風祭文庫・尼僧変身の館






「摩羅の寺」
(前編)


作・風祭玲

Vol.597





ケキョ!!

春の訪れた山にウグイスの鳴き声が響き渡ると、

「あっウグイス!」

僕の後ろを歩いている恵庭美紀恵が声を上げた。

「ん?」

その声に先頭を歩く僕・野尻健彦が振り返ると、

「んーと、どこかな…」

と言いながら、

ガサガサ…

登山道の脇より響くウグイスの囀りに誘われ、

美紀恵は藪の中へと踏み入れると、

瞬く間に姿が見えなくなってしまった。

「おっおいっ

 待てよっ」

行ってしまった彼女の後を僕が慌てて追いかけて行くが、

ケキョケキョケキョケキョ!!

「待って…」

美紀恵は谷渡りをするウグイスを追いかけ、

さらに奥へ奥へと向かって行く。

「ったくぅ…

 この癖だけは治らないな…」

彼女とは付き合い始めて今年で6年目となるが、

この思い立ったら前後の見境無く行動する癖はなかなか治らない。

「やれやれ」

半ば諦め気味に僕は追いかけていくが、

実は来週、僕と美紀恵は結婚式を挙げることになっていた。



大学1年の春、同じ登山サークルに入った僕と美紀恵は

新入生歓迎イベントの一環で訪れたこの山で知り合い、

それ以降、くっついたり離れたりを幾度も繰り返した後、

出会ってから6回目のこの春にめでたくゴールイン。

と言う訳である。

見え隠れする彼女の後ろ姿を見つつ

そんな事を思い出しながら追い掛けていると、

バサバサバサ!!

突然、藪の中より1羽の野鳥が僕の前に飛び出してくるなり、

ピト!

僕の頭の上に止まった。

「え?

 なに?」

いきなり止まった野鳥に僕が驚いていると、

「健彦さん、捕まえて!!」

それを見た美紀恵は声を大にして叫ぶが、

ハッ!

その声を受け鳥を捕まえようとして僕が少し動いた途端、

バサバサバサ!!

まるで止まり木から飛び立つように野鳥は再び藪の中へと消えて行ってしまった。

「あーぁ」

それを見た僕は思わずため息を漏らすが、

「もぅ!!」

美紀恵はふくれっ面をして僕の前に立ち、

「もぅ何で捕まえなかったのよっ」

と僕を責め始めた。

「えぇ?

 僕が悪いのか?
 
 第一、あれはウグイスじゃなかったよ」

飛び去って行った鳥の後ろ姿を思い出しながら僕はそう指摘すると、

「ウグイスよ」

と美紀恵は主張する。

「いや、違うんじゃないか?」

「絶対そうよっ

 あれはウグイスよ!!」

美紀恵は一度言い出したことは絶対に曲げないのが

自分の良いところと言っているだけに、

取り逃がした野鳥がウグイスと言い張り続ける。

そんな彼女に向かって

「それにしても大きくなかったか?

 大体、ウグイスと言ったらこれくらいの大きさで…」

僕は右手の親指と人差し指をU字型に開いて見せ、

ウグイスのサイズを説明しようとしたとき、

「あっあれ?」

何かに気づいた美紀恵が背伸びをする。

「おっおいっ、

 人の話を聞けよ」

背伸びする美紀恵に向かって僕が注意をしようとすると、

「あっあれ…

 あれ、何かな?」

と美紀恵は山の中のある一点を指さした。

「何って?

 ん?

 建物?」

そう彼女が指さした所には

木々の間より年期が入った山門がそびえ立ち、

その奥にはお寺独特の背の高い瓦屋根が顔を覗かせていた。

「あっあれ?

 あんなところにお寺なんてあったっけか?」

瓦屋根から建物が寺院であることに気づいた僕が

持て来ていた地図と見比べてみるが、

しかし、その地図にはどこにもそのような表記はなく、

「あれぇぇ?」

それをみながら僕はただ首をひねるばかりであった。

ところが、

「ねぇ

 行ってみようよ」

突然、美紀恵はそう言い出すと、

ウグイスのことなど忘れ、

その寺めがけてサッサと歩き出してしまった。

「あっ

 おいっ

 まったく、子供じゃあるまいし

 迷ったらどうするんだよ」

まっしぐらに山門へと向かう美紀恵に

僕は文句を言いながら付いていくと、

やがて、

『摩羅寺』

と書かれた額が下がる山門にたどり着いた。

「はぁぁ…

 摩羅寺ねぇ…
 
 摩羅ってなんだ?」

「へぇぇ…」

山門の下より僕と美紀恵は感心しながら見上げていると、

「摩羅とはとてもありがたいお言葉ですよ」

と言う女性の声が僕たちの後ろから響いた。

「え?!!!」

突然響いたその声に僕が慌てて振り返ると、

「?」

僕たちの後には黒衣に黄袈裟をまとい、

白い尼僧頭巾をかぶった尼僧が後ろに立っていた。

「あっ

 いっいや、
 
 すみません。
 
 用ってほどではないのですが、
 
 ただ、大きな門だなぁ…って」

歳は僕たちと同じ20代だろうか、

白い頭巾から覗く雪のような柔肌と、

キュッ!

