風祭文庫・モラン変身の館






「モラン・アヤ」
(第1話:彩の変身)

作・風祭玲

Vol.112





ンモォォォォー…

サバンナの乾いた大地にウシたちの声が響く、

「ホーィホィホィ」

あたしは裸体に朱染めの布・シュカを巻き付けたのみの身なりで

声を上げながらウシの群を追っていた…

「ママイ!!…」

先を行っていたアタンダが声を上げた。

「どうした、アタンダ」

スッ…

アタンダが指さした先にマサイの男と女が走っているところが見えた。

「シンバに追われてる」

そうアタンダが言うと、

確かに彼らから少し離れて数頭のシンバ(ライオン)が2人の後を追っていた。

「マズイ…」

あたしは手に持っていた槍を握りしめると二人の方へ走り出した。

「よせ、ママイ…

  相手はシンバだ、お前がかなうわけが無い」

アタンダは叫ぶが、

なぜか、あたしには二人を見殺しには出来なかった。

やがて男の方が槍を構えてシンバに対峙すると、

女は叫びながら走り出した。

しかし、女の行く手には別のシンバが待ちかまえていた。

「それより進むなっ、シンバが居るぞ!!」

あたしは声を張り上げて警告したが、

しかし、彼女が気づいて立ち止まる前にシンバが襲いかかった。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」

彼女の悲鳴が上がる。

「くっそう!!」

あたしはとっさに槍を構えると、

思いっきり飛び上がると、

後ろ足で立ち上がり威嚇しているシンバに

体当たりをするようにして槍を突き刺した。

ゴワッ!!

槍はシンバに突き刺さったものの

スグにシンバの強烈な一撃があたしを襲った。

ドッ!!

グワッ

殴り飛ばされて草むらに倒れたあたしに向かってシンバか飛びかかってきた。

「殺られる!!」

あたしは無我夢中で槍を突き立てた。

シンバの血走った目が間近に迫る…

ズン!!


