、

彼らが遺したのであろうシンバの鬣を編んだアクセサリーを複数首にかけると、

『みんなの無念はわたしの無念でもある。

 わたしはみんなの分まで戦う』

と宣言をした。

そして、腰を上げてあたしのそばに来ると、

『お前はオレムシルの後を継ぐ者。

 これをつけるがいい』

と言うと、

あたしの前にモラン達がつけている原色の彩が輝く髪飾りや胸飾り、

そして腕輪と脚輪を差し出した。

『え?

 これを…』

陽の光を受けてきらめく飾りを見ながらあたしは聞き返すと、

『そうだ、

 お前はシンバに認められ、

 オレムシルの後を継いだモランだ。

 その証をつけるべきだろう』

とオレンルガイは言う。

『それは…』

彼の言葉にあたしは躊躇してしまうが、

だけど、ここでシンバと対峙したとき、

震え上がったあたしに力を貸してくれたのは他ならないオレムシルの魂。

ましてシンバの手中に嵌り、

死刑宣告をされているような状態の中であたしが取るべき道は、

槍を手に戦うしかなかった。

『ふぅ…』

あたしは大きく息を吐き、

改めてオレンルガイを見ると、

『わかったわよ』

と返事をして見せる。



『ちょっとぉ、

 そんなに髪を引っ張らないでよ、

 髪が切れちゃうでしょう』

『お前の髪は柔らかすぎる』

『煩いわねぇ、

 一般的な東洋人の髪はこうなっているのよっ、

 ましてあたしは女性なんだから、

 もっといたわりなさいよぉ』

モランの髪飾りをつけるため、

あたしは髪型をモランのそれに束ねることになったが、

力任せに引っ張るオラルガイのやり方に思わず悲鳴を上げてしまっていた。

カラカラン…

『よしっ、

 これでいい』

手にいっぱい朱泥をつけたオラルガイの手があたしの頭から退いていくと、

そこには練り込まれた朱泥と共に細かく縒って分けられたあたしの髪があり、

さらにその髪を前後に分けると、

前に分けた髪を額の上で一つにまとめるモラン独特の髪型をあたしはしていた。

けど、毛質が固く縮れているマサイと比べて、

髪の質が柔らかすぎるあたしの髪の毛ではいまひとつ迫力が無いのは事実だったが、

しかし、モランの髪飾りをつけ、

さらに首飾りなどをつけてみると、

それなりに見えるようになるのが不思議だった。

『ふぅ、

 意外と重いのね…

 これじゃぁ、

 身体が鍛えられるわけだ』

シュカこそ身に纏うのは拒否したものの

でも、それ以外の飾りをつけたあたしは、

ズシッ

とくる飾りの重さに驚かされていた。

そして、

「そうだ」

あたしはあることを思いつくと、

『オレンルガイ、ちょっと手伝って』

と彼を呼び、

そして、本来の仕事道具を引っ張り出してくると、

「よーしっ

 こうなったら、

 こっちもやってやろうじゃないのっ、

 あたしのこの置かれた状況を徹底的に記録してやる」

と取り出したビデオカメラを見ながらそう呟き、

『オレンルガイっ、

 あたしの言うとおりにコレを操作しなさい』

そう言いながらあたしは彼にカメラを押し付けた。



『ここをこうすればいいのか』

『そうよっ、

 その構えっ、

 そのボタンを押したら動いちゃダメよ、

 はい、押して』

あたしの言うとおりにオレンルガイは不器用にビデオカメラを回しはじめると、

その正面にあたしは立ち、

「えーと、

 八幡明美ですっ、

 いま時間は現地時間で午後3時ぐらいでしょうか」

とあたしは現在置かれている状況をカメラに向かって話し始めた。

そして、この村の惨状、

シンバのこと、

髪飾りのことを一通り話すと、

『いいよ、

 ボタンを押して』

とオレンルガイに命令をした。

『こんなことをして何になるんだ?』

あたしの行為の意味が判らない彼は首を捻りながら尋ねると、

『あのねっ、

 あたしがここに来た本当の目的は、

 あなた達、マサイがライオンを殺しすぎているんじゃないかって、

