風祭文庫・モラン変身の館






「腕輪の記憶」


作・風祭玲

Vol.1026





西日が落ち、夜の帳が落ちた頃。

キィ…

乗っていた自転車から降りた僕は”とある建物”の前に立っていた。

「ここに行けっていうのか?」

県立博物館…

案内にそう書かれている建物を仰ぎ見ながらつぶやくと、

クッ

それに答えるようにして右手の手首を握られたような刺激が走り、

クンッ!

姿が見えない何者かに引かれるかのように僕の右手が引っ張られた。

「判った判った。

 そんなに引っ張るなよ」

右手の先に向かって僕は声を掛けると、

自転車のスタンドを降ろし歩き始めるが、

ククッ!

歩くのがもどかしいのか手を引く力はさらに強くなっていく。

コツコツコツ

人の気配がしない建物の中に僕の足音がこだまし、

やがて見えてきた出入り口のゲートを抜けていくが、

「あれ?

 おっかしーな…

 警備員の人が来ない…」

普通こういう所では必ずあるであろうセキュリティが一切働いていない事に僕は疑問に思った。

しかし、その場に立ち止まり改めて確認することはることなど出来るわけもなく、

クンッ

クンッ

僕は腕を引かれるまま館内へと入って行く。



昼間と違い人の気配を感じられない館内は異様に広く感じられ、

居るのか居ないのか判らない警備員の目を気にしながら僕は小走りで走り抜けていく。

窓の外から覗く満月の明かりは

明かりが落とされている館内を静かに照らすが、

しかし、その月明かりが作る影からは人でない異型の者が蠢いているような錯覚を覚えてくる。

そんな中を僕は走り抜け、

やがてある所へと連れて行かれたのであった。

【アフリカ歴史民族コーナー】

幾度も通ったことがあり、

馴染みとなっているプレートが掛かるコーナーに僕はたどり着くと、

クンクンクン!

”ここに入れ”とばかりに右腕が強く引っ張られた。

「ここか?

