風祭文庫・モラン変身の館






「旅立ち」


作・風祭玲

Vol.161





ヒュォォォォォォ〜っ

サバンナの大地に一陣の乾いた風が吹く、

「うわっ」

風に煽られたあたしは一瞬よろめくと、

すぐに体勢を立て直して歩き始めた。

ハタハタハタ…

腰に巻いている唯一の衣服である朱染めの布・シュカが風を受けはためいていた。

「ふぅ…」

ザクッ!!

あたしは立ち止まると持っていた槍を地面に突き刺し、

瓢箪で出来た容器を口に当てた。

ヒヤッとした物体が喉を通り過ぎていく、

今日初めての食事だ、

「あれから大分歩いたけど、

 タタラスの村までいったいどれくらいあるの?

 もぅ、これで3日目よ」

あたしはあたしから少し離れたところで立ち止まり

じっとあたしを眺めているもぅ一人のあたしに問いかけた。

するとあたしはスッ…っと地平線を指さした。

もぅ何回この質問をしただろうか、

あたしは槍を手に取ると再び歩き始めた。



ザッザッザッ

荒涼とした大地を歩くあたしの身体には

強い日差しと厳しい環境から身体を守る漆黒の肌、

獣のように発達した体中の筋肉…

そして、股間に下がるオトコの肉棒…

そうあたしは男になっていた。

しかもただの男ではない、

黒く輝く肌にシュカを腰に巻いただけの半裸、

そして、両手には長い槍と獣の皮で出来た楕円の盾と

腰には瓢箪の容器を下げた、

そう広いサバンナを勇猛果敢に闊歩するマサイの勇者…

それがいまのあたしの姿だった。

そして、あたしがいま向かっている先には、

あたしの身体を奪っていった呪術者タタラスが居る村がある。



そうあれは3日前のこと…

「キャァァァァァァ!!」

「なんだっお前はっ!!」

新婚旅行でサバンナに来ていたあたし達は、

日程最後の夜のひとときを過ごしていたとき、

ボスッ!!

と言う鈍い音と共に黒い影が部屋の中に飛び込んできた。

フシュ〜っ

不気味な息づかいをする影はむくりと起きあがると、

ズルっ

と言う音共に一本の杖のような物体が飛び出すと、

ドンと床に突き立てた。

『グヘヘヘヘ…

 見つけたぞ…

 見つけたぞ…

 捜していた贄を…』

不気味な声があたし達の頭の中に入って来た。

「人間?」

影を見ながらあたしがそう呟くと、

「この野郎っ、ここから出て行けっ」

あたしを庇っていた彼が叫びながら、

ベッドの傍に置いてあった時計やパンフを影に向かって投げつけた。

しかし、

それらは音もなく影の中に吸い込まれてくだけだった。

「怖い…」

あたしは思わず彼の身体にしがみつく

『グフフフフ…

 無駄だ無駄だ…

 さぁ女よ私の元に来るんだ』

影はそう言うとあたしの方へと近づいてきた。

ダッ!!

彼はあたしの腕を掴むと押し寄せてきた影から脱兎のごとく逃げ出した。

ボフッ

影に飲み込まれたベッドが部屋から消えた。

「………」

何も言わずあたしはそれを見つめていた。

背筋に冷たいものが走る。

影はしばらくの間そこに留まると再び動き出すなりあたしに迫って来る。

「キャァァァァ」

あたしが悲鳴を上げると再び彼はあたしを抱きかかえるようにして走った。

『おのれっ』

影が叫び声をあげると、

ヒュン!!

影からまるで如意棒のような黒い物体が彼にめがけて伸びる。

「危ないっ」

あたしは咄嗟に彼を突き飛ばすと黒い棒は彼をかすめて伸びていったが、

突如それはクルっと向きを変えると

シュルシュルシュル…

たちまちあたしの身体に巻き付き、

グィっ

っと影の中へと運び始めた。

「朋香っ」

「イヤァァァァァァ!!」

彼とあたしの叫び声が部屋に響く、

グォォォォォォォ…

見る見る影が迫ってくる。

「カズ助けてぇ〜」

あたしが影に飲み込まれるのと同時に

『それに捕まれっ』

と言う声がすると、

ヒュン!!

