風祭文庫・バレリーナ変身の館






「僕はバレリーナ」
(後編)



作・風祭玲

Vol.946





「あらあら、

 すっかり女の子として認められちゃったのね」

バレエ教室でもらった真新しい女性用レオタードを見て、

菜美江は呆れながらも笑って見せると、

「菜美江のせいだぞ…」

と僕は膨れて見せる。

すると、

「はいはい、

 じゃぁ、ここでも女の子として暮らしてもらいましょうか?」

そんな僕に向かって彼女はそういうと、

「はいっ」

と言いながら突然僕にピンク色のネグリジェを見せたのであった。

「おっおまえなぁ!!」

いきなり出てきたネグリジェに驚きながらひったくって僕は怒鳴ると、

「着てくれないのぉ?」

と妻は懇願する表情をしてみせる。

「だぁーかぁーらぁー!」

そんな菜美江に向かって僕は怒鳴り返すが、

「先週の土曜日、

 お風呂掃除の当番をサボったのだぁれ?」

と妻は聞き返す。

「う゛っ」

その質問に僕は思わず言葉に詰まると、

「それはだな…

 まぁ、何というか、

 その…

 なぁ…」

と苦し紛れの返事を始めだす。

そう、僕達の間である決まりごとがあった。

それはみんなで決めた家事の分担をサボった場合、

その罰として1回だけ言うことを聞かないといけない決まりだった。

「苦しい言い訳は聞きたくは無いわ、

 みんなで決めたことは守ろうね」

しどろもどろの僕に向かって菜美江は言い切ると、

結局その日の夜はネグリジェを着せられ、

僕は新婚以来久方ぶりとなる菜美江と同じベッドに寝たのであった。

「なんで…

 何でこんなことに?」

股間を覆う女性用の下着に手を当てながら僕はつぶやくが、

そんな僕に菜美江は抱きついてくると、

「ふふっ、

 うふふふ…」

と寝言なのか意味深な笑い声を妻は上げる。

「おっおいっ!」

こうして僕は彼女の感触を感じつつ眠れぬ夜を過ごし、

夜が明けていったのであった。



「御山さん、

 最近雰囲気が変わりましたね」

職場で女子社員が不意に話しかけてくると、

「え?

 そっそう?」

僕は冷や汗を流しながら返事をしてみせる。

「うーん、

 なんていうか、

 馴染みやすくなたて言うか」

小首をかしげながら僕に向かって女子社員はそう呟くと、

「あははは…

 気のせいだよ、

 気のせい」

と僕は笑って誤魔化すが、

しかし、笑って誤魔化す僕の体には罰としての女性用の下着がしっかりと密着していたのであった。

そしてそんな僕に追い討ちをかけるかのように、

「え?