長くて短い沈黙の時間が流れた。

「………!?」

うっすらと目を開けると、シンバはあたしの上に重くのしかかっていたが、

ぴくりとも動かなかった。

「ママイっ!!、

 大丈夫か…」

アタンダの声が近づいてきた。

「アタンダっ、ここだっ」

あたしは絞り上げるようにして声を張り上げると、

やがて、足音が近づいてくるなり、

「スゲエ……」

マランダが驚く声がした。


しばらくして、

ズ・ズル…ズル…ズル…ズズ…

シンバがあたしの上からゆっくりとどかされた。

ハァー…ハァー…

重しが取れて楽になり思いっきり深呼吸しながら起きあがると、

あたしを襲ったシンバは持っていた槍が首筋を貫き息絶えていた。



『さすがだ…

 たった一人でシンバを倒すとは…
 
 お前はもぅ立派なモランだ、

 この1年お前を仕込んできた甲斐があったな』

突如あたしの頭の中に男の声が響いた。

『では…そろそろお前の魂とその身体…

  頂くとするか…
  
  ふふふ…』

そう男が呟くと、

「やめてぇ…」

あたしはその場にしゃがみ込むと耳を塞ぎ声を上げた。


「ママイ…ママイ…

 どうした?、何処が怪我をしたのか?」

アタンダが心配そうな顔であたしを覗き込んだ。

「アタンダ…」

顔を上げてアタンダを見ていると、


「お前がママイか…」

と声を掛けられた。

振り向くと、さっきシンバと対峙していたマサイの男が、

いつの間にか傍に来ていてあたしを眺めていた。

「あなたは…」

「俺か?、ふん、まぁ名乗るほどでもないが

 ただ、その女…レナナが、ずっとお前を捜していたのでな…」
 
と言って、抱きかかえていた女性に視線を落としていた。

「おい、なんだ、その言い方は…」

アタンダが食ってかかる。

「止めて…アタンダ…」

あたしは彼を制すると、

「あのぅ、言っている意味が分からないのですが」

とマサイに聞き返すと、

マサイはその女性をあたしに渡すと

「確かにレナナを渡した、

 お前が”モラン”なら、その女を生涯大事にするんだぞ」

そう言うと、あたし達に背を向けそして走り去っていった。

「ちょちょっと…待って…」

呼び止めたものの彼の姿はサバンナの景色の中に消えていた。


「へんなヤツ…

 でも、スゴイじゃないか、一人でシンバを倒した上に、
 
 さらに、女まで手に入れるなんて…
 
 お前にしては上出来だ」
 
アタンダはあたしが倒したシンバの死体を眺めながら、

そう言うと持っていた槍で器用にシンバの鬣を切り取り始めた。

そして、切り取った鬣の束をあたしに手渡すと、

「ママイ…これで、モランの証・頭飾りを作ってもらえ、

 モランとして堂々と振る舞っても誰も文句は言うまい
 
 そして、その女を妻にしたらどうだ?
 
 なかなかの美人じゃないか」

そう言ってアタンダはあたしの背中をポンと叩いた。


「モラン……

  …そうなの

  …あたし…とうとうマサイのモラン(戦士)になったんだ…」

あたしは鬣を見つめながらそう呟いた。

「もうじき、ママイはあたしと…

 父さん・母さん・健司・みんな……

 もう一度逢いたいよ…」

ギュッ

と首に下がっている首飾りを握り締めると、

あたしは昔のことを思い出しながらサバンナの空を見上げていた。



そう、いまから半年前のあたしはマサイ・ママイではなく、

”神代彩”と言う新体操に打ち込む女子高校生だった。

高校2年の夏休み中、

部活の帰りにみんなと立ち寄った骨董屋であたしはそれを見つけた。

なんでも破産したバブル長者が持っていたそうで、

「どこぞの大学の先生が欲しがっていた…」

店主はそれの価値を力説していたが

私にはそんなに価値が在るようには見えなかった。

でも、なぜかこのマサイ族の木彫りの人形には惹かれるものがあった。

じっとそれを眺めている私に

「それが気に入りましたか?」

やけに平身低頭で店主が言ってくる。

「別に…」

興味の無い台詞を私が言うと、

「今なら、大マケにマケて1000円でいかがです?」

と言ってきた。

「1000円?」

その時…

『アヤ…』

人形から声を掛けられたような感じがした。

すると

「わかった…わ、買うわ…」

とあたしは意にしない言葉を言い、

そして、お金を払うとその人形を購入した。

「彩ってそう言った物に興味が在るんだ」

店から出てきたあたしを

えっちゃんがそう言いながら覗き込んだ。

「えっ…えぇ…」


「でも、なんで、こんな物を買ったんだろう…」

家に帰り、机の上にその人形を置くとあたしは呟いた。

しゅ〜〜ん

そのマサイ人形を眺めていると

オーラのようなものが立ち上り始めた。

ゾクッ

言いようも無い悪寒が私を襲った。

「えっなに?」

ゴワッ!!

