風祭文庫・バレリーナ変身の館






「君の願い」



作・風祭玲

Vol.1064





…泣いて居るの?

…そっか、悔しいのね。

…大丈夫、あたしが君の夢を叶えてあげる。

…でも、いまはちょっと無理。

…だから、待っててね。

…きっと帰ってくるから。



「ふぅ、

 何とか間に合ったな」

タイル張りの広場を見下ろす位置に掛かる

大時計の針を見上げながら僕はそうつぶやくと、

目の前のホールへと向かっていく。

今日は僕の幼馴染である彼女の晴れの舞台。

用意した花束を持って舞台裏に回ってみると、

案の定、そこは戦場を思わせる様相だった。



叫びあう声が飛び交い、

持ち場に向かうスタッフや

着替え中の出演者たちが右へ左へ大移動。

そして、衣装や化粧品が飛び交う中を

僕は掻き分けながら進んでいくと、

閉じられているドアをノックする。

「はーぃ、

 どうぞぉ」

中から聞き覚えのある声が響くと、

僕はそのドアを勢いをつけてあけてみせた。

「あっ」

ドアを開けた途端、

僕の目に飛び込んできたもの。

それは部屋の明かりを受けて輝く純白のチュチュと、

それを身につけたバレリーナだった。

「……」

髪の毛をきれいに纏め上げ、

チュチュに負けないくらいの舞台メイクを施した彼女の姿に

一瞬、僕は心を奪われてしまうと、

「あら、

 義之君じゃない。

 お久しぶり」

懐かしい声が響いた。

「あっ、

 どうも、お久しぶりです。

 先生」

その声に向かって僕は頭を下げると、

「君も続けていれば彼女の相手に抜擢できたのに」

の声と共に細い姿の中年女性が僕の肩を叩いてみせる。

すると、

「先生、

 義之はこの格好をしたいのよね。

 バレリーナになりたくてバレエを習いに来たんですよね」

とバレリーナは女性に近づき耳打ちをしてみせる。

「あっ、

 コラっ、

 沙代子っ、

 へんなことを言うなっ」

僕はチュチュ姿の沙代子に向かって怒鳴り声を上げると、

「んん?、

 まぁ、細かいことはいいじゃない。

 ねぇ、義之君。

 今からでもうちの教室に来なさいよ。

 あたしが鍛えてあげるわよ。

 基礎はしっかりと出来ているだから、

 次の公演には舞台に立てるわよ」

と先生は僕に誘いを掛けてきた。

「うーん、

 そうですねぇ」

その言葉につい僕の心が動かされてしまうと、

「レオタード、着たいんでしょう?」

と沙代子は僕の耳に囁いてみせる。

「うるさいっ」

その声に僕は怒鳴り返しながら振り向くと、

「あっ」

目の前に舞台メイクをしている彼女の顔が迫っていた。

肌を白く見せるために塗られたドーラン、

顔の陰影を浮き立たせるためのチーク、

舞台映えするための濃いアイシャドウ、

そして、唇に塗られたの目の覚める様なルージュ。

どれも僕にとっては刺激のあるものばかり、

それらを見つめながら

ついつい股間を硬くしてしまうと、

ムギュツ

いきなりその間がわしづかみにされ、

「こらこら、

 人の顔を見て変なことを考えない」

と沙代子は注意する。

「わっ悪かったな」

彼女の手を振り払って僕は怒鳴ると、

「はいっ、これっ

 舞台、がんばれよ」

その言葉と共に持ってきた花束を押し付け、

「客席で観ているから、

 ヘマをするなよ」

そう言い残して僕は部屋から出て行く。

そして、

「まったく、

 先生の前であんなことを言わなくてもいいのに」

文句を言いながら僕は客席へと通じる通路を歩いていった。



僕がバレエを習い始めたのは小学生のとき、

あの沙代子と共に先生の教室に通い始めた。

理由は…バレリーナに憧れてだった。

『男の癖にバレエかよ』

そんな陰口もモノとせずに僕は通い続けたが、

男がバレリーナになれるわけでもなく、

発表会の度に与えられる男性役に嫌気が差して、

中学卒業と共にバレエから離れたのだ。

「はぁ、

 チュチュかぁ、

 いいなぁ、

 沙代子はアレを着られて」

間近で見たチュチュ姿の幼馴染の姿を思い出しながら

ついつい僕は再び股間を硬くしてしまう。

と、そのときだった。

『そこに居たのね

 見つけた』

と言う声が僕の耳元で響く。

「え?」

突然響いたその声に僕は立ち止まって振り返るが、

「……?

