風祭文庫・モラン変身の館






「崖の上へ」


作・風祭玲


Vol.679






容赦なく照りつける日差しの元、

あたしは頂上を目指して崖をよじ上っていた。

「よっ」

「こらっ」

「んしょっ」

山登りと言っても遠足でハイキングぐらいしか経験のなかいあたしが、

いまこうして岩に食らいつきながら山登りをしているのは何かおかしいし、

しかも、この山登りをするに当たって、

必要な装備と言うものはほとんど無い状態だった。

「んしょっ」

「よっ」

剥き出しの岩をあたしはスルスルとよじ登っていく、

サバンナと言えば見渡す限りの平原を連想させるかも知れないけど、

でも、サバンナには遙か彼方まで一直線に連なる崖や、

動物たちがあつまる池の周囲をグルリと取り囲む崖など、

至る所に崖があるのである。

そして、その中の一つ、

マサイ達から、

”岩だらけの坂道”

と呼ばれる崖をあたしは道ではない所から登っていた。

なぜ、そんな所から登るのか…

その答えはただ一つ、

”間に合わないから”

である。

「一体、今何時なのかな…」

マサイとなり時計など見ない生活をしてても、

ふと、そう思うことがある。

特に待ち合わせをしているときなど、

マサイ達は大ざっぱに花の咲く時間や、

槍を地面に突き刺したときの影の長さで決めるけど

でも、時計の元で生活をしてきたあたしには

そのような時間の決め方にはなかなか馴染めないところがあった。

”そんなに急ぐことはない”

村を出るとき長はあたしにそう告げたが、

しかし、あたしは一刻も早く向かいたかった。

”せめて、待ち合わせの時間よりも早く着きたい。”

その思いがあたしをこの崖へと向かわせたのであった。

”ここを登り切れば…”

身体の全てを隠しきれない朱染めの布・シュカを巻いただけの姿で

あたしは黒く光る腕を上へと伸ばす。

チャラ…

チャラ…

身体の動きに合わせて首に下がる飾りが微かな音を立てる。

手を足に全神経を集中させ、

あたしは崖を登っていた。

始めてココに挑戦させられたとき、

あたしは恐怖から途中で固まってしまった。

けど、誰も助けには来なかった。

窮地は自分自身の力で解決する。

それをあたしはココで教わったのだ。

「よっ」

「んくっ」

あの日、立ち往生した所をあたしは通り過ぎ、

そして、その先を目指す。

”端から見ればどんな風に見えるかな…”

ふと、そんなことを考える。

「ロッククライミングをする、マサイの戦士。

 きっと、そんな見出しが付くだろうなぁ

 だって(クス)、いまのあたしは…マサイなんだし…」

とあたしは囁くようにしてそう言った。



そう、あたしはマサイの戦士・モランだ。

朱染めのシュカを身体に巻き、

1本の槍でサバンナを生きぬく野生の男…

その男にあたしはなった。

いや、ならされたと言った方がいいかもしれない。

カラン…

あたしの足下で石が鳴る。

”ヤバ”

その瞬間、あたしの動きは止まるが、

しかし、それこで止まるわけにはいかない、

背中にくくりつけた槍がずれないように位置を直すと、

腰から下げている短剣の位置を確認しまた登り始める。

あと少し…

頂上が迫ってきているのか、

青空が眩しい。

「んしょっ」

「くっ」

「よっ」

「くはぁ!!!」

最後の岩を掴み、

そして、思いっきり身体を引き上げると、

あたしの目に新しい景色が飛び込んできた。

「はぁ…着いた…」

崖の頂上であり、

また、崖の頂上でもあった。

一休みすることなくあたしは立ち上がり道を急ぎ始める。

「うっ…

 素直に坂道を登れば良かったか…」

遠回りする手間を省いたつもりだったが、

逆に時間が掛かってしまったみたいだ。

空の太陽は天空の真上に動いてしまっている。

道無き道をあたしは急ぎ、

やがて、数軒の石造りの建物が寄り集まっている場所が見えてきた。

「間に合ったかなぁ…」

そう思いながらあたしは槍を片手に建物へと近づいていく、

カラン…

建物の屋根から鐘の音が響き始めた。

教会…それがこの建物の名前である。

でも、あたしはその教会に来たわけではない。

そこである人物と待ち合わせをしているのだ。

「えぇっと…」

キョロキョロしながらあたしはその人物の姿を探していると、

「だーれだ」

の声と共に

フッ!

いきなり目の前が真っ暗になる。

「ひっ!」

ブンッ!

反射的にあたしは持っていた槍を振り回すと、

「うわっ!

 危ねぇ!」

と男性の驚く声。

「!!っ

 なに、伸幸だったの」

その声にあたしは男性の名前を呼ぶと、

「なんだよっ

 いきなり槍を振り回すヤツがあるか」

と言う声と共にあたしの前にシャツ姿の男性が立ち注意をする。

「だぁってぇ」

その注意にあたしは言い返すと、

「ふっ」

男性、いや、伸幸は小さく笑い。

「元気そうじゃないか」

と声を掛けてくれた。

「え?

 えぇ、
 
 まぁ…」

その言葉にあたしは気恥ずかしさを感じながら鼻の頭を掻くと、

「ふふっ

 マサイになってもその癖は抜けないか」

と伸幸は言う。

「わっ悪かったわね…」

「いや、安心するよ、

 紀子はマサイにはなりきっていないって判るから」

「え?」

思いがけないその言葉にあたしは驚くと、

「さぁて、

 折角、サバンナに来たんだから、
 
 色々見なくちゃな…
 
 ガイドよろしくぅ」

驚いているあたしの気持ちを踏みにじるようにして、

伸幸は笑顔であたしに告げた。

「伸幸…あんたって人は…」

「なんだよっ、

 マサイ暮らしも長いんだから、

 サバンナは庭みたいなものだろう

 うーん、サバンナ!!!
 
 まさしく、野生の大地!!

 で、ライオンは何処に居るんだ?

 今度こそは、このカメラに納めるぞぉ」

肩をワナワナ震わせているあたしを尻目に伸幸は真新しいカメラを構えてみせる。

「ふぅ…」

その様子を見ながらあたしは肺に溜まった空気を吐き出し、

そして、思いっきり吸い込むと、

「観光旅行に来たのか、お前は!!!」

と思いっきり怒鳴ってやった。



カシャッ!

歩き始めたあたしの後ろからシャッター音が鳴り響く。

「………」

その音を気にせずに歩いていくと、

カシャッ!

また、シャッターが切られた。

「………」

カシャ!

カシャ!

幾度も響くその音にあたしは立ち止まると、

「さっきから何を写しているの」

と後からついてくる伸幸に尋ねる。

「何って…

 紀子を写しているんだよ」

その問いに伸幸は屈託もなく返事をすると、

「あのね、

 言っておきますけど

 あたしはモラン、

 マサイなのよっ

 もぅ、女じゃなないんだから…

 男のお尻を見てそんなにいいの?」

と聞き返す。

「え?

 いやっ

 お尻を丸出しにして歩くマサイというのも…
 
 面白いな…っと思って」

あたしの質問に伸幸はそう答えると、

「しっ仕方が無いでしょう、

 このシュカは…小さいんだから…

 前を隠すだけで精一杯なのっ」

振り返ったあたしは手で前を隠しつつ怒鳴るが、

カシャッ!

「うんっ

 その顔…
 
 百戦錬磨の戦士って顔だよ」

と伸幸の声が響いた。



”はぁ…

 こんな思いをするなら…
 
 無理してあんな崖登るんじゃなかった…”



おわり