風祭文庫・バレリーナ変身の館






「バレリーナの道」



作・風祭玲

Vol.845





ポロン…

レッスン室にピアノの音色が鳴り響くと、

「はいっ、

 じゃぁ通しで行きますよぉ」

追って顧問の滝沢の声が響きます。

「はっはいっ」

その声に『僕』は座り込んでいた床から立ち上がり、

スッ…

滝沢の前でポジションにつきますと、

ポロン…

それを待っていたかのようにピアノの音色が高らかに鳴り、

クッ

『僕』はトゥシューズを穿いた足を上げ、

トコンッ!

コトコト…

タンッ!

コトン!

滝沢の前で舞い始めました。

額から汗が流れ落ち、

胸元にそれが溜まっていきます。

そして、レッスン室の照明を受けて光るレオタードがそれらを吸い取っていくの感じながら舞いますが、

「違うっ

 そこは右回り!

 脚っ下がっているよ!」

そんな『僕』に向かって滝沢からの厳しい指摘の声が飛ぶと、

『僕』は返事の代わりに腕を振り、

白のバレエタイツに包まれた脚を高々と上げました。



ほんのひと月前まで『僕』はとある県立高校に通うごくありふれた平凡な少年でした。

ただ、顔立ちがぱっと見た目、女の子と間違われてしまうほど女性的であること、

そして、運動が苦手なのにどういうわけか関節が柔らかく、

開脚しながらお腹を床につけることなど難なく出来てしまうのがある意味特技でした。

そして、そんな『僕』をいつもからかう女子が一人。

木下真奈…

明るく快活で屈託の無い彼女は男子は元より女子からも好かれ、

先生達からも好印象を持たれています。

さらに、『僕』と同じクラスで、

しかも隣の席に座っているのですが、

でも、真奈は皆に見せている顔と『僕』に見せる顔は明らかに違うのです。

何て言いましょうか、

そう、生け捕りにしたか弱きネズミをじっと見つめている邪なネコ…

まさにそのイメージがピッタリなのです。

そして、真奈が持ち込んでくるものは、

すべて『僕』にとって”災難”であり、彼女にとって”快楽”なのです。



そんなある日の昼休み。

「やめてよぉ」

「面白いところに連れて行ってあげるんだから、

 黙ってついてきなさい」

真奈に手を引っ張られて『僕』は校舎の中を駆け抜けていくと

ある部屋の前に連れてこられれました。

「クラシックバレエ…部?」

長い年月を経ているのか、

埃を被り掠れかけている部の看板を『僕』は読み上げると、

ガチャガチャ!

突然真奈は閉じられているドアを強引に左右に揺すり始めた。

「ちょちょっとぉ、

 ドアを壊す気?」

彼女の行為をを見た『僕』は思わず止めようとしますが、

「もぅ、気が小さいのね。

 ここはこうすると開くのよっ」

戸惑う『僕』を鼻で笑い真奈はさらにドアを揺すると、

バキン!

ガッ…ガラッ!

何かが外れる音が響くのと同時にドアが開きました。

「壊したんじゃない?

 先生に言わないと…」

『僕』は真奈に向かってそう勧めますが、

「あはは、

 なぁに言っているのっ、

 ドアが開いたのよ」

真奈は鼻で笑いながら堂々と部屋の中へと入って行きます。

「誰かに見つかって怒られても知らないよ」

先を行く真奈に向かって『僕』は注意をしますが、

「へぇぇぇぇ」

一方の真奈は『僕』を無視して部屋の佇まいに感心をしていました。

「?

 なにここ?」

真奈の後ろから部屋の様子を眺めながら『僕』は小首を傾げると、

「あら、知らないの?

 ここはクラシックバレエ部のレッスン室よ」

と真奈はしれっと『僕』にこの部屋の説明をし、

部屋の中に出されたままになっている横に張られた木の棒に手を添えました。

「クラッシックバレエ?

