風祭文庫・海女の館






「ナミの決心」

作・風祭玲

Vol.099





「ナミ…、本当にいいの?」

母さんが私の顔をのぞき込むように尋ねた。

コクリ

私は何も言わず黙って頷いた。

「ふぅ…」

母さんは大きなため息を吐くと、

「あなたには本土の学校に行って、

 ふつうの女性としての生活を送って欲しかったんだけどねぇ…」

と言うと、

「ううん、いいのっ

 私決めたの、

 私も母さんと同じように

 この島で海女として生きていきたいの」

と言うあたしに

「しかし…」

母さんはそう言うと視線を私から逸らした。

「いいか、ナミ、母さんの気持ちも少し分かってやってくれないか」

これまで黙っていた父さんが口を開いた。

「母さんはお前に自分のような生き方ではなく、

 別の生き方をして貰いたいんだ」

と説き伏せるように話すが、決心の固い私は、

「どうして?」

と逆に質問した。

「え?」

「どうして、海女になってはいけないの?」

「いや…」

「私は母さんの生き方を尊敬しているし、

 母さんみたいになりたいと思っているのよ。

 なぜ、それが駄目なの?」

すると母さんが口を開いた。

「母さんを尊敬してくれのはうれしいわ、

 でも、ナミ、海女としての生活は厳しいし辛いのよ」

「そんなの判っているわよ」

「ううん、判っていない。

 第一あなた、母さんみたいな姿になれる?」

今度は母さんから私に尋ねてきた。

そう、私の目の前にいる母さんの頭には髪は無く、

また、身に付けているのは腰に締めた赤い褌のみの裸で

日に焼けた茶褐色の肌を露にしていた。


これはこの島の海女の独特な姿で、

その昔、この島が戦に巻き込まれて男衆がみな連れ去られたあと、

生活に苦労をしている島の女たちの様子を不憫に思った海神が、

女たちの髪と引き替えに

魚のように海の中を自由に動くことが出来る力を授けたそうで、

また裸なのは、服を着るとその力が失せてしまうためだそうだ、


けど、髪と引き替えに海神から授かった力によって女たちは、

どんなに海が荒れても決して溺れることはなく、

また、すこしの呼吸で長い時間潜ることが出来るようになったので、

それ以降、海女達が海から持ってくる海の幸のお陰で

それなりの暮らしが出来るようになったとか。


ただ、海女になった女は髪を無くし、

そして生涯裸での生活を強いられるために、

生活が安定するようになったここ数十年の間、

海女となる女性が少なくなり、

この島の海女は母さん達の代で終わりと聞かされていた。


あっ、褌は戦からしばらくたったあと、

領地を追われこの島に流された殿様が、

「せめて褌くらいは締めさせてあげろ」

と海神と掛け合って末に海神が折れて、

褌を締めることが出来るようになったそうです。


で、私も少し前までは坊主頭の上にいつも褌姿でいる母さんの姿に

恥ずかしさを感じていたけど、

でも、うちは代々海女の家系を守ってきたし、

また、私自身は海が好きだから、

なんとか、そう言った方面の仕事に就けないかと考えていくうちに、

自然と共に生きていく海女の姿が魅力的に見えてきたのが

この決意につながる発端でした。



「ナミ、お前の決心がそこまで堅いと言うのなら、

 良かろうお前を海女として迎えよう」

そう言いながらお婆ちゃんが出てきた。

「お婆ちゃん」

「お母さん」

私と母さんが声を掛ける。


「ただし、一度海女となったからには、

 わしらと同じように布団ではもぅ寝られないし、

 化粧も出来なければ服を着ることもできない、

 ましてこの島から出ていくことも出来ない。

 ナミ、お前にそれが出来るか」

と厳しい顔で尋ねてきた。

「はい」

私は頷いた。


「わかった、

 それでは海女長の”みなと様”のところに

 そのことを伝えにいく、

 よいな、もぅ後戻りは出来無いぞ」

しばしの沈黙が流れた後。

お婆ちゃんは立ち上がると、

「ゆき、お前も一緒に来い」