 ここに何があるんだ?」

そう尋ねながら僕は引っ張り続けられる右腕の袖を捲って見せると、

漆黒の肌とその腕に巻かれたビーズで作られた腕輪が姿を見せる。

「判ったよ、

 ここに入ればいいんだろう」

腕輪に向かって僕は話しかけると、

足早にコーナーへと入って行く、

昼間でも陰気な感じがするこのコーナーだが、

さらに夜になるとその不気味さがいっそう増した感じがしていた。

「確かここの先にはあれが…」

腕を引っ張られるまま向かっていく先に置いてあるもののことが頭の中をよぎっていく。

そして、そのものが置かれている場所に到着すると、

「やっぱり、お前はこれが目当てだったか」

とそれを見ながら呟いたのであった。



「これがマサイ族の腕輪かぁ」

それは昨日の夕方のことだった。

赤や青色などのカラフルなビーズで作られた腕輪を手に取りながら僕はそぅ呟くと、

腕輪を徐に鼻に近づけ、

クンッ

と嗅いで見る。

「何も臭いはしないな…」

臭いを嗅いだ後、僕は軽く笑って見せると、

縦横斜めからそのビーズの腕輪を眺めた。

すると、

「裕樹ぃ

 またヘンなのを買ったのぉ?」

と言う声と共に姉貴が僕の部屋に入ってくると、

「ちょっと見せなさい」

そう言いながら僕が手にしているビーズの腕輪を取り上げ、

自分の目線にまで掲げて見せる。

「なんだよ、

 勝手に入るなよっ」

文句を言いながら僕は姉貴から腕輪を奪い返すと、

不機嫌そうな顔をしてみせるが、

「で、今度買って来たそれってなに?」

と僕のことなど気にせずに姉貴は問い尋ねる。

「教えない」

どうせ、この後のネタにされることが目に見えている僕はツンとそっぽを向くと、

「やれやれ、

 あんたのマサイ病も相当なものね」

と呆れてみせ、

そして、

「そんなにマサイが良いのなら、

 日本人じゃなくてマサイ族に生まれてくればよかったのに」

と言う。

「あぁ、そうだね。

 僕もマサイ族に生まれたらどんなに良かったか」

その言葉にカチンと来た僕はそう言い返すと、

「マサイ族の何がいいんだか」

と呆れながら姉貴は僕の部屋から立ち去っていった。



僕の名前は織原裕樹。

16歳の高校1年生である。

見た目はどこにでも居るごく普通の高校生だけど、

でも、人に言わせるとちょっとヘンなものに惹かれているそうだ。

僕が惹かれているものそれは…

【マサイの戦士】である。

学校の友人たちはグラビアアイドル達の話題が中心だけど、

でも、僕はマサイの戦士に憧れていたのであった。

長身且つ痩身なれど筋肉質の肉体。

体を覆う漆黒の肌。

その肉体を彩るビーズとトンボ球で作られた極彩色の飾り。

さらに朱土でまぶして、結い上げた赤い髪。

肉体を覆う程度の朱染めの布…

マサイ戦士のどこをとっても魅力的であり憧れであった。

「僕ってまさかホモ?」

ネットで拾ってきたマサイ戦士の画像を見ながらふとそう思うこともあるけど、

でも、そういう趣味のサイトから拾ってきた他の男性裸体画像を見ても

なぜかときめくものは感じられず、

僕の心はマサイ戦士のみにしっかりと向いていることを再確認すると、

ちょっぴりホッとしてみせる。

でも、マサイ戦士に少しでも近づけたらと思い、

僕は高校生から出来るようになったアルバイト代でマサイ戦士に纏わるものをネットで買うようになっていた。

そして、今日僕の元に届いたのはマサイ戦士が使っていたという腕輪であった。

「これをマサイ戦士がしていたのかぁ…」

ベッドの上で寝転びながら僕は改めて腕輪を眺めてみせる。

改めて腕輪をよく見るとどこか使用感があり、

ギッシリと詰められているビーズとビーズの間に黒い汚れがあるのが目に入る。

「ふふっ」

それを見た僕はその腕輪を右手首に巻き、

そして、手首に巻かれた腕輪の感触を確かめていると、

ムクッ

ムクムクッ

急に股間が立ち上がってきたのであった。

「ありゃぁ

 …あっそうだ」

起立する股間を見て僕はあることを思いつくと、

徐に着ていた服を脱いで裸になり、

ベッドの下から赤い布を取り出してみせる。

そしてその布を体に巻いた後、

ネットで買い求めたマサイ戦士が牛追いの棒として使っていたという木の棒・ルングを取り出すと、

ルングを股間に挟み、

シュッシュッ

っといきり立つ僕のシンボルをしごき始めたのであった。

シュッシュッ

シュッシュッ

「はぁはぁ…

 あぁ…

 マサイの戦士に…

 はぁはぁ…

 あぁマサイの戦士になりたい…」

裸体に槍を携えサバンナを疾走するマサイ戦士を頭の中に思い浮かべながら扱き続け、

そして、

「うっ」

と小さく声を上げると、

ピュ!

シュシュッ!

僕はマサイ戦士を思い描きながら僕は射精をする。

と、その時、

ピクンッ!

