風祭文庫・巫女の館






「約 束」
−夜莉子と沙夜子−
第2話・海神の剣



作・風祭玲


Vol.355






ザッザッザッ 日が傾いた山道を恒彦を先頭に蒼一郎と夜莉子が歩いていく、 「(はぁ)ねぇ…まだあるのですか?(はぁ)」 延々と続く山道に夜莉子がそう尋ねると、 「なんだもぅ音を上げたのか?」 横を歩く蒼一郎がそう聞き返した。 すると、 「はは…  都会に方にはやはりキツイですなっ    あと5分ほどでつきますよ」 先頭を歩く恒彦が涼しい顔でそう言う、 すると、 「あっあと5分も…」 恒彦の言葉に夜莉子は絶望的な表情を見せると、 「それにしてもこの山道を駆け上がって行かれたとは、  さすがですねぇ」 10年前に、 謎の竜に追われた恒彦がこの道を駆け上がっていった話を思い出しながら、 蒼一郎がその労を称えた。 「いやぁ…  わたしもあの後、腰が抜けてしまって、  しばらくの間、寝込んでしまいましたよ」 蒼一郎の言葉に恒彦はそう返事をすると白髪交じりの頭を掻いた。 やがて、恒彦の言ったとおり5分ほどで蒼一郎と夜莉子の正面に 威厳を持った山門が姿を現して来た。 「うひゃぁぁぁ…すごい…」 時代がかった額が見下ろす山門を見上げながら夜莉子が驚くと、 「門の建立は室町後期だそうですよ」 恒彦は山門について軽く説明をしながら、 蒼一郎達を海寧寺の境内へと案内していった。 「これは綺麗に掃き清められていますね」 ゴミ一つ落ちていない整然とした佇まいの庭に蒼一郎が驚くと、 「はははは…  静海尼さまがお手入れをなさっていますから」 と恒彦はそう答える。 「静海尼?」 「えぇ…この寺を守られている方で、  ほらっ、あのお方ですよ」 蒼一郎の質問に恒彦はそう答えながら 庭に出ている白い尼僧頭巾を被った人物を指さした。 「あら…島渡さん、  どうされました?」 蒼一郎達に気づいた静海尼が振り返ってそう尋ねると、 年は20代半ばくらいの若い尼僧だった。 「いやぁ…  この方達に“海凪の剣”を見て貰おうかと思いましてね」 ややニヤケた表情をしながら恒彦が返事をした。 すると、 静海尼は蒼一郎達に近づき、 「このような山寺によくお越しくださいました」 と言いながら頭を下げた。 「あっ巫女神蒼一郎です」 「みっ巫女神夜莉子です」 蒼一郎と夜莉子は若い尼僧に戸惑いながら返事をして頭を下げると、 「明日の”海返しの式”に出られる方ですよね」 と静海尼は恒夫に尋ねる。 「えぇ…まぁ  前回の時、えらい目に遭わされましたからね、  それに、あのときみたいに体力はもぅないですから…  この方々に来ていただいたのですよ」 と恒夫はそう言いながら笑みを浮かべると、 蒼一郎達を呼んだ理由を静海尼に告げた。 「そうですかぁ  私がこの寺に来る前の話で  島渡さんの苦労話にはいまひとつピンときませんでしたが、  でも、よろしくお願いします」 静海尼はそう言うと、 蒼一郎達に向かって静かに手を合わせた。 「見えますか、あれが“海凪の剣”です」 「はぁ」 「う〜ん、よく見えないよ…」 「こらっ」 “海凪の剣”を安置しているお堂の前で説明する恒彦に合わせて 格子戸越しに蒼一郎と夜莉子が中を覗き込んでいると、 「う〜ん、  ちょっと、来るのが遅かったですね…」 と笑いながら恒彦はそう言った。 「でも、感覚は掴めましたよ、  確かに神剣と言われるだけに、  秘めた力を持っているようですね。  それに、剣を守っている海神の式神・雷竜もしっかりとこのお堂を守っている」 感心しながら蒼一郎はお堂を見上げてそう言うと、 「うん…確かに凄い気ね」 格子戸に顔を付けながら夜莉子がそう続けた。 