春、3月… 古来より弥生と呼ばれるこの月は 試練を乗り越えた多くの人々に旧来への別れと 新たなる希望へと導いてゆく月である。 ところが… ほとんどの者が新しい道へと歩き始めだしたにも関わらず、 未だ道に踏み出せない者がここにいた。 タラ… 「もっもし、次で落ちたら… また今年も浪人決定ですか? 神様… そっそれだけは それだけは絶対に無いようにお願いしますっ!!」 ケキョ!! 桜のつぼみが大きく膨らみ、 ウグイスの囀りがどこからか聞こえてくる境内に 神仏に縋り付くような男の声が響き渡る。 パンパン!!! 「どうか、 どうか、 今度こそ、 今度こそ合格しますように!!!!」 風雪に打たれ、色落ちた絵馬と、 春の香りがほのかに漂う境内には似合わない風体の男こそ、 今年こそ浪人人生に区切りをつけるべく、 人生最大の勝負に打って出ている納屋憲治であった。 「くぅぅぅっ、 去年、ネットゲームにハマったのがいけなかったかぁ… えぇいっ 参拝者の合格率62.195%(速報値) と言う高打率を誇るこの天神なら、 絶対に大丈夫!! 大丈夫だ」 肩まで掛かるほどに伸びきった髪に 脂ぎったメガネを掛け、 ボウボウの髭面を周囲に曝しながら、 憲治は必死に願掛けをしていると、 「あっそうだ、 賽銭… まだだっけ」 と未だに賽銭箱に賽銭を入れていないことに気づき、 「こういうそそっかしい所がダメなんだ。 それも改めなければ… よっよしっ こうなれば四の五のは言いません。 人生、金で解決できるのなら… 福沢先生。 よろしくお願いします! エイッ!」 パサッ 炎のようなオーラを吹き上げながら 憲治は眼下で待ち構えている賽銭箱めがけ、 なけなしの樋口一葉を1枚、放り込む。 すると、 パァァァ!!! 突然、一葉が消えた賽銭箱が金色に輝きはじめると、 「うわっ なっなんだ?」 ドサッ! 光り輝く賽銭箱に憲治は驚き、そして尻餅をつくと、 あたふたと這いずりながら社殿から逃げ出した。 しかし、 パァァァァ!! 賽銭箱の光はいっこうに衰えることなく、 それどころか、さらに輝きを増すと、 ギッギギギギギ!! 閉じられていた本殿の扉がゆっくりと開き始め、 スタ スタ スタ その奥より人影らしきものがゆっくりと憲治に向かってきた。 「なっなに?」 腕で眼を庇いながら憲治は人影を凝視していると、 ポンッ!! いきなり何かが弾けるような音が響くのと同時に光は消え、 ピチチ… ついさっきまで光が支配していた境内は元の静けさを取り戻していた。 「あっあれ? なんだ? なんだなんだ? 何かが起きるんじゃないのか?」 これから何かが始まるのでは?という期待を たった一枚のハズレクジで突き崩されたような虚脱感を感じながら、 憲治は辺りを見回していると、 『いようっ!』 そんな憲治に向かって何者かが声を掛けてきた。 「うわっ!」 突然の声に憲治は思わず悲鳴を上げると、 『なっなんじゃ? せっかく降臨してやったのに、 無礼なヤツだな…』 憲治の目の前に中世の官吏を思わせる束帯姿の男が 憮然とした表情で見下ろしていた。 「だっ誰?」 束帯男に向かって憲治は思わず尋ねると、 『なんじゃ? このワシを知らないで頼み事をしに来たのか?』 束帯姿の男は呆れた口調で言い、 『ワシはのぅ、 この天神の主・道真じゃっ』 と自己紹介をした。 「ほぇ? 菅原の…」 『そうじゃっ 判ったか?』 「ほぇっ ほぇぇぇぇぇ!!!」 『(カチッ!)ふっ、 驚くのが5秒遅い!! 5秒もあればマークシートなら1問解けるぞ」 姿を見せた人物に驚いた憲治がさらに腰を抜かすと、 天神の主・菅原道真は手にしたストップウォッチを チラリと見るなり憲治に注意をする。 「すっ菅原道真ってこんなヤツだっけ?」 …朝廷内の権力闘争に負け、 九州・太宰府に左遷された後、 怨霊となってかつての宿敵に復讐をした。 と道真について書物などで知っていた憲治にとって、 目の前にいる道真の姿は違和感たっぷりであった。 『ふんっ、 なんじゃ、お前もワシを怨霊と思っているのか? まったく、変な噂ばかりが流れおって…』 恐れおののく憲治の姿に道真はため息をつくと、 『で、お前の願いとは、 どこ学校じゃ?』 と面倒くさそうに聞き返してきた。 