部屋の中に猛烈な風が吹くと

『…待っていた…

  長い間待っていた…』

そういう声と共に、

長身の半裸の体に朱染めの布・シュカを巻きつけ、

大き目の青や赤のトンボ球をつなぎ合わせた飾り紐を肩から掛け、

長い髪を簾のようにより、結い上げた

そう、マサイ族の戦士が姿を現したのであった。

「キャァァァァァァ」

恐ろしさのあまりあたしが悲鳴を上げると

「彩っ、どうした!!」

父さんと母さんがあたしの部屋に駆け込み、

「なっ、何だお前は…」

あたしの目の前にいるマサイの戦士に驚き、声を上げる。

『私はママイ…マサイのモラン…』

「誰だか知らんが、娘の部屋から出て行けっ」

父さんがマサイに向かっていくと

マサイはスッと手を出したとたん

ドン

父さんの体が一瞬宙に浮くと

そのまま壁に叩き付けられた。

「ぐわっ」

「あなた!!」

母さんの悲鳴が部屋に木霊する。

『私の邪魔をするな…

  ついに見つけた、私の新しい体…』

マサイはあたしを見つめると徐々に近づいてきた。

「いやっ、来ないで」

あたしは部屋の中を逃げ惑うが、

やがて一角に追いつめられてしまった。

「彩っ逃げるんだ」

動けなくなった父さんが声を上げる。

しかし、マサイはあたしの目の前に迫ると、

『お前のその身体、いただくぞ」

と言ったとたん

ドクン…

ウグ…

ググググ

あたしの体に変化が起きた。

見る見る伸びていく背丈

発達していく筋肉

「やっ、止めて…」

あたしがそう声を出したとき。

ガラッ

っとガラス窓が開くと一人の少年が入って来るなり

「こいつ、彩に何をしやがる!!」

と言うと持っていたバットでマサイに殴りかかった。

「健司っ!!」

『グハッ』

顔を殴られ、よろめいたマサイは

すー

っと消えていくと

『お前は私の呪いを受けた、必ずお前の身体をもらいに来る』

と言う言葉を残していった。


シュン

変化したあたしの体が見る見る戻っていく

「彩っ」

体の自由が戻った父さんと母さんがあたしに抱きついた。

「健司、ありがとう…」

あたしが礼を言うと

「なんだ?あれは?」

と健司が訊ねる。



……それから

あたしと父さんと母さんはあたしに取り憑いたマサイの霊を取り除くために、

方々の霊能者のところに通っていた、

しかし、どれも成果は芳しくなく、

ママイと言うマサイの除霊は成功しなかった。

さらに、夢の中でママイは

あたしの体をマサイにして、サバンナに連れて行く。

とまで言うようになっていた。

もぅあたしに残された時間はあまり無かった。


そして最後の望みを掛けてある高名な霊能力者のところを尋ねていた。

もしも、ここで除霊出来なければ、

数日のウチにあたしの身体はマサイになってしまう…

まさにせっぱ詰まった状態だった。



長い祈祷と除霊を受けた為にあたしの身体はすっかり疲れ果て、

除霊が終わるとそのまま別室で寝かされていた。

「先生、如何でしたか」

作業を追えた霊能者が父さん・母さんの元に赴くと、

除霊の経過を両親に説明した。

「やはり駄目ですか…」

父さんはガックリと肩を落とした。

「申し訳在りません、出来るだけの手は尽くしたのですが、

  彩さんに取り憑いている霊は強烈で、とても私の手には負えません」

そういって頭を下げる霊能者に、

「そんな…じゃあ、彩は…」

母親が絶叫に誓い声を上げた。

「こらっ、騒ぐんではない」

父親が母親を制すると、

「そうなると、彩はいつまであの姿で居られますか」

と尋ねた。

「………」

しばしの沈黙の後、霊能者は

「早くて3日、遅くても1週間に以内に彩さんの身体は

  取り憑いた霊の呪いによって変えられてしまいます」

と答えた。

「1週間……」

「あなた…1週間後って言ったら…」

「あぁ、彩の新体操の大会の日だ…」

父さんはそういうと天井を眺めた。


「…1週間後には私はマサイになってしまう…」

目が覚めたあたしは父さんから除霊の失敗と、

あたしの姿で要られる残り時間を聞いて絶句していた。

「気を落とすな、別に死ぬわけではない」

父さんは何とかしてあたしが絶望の中にいるワケではない。

と言うことを必死になって教えてくれていた。

無論、あたしもこの命が無くなってしまうわけではないことを知っていた。

でも…あたしがあたしでなくなる…

このコトの重みがあたしに重くのしかかってきていた。



「神代さんっ、よく見て!!」