「おいっ夜莉子っ  はしたないぞ」 そんな夜莉子を蒼一郎が注意すると、 「はーぃ」 そう返事をしながら夜莉子は格子戸から離れる。 「では、戻りますか?」 蒼一郎と夜莉子が”海凪の剣”を見終わったのを確認して、 恒彦がそう声を掛けると、 「あのぅ  お茶でも飲まれて行かれませんか?」 と言いながら静海尼がお堂にやってくると声を掛けてきた。 「あっ、そうですな」 静海尼の申し出に恒彦は快く返事をすると、 「どうぞ、こちらです」 静海尼は蒼一郎と夜莉子の方を見るなり本堂の方へと誘った。 「何もありませんが…」 そう言って静海尼は湯気が立つ湯飲みを蒼一郎達の前に差し出すと、 「静海尼さんは長年この寺を守ってきた前の住職が亡くなった後、  この寺が荒れていくのが忍びないと言われて来られたのですよ」 と恒彦は静海尼の説明をした。 そして、それに合わせるようにして、 「えぇ…  私が仏門に入る前、ここの住職様にはよくしていただき、  それが縁で仏門に入りこうして尼になりました。  そして、その時のお礼にとここに伺ってみたら、  住職様は既にお亡くなりになり、  また、無人となったこの寺が荒れていくのがどうしても我慢できなくて…」 と静海尼は経緯を蒼一郎達に説明をする。 「はぁ…なるほど…」 静海尼の説明に蒼一郎は感心していると、 「でも、不便ではありませんか?」 と夜莉子が単剣直入に静海尼そう尋ねた。 「こらっ、夜莉子っ!!」 それを聞いた蒼一郎がすかさず注意をすると、 「ははははははは…  やはり、女の子だね」 と言いながら恒彦が笑い声をあげた。 「失礼な事を聞いてしまって、  どうもすみません」 夜莉子の頭を小突きながら蒼一郎が静海尼に謝ると、 「いえいえ、いいんですよ  私がこうしてこの寺を守ることが、  先代の住職さまの御行に報いることなんですから」 と静海尼は蒼一郎に告げた。 「それで、明日のお祭の段取りは…」 「えぇ…  以前お話をしたとおり、  日没前の夕方の4時に“海凪の剣”はこの海寧寺を立って浜へと降り、  そして、翌朝8時に戻ってきます」 恒彦は静海尼にスケジュールを告げると、 「そうですか、  それではそれに合わせて準備をしておきましょう」 恒彦の説明に静海尼はそう返事をすると、 「よろしくお願いします」 恒彦はそう言いながら頭を下げた。 ザッ 蒼一郎達が海寧寺を後にしたときはすっかり日が落ち、 山道は暗やみに包まれていた。 「月があれば少しは歩きやすいのですが、  なにしろ、明日が新月ですからなぁ」 古風な提灯を片手に恒彦がそう言うと、 「いやぁ…  星明かりでも十分ですよ」 と言いながら蒼一郎は悠然と歩いていく、 しかし、 そんな彼の後ろを夜莉子はしがみつきながら歩いていた。 「なんだ夜莉子?  怖いのか?」 夜莉子向かって蒼一郎が嫌みったらしく尋ねると、 「もぅ、蒼一郎お兄ちゃんのイジワル!!」 と夜莉子は声を上げた。 「はははは…  夜莉子さんはまだ中学生ですよね。    それなら、無理もないですな」 二人のやり取りを聞いていた恒彦はそう言うと、 「修行をしても臆病クセはなかなか治らなくて…」 と蒼一郎が呆れるような口調でそう答えた。 「蒼兄ちゃん!!」 それを聞いた夜莉子が思わず怒鳴ると、 「まぁまぁ、  茉莉子さんも肝試しの類は苦手でしたから、  いいじゃないですか」 恒彦はそう言うと 「え?、そうなんですか?」 と夜莉子が思わず聞き返した。 「えぇ…  なんでも、人を脅かそうとする邪気が見えてイヤだと言っていましたよ」 夜莉子の質問に恒彦はそう答えると、 「だってよっ  単純に怖がっているのとはレベルが違うな」 恒彦の説明に蒼一郎からの茶々が入った途端。 「蒼兄ちゃんのバカァ!!」 パァァァン!! 