風祭文庫・巫女の館






「約 束」
−夜莉子と沙夜子−
第1話・雷竜扇



作・風祭玲


Vol.354





南東の山の稜線に没しようとする太陽がその存在を見せつけるように最後の光を放つと、

ヒュォォォォォ〜っ

かつて広大な田だった一面の枯れ草の中を北風が吹き抜けて行く、

そして、その中を巫女装束に身を包んだ巫女神沙夜子が、

白い息を吐きながら一直線に進んで行いた。

ザザザザ…

草をかき分けていく彼女の左手には青白く微かに光る破魔符が握られ、

その光の色は沙夜子が進むに連れ徐々に濃くなって行く、

やがて、彼女の足がピタリと止まると、

「ここか…」

そう呟きながら沙夜子は仰ぎ見た。

するとそこには、

ズンっ

朽ちかけた鳥居が沙夜子を押しつぶすかのようにそびえ立っていた。

「………」

沙夜子は何かを感じながら一歩、鳥居の下を通り過ぎると、

バサバサバサ!!

ギャオギャオギャオ!!

森の中より一斉にカラスが飛び立ち上がると、

まるで、結界の中に入ってくる異分子に向かって警告をするかのように

沙夜子の頭の上を舞い始めた。

「結界か…」

しかし、沙夜子はカラスの威嚇行為には目もくれず、

荒れ果てた参道を進み始めた。

「かつての守り神も、

 長年放置されれば妖怪と化すか」

周囲の気配を探りながら沙夜子はそう呟くと参道を登って行く、

そして、

登り切ったところに屋根が抜け落ち朽ちかけた社が姿を現した。

キィィィィィィン…

それが沙夜子の視界に入った途端、

彼女の手に握られている破魔符から激しい共鳴音が鳴り響き始める。

「やはり…」

破魔符の反応に沙夜子は表情を硬くすると、

ザッ

一歩また一歩と踏みしめるようにして境内に入っていった。

一歩踏み込むごとに、

ビリビリビリ

まるで一斉に電撃を浴びているかのように沙夜子の全身の肌が痺れる。

「なるほど…

 意地でも来させぬと言うつもりか」

ジンジンと痺れる感覚に沙夜子はそう呟くと、

右手を静かに胸元に入れ、

そして、その中から一本の扇・雷竜扇を取りだした。

フォォォォォォン…

取りだした雷竜扇は全体から翠色のオーラを放ち、

パチパチパチ

境内に渦巻く妖気と激しい反応を起こしていた。

そう、既に戦いは始まっていたのだ。



ザンッ

バッ

社の正面に立った沙夜子は取りだした雷竜扇を大きく広げ

そして、右足を一歩踏み出して構えると、

「さぁっ

 マガツ神よ、いつまでそこに隠れている!!

 もぅお前の隠れているところはないぞ!!」

と叫び声をあげると、

ヒュンっ

左手に握られていた破魔符を社に向けて放った。

ボッ!!

沙夜子の手から放れた破魔札は炎を吹き上げながら社の扉に張り付くと、

バンッ!!

朽ちてもなおも固く閉じている社の扉を強引にこじ開ける。

すると、

ゴゴゴゴゴゴゴ…

ブワァァァァァァ!!

開け放たれた社の中より妖気が吹き出すと、

正面に立つ沙夜子を押し潰してしまうかのようにして押し寄せてくるが、

しかし、沙夜子は妖気に怯むことなく、

「ふんっ、悪あがきを…」

と呟くと、

ザッ

巫女装束を翻しながら雷竜扇を低く構えた。

ドォォォォン…

探りを入れるような第一波の後、

ゴファァァァァァ!!!

牙を剥き出した第二波が沙夜子に襲いかかってくる。

しかし、

スッ

沙夜子は迫る第二波を前に静かに目を閉じると、

「払いたまえ…

 清めたまえ…」

と巫女神家代々より受け継がれる破邪の呪文を詠唱し始めた。

その途端、

フォォ…ン…

彼女が手にしている雷竜扇が唸り声を上げながら翠色のオーラが滲み出し出すと、

まるで沙夜子を包み込むようにして取り巻きはじめた。

「!?

