風祭文庫・バレリーナ変身の館






「虜」



作・風祭玲

Vol.604





コッコッ!!

コッコッ!!

満月の明かりが差し込む夜の回廊にトゥシューズの音が響き渡る。

コッコッ!

コッコッ!

響き渡るその音は次第に音が近づいてくると、

ハァハァ

ハァハァ

回廊の奥より純白のクラシックチュチュを身に着けた一人のバレリーナが姿を見せた。

ハァハァハァ

髪をシミョンにまとめ上げ、

その髪の左右につけられた羽飾りとティアラをキラキラと輝かせながら、

バレリーナは走る。

そして、走りながらチラリと回廊の窓の外へと視線を向けたとき、

「………」

そこにはいつも居るはずのあの者は居なかった。

「いまだ…」

透き通るようなルージュが引かれた唇がかすかに動き、

バレリーナの表情に笑みが浮かび上がると

「今夜こそ、ここから逃げてやる」

メイクが施された顔には似つかわしくない言葉がその口から漏れた。

コッコッ

コッコッ

トゥシューズの音を響かせバレリーナはさらに走ると、

大きなホールへと飛び込み、

それと同時に正面に大きな扉が姿を見せた。

「あと少し…」

その扉めがけてバレリーナは走るが、

そのとき

フワッ!!

突然、その行く手に黒い人影が姿を現し立ちはだかる。

「ロッドバルト…」

まるで悪魔を思わせるその人影を見るなりバレリーナは立ち止まり

その者の名前を叫ぶと、

「ふふふ…どちらに向かわれますかな?

 オデット姫」

黒ずくめの衣装を身に着け、

つりあがった目、

耳元まで裂けた口をかすかに開き

ロッドバルトと呼ばれた悪魔はバレリーナにそう尋ねた。

「そこをどけ、

 きっ、今日こそはここから出てやる!!」

悪魔に向かってバレリーナはそう叫ぶと、

「ほぅ、これはこれは

 どういう気まぐれですかな?」

と余裕の笑みを浮かべながら悪魔は尋ねる。

「気まぐれ?

 いや、俺は本気だ、

 もぅいやだ、

 俺はここを出て普通の男に戻るんだ。

 さぁ、痛い目にあわなければそこからどけっ」

その言葉にバレリーナは細い腕を構え強い口調で悪魔に言う。

「ふふ…痛い目ですか…

 面白い…」

悪魔は笑みを浮かべながらそう呟くと、

スッ

っと歪に関節が盛り上がった指を高く掲げた。

「くそっ」

その手を見ながらバレリーナは噛む。



それは一月前のことだった。

「はい?」

夜の道を歩いていた武は誰かに呼ばれたような気がすると、

その場に立ち止まって振り返った。

「あれ?」

自分以外誰もいないその様子に武は首をひねり、

再び歩き始めるが、

すると、

『武…くん』

また耳元で誰かが武の名前を囁いた。

「ヒッ!!(お化け?)」

あまりにもリアルに響いたその声に

高校2年の武は持っていた空手着を抱きしめ、

「うわっ!」

年甲斐もなく悲鳴を上げて走り出してしまった。

『ふふふ…』

『あははは…』

女と男の声が混ざったような笑い声が

逃げる武の周りをまとわりつき、

なかなか離れない。

「ひぃ…」

まるで導かれているかのように武はあるところへと向かって行くと、

やがて、その視界にまるで待ちかまえていたかのように

扉を開けている建物が目に入った。

「しめた」

それを見たとき、武は直感的に自分の幸運さに喜びながら、

そこが何であるか確認しないままに飛び込んでしまうと、

バタン!!

開いていた重厚なドアを自ら閉める。

すると、

「…………」

あれほど武を追いかけ回していた声はドアを閉めた途端、

聞こえなくなり、静寂が武を包み込んでいた。

「はぁはぁはぁ

 はぁはぁはぁ

 いっ行ったか?」

重厚そうなドアに耳を当て、

武はあの声がまだ響いているか確かめる。

すると、

ポロン…♪

暗闇の中にピアノの音色が響き渡り、

ポロン…♪

ポロン…♪

ある曲を奏で始めだした。

「うわっ」

突然響き渡ったその音に武は飛び上がるが、

しかし…

「これって…

 聞いたことがある…」

響き渡る曲への恐怖心よりも、

逆に曲への好奇心が増した武は

ポト…

手にしていた空手着をその場に置き捨て、

まるで曲に導かれるようにしてに建物の奥へと向かって行った。

そして、窓から月の明かりが照らし出す回廊を進み、

その先に見えてきたドアの前に立ったとき、

ポロン…♪

流れる曲はそのドアの向こうより流れ出ていた。

「この奥か…」

武は意を決するとおもむろに手を伸ばし、

カチャッ

閉じていたドアを開けた。

すると、

ピタッ!

ドアが開くのと同時に流れていた曲が止まり、

キィ…

武は音一つ響かない部屋へと入っていった。

「ここは…」

武が通っている空手道場の倍近くはあると思える広大な部屋に武は驚くと、

キラッ

磨き上げられた木の床と壁一面に貼られた鏡が武に向かって静かに光を放つ、

すると、

ポロン…

『ようこそ、

 姫…』

突然、ピアノの音色が響くのと同時に、

地の底より湧いてくるような声が響いた。

「うわっ」

その声に武が飛び上がると、

フッ!

