風祭文庫・海女の館






「黒真珠の罠」



作・風祭玲


Vol.373





「あれから5年が経つが…

 そろそろ…新しいモンが欲しいのぅ」

「そうだなぁ…

 観光客の反応も悪くなってきたしな」

ヒュォォォォ…

ドドドーーーン…

南海上を進む台風の影響で大荒れになっている海を眺めながら、

二人の老婆が話し合う。

「んじゃっ、また例の仕掛けをしますかのぅ」

何かを決断した左側の老婆がそう提案をすると、

「あぁ…生きのいいのが掛かればいいんじゃが」

即座にもぅ右側の老婆もそれに同調したものの、

若干の不安を抱えているようだった。

すると、

「それは大丈夫だ、

 磯神様にお願いすれば必ず掛かる」

右側の老婆の不安をかき消すように左側の老婆がそう言い切ると、

「ほっほっほ…

 そうじゃそうじゃ、

 磯神様の黒真珠にお願いすれば間違いはない」

その言葉に右側の老婆はそう笑いながら返事をすると湯気の立つお茶を啜った。

数日後…

台風は本土を直撃することなく東海上へと去り、

荒ていた海もそのことを忘れてしまったかのように静かな表情を取り戻していた。



テンツク

テンツク

『そうこそ、海女の里へ』

磯着姿の海女の看板が掛かる磯辺に面した街に祭囃子が響き渡る。

その街は磯神社と呼ばれている小高い丘の上に建つ社から浜に向かって伸びる参道を軸にして左右に開けていた。

そして年に一度、磯神社で執り行われる大祭は磯祭りと呼ばれ、

神社に伝わる白真珠と呼ばれる秘宝の大真珠の公開や海女達による松明行列など

まさにこの街にとって一大イベントになっていた。

しかも、今年の磯祭りには門外不出の秘宝と呼ばれている”黒真珠”が

5年ぶりに公開されるために、

それを目当てした観光客が大勢押し掛けてきていた。



「海も落ち着いたし、良い祭り日和だな…」

そんな声が響く中を一人の男が街中を歩いていた。

年は20代から30代…

やや背が高く、どこか知的で物静かな印象を与える彼の正体を知っている者は誰もいない。

そう、彼は全世界を股に掛けて暴れ回る怪盗であった。

しかも、彼が狙うのは秘宝と呼ばれる宝石類のみで、

彼の照準に一度合わされた秘宝はどんなに厳重なセキュリティーを施しても必ず奪われ、

捜査当局から怪盗Xと呼ばれていた。

「ふふ…

 まさか、全世界を股に掛ける怪盗Xがこんな田舎町に居るなんて警察も気づくまい」

祭りの警備をしている警察官の目の前を通り過ぎながら彼はそう呟くと、

くっ

っと顔を上げ

「さて、その黒真珠と言う奴を拝んでみるか」

と呟く彼の照準は磯神社へと向けられていた。



ざわざわ

「はー…すげーな」

「なんか怖いわね」

本殿の前に誂えられた公開場所には白真珠と並んで、

特別公開された握り拳大の黒真珠が置かれ観光客達からの視線を一身に浴びていた。

「なんだ…これは…」

その黒真珠を見たとき、彼は思わず目を疑った。

別に黒真珠が期待はずれのモノだったわけではない。

その公開方法があまりにも雑すぎる事に驚いてしまったのであった。

「周囲を囲う防弾ガラスも…

 盗難を見張る警備員も

 何もないじゃないか…

 しかも、わっ
 
 素手で触っているのが居る!!(バカやめろ!!価値が下がる!)」

公開されている秘宝・黒真珠のあまりにものの無防備ぶりに彼は呆気にとられながらその場にしゃがみ込むと、

「なんて言うことだ…

 ここの連中にはあの黒真珠の価値が判らないのかっ!!

 これはなんとしても価値が判る私が盗む…いや是非とも保護をせねば!!」

と黒真珠の状況を憂いた彼は決意を新たにすると、

踵を返し観光客でごった返す磯神社を後にした。



パチパチパチ!!

夜、

海女達による松明行列で磯祭りはクライマックスを迎え無事に終了した。

「やれやれ、

 海女達の松明行列と言うから期待していたのだが、

 どの海女達も年輩のご婦人ばかりとはな…

 大仕事の前の景気づけにもならないな。

 せめて、こうウラ若い海女達が磯着姿で街を練り歩くというのなら、

 それだけでも十分居価値はあるのだが…」

期待していた松明行列に肩すかしを食らった感の彼は肩を落としながら、仕事の準備を始めだす。

そして、深夜…

祭りの後かたづけ終わり街が眠りに就いた頃、

彼は行動を開始した。

シュンッ

シュタタタタタ!!!