 クラッシックバレエってあの女の子がよくやっているやつ?」

クラシックバレエについて知識があまり無い『僕』は

マンガ雑誌やTVドラマなどのワンシーンを思い浮かべながら尋ねると、

「ん?

 まぁそう言えばそうだね」

と返事をしながら真奈は棒に手を添え、

その添えた手で身体を支えながら

脚を開いたり閉じたり、

前へ後ろへと動かし見せます。

「何しているの?」

その仕草を見ながら『僕』は意味を尋ねると、

真奈はまた僕を無視して歩き出し、

壁に掛かっている薄いピンク色をしたひも付きの上履きのような靴を手に取ると、

「あら、

 草臥れていると思ったけど全然新しいじゃん。

 ここ、誰かが使っているのかな?」

そう呟きながら、

「丁度いいわ、

 これを穿きなさい…」

『僕』に向かって放り投げました。

「あぁっ」

落とさないように僕は靴を受け取りますと、

「?

 どうやってこれを穿くの?」

と真奈に尋ねます。

すると『僕』のその言葉を聞いた真奈は頭を掻いてみせ、

「本当に知らないのねっ、

 判ったわ、教えてあげる。

 いま穿いている上履きを脱いで床に座って」

と『僕』に命じました。

「うっうん」

彼女の言葉に従い、

『僕』は上履きを脱いで座りますと、

「これはね、トゥシューズって言うのよ、

 トゥシューズはこうやって穿くのよ」

そう言いながら真奈は『僕』にトゥシューズと呼ぶ靴を履かせたのです。

コトン!

コトン!