 あぁ…

 判ったよっ!!」

オーラの動きに沙夜子はあることを悟ると

オーラに向かって文句を言いい構えを変えた。

その途端…

ブワッ!!

オーラは一気に沙夜子の身体から離れ、

ドンッ!!

襲いかかって来る妖気をその場に押しとどめた。

ゴワァァァァァァァッ!!

妖気とオーラの牽制は周囲の空気を動かし、

バタバタバタ!!

沙夜子を吹き飛ばすかのように吹き荒れ始めた。

しかし、沙夜子は動じることなく呪文を詠唱し続ける。

すると、

ポゥッ…

雷竜扇に描かれている竜の文様の上に小さな翠色の光球が現れると、

瞬く間にバレーボール程の大きさへと成長していった。

そして、

「・・・・・っ!!!」

沙夜子が呪文をすべて詠唱し終わったとき、

バッ!!

「翠玉波っ!!」

ブンッ!!

と叫びながら沙夜子は思いっきり雷竜扇を扇いだ。

シュパァァァァァァァン!!

扇が扇がれるのと同時に雷竜扇から飛び出した光球は一瞬、竜のような姿を見せながら、

妖気を薙ぎ払いつつ社に向かって突き進んでいく、

そして、

ズムッ

光球が社の中に突入をすると、

パァァァァァッ!!

ウギャァァァァ!!

周囲を真昼のように染める閃光が光ると

断末魔のような絶叫が境内に響き渡った。

と同時に、

ドムッ!!

社は骨組みだけを残すような形で一気に弾け飛んでしまった。



シュォォォォン…

社の崩壊と共にあれほど境内で荒れ狂っていた風は瞬く間に消え失せると、

渦巻いていた妖気も雲散霧消してしまった。

「終わったか…」

夕暮れの中、すべての気配が消えたのを沙夜子は感じ取ると、

雷竜扇を構えを崩さないまま崩壊した社へと近づいていく、

そして、

ハラリ…

骨組みだけ残っている社のほぼ中央部の床下に、

”封”と書かれた一枚の和紙が落ちているのを見つけると、

パシッ

沙夜子は雷竜扇を畳み、落ちている和紙を手に取った。

「やれやれ、終わりましたかな?

 本来、ここは私の管理ではないのですが…

 明治になる前まではウチの寺の一部でしたからな」

頃合いを見計らうようにそう言いながら木陰から初老の住職が姿を見せると、

「住職殿、この社に巣くっていた妖怪の親玉は封印しました。」

そう言って沙夜子は和紙を住職に見せた後、

それを4つ折りにして持参してきた封筒に静かに入れ、封をした。

その途端、

パチパチパチ!!

「お見事!!

 いやぁ、まだ中学生なのに実に鮮やかですなぁ」

拍手をしながら住職とは反対方向の木陰から、

高価なスーツに身を包んだ30代半ばと思える紳士が姿を見せた。

そう今回の仕事の直接の依頼人であり、

この一帯の開発を手がけている人物でもあった。

ペコリ

沙夜子は紳士に向かって軽く会釈をすると、

「では、わたしはこれで…

 この妖怪は私の方で処分をします」

と住職に告げ、その場から立ち去ろうとした。

すると、

「あっそうだ、お待ちなさい…」

紳士は去ろうとする沙夜子に声をかけた。

「はい?」

紳士の呼びかけに沙夜子は立ち止まると、

「明日のクリスマスイブにボーイフレンドと行ってくるがいいよ」

と言いながら、2枚の券を差し出した。

「あっ、いえ、そう言うものは受け取るわけには…」

沙夜子は戸惑いながら辞退を申し出ると、

「まーまーっ、

 これは、私からのお礼だよ」

紳士は軽くウィンクをして券を沙夜子の胸元に差し込み、

「では、私は仕事があるので…」

と言い残して先に山を下りていった。

「あっあのぅ…」

沙夜子はすぐに追おうとしたが、

しかし、何故か彼女の足は動くことはなかった。



「へぇ…それで、東京ファンタジーランドの券を貰ったの?」

夜、巫女神家に戻った沙夜子は長女の摩耶に仕事の報告をすると、

摩耶は嬉しそうな表情をしながら、沙夜子にそう言った。

「うん…」

摩耶の言葉に沙夜子は素直に頷くと、

「じゃぁ、その人のお言葉に甘えて行ってくればいいじゃない」

「え?

