風祭文庫・モラン変身の館






「出迎え」


作・風祭玲


Vol.663






「うっ」

眠りの奥から引き戻されるようにしてあたしは気がつくと、

薄暗い中に浮かび上がる様にして煤けた天井が目に入る。

「ここは…」

天井をジッと見つめたままあたしはそう呟き、

そして、記憶をたどり始めた。

…そっか、あたし…

…村に戻って着たんだっけ…

昨日、ウシの群れの警護をしながらあたしは村に戻ってきたことを思い出す。

ウシを一頭も失わずに無事に村に戻れたコト、

そして、警護をしてきた仲間も失わずに戻れたこと喜び、

あたし達は夜遅くまで踊り、

そして跳ね回っていたことが鮮やかによみがえってくる。

「あはっ

 夕べは思いっきり跳ねたな…」

すらりと伸びた腕を額に着けながらあたしは小さく笑うと、

ゆっくりと状態を起こす。

チャラ…

小さな音が胸元から響き、

パサッ

うなじに髪を束が掛かる。

「ふぅ…」

粘土を眩し細かくより分けて作った髪の紐を束にしてまとめ上げた髪を軽く直しながら、

木をくみ上げウシの皮を張った寝所から腰を上げる。

これまで幾人ものマサイ達が身を横たえであろうか、

張ってあるウシ皮は生えていた毛は楕円形に消え、

その消えた部分にはマサイ達の汗と脂が幾重にも塗り込められていた。

あたしがマサイになって初めてこの寝所に身を横たえたときは、

漂ってくる臭いに噎せ、とても寝るどころではなかったのだけど、

でも、いまは返ってのこの匂いがあると安心して寝られる。

それだけあたしがマサイになってしまったのかも知れない。

ブラン…

あたしのお股でオチンチンが揺れた。

「あっ

 あたし、裸…」

どうやら、あたしは裸のまま寝所で寝ていたらしい。

「着ていたはずのシュカは…」

ずっと身につけていたマサイの朱染めの衣・シュカを探し始めるが、

しかし、なかなか思うように見つからない。

「困った…」

幾らマサイとは言っても裸で表に出ることは出来ない。

モランになったばかりならまだ許されるだろうけど、

でも、月日が経ったあたしが裸のまま出ることは出来ないのだ。

「うー…」

あたしの口から困惑の声が漏れる。

とにかくシュカを見つけないと…

目でシュカを探しながらオロオロしていると、

「アルズ!」

外からあたしの名前を呼ぶ声が響いた。

その名前で呼ばれるようになってどれくらい経ったのだろうか、

「あっはい」

違和感を感じなくなったあたしは反射的に返事をすると、

手で股間を隠しながら光輝く出口へと向かっていく。

すると、

ヌッ

いきなり黒いものがあたしの前に現れた。

「あっ」

驚きと悲鳴を混ざった声をあたしは上げると、

「お前のだ…」

と声が響く。

「え?…」

その声にあたしはそれをシゲシゲと見ると、

あたしが常日頃身体に巻いていたシュカであった。

「あっ

 それ!」

目の前のものがシュカであることに気づいたあたしが声を上げると、

「まったく、

 これをほっぽり出すヤツがあるか」

と呆れた声が響く。

あたしの一つ上の年齢組に属するラウシュの声。

「そんなコト言っても…」

相手がラウシュであることにあたしは安堵の気持ちで返事をすると、

「ほらっ

 早く受け取れよ」

の声と共に黒い塊が動く、

光の加減で丸められたシュカが黒い塊のようにして見えるのだ。

そして、その塊から伸びるのは紛れもないラウシュの腕だった。

「ありがとう…」

そんなラウシュにあたしは礼を言いながらシュカを受け取ると、

広げたシュカから伸びる紐を首に掛け身体に巻き付ける。

そして、外れないようにベルト代わりの紐で縛ると着付けは終わりである。

たったそれだけ…

下着もパンツも何もない、たったそれだけなのである。

それだけの格好で槍と牛皮を張った盾でサバンナを生き抜いていくのである。

それがマサイであり、戦士・モラン。

そして、あたしはそのモランの一員…アルズ…

それを自覚するとあたしの胸はキュッと締め付けられてくる。

帰りたい…

胸を締め付けられながら、ふと頭の中にその言葉が響く、

帰りたい…

元いたところに…

帰りたい…

女の子だった頃に…

帰りたい…

帰りたい…

帰りたい…

次第に大きくなってくる声を振り払うようにして、

ブル!