トゥシューズを履き、

リボンでシューズを固定した『僕』は立ち上がって部屋の中を歩きますが、

つま先部分が硬く固められ、

さらにつま先から踝の下まで芯が入っているために極めて歩きづらく、

また歩くたびに音が鳴ります。

「なんか歩きにくいよ」

音を鳴らしながら『僕』はトゥシューズの感想を言いますと、

「トゥシューズはそういうものよ」

真奈は涼しい顔でそう言い、

「うん、思ったとおり、

 トゥシューズが似合うわね」

と『僕』を見ながら微笑みました。

彼女が『僕』に笑みを見せるときは決まって何か別のことを考えているのです。

「そっそう…」

彼女の意味深な笑みに『僕』は顔を引きつらせながら返事をしますと、

「じゃぁ、そこのバーに捕まって、

 あたしがこれから見せる動きを真似して」

『僕』に向かって真奈はそう告げると、

自らあの棒に手を添え、

「アンッ、

 ドゥッ

 トワァ」

と声を上げながら手や足を動かし始めました。

そして、

「ほらっ、なに見ているの、

 あたしの動きを真似をするのよ」

何もせずにじっと見ている『僕』に向かって真奈は言うと、

「うっうん」

『僕』は見よう見まねで彼女と同じように手足を動かしていきます。

「アンッ、

 ドゥッ

 トワァ」

「アンッ、

 ドゥッ

 トワァ」

レッスン室に真奈の声が響き、

その声にあわせて僕も身体を動かします。

最初は簡単だった動きも徐々に複雑なものへとなっていきますが、

体が柔らかい為かそれらを難なくこなす事ができ、

いつの間にか『僕』は汗をびっしょりかいていました。

「へぇ…

 あたしの動きについてこられるなんて大したものじゃない。

 あたし、これでもバレエを8年やってきたんだけど、

 なんかショックだなぁ…」

身体を動きを止め、

バーを離れた真奈は『僕』の横に立つとショックと言うよりも

どこか嫉妬を思わせる面持ちで腕を組み、

『僕』を見つめながらそう言います。

「え?」

彼女のその言葉に『僕』は身体を止めようとしますが、

「続けなさい」

と真奈は小さく囁きました。

「は…ぃ」

ハッキリ言って真奈が怒っているのは明白です。

怒った彼女は何をしでかすか判りません。

仕方なく『僕』は自分の頭の中でリズムをとりながら、

真奈が見せてた動きを続けます。

と、その時、

「おやおや、昼休みなのにレッスン?」

とレッスン室の外から女性の声が響きました。

「!!っ」

「!!っ」

響いた声に『僕』と真奈は振り返りますと、

3年女子の体育教師である滝沢光子が僕たちを見ていたのです。

「あっすみませぇん、

 鍵が壊れていたので…」

滝沢を見た途端、真奈はコロッと態度を変え、

「ほらっ、

 行くよっ」

いきなり『僕』の腕を引くと、

そのままレッスン室から飛び出してしまいました。

「ちょちょっとぉ」

逃げるようにして走る真奈に『僕』は何かを言おうとしますが、

でも、真奈は『僕』に構わずに進み、

そのまま教室に戻ると、

「はぁ、驚いた」

と言いながら胸をなでおろします。

「無断で入ったんだね」

そんな真奈に向かって『僕』はそう指摘すると、

「うるさいわねっ、

 もう済んだことよ」

と真奈は言いますが、

彼女の視線が『僕』の脚を見た途端、

「あっ、

 トゥシューズを穿いたまま出てきちゃったの?」

と驚きながら声を上げました。

「仕方が無いだろう、

 履き替えている暇が無かったんだからぁ」

真奈に向かって『僕』は言い返しますが、

「もぅ、ドン臭いんだからぁ、

 でももぅ授業が始まっちゃうから、

 放課後、バレエ部のレッスン室に戻って履き替えてくるのよ」

と言うとさっさと席についてしまいました。



「おいっ、なんだよ、その上履きは」

「変なのを穿いているなぁ」

始まった午後の授業、

トゥシューズを穿いたまま授業を受ける『僕』に向かって

周囲の男子達はちょっかいを出し、

「ねぇ…あれってさぁ…」

「…だよねぇ」

一方で女子達はヒソヒソ話をします。

「何でこんな目に…」

そんな声の中で『僕』は晒し者にされているような気持ちで身を小さくし、

そして、ようやく座敷牢な授業が終わると、

『僕』はトゥシューズを鳴らしながらバレエ部のレッスン室へと向いました。

幸い、バレエ部のレッスン室の鍵は開いたままで、

スグに『僕』は置いて来てしまった上履きを探し始めました。

だけど、いくら探しても上履きは見つからず、

「困ったなぁ…」

困惑した面持ちで床の上を這いつくばり探していると、

「探し物はこれ?」

あの滝沢の声が響き、

『僕』の上履きを持った滝沢が姿を見せたのです。

「あっ」