 でっでも…」

摩耶の提案に沙夜子は困惑の色を見せる。

すると、

「あら、沙夜ちゃんにはまだボーイフレンドっていなかったけ?」

「いっいるわけ無いだろう!!

 おっ男とつき合う気なんてないよ…」

摩耶の言葉に沙夜子は思わず男の口調で反論すると、

「そうか、

 あれから大分時間が経ったと思ったけど、

 まだ男の子の頃のクセが残っているのね」

とシミジミと沙夜子を見ながら摩耶はそう言った。

「あっ」

彼女のその言葉に沙夜子は”しまった”と言う顔をすると、

「いいのよ…

 そうだ、夜莉ちゃんと行ってくればいいわ」

「え?」

「だって、夜莉ちゃんとの約束まだ果たしていないんでしょう?」

「うっ」

摩耶にそう指摘された沙夜子は思わず言葉が詰まってしまった。

「もぅ…あれから3年が経つのね…」

と昔を思い出しながら摩耶は呟くと、

「うん…」

沙夜子は券を胸にしまうと自分の部屋へと向かっていった。



「ファンタジーランドか…」

自分の部屋に戻った沙夜子は机の上に置いた入場券をジッと眺める。

そして、

スッ

その横に雷竜扇を置くと、

「お前が俺の所に来て、3年が経つか…」

そう言いながら雷竜扇を眺めた。

とその時、

『なんだ…私と居るのがイヤか?』

低い威厳のある声が沙夜子の耳に響き渡った。

「そんなんじゃねーよ、

 ただ、雷竜っ
 
 お前との突き合いが始まって3年が過ぎたなぁ…

 と言ったまでだよ」

口を尖らせながら沙夜子がそう言うと、

『私にはまだ一瞬にしか過ぎないがな』

と声はそう言い返す。

「一瞬か…」

その声に沙夜子はそう呟くと天井を眺めると、

あの日のことを思い出した。



3年前・初冬

「え?、夜莉ちゃんを?」

「はい」

平安の御代より魔の退治を生業としてきた巫女神家の客間で

そう言って驚く巫女神蒼一郎に向かって、

巫女神宗家当主の茉莉子は大きく頷いた。

「でっでも、夜莉ちゃんってまだ中学生でしょう?」

茉莉子の申し出に茉莉子の甥である巫女神蒼一郎は思わず反論をすると、

「いえ、夜莉子はもぅ15才です。

 15にもなればもぅ大人です」

とキッパリと言い切った。

「いや、15才と言っても…

 それって数え年の15才で、

 夜莉ちゃん、この間中2になったばかりじゃないですか」

なおも食い下がるようにして蒼一郎はそう言うと、

茉莉子は凛と蒼一郎を見据え、

「蒼一郎さん

 あなたは幾つで実戦を経験しましたか?」

と尋ねた。

「うっ、そりゃぁ…

 まぁ、私も中1の時に…」

茉莉子の指摘にややバツの悪い口調で蒼一郎が答えると、

「夜莉子は巫女神宗家の人間です。

 例え力が及ばなく見えたとしても試練は受けなくてはいけません。

 このことは判りますね」

「はっはぁ…」

「それに、一族随一の使い手と評される蒼一郎さんなら、

 安心して娘を任せられます」

茉莉子は蒼一郎にそう告げると深々と頭を下げた。

「あっいやっ、おっおばさん!!

 そんな…」

頭を下げる茉莉子の姿に蒼一郎が慌ててそう言うと、

スッ!!

茉莉子の背後にあるふすまが開き、

「未熟者ですが、よろしくお願いいたします」

とセーラー服姿の夜莉子が頭を下げた。

「やれやれ…してやられたか」

蒼一郎は夜莉子の姿を眺めながらため息をついた。



ゴォォォォォ…

定刻に大宮駅を発車した新幹線は真っ直ぐ北にむかってスピードを上げていく、

小山を過ぎ、やがて日光連山が車窓に大きく迫ってきた頃、

「あのぅ…蒼兄ちゃん?」

車窓を眺めていた夜莉子が隣の席で週刊誌に目を通している蒼一郎に話しかけてきた。

「なんだ?