一瞬、腕輪が動き、

『…お兄ちゃん、やっと見つけたよ…』

と言う声が僕の脳裏に響いたのであった。

「え?」

頭の中に響いたその声に僕は驚いていると、

「裕樹っ

 ご飯だってぇ」

と姉の声が廊下に響く。

「あっはぁい」

僕は慌てて滴り落ちる精液の処置をすると、

元の服装に着替え階下へと降りていくが、

右手首につけたあの腕輪はそのままだった。



その夜、僕は夢を見ていた。

『ここは…

 どこだ』

僕は地平線まで草がなびく広い草原の真ん中に立っていて、

『うわぁぁぁ

 広いなぁ…』

とその景色に感心しながら見とれていると、

不意に僕の目の前を黒い人影が足早に駆け抜けて行く。

『えっ?』

突然横切っていった人影を僕は思わず追い始めると、

人影は大小2つあり、

そのうち大きい方の人影は漆黒の肌を晒し、

色あせた朱染めの布を体に巻き、

首周りやビーズとトンボ玉で作られた飾りが彩り、

長く赤茶けた髪をたなびかせる紛れも無いマサイの戦士であった。

そして小さい方のもぅ一人はマサイ戦士よりも体つきが2回り以上小さく

体を覆うような朱染めの布を引きずるマサイの幼い少年であった。

「・・・・・・・・!!」

「・・・・・・・・!!」

歩いていく二人は互いに何かを話しかけながら前に向かって歩いていくが、

「!!!っ」

不意にマサイ戦士は何かに気が付くと、

連れている少年をかばうようにして走り始める。

『ん?

 なにをしているんだ?』

それに気づいた僕は槍を携え向かうところ敵なしとも思える戦士にしては

意味不明なその行為に首を傾げながら振り返ると、

なんと、彼らの後を追うようにして一頭のライオンが彼らの後をつけていたのであった。

『あっこのライオン、

 あの二人を狙っているのか』

ライオンの眼を見ながら僕はそう思うと

改めて先を行くマサイ戦士と少年を見た。

そして、少年の存在がマサイ戦士の行動を制限していることに気づくと、

『うわぁぁ、

 そうか、あの少年が戦士の足手まといになっているのか

 おいっ、早く逃げろ』

と僕は声を張り上げた。

しかし、僕の声はマサイの二人には届かないらしく、

また、何も武器を持っていない僕にはどうすることも出来なかった。

『…はやくしろ』

『…怖いよぉ』

初め聞き取れなかった二人の声が僕の耳に届き始め、

やがて、

『よし、ここに隠れろ』

二人が見上げるほどの岩の麓にたどり着くと、

マサイ戦士が大きな岩の背後に少年を隠すと、

ギリッ!

携えていた槍を持ち替え、

その場で振り返ると追ってきたライオンと対峙する。

『うわぁぁぁ…』

身を守るものは一本の槍のみの半裸の戦士と

鋭い牙を剥く猛獣との睨み合いの光景に僕は胸を躍らせ、

これから起こるであろう戦いを瞬きもせずに見ようとするが、

クンッ

クンクン

突然、僕の右腕を引っ張られるような感触が走ると、

フッ!

たちまちマサイ戦士とライオンは僕の前から消え失せ、

一瞬の視界が暗闇を経た後、

僕は部屋の天井を眺めていたのであった。

「あっ、

 そうか、夢か…」

リアルな夢だったためか、

疲れを感じる頭を抱えながら僕は起き上がると、

右腕につけていた腕輪が目に入ってきた。

「これをつけて寝たためかな…」

その腕輪を見ながら僕は寝る前にマサイの腕輪を右手首につけたことを思い出すが、

「あれ?」

その腕輪をつけた右腕に起きている異変を見逃すことは無かった。

「ん?

 んん?」

唸りつつ僕は慌ててカーテンを開けると、

朝の日差しが僕を照らし始める。

それと同時に僕は腕を見ると、

「げっ、

 なにこれぇ?」

右手から肘にかけての肌がまるで墨を塗ったかのように黒く染まっていたのであった。

「まるでマサイ戦士の腕みたいだ…」

日の光を受けて黒く光る腕を見ながら僕はそう呟くと、

「裕樹ぃ、

 まだ寝ているの?」

と廊下から姉貴の声が響き渡る。

「!!っ

 もっもぅ起きたよ」

その声に向かって僕は声を張り上げると、

「とっとにかく隠さなきゃ」

と慌ててシャツを着込み、

手首を隠すように包帯を巻いてみせる。

「どうしたの、

 その手?」

包帯を巻いた右手を見て姉貴は怪訝そうな顔をすると、

「あっあぁ…

 うん、ちょっと捻って…」

と僕は曖昧な返事をするが、

「また、ヘンなことをしたんでしょう」

軽蔑の眼差しで僕を見ながら姉貴は朝食を口に運んでみせる。

「ヘンなことって何だよっ」

そんな姉貴に向かって僕は口を尖らせて見せると、

「知っているわよ、

 あんた、ベッドの下に赤い布を置いて何をしているんでしょう。

 何に使っているの?