体育館にコーチの声が響く、

「あっはいっ」

しかし、あたしは高く放り投げた”こん棒”をキャッチすることが出来ず、

ゴーーン

落ちてきた”こん棒”はあたしのオダンゴ頭を直撃した。

「痛〜〜っ」

頭を押さえてしゃがみ込んでいると、

「神代さんっ、集中力が欠けていますよ…

 大会まで1週間もないんだから、

 調整でリズム崩さないのっ」

コーチの怒鳴り声が頭から降ってきた。

しかし、

元々プレッシャーには強く、

のんびり屋だったあたしだったけど

大会よりも間近に迫ってきていた変身への恐怖感が

ひしひしと心を締め上げていた。


「よう、どうした…元気ないじゃん」

部活を追え、更衣室から出てきたあたしに、

健司が声を掛けてきた。

大沢健司…

そうコイツは私の家の隣に住んでいて

幼稚園からこの学校まで

常にあたしから付かず離れずの間柄で、

まさに腐れ縁と言うヤツだった。

しかし、あの事件があってからは

なぜか健司の姿を見ると安心するようになっていた。


「”どうした”っていわれても…」

あたしが返答に困っていると、

「それより、日曜どうだった?」

「え?」

「除霊に行ったんだろう、お前に取り憑いた悪霊を降り解きに」

健司の問いかけにあたしは視線を下に向けると、

「……それが…ダメだったの」

と答えた。

「ダメって…じゃぁ、彩…お前は…」

「うん、遅くてもこの週末までにはマサイになってしまうわ」

「そんな…」

予想外の結果に驚きの色を隠せない健司に、

あたしは思わず抱き着くと、

「健司っ、あたし怖い…」

そう言いながら自分の手を見つめた。

今は小さくて細く白い手が、来週の今ごろには別のものに変わっている。

その恐怖にあたしは潰されそうだった。

すると

ポンポン

っと背中を叩かれた。

「大丈夫だよ、僕がいる…」

「え?」

「たとえ彩がマサイになったとしても、

  僕はずっと君のそばにいるよ…」

とささやいてくれた。

「………ほんと?」

「あぁ、本当だ、君を一人ぼっちにはしないよ」

そう言いながら健司はじっとあたしの顔を見ていた。

「……うれしい…」

安心感からかあたしは思わず健司の体に抱きついていた。


トクン…

あたしの体の奥で何かが疼きだしていた。




ゴロゴロゴロ

ザーっ

バシャッバシャッバシャッ

「うひゃぁぁぁぁぁ、もぅ秋だつぅーのに雷かよぉ」


あたしの通っている高校は、

市街地から移転した関係で街からちょっと離れた山の上にあり、

そのため通学路は途中山の中を通っていた。

無論、バスは走っているものの本数の関係で30分ほど掛けて

歩いていく生徒も結構いるのが現状だった。


「予報で何もは言ってなかったのに…何でこんな目に遭うのかしら」

下校途中、突然の雷雨に見舞われたあたしと健司はずぶ濡れになりながら

道路を走っていた。

「彩っ、確かこの先に神社があったろ、そこへ行くぞ」

「うん分かったぁ…」

そう言うと健司は道路から外れ、少し行った社の下に逃げ込んだ。

「ったく、ついてねぇよなぁ」

健司は鞄から取り出したタオルで顔を拭きながらぼやく、

「なかなか止みそうに無いね」

あたしもそう言いながら降り続く雨を眺めていた。

ザー…

「…だれも、来ないね」

「この雨じゃぁ…なぁ…」

「健司……」

「あん?」

その時、

カッ!!

ドォォォォォォン!!

閃光と同時に大音響が頭から降ってきた。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

あたしは思わず健司にしがみついた。

「なんだ、雷が怖いのか」

「悪い?」

「弱虫!!」

「うるさいっ」

あたしは思いっきり健司の頬をつねった。

その時

『アヤ…』

あたしの頭の中にある言葉が響いた。

「なに?」

『アヤ…』

「だから何よ…」

思わず声を出して叫ぶと…

「彩っ、どうした」

健司が心配そうな声で聞いてきた。

ガラガラガラ…

再び雷の音が木霊する。

ジャッ

「!!」

雨の中、一人の人影が目の前の参道を歩いてきた。

「だれだ?」

『アヤ…』

近づくにつれその人物の人相がはっきりと見えてくる。

「ママイ…!!」

『アヤっ、お前を迎えに来た…』

そう言うとママイはあたしに手を差し伸べた、

「いっ嫌よ、誰が行くもんですか」

あたしは声を張り上げて言った。

『迎えに来たぞ…』

ドクン!!