カッ!!

槍のようなものが目の前に突き刺さった。

ガシっ

あたしは必死の思いでそれにしがみついた。

ギシギシギシ…

もの凄い力であたしの身体を引っ張る。

「負けるかぁ〜っ」

あたしはありったけの力を出して槍にしがみつくと、

ミシミシミシ…

槍から音が出始た。

『!!、仕方がない…』

その声がするのと同時に

ヒュルン

ムグっ?

あたしの口から何かが入り込んできた。

と同時にズルリ…

まるで脱皮したようにあたしの身体から何かがはがれ落ちると、

フッ

っとあたしを引っ張っていた力が消えた。

「え?」

さらに目の前を覆っていた影が消えると、

さっきまでのホテルの部屋が姿を現した。

「なっ、助かったの…」

あたしがキョトンとしていると、

「だっ誰だっお前は…」

彼はおびえたようにあたしに向かって叫んだ、

「は?、何言ってんの、あたしよ…」

と声を出すと、

自分の声がまるで男の声のように低くなっている事に気づいた。

「なっ、なに?」

思わずあたしは自分の口を右手で隠した。

するとその手の色がまるで墨を塗ったように黒くなっていることに気づいた。

「おっお前…どこからやってきたんだ…

 朋香を何処にやった」

彼は立ち上がると近くに転がっていたモップを握りしめると、

その柄をあたしに向けてそう叫んだ。

「ちょっちょっと、あたしよ、朋香よ」

あたしはそう言ったが、

「なんだと?、マサイの男が何を言うっ」

彼の目はあたしを敵視していた。

「マサイ?」

あたしは思わず飛び上がると、

彼を突き飛ばしてバスルームへと駆け込んだ。

「…そっ…そんなぁ…」

バスルームの鏡に映ったあたしの姿は、

そう逞しい男の肉体にシュカを巻き付けた半裸の姿に、

赤茶色の土を塗り込み結い上げた髪

胸元や手首にビーズで加工した飾り・マシパイを巻き付けた、

そう、正にマサイの勇者の姿だった。

「そんな…そんな…

 カズ信じて…あたしよ…朋香よ…」
 
バスルームから飛び出したあたしは未だモップを構えている彼に近づいた。

「?」

なりふり構わぬあたしの様子に彼はモップの柄を下げると、

「…本当に朋香なのか?」

っと探るように尋ねてきた。

「本当よっ、ウソをついてどうするのっ

 あたしを信じて…」
 
あたしはとにかく彼に判って貰いたくって必死に説明した。

「ほっ本当に本当に朋香…なのか…」

ようやく彼があたしであることが判った頃、

『…残念だが…持って行かれてしまった』

あたしを助けた声が部屋になり響いた。

「誰だお前はっ」

彼が声を上げる。

『…私はラマンダ…マサイの勇者・ラマンダ』

と言う声が響くと、

フワッ

あたしと彼の目の前にシュカを巻き付けたマサイが姿を現した。

「え?」

彼があたしとマサイを見比べながら声を上げた。

「なに?」

あたしは思わず訊ねると、

「同じ…だ…2人…いる」

彼は信じられない様な素振りをすると、

『そうだ、女…お前タタラスにさらわれる直前、

 私はお前に私の身体を貸した』

と言った。

「え?」

「じゃぁ、このマサイは本当に朋香なのか」

マサイの言葉に彼が訊ねると、

「うむ」

マサイは首を縦に動かした。

「あっあれは…あの影はなんなんだ?」

彼がマサイに訊ねると、

『あれは、タタラスと言うマサイの邪悪な呪術者がよこした下僕…

 タタラスはある呪法を完成させるためにその贄を捜していた』

「それがあたしだったの?」

あたしが訊ねると、

『そうだ…』

とマサイは答えた。

「じゃぁこれは?」

あたしは自分の身体を指さして訊ねると、

『タタラスの呪法は贄の魂がないと成就させることが出来ない。

 だから、女…お前の魂を抜き私の身体に入れた』

マサイの答えに、

「じゃぁ…元に戻れるの」

とあたしが訊ねると、

『そうだ…