彼女の手にある上履きを見ながら僕は声を上げてしまいますと、

滝沢はニコリと微笑み、

「ねぇ、君っ、

 バレエをやってみない?」

と声をかけてきました。

「バレエ…?」

その言葉に『僕』はキョトンとすると、

滝沢は僕の前に立ち、

「君の昼間のレッスンを見させて貰ったけど、

 バレエ向きの良い筋をしているじゃない。

 あれだけ体が柔らかくて、

 筋力があって、

 リズムセンスがあって、

 そして、飲み込みが早いんだから、

 ちょっとレッスンに集中すればコンクールに出られるわ」

と言ってきます。

「はっはぁ…」

『僕』は滝沢が言っている言葉の意味が判らずにただ頷いていると、

どういうわけか真奈が滝沢の後ろから姿を見せ、

「クラッシックバレエ部っていま部員が居なくて廃部のピンチなのよ」

と僕に言ました。

「木下さん、

 なんで?」

思いがけない真奈の登場に『僕』は驚くと、

「ホームルームの後、

 滝沢先生と色々話をしていたのよ。

 ほら、滝沢先生ってクラッシックバレエ部の顧問でしょう。

 そしたらね、

 いまクラッシックバレエ部って部員が居ないんだって、

 しかも、学校側からはバレエ部の廃部を通告されてしまってね、

 ただ、問答無用って訳ではないのよ。

 今度開かれるバレエのコンクールで部員が入賞すれば、

 存続が認められるんだって、

 だからちょっとだけ、

 バレエ部のお手伝いをして見る気はない?」

と提案をしてきます。

「お手伝いって…

 そんなこと、僕には…」

思いがけない真奈に提案に『僕』は怖気づいてしまうと、

「大丈夫だって、

 昼間のレッスンでバレエ歴8年のあたしを追い抜いたのよ、

 滝沢先生のレッスンを受ければ十分にコンクールで入賞できるわ」

『僕』に近寄ってきた真奈は耳元でそう囁き、

「あたしのお願い、聞いて欲しいなぁ」

そう言いながら肘で『僕』を小突き始めたのです。

もはや強制です。

これに逆らって逃げ出すと明日から何をされるか判りません。

教科書やノートが隠されるのは序の口、

この間なんて体育の授業中に脱いだ制服が隠され、

代わりに女子の制服が置かれていたために、

一日の殆どを女子の制服姿で授業を受けさせられたことがありました。

いまこの場で彼女にノーを突きつけるのは良い選択ではないのです。

「はぁ…」

真奈に向かって『僕』は頭を下げると、

「ホント?

 クラッシックバレエ部に入ってくれるの?

 真奈、嬉しい!!」

頭を下げる僕に抱きついて真奈はオーバーに喜んでみますが、

「ちゃぁんとバレエコンクールで入賞をするのよ、

 これ命令」

と念を押してきたのです。

「うっ」

クラッシックバレエ部に入部するだけではありません。

”バレエ・コンクールでの入賞”というノルマが『僕』に課せられてしまったのです。



「滝沢先生。

 彼、クラッシックバレエ部に入部するそうです」

『僕』に向かって念を押した真奈は返す刀で滝沢に向かってそういうと、

「ありがとう。

 君なら大丈夫よ、

 さっ、早速レッスンよ、

 バレエコンクールまで時間が無いの」

と『僕』に言い、

「すぐに着替えて」

そう言い付けました。

「着替えって…」

滝沢の言葉に『僕』は困惑していると、

「ほらっ、

 バレエのレッスンはレオタード・タイツ姿が基本よ。

 さっレオタードに着替えるのっ、

 あたしが使っていたのを持ってきたから制服、脱いで!」

と真奈は脱がしに掛かります。

「わっ、チョット待って、

 いきなりだなんて…」

「ぐずぐずしない」

『僕』の抵抗も空しく

瞬く間に制服どころか下着まで脱がされてしまうと、

手際よく持ってきた白いタイツを穿かされ、

さらに、女子の水着に袖をくっつけた様な黒い服が着せられたのです。

「これは?」

身体にピッチリと張り付く服の布地を引っ張りながら『僕』は尋ねると、
 
「それがレオタードってモノよ、

 バレエのレッスンを受けるときは必ずそれを着て、

 先生に身体の線や動きを見てもらうの、

 あたしだってバレエ教室のレッスンではその格好をしているんだから」

と真奈は説明をします。

「だったら、木下がバレエ部に入ればいいじゃないか」

真奈に言葉に『僕』は口を尖らせながらそう呟くと、

「何か言った?

 言っておきますけど、

 あたしは色々忙しいの。

 そんな状態でバレエ部の助っ人はできないのよっ」

と腰に両手を当てて真奈がそう言います。

そして、

「それにあなたは帰宅部じゃない。

 だったら、バレエ部のために頑張りなさいよ」

そう付け加えますと、

パァン!

とレオタードが覆う僕の背中を引っ叩きました。



パンパン!