 いう人が居てね。

 それを確かめにきたわけ』

とあたしは説明をした。

『なっ』

それを聞いたオレンルガイは驚き、

そして、怒った顔になると、

『そんなことは無い、

 我々は好き好んで殺していないし、

 殺す場合は儀式で使う場合か、

 牛を襲ったり、

 人を傷つける場合だけだ』

と声を荒げながらあたしに言う。

『だぁかぁらぁ、

 あたしはこうやって記録をとるのっ

 これからも協力をしてよね』

そんなオレンルガイに向かってあたしは怒鳴ると、

『わっわかった』

やけにあっさりと彼は引き下がってみせる。

そして、翌朝、

荷物をまとめたあたしは、

モランのアクセサリーが飾る首元にシンバの鬣を編んで作ったアクセサリーを加えると、

元々大して荷物が無いオレンルガイと共にこの村を後にしたのだが、

サクッ

サクッ

村を出た途端、

あたしたちの前に悠然とシンバは姿を見せると、

先を歩き始めた。

『なっなによっ、

 襲ってこないの』

唯一の武器である槍を握り締めながら

あたしは声を上げると、

『どうやらこっちに来いっ

 と言っているようだな』

シンバを苦々しく見ながらオレンルガイは言う。

『逃がす気なんて無いんでしょう

 なんか頭にくるわね』

同じようにあたしは文句を言うと、

『行くしかあるまい』

と彼は言い、

あたしたちはシンバに導かれるようにして移動し始めた。



それから数日の間、

シンバは襲ってくること無く、

常にあたしたちとの距離を置いていた。

とは言っても直ちに逃げ出そうものなら、

すぐに後を追いかけ、

その爪と牙であたしの身体を引き裂き貪り食うのは明らかだった。

『まったく、

 いつまでこんなことをするのかしら』

カメラにセットした望遠レンズで

悠然と座るシンバの姿を見ながらあたしはそう呟くと、

『この先に岩山がある。

 恐らくそこに誘い込む気だろう』

とオレンルガイは岩山のことをあたしに告げた。

『そんなのがあるの?

 全然見えないけど』

はるか彼方まで広がるサバンナの景色を見ながら、

あたしは驚くと、

『お前には見えないのか?』

と彼は驚いた顔で聞き返した。

『え?、

 ここから見えるの?

 その岩山が』

その言葉にあたしは驚き、

覗いていた望遠レンズの倍率を上げてみるが、

でも、いくら覗き込んでも岩山の姿は見えなかった。

”目が良いことは知っていたけど、

 一体どういう目をしているのかしら”

望遠レンズを駆使しても見ることが出来ない岩山を

見ることが出来るオレンルガイの視力にあたしは首を捻ると、

休んでいたシンバが立ち上がり、

歩き始めた。

と、同時に

『いくぞっ!』

それを見た彼はあたしに声をかける。



パチパチ!

「うーっ、

 食料も残り少なくなってきたなぁ…」

日はとっぷりと暮れ、

燃え盛る炎が辺りを明るくする中、

先に横になったオレンルガイの隣であたしは固形食品を口にしていた。

長期間のサバンナでの追跡取材に備えて、

日本から持ってきたこの食品の在庫が無くなって来ていることに不安を覚えるが、

だからといって補充などできるはずも無く、

少しでも長持ちさせるため、

あたしは彼と共にマサイの食事を極力摂るようにしているのだが、

マサイの主食であるあの牛の乳と血液を混ぜた飲み物はどうも苦手だった。

「はぁ、

 ちゃんとしたご飯を食べたい…」

そう思いながらの簡素な食事が終わり、

ふと尿意を覚えたあたしは腰をあげると、

近くのブッシュの中に潜り込むとしゃがみ込んだ。

シャァァァ…

月とともに輝く満天の星空の元、

「はぁ…」

あたしはホッと息をつき、

そして、何気なく顔を上げると、

ヌッ

ブッシュの隙間から金色に輝く目が二つ、

ジッとあたしを見つめていたのであった。

「ひっ!」

それを見た途端、

あたしは飛び上がりそうになるが、

”落ち着いて”