突如、あたしの体の中で何かがムクムク起き上がってきた。

ググググググ

骨がきしみ、体中の筋肉が引き締まっていく、

肌は黒く染まり、そして筋肉が盛り上がり始めた。

そうあたしの変身が始まった。

「いやぁぁぁ…」

あたしは悲鳴を上げるとその場に座り込んだ。

「てめぇっ、また懲りずに…」

健司が傍に在った棒を握ると、

「でぁっ」

っとママイに殴りかかった。

「…健司っ」

ママイは巧みに避けると、

槍を構えると応戦した。

「健司危ない、逃げて」

あたしは叫んだが、彼は決して引き下がらなかった。

「このっ、

  彩は誰にも渡さないからなっ」

『私の邪魔をすればお前の命はないぞ』

「うるせー」

パシッ

健司の一撃がママイを直撃した。

「やった!!」

声を上げて喜ぶ健司、

しかし、次の瞬間ママイの槍が健司の左手を掠めると

カン・カ・カン・カン

彼が握っていた棒が手から離れ境内の向こうへと飛ばされて行った。

「しまった!!」

『死ねっ』

すかさずママイが槍で健司の身体を突こうとしたとき、

「やめて!!」

すでに半分以上マサイの姿になったあたしがママイと健司の間に立ちふさがり

健司の盾となった。

『ぐっ…』

マサイは構えていた槍を静かに下ろした。

『アヤ…お前は既に私の物だ…

 月が満ちたら再び迎えに来る。』

そう言い残すとママイはクルリと向きを変え、

雨の中に消えていった。


ガラガラガラ…

雷の音が降ってくる。


スーッ

ママイがいなくなると体の中で擡げていたそれは静かに収まり、

また、半マサイ状態になっていたあたしの体は、

それとともに元の状態へと戻って行った。

「体が元に戻っていく…」

安堵感からかペタンと座り込むと、

思わず泣き出してしまった。

「彩…」

健司はあたしを抱きかかえると、

社の軒下へと連れていった。

ザー

雨は強くなったり弱くなったりするものの、

一向に止む気配はない。

「健司…」

「ん?」

「……いて…」

「なんだって?」

「お願い…あたしを抱いて…」

「な?」

健司はあたしの突然の言葉に驚いていた。

「女の子であるうちに…女のあたしを抱いて欲しいの」

あたしは彼の目を見つめてそういった。

「いいのか」

「うん…」

雨の音が再び激しくなった。


それから約1時間後

社の中であたしと健司は並んで天井を見ていた。

そして

トントントン

雨の音が屋根を叩く音を聞いていた。

「………」

「ねぇ…」

「ん?」

「さっきはありがとう」

「何が?」

「健司…あたしのためにママイと闘ってくれたよね、命を張って」

「あぁ、そのことか、もぅ忘れた」

「あそこで健司が闘ってくれなかったら、

  あたし、マサイになってもぅここにいなかったかも…」

「そうか?」

「うん、だから決めたの」

「え?」

「あいつがまた迎えに来るときまで、

  あたし…精一杯やってみようと思うの」

「そうか…」

「せっかく、健司が体を張ってくれたんだから、

  あたしも頑張らなくっちゃ」

「………」

健司は返事をしてくれなかった、

でもあたしにはそれで十分だった。



翌日からあたしは吹っ切れたように練習に打ち込んだ。

「よかった、神代さんの調子が元に戻って」

コーチもあたしの復調に笑みが零れるようになっていた。

『ごめん、みんな…あたし…今度の大会が最後かも』

そう思いながら、あたしはリボンを操っていた。



そして、大会当日が来た。

朝起きるとすぐに体の様子を見たが、まだ何も変化は起きていなかった。

