「すみませーん、絵に興味はありませんか?」 隆二が街を歩いていると、若い女性が声をかけてきた。 (…どうせ版画のキャッチセールスだろう) 歩調を速めて振り切ろうとすると、女性もついてくる。 「おにいさん、ちょっと見ていくだけでもいいですから、ね」 横目で女性をちらりと見る。なかなかきれいな娘だ。 (うーん、こんな子とだったら、 話につきあってもいいかな?暇だし、 どうせ買う気がなければ帰してもらえるんだし) 「…いいですよ」 色気を出した隆二は、ついつい女性の言葉にうなずいた。 「そーうなんですか!! だったら、今すぐこちらへどうぞ、さあ」 とたんに目の色を輝かせた女性は、 手を引っ張りながら隆二を近くの画廊へと案内した。 店の名前は「阿亜瑠毘庵」。 和風の庵を模した内装になっている。 店内に展示されている絵も、仏画や曼荼羅、写経の掛け軸ばかりだ。 「へえー、和風の画廊なんて珍しいですね」 「そうなんですよ。 うちは曼荼羅とか仏画の版画専門店なんです」 「こういう店の版画っていうと、 鮮やかな色彩の環境画なんかが多いですよね」 「そうですね。 ですから、うちは差別化を図って、こういう絵を扱っているんです」 隆二は女性に案内されて、一通り店内の版画の説明を受けた。 「仏画のある生活って、いいですよねえ」 「ええ、そうですね」 「俗世間から離れるっていうか、 なんかこう落ち着いた気分になりますよねえ」 「ええ、癒されるって感じですね」 隆二は相づちを打ちながら、説明する女性をしっかり鑑賞していた。 店内をほぼまわったのち、 隆二は奥の座敷に案内されて、お茶を出された。 「ところでお客さまは、どちらの絵がお気に入りですか?」 (きたきた、セールスが始まったぞ) 隆二は内心そう思いながらも、一枚の曼荼羅を指さす。 「ほえーっ、お目が高い。 その曼荼羅は100枚限定生産、 店長もお勧めの一品ですよ! どうです?今すぐお求めになりませんか?」 女性の目の色と声のトーンが、わざとらしく変わった。 「…すみません。今ちょっとお金がないもんで。 失礼します」 隆二は撤退の態勢に入った。女性は引き留めようとする。 「大丈夫ですよ。 お勤めをしていただきながらでも、お支払いできますよ」 「でも、私ちょっと会社の先行きが不安なんです。 いつリストラされるかなって」 「それなら心配いりませんよ。 なにしろ今なら特別サービス、代金はなんとタダなんですから」 「へっ?タダ、無料!?」 思わぬ話の展開に隆二はびっくりした。 「ええ。 お金はいただいておりません。 お代は、お客さまのまごころだけで結構です」 女性はいたって真面目な口調で話す。 「本当に、あの曼荼羅、タダで手に入るんですか?」 「もちろんです!わたくし、嘘は申しませんっ!!」 (…無料か…だったらもらっておいてもいいかもな…。 本当に、いい曼荼羅だもんな………。 いや、いけない!これはきっと罠だ。タダより高いものはない!) 「…悪いですけど、やっぱり失礼させていただきます」 隆二はそう言いながら立ち上がろうとした。 そのとき、もうひとりの女性がさらに奥から出てきた。 こちらもさっきの女性に劣らないきれいな娘だ。 「曼荼羅の絵をお買い上げの方に、 今でしたらこちらの仏画も無料でおつけしますけど」 女性が手に持っている仏画は、店内には展示されていないものだった。 (これもなかなかいい絵だな…。 さっきの曼荼羅とセットで飾るのもいいかな…) 隆二の心は、版画がほしいという側に大きく傾きはじめた。 「こちらの仏画の版画は、なんとたったの10枚しか刷られてない超限定品です。 本来でしたら非売品なのですけど、 お客さまがお望みでしたら、 あと1枚だけ特別に刷って差し上げることができるのですが… もちろん無料です。 