と言って、

お婆ちゃんと母さんは海女の長である、

海女長・みなと様のところへと向かっていった。



「お姉ちゃん、

 母さんと同じ海女になるの?」

弟の武が聞いてきた。

「うん、お姉ちゃんねぇ、

 ここの海で生きていこうと決めたの」

そういうあたしの話に

「ふう〜〜ん」

と答える武はまだ私の決断をよく判ってはいないようだった。



先ほどまで見えていた晴れ間はすぐに消えると、

やがて、風と共に雪が舞い始めた。

春はだ先。


日が落ちた頃母さん達は帰ってきた。

私は箒で肌にびっしりついた雪を払うとタオルを渡した。

普通の人ならこんな日に裸で出歩けば

たちまちのうちに凍死してしまうけど、

母さん達は裸でいても何も感じないと言っていた。


「ナミ、お前の日取りが決まったよ」

「え?」

「水占いの結果、3/18となった。」

「3/18…」

「そうだ、あと1週間後だ」

「はい」

「一週間の間にやれることはすべてやっておくこと、よいな」

「それにしても3/18とは早すぎないか」

「せめて卒業式が終わってからでも」

と父さんが言うと、

「これは海神さまが決めたこと、

 私達はそれに従うしかないのよ」

と母さんが答えた。

「しかし…」

「ナミには悪いけど、卒業式には欠席するか、

 そうでなければ海女の姿で出るしかないわね」

と言う母さんの言葉に

私の、坊主頭と褌姿が学校のみんなに…

その光景を思い浮かべると無性に恥ずかしくなった。

「井上君には見られたくないな…」

春になったら本土へ行ってしまう井上君のことをふと思い出した。


「でも、海女になればその姿で買い物などに行かなくてはならないし、

 それにこの島の者なら、

 海女の姿に変なことを考える者はいないでしょう」

そう母さんは父さんに言い聞かせていた。



一週間後…

私の旅立ちの日が来た。

しきたりに則って海水で身を清めた私は

白衣一枚を身にまとい、

長く伸ばしてきた髪は紐でくくって、

お婆ちゃん・母さんのあとに続いて、静かに家を出た。

ひゅー

玄関から出たとたん、

刺すような外気が私の身体から体温を奪っていった。

「寒い…」

私は思わず縮こまりたくなったが、

褌一つで平然と歩く母さん達に遅れまいと黙ってついていった。

やがて、集落から離れたところにある「海女の窟」と呼ばれる洞窟に入る。

うぉぉぉぉぉぉん

洞窟が風の音でうなり声を上げていた。

「初めてここに入ったけど、すごいなぁ」

私は周囲をキョロキョロと見回していた。

「ナミ、はしたないぞ」

お婆ちゃんが窘める。

ポッ

洞窟の奥に一つ、また一つ、灯りが見えてきた。

「えっ」

っと驚くが、やがてその灯りに照らし出されて、

祭壇と、その周囲に座っている人の姿が見えてきた。

「海女さんだ…」

そう、祭壇を取り囲むように裸の海女達が黙って座っていた。

これだけの海女達を一同に見る機会がなかっただけに、

壮観な感じがした。

「うわぁぁぁぁ、この島にもまだこれだけの海女がいるのか」

と思わず関心していると、

「こらっ」

思わず見とれている私の様子に母さんが横で小さく言う、

「ナミを連れて参りました」

お婆ちゃんが祭壇の中央に座っている海女長・みなと様に報告をした。

「ごくろう」

見た目の歳と比べて張りのある声が洞窟に響いた。

私は、両側に母さんとお婆ちゃんに挟まれるようにして、

みなと様と向かい合わせのようにして座る。

ヒヤッ

脚に岩の冷たさが直に伝わってきた。

「うっ、冷たい…」

そう感じながらも我慢して正座する。


私が座るのを見届けると、みなと様すっと立ち上がると

「ではこれより、ナミの儀式を始める…」

そう言うと、私が海女になる儀式が始まった。


儀式は滞りなく進み、

やがて、儀式の一番の山場である、

海中の祠への参拝へと進んできた。

私はその場に立たされると、コレまで着ていた白衣を脱ぎ裸になる。