とあのマサイの村で聞いた声があたしの頭に響いた。

「あなたは…」

姿無き声に向かってあたしは話しかけると、

”シンバはあなたに興味があるようだ。

 今夜はまだ仕掛ける気は無いから、

 このまま静かに戻りなさい”

と声はまた話しかける。

「うっうん」

その声に従ってあたしは腰をあげると、

ソロリとブッシュから抜け、

オレンルガイが寝ている焚き火の傍に戻って行く、

すると、

ガサッ

シンバもまたブッシュから離れていくと、

夜の闇の中へと溶け込んでいった。



それからさらに2日後の朝、

ついにあたしとオレンルガイは岩山に連れてこられた。

「ここがその岩山ね」

シンバに導かれて岩肌がゴツゴツと露出している獣道を通りながら

あたしはそう呟くと、

ビデオカメラを取り出し慎重に撮影を始めだした。

すると、

『注意しろ』

と彼はあたしに言う。

『わっ判っているわよっ』

その警告にあたしは槍を持つ右手に力を込めて警戒をするが、

シンバはそんなあたしたちに一切気にかけず歩き、

程なくして窪みが姿を見せてきた。

窪みは直径20mほどの円形で、

雨季になると水が溜まるのであろか、

淵には層状に重なった筋が付いている。

その窪みにあたしたちが脚を踏み入れようとしたとき、

タタタッ

ヒョイッ

ヒョィッ

これまで付かず離れずの位置に居たシンバは走り始めると、

巧みに岩の上に飛び上がり、

たちまちあたしたちを見下ろす位置に立った。

『すごい…』

そんなシンバの姿をビデオカメラに収めながらあたしは感心すると、

『おいっ、

 それを仕舞えっ、

 これから戦いが始まるぞ』

とオレンルガイはあたしに警告をした。

『え?

 うっうんっ』

それを聞いたあたしは素早く窪みの淵で生えている木の陰に三脚を立て、

手早くビデオカメラのレンズを広角に交換してセットする。

これから始まることの一部始終をこのカメラに収めのだが、

果たしてあたしがカメラのストップボタンを押すことが出来るか、

はっきり言って不安だった。

下手をすると無残に食い散らかされていくあたしの姿を記録していくかもしれない。

そんな思いを込めながらあたしはスタートボタンを押し、

そして彼の傍にいくと槍を構える。

ゴワォォン!

シンバにとってお楽しみの時間のスタートなのだろうが、

大声をあげながらひと吼えすると、

タタッ!

その巨体を岩山から下ろし始め、

一気にあたしたちに所に向かってきた。

『来たぞ!』

『はいっ』

槍を構えるオレンルガイは声を張り上げると、

同時にあたしも返事をした。

『はやいっ!』

坂道を降りる加速度もついているのか、

あのマサイ村で見せた動きよりも早くシンバは迫ってくると、

前脚の爪を一気に振り下ろした。

ビュンッ!

ビリッ!

突風があたしの真横を吹きぬけ、

それと同時に来ていたシャツが引き裂ける。

「!!!」

一歩も動くことは出来なかったし、

腕も動かすことは出来なかった。

まさに一瞬の勝負。

ツーッ

頬から血を流しながらあたしは振り返ると、

『何をしている!』

オレンルガイの怒鳴り声が響き、

ドンッ!

あたしの身体が突き倒された。

そして、その直後、

ゴォッ!

あたしの真上を黒い影が通り過ぎていく、

シンバは一瞬の間に反転すると、

あたしに襲い掛かったのであった。

「ひぃ!」

瞬く間に恐怖があたしの心を支配し、

あたしはその場で縮こまってしまった。

”いやだ”

”いやだ”

”いやだ”

”いますぐ帰りたい、

 もぅこんな所に居るのはいやだ”

縮こまったあたしの心にその言葉が反響する。

だが、どんなに泣き叫んでもあたしは立ち上がることが出来ない。

なぜなら、

ヒュオッ!