 あんなの?」

と姉貴は僕の秘密を指摘して見せた。

「なっなんだよっ」

それを聞いて僕は怒鳴り返すと、

「ふふっ、

 まさか、あれを着てマサイの戦士にでもなった気で居るの?」

僕はからかう様にして姉貴は言う。

「なっ何だって良いだろう、

 それよりも僕の部屋に勝手に入るなって言ってるだろう。

 何で入ったんだよっ」

「なによっ、

 都合が悪くなったら話題を変える気?」

「うるせーなっ、

 そっちこそ、言い付け破っているじゃないか、

 じゃぁ、こんど僕が姉貴の部屋に入っても良いんだよな」

「うわぁ、

 なによ、あたしの部屋に入って下着を持っていく気なんだ」

「誰が、

 それよりも、僕のゲームソフトを返せよ、

 お姉ちゃんなんだろう。

 僕の部屋から持っていったの」

「判ったわよ、

 返せばいいんでしょ」

と売り言葉に買い言葉、

朝の食卓を前にして僕と姉貴との口喧嘩が始まってしまうと、

「二人とも、いい加減にしなさいっ」

と母さんの怒鳴り声が響いたのであった。



姉貴との口げんかの後、

僕は気が晴れないまま登校をすると、

「よぉ、どうしたんだよ、

 その手」

とクラスメイト達から包帯が巻かれた僕の右手のことが指摘された。

「あぁ、ちょっと転んでね」

この場で黒くなってしまっ肌を見せるわけにもいかず、

右手をかばいながら僕は嘘を言うと、

「そうか、

 じゃぁ、体育は見学だな…

 今日はバスケだというのに」

と残念がってみせる。

結局、体育の授業は右手の包帯のおかげで僕は見学をすることとなったが、

クンッ

クンクン

見学中に不意にその右腕を掴まれたような感覚を覚えると、

「?」

僕は不思議に思いながら右手を庇う。

すると、

クンクンクン

さらに腕が引っ張られる感覚はさらに強くなると、

「??」

意味も分からず僕は腰を上げたのであった。

「どうした?」

「すみません、

 ちょっとトイレに」

腰を上げた理由を聞かれた僕はとっさに思いついた口実で体育館を離れていく、

そして、

「なんだ?

 まるで引っ張られるみたいだ…」

引っ張られる腕の向かうままに僕は学校の中を歩き、

やがて人目のつかないところにくると、

「何なんだよ」

と言いながら包帯を取ってみせる。

すると、僕の前に漆黒の肌が姿を見せるのと同時に、

あのビーズの腕輪が目に飛び込んでくると、

クンッ

クンクンッ

腕輪はまるで話しかけるかのように盛んに動いて見せる。

普通ならこの場で腰を抜かしてしまいそうなのだが、

なぜか僕は恐怖を感じることは無く、

まるで目に見えない弟に話しかけるようにして、

「判ったから、しばらくおとなしくしてくれ、

 学校が終わったら付き合うから」

と話しかけたのであった。

すると、

クンッ!

腕輪はそれに応えるように一回反応した後、

ピタリと静かになった。

なんでそんな言葉が出たのか僕には判らなかった。

でも、僕の意思とは関係なく、

心の奥から出てきたのは事実であり、

そして、夕方。

いったん帰宅した僕は自転車に乗ると腕輪からの求めに応じてあるところに向かっていたのであった。



「マサイ戦士の槍…」

薄暗い陳列ケースの中に収められている年代モノの槍を前にして僕はそう呟くと、

クンッ

僕の右腕についている腕輪は反応をしてみせる。

「これを取れって言うのか?」

腕輪に向かって僕はそう話しかけ、

そして、漆黒の肌が覆う右腕を槍に向かって翳したのであった。

その途端、

カチャリ!