夜莉子は蒼一郎の正面に回るとそう叫びながら 彼の頬を思いっきり引っ叩いた。 その後、海寧寺より島渡家に戻った蒼一郎と夜莉子は聡子から部屋に案内されたが、 しかし、食事が終わっても夜莉子はむくれたままだった。 「おいおい、  いい加減に機嫌を直せよ」 頬の腫れを押さえながら蒼一郎がむくれる夜莉子にそう言うと、 「あたし、東京に帰る!!」 突然、夜莉子がそう言い出すと、 広げていた荷物を片付け始めた。 「今からか…だって、電車はもぅ無いぞ」 そんな夜莉子の姿に時計を見ながら蒼一郎がそう言うと、 「いぃっ、歩いてでも帰る!!」 夜莉子はそう言いながら片づけを続ける。 「ったくぅ…  よしっ  じゃぁ、この仕事が終わったら    ファンタジーランドに連れて行ってやるから機嫌直せ」 ついに折れた蒼一郎が頭を掻きながらそう言うと、 「え?」 ピタッ 片づけをしていた夜莉子の手がその場で止まった。 そして、 「いま言ったこと、本当?」 疑いの眼を蒼一郎に向けながら聞き返すと、 「あぁ、男に二言はないよ、  ただ、そーだなぁ…  まだ色々と予定があるから、  来月のクリスマスに連れて行ってあげるよ」 蒼一郎は取りだした手帳に視線を落としながらそう言った。 すると、 「わかったわ、許してあげる。  その代わり、絶対よっ  もしも約束を破ったら、承知しないからねっ」 荷物を片付けるために開けていた鞄の口を閉じながら夜莉子はそう念を押すと、 「判った判った。  その代わり、入園料はおばさんに請求して置くからな…」 と言いながら蒼一郎は手帳の12/24に所に赤丸を付け、 そして、「夜莉子とファンタジーランド」と書き記した。 それを見た夜莉子は ギュッ と蒼一郎に抱きつき、 「絶対に約束破らないでね」 と耳元で囁くが、 「おいっ、  浮かれるのもいいが、明日の仕事のことを忘れるなよ」 蒼一郎はそう言うと彼女の額を指先でつついた。 深夜… ふと目を覚ました蒼一郎が起きあがると、 「………」 すやすやと寝息を立てている夜莉子を起こさないように配慮をしながら部屋を出た。 そして、真っ暗な廊下を歩いていくと、 その先にある恒彦の部屋から灯りが漏れていた。 「まだ起きているのか…」 感心しながら蒼一郎がその部屋の前に立つと、 「聡子さんか?」 と中から恒彦の声が響いた。 「いえ、巫女神ですが…」 恒彦の声に蒼一郎が返事をすると。 「おやっ  どうぞ…入ってください」 「では、失礼します」 恒彦の声に蒼一郎はそう返事をすると部屋へと入っていった。 「いやぁ、  散らかしっぱなしでお恥ずかしいですが」 そう言いながら恒彦は蒼一郎を招き入れると、 「私の部屋よりも整然としていますね」 蒼一郎は部屋の様子を眺めながら感想を言う。 そして、中央に据えられたテーブルの上に置かれている書類の山を見ると、 「明日の準備ですか?」 と尋ねると、 「あははは…  まぁそうですよ、  先祖代々から受け継がれているものだからねぇ…」 恒彦は笑いながら返事をすると 部屋の隅に置かれている一升瓶を取り出し、 「いける口ですか?」 と蒼一郎に尋ねた。 「そうですか…」 「えぇ…  ざっとですが、この屋敷と海寧寺、そして参道と霊査してみましたが、  これと言って引っかかる気は感じられませんでし、  また鬼門の方も清浄でした。」 コップの注がれた地酒を煽りながら、 蒼一郎は島渡家から海寧寺に掛けて行った霊査の結果を恒彦に説明をする。 それを聞いた恒彦は大きく頷くと、 「実は…巫女神さんに今回のことを頼んだのは、  前回のこともあるのですが、  実は最近、夜な夜な私の枕元で声がするのですよ。  ”邪な心を持つ者が“海凪の剣”の傍にいる。”