ヒュォッ!

あたしの真上を楽しんでいるかのように、

シンバが飛び続けているからだ、

完全に籠の中の鳥、

いつでもその爪であたしを引き裂くことが出来る。

【万事休す】

その言葉があたしの脳裏を掠めたとき、

シュッ!

一本の槍が宙を切り裂き、

ドスッ!

シンバのわき腹に刺さった。

ゴワォッ!

同時に悲鳴を上げたのであろうか

シンバがひと吼えすると、

その動きがピタリと止まった。

「え?

 助かったの?」

槍が刺さったわき腹より血が流れ始め、

シンバの身体を”赤”が覆い始めた。

「だっ大丈夫かな…」

そんな姿にあたしはふとシンバのことを心配すると、

『何をしているっ、

 その槍でとどめをさせ!』

の声と共にオレンルガイがあたしの傍に駆け寄ってきた。

『え?

 とどめって、

 もぅ十分じゃない、

 シンバは大怪我をしているのよ』

そんな彼に向かってあたしは怒鳴り返すと、

『お前は頭がおかしいのか?

 奴は俺達を狙っているんだぞ、

 あぁもぅ、

 それを貸せ!』

痺れを切らしたオレンルガイはあたしの槍を取ろうとするが、

『ダメよダメッ』

あたしは槍を抱えてそれに抵抗をする。

『いい加減にしろっ』

そんなあたしについに彼は切れてしまうと強引に槍を奪い取るが、

ンガオッ!

シンバの声が響き渡るなり

ガシッ!

シンバは身体を捻り

わき腹に刺さっている槍の柄に噛み付くと、

それを引き抜き始めた。

「うそっ、

 自分で槍を引き抜いている

 何て柔らかい体なの?

 ネコでもあんなことは出来ないのに」

その様子を見たあたしは唖然とすると、

『くそっ!』

オレンルガイはすかさずあたしから奪った槍をシンバに向けて放つが、

その槍が届く前にシンバは刺さっていた槍を引き抜くと、

タタッ!

自分めがけて飛んできた槍をかわし、

あたしたちに向かって飛び掛ってきた。

『危ないっ!』

彼の怒鳴り声が響き、

グイッ!

あたしはシャツの襟首を引っ張られた。

「うわっ」

バランスを崩したあたしは一気に尻餅をつくのと同時に、

ゴワッ!

目の前をシンバの身体が通り過ぎていく、

全てが一瞬の出来事だった。

そして、

『オレンルガイっ!』

お尻の痛みも構わずにあたしは彼を見ると、

「あっ」

そこには血を流して倒れているオレンルガイの姿があった。

『オレンルガイっ

 大丈夫?』

それを見たあたしはシンバのことなど忘れて駆け寄り助け起こすが、

ゴホゴホ!!

シンバの爪で胸からお腹にかけて切り裂かれたのか、

オレンルガイは苦しそうに咳をする。

『しっかりしなさい』

負傷した彼をあたしは励ましながら抱えて引きずると

カメラを置いてある木陰に身を隠した。

「そうだ」

オレル外を木陰に寝かした後、

あたしはシンバの様子を探るが

シンバもまた自分が負った傷の手当てをしているらしく

傷口を舐め続けていて、

あたしの動きには注意を払っていなかった。

「よっよしっ」

それを見たあたしは素早く走り、

そして、オレンルガイが投げたあたしの槍を拾い上げるとダッシュで戻り、

同時に彼の槍も拾いたかったけど、

でも、それはシンバの足元に落ちていて拾うことは無理だった。

『しっかりして、

 オレンルガイ』

槍と持ってきたバッグを片手に苦痛に顔をゆがめる彼を抱き上げたとき、

偶然、あたしは岩場の影に潜り込めそうな岩の切れ目を見つけると、

オレンルガイを引きづりながらその中へをもぐり込んでいった。



つづく