あたしは大きく頭を振った。

と同時に、

ザザッ!

チャラン…

束ねた髪と胸飾りの音が鳴り響く。

何を言っているのっ

あたしはマサイ。

マサイのモランなのっ

ここでしか生きてゆけないんなんだから!

ビシッ!

泥と牛糞を塗り固めて作った壁を拳で叩き、

あたしは心の中で叫ぶが、

「それに、こんな身体で、

 こんなオチンチンを生やした身体で、

 帰れるわけないじゃない」

と呟きながらその場に蹲ってしまった。

お股から生えている真っ黒なオチンチン…

このオチンチンがあたしの人生を大きく変えたのだ。

オチンチンはあたしから広子という人生を取り上げ、

そして、アルズと言うマサイの男の人生を押しつけた。

ううん、それをはね除ける手段はあった。

でも、あたしは誘惑に負けてしまったのだ。

オチンチンからの誘惑…

あの日、このオチンチンから白い液体を噴き上げてしまったあたしは

マサイになるしかなかった…

男の快感を知ってしまったのだ。

野生の男の快感…

もぅ知らなかった頃には戻れない。

そして、それを知ってしまったあたしはマサイになった。

ムクッ!

お股からオチンチンが鎌首をもたげはじめた。

「だめっ」

反射的にあたしはオチンチンを押さえ込むが、

ムクムクムク!

あたしの意に反してオチンチンは見る見る大きくなってくる。

「あぁ…」

また扱かなければならないのか、

またあの白い液体を噴き上げないとならないのか、

そう思いながらあたしはオチンチンを押さえていると、

「アルズ!

 何をしている。
 
 お前に客だ」

とラウシュの声。

「え?

 あっはいっ」

その声にあたしは我に返ると、

オチンチンには構わず表に出ると、

「何をしていた、

 ほらっ
 
 お前に客だ、
 
 村の外にいる」

と表であたしを待っていたラウシュがあたしに言う。

「あっ

 ありがとう」

ラウシュに礼を言い

あたしは槍を片手に村の入り口へと向かっていく。

常に槍を持つ…

モランとしての身だしなみである。

真上から降り注ぐ強烈な日差しに黒い肌を輝かせながら、

あたしが村の入り口に来たとき、

「あっ」

思わず身体が硬直してしまった。



「!!っ

 ひっ広子か…

 げっ元気そうだね…」

硬直し立ち続けるあたしに向かって入り口に立つ男性はそう話しかけてくる。

「政夫…さん」

思わず手で塞いだあたしの口からその男性の名前がこぼれ落ちる。

「なんだよ、その顔は…」

昔と変わらない態度で彼はあたしに話しかけると、

「あっあたしが判るの…」

とあたしは尋ねた。

すると、

「当たり前だろう、

 広子がどんな姿になっても、
 
 僕にはわかるよ」

とあたしに向かって言う。

……ありがとう…

その返事にあたしの気持ちは嬉しさでいっぱいになる。

あたしがマサイになっても、

シュカ一枚の姿でサバンナを駆け回っていても、

あたしを想ってくれている人がいる。

そう思うとあたしは感無量になり、

思わず涙がこぼれ落ちそうになる。

”ダメ…ここで泣いては…”

モランとしての自覚だろうか、

そう自分に言い聞かせながらシュカの端を握ると、

腕を突き出し、

右足を上げ、

その足先を左足の膝に当てるモランのポーズをして見せる。

そして

「ようこそっ、

 ここがあたしの村…

 マサイの村よ、

 見てのとおり小さな村だけど、

 でも、他の村よりもずっと安全よ、

 なぜって?

 それは…

 うふっ

 あたしがこうして守っているからよ。

 だからゆっくりして行ってね」

と言いながらあたしは笑みを浮かべたのであった。



おわり