とね…」 「なるほど、  夢枕での警告ですか…」 「わたしも最初の頃は  疲れているんだ。疲れているからそんな幻聴を聞くんだ。  と思っていましたが、  それが毎日のように続いたので、  医者にでも診て貰おうかと思った矢先、  ふと、茉莉子さんの事を思い出して、相談をしたのです。」 と蒼一郎に内情をうち明けた。 「なるほど…」 恒彦の話に蒼一郎は頷くと、 「“海凪の剣”の傍に邪な者か…  私からすればこの警告を流している者の正体が気になりますね」 と続けた。 すると、 「いえっ、わたしは海神だと信じています。  前回の”海返しの式”があのような形で終わってしまったことを嘆いているのだと」 恒彦はそう断言すると蒼一郎のコップに酒を注いだ。 「しかし…海神が直接人間に警告を出すものだろうか?」 酒を呷りながら蒼一郎はそう考えると、 「そうそう、  昼間、夜莉子さんが居たので言い損なってしまったのですが、  “海凪の剣”にはある禁忌があるのです」 と恒彦が”海凪の剣”に纏わる禁忌の事を口にした。 「禁忌?  それは?」 興味深そうに蒼一郎が尋ねると、 「元々は無闇に“海凪の剣”の力が使われないようにと言う意味もあるのですが、  海神が私の祖先に”海凪の剣”を渡したときに、  ”男が剣を抜くと玉を取り、   女が剣を抜くと命を取る”  と言う禁忌を剣に与えました」 「男が剣を抜くと玉を取り、  女が剣を抜くと命を取る…  これはまた、随分と凄い話ですね」 恒彦の話に感心しながら蒼一郎がそう言うと、 「あははは…  まぁあくまで言い伝えで、  実際に剣を抜いて玉を取られた男はいませんし、  まして命を懸けた女もいませんよ、  それに、この剣があるお陰で  この港では大漁になることはないが、  でも、不漁になることもない。  まぁそこそこの漁が出来、  そこそこの生活が出来れば満足…  1000年前の災厄から学んだのことはそれですから」 赤い顔をしながら恒彦はそう言うと、 ぐぅ… っと寝込んでしまった。 「なるほどねぇ…」 恒彦のその様子を見ながら蒼一郎はそう言って腰を上げると、 「おっと…この酒は足に来るな」 一瞬ふらつくと、 千鳥足で部屋へと戻っていった。 翌朝、 「朝だよ!!  ほらっさっさと起きなよ!!」 夜莉子の声が響く中、 「そんなにキンキンと声を上げるなよ  う゛〜っ  頭痛ぇ…」 二日酔いの頭を押さえながら蒼一郎が起きあがると、 「夜遅く、何処に行っていたの?」 と夜莉子が尋ねた。 「…なんだ、知っていたのか?」 ボケーとしながら蒼一郎が夜莉子に言うと、 「当たり前でしょう、  こう見えても巫女神の人間ですから、  頭元を人の気配が通り過ぎたことぐらいちゃんと判ります」 夜莉子はそう言うと胸を張った。 「あぁ…  恒彦さんの所に行ってた、  まぁ、色々と話を聞けたけどな」 こめかみを押さえながら蒼一郎がそう答えると、 「ふ〜ん、  お酒を飲みながら何を話していたんだか」 夜莉子は軽蔑気味の視線で蒼一郎を見ながら言うと、 「バーカ、  男の仕事の半分は酒を飲みながらするんだよ」 蒼一郎はそう言って起きあがった。 「お早う!!  いやぁ夕べは巫女神君と久々に良い酒が飲めたので仕事が捗ったよ」 朝食のため居間に姿を見せた蒼一郎に恒彦は笑みを浮かべながらそう言うと、 「おっ、その顔は二日酔いか?  ははははは…  まぁここの酒は飲み慣れていないと、  ガツンとやられますからな、  おーぃ、  巫女神さんが二日酔いだから  例のを出してあげなさい」 と台所に向かって声を上げた。 「あっお構いなく」 「ははははは  今夜は徹夜だから、  それまでに二日酔いは直して貰わないとね」 恒彦の配慮に蒼一郎が断ろうとするが、 程なくして蒼一郎の前に焼いた魚を解したお茶浸けが出された。 