「ほらっ、

 遊んでないで、

 レッスンを始めます」

トレーナ姿に着替えた滝沢が手を叩いて声を上げると、

「じゃっ、

 頑張ってね」

真奈はそう言い残してレッスン室から消え、

バレエ部員となってしまった『僕』のレッスンが始まりました。

最初は夕方だったレッスンも朝のレッスンが加わったため、

朝夕の二回のレッスンとなってしましたした。

それと同時に困った事が起きてしまったのです。

「どうせ夕方もバレエのレッスン受けるんでしょう、

 だったら、いちいち着替えないでそのままで居ればいいじゃない、

 他の部活の人もそうしている人が居るんだからさぁ」

意地悪そうに言った真奈のその言葉で『僕』は朝のレッスンの後、

レオタードをタイツを脱ぐがずに、

その上に学校のジャージを羽織るだけで授業を受けさせられたのです。

次の授業の移動のときもジャージの上着を羽織っただけで、

その下はレオタードとタイツがむき出しのまま僕は校内を歩かされますが、

ザワザワ

ザワザワ

行きかう生徒達からの好奇心に満ちた視線が『僕』を貫き、

『僕』はあまりにものの恥ずかしさで前を向くことができません。

せめてズボンだけでも穿かせてもらえれば

こんな恥ずかしい目に遭わなくて済みますが、

でも、真奈がそれを許してくれませんでした。

「バレエ部員がバレエの格好をしていてどこが悪いの?

 もっと堂々としなさいよぉ」

恥ずかしさを訴える『僕』に真奈は笑うだけで話を聞いてはくれません。

そのためにこれまで嫌いだった体育の授業がレオタードを脱げる口実となってくれて、

いつしか『僕』は体育の授業が来るのが待ち遠しくなっていったのです。

そして、その頃から校内の生徒達に『僕』の事が知れ渡ることになり、

クラッシックバレエ部のレッスンが始まると

ギャラリーと思える人たちが見学にくるようになりました。

「なになに?