 チュチュを着るのですか?」

バレエ教室で舞原さんから持ちかけられた次の発表会の話に僕の目は点になると、

「えぇ、

 この間の発表会での御山さんの踊りを見ていたら、

 うん、一度女の子の踊りをしてみたらどうかなって思ってね」

と舞原さんはあどけながら僕に言う。

「へぇ…

 御山さん。

 今度はチュチュを着て女性として踊るのですかぁ?」

その話聞いたみんなが僕に話しかけながら寄って来ると、

「いや、まだ決まったわけでは…」

彼女達に向かって僕はそう主張しようとするものの、

「よーしっ、

 チュチュ着てお姫様になる御山さんのためにも

 今度の発表会も頑張ろう!」

と一人が声を上げると、

「頑張ろう!」

レッスン室に気合入れる女達の甲高い声が響き渡る。

「いや、だから、

 まだ決まったわけでは…」

なおも僕は否定しようとするが、

しかし、時遅く、

僕のチュチュデビューは決定的になってしまったのであった。



「へぇ…今度の発表、

 修二さん、チュチュを着るのぉ」

家に帰った僕から次の発表会のことを聞いた菜美江は驚きながら言うと、

「なぁ、菜美江も驚くだろう?」

そのことを話した僕は呆れてみせる。

すると、

「うわぁぁ、うらやましいわぁ…

 チュチュって女の子夢よ、憧れよ、

 そのチュチュを着られるなんて…

 あたしに代わってほしいわぁ」

と菜美江は目を輝かせはじめる。

「だったら今すぐバレエ教室に戻ってきてくれよ、

 僕の指定席譲るから」

そんな妻の姿をジト目で見ながら僕はそういうと、

「あははは…

 無理無理無〜〜理、

 修二さんたちってもぅ初心者じゃないんでしょう。

 あたしが戻っても同じクラスでレッスンはできないわ」

と素っ気無い返事が返ってきた。

「おっおいっ、

 菜美江!」

それを聞いた僕は思わず声を上げると、

「パパぁ、

 こんどの発表会ではお姫様になるの?」

と寝ていたはずの芽衣が起きてくるなり割って入ってきた。

「いや、芽衣…お姫様って…」

思わぬ芽衣の言葉に僕は困惑すると、

「芽衣ちゃぁん、

 パパはねぇ…バレリーナになるのよ。

 ママと芽衣で応援しようね」

と意地悪そうに菜美江は芽衣に告げたのであった。

「菜美江っ、

 芽衣に変なことを教えるんじゃない。

 大体、バレリーナって…

 お前は僕がバレリーナになって嬉しいのかよ」

妻のその言葉に僕は語気を荒げて言うが、

「あらあら、

 パパったらあんなに怒った振りをして、

 本当は嬉しいんでしょう?

 チュチュを着られることが」

と芽衣をかばいつつ菜美江は俺に向かって言う。

「だっ誰が、

 嬉しいか!」

さらに僕は食って掛かると、

「じゃぁ、だったらなんでバレエを続けているの?

 レオタードが嫌だったらさっさと辞めればよかったでしょ」

と彼女は指摘する。

「え?

 いや、

 それは…

 だって、せっかく始めたのにもったいないじゃないか」

菜美江の言葉に僕はしどろもどろになりながら言い返すと、

「あらあら、そんなことを言って、

 修二さんは女の子になりたいんでしょう。

 だから文句を言わずに自分から進んでレオタードを着て、

 さらにトゥシューズも履けるようにレッスンを続けてきたんじゃないの。

 修二さんが一生懸命バレリーナになろうと努力しているから、

 あたしは応援してきたのよ。

 じゃぁ、あたしの応援って無駄だったの?」

と彼女は言う。

「いや、

 それは…」

確かに菜美江の指摘通り、

舞原さんからチュチュの話をされたとき僕の心の中には2つの驚きがあった。

ひとつは”いきなりチュチュを着させられることになった”という驚き、

そしてもぅひとつは”ついにチュチュを着られる”という驚きだった。

菜美江に誘われてバレエを始めたときははっきり言って嫌だった。

しかし、妻のレオタードを着てみんなの前に立った頃から、

僕の心の中にレオタードを着てバレエを踊ることがあまり嫌でなくなり、

トゥシューズを履いた頃にはいつしかチュチュを着てスポットライトを浴びたい。

という欲望が心の中に棲みついてしまい。

そしていま、僕がずっと見てみぬ振りをしてきたもぅひとつの心を

菜美江は俺に見せ付けたのであった。

「…………」

妻の指摘に僕はしばらく黙っていると、

「…あっあしたからレッスンがきつくなるから、

 帰りが遅くなるよ」

と言い残して僕は席を立ったのであった。

その言葉どおり、

僕のレッスン時間は増え、

また、会社は定時帰り、

夕方以降はバレエのレッスンに明け暮れるようになると、

菜美江は僕に相談もせずに芽衣を出産するときに辞めた会社に復職したのであった。



「うわぁぁぁ、

 これが僕ですかぁ…」

発表会の打ち上げのとき、

跳ね上がるチュチュのスカートから覗くツンと呼ばれる部分を大きく開いて舞い踊る自分の姿を見せられて

僕は顔を真っ赤に染めると、

「うふふふっ

 すっかりバレリーナしているじゃない。

 ここなんて女の子そのものよ」

と画面を覗き込む女子大生が感想を言う。

「いや、

 しかし、ぜんぜん女らしくないですよ、

 この体の線は!」

画面が引き、

純白のチュチュを身につけ羽ばたくように舞い踊る白鳥姫に化けた自分を指差して力説すると、

「いーやっ、

 まるで、ここまでできるだなんて…

 並大抵のことじゃないよ」

と主婦は腕を組みながら僕に言い、

「そうですかぁ?」

その言葉に僕はつい頭を掻いてしまうと、

「で、チュチュを着た感想はどうだった?」

と興味津々に尋ねてきた。

「え?