 もぅ弁当か?」

視線を週刊誌から動かさないまま蒼一郎が答えると、

「ちがいますっ」

蒼一郎のその言葉に夜莉子は立ち上がって怒鳴ると、

「あっ」

夜莉子は車内の注目を一身に浴びていることに気づいた。

「ぷっ」

それを横目で見ながら蒼一郎が小さく笑うと、

夜莉子は顔を真っ赤にして席に座り込んだ。

「…大声を出すからだよ」

恥ずかしさから身を縮こまらせている夜莉子に軽く笑いながら蒼一郎がそう声を掛けると、

「蒼兄ちゃんのイジワルっ」

膨れっ面をしながら夜莉子はプィッと横を向いた。

「で、なんだ?

 なにか聞きたかったんじゃないのか?」

むくれる夜莉子に蒼一郎が尋ねると、

「何でもありませんっ!!」

夜莉子は強い口調で返事をした。

すると、

蒼一郎は持っていた週刊誌を座席の前の網に挟み、

「今回は、ある網元からの依頼で、

 今から約1000年前に海神より授かった神剣を

 新月の夜に海に帰す儀式”海返しの式”を

 滞り無く行えるように見張って欲しい。

 と言うものだ」

と夜莉子に依頼の内容を教えた。

「へぇ…1000年前の神剣ですか…」

蒼一郎の説明に夜莉子が目を輝かせながら尋ねると、

「まぁな」

蒼一郎は返事をしながら手を頭の後ろで組む。

すると、

「え?…

 でも…何であたし達にお呼びが掛かったの?