 男の子なのにトゥシューズ穿いてレオタード着ているの?」

「うん、そうなのよっ」

「最初聞いたときキモイと思ったけど、

 でも、見てみると結構可愛いじゃない、彼」

「えぇ、本当に?」

「あたしもバレエしてみようかしら」

入れ替わり立ち代りやってくるギャラリー達からそんな声が漏れ、

大勢の視線を浴びながら『僕』はレッスンに汗を流していました。

でも、確かに最初滝沢が言ったとおり、

バレエは僕の性に合っている様な気がします。

こうしてピアノの音が流れてくると、

自然に身体を動くようになりましたし、

なによりも大勢の視線を浴びる事が快感に感じるようになったのです。

「もっと…

 もっと、僕を見て…

 バレエを踊る僕をみんなで見て…」

レオタードに身を包み、

トゥシューズを鳴らし、

そして汗を流しながら『僕』はそう思うようになって行きました。



ハァハァ

ハァハァ

レッスンが終わり、

息を切らせながら『僕』はバーに捕まっていると、

ハラリ…

伸びた髪が首筋に掛かってきます。

「そうそう、床屋に行ってはダメよ」

バレエ部に入部したとき真奈からそう命じられたために、

元々長かった『僕』の髪はすっかり伸びきってしまっていて、

まるで女子のような髪型になっていました。

「もぅ、鬱陶しいなぁ、

 こっそり隠れて切っちゃおうか」

そう思いながら『僕』は髪を引っ張る仕草をすると、

「その髪を切っちゃダメよ」

何時レッスン室に来たのか真奈が話しかけ、

「こうすればいいのよ」

と言いながら首筋に掛かる髪の毛を纏め上げ、

お団子にして止めたのです。

「うんっ、

 ますますバレリーナになったみたいで可愛いわ」

お団子頭の『僕』を見ながら美奈子は微笑むと、

「そっそう…」

『僕』は少し照れながらレッスン室の壁に貼られている鏡に視線を移します。

すると、そこには猛レッスンで汗を吹いてしまった黒いレオタードを身につけ、

髪を後ろに纏めた『僕』の姿があり、

とてもその姿は男子には見えませんでした。

「!!っ」

思いがけない自分の姿を見せつけられた『僕』は驚いていると、

「お待たせ、

 コンクールの衣装ができたわよぉ」

その声と共に荷物を抱えた滝沢がレッスン室に入り、

「ほらぁ、

 とっても素晴らしいでしょう」

と『僕』に衣装を見せたのです。

「うわぁぁぁ」

衣装を見た真奈の驚いた声が響く中、

「………」

『僕』はなにも言えずにジッと衣装を見つめていました。

僕の前に出された衣装、

それは、とても鮮やかな若草色でした。

グラディエーションの如く表に向かって少しずつ色が濃くなるように

チュールが積み重ねられた大きく広がるスカート、

クッと萎まれたウェスト、

ふっくらと胸を覆うバスト、

そして、そのバストを引き上げる肩紐…

それは立派で美しい”女子”の衣装でした。

「あの…」

衣装を見ながら僕は尋ねるように声を上げると、

「なんですか?」

と滝沢は聞き返します。

すると、

「これって、スカートがあるし、

 女子の衣装ですよね。

 誰が着るのですか?」

と『僕』は尋ねます。

その途端、

滝沢と真奈は顔を見合わせ、

プッ!

と噴出すと、

「決まっているでしょう、

 君がそれを着るのよっ」

と笑いながら言います。

「え?」

思いがけないその言葉に『僕』は驚くと、

グッ!

真奈は僕を強引に引っ張り、

「文句があるの?

 バレエ部のピンチは君が救うってこと忘れたの?

 このクラシックチュチュを着て、

 バレエコンクールに出るのよっ、

 これは、あたしのお願いだじゃなくて、

 この学校みんなの願いなのよ」

と囁きました。

「みっみんなの?」

真奈が言った言葉に僕は驚くと、

「あれ?

 気づいてなかったの?

 もぅ学校中に知れ渡っているのよ。

 バレエ部のピンチを救うためにバレエに打ち込む男子生徒が居るってことが、

 そして、その生徒曰く、

 男だからってバレリーナを目指して何が悪い?