「これは、どんな二日酔いでもいっぺんに消してしまうものだ、  まぁ食べてみなさい」 物珍しげにお茶漬けを眺める蒼一郎に恒彦はそう言うと、 「頂きます…」 蒼一郎はそう言うと箸を付けた。 昼前… トントントン カンカンカン 1000年前海神が漁師に”海凪の剣”を授けたという場所で ”海返しの式”の為の準備が進んでいた。 そして準備の指揮を執っている恒彦の所に蒼一郎が姿を見せると 「やぁ、どうですか二日酔いは…」 恒彦はその後の経過を尋ねた。 「えぇ、おかげさまで頭の痛みが取れました」 すがすがしい顔で蒼一郎は返事をすると、 「あはは、  そうだろう、  あの茶漬けはそん中そこらのクスリよりよく効く」 笑いながら恒彦は自慢げにそう言った。 「これが祭壇ですか?」 恒彦の脇に立った蒼一郎は組み上がっていく祭壇を眺めると、 「あぁ、そうだ。  昼には組み上がるから、  まぁ、2時か3時には準備はすべて整う。  取りあえず予定通りということかな」 そう言って形が整っていく祭壇を仰ぎ見る恒彦に、 「私の方もこの集落を隈無く回りましたが  いまのところ、これと言った異常は見あたりませんでした」 と集落内を歩いてきた蒼一郎がそう報告をすると、 「そうですか、  でも、前回の時は最後になって出てきましたから、  注意を怠らないようにしませんとね」 真剣な表情で恒彦が返事をした。 「えぇ…」 恒彦のその言葉に蒼一郎は頷いた。 そして、午後4時… 儀式の準備がすべて整うのと同時に紋付き袴姿の恒彦を先頭に、 迎えの行列が海寧寺へと向かっていった。 ザッザッザ そして、山道を登る行列の最後にスーツ姿の蒼一郎と、 制服姿の夜莉子が山を登っていく。 「う゛〜ん…緊張するぅ」 緊張した面もちで夜莉子がそう呟くと、 「もっと楽に行け楽に…」 夜莉子のその様子に蒼一郎が注意をすると、 「だってぇ」 と小声で夜莉子が言い返した。 「大丈夫だって、  夜莉子は居ても居なくても同じだから、  何か起きたら一直線にこの道を下って行けばいい」 麓を指さしながら蒼一郎がそう言うと、 「ひっどーぃ!!」 夜莉子は顔を真っ赤にすると、 「蒼兄ちゃん、言っておきますけど、  あたしは修行を積んできた巫女なんだから、  ちょっとやそっとの妖怪には負けないんだからね」 と蒼一郎に言い聞かせるようにして言った。 しかし、 「はいはいっ  まぁ期待はしていないけど、  怪我をしない程度にがんばれよ。  お前が怪我をすると俺がおばさんに怒られるからな」 蒼一郎はそう言って夜莉子の肩を叩いた。 「ぶぅ!!」 それを聞いた夜莉子は膨れっ面をすると 程なくして行列は無事海寧寺に到着した。 そして、恒彦が海凪の剣を収めたお堂の前に立つと、 ビシッ 封印が独りでに外れ、 キィ… 10年間、海凪の剣を守ってきた格子戸が徐に開いた。 「うわぁぁぁ…」 その様子に夜莉子が驚くと、 静海尼が静かに手を合わせる中、 恒彦の腕に抱かれた“海凪の剣”は10年ぶりの海に向かって海寧寺を後にした。 一行が海に向かい始めたのを見届けた蒼一郎が、 「さぁ行こうか…」 と夜莉子に言うと、 「あっあのぅ…」 静海尼が蒼一郎達に話しかけてきた。 「はい、なんでしょうか」 静海尼の声に蒼一郎が返事をすると、 「そこのお嬢さんにちょっと見て貰いたいものがあるのですが…」 と静海尼は夜莉子を指さしながらそう告げた。 「え?、あたし?」 「じゃぁ、俺は先に行っているから、  用が済み次第、後を追ってこい」 蒼一郎は夜莉子にそう言い残すと行列に続いて山を下りていった。 「あっ蒼兄ちゃん…」 海寧寺の雰囲気にいまひとつ馴染めない夜莉子は声を上げると、 「ご迷惑…でしたか?」 