風祭文庫・海女の館






「海女の島」



作・風祭玲


Vol.372





日本海に浮かぶ内倉島…

対馬海流のまっただ中に浮かぶこの島は古来より海女の島と呼ばれ、

この島に生まれた女は海女になるのがしきたりであった。

しかも、この内倉島の海女達は21世紀を迎えた現在でも、

磯着やウェットスーツのたぐいを身につけることを拒み、

古来からの裸体に六尺褌を締めるだけの姿をかたくなに守り続けてきていたのであった。



春3月、

大陸からの季節風が弱まり、

内倉島にも春の足音が微かに響き始めた頃、

ざわざわ…

内倉島唯一の港、内倉港とは反対側の磯に面した海女小屋の前に内倉島に住む住民達が集まっていた。

「いやぁ、新海女なんて5年ぶりかのぅ」

「そうだなぁ…吉田のところのさっちゃん以来だからな」

「しかし、東野さんの芳美ちゃんもよく決心したものだよ」

「いやぁ、それがさ、

 聞いた話だけど、

 芳美ちゃん、結構悩んだそうだよ」

「え?、そうなのか?」

「あぁ、

 ほらっ

 去年の県大会で水泳で結構いい成績を出したとかで、

 本土の高校から誘われたんだそうだ。

 ただ、東野さんは内倉島代々の徒前だし…

 それに東野さんのとこには芳美ちゃんしか女の子が居ないだろう。

 さすがに徒前の女の子が海女にならなのでは示しがつかないと言うことでな

 芳美ちゃん、結構悩んだ末にその誘いを蹴ったそうだ」

「へぇぇ…

 凄いねぇ…」

そんな言葉が人々の間から漏れる中、

「ようっ明美っ」

黒のダッフルコートに身を包んだ島上孝が、

赤いジャンパーを着た裃明美の姿を見つけると声をかけてきた。

「あら、孝…あんたまだ島にいたの?」

孝の声に驚いた明美が振り返りつつそう聞き返すと、

「ご挨拶だなぁ…

 島を出る前に一目、芳美の晴れ姿を見てやろうと思ってな」

海女小屋の中をのぞき込むように背を伸ばしながら孝はそう返事をする。

「やめなよっ

 そんなことをしていると義之に殴られるわよ」

そんな孝のコートの袖を引きながら明美がそう言うと、

「あぁ?

 何を言ってんだよっ

 新しく海女になったら、島の者にお披露目をするのがしきたりじゃないか、

 へへっ、

 あの、芳美が褌一丁の海女になるんだぜ、

 これを見ないでこの島を出て行けるかよ」

明美の文句に孝はそう言い返すと再び背を伸ばした。

「スケベ…」

そんな孝の背中に向かって明美はそう呟やくと、

「まだ、終わってないのか?」

と言う声と共につい先日まで孝と明美の担任だった敷島忠明が声をかけてきた。

「あっ敷島先生…」

忠明の声に孝と明美は振り返るとそう返事をする。

「あはは…

 お前達は卒業したんだから、俺はもぅ先生じゃないぞ」

孝たちの声に忠明は笑いながらそう言うと、

ぽんっ

っと明美と孝の頭の上に手を置き、

「で、島を出ていく者で残っているのはお前達だけか?」

と二人を見比べるようにして尋ねた。

「えぇ…

 俺と明美…

 あと、義之が残って居るんですが…

 ここには居ないみたいです」

忠明の問いに孝はそう返事をした。

「そうか…

 義之にとっては複雑な思いだろうなぁ…」

海女小屋を眺めながら忠明はそう呟くと、

「あの二人…付き合っていましたからね」

それに同調するかのように明美は大きくうなづいた。

「まぁっ

 お父さんのコトがなければ、

 アイツもこの島で舟人としてやっていけたかも知れないがな」

腕を組みながら忠明はそう言うと海を挟んで向こう側に見える港の方を眺めた。



パチパチ!!