 ってね」

ウィンクをしながら真奈は『僕』に向かってそういいました。

そういえば、最初の頃は何かとからかっていた男子たちが

最近『僕』をスルーするようになっていました。

「何でだろう…」

と不思議に思っていたのですが、

まさか、こんな話が浸透していただなんて…

チュチュを抱きしめながらガックリと『僕』は膝を突いてしまうと、

「そんなに嬉しいの?」

意地悪そうに真奈は話しかけてきました。

「!!っ、

 えぇ、

 もぅ泣きたいくらいに…」

泣きべそをかきながら『僕』は真奈を見ると、

「コンクールまであと1週間、

 頑張りましょう」

そう囁きながら手を差し伸べたのです。



もっもぅ…

こぅなったら行くしかありません、

このレッスン室に連れてこられた日には戻ることなんて出来ないのだから…

コンクールまでの一週間、

『僕』はレッスンに打ち込みました。

ボロボロになるまでレッスンをして、

何もかも忘れ去りたかったのです。

そして、迎えたコンクールの日、

「これが…僕?」

鏡に映る自分の姿に『僕』は驚いて見せると、

「うん、立派立派、

 誰が見てもバレリーナ」

メイク道具を持つ真奈は満足そうに頷いて見せます。

「そっそう…」

キリリとした女性を演出してみせる舞台メイクと、

そのメイクを引き立たせるかのように身体を包む若草色のチュチュ…

これから『僕』が舞うのは

くるみ割り人形というバレエの中に出てくる”芦笛の踊り”です。

「さて、そろそろ順番が来るころね」

時計を見ながら滝沢がそういうと、

「はいっ」

コトン…

『僕』はトゥシューズを鳴らしながら立ち上がりました。

レッスンの間、僕を支え続けてきたトゥシューズ。

真奈は

「折角のコンクールなんだから新しいのにしたら」

と言いますが、

これだけは『僕』の我を通させてもらいました。

身体の動きに合わせてチュチュをフワッフワッ上下に揺らしつつ舞台袖へと向かいますと、

様々なチュチュに身を包んだバレリーナたちが大勢居て、

これから審査をを受けるのかある者は何かを念じ、

ある者は気合を入れ、

そして、ある者は平静さを装うかのように目を閉じていました。

そんな中を僕は進んでいくと、

「ほら、あの子よ…」

「あぁ、男でこのコンクールを受けるって子?」

「よくやるわねぇ」

と陰口が響きます。

だけど、気にはなりません。

ここまで来た以上、目標は入賞です。

そして、しばらく待っていると『僕』の名前が呼ばれました。

同時に

ザワッ…

コンクールの観客のものでしょうか、

客席からざわめきが聞こえます。

しかし、そのざわめきをさえぎるように伴奏が流れてくると、

「じゃぁ、行ってきます」

そういい残して『僕』はチュチュを翻し、

光溢れる舞台へと飛び出していきました。



このとき『僕』が舞い踊った様子は後のTV放送で見ることが出来ました。

若草色のチュチュに身を包み、舞台の上を華麗に舞う『僕』。

そんな『僕』を見世物にするかのように

カメラは胸からスカートに向かってパンダウンし、

さらにスカートの揺れで見え隠れするお尻から背中へとパンアップしてゆきます。

バレエに魅せられた妖精…

そんな表現がふと『僕』の頭の中を駆け抜けていくと、

あまりにもの恥ずかしさに直視することが出来なくなってしまいました。

しかし、

「これが、僕…

 バレリーナになってしまった僕…」

顔を伏せながらも上目遣いで『僕』は画面に映るあの時の”僕”を見ようとすると、

「凄いわねぇ、

 ほらっ、

 とても男の子には見えないわぁ」

と真奈はオーバーに言います。

「そんなこと…ないです」

再び視線を落として『僕』はそういうと、

「あら、

 バレエコンクールに優勝しておいて、

 その台詞は無いでしょう」

真奈はそう言いながら手を伸ばし『僕』の腕を抓りました。

「痛っ

 何をするんですか」

抓られた腕を押さえて『僕』は抗議すると、

「ふんっ、

 コンクールに優勝したからってなによっ、

 みんなにチヤホヤされて調子の乗るんじゃないわよっ、

 バレエ留学ですって?

 良いじゃない。

 勝手に行って来ればっ」

突然、真奈は立ち上がり、

『僕』に向かって強く言い放ちました。

そして、そのまま足音荒く立ち去っていくと、

「彼女、次のコンクールに応募するそうよ、

 君に先を越されたのがよほど悔しかったみたい」

と滝沢は『僕』に言います。

そう、入賞を目指して頑張ってきたバレエコンクールの成績は優勝でした。

8年のキャリアを持つ真奈のプライドを傷つけ、

さらにバレエを頑張ってきた女の子達を押しのけて得たこの成績は、

大勢の人の注目を浴びることになり、

様々なメディアの取材など『僕』は一躍有名人になってしまいました。

そして、コンクール優勝者が出たクラッシックバレエ部は

様子を見ていた生徒達が大勢入部したために一転存続が決定となり、

さらに、『僕』の姿を見てバレリーナを目指すという男子が僅かですが入部してきたのです。

一方、『僕』は…

「バレエ留学か…」

コンクール優勝の副賞として得た思いがけない権利の前に僕は臆しましたが、

でも、折角のチャンスです。

思い切って行ってみたいと思います。

バレリーナとなるからには目指すはプリマです。

大勢のバレリーナ達を従えて真ん中で踊るプリマバレリーナ。

それがバレエの道を歩むことになった『僕』の夢なのです。



おわり