ひとりでにケースの鍵が外れてしまうと、

カラリ

と陳列ケースは軽い音を立てて開いてみせた。

槍と僕の間を隔てていたものが消えて失せてしまったことに、

ゴクリ

僕は生唾を飲み込むと、

スッ

いきなり飾られていた槍がまるで空中移動してくるかのように僕に向かって飛び込んできた。

「うわっ」

小さな僕の叫声があたりに響き、

それと同時に、

ヒシッ!

槍は僕の右手に納まった。

その途端、

僕の脳裏にある光景が広がったのであった。

『これは…』

驚く僕の目の前に姿を見せたもの。

それは牙を剥き威嚇してみせるライオンと、

そのライオンから一歩も引かずに槍を構え、

対峙してみせる半裸のマサイ戦士であった。

『これって今朝見た夢』

夢で見た光景を思い出しながら僕は声を上げると、

『!!っ』

対峙するマサイ戦士は一瞬の隙を付くと、

ライオンめがけて渾身の力で手にした槍を投げて見せた。

しかし、彼が放った槍はライオンの体に突き刺さるものの、

ライオンの動きを止めることは出来ず、

逆に手傷を負ったライオンはマサイ戦士に飛び掛る。

『あっあぁぁ…』

すぐに山刀を抜き果敢に応戦をする戦士だったが、

しかし、獰猛さでまさるライオンの敵ではなく瞬く間に喉元を噛み千切られてしまうと、

僕の見ている前で戦士は壮絶な最期を遂げてしまったのであった。

衝撃の光景に僕は呆然としていると、

『…忘れた?

 これがお兄ちゃんの最後なんだよ』

と少年の声が僕の耳に響いた。

『え?』

その声に僕は再度驚くと、

スッ

岩の陰からマサイの少年が顔を出し、

『お兄ちゃん。

 お久しぶり』

と少年は僕に話しかけてくる。

『お久しぶりって…

 君と会ったことがあったっけ?』

少年に向かって僕は聞き返すと、

『まだ思い出せないか、

 お兄ちゃんはこの戦士・モランの生まれ変わりなんだよ』

と少年は僕を指差しそう告げる。

『え?

 えぇ?』

衝撃のその言葉に僕は思わず声を上げると、

『シンバ・トトウ…

 とても強くて、

 とても恐ろしいシンバ。

 そして、お兄ちゃんはトトウを倒すべく、

 皆の期待を背負って立ち向かったモラン』

と少年は言う。

『僕がマサイの生まれ変わりだって?

 まさか…

 大体どういうつもりで僕にこんな光景を見せたんだ?』

ライオンに食べられていく戦士の躯を横目にしながら僕は聞き返すと、

『僕の魂はオロイボニによっていまお兄ちゃんがしている腕輪に精霊として込められているんだ。

 トトウに破れ、生まれ変わった兄ちゃんを追いかけるためにね。

 そして、やっとお兄ちゃんに巡り会えたんだよ。

 思い出してお兄ちゃん。

 その槍はお兄ちゃんの槍だし、

 お兄ちゃんの体はモランだった頃に戻ろうとしているんだよ』
 
そう少年は話した。

『うっ』

その言葉に僕は声を詰まらせ、

漆黒の肌が覆う右腕を見る。

『僕がマサイ戦士の生まれ変わり?

 この右手はマサイ戦士だった頃に戻ろうとしている?』

右腕を見ながらそう呟いていると、

『お兄ちゃんを食べつくしたシンバ・トトウはもはやシンバではなくなった。

 シンバの姿をした魔物になった。

 だから思い出して、モランだった頃のことを』

僕に向かって少年はそう告げると、

ゴワッ!

『うわっ』

僕はいきなり吹き付けてきた突風に吹き飛ばされてしまったのであった。




ギラッ!