とまるで口紅が塗られたような

赤い唇が目を引くな尼僧を前にして、

僕は言葉に詰まりながらそう説明をする。

すると、

「クス…」

尼僧は小さく笑い、

「ご自由にお入りくださって結構なのですよ、

 さぁどうぞ」

と言いながら僕たちを境内へと招き入れ始めた。

「え?」

「どうする?」

予想外の尼僧の招きに僕は美紀恵の意見を尋ねると、

「入ってみようよ」

と一言、美紀恵は答え、

スタスタと境内へと入っていってしまった。

「あっ」

言葉よりも行動の彼女の姿に僕は困惑すると、

「さぁ、どうぞ…」

と尼僧は僕を招く、

「はっはぁ…」

その言葉に背中を押されるようにして

一歩、境内に踏み入れた途端。

ピキーーーン!!!

何かが僕の身体の中を貫き、

そして、消えていった。

「え?」

その感覚に僕はキョロキョロと左右を見ていると、

「何やっているの?」

といきなり美紀恵の顔が現れ僕を仰ぎ見る。

「あっ

 いや、いま静電気のようなものを感じたんでね」

美紀恵の質問に僕はそう答えると、

「あれ?」

境内の奥で動く白い頭巾が目に入ってきた。

「さっきの尼さん、

 もぅあんなところに…

 何やっているんだろう」

その頭巾を見ながら僕はそう言うと、

「はぁ、なに言っているの?

 あの尼さんならこっち居るじゃない」

と美紀恵は僕が見ている方向とは反対側を指さす。

「え?

 え?
 
 えぇ?」

僕は困惑しながら2方向をそれぞれ見ていると、

「あれは、わたしの妹・羅洸ですわ」

と僕たちを招き入れた尼僧が説明をし、

そして手を挙げた。

「妹さん?

 羅洸?」

尼僧のその言葉に僕は驚くと、

「あら、お客さんですか?

 この寺を訪れる方は久方ぶりですね」

の言葉と共に羅洸と紹介された尼僧が僕達の傍に寄って来た。

すると、

「えぇ、そうなんですよ」

その言葉に僕たちを案内してきた尼僧が嬉しそうに返事をすると、

「あっれ?」

頭巾から覗く顔が二人全く同じであることに気づき、

僕は幾度も目をこする。

「双子なんです、

 私たち」

僕のその仕草に気づいのか寄ってきた羅洸さんが先に声を上げ、

「こちらが、姉の摩洸で、

 で、わたしが妹の羅洸、

 この寺は私たち姉妹が守っているのです」

と事情を説明する。

「へぇ、双子でこの寺をですか…」

摩洸さん・羅洸さんの二人の尼僧の説明に美紀恵は感心すると、、

「はい」

二人の尼僧は笑みを浮かべ返事をする。



それから僕たちは摩洸さん、羅洸さんによって寺の中を案内をされるが、

しかし、寺のたたずまいはどう見ても

100年以上の月日が経っている古刹の趣を漂わせ、

とてもこの数年間に作られた様には見えなかった。

そして、一通り見終わった後、

僕たちは摩洸さんが煎れてくれたお茶を飲みながら、

四方山話をするが、

しかし、前回来たときにこれほどの寺を見過ごすはずもなく、

また、地図にも記載されていないことが

ますます納得がいかなくなっていた。

「…あっあの…」

そのことを尋ねようと僕は声を上げると、

「はい?」

摩洸さん、羅洸さんの二人が声をそろえて返事をし、僕を見る。

「あっ

 実は数年前に僕たちはこの山に来たのですが、

 その時にはここにお寺があるなんて気づきませんでしたが」

と僕がそのことを尋ねると、

「はぁ、そうですか…

 でも、この摩羅寺は建立されて500年は経っているのですよ」

僕の質問に摩洸さん、羅洸さんが声をそろえて返事をする。

「そうですか、

 じゃぁ見落としていたんでしょうか?

