風祭文庫・海女の館






「神頼み」



作・風祭玲


Vol.387





「彼女の名は、宇津木渚…

 親の都合でこの島に連れてこられた僕にとって新たな希望の火…だった」

ふぅ…

春の連休が過ぎ、

次第に迫ってくる雨の季節の香りが鼻をくすぐり始めた、とある昼下がり、

制服姿の高畠光はため息をつきながら、

教室の反対側で楽しそうにほかの女子と会話をしている宇津木渚を眺めていた。

黒く日に焼けた肌と

快活な振る舞いが彼女の存在をいっそう引き立たせる。

「まったく、

 いきなり脱サラだんて、親父は一体、なにを考えているんだか、

 そりゃぁまぁ、職業選択の自由は憲法でも謳っているけど、

 でも、なぁ己の人生に人の人生を巻き込むなってんだ」

そんな彼女を眺めながら光はブツブツと心の中で文句を言っていると、

「なーに、見てんだよ」

その声と共に光の周りを数人の男子が取り囲んだ。

「ほぉ、宇津木を見ているのか?」

光の視線の先に居る渚の姿を確認した一人がそう指摘すると、

「宇津木?」

「なんだ、高幡って宇津木に気があるのか?」

「ほぉ、本土の男というのは

 あぁいう女が好みなのか?」

「なんだよぉ

 悪いか?」

渚と光を交互に比較しながら感心する男子達に対して不機嫌そうに光が言い返すと、

「いやいや、この島で本土の男性の嗜好を知るいい機会なので」

と言いながら一人が光の肩に手を置いた。

すると、そんな男子達を無視するかのように、

「でも、宇津木さんって部活に入っていないのに何であんなに焼けているんだろう」

と光が呟くと、

「え?

 何だ高幡、知らないのか?

 宇津木って海女をやっているんだよ」

とそれを聞いた一人が渚の別の一面を光に伝えた。

「アマ?

 宇津木さんって尼なの?

 だって、髪の毛があるじゃないか?」

呆気にとられながら光がそう指摘をすると、

「なに寝ぼけたことを言っているんだよ、

 海に潜る海女の方だよ」

と呆れながら彼は光の頭を軽く殴った。

「(いて)なんだ、

 そうか、そっちのほうか」

その指摘に光は自分の発言を誤魔化すかのように頭を掻くと、

そんな光をからかうかの様に、

「溜まっているねぇ?

 旦那?」

と言いながら別の一人が光の鳩尾を肘でつつく、

そしてそれから数日後、海女としての渚に光は初めて出会った。



「あっ、高幡君じゃない」

脱サラした父親の手伝いとして漁港の市場に出向いた光に向かって女性の声が響いた。

「え?」

その声に光が振り返ると、

「あたしよ、あたし」

と白い磯着姿の女性がそう言いながら光に寄ってきた。

海から上がってまだそんなに時間が経ってないのか、

海水に濡れた磯着が彼女の身体に張り付き、

微かに海水が滴り落ちていた。

「えっえぇっと」

困惑しながら光がそう返事をすると、

「あっこれじゃぁ判らないか」

彼女はそう言いながら頭に上げていた磯眼鏡と巻いていた手ぬぐいを取ると、

「あっ!!(宇津木さん)」

光は思わず声を上げた。

「うふ、驚いた?

 高畠君は何でここに来ているの?」

小さく笑いながら渚は光がここに居る理由を尋ねると

「うっうんまぁ

 親父の手伝いでね、

 宇津木さんは?」

光はそう適当な返事をしたのち、

逆に渚がここに来ている理由を尋ねた。

「あぁあたし?

 見てのとおり、

 海で採ってきたものをここに持ってきたの」

「そっそうなんだ

 宇津木さん、海女なんだから当たり前といえば当たり前だよなぁ」

「海女といっても、アルバイトみたいなものよ、

 別に本職になる気は無いよ」

「でも、

 毎日頑張っているみたいじゃない」

「あっ知っていたの?

 うん、お金貯めたいしね」

「で、でも、

 すごいよ、うん」

市場の中で光と渚はそんな会話をしていると、

「渚ぁ!!」

と渚を呼ぶ声が響き渡ると、

その先で磯着姿の海女達が手を上げていた。

「あっいっけない

 じゃぁ、また明日ね」

それに気づいた渚は手を振りながら光の前から走り去ると、

「あっあぁ…」

その去っていく渚を目で追う光の喉はすでにカラカラに渇ききっていた。



「かっ神さまぁ〜っ、

 どうか僕に力を!!」

その数日後の放課後、

光はついに渚に告白しようと決心をすると、

校内でそのチャンスを狙ってみたものの、

しかし、校内では様々な者の視線もあり、

なかなかその本懐を遂げることが出来なかった。

そして、ついに彼女の仕事場である磯への途中にある祠の傍で告白をしようと待機したものの

けど、なかなか彼女を呼び止めることが出来ず。

結局、祠に向かって願を掛ける日々が続いていた。

そして、その日、

「今日こそは…」

という思いを込めて願を掛けていると、

『こらっ!

 いい加減にせんか!!

 縁結びならよそに当たってくれ!』

突然老人の声が周囲に響き渡ると、

パァァァァァァ!!!

光の目の前にある祠が光り輝いた。

「うわっ」

突然のことに思わず光が声を上げると、

『むわったく!!

 神様なら誰でも良いとでも言うのか』

そんな文句と共に、

ぼわん!!

いきなり祠の前に小さなきのこ雲が湧き出ると、

その中より足元にまで届くような髭を垂らし、

日本史の教科書に出てくるような衣装・貫頭衣をまとい、

そして右手に杖を握り締めた老人が現れた。

「なっなんだぁ?」

メガネをずらし、腰を抜かした状態の光が悲鳴を上げると、

『まったく、毎日毎日毎日毎日!!