 誰も居ない…」

近くで響いた声なのに、

それを発した者の姿がない。

「空耳?

 かな?」

そう判断して再び歩き出すと、

『もぅ、

 こっちよ、こっち!』

と呼ぶ声が再び響いた。

「誰だ!」

再度立ち止まり、

僕は周囲を見渡してみせる。

すると、

ポッ

僕の目の前で白くて淡い光が光ると、

フワリ

と何かが浮かんだ。

「なっなんだぁ?」

驚きながら僕はそれを凝視すると、

「いっ」

なんと白く淡い光を放っていたのは、

身長は15センチほど、

純白のチュチュを身につけている小人のバレリーナだった。

「バレリーナ?

 だよね」

左右に3枚、

6枚の光の羽を背中から伸ばしているバレリーナを見つめながら、

僕はそう呟くと、

『お久しぶりね』

とバレリーナは僕に話しかける。

「うわっ」

それを聞いた僕は大声を上げかけるが、

すぐに口を塞ぐと、

その場から急いで逃げようとした。

すると、

『逃げるなっ!』

とバレリーナの怒鳴り声が響く。

「なっ

 なんで、

 今日は怒鳴られてばっかりなんだよ」

その声を背後で聞きながら僕は涙を流すと、

『義之君っ、

 あなた、

 バレリーナになりたかったんじゃないの?』

そうバレリーナが話しかけてくる。

「え?」

その声に僕の足が止まると、

『やっぱり、

 今でもバレリーナになりたいのね』

と確信した口調で言う。

「わっ悪いかよ」

『あたしね。

 あの時の約束、

 それを果たしに戻ってきたのよ』

「約束?」

『忘れたの?』

「えぇっと、

 どんな約束をしたっけ?」

小首を捻りながら、

僕はこのバレリーナの係わり合いと、

約束を思い出そうとする。

すると、

次第にそのバレリーナの素性が思い出されると、

それと同時に約束を思い出した。



「あっ!」

ハタと手を打ちながら僕は声を上げると、

バレリーナを指差し、

「君は…」

と問いたずねる。

完全に忘れていた。

このバレリーナは”お姉さん”だ。

そして、その”お姉さん”こそが、

僕がバレリーナになりたい。

と願うきっかけになった人だ。

『思い出した?

 義之君』

バレリーナの声は間違いなく”お姉さん”の声。

「帰ってきたのですね

 お姉さん」

”おねえさん”に手を差し伸べて僕は話しかけると、

『ごめんね、

 君の力になれるためには

 ちょっと時間が必要だったの』

と”お姉さん”は答える。

「あの時、聞き損ったけど、

 これが”お姉さん”の本当の姿なんですか?」

『えぇ…

 そうよ』



僕が”お姉さん”に出会ったのは、

まだ小さかったときの事。

公園で一人バレエを踊っていた”お姉さん”に

母さんとはぐれて

泣きべそをかいていた僕が話しかけたのが最初だった。

考えてみれば不思議なことだ。

チュチュを着て、

トゥシューズを履いている小人が公園で踊るなんて、

普通はありえないことだけど、

でも、”お姉さん”は僕が公園に行くと必ずそこで踊っていて、

次第に僕はお姉さんの踊りに魅了されていった。

そして、お姉さんにバレエの手ほどきを受けながら、

僕はいつかお姉さんのようになりたい。

そう思うようになったのだ。

さっき先生が僕のをことを

”基礎がしっかり出来ている”

と言っていたけど、

それは僕にレッスンをしてくれた”お姉さん”のお陰。

けど、お姉さんは僕の前から突然姿を消した。

僕がバレエを辞めた日に姿を消したのだ。



「一体、お姉さんって何者なんですか?」

お姉さんに向かって僕は話しかけると、

『ふふっ、

 知りたい?』

とお姉さんは聞き返す。 

「それは、当然でしょう?」

口先を尖らせながら僕はそう返事をすると、

『そうねぇ…

 何と言うのが当てはまっているかなぁ、

 精霊…でもないし、

 魔女…と言うものでもないし、

 神様…と名乗るにはおこがましいし、

 …うん、そうだ。

 どこかの街に黒蛇堂って女の子がやっているお店があるんだけど、

 その女の子があたしの縁者なの。

 あたしの素性を知りたければ、

 その子に会うと良いわ』

とお姉さんは言う。

「黒蛇堂?