「え? あっはいっ あの…」 道真のその言葉に憲治は正座し直すと、 『ふむ、これが福沢諭吉と言うものか、 新しいのに変わるという話は兼ねてから聞いておったが、 随分と柄が変わったものよのぅ』 そんな憲治を余所に道真は賽銭箱に手を入れると、 入れてあった樋口一葉を開いて見せる。 「え? あれ、 ごっ5千円札?」 それを見た憲治は顔を蒼くすると、 『まぁ、いいっ で、さっさと望みを言え、 どこの学校のどの学部じゃ、 まったくこの時期になって合格祈願もないじゃろうて、 あっついでに、 お前の偏差値を教えて貰わねばのぅ』 道真は事務的に尋ねた。 「はっはい…」 道真の言葉に従い憲治は志望校と学部、 そして全国模試での偏差値を告げると、 『ふむ、それがお前の希望か… 一応、尋ねるが… ”分相応”って言葉を知っているか?』 それを聞いた道真はそう聞き返す。 「はぁ でっでも…」 『まぁいい、 自分の実力にあったところに行くのがベストなのじゃが…』 憲治の返事を聞くまでもなく道真は独り言を言うと、 何かを待つ仕草をする。 『………』 「………」 お互いに押し黙った時間が過ぎ、 ピクッ 道真のこめかみがかすかに動くと、 『ホレっ 祝詞はどうした?』 と憲治に祝詞を催促してきた。 「はぁ?」 その言葉に憲治は思わず聞き返すと、 『だぁーから、 祝詞じゃよ、 祝詞っ。 それがないとワシは何も出来ぬぞ』 と道真は憲治に祝詞をあげるように催促をする。 「え? 祝詞なんて、しっ知らなッスよ、 神様のクセに役立たないなぁ」 そんな道真に向かって憲治は文句を言うと、 『なんじゃと?』 それを聞いた途端、道真の表情が険しくなり、 『祝詞も知らないで、 このワシに願い事とは100万年早いわっ』 と叫ぶなり、 スーッ!!! 両手を高々に挙げ、 『そぉれっ!!』 と叫びながら一気にその手を振り下ろした。 すると、 ゴロゴロゴロ!!! 晴れ渡った空が雷鳴と共ににわかに曇り始めると、 カッ! ビシャーーーン!! 一筋の雷光が憲治めがけて落下してきた。 その直後、 「うぎゃぁぁぁ!!」 境内に憲治の悲鳴が響き渡ると、 ムリッ! ムリムリムリ!!! 雷撃を受けた憲治の身体が変化し始める。 「あっ… なっなんか… 身体が…ヘン…」 雷撃の痺れ感とは明らかに違う感覚が憲治を包み込むと、 グッグググググ!!! 浪人生生活ですっかり筋肉が落ちた薄っぺらな胸に、 左右1対の膨らみが姿を見せると、 キュッ!! ウェストが引き締まり、 ムリッ! ヒップが大きく張り出す。 また、男性の標準サイズの肩幅が狭くなり始めると、 憲治の手が小さくなっていく。 「うわっ なんだ、 なにが、どうなって居るんだ」 シュルリ… 肩に掛かる髪がさらに伸びていくと、 その口から漏れる声もトーンが高くなり、 さらに、無精髭が覆う顔もスッキリとした女性の顔へと変わっていった。 すると、 シュルル… 今度は憲治が着ていた服が変化し始め、 冬物のジャンバーとセーターが瞬く間に消えてしまうと、 ピシッ!! 着ていたシャツは白い白衣にかわり、 また、薄汚れたズボンは朱も鮮やかな緋袴へと変化すると、 キュッ! 白足袋を履いた足には小さな草履が履かされる。 そして、さらに、 シュルン!! 腰近くまで伸びた髪に水引が巻かれ髪を引き締めると、 バフッ!! 「!!!!」 道真の前に一人の巫女が座り込んでいたのであった。 「なっなんじゃこりゃぁぁぁ!!! 無くなっているぅぅっ!!」 空気を孕んだ大きく膨らんだ緋袴を両手で押さえ込みながら、 男のシンボルが無くなっていることに気づいた憲治が悲鳴を上げると、 『ほっほっほっ、 まずは巫女として修行をするがよい。 祝詞をあげられるようになったら、 そなたの望みかなえてあげようぞ』 巫女になってしまった憲治に向かって道真はそう言い残し、 スタスタと足取り軽く社殿の中へと消えて行った。 一方、 「あっあの… ちょっと… どうしろと…」 道真が消えた後、巫女にされてしまった憲治はメガネを直しつつ 扉を閉じた社殿に向かって手を伸ばし続けていたのであった。 PS。 道真の神罰により巫女になってしまった憲治だが、 しかし、インターネットの某巨大掲示板に メガネっ娘の巫女と紹介されて以降、 その手のヲタク共のアイドルとして祭り上げられ、 ついには聖地・アキバでサイン会なるなるが開催された。 との風の噂があったことをここに書き記す。 おわり