 同じ縁結びの望みばかりを繰り返しおって、

 いいか、わしは豊漁の神じゃ!

 縁結びの担当ではない!!』

と老人は光に向かって言い放った。

「神?」

老人の口から出たその言葉に光の表情が戻ると、

「あんた、本当に神様なのか?」

と老人を指差し尋ねた。

『無礼者!!

 この神であるわしを指差して”神様なのか”と言うか?』

光の言葉に老人は顔を真っ赤にすると、

「あっあぁ

 すっすみません…

 でっでも、想像よりあまりにも小さかったもので」

光は頭を下げながら、じっと目の前の祠の正面に立つ老人を眺めた。

『なんじゃ、文句があるとでもいうのか?』

しげしげと自分を見つめる光の視線に老人は不快感丸出しにするが、

しかし、無理も無い。

光の前に立つ老人の身長はタバコの箱程度の大きさで、

事情を知らないものが見たら

”光が祠の前に人形を置いているのでは?”

と誤解を与えてしまう可能性があった。

『神様って意外と小さいんですね…』

感心しながら光が思わずそう口走ると、

『ふんっ

 神に大きい小さいは無い。

 第一、この姿も貴様に文句を言うために作ったものだ!!』

と老人は返した。

「はぁ…」

ようやく落ち着いてきたのか光は余裕を持って老人を会話を始めた。

「で、神様、

 僕と渚さんとの縁結びをしてくれるのですか?」

ちょこんと老人の前に正座をして光がそう尋ねると、

『貴様、わしの話を聞いてないな…』

ジロっ

眼光鋭く、老人は光を見据えるが、

「だって、神様って何でも出来るんでしょう?

 嵐を起こしたり、

 火山を爆発させたり、

 試験に合格させたり、

 人の生死を決めたりって」

と指折り例を上げながら光がそういうと、

『なのなぁ…

 神様だからといって、

 ぜーんぶが出来ると思ったら大違いだ。

 それに、いま貴様があげた例はすべて担当の神が違うのだぞ』

グィ

老人は手にした杖を光に向けながらそう言うと、

「えーっ」

光は思いっきりブーイングの声を上げた。

「なんじゃ、文句があるのか!」

ブーイングの声に老人が言い返すと、

「あっ、来た!!」

渚の姿に気が付いた光は神様を握り締めると大慌てで祠の陰に隠れた.

そして、老人を握り締めながらしきりに願を掛けるその姿に、

『(もぅ少し優しく握らんかい)まったく』

神様はため息をつくと、

『これはわしの管轄外じゃが、

 お前のその馬鹿かさ加減に免じて手を貸そう。

 ホレっ』

と言いながら手にしていた杖を横に振った。

その瞬間、

ビクッ!!

「うわっ!!」

光の身体に電撃が走ると、

ムリムリムリ!!

まるで粘土細工を弄るかのように光の体が変化し始めた。

ゆっくりと萎むようにして光の肉体が小さくなっていくと、

着ていた制服が見る見るダブダブになり、

そして、その中で彼の両手は女性のように細く白くなっていく、

「なっ何が、一体…」

膨らみ始めた胸がダブダブになった制服を下から持ち上げ始めると、

プルン!!

っとたわわに揺れる2つの膨らみが胸を盛り上げた。

「うわぁぁ」

ユッサユッサ

と胸を揺らしながら光が驚くと、

その間にも彼のウェストはくびれ、

そしてヒップは丸く大きくなっていく、

「なっ何が起きているんだ?」

女性のように高くなった声が光の口から漏れると、

すでに、彼の喉には喉仏が消え、

さらに、顔の輪郭も細面の女顔へと変化していった。

「ないっ!

 なくなっている!!」

何かを感じた光が股間に手を入れると、

ついさっきまで自分の股間についていた男のシンボルが消え失せていることに衝撃を受けると、

うろたえ始めた。

『なにをうろたえておる。

 ほれっ』

そんな光の様子に老人は呆れながら再度杖を振ると、

シュルシュルシュル

来ていたYシャツの袖が上がりはじめ。

色をなくし、裾があがっていくズボンと共に白い磯着と変化し、

すっかり女性化していた光の肉体を怪しく包み込んだ。

ク!

長く伸びた髪は水中での活動に邪魔にならないように結い上げられ、

そして、手ぬぐいが巻かれると磯眼鏡が姿を現す。

「こっこれは」

頭に上げられた磯眼鏡に光が気づくと、

「そんな…

 おっ俺…海女になっちゃった?」

そう呟きながら白い磯着に身を包んだ女性…海女となった光が呆然としていると、

『ほれっ!』

老人がそう言うな否や、

ドンッ!!

「きゃっ!!」

光は思いっきり突き飛ばされると、

ズザザザザザ…

向かってきた渚の目の前に転がりだしてしまった。

「きゃっ

 だっ大丈夫ですか?」

自分の目の前に姿を見せた磯着姿の光に渚が手を差し伸べると、

「あっ、あなた…」

と何かに気づいた声を上げた。

「え?

 バレた?」

渚の態度に光は身を縮めると、

「あっ、新しく入った高幡光さんですね、

 初めまして、あたし、宇津木渚と言います」

と告げた。

「え?」

予想外の渚の言葉に光が驚くと、

『ほっほっほ

 ついでに、因果を弄っておいたわ、 

 これから、海女として生きていくのだぞ』

その様子を祠の影で見守っていた老人=神はそう告げると、

『では…(シュボッ)』

と言う声を残して煙となって消えていった。

「そんな…

 おっ俺は、海女になりたかった訳では…」

海女となった光は心の中でそう呟きながら、

「?」

手を差し伸べる渚の顔を見つめていた。



おわり