 チュチュですかぁ?」

その質問に僕はつい考え込んでしまうと、

「うーん、なんと言うか、

 女の子が憧れるのも判る気がします。

 ふわっと広がり跳ね上がるスカート…

 胸周りを引き締め体を魅せる衣装ってそうざらには無いですね。

 なんか本物のお姫様になったような感じでした」

白銀び輝くチュチュを身につけ、

真っ暗な観客席に向かって身を乗り出して足を上げる自分を思い出しながら、

僕は感想を言うと、

「生意気いっちゃってぇ!」

の声が響くのと共に、

バァン!

と僕の背中が叩かれる。

「痛ぁぁ」

背中からジンジンと響いてくる痛みを僕は堪えていると、

「でも、それが判るって…

 御山さんって女の子になったのね」

と誰かが言った。

「え?」

誰が言ったのか判らないその言葉に僕の胸が大きく高鳴ると、

「そんな…

 僕が女の子だなんて、

 いやだなぁ…

 あはは」

と乾いた笑い声を上げてみせる。

すると、

「御山さん、ちょっとぉ」

と舞原さんが僕を呼んだ。

「はっはい、なんでしょうか?」

その声に誘われて僕は舞原さんのところに出向くと、

「ねぇ御山ん、

 あの、あなた…

 プロになってみる気はない?」

とまじめな表情で尋ねてきたのであった。

「は?」

思いがけない舞原さんからの申し出に僕は呆気に取られると、

「あっ、

 いぇ、

 御山さんがよければでいいんですけど…

 でも、あたし御山さんを教えていて思ったんです。

 御山さんをこのままここのバレエ教室に置いておくなんてもったいないって…

 御山さんのような才能を持っている人こそ、

 きちんと光の当たるところに行くべきだって」

と彼女は僕に言い、

「あの、

 明日お時間はありますか」

そう問い尋ねてきたのであった。

「へ?」

さらにスピードを上げて動いていく周囲の状況に僕は呆気にとられると、

スッ

舞原さんは一枚の名詞を僕の前に差し出し、

「ここはあたしが所属しているバレエ団です

 御山さんにわたしが所属しているバレエ団のレッスンを受けて欲しいんです」

と僕にそういう。

すると、

「すごいじゃないっ、

 御山さん。

 これってスカウトですよ」

「いいなぁ…

 あたしここのバレエ団憧れだったんだよ」

彼女の声を聞いて皆ははやしたて、

もはや僕はその申し出を断ることはできなくなってしまった。

宴が終わったころ、

「じゃぁ、明日9:00にレッスン室でお会いしましょう」

そういい残して舞原さんは去っていくと、

「バレエがんばりなさいよ」

「あたし達応援しているからね」

と僕を励ます彼女達の声が響いていたのであった。



「あら、明日バレエ団のレッスンに行くの?」

帰ってきた僕に菜美江は驚きながら聞き返すと、

「うん、

 なんだかそんな話になっちゃった」

彼女の言葉に僕はそう返す。

「へぇ…それってバレエ団からのスカウト?」

そんな僕に菜美江は尋ねると、

「まさか、

 講師の舞原さんが一度レッスンに来てって誘われたからだよ、

 周りも変に盛り上がっちゃって…

 断れなくなっちゃってね」

と僕は状況を説明する。

すると、

「で、これからどうするつもり?」

と菜美江は尋ねてきた。

「え?」

彼女のその問いに僕は驚くと、

「明日、修二さんが行くのはバレエ団の公開レッスンよね。

 大体、公開レッスンに出た子ってそのままバレエ団に入団しちゃうのよ。

 そうなったらもぅ1年365日、バレエ漬け。

 いまみたいに仕事とバレエの二束わらじってことはできなくなるわ、

 バレエか、

 仕事か、

 あぁ、でも修二さんはバレエを取るに決まっているわね。

 根っからのバレエ好きなんだから…」

と菜美江は笑って見せ、

「うちの事は心配しないでいいわ、

 あたしね今度秘書課に配属になったのよ、

 修二さんのバレエ、

 あたしがちゃんと支えてあげるわ」

そう僕に告げたのであった。

「えぇ!!」

妻の口から出たその言葉に僕は呆然とすると、

「これもまた運命ね」

そんな僕に向かって菜美江はそういうと小さく笑って見せ、