特製の作業服に身を包んだ彼は静まりかえった参道を足音を立てずに走り抜けると、

一気に磯神社境内へと続く階段を上っていく、

祭は新月の日に執り行われるので足元を照らす月明かりは無い。

しかし、この闇こそが彼にとって心強い見方であった。

階段を上る彼は素早く暗視カメラをかぶると闇の境内を駆け抜け、

瞬く間に磯神社本殿の奥にある宝物庫へと取り付くことが出来た。

これまでにセキュリティーが作動した形跡はない。

ヒタッ

彼は周囲を警戒しながら慎重に宝物庫の扉に手を掛けたとき、

ふと、

「おかしい…」

とあまりにも事がうまくいっている事を疑問に思った。

「昼間と言い、

 なんで、こうまで無防備なんだ?

 まさか、私がここにいることを警察は察知して…ハッ罠か!!」

彼がこれまでにかいくぐってきた様々な危機体験から、

この状況が捜査当局による罠と悟ると

シュッ!!

素早く宝物庫から離れ、近くの茂みの中に隠れた。



リーン

リーン

鳴き止んでいた鈴虫が鳴き始める。

彼は小一時間じっと息を凝らして辺りをうかがっていたが、

しかし、巡回の警備員が現れるどころか、

人の気配すら感じ取ることすらなかった。

「…誰もいないのか?」

首を捻りながら彼は草むらから現れると再び宝物庫の前に立った。

そして、

「まぁいいか…」

とため息混じりにそう呟くと、

宝物庫の扉に掛けてある錠前を改めて確認しはじめた。

「う〜ん

 一見、ただの鍵に見えるが」

いかにも年代物!!

っと言った趣の錠前を眺めながら彼は針金を取り出すと、

カチャカチャ

といじり始めた。

そして、引っかかる部分を回した途端。

カチッ

錠前は乾いた音を立てて呆気なく開錠しまった。

「…マジか?

 小学校の飼育小屋じゃないんだぞ」

開いてしまった錠前を目の前に持ってきて彼はそう呟くと、

慎重に扉を開ける。

「ひょっとしたら、

 これは全部、俺を誘うための罠かも…

 幼稚な仕掛けを俺に見せ続け、
 
 俺が油断したところを一気に取り押さえる。
 
 ふふ…
 
 なるほど、そう言うことか
 
 面白い」

彼はこの状況が捜査当局による罠であることに確信を持つと逆に闘志を燃やし始め、

慎重に一歩一歩踏みしめるようにして宝物庫の中を歩き始めた。

「赤外線センサーはなし…

 超音波センサーもなしか…

 振動計の類も…」

天性の研ぎ澄まされたその感覚と、

最新のトラップ探査装置、

これが彼の武器でもある。

彼はこれらを巧みに使いわけながら慎重に歩いていく、

そして、

『黒真珠』

と大書かれた紙が貼ってある木箱の前に立ったとき。

「おいおい、これってマジ?」

木箱を前にして彼は一瞬、あきれたが、

けど、

「おっと…」

直ぐにそんな自分を戒めると、

慎重に木箱の封印を戻せるように解き、その蓋をゆっくりと開けた。

すると、

キラッ

箱の中からあの握り拳のような黒真珠が姿を見せてくると、

「おぉ…黒真珠!!」

彼は鈍い光を放つ黒真珠を手にすると思わず感慨にふけった。

「うん、

 この重さ、
 
 この肌触り、
 
 この湿感

 間違いなく黒真珠だ!!」

彼は手にした獲物を間違いなく本物であることを確証すると箱の蓋と封印を戻し、

そして、

「じゃぁ、黒真珠、

 確かに頂戴しましたよ」

と言いながら黒真珠を一度掲げると、

特殊処理を施した宝石用の袋の中に入れ、

宝物庫から素早く飛び出していった。

「へへ…

 なんだ、なんの仕掛けもないじゃないか…」

満面の笑みを浮かべながら磯神社から飛び出した彼は一直線に浜へ向かって走って行く。



ザザーン…

長い夜が開け、薄明が始まった星空の下、

彼は袋の中の黒真珠を確かめながら磯を海に向かって歩いていく、

そして、

「ふふふふ…

 お前はもぅ俺のコレクションさ」

と呟いたとき、

ピチャッ!!

