風祭文庫・モラン変身の館






「決意の朝」


作・風祭玲


Vol.658






「あっ

 ここまで、

 ここまででいいわ、

 ここから先はあたし一人で行くから…」

あたしは声を上げると、

キッ!

乗っていたクルマは朝日が照らし出すサバンナの真ん中で停車した。

「ここでいいのか?

 大丈夫か?」

ハンドルを握る富雄はそう声を掛けながら不安そうにあたしを見る。

「うん、

 大丈夫。

 大丈夫よ」

つい昨日まであたしと未来を約束していた彼のその言葉に

あたしは笑みを浮かべながら答え、

バンッ

横のドアを開けた。

フアッ

ドアを開けるのと同時にサバンナの風があたしを包み込む、

土の臭いと草の臭い、

そして、かすかに香る獣の臭い…

そう、

たったいまからあたしはこのサバンナの住民となる。

そう思うとなんだか身が引き締まって来る。

ザッ

決意を新たにしながらあたしはクルマから降り、

そして、地面に足をつけた途端、

ビュオッ

サバンナに舞い降りた新住民を迎えるかのように

一陣の風があたしを包み込むと、

その流れと共に赤茶けた砂塵が舞い上がる。

「うわぷっ」

目に砂塵が入らないようにあたしは顔を背けようとするが、

砂塵はあたしの目に入ってくることはなかった。

なぜなら、あたしの瞼と睫はここの環境に適応していたからである。

すると、風は矛先を変え、

バッ!

あたしが身に纏っていた朱染めの衣・シュカをめくり上げる。

「いやっ」

まるでスカートが捲り上げられたかのようにシュカは舞上がり、

あたしは慌ててその裾を押さえるが、

その時、

スルッ、

片方肩の紐が外れ、

バサッ

さらにシュカが大きくめくれ上がってしまったのであった。

「あぁ!」

まるで赤い旗を掲げているかのように

あたしの身体からなびき始めたシュカの様子に困惑していると、

スルッ

ただ身体に巻いただけのシュカはさらに大きくめくれ、

あたしの裸体を周囲に晒し始める。

「やっやっいやっ」

身体全体で感じ始めた風の感覚に、

あたしは胸を手で隠しながらしゃがみ込んでしまう。

そして、吹き抜ける風に向かって

「風よ収まって!」

と念じるが、

しかし、風は収まることはなく、

ついにあたし身体からシュカをはぎ取ってしまうと

空高く舞い上げてしまったのであった。

「あぁ…」

大空に舞い上がって行くシュカを呆然と見ながらあたしは声を上げていると、

「郁江っ

 なにをやているんだ」

と運転席の富雄が声上げた。

「そんなこと言ったってぇ」

その声にあたしはふくれっ面をすると、

「乗れっ!」

と富雄はあたしに向かって叫んだ。



ザザザザ…

道から外れたクルマは大きく車体を揺らしながら、

空高く舞い上がったシュカを追いかけ始める。

「いいよっ

 あたしが取りに行くから」

激しく揺れる車内であたしは叫ぶと、

「舌を噛むぞ、

 黙って捉まっていろ」

ハンドルを握る富雄は叫ぶ。

「う…」

その言葉にあたしは従い、

両脚を踏ん張りながら天井に手を伸ばす。

ブランッ

ブランッ

クルマの動きに合わせてあたしのお股で黒い肉の棒が激しく揺れる。

”オチンチン”

そう、あたしのお股にはオチンチンがついている。

しかも、ただのオチンチンではない。

マサイの…モランのオチンチンだ。

割礼を受け、

赤茶けた亀の頭を思わせる肉塊を剥き出しにしているオチンチンが

股に当たりペチンペチンと音を立てている。

その音がハンドルを握る富雄に聞こえてしまっているのでは?