「なっちゃったら、

 バレリーナ」

と囁いたのであった。



そして迎えた翌日、

そう週明けの月曜日。

僕は体調不良を口実に職場に有給休暇も申し出ると、

舞原さんに紹介してもらったバレエ団のレッスン場へと向かっていく。

そして、そこに到着すると同時に、

「あぁ着てくれたのね」

昨日よりもさらに明るい顔で舞原さんは僕に声をかけると、

「あの…

 レッスン着はレオタードしか無いんですけど…」

と僕はレオタード・バレエタイツ・トゥシューズが入っているバックを掲げて見せた。

「うん、それで十分。

 というか、それが無いとレッスンは始まらないわ」

僕に向かって彼女はそう言い、

「早速着替えて、

 みんな待て居るから

 それと、このゼッケンをつけてね」

と僕に僕の名前が入ったゼッケンを手渡すと背中を押したのであった。

「あーぁ、

 なんでこんなことに…」

更衣室で僕はレオタード・タイツ姿になると、

キュッ!

っとトゥシューズのリボンを足に結びつける。

そして、

渡されたゼッケンを被り、

紐で締めると、

コト

コト

とトゥシューズの音を鳴らしながら更衣室の表に出ていく、

「遅いぞ!」

その声に迎え入れられたバレエ教室の数倍もある大きなレッスン室には

大勢のレオタード姿の団員達が居て、

そんな彼女達の横でこの公開レッスンに参加する女の子達が待っていたのであった。

「あっあの…」

恥ずかしげに僕は声を上げると、

ポロン…

生演奏のピアノの音色が響きわたり、

ザッ!

その音色にあわせて皆はレッスンを始めだしたのであった。



あの日から2年が過ぎた。

菜美江に言われたとおり、

公開レッスンに参加した僕はバレエ団からの入団の誘いを受けた。

僕は少し考えた後、その入団を承諾したのであったが、

僕は男性団員としてではなく、

男性でも女性でも両方こなせられる団員として迎え入れられたのであった。

「こんなことって…

 できるの?」

こういう所こそしっかりとしているものと思っていた僕だが、

しかし、予想以外のルーズさに驚きつつも僕は入団手続きをした。

そして手続き後、

バレエ団から出た僕はその足で勤務先に出向くと、

上司に辞表を提出したのであった。

「おっおいっ」

いきなりの辞表に上司は驚くが、

「すみません。

 僕はバレエで生きることにしましたので」

と告げると僕は10年近く勤めた勤務先を去ったのであった。

そして、その翌日から僕の生活は文字通りバレエ漬けとなり、

レオタード・タイツを身につけ、

あるときは女性を、

そしてあるときは男性を演じていたが、

だが、次第に女性を演じることが多くなり、

チュチュを着ることが次第に多くなって行った。

そして、このような環境で居たるためか、

僕の体は次第に線が細くなり、

まるでバレリーナのような姿かたちへと変化していく、

それにあわせて僕の踊りも徐々に上達していくと、

ついに”舞台の真ん中”に立つようになったのであった。

バレエに身を置くものなら誰もが憧れる”舞台の真ん中”…

その”舞台の真ん中”でチュチュに身を包んだ僕は大きく羽ばたいたのであった。



「修二さぁん

 着たわよ」

公演の前の更衣室に菜美江の声が響きわたると、

「ん?」

メイクを終え白銀に輝くチュチュを身にまとった僕は振り返る。

「おぉ!

 メイクばっちり、

 チュチュきらきら、

 タイツぴっちり、

 トゥシューズ…きゅっ!

 うん、立派にバレリーナしているわよ」

そんな僕を見ながら菜美江は満足そうに頷くと、

「ほうら、芽衣っ、

 パパは立派なバレリーナになったでしょう」

と小学校1年になったばかりの娘に僕を見せる。

「馬鹿っ

 そんなこと強調するなっ」

菜美江に向かって僕はつい声を上げてしまうと、

「パパ…

 バレエがんばってね」

そう僕を励まし笑顔を見せる。

「うん、ありがとう」

僕はルージュを引いた唇で笑みを作ると、

「さぁ、時間ね」

と言い残して僕はチュチュを翻し妻と娘の前から去り、

バレリーナとして舞台へと向かっていったのであった。



おわり