 しかし、それにはお前がタタラスの元に行き、

 ヤツを倒すことだ』

とマサイはあたしに言った。

「そんな…

 倒せだなんて…

 あたしできないよ」

そう言いながらあたしは困惑すると、

「よしっ、俺も行こう…

 行って2人でそのタタラスという奴を倒そう」

と彼はあたしの肩を持つとラマンダにそう言った。

すると、

『それは駄目だ…お前は普通の人間だ…

 タタラスに勝つにはマサイの身体を持つものでないと駄目だ』

とラマンダは答えた。

「そんな…」

彼が絶句したとき、あたしは覚悟を決めて、

「いいわっ、

 あたしがそのタタラスという奴を倒してやるわ、

 マサイの身体のあたしなら倒せるんでしょう」

と訊ねると、

『…………』

ラマンダは答えなかった。



ゴォォォォォォ…

翌日、一台のクルマがサバンナの大地を駆け抜ける。

「!!っ、ココで止めて…」

何かを察したあたしは車内でそう叫ぶと、、

キキッ!!

クルマは急停止した。

「どうした?」

「うん、ここから歩いていくわ」

あたしはそう答えると、

「しかし…」

彼は一瞬困った顔をした。

「大丈夫、それにこの先からは危険よ

 あたし…判るの、

 だから…ここから歩いていくわ」

とあたしは彼に言うと、

「そうか」

彼はそう答え同時にあたしと彼はクルマから降りた。

「じゃぁ…行って来るね。

 カズと一緒に帰れなくなったのは残念だけど、

 あたし…がんばるから」

と言いかけたところで、

「あぁ…わかっているよ、後のことは俺に任せろ」

ポンと彼はあたしの胸を叩いた。

「うん、ありがとう…」

「朋香っ」

「ちゃんと帰って来いよ」

「えぇ、奪われたあたしの身体、取り返してくるわ」

あたしは片手の槍を掲げるとそう答える。

「けど、本当に持っていくのは…それだけでいいのか?」

「え?」

「だって、これからこのサバンナを旅していくんだろう…」

確かにそのときの私の持ち物はラマンダから与えられた、

瓢箪から作った容器ギブユと槍、

そして腰に巻いたシュカのみだった。

あたしはそれらを一通り眺めると、

「うん…大丈夫よ…心配しないで」

と笑みを作りながら返事をした。

「そうか…病気をするなよ」

そう言って彼が車に乗り込みクラッチの操作を始めると、

「カズ…」

あたしは思わず声をかけ、

「うん?」

そのままクルマの運転席の方に回ると、

チュッ

彼の頬にキスをしてみせる。

「………」

黙ってあたしを見る彼に、

「オトコのキスはイヤかも知れないけど…

 カズも元気でね」

あたしはそう言うと、

クルリと向きを変えるとすぐに走り始めた。

ザッザッザッ…

サバンナの風が耳に当たって音をあげる。

どれくらい走っただろうか、

かすかにクルマが走り出す音が聞こえると、

そこに立ち止まるなり振り返った。

虫のように小さくなったクルマが砂埃をあげてあたしの視界から消えていく、

「…必ず帰ってくるから…

 それまでのさよなら…」

あたしは砂埃を眺めながらそう呟くと再び歩き始めた。



『疲れたか?』

いつの間にかあたしの目の前にラマンダが立っていた。

「ううん…大丈夫よ…

 それにしてもラマンダ…」
 
『なんだ?』

「この身体もぅ3日も歩きづめなのになかなか疲れが出ないのね」

と感心しながら言うと、

『それは、マサイだからだ』

と簡潔な答えが返ってきた。

「(なるほど)そうなの…」

『しかし、タタラスとの戦いに勝つかどうかはお前の精神力次第だ』

「………」

あたしは答えなかった。

『さぁ、準備はいいか?

 タタラスはあの向こうだ…』

あたしと同じ姿のラマンダが地平線を指さし、

「行こうっ、

 あたしを取り返すために」

あたしはそう言うとサバンナの大地を再び歩き始めたのであった。



おわり