 あっでも、

 地図には記載されていませんとね」

一度は納得する振りをしながらも、

僕は地図への表記がないことを指摘すると、

「ねぇっ」

隣に座る美紀恵が僕のシャツの袖を引っ張った。

「なっなんだよ」

美紀恵の行動に僕は小さく声を上げると、

「いい加減にしなよっ

 摩洸さん達も困っているでしょう?」

と注意をする。

「別にいいじゃないかよっ」

その言葉に向かって僕は小声で怒鳴ると、

「あっ

 喧嘩はおよしになって」

僕たちの口げんかが聞こえしまったらしく、

摩洸さんが割って入って来た。

「え?」

「あっいや、

 喧嘩なんて別になぁ…」

「えぇ…

 そっそうよ」

摩洸さんの言葉に僕と美紀恵は慌てて作り笑いをすると、

「今日はここに泊まってゆきなさい。

 いまから山を下りると道に迷いますよ」

と席を立った羅洸さんが僕たちにそう告げる。

「え?」

その言葉に僕と美紀恵は慌てて外を見ると、

さっきまで明るかったはずの外の景色はすっかり夕暮れ時となり、

とてもいまから下山することは出来る状態ではなかった。

「やだ!!!」

「うわ!!」

暗闇が支配してゆく外の景色を見ながら僕と美紀恵は驚いていると、

ポゥ…

仄かな明かりが灯されると部屋の中がほんのりと明るくなる。

「申し訳ありません、

 ついつい、引き留めてしまって」

炎を揺らめかせるロウソクの明かりに妖しく浮かび上がりながら、

摩洸さん、羅洸さんがそろって僕たちに頭を下げる。

「いえいえ、

 長居したのは僕たちの方ですから、

 そんな、

 頭を上げてください」

下を向く白い頭巾に向かって僕はそう言うと、

「そうですよ、

 悪いの私たちなんですから」

と美紀恵も続く。

そして、こんなやりとりの結果、

僕たちは一晩この尼寺・摩羅寺に泊めて貰うことになった。



「うわぁぁ…

 精進料理だぁ〜っ」

本堂とは棟続きの宿坊に美紀恵の嬉しそうな声が響き渡ると、

「おっおいっ

 美紀恵」

隣に座る僕がすかさず注意する。

「あっ」

僕の声に気づいてか美紀恵は慌てて恐縮すると、

「いいんですよ、

 そんなにかしこまらなくても」

とお膳を挟んで前に座る摩洸さんと羅洸さんが笑みを浮かべた。

「そっそうですか?」

「だからといって、

 羽目を外すんじゃないぞ」

二人の言葉に安堵の表情を浮かべた美紀恵に僕は釘を刺すと、

「判っているわよ、

 そんなに言わなくてもいいじゃない」

とプイッと横を向きながら彼女は返事をする。

その途端、

「うふっ」

向かって左側に座る摩洸さんが小さく笑うと、

「あっ」

美紀恵は慌てて手で口を覆った。

「あっいえ、

 ごめんなさい。

 ちょっと思い出し笑いをしたもので」

美紀恵のその仕草に摩洸さんは慌てて笑った理由を説明をすると、

「あはは、

 尼さんでも思い出し笑いをするのですね」

と僕は軽く笑いながら箸を手する、

すると、

「あっちょっと」

隣の美紀恵がそんな僕を咎めると、

「いえいえ、

 いいんですよ、

 尼だって笑うことがありますし、

 泣くこともあります。

 ただ…

 以前にこの寺を訪れた方達のが言っていたことを思い出しましてね」

と摩洸さんは思い出しながら呟くと、

「へぇ、どんなことです?」

美紀恵が聞き返した。

「さぁ、詳しいことはすでに忘れてしまいましたが、

 でも、その時の気持ちが残っていましてね…」

「あぁ、判りますそれ」

「ホント…

 あなたがご夫婦のように明るい方でしたわ」

そのことを思い出しているみたいに、

摩洸さんは頬に片手を当てそう言うと、

「いっいえっ

 あたし達はまだ」

と美紀恵は僕たちがまだ結婚していないことを指摘した。

「あら、

 そうでしたの?」

その言葉に摩洸さんと羅洸さんが驚くと、

「えっえぇ、

 僕たちは婚約はして居るんだけど、

 籍はまだ…」

と僕が説明をし、

その直後

「あっあのっ

 らっ来週の日曜日に式を挙げるんです」

と美紀恵が来週の日曜日に僕との結婚式を上げることを付け加えた。

「おっおいっ」

美紀恵の言葉に僕は驚くと、

「別にいいじゃないっ

 知って貰っても」

と彼女は言い返す。

すると、

「そうですか、

 それはおめでとうございます」

摩洸さんと羅洸さんが口をそろえてお祝いを言いい、

「そんな…」

二人のその言葉に僕は恐縮をすると、

「そうだ、

 なにか、お祝いをしなくてはね」

「とびきりのをね」

摩洸さん、羅洸さんは二人で盛り上がりながら、

互いに手を叩き、

その後、

チラッ

僕たちを見ると、何か含みのある笑みを浮かべたのであった。



「うん、

 おいしい」

「精進料理と言っても、

 大したものはないのですが…」

「いえいえ、

 お手数をかけて申し訳ありません」

舌鼓を打ちながら僕と美紀恵は出された精進料理を食べていると、

「あら?