その頃、海女小屋の中では囲炉裏で燃え上がる炎の横で

長い髪を結い上げ、白装束に身を包んだ東野芳美がじっと正座をし、

そして、そんな彼女の周囲で磯焼けた肌に赤褌一丁の海女達が見守る中、

女性の神職によるお払いが執り行われていた。

そう、この儀式は女性達のみで執り行われ、

男性は立ち入ることも見ることも許されてはなかった。

蕩々と続く祝詞の後、

ザッザッ

潮水に浸けられていたた大きな榊が左右に降られると、

まるで雨のごとく滴が芳美に降り注ぐ。

榊を持った神職が大きく頭を下げると、

芳美は静かに頭を垂れた。

そして、退席していく神職に入れ替わるようにして、

一人の海女が芳美の前に座ると、

「では、東野芳美、

 お前に海女道具を渡そう。

 よいなっ、海女道具を受け取るとお前は一人前の海女だ。

 お前はこれから海女として生きていくことになる。

 その覚悟はできているなっ」

きつい調子で海女は芳美にそう告げると、

「はいっ」

芳美はそう返事をすると頭を下げた。

芳美の返事を聞いた海女は顔を上げ、

芳美の母親の姿も混じる周囲の海女達伺にいをたてると、

コクリ

芳美を見守る海女達は一斉に頷いた。

それを見た海女は無言で頷くと、

スッ

一つの桶を芳美の前に差し出した。

その桶には漁で使う磯メガネ、大中小3本のミノのほかに

一つの赤い布が畳まれて入っていた。

「!!」

桶の中のその赤い布を見た途端、芳美の表情に緊張が走る。



「そうか、東野は家を継ぐのか…」

前年の秋、

進路指導室で打倉島中学校3年生15人を受け持つ忠明はそう呟くと

手にしたシャープペンシルで頭を掻いた。

「はいっ、

 芳美は代々徒前を努めている東野の一人娘ですので」

芳美の母であり内倉島の海女達を纏める辰子はそう言うと、

キッ

っと厳しい視線で忠明を見据える。

「はぁ…

 で、芳美はそれで良いんだな」

確認をするかのように忠明が尋ねると、

セーラー服姿の芳美はくっと顔を上げて忠明を見つめ、

「はいっ、

 あたしはこの島を離れるわけには行きません。

 東城高校からの申し出は嬉しかったのですが、
 
 でも、あたしは東野の人間ですし、
 
 それにあたしは小さいときから海女になるつもりでしたので」

とハキハキした口調で答えた。

「そうか…」

芳美の話を聞いた忠明はやや残念そうに頷きながら、

「まぁ、芳美が決めた進路なら、

 先生は何も言わない。

 がんばって島一の海女になるんだぞ」

と告げると、

「はいっ

 先生にはご迷惑をかけて申し訳ありません」

その言葉に芳美はそう言いながら頭を下げた。

「なぁに、

 俺の方は大したことじゃないっ

 それよりもお前の方がな…
 
 がんばれよ」

彼女を励ますように忠明は芳美の肩をたたくと、

「はぃ…」

芳美はさらに力強く返事をした。



「芳美…お前、海女になるって本当か?」

その日の夕方、

人気がなくなった教室に義之の声が響くと

「うん」

芳美は大きく頷いた。

「そうか…」

芳美のこの言葉を聞いた義之はそう言って頭を掻くと、

「くすっ」

義之のその姿を見ながら芳美は小さく笑った。

「なっなんだよ」

芳美のその態度に義之は口をとがらすと、

「だって、敷島先生と同じ行動をするんだもん」

と言いながらケタケタと笑い始めた。

「悪かったなっ」

笑われたコトが気に入らないのか義之は怒鳴るようにしてそう言うと、

「で、義之はなんて答えたの?」

と今度は芳美が義之の進路について尋ねてきた。

すると、

義之の表情は急に曇ると、

「あぁ…

 実は俺…春になったらこの島を出ていかなければならないんだ」

と言い、窓から見える海を見つめた。

「え?

 それってどういうこと?

 だって、義之の家って代々の…」

義之の意外な言葉に芳美は驚くと、

「ほらっ、俺の親父…本土の病院に入院しているだろう?