 だって、1000年前から10年おきにその儀式をしていたのなら、

 100回近くは行っているんでしょう?」

と夜莉子が依頼の疑問点を指摘すると、

「実は前回の儀式の際に神剣を盗み出そうとした者が居たそうだ」

車内の天井を眺めながら藤一郎はそう答えた。

「盗む?」

「あぁ…幸い、神剣は盗まれることなく儀式は無事に終わったが、

 ただ、一歩間違えればとんでもないことになったそうだ」

「へぇぇぇ…

 でも、何が目的で神剣を盗み出そうとしたのかしら…」

「さぁな…

 まぁ1000年前の剣となれば古美術方面ではそこそこの価値を持つし、

 また、神剣ともなればその霊力に肖ろうとする輩も居る…

 とにかく、俺達の役目は儀式が滞り無く無事に終わるように見張ることだ」

推理する夜莉子を牽制するように蒼一郎はクギを差した。



その日の午後…

ザザザザザザザ…ザ

バタンっ

小雪が舞う小さな漁港に一台のタクシーが停車すると、

「んーーーっ」

車内から最初に降り立ったコート姿の夜莉子は思いっきり背伸びをすると、

「うわぁぁぁ…

 凄い…まるで、寅さんの映画に出てきそうなところね」

ひなびた漁港の景色に目を輝かせる。

「おいおい、観光じゃないんだからなぁ」

そんな夜莉子に注意しながら精算を終えた蒼一郎が降り立つと

地図を片手に依頼人の所に向かって歩き始めた。

ギャォギャォ

海猫の鳴き声があたりに響き渡るが、

しかし、集落はまだ陽があるにもかかわらず出歩く人の姿がほとんどなかった。

「誰も居ないね…」

その様子に夜莉子はそう呟くと、

無意識に蒼一郎の腕にしがみつこうとするが、

しかし、

「まぁ、そう言うもんじゃないのか?」

蒼一郎はそう返事をすると、

夜莉子を無視するかのようにズンズンと歩いていく、

「あっ待って!」

置いて行かれた夜莉子は小走りで蒼一郎に追いつくと、

強引にその腕にしがみついた。

そして、

「ねぇ」

夜莉子が蒼一郎に話しかけた。

「ん?」

夜莉子の方を見ずに蒼一郎がそう返事をすると、

「なんか、駆け落ちしてきた恋人同士みたいね」

ポツリと夜莉子はそう呟いた。

「ぶっ!!」

それを聞いた途端、蒼一郎は思いっきり吹き出すと、

「いきなり、なにを言い出すんだぁ?」

半分呆れたような口調でそう言った。

「なによぉ、そんな言い方しなくていいじゃない」

蒼一郎の言葉にカチンと来た夜莉子が言い返すと、

「まったく…

 最近の中学生はロクな事を言わないなぁ」

蒼一郎は文句を言いながら再び歩き始める。

「あっ待ってよぉ」

またしても置いて行かれた夜莉子は声を上げながら蒼一郎を追いかけていくと、

「おっ、あっあそこか…」

ようやく蒼一郎は坂の上に建つ依頼人の家を見つけると、

そこに向かって坂を登り始めた。



「ごめんくださーぃ、

 東京から参りました巫女神ですが」

如何にも旧家!!と言えるような玄関口で蒼一郎がそう声を張り上げると、

少し間を空けて、

「はいはい」

と言う返事と共に家の奥からかっぽう着姿の60代半ばくらいの女性が出てくると、

「ようこそおいでくださいました」

と言いながら頭を下げた。

「あっあのう、東京の巫女神と言いますが、

 ご主人はご在宅でしょうか?」

女性に向かって蒼一郎が尋ねると、

「あぁ、ご主人様はいま”祭”のことで出かけていまして…

 …あっ、巫女神さんのことは聞いていますので、

 どうぞ、奥でお待ちください」

女性は淡々とそう返事をすると、蒼一郎達を奥へと招いた。

「では、失礼します」

蒼一郎と夜莉子は声を揃えてそう返事をすると靴を脱いだ。



カチッカチッカチッ

蒼一郎と夜莉子が通された奥の座敷は戦前の面影を残す洋風の部屋で、

年代物のソファに夜莉子は緊張した面もちで座っていた。

「緊張しているのか?」

出されたお茶を啜りながら蒼一郎が尋ねると、

「だって…

 まるで映画の出てくる様なところなんだもん」

部屋の様子を伺いながらそう夜莉子が返事をする。

「ははは…

 確かに…

 ほらっその辺に金田一耕助が立って

 ジワリジワリと犯人を追いつめていくような雰囲気だなぁ」

部屋の雰囲気を見渡しながら蒼一郎はそう言うと、

「もぅ止めてよねぇ」

夜莉子はそう言うと蒼一郎の肩を叩いた。

すると、

ドタドタドタ!!

人の足音が徐々に部屋に近づいてくると、

「いやぁ…留守をしてしまって申し訳ない」

と謝りながら、この家の当主・島渡恒彦が姿を現した。

「初めまして、巫女神蒼一郎です」

恒彦が部屋に入ってくるのと同時に蒼一郎は立ち上がって挨拶をすると、

「あっ、みっ巫女神夜莉子です」

夜莉子もつられるようにして挨拶をした。

「ままま…そんなに固くならずに、

 わざわざ東京から見えられたのだから、

 もっとリラックスしていいよ」

年齢は40代後半、中肉中背でありながら、

作業着姿の恒彦はどこか紳士的な雰囲気を漂わせてそう言うと、

「おーぃ、お茶が冷えて居るぞ!

 それに茶菓子が出て居ないじゃないか、

 女の子も来ているのだからそれくらい気を利かせろ」

と声を上げた。

「あっあたしの事はお構いなく」

恒彦のその言葉に夜莉子が慌ててそう言うと、

「まーま…

 しかし、ほんとお母さんそっくりだねぇ…

 マリちゃん…

 じゃなかった、茉莉子さんはお元気で?」

タバコの火を付けながら恒夫は夜莉子に母・茉莉子の事を尋ねた。

「え?、母の事、ご存じなんですか?」

恒彦の口から茉莉子の事が飛び出してきたことに夜莉子が驚きながら聞き返すと、

「あははは…

 そーだなぁ…まぁ青春の1ページとでも言うかな…」

タバコの煙を揺らせながら恒彦は遠くを見つめる。

「…大学の時にご一緒だったと聞いていますが」

蒼一郎が口を挟むと、

「おぉそうだよ…

 私は大学で合気道をしていたんだけど4年の時か…

 凄い美人が入部してきたぞ、

 って話題になってな、

 え?、どんな娘だ?