いかがなさいましょう?」 「さあお客さま、今こそまごころを示すときですよ!」 さっきの女性が、隆二の背中をポンとたたいた。 (ふたりもきれいな子と話ができたし、 本当に代金がいらないようだし、 なにより2枚ともいい絵だし…) 「わかりました。その2枚の絵、いただきましょう」 ついに隆二は首を縦に振った。 「ご成約ですね!ありがとうございます!」 「では、こちらの契約書にサインを」 隆二は、言われるままに契約書にサインした。 とたんに、辺りの景色が一変した。 座敷はビルの一室にあったはずなのに、 窓からはいつの間に深い山々が姿を見せている。 (あれっ?どうなってるんだ…?) 続いて、女性たちの服装も大きく変わっていった。 そろいのスタッフジャンパーとスーツが、 見る見る黒衣と黄色い袈裟へと変わっていく。 そして髪の毛も頭に吸い込まれるように消えていき、 つるつるになった頭には白い頭巾がかぶせられた。 「…あ…あなたたち…尼さん!?」 「はい。 わたくしどもは山奥の寺で修行を積む尼僧なのです。 わたくしはこの寺の住職、風織尼と申します」 「わたくしは雀涼尼と申します。 さあ、これよりお客さまのまごころを示していただきたく存じます」 風織がさっと手を上げると、隆二の体にも変化が現われた。 「あ…ああっ!あれれれっ…」 隆二の体はあれよあれよと縮みながら、ふくよかな丸みを帯びていく。 髪は腰まで伸び、胸はふくらんで、隆二は小柄で長髪な女性に変身してしまった。 「こ、これはいったい…」 隆二は澄んだ高い声で驚く。 「もう、この服は必要ありませんわね。 清雲、浄月、お脱がせして」 風織がそう言うと横から尼僧たちが現われ、 隆二からすっかりだぶだぶになってしまった服を脱がせる。 女性になった隆二は、自分の裸体に赤面していた。 股間にぶら下がっていたものもきれいになくなっていた。 「まあ、赤くなってかわいいですわね。 お仲間になれて光栄ですわ、慈風尼」 「慈風、尼って…」 愕然とする隆二。 「あなたの尼僧としての名前ですわ。 わたくしの名前からひと文字とって差し上げました」 「お忘れでしたか。 あなたには、2点の絵のお代として、 まごころを込めてこの尼寺で仏に仕えていただくのです」 「代金無料って、そういうことなんですか…?」 「ええ。 逃げようなんて思わないでくださいね。 ここは人里から遠く離れた険しい山奥、そしてあなたは丸裸の女性…」 (やっぱり、タダより高いものはないんだ…) 観念した隆二を風織と雀涼が妖しい笑みを浮かべながら見つめていた。 尼僧たちが見守る中、 隆二は風織たちと同じ黒衣と黄袈裟を着せられる。 腰まで伸びた髪の毛に剃刀が入り、バサリバサリと床に落ちていく。 「せっかくのお美しい髪ですのに、もったいないですこと」 頭を剃りながら雀涼がつぶやく。 (あ、あんたらのせいで伸びた髪じゃないか!) 隆二は愚痴を覚えながらも、 自分が俗世間に別れを告げたことを実感するのだった。 「さあ、できあがりましたわ」 雀涼の指が隆二の頭の皮膚の上を、なんの抵抗もなく這う。 風織が、その頭に静かに白い頭巾を被せる。 「髪をお剃りになっても、お美しいですわ、慈風」 この寺の新しい修行の仲間、慈風尼の得度は無事に終了した。 「慈風、お勤めが順調にいきましたら、あなたには寺を分けてさしあげます。 そのときはあの曼荼羅と仏画も慈風のものですよ。 自分の庵に飾るなり、ご自由にどうぞ」 「…あ、ありがとうございます!」 「その日のために、慈風、まずは本堂の雑巾がけです。 まごころを込めて修行なさい!」 「は…はい!風織尼!」 こうして、新米の尼、慈風の長く苦しい修行生活が始まった…。 おわり