 で、どうもダメみたいなんだ…」

と説明をする義之の表情は暗かった。

「それに、ここの親戚とはちょっともめ事を起こしているしな…

 お袋達はすぐにでもこの島から出ていきたいみたいなんだけど、

 でも、俺のコトを考えてとりあえず春まで待つということにな…」

「じゃぁ、一度出ていったらこの島には…」

「うん…恐らくもぅ戻ってこないと思う」

「そんな…

 でっでも、親同士のケンカなんだから、

 義之には関係ないじゃん」

「うん。そうなんだけど、

 ただ事実上、ケンカ別れみたいな形になるから、

 後で俺一人が戻ってきても恐らく居づらくなると思うんだ」

芳美の言葉に義之は力無く答えた。

すると、

そんな義之に同情するかのように

「そうか…

 あたしも一緒に島を出られれば良いんだけどねぇ」

と芳美が思わず呟くと、

「バカを言うなっ

 これは俺の問題だよ、

 芳美には関係はないことだ」

と義之は強い口調でそう言った。

「でも…

 あたし達一緒でこの島で暮らしていくんだったんでしょう、

 あたしが海女になり、義之が船徒となってあたしをサポートする。

 そういう約束をしたじゃない」

食って掛かるように芳美がそう言うと、

「なぁに、

 手はあるさっ」

義之は握りこぶしに力を入れながらそう返事をした。

「手?…

 手って?」

首をひねりながら芳美が聞き返すと、

「要するに俺が親戚の連中を見返してやればそれで良いんだよ。

 まぁ、ついでにお前が島一番の海女になれば、問題はないけどな」

「なによっそれ、

 ついでですってぇ?

 随分とあたしも嘗められたものねぇ」

笑みを浮かべながらそう話す義之の言葉に芳美はそうねじ込んでくると、

「ははは…

 俺は漁師になる。

 治療費のために手放した親父の船を取り戻して、

 この島に帰ってくるのさ、

 簡単にはいかないと思うけど、でもやってやるよ」

そう言い切る義之の視線はすでに遠くを見据えていた。



「では、着替えを…」

その言葉に芳美ははっと我に返ると、

目の前の桶の中に置かれている褌を一度見つめ、

そして、ゆっくりと立ち上がった。

シュルリ…

海女小屋の中に芳美が着ている装束の帯を解く音が響く、

やがて装束の帯が解かれると、

ハラリ

装束ははだけ、その中から微かに芳美の肉体が姿を見せた。

しかし、芳美は恥ずかしがることなくクッと口を真一文字に結ぶと、

スッ

っと装束から腕を抜き、

それを丁寧に畳むと桶の隣に静かに置いた。

パチパチ!!

囲炉裏の炎の灯りに一糸纏わぬ芳美の裸体が浮かび上がる。

皺もなくすべすべした肌に無駄な脂肪が見られないカモシカの様な肉体、

そして、毛量の薄い秘所とツンと上向いた乳首を頂く堅く膨らんだ乳房が

芳美の肉体がまだ成熟途上であることを物語る。

「…すぅ……」

芳美は大きく深呼吸をすると、

桶の中の赤褌に手を伸ばすとそれを手に取った。

パタタタタタ

小さく折り畳まれていた赤褌は芳美の手から零れ落ちるとまるでゴムのように伸びていく、

しかし、芳美はそれに構うことなく股を開き褌の端を噛むと、

ちょうど褌の中間が芳美の秘所に来るように縦褌を股間に通した。

そして、股間から出てきた縦褌を軽く捻りながら横褌として、

自分の腰の周りを反時計回りに一回りさせると、

先ほどの縦褌の下を潜らせるように絡め、

キュッ

っと締め上げる。

その途端、

ムニュッ

っと敏感な芳美の秘所を朱染めの布が乱暴に締めつけてくると、

芳美の体内を言いようもない快感が駆け抜けていった。

「あぁ…あたし…

 褌を締めて居るんだ」

快感に酔いしれながらも芳美は黙々を作業を続ける。

締め上げた褌の片方を時計回りに向きを変えると、

さっきの横褌に巻き込ませ、

そして、巻き込みが終わると、

噛んでいた褌の端を前に垂らし、

うっすらと”染み”が広がり始めた縦褌を隠すようにして

また股間を通すと今度はきつく締まっている縦褌に絡ませると、

そのまま横褌にも絡ませると、

芳美は海女の装束である褌をキリっ締めた。

パチパチ

燃え上がる炎の灯りに赤褌を締めた芳美の体が浮き上がる。

「芳美…

 これで、お前は海女になった。

 さぁ、表で待つ者達にお前が海女になったことを伝えてきなさい」

「はいっ」

その言葉に芳美は小さく答えると、

海女道具が入った桶を持ち、

ゆっくりと海女小屋と下界とを分け隔てている戸へと向かっていった。

「この扉の向こうには島の人たちが居る…

 そして、海女となり、褌を締めたあたしを見るんだ…

 その中には…」

芳美の脳裏に一瞬、義之の姿が浮かぶと、

戸に伸ばした手が一瞬止まった。

トクン

トクン

これまで聞こえてこなかった心臓の音が頭の中に響き渡る。

異様に長い時が流れた後、

「えぇいっ

 何を迷っているのっ

 あたしは海女よっ」

芳美は戸惑う自分を振り切るようにして戸にかけた手を思いっきり引いた。



「そろそろかな?」

腕時計を眺めながら孝がそう呟くと、

「なによぉ…

 嫌らしい顔をして」

そんな孝の脇腹を明美がつつく、

すると、

「あぁっ居た居た!!」

と言う声と共に同級生で漁師になるために島に残る潮龍樹が駆け込んできた。

「おぉ、龍樹っ

 お前も芳美の褌姿を見に来たのか?」

駆け込んできた龍樹の姿にのんきに孝がそう声をかけると、

「バカ野郎!!