と静海尼が夜莉子に尋ねる。 「いっいえ…  そんなこと…」 心配そうな静海尼の表情に夜莉子は慌てて首を振り、 「で、私に見て貰いたいものとは…?」 と静海尼に尋ねると、 「こちらに来てください…」 静海尼はそう言いながら夜莉子を本堂へと招いた。 「うわぁぁぁ  凄い…」 本堂に安置されている千手観音像を見て思わず夜莉子が声を上げた後、 「それで…」 と用件のことを静海尼に尋ねると、 「実は、この観音像なのですが、  夜な夜なうめき声を上げるのです」 と静海尼が夜莉子に事情を説明した。 「うめき声?」 「えぇ…  ほらっ    あの観音様の顔、何かもの言いたげに見えませんか?」 観音像を指さしながら静海尼がそう言うと、 「えっえぇ?」 夜莉子は観音像の顔を見つめた。 とその時、 カッ 観音像の目が大きく見開くと夜莉子の目を見つめた。 その途端、 「なっ…  かっ身体が動かない…」 夜莉子の身体はまるで硬直したかのように金縛りに遭ってしまった。 「そんな…」 夜莉子は大急ぎで心の中で金縛りを解く呪文を唱えるが しかし、何度唱えても効果は現れなかった。 「なんで…?  どうして?」 予想外の事態に夜莉子が困惑をしていると、 ユラリ… 夜莉子の頭の中に黒く邪悪なものが入り込んできた。 「いや…  こっ心の中に何かが入ってくる!!  なにこれ?」 困惑する夜莉子の正面に静海尼が立つと、 「ふふふ…  こうもあっさりと罠に掛かってくれるとわな、  おいっ身体が動かないんだろう?」 とまるで男のような口調で夜莉子に囁きかけた。 「え゛?」 予想外の静海尼の言葉に夜莉子は驚くと、 「お前はもぅ俺の術中に堕ちているんだよ、  ふふ…あの巫女神茉莉子の娘と言うから  どんなに凄いのかと思ったら、  ただの子供とはな…拍子抜けだぜ  まぁお前には俺の手足になって働いて貰おうか」 静海尼はそう言うと ガッ 右手を差し出すと夜莉子の顔を掴み上げた。 そして、 「安心しろ、  俺はお前を殺しはしない…  最も、お前を殺すのはあの“海凪の剣”を守っている雷竜だけどな」 静海尼は夜莉子にそう言うと、 「さぁ…心を開け…」 と夜莉子に命令をした。 「たっ助けて…蒼兄ちゃん!!」 夜莉子の声なき悲鳴が海寧寺に響き渡った。 「ん?  夜莉子?」 その頃、蒼一郎は夜莉子の声を聞いたような感じがすると思わず振り返った。 「気のせいか?」 そう思いながらも蒼一郎は周辺の気配を探ってみたが、 しかし、彼の感覚には妖怪一匹引っかかってこなかった。 「………」 蒼一郎は夕闇によって判別できるか出来ないかになってしまった海寧寺を見つめる。 そして、その前では岩場に作られた祭壇に掲げられた“海凪の剣”に向かって 神主が祝詞があげられると、恒彦の手によって目の前の海の中へと投げ込まれた。 ボゥッ “海凪の剣”が海面下に落ちるのと同時に 目の前の海から吹き出すようにして青白い光が姿を現した。 「ほぅ…これは…  凄い力だ…」 海の中から吹き出す青白い光は祭壇の前からゆっくりと広がっていくと、 湾内から外海へと向かっていった。 そんな幻想的な光景を蒼一郎が眺めていると、 彼の横に恒彦がやってくるなり、 「いかがですか?」 と尋ねてきた。 「えぇ…今のところなにもありません、  でも、凄いですねぇ    目の前の海が青く光っていますよ」 そう言って蒼一郎が真っ暗になった海を指さすと、 「はぁそうですか?  いや、私には何も見えませんが」 と感心した口調で恒彦はそう答え、 そして、 「そう言えば夜莉子さんの姿が見えないようですが」 と蒼一郎に夜莉子の姿がないことを尋ねた。 「えぇ、静海尼さんが用があると言いまして、  海寧寺に残しました。」 