いきなり武の目の前に一人の男、

いやっ男と言うより悪魔と言った方が合うものが姿を現した。

「なっなんだ」

つり上がった目、

左右から角のようなモノが突き出す頭、

そして、暗黒を思わせる衣装…

それをとってもこの世のモノでないと思える悪魔はじっと武を見つめたのち、

スッ!

まるで武を歓迎するかのように右手を胸に、

左手を後ろに流すして腰を前に倒す挨拶をする。

そして、

「お待ちしておりました、

 私のお相手をお願いいたします」

と言うなり、

パチン!!

指を鳴らした。

すると、

ザワザワザワ…

チュールの音を立てながら

白いチュチュを身に着け無表情のバレリーナ達が

武が入ってきたドアより次々と入って来ると、

「うわっ

 くっ来るな!!」

驚く武に向かって勢揃いしたバレリーナ達は一斉に手をさしのべる。

その様子に武は後ずさりすると、

『フフフフ…』

悪魔の手が武の両手を持ち上げ、

それと同時に無表情のバレリーナたちはたちまち取り囲むと、

ザッ

一斉に舞い始めた。

「やめろっ、

 離せ!」

悪魔の手を払おうとしながら武は叫ぶと、

『さぁ、姫、

 お召し替えを…』

と悪魔が耳元で囁く、

すると、

シュルシュルシュル…

暴れる武の足下から白く輝く糸のようなモノが吹きだし、

瞬く間に武の足にからみつくと、

シュルンシュルン

武のズボンの中へと潜り込み、

その中で足を覆い始めた。

「ひっ!!」

その模様に武は悲鳴を上げると、

『ふふふ…』

悪魔は只笑うだけでなにも言わず、

じっと武を見ている。

すると、

「あっ

 いやっ
 
 あんっ
 
 なんか…」

糸に足を覆われた自分の足から伝わってくる違和感を武は訴えるが、

それにも悪魔は応えなかった。

そして、

シュルンッ

股間を覆い尽くした糸はさらに武の上半身へと向かい、

瞬く間に武の胸まで覆うと、

シュルンシュルン

シュルンシュルン、

その場で複雑に編み始め、

やがて布となると、

キュッ!

武のウェストを締め上げ、

ヒップを覆う。

「あっあぁ

 なに?
 
 これ…
 
 きっ気持ちいい…」

締め上げられたウェストに括れを作り上げながら武は喘ぐと、

『ふふっ

 その顔もとても素敵ですよ、
 
 オデット姫…
 
 さぁ、もっと美しくしてあげましょう』

と囁きながら唇を合わせた。

その途端、

ズズズズズ!!!

武の身体から何かが吸い上げられ、

代わりに別の何かが注ぎ込まれた。

すると、

ムリッ!

武の身体にさらに大きな変化が現れ、

プルン!

彼の胸にあるはずのない二対の膨らみが姿を現し、

糸が作り上げた衣装を下から持ち上げると、

同時に、ヒップがさらに膨らみ始め、

ササッ

ササッ

チュールのスカートが伸び始めた腰を妖美に魅せる。

「あっあっあっあぁぁぁぁ…」

悪魔に抱かれながら武は変身してゆくと、

『ふふっ
 
 そろそろいいだろう、
 
 さぁ見るがよい、
 
 自分の姿を!!』

そう悪魔は声を上げ、

クルリ

と鏡がある壁に向きを変えた。

すると、

「!!っ」

そこに映し出されたのはこの世のモノとは思えぬ悪魔に抱かれている、

純白のチュチュに身を包んだバレリーナであった。

「うそっ」

それを見た途端、武の目は大きく見開いた。

『私の名はロッドバルト!!

 さぁ、オデットよ、

 今宵からお前は私の相手だ、

 踊り明かそうぞ』

と悪魔は言うなり、

コッ!!

トゥシューズは履かされている武の足を床に置き、

そして、再び流れ始めたピアノの曲に合わせて踊り始める。

「あぁ…

 そんな…
 
 なんで、バレエを…
 
 いやっ
 
 離して、
 
 帰して」

悪魔ロッドバルトにリードされ、

チュールのスカートを揺らしながら、

トゥシューズの音を奏でながら武は舞い踊り、

そしてバレリーナへとなっていった。



「さぁ、どけっ」

自分がバレリーナにされた時のことを思い出しながら

武はロッドバルトを睨み付けながら怒鳴るが、

『ふふふ…』

ロッドバルトは余裕の表情で見下ろすと、

『さぁ、姫、

 わたしと踊りましょう』

と言うなり手をさしのべる。

「だっ誰が踊るものかっ!」

その手を叩きながら武は怒鳴るが、

ポロン…

ピアノの音が響き渡ると、

スッ…

「あっあぁ…」

まるで、見えない糸で操られているかの如く、

武の手足が上がりはじめると、

コッ!

武はロッドバルトの前でバレエを踊り始めだしてしまった。

『ふっふっ

 そう、

 お前はバレリーナだ、

 白鳥の姫だ、

 さぁ、

 今宵もわたしと共に踊ろうぞ』

「いっいやだ、

 バレエなんて踊りたくない

 誰か、
 
 たっ助けてくれ!!!」

閉鎖され、廃墟となったかつてのバレエ学校。

その廃墟の中で武は今夜もバレエを踊っていたのであった。



おわり