「お願い、試合が終わるまで変身しないで…」

私は家を出る前、神棚に手を合わせるとそう祈り、

「じゃぁ、父さん・母さん行ってきます」

と言うと、玄関に向かっていった。

「彩っ」

突然母さんが呼び止めた。

「うん、頑張ってくる…

  でも、もぅここに帰って来れるかどうかはわからないけど

  今の私のこの姿、よぉく見といてね」

そう言うと、

その場でくるりと一回転した。

ふわぁぁ、

ポニーテールの髪とともに制服のスカートが軽く持ち上がる。

「行ってきます」

そう言い残して私は家を飛び出していった。


『アヤ…、もぅすぐ月が満ちる…迎えに行く…』

ママイの声が頭に響いた。

再び体の中から何かが沸き上がってきた…

おそらく夕方ここに戻ってくるときには、

もぅ神代彩では無くなっていることを覚悟した。

「出来るとこまで頑張ろう、

  でも、もしも…変身が始まってしまったら、そこまでね」

そう決心したとき、目から涙が零れ始めていた。

半ば泣くようにして、私は住宅街を駆け抜け電車に乗った。


「なに泣いているんだよ」

「え?」

「まったく、俺を無視しやがって」

何時の間にか健司があたしの傍に立っていた。

「健司…」

「今ごろ気づくなよな…」

健司は呆れた顔をすると、

「いよいよ今日だな…、負けるなよ、俺がついている」

そういって、あたしの頭をポンポンと叩いた。

すると、急に勇気が湧き起こってきた。

「ありがとう、あたし…頑張る、

 ママイになんかに負けないよ」

「おーし、その調子だ」

健司は安心したような顔であたしを見つめていた。


市立体育館前の停留所でバスから降りると、

「じゃっ、俺は観客席にいるから…」

「うん」

「頑張れよ」

「うん」

「俺はいつでもいるからな」

そう言って健司は他の観客と共に一般の入り口から入っていった。

「ありがとう…」

あたしは健司の心遣いが嬉しかった。


「おはよ…」

集合場所に着いたときにはすでにコーチやみんなが集まっていた。

「彩、おそーぃ」

「寝坊したか、コラっ」

これまで一緒になって特訓をしてきたチームメイトが私のところに集まる。

「どうしたの、その目のクマ」

けいちゃんが私の目を指摘すると

「え?、あっいやちょっと…母さんとケンカしたから…」

そう言い訳をすると、

「さっ、いよいよ本番です。

 みんな、これまでの成果を思いっきり出してきなさい」

コーチはそう言うと出場するあたし達の肩を一つづつたたいて回った。

ポン

「神代さんっ、リボン頑張ってね」

私の背中を叩くとコーチはひとこと言った。

「コーチっ」

「ん?」

「いっいえ、何でも在りません」

「そんなに緊張しないの」

『……あたし…ひょっとしたら最後まで居られないかもしれません、

  そしたら…ごめんなさい』

私は心の中でそう呟くと頭を下げた。

更衣室でバックの中からレオタードを取り出すと

「これを着るのも、これが最後かもね」

そう思いながらレオタードを見つめていると、

「彩っ、どうしたの?」

っと私の様子を心配して尋ねてきた。

「えっ、えぇなんでも無い」

そう返事をすると急いで着替え始めた。

「彩っ、またなんかおかしいわよ」

「そっ、そぅ?、いつもと一緒だけどなぁ、あはは」

ごまかしながら、足と手を通したレオタードを肩まで上げると

私の着替えは終わった。

「もうすぐ開会式だから急いで」

コーチの声がすると、

「はーぃ」

レオタード姿になったあたしは演技で使う手具やタオルをもって更衣室を後にした。

神代彩にとって最後となる試合に向かって…



つづく