 面白い名前だね。

 うん、探してみるよ」

『さて、

 じゃぁ時間もないし、

 君との約束を早速果たしてもらうわ、

 そもそも、そういう契約だしね』

「ちょっと待って、

 約束って、

 それに契約って、

 僕、なにか約束しました?」

『ふっふっふっ、

 細かいことは気にしない。

 じゃぁ、いきますわよぉ、

 そぉーーーーれっ!』

お姉さんのその掛け声が高らかに響くと、

ブワッ!

一陣の風が僕が居る廊下を吹き抜けていく。



「うわっ、

 なに?」

吹き抜けていく風に僕は身構えながら耐え抜くと、

『ふふっ、

 君はもぅバレリーナだよ』

とお姉さんは言う。

「え?

 どこが?

 何も変らないけど」

自分の体を見下ろしながら僕は聞き返すと、

シュルルルルルル…

確かに変化は始まっていた。

「え?

 うっ

 なっ

 なっ

 なにこれぇ」

履いていたズボンが突然縮み始めると、

ピタリと両足に張り付き、

次第に白く染まりながら、

バレエタイツへと変っていく、

そして、

ギュゥゥゥ…

履いていた靴から踵が消え、

サテンのトゥシューズに変ってしまうと、

トコッ

「あっ」

自然と僕はバレリーナの爪先立ちになってしまった。



「これは」

爪先立ちになった途端、

足を上げ、

手でマイムをはじめてしまうと、

『そーそー、

 バレエはまず脚で魅せて、

 手で魅せるものよ』

とお姉さんの声、

そして、

『じゃぁ次は体で魅せないとね』

その声が響くと、

シュルルルルル…

着ていた上着が変化し始め、

肩が出るベストへと変ってしまった。

そして、

ムクッ

小さくなった肩の下で、

2つの胸の膨らみが膨らんでいくと、

ベストの胸を下から持ち上げ始める。 

「あっあぁ…」

シュルッ

股間の膨らみが萎み、

縦筋が入った別の膨らみがツンとなって出てくると、

シュワシュワシュワ

僕の腰から重ねるようにパニエが揃い、

ザザッ

大きく開いた股間を満開の花のごとく飾って魅せる。

『ふふっ、

 とても綺麗になったわよ。

 さぁ、最後は顔で魅せるのよ』

お姉さんの声が響くと、

「あっ…

 そんな」

僕の顔に舞台メイクが施され、

アイラインが引かれた目が開くと、

スーッ

口にルージュが塗られる。



『さぁ、

 出来たわ』

満足そうなお姉さんの声が響くと、

トココココ…

僕はバレリーナとなって舞い始めていた。

「そんな、

 ぼっ僕、バレリーナに…

 なっちゃった」

『ふふっ、

 とってもきれいよ。

 さぁ、

 幕が開くわ、

 君が一番なりたかったバレリーナの舞台よ』

お姉さんの声に導かれながら僕は舞台の袖へと向かっていく、

そして、光の中へと飛び出すと、

そこには股間のタイツをモッコリ膨らませた沙代子が僕の手を取り、

そして、腰にその手を当てると、

僕はその場で回り始める。

『さぁて、あたしの仕事はこれでおしまい。

 これで君と契約は無事果たしたわ。

 そして、代償として、

 君が女の子になるときに放ったエネルギーはしっかりと頂いたわ、

 そうそう、彼女を王子様にしたのはオマケよ。

 これで、宇宙のエントロピーは…って難しい話はいいか』

舞台の上で舞い続ける僕に”お姉さん”はそう言い残すと、

何処へと姿を消していった。



「あの…

 お姉さん。

 幕が下りたら僕はどうなるの?

 まさか、この…まま、

 僕はずっと、

 バレリーナのままなんですか?」



おわり