 って興味津々で道場に行ってみたら、

 君のお母さん・茉莉子さんが居てな…

 いやぁ…凛としていて、

 はぁ美人とはこういうものか…

 と思わず呆然としてしまったよ。

 うん

 それからと、男子の間ではどうやって茉莉子さんに近づくか、

 って競争が起きてな…

 それは凄まじいものだったよ」

と恒彦が茉莉子と出会った頃の思い出話をしていると、

「失礼します」

と言う声と共にさっきの女性が部屋に入ってきた。

そして、テーブルに出してあったお茶を交換すると、

夜莉子の前に羊羹が差し出した。

「あっお構いなく…」

それを見た夜莉子がそう言うと、

「あぁ、紹介しておこう、

 うちで賄いをしてくれている聡子さんだ」

と恒彦は女性を蒼一郎と夜莉子に紹介をした。

「聡子と申します、よろしく」

女性は手短に挨拶をすると腰を上げた。

すると、それを見た恒彦が、

「あっ、聡子さん

 この方々は”祭”が無事終わるまでここにいて貰うから、

 よろしく頼むよ」

と一言付け加えると、

「畏まりました」

聡子はそう返事をすると奥へと下がっていった。

「まぁ、こういう場所で暮らしてきているせいか口数が少なくてねぇ…

 東京で暮らしているあなた方にはちょっと物足りないかも知れないが
 
 まぁ我慢してくれ」

と聡子の後ろ姿を眺めながら恒彦がそう言うと、

「ところで、前回の”海返しの式”で神剣が盗まれそうになったと聞きましたが、

 どういったことが起きたのでしょうか?」

蒼一郎は10年前の儀式の最中に起きた出来事を恒彦に尋ねた。

「うむ…」

蒼一郎の言葉に恒彦は頷きながら徐に立ち上がると、

「まずは”海返の式”の由来から説明をしよう。

 いまから1000年ほど前、
 
 ちょうど平安時代の終わりにこの一帯で酷い飢饉があって、

 大勢の人が命を落としたそうだ。

 しかも、海は連日のように荒れ、

 餓えの凌ぐための魚を捕りに行くこともできなく、

 人々が絶望の淵にたたされたとき、

 ほらっ

 あの岬の所に岩場があるだろう

 あの岩場に海神が現れると、

 ちょうどそこに居合わせた漁師に1本の神剣”海凪の剣”を渡したそうだ」

恒彦は漁港の外れにある岩場を指さしながらそう言った。

「“海凪の剣”ですか」

「あぁ…

 海神は漁師に剣を渡す際に、

 剣を海に向かって2回だけ振るように、と告げ、

 3回目は絶対に振ってはいけない。

 と警告をして海に帰って行ったそうだ。

 最初は半信半疑だった漁師だったが
 
 試しにその“海凪の剣”を海に向かって一振りした途端、

 目の前の荒れた海がたちどころに鏡のようにないでしまった。

 それに驚いた漁師は続いて二振り目をすると、

 今度は目の前の海に海面が見えなくなるくらいの様々な魚が沖から押し寄せてきた。

 まさに、神の剣だった。

 こうして、人々は飢えを凌ぐことが出来たが、

 しかし、餓えを克服した後、何が起きたと思う?」

ふと恒彦が夜莉子の方に視線を向けて尋ねると、

「え?

 えぇ…っと余ったお魚を困っている他の所にあげたかな?」

考えを巡らせながら夜莉子がそう返事をすると、

「はははは…

 確かに、それは平和的な方法だね」

夜莉子の返事に恒彦はそう言うと、

「しかし、その後起きたのは、奪い合いだったんだよ」

と結末を告げた。

「えぇ!!