そしてこれから唯一許されている衣服である褌をしめると、

みなと様が近寄り

「寒いだろうが、まだ、我慢をしろ

 さっ、これからはお前が一人で行かなくてはならない」

「はい」

「ここの底に水神さまの祠がある、

 お前はそこに詣で、そしてその髪を納めるのだ」

「はい」

「無事詣でることが出来れば、

 お前には水神さまより力が分け与えられる」

「はい」

「もしも駄目なら…」

みなと様はしばし黙ると

「…お前の命はない」

と言った。

「…はい」

私は覚悟を決めると

すっ、

と立ち上がり奥の淵へと歩いていく、

「ナミ…」

母さんの声に振り向くと心配そうな顔をして私を見つめていた。

「大丈夫よ…」

口には言わないけど、そう心で言うと、

ザブン

淵から水の中に飛び込んだ。

ふんどし一丁と言う姿の私の体から、

水は猛烈な勢いで体温を奪っていく。

「くわぁぁぁ、辛い」

体中から感覚が無くなっていく状態で底へ底へと潜っていく、

「まだなの?」

上下の感覚が無くなり、暗闇の中私はその先にある祠を目指していった。

「…くっ、息が続かない」

頭の片隅にふと「死」と言うのがよぎったが、

母さんや、お婆ちゃんもこれを乗り越えたことを思い出すと

私は前へと進んだ。

と、そのとき

ぼぅ…

青白い光に包まれた小さな祠が微かに見えてきた。

「あれだ…」

薄れいく意識の中で、必死になって祠へと泳いでいった。

「あと少し…」

「もぅちょっと…」

「ちょっと…」

「…………」

トン

手に祠をさわった感触がしたとき、

ぶわぁぁぁぁぁ

私の身体に何かが流れ込んでくる感覚が走る。

と同時に、

ふわっ

と身体が楽になり、冷水で失われていた感覚が戻り始めた。

「身体が…」

そう思うと、徐々に水面へと浮かび上がり始めた。

「なんだろう、まるで水の中って感じがしない」

不思議に思いながら、私は水の中を漂うようにして浮かび上がっていった。

チャポン

水面から顔を出すと、

みなと様が心配そうな顔をして私を見ていた。

「どうやら、無事祠にたどり着けたようだな」

みなと様の声に

「ふぅ〜」

っと安堵のため息が他の人から漏れた

「おめでとう、ナミ」

母さんが手をさしのべてくれた

「うん」

私はそれに捕まると洞窟内にあがった。

「あっ髪が…」

そう、水から上がった私の頭から髪が消え失せているコトに気づいた。

「しばらくの間、髪を無くしたことが辛く感じるけど、気を落とさないで」

母さんが優しいく言う、

「うん、わかってる」

私はそう言うが、頭に持っていった手に肌の感触しか伝わってこないことに

多少のショックを感じていた。


また、水に入る前に感じていた寒さは全く感じなくなっていて

「ふ〜ん、これが、海女なのか」

と寒さを感じない自分の身体を不思議に思いながら見る。

「ナミ、ただいまよりお前はもぅ我らの一員となった、

 これからも、海女として恥じぬように生きて行くんだぞ」
 
とみなと様が言うと

「はい、よろしくお願いします」

と言って、私は頭を下げた。



「ただいまぁ」

家に帰ると

「お帰り、お姉ちゃん」

と武が飛び出してきた。そして私の姿を見るなり

「うわぁ、お姉ちゃん、ほんとうに海女になったんだねぇ」

っと私の周りをしきりに関心する。

弟の態度にちょっと恥ずかしくなった私は

「もぅ、武ったらやめてよ」

と言って風呂場に行こうとしたとき

「ナミ、ちょっと」

と母さんに呼ばれた。

「判っていると思うが、

 お前ははもぅお湯には触れない身体になったんだから、

 ちゃんと水で身体を洗うんだよ」

と注意を受けた。

「判っているわよ」

私はそう言うと、

すぐに風呂場へと向かう。

水で身体を洗いながら、

「はぁ、とうとう海女になっちゃた」

「でも、この姿、井上君が見たらなんて言うかな」

っと卒業式の時の彼の反応を想像したら、

思わず笑いがこぼれてしまった。

さぁ、全てはこれからだ。



おわり