「え?」

いつの間にか彼は海の中に入っていて波が彼の膝下を洗っていた。

「なんだ?

 何で俺は海の中に居るんだ?」

黒真珠を手に入れた彼は街から直ぐに出ていく手筈だったが、

しかし、彼は磯神社の前の海の中にいることに気づくと思わず仰天した。

「どっどーなんてんだ?」

そう言いながら慌てて陸に戻ろうとしたとき、

『ふふ…

 ダメよっ』

っと突然、女性の声が響いた。

「だっ誰だ!!」

鈴の音のように響き渡った声に彼は慌てふためきながら左右を見渡すと、

『ふふふふ…

 私は黒真珠…

 あなたは私に手を掛けましたね』

と声は確かめるようにして彼に尋ねる。

「黒真珠だと?

 何をバカな」

『ふふ…

 私を表に出した者は皆、海女に運命…

 さぁ、あなたも海女になって私に貢ぎなさい』

「なんだとぉ!!」

と言う女性の声に彼が怒鳴り返した途端。

ジワッ

急に彼の胸がムズ痒くなると、

ムクッ!!

っと膨らみ始めた。

「なっなんだこれぇぇぇ」

驚く間もなく、

ムリムリ

と彼の胸が前へと突きだしてくると、

「あっ…

 なっなんだ…」

彼の股間が急に寂しくなり始めた。

そして、あわてて股間に手を這わすと、

「そっそんなぁ…

 おっ俺のナニがぁぁぁ!!」

そう、彼が慌てて股間を押さえたときには、

そこに有ったはずの彼の男のシンボルは小さくなり、

口を開きはじめた蕾の中へと消えて行ってしまっていた。

「うそぉぉぉぉ

 これって、女のオ………なのか?」

ズボンの中に入れた手の指先で花弁を一枚一枚確認しながら彼は悲鳴を上げるが、

しかし、そのときには彼の喉仏は消え、

その声は女性の甲高い声へと変化していた。

「なっなんで…」

女性の声を上げながら困惑する彼にさらに追い打ちを掛けるように、

腕は細く小さく、そして腰周りは大きくなっていった。

そして、それに伴うように彼の背も小さくなっていくと、

膝下だった海面が膝の上へと上がっていった。

彼の体型が変わり、

ぴったりだった黒ずくめの特殊作業着にいくつもの皺が寄り始めると、

シュルシュルシュル

今度はその特殊作業着が変化し始めた。

黒い生地は白く色抜けすると、

その形を海女の磯着へと変化し、

ズボンも、膝上の短パンスタイルへ替わり、

すね毛が消えムッチリとした姿になった両腿を色気たっぷりに演出する。

また、掛けていたスコープからは機械部品が消え、

彼に変身に合わせるようにしてレンズがガラスに変わると

海女の必需品、磯メガネへと姿を変えてしまった。

「なっなっなっ」

すっかり海女の姿になってしまった彼の背中を押すように、

『さぁ

 沖へ行きましょう…』

声は彼に向かってそう告げると、

「あっ」

バシャッ

海女姿になってしまった彼は沖へと泳ぎ始めた。

そして、

『さぁ、この下が漁場ですよ』

と声が彼に告げると、

「やめろぉ〜っ」

彼は口では抵抗をするものの、

しかし、彼の細い手が自分の顔に磯メガネを掛けると、

スゥゥ

大きく息を吸い込み、

ジャボッ

っと海の中へと潜ってしまった。

そして、一直線に海底へと向かっていくと、

彼は底に潜むアワビに手を伸ばし、

手にしたミノで岩にへばりつくアワビを引き剥がした。



プハッ

アワビをとって来た彼が再び海面に浮かび上がると、

「これは…」

海底から獲ってきたアワビをシゲシゲと眺めた。

『そうそう、

 上手いわぁ…

 あなたは、もぅ怪盗なんかじゃないわ、

 そう、海女よ。

 ここで、海の幸を獲る海女なのよ…』

声は彼にそう告げた途端。

スッ

磯着の中にあった黒真珠がかき消えるように姿を消してしまった。



「ほっほっほっ

 お願いしたとおり、

 新しい海女がきおったのぅ…」

「本当に…」

海の中で手にしたアワビを持って困惑している海女を眺めながら、

磯着姿の老婆はそう囁きあっていた。



おわり