 なんで?」

「満腹になった人々は愚かにも押し寄せてきた魚の奪い合いを始めた。

 そして、魚をすべて取り尽くしたあと、

 海神から剣を授けられた漁師に三回目を強要したんだ。
 
 無論、漁師は海神の言いつけもあって断ったが、

 しかし、人々の声に押されるようにして仕方なく剣を振ると、
 
 あるものがやってきたんだ。
 
 さぁそれは何かな?」

恒彦が再び質問をすると、

「えぇっっと、こういう場合は大きいクジラ押し寄せてきた」

と夜莉子が答える。

「う〜ん、いいところをつくが、

 実は違う…

 漁師が三度目に剣を振った後、

 ココに押し寄せてきたのは、

 大きな津波だったんだよ。

 人の背丈の10倍以上の大津波に人々は逃げまどったが、

 しかし、津波から逃げ切ることなんか出来るわけはない。

 大勢の人が津波に飲み込まれ、

 生き残った者のはごく僅かだった。

 やがて、壊滅した村に再び海神が姿を見せると、

 その剣は幸をもたらすのと同時に、

 同じだけの災をももたらすと生き残った者に告げた。

 そう、海を凪、魚を獲る。

 しかし、これだけの利をえるには

 それに似合うだけの対価を支払う義務が生じると言うことだった。

 海神は自分を祭る村人への感謝を意味も込めて、

 自分がその災いを引き受けるつもりであったが、

 村人が自分の言いつけを破った事に落胆をすると、

 そして、剣を返上するように迫った。

 すると、一人の少年が海神の前に立ち、

 ”陸に危害をもたらす剣は陸に置いて僕が見張る。”

 と言い切ったそうだ、

 それを聞いた海神は大声で笑い、

 10年に一度、新月の夜に剣を海に帰して清めることと、

 海神の式神・雷竜を守り役として付けることを条件に、

 神剣・“海凪の剣”を少年に託すと海の彼方へと消えていったそうだ。」

「はぁぁ…」

恒彦の話を聞いた夜莉子は感心した口調でそう返事をすると、

「では、その少年が…」

「あぁ、それか私の先祖。

 先祖は“海凪の剣”を海神から授けられた後、

 この裏にあるお寺・海寧寺にお堂を建て、

 そこに神剣を奉納したんですよ。」

と蒼一郎の質問に恒彦はそう答えた。

「お寺に神様の剣を預けたのですか?」

恒彦の言葉に夜莉子がふとそう呟くと、

「神社とお寺が分けられたのは明治になってからだよ、

 それ以前、徳川時代までは神仏混祀と言って、

 神社とお寺は明確には分けられてなかったからね」

と蒼一郎が夜莉子に背景を説明する。

「へぇ…」

蒼一郎の説明に夜莉子が感心をしていると、

「では10年前に起きたのは…」

「あぁ…

 それは10年前に行った”海返しの式”の時のことでした。

 浜での儀式が滞り無く終わり、

 無事ご来光を拝めた私は“海凪の剣”を再び海寧寺のお堂に戻すべく、

 海寧寺に向かっていたとき、

 それまで晴れていた夜明けの空が突然曇ると、

 稲光と共に雲の中から竜が現れたんだよ。

 それを見た私は一瞬、海神が現れたのか。と思ったのだが、

 竜から漂ってくる気配に神々しさと言うのを全く感じられなく、

 それで、咄嗟にあの竜はこの“海凪の剣”を狙っている。

 そう判断した私はお堂めがけて海寧寺に続く山道を駆け上がったのだが、

 しかし、竜は私に襲いかかってきたんだ。

 ものすごい風に私の身体が吹き飛ばされた途端、

 私の手中から剣が消えてしまったんだ。

 その瞬間、

 私はもぅどうやってご先祖様に申し開きをしようかと狼狽えたが、

 けど、それから程なくして、

 私の居た場所から少し離れたところから金色の光と共に竜が舞い上がったんだ。

 あの竜は…“海凪の剣”の竜…

 さっきとは違う竜の神々しさから、
 
 そう確信した私は急いでその場所へと向ってみると、

 鞘から抜かれた“海凪の剣”が

 竜に守られるようにして地面に突き刺さっていたんだよ」

と恒彦はそう言いながら両手を使ってその時のイメージを伝えると、

「なるほど

 確かに、何者かがその“海凪の剣”を狙っていたことは事実ですね」

と蒼一郎は答え、

そして、

「しかし、“海凪の剣”を手に入れて何をするつもりだったんだろう?
 
 津波でも起こす気なのか?
 
 それとも何か別の…」

そう呟きながら考え込んでしまった。

「あのぅ…

 その“海凪の剣”って見ることは出来ないんですか?」

そんな蒼一郎を横目で見ながら夜莉子が恒彦に尋ねると、

「え?

 あっ
 
 あぁ…剣はさっき言った安寧寺のお堂の中に安置されていて、

 扉越しなら見ることは出来るが…」

恒彦はそう返事をすると

「見に行きますか?」

と尋ねながら腰を上げた。



つづく