 義之が今日、急に本土に行くことになったんだってよ!!

 なんでも、今朝方入院していた親父さんが危篤なったとかで」

息を切らせながら龍樹がそう怒鳴ると、

「それで、義之の奴ここにいてなかったのか」

龍樹の言葉に孝が驚くと、

「ちょっと待って!!

 今日の定期船ってもぅ出航じゃないの?」

時計を見ながら明美が声をあげる。

とその時、

ガラッ!!

閉まっていた海女小屋の戸が勢いよく開かれると、

その中より、一歩一歩踏みしめるように真新しい赤褌を締めた芳美が姿を見せた。

「おぉ!!」

誕生したばかりの初々しい海女の姿に集まっていた島の人達の間から歓声が上がる。

桶に入った海女道具を片手に裸体に褌一つの出で立ちで芳美が人々の前に凛々しく立つと、

芳美に続くように海女小屋から出てきた海女達を背後に従え、

キッ

っと人々を見つめると、

「本日、晴れて海女となりました、東野芳美です。

 まだ未熟者ですが

 この内倉島の伝統を守り、

 精一杯がんばりますのでよろしくお願いします」

と元気よく挨拶をすると、深々と頭を下げた。

緊張と褌姿を見られることの恥ずかしさのせいか芳美の頬は真っ赤に染まっていた。

「がんばれよっ」

海女小屋に集まっている人たちからそのような声が響き渡ると、

一斉に拍手がわき起こった。

すると、

「ちょっと通してっ」

「すみません、通してください」

と言いながら集まった人たちを押し分け、

孝と明美が芳美の目の前に飛び出してくると、

「明美…

 孝に龍樹!!」

突然、目の前に現れた級友達の姿に芳美は慌ててさらけ出していた胸を隠した。

しかし、

そんな芳美に構わずに、

「義之君が今日の定期船で本土に行っちゃうのよっ」

と怒鳴りながら明美が芳美の腕を握ると、

「え?」

芳美は一瞬信じられない顔をした。

「今朝方、入院していた親父さんが危篤になったらしいんだけど、

 あぁもぅ船が出る」

腕時計を見せながら孝が芳美に怒鳴ると、

はっ

それを聞いた芳美は入り江の向こう側にある港から動き始めた定期船を一目見ると、

「母さんっ

 あたしちょっと行って来るっ」

後ろに立つ母親の辰子に向かってそう言うと、

持っていた桶を母親に押しつけ、

そのまま磯の先にある岬に向かって駆けだしていった。

「おっおいっ」

駆け出していった芳美のスグ後を孝達も追っていく、

そして、芳美が岬の突端にたどり着いたとき、

定期船はその前をゆっくりを通過しはじめた。

「義之の奴は!!」

ひょっとしたら定期船の甲板に居るのでは…

と言う思いを込めて全員が定期船のデッキに目を凝らすと、

「いたっ

 ほらっ、あの柱の所っ

 こっちに気づいるみたい」

と指さしながら明美が声を上げた。

「義之っ

 約束よっ

 あたし、島一番の海女になる。

 だから義之は一番の漁師になってこの島に帰ってきて!!」

芳美は思いっきり声を張り上げてそう叫んだ。

「………」

それに答えるかのように船上の義之は何かを言っているみたいだったが、

しかし、その声は芳美達には届かなかった。



「義之とそんな約束をしていたの」

定期船が去った後、

明美がふと芳美に尋ねると、

「うん…」

芳美は凛としながら大きく頷いた。

そして、覗き込むように芳美の体を見ている孝と龍樹の姿に気がつくと、

キッ

芳美は二人を睨みつけると、

「いつまで見ているのよっ!!」

と言う怒鳴り声と共に、

パァァァン!!

思いっきり引っぱたくと堂々と海女達が待つ磯へと向かっていった。

そして、少し歩いたところで一度立ち止まって

水平線に消えていく定期船を一目見るなり、

「約束よ」

と小さく呟いた。



おわり