 これは?」

お膳の中の一品に気づいた美紀恵が呟く、

「ん?

 どうした?」

そんな彼女に僕は理由を尋ねると、

「お気づきになりましたか

 それは、白子の和え物です」

と摩洸さんが説明する言う。

「白子って…

 確かお魚の?」

「いえっ

 お魚のではありません。

 殺生は禁じられていますし、

 それに精進料理ですから」

「では、この白子は?」

「それは…」

その理由を尋ねた僕に摩洸さんが話しかけたとき、

「別にいいじゃない」

美紀恵が話を遮り、

さっさと白子の和え物を食べ始めてしまった。

「あっ

 おいっ」

そんな彼女に僕は注意しようとするが

「うん、おいしいよ

 健彦も食べたら?」

と和え物を味わいながら僕に言う。

「ったく…」

そんな美紀恵に僕は文句を言う気力もなくなり、

和え物を口の中に運ぶと、

苦いような甘いような不思議な味が口の中に広がっていった。



夜…

「うっうぅん」

「うっ

 くはぁ

 はぁはぁはぁ…

 なんだこの暑さは…」

身体の中から燃え上がるような火照りに僕は飛び起きると、

ジーン…

身体のあちこちから妙にムズ痒いような痺れに似た感覚が走り、

「うっ」

体中を走り回るその感覚に僕は思わず身体を押さえた。

しかし、その感覚よりも、

シト…

湿った寝間着の冷たさに気づくと、

「うわっ

 汗でびしょびしょになっている」

寝間着がぐっしょりと濡れてしまうほどの寝汗に思わず驚いてしまった。

「なっなんだ?

 どうなっているんだこれぇ?」

こうしている間にも額の横を汗が筋を引き、

ポタリ

顎の下より汗がしたたり落ちる。

「くぅぅぅ…

 どうなっているんだよ、

 これ」

したたり落ちる汗を盛んにぬぐいながら

僕は隣の部屋で寝ている美紀恵を起こさないように部屋を出ると、

暗い廊下を洗面所へと向かっていくが、

トタ

トタ

しかし、その足取りはまるで酔っぱらいのごとく

右へ左へとフラフラしながらの千鳥足で前に進んでいた。

ジーーン…

ハァハァ

ハァハァ

身体の痺れはさらに増し、

視界はかすみ、

汗は相変わらず流れ落ちる。

その様な状態の中、僕は必死で廊下を進むが、

しかし、前に進もうとしても思うように足が動かなくなてしまっていた。

そして、さっきから感じ始めた胸回りや股間から奇妙な違和感に、

「なっ何か変なものを食べたかな?」

と思っていると、

フワッ

辺りに抹香の香りが漂ってきた。

「あっ(クン)

 香の臭いだ」

廊下の奥から漂ってくるお香の香りに

引かれるようにして僕は奥へと向かうと、

ヒヤッ

正面に仏像が安置されている本堂へと入り込んでしまった。

「ここは?」

ロウソクか焚かれているのか、

ほんのりと浮かび上がる仏像を僕は見上げていると、

自然と僕の手が胸の辺りをまさぐり始めていた。

ジーン

「あぁ気持ちいい…」

サワサワ

サワサワ

仏像を見上げながらのその行為に若干の後ろめたさを感じたものの、

しかし、その気持ち良さに次第に身を委ねていると、

「お持ちしておりました」

と耳元で女性の声が響いた。

「!!!っ

 うわ(モゴッ!)」

その声に僕は驚き、

そして、大声で叫ぼうとしたとき、

いきなり口に手を当てられると、

「奥の院では叫ばないでください」

と言う注意と共に、

サワッ

僕の頬に頭巾の感触が走る。

「あっ…(気持ちいい…)

 え?

 あなたは…」

「羅光ですわ」

「らっ羅洸さん?」

「どうして…」

「お務めと……

 そして、お迎えに…」

後ろから抱きつくようにして羅洸さんはそう言うと、

僕を押し出すように前へと進み、

やがて、仏像が見下ろす位置へと来させるなり、

「さぁお座りになってください」

と囁きつつ僕と共に座った。

「………あっ…

 あのぅ…」

座ってもなおも僕から離れない羅洸さんに声をかけると、

「はい?」

僕の胸の中に手を忍ばせつつ羅洸さんは返事をする。

そして、

「あの…

 なにを…」

クニッ

クニッ

忍ばせた手で僕の胸を直接揉み始めたことを尋ねると、

「うふっ

 あなたの胸…
 
 とっても柔らかいですわぁ」

と僕の耳元で囁き、

そのあと、よくは聞こえなかったが、

「これなら、尼になれますわ…」

と聞こえた。



つづく