恒彦の問いに蒼一郎はそう返事をすると、 「でも、すっかり日が落ちましたし、  それに“海凪の剣”も海の中ですので  迎えに行かれたらどうです?」 と恒彦が提案した。 「そうですね…  あの恐がりがすんなり山を下りれるとは思えないし」 恒彦の提案に蒼一郎はそう返事をして、 その場を離れようとした時、 「蒼兄ちゃん…」 と言う声と共に夜莉子が姿を現した。 「夜莉子…  よく、山道を降りてこられたな」 一人で山を下りてきた夜莉子に蒼一郎が驚くと、 「何を言っているの?  あたし…もぅ子供じゃないから大丈夫よ…」 やや棒読みに近いような口調で夜莉子はそう返事をする。 「ん?  それで、静海尼さんの用件って何だったんだ?」 蒼一郎が静海尼の用件を尋ねると、 「うん…  ちょっと頼まれごとをね…」 夜莉子はそう返事をすると夜の海を見つめた。 チッチッチッ… 腕時計が時間を刻み続ける。 そして、蒼一郎と夜莉子は祭壇にほど近いところに設けられたテントの中より、 じっと海面を見守っていた。 その後ろでは パチパチっ 真っ赤に萌えるたき火を前にして、 「わははは…」 恒彦を取り囲みながら漁師達が酒盛りをしていた。 深夜を過ぎた頃、 酒盛りをしていた漁師達は次々と眠り始め、 「うーん」 そんな漁師達を横目で見ながら蒼一郎は大きく背伸びをすると、 「夜莉子っ  後は俺が見ているからお前は先に戻って良いぞ」 と夜莉子に声を掛けた。 しかし、 「大丈夫です」 夜莉子はそう返事をするとじっと夜の海を見続けていた。 「?」 そんな夜莉子の様子に蒼一郎は首を捻るが、 しかし、 「まぁっ、夜莉子にも自覚が出てきたのかな?」 と思うとそれ以上のことは聞かなかった。 やがて、長い夜の闇を掃き出すようにして薄明が始まると、 「ふぅ…」 蒼一郎は立ち上がると大きく深呼吸をした。 「そろそろ、終わりですね」 そんな蒼一郎の横に恒彦が並んで話しかけて来た。 「あっ起こしてしまいましたか」 「いやいや、  全然酔いなんて回りませんよ」 「いよいよ正念場です」 「えぇ…」 蒼一郎はそう言うと赤味を増してくる空を眺めると恒彦もその空を眺めた。 その一方で、夜莉子は微動だせずにジッと闇の中から姿を見せてきた海を眺めていた。 そして、 サッ!! ついに水平線の彼方から太陽が顔を覗かせると、 ザザーザザー 鏡のようだった海面に波が立ち始めた。 すると、 パシャッ!! 海底より“海凪の剣”が浮かび上がってくると、 まるで吹き寄せられるようにして、 祭壇が設けられている岩場に向かって来た。 「では…」 漁師達が注目の中、 そう言いながら恒彦が波打ち際に降りた恒彦がそっと手を差し伸べると、 パシャッ!! “海凪の剣”は彼の手の中に寄り添う。 それを合図に恒彦が剣の鞘をグッと握りしめると 祭壇へと戻り”海凪の剣”をそこへ供えた。 再び神主による祝詞が周囲に響き渡った後、 まるでふき取ったように海水が消えた“海凪の剣”は恒彦の手によって、 祭壇から離れ、海寧寺への道を進み始めた。 ピーン 言いようもない緊張が周囲に張りつめる。 一歩、また一歩と一行が海寧寺へと続く山道を登っていく中、 「!!」 何かに気づいた蒼一郎が思わず振り返った。 すると、 ゴゴゴゴゴゴ… 晴れ渡っていた朝の空に俄に黒雲が沸き上がってくると、 ゴロゴロゴロ… 雷光と雷鳴が響き渡り始めた。 「来たか!!  夜莉子っ!!」 そう叫びながら蒼一郎が戦闘態勢に入った途端、 「なっなにを!!」 突然、恒彦の叫び声があがった。 「え?」 その声に蒼一郎が振り返ると、 恒彦に飛びかかった夜莉子が恒彦から“海凪の剣”を奪うと、 ザザザザザ… 山の中へ飛び込んでいった。 つづく