真上から照りつける強烈な日差しの下。

僕は一人で歩いていた。

見渡す限り平原が続くサバンナ…

「ふぅ」

ふと立ち止まった僕は手にしている槍を地面に突き刺し、

改めて周囲を眺めて見ると、

「なぁ、

 本当にこっちでいいのか?

 もぅ三日以上歩いているけど」

右腕の腕輪に向かって僕は話しかける。

すると、

クンッ!

『うん、こっちだ』

と腕輪はある方向に僕を導こうとするかのごとく引っ張ってみせる。

「判った判った、

 言うとおりにするよ」

腕を引っ張られた僕は槍を携え再び歩き始めた。

そしてそれから歩き続けること2日、

「ここでいいのか?」

腕輪に導かれるまま僕はとあるマサイの集落に到着すると早速入ってみる。

すると、集落の佇まいはいかにもって感じであり、

村人達の身なりも半裸の体に朱染めの衣・シュカを身にまとい、

首にはビーズやトンボ玉で作られたカラフルな飾りをたらしている。

さて、集落に到着した僕がしなくてならないことは、

この集落に済んでいるであろうオレンガンロと言うマサイの老人を探すことだった。

腕輪が伝えるには、

トトウと言うあのライオンは広大なサバンナを常に移動しているので、

追いかけるよりもここで待ち構えていたほうが都合がいいらしい。

そして、まだマサイ戦士として覚醒していない僕は

トトウが襲ってきた時に確実にしとめられるようにオレンガンロに鍛えてもらうそうだ。

「なぁ、そんなにオレンガンロって人は凄いのか?」

と腕輪に向かって僕は話しかけると、

『僕はお兄ちゃんをここに連れて来るように定められただけ。

 詳しいことはオレンガンロに聞け』

と言う。

「ふーん」

腕輪からの返事を聞いて僕は感心すると、

槍を持つ右腕を見る。

サバンナに来てから僕の体は確実に変わっていた。

体の半分以上の肌が黒く染まってしまうと、

顔も黒い肌に覆われていて、

また、手足や背も伸びていたのである。

そのため、来ていた服は寸足らずとなってしまい、

ややみっともない姿をさらしているのだが、

そんな僕を驚かせたのは身体能力の向上だった。

バスケも楽勝な跳躍力。

遠くまで見えるようになった視力。

敏捷性も腕力も…

そして、飢えにも乾きにも強くなっていたのである。

「なんか自分の体ではないみたいだ」

マサイ戦士の肉体となっていく自分の体に僕は畏怖の念を感じていると、

『それを使いこなせるようにならないと駄目だよ、

 じゃないとトトウの餌食になるだけだよ』

と腕輪は言う。

「はいはい」

その指摘に僕は縮れ毛が覆い始めた頭をかきながら返事をすると、

「オレンガンロと言う人はどに居る?」

と集落のマサイに聞いてみると皆ある方向を指さして見せる。

「向こうか…」

集落のはずれの方を指し示す指に僕は振り向くと、

「なら、俺が連れていってやろうか」

と言う男の声が響き、

なんと僕をオレンガンロの所へと連れていってくれたのであった。



男と共にしばらく歩くと集落の外れに土で作られた一軒の小屋があり、

その小屋の脇で座り込んでいる人影が見える。

それを見た僕は

「あの人がオレンガンロさんか?」

と尋ねると

「そうだが、

 あんた、あいつに何の用があるんだい?」

と男は怪訝そうに聞いてくる。

「いや、しばらくの間あの人の世話になるつもりさ、

 あの人に鍛えてもらわないとなら無くてね」

その問にそう答えると、

男は急に立ち止まり、

改めて僕の顔を見つめながら

「それは…やめた方がいいと思うよ」

と警告をする。

「オレンガンロさんに何か問題があるんですか?」

男に聞き返すと、

「いや、別に…」

男は答えをはぐらせながら再び歩き出し、

やがて、小屋のそばにくると

「おぃオレンガっ、