ふとそう考えるのと同時に

カァッ…

あたしは恥ずかしさを感じると顔が急速に熱くなっていった。

けど、

クルマの騒音にかき消され富雄にこの音は聞こえないはず。

そう思うと少し気が楽になる。

でも…

”あたしはもぅ…郁江じゃないの…

 マサイなの…”

揺れ動く真っ黒なオチンチンを見つめながらあたしは心の中で呟いた。

マサイ…

朱染めの衣・シュカのみの出で立ちと、

手にした槍でこのサバンナで生き抜く誇り高き男達…

あたしはそのような彼らにいつしか憧れ、

そして、この目で見てみたいと思っていた。

でも…

まさか…

自分自身がそのマサイに…

戦士・モランになってしまうとは夢にも思っていなかった。

”ううん…

 もう少し早く、

 富雄と出会う前だったらあたしは喜んでマサイになっていたかも知れない”

そう考えるとこの胸が急に締め付けられてくる。

なんであの時、

あんなコトをしたのか…

マサイ村で取った自分の軽率な行動がとても悔しく感じられた。

あのままただの観光客で村を去っていたら、

あたしがマサイになっていなかったら、

あたしが女の子のままで居たら…

スッ

あたしの頬に一筋の涙が光る。



”だめ…

 あたしはもぅマサイなんだ…”

この肌は墨のように黒く、

細くて長い手足、

赤茶けた髪、

オッパイはなくなり、

お股にはオチンチンが伸びている。

誰が見てもあたしはマサイでありモランである。




「よしあそこに落ちたぞ」

富雄のその声と共にクルマが止まると、

彼は高いブッシュの端に引っかかっているシュカを指さした。

「あっありがとう…」

それを見ながらあたしは礼を言い、

クルマから大急ぎで飛び降りる。

あのシュカはあたしがマサイになったとき、

モランの長から受け取った大事なもの…

裸のままあたしはブッシュに駆け寄ると、

手を伸ばして引っかかっているシュカを取ろうとするが、

高い位置で引っかかっているシュカには手が届かない。

「うっ

 くそっ」

しかし、幾ら手足が伸び、

背が高くなっても届かないものがある。

それを改めて認識しながらもあたしは手を伸ばしていると、

「これを使え」

と富雄の声が響き、

一本の槍が差し出された。

「あっ

 それ…」

「モランにとって大事なものであることは判るが、

 道具は道具だよ」

驚くあたしに富雄はそう告げると、

「ありがとう」

あたしはそう返事をして受け取る。



「よっ

 あっ
 
 もちょっと、
 
 んー…
 
 上手く引っかかって」

槍を伸ばし、その先でシュカを引っかけようと試みるが、

なかなか思うように引っかけることが出きず苦労していると

「どれ」

富雄の声が響き、

いきなりあたしの股間に富雄の頭が潜り込んできた。

「きゃっ!」

突然のことにあたしは悲鳴を上げると、

「肩車してやる」

彼はあたしにそう言うや否や、

グイッ

あたしの視界が一気に持ち上がった。

「やっやめてよ、

 恥ずかしいよ」

女の子の時ですらされたことがなかった肩車にあたしは戸惑っていると、

「早くしろっ

 お前、マサイになってさらに重くなってないか」

と富雄の声が響く。

「失礼しちゃうわね」

その声にあたしはむくれながら手を伸ばし、

そして、シュカの端を握りしめると思いっきり引っ張った。

ザザザザ…

ブッシュの細い枝の音を響かせながらシュカは一気に剥がれ、

バサッ

あたしの元へと戻ってきた。

「うん…

 取れたわ、ありがとう」

これからずっと身につけて行くことになるシュカを抱きしめながら

あたしは下の富雄に向かって礼を言うと、

「よっ」

彼のその声と共にあたしは下に下ろされた。



「ありがとう…」

シュカを肩に掛け、

マサイの槍と楯を手に取ったあたしは富雄に改めて礼を言う。

「もぅ、飛ばされるんじゃないよ」

「大丈夫、気をつける」

「ここで本当にいいのか?」

「これくらいの距離は大丈夫よ、

 マサイにとってこの程度は遠いなんて距離じゃないし、

 それに村の入り口まで富雄に送られてきたら、

 あたしのマサイとしてのプライドが許さないもん」

「よく言うよ」

「うふっ」

「じゃっ」

「うんっ

 じゃぁ行って来るねっ」

あたしと富雄に別れの挨拶をすると、

クルリと向きを変える。

マサイとして、

モランとしてあたしは歩き始めたのであった。



おわり