 お客さんを連れてきたぞ」

と男は大声で怒鳴り、

「じゃ、俺はこれでな」

そう言う否や、男は足早に去って行った。

一人残された僕はこの場の空気にから逃げようかとも思ったが、

「誰だ」

と言う声と共に黒い陰がヌッと僕の目の前に現れる。

「いや、あの、

 その…」

まさに聳え立つという言葉がぴったりのその姿に僕は恐れ慄いてしまうと、

「ほぅ…やっと来たか。

 オレンツゥン」

と皺まみれの顔で僕に話しかける。

「オレンツゥン?」

オレンガンロの口から出た言葉を僕は呟くと、

「それがお前の名前だ。

 まだ思い出せないか」

と言う。

「オレンツゥン。

 これが僕のマサイとしての名前なんですね」

オレンガンロに向かって僕は興奮気味に聞き返すと、

「どこで何をしていたのか判らないが、

 だいぶモランとしての肉体を取り戻してきているみたいだな。

 ん?

 その腕輪は…」

とオレンガンロは僕の右腕につけている腕輪に気が付いた。

「あっこれは…その」

オレンガンロに向かって僕は如何説明しようかと考えると、

「ははは…

 そうか、この腕輪に導かれてここに来たのか。

 この腕輪はお前が死んだ後にオレが作り、

 お前がまたここに来られる様にと

 オロイボニにオレの魂を封じ込めさせて放ったものだ。

 ふんっ、

 長い月日をかけてやっとお前を連れてきたわけだな」

と感心して見せる。

「えぇ?

 じゃぁ、あなたがこの腕輪を作った…

 ってあの少年があなたなのですか?」

それを聞いた僕は聞き返すと、

「ふっ、

 随分と昔の話だ」

とオレンガンロは笑ってみせ、

僕の右手に自分の手を差し出した。

すると、

パキン!

僕の右手首につけていた腕輪は呆気なく砕け散ってしまうと、

雲散霧消してしまったのであった。

「あっあぁぁ…」

それを見た僕は思わず声を上げてしまうと、

「お前をここに連れてきたところでそいつは用済みだ。

 お前にはお前がつけなくてはならないものがあるし、

 それにその格好じゃぁモランとはいえないな」

そう指摘すると、

僕の前に朱染めのシュカとさまざまな腕輪や首飾り・胸飾りを差し出して見せる。

「こっこれを身につけるのですか…」

それを見て嬉々としながら僕は問い尋ねると、

「あぁ、

 だからさっさといま着ているものを脱げ」

とオレンガンロは僕に命じた。

「はっはい」

その言葉に従い僕は着ていたものを全て脱いでいくが、

下着を取ったところで、

「ん?

 お前はまだ割礼をしてないのか」

と僕のシンボルを見ながらオレンガンロは尋ねた。

「え?

 あっ!」

見事に皮を被っているシンボルに僕は気づくと、

「それはモランとして見過ごせない。

 よしっ、

 いまから儀式をするぞ」

とオレンガンロは膝を叩いたのであった。



それから3日後…
 
「痛ててて…」

裸体にシュカを纏い、

首や胸元にビーズの飾りをつけた僕は、

股間からいまだ響いてくる痛みをこらえつつ、

オレンガンロと共にサバンナを歩いていた。

「オレンツゥン、

 何だその歩き方は!」

痛みを和らげるために腰を引いて歩く僕を見てオレンガンロは怒鳴り声を上げると、

「そんなことを言っても…

 擦れるし

 痛いし…」

と僕はむき出しにされた敏感な部分が訴える刺激と、

その根元にある傷口からの痛みを訴えるが、

その訴えなど聞いてもらえることなどありえ無く、

「はぁ…

 マサイ戦士になるってやっぱり大変なことなんだ…」

割礼の際に髪の毛を剃りあげられ、

代わりに赤土を塗られた頭を掻きつつ僕はそう呟くと、

「おいっ、

 もたもたするな、

 そんなことじゃぁまたトトウの餌食になるぞ」

とオレンガンロの声が響いたのであった。



おわり