風祭文庫・バレリーナ変身の館






「トゥシューズ」



作・風祭玲

Vol.443





ハァハァ

ハァハァ

ハァハァ

タッタッタッ!!

そのとき、僕は夜の街を疾風の様に駆け抜けていた。

「やった、

 ついにやった…」

夜空の下を全速力で駆け抜けながら

僕は心の中で幾度もその言葉を呟くと、

そんな僕の手の中には一足のトゥシューズが握られていた。



それはほんの10分前のことだった。

「お疲れさまでーす…」

「はいっ、お疲れ様」

挨拶の声を残してそのバレエ教室から生徒と教師の女性が出て行った後、

僕は無人となったバレエ教室の建物に忍び込むと、

ついさっきまでここでレッスンをしていた少女達の汗の香りが漂う中を

目的の場所である更衣室へと足早に向かっていった。

そして、更衣室と書かれた札がかかるドアを開けると、

さらに強い汗の香りと共にずらりと並んだロッカーが目に入った。

そして、更衣室に入り込んだ僕はある名前を探しながら一つ一つロッカーを見て回り、

ついに、”大海夢子”というネームプレートが掛かるロッカーを見つけ出すと、

僕は激しく脈打ちはじめた心臓を宥めるかのように手を伸ばし、

そして、思い切ってロッカーを開けると、

キラッ!!

そのロッカーの中に一足のトゥシュースが静かに置かれていたのであった。

「あった!!」

ゴクリ!!

そのトゥシューズを僕がは凝視しながら恐る恐る手を伸ばすと、

ギュッ!!

トゥシューズを握り締めると一気に手元に寄せる。

そして、

「これが

 これが
 
 あぁ、夢子さんのトゥシューズ…」

そう呟きながら僕はトゥシューズを抱きしめると、

気づいたときには夜の街を走っていたのであった。



大海夢子…

百合華女学園の2年生、

僕が彼女のことを知ったのは、学校帰りの電車の中だった。

スラリと伸びた首周りに小さな顔、

そして、細い腕と姿勢の良い立ち姿…

そんな彼女の容姿を一目見たとき、

僕は彼女がバレリーナであることを見抜いた。

そして、僕の降りる駅で彼女も降りたので、

つい僕は彼女の後をつけてしまっていた。

そして、彼女がこのバレエ教室にレッスンに通っていることや、

偶然見たバレエ雑誌の特集記事から、

彼女が期待のバレリーナとして注目を浴びていることなども知り、

僕はますます彼女に惚れ込んでしまっていた。

そして、その思いが高じ

今日、僕はそのバレエ教室に忍び込んでしまったのであった。

別に悪戯をする気は無かった、

ただ、夢子さんの汗の香りがするものが欲しかっただけだった…



ハァハァハァ

途中の公園に駆け込んだ僕は、

表通りから影の位置にあるベンチに腰掛けると、

これまで抱きしめてきたトゥシューズを改めて見た。

「これが夢子さんのトゥシューズ」

そう呟きながらシゲシゲと眺めるトゥシューズは

これまで履き続けてきたためか

すっかり草臥れていて、

トゥシューズ特有の輝きはすっかり失せていた。

でも、僕にとってはこうして夢子さんの香りがするものを持っているだけでも幸せだった。

「あぁ…夢子さんが僕の胸に…」

そんなことを思い浮かべながら改めて抱きしめていると、

『ふふ…』

どこからか、女性の安堵するような、

そんな笑い声が聞こえてきた。

「え?

 見られていた?」

サァー

その声と同時に僕の顔から一気に血の気が引くと、

慌てて周囲を伺うが、

しかし、この公園には僕以外人影はなく、

誰の気配もして来なかった。

「(だっ誰?)」

周囲を窺いながらそう思っていると、

『ふふ、ここよ

 ここ…』
 
再び女性の声が響いた。

「え?

 どっどこ?」

2度も響いたその声に僕は全神経を集中させた時、

『あたしはココよ』

っと僕の胸元から声が響き渡った。

「え?」

その声に僕は改めて胸元で抱きしめていたトゥシューズを見ると、

『はじめまして』

なんとトゥシューズから声が響いたのであった。

「うわっ!

 とっトゥシューズが喋った」

とても信じられないその事態に僕は悲鳴を上げると、

『あらあら、

 そんな声を上げては人が来るわよ、
 
 ふふ、
 
 あなたね、あたしを盗み出したのは』

トゥシューズは僕に話しかける。

「うわっ

 ごっごめんなさい。
 
 すっすぐに返しに行きます」

思わず僕はトゥシューズに向かって謝ると、

慌てて腰を上げようとした。

すると、

『ううん、

 違うの』

トゥシューズは僕を引きとめ、

『あそこから連れ出してくれて感謝しているのよ』

と僕が盗んだことに感謝するセリフを言う。

「感謝?」

『えぇそうよ、

 あたし、
 
 これまで頑張ってきたのよ、
 
 あの子のため、
 
 あの子の夢のために、
 
 必死で尽くしてきたわ

 どんなに激しいパでも
 
 どんなに辛いアラベスクでもあたしは彼女の足を守ってきたのよ、

 でもね、
 
 もぅお払い箱なんだって、
 
 頭にきちゃう、
 
 誰のおかげで真ん中を踊れるようになったと思うのよ、
 
 誰のおかげでバレエが踊れるようになったと思うのよ、
 
 それなのに、
 
 痛みが酷くなってきたとか、
 
 柔らかくなってきたとか言ってさ』
 
「そっそうですか…」

『そうよ、

 そうしたら今日、あの子ったらあたしを使ってくれないのよ、

 これまでは必ず、
 
 ”今日もお願いね”

 ってあたしに声を掛けてから足を入れたいたのに、
 
 なぜか今日に限って全然鞄から出してくれなくて
 
 いやな予感がしたわ』

「はぁ」

『で、見たのよ、あたし、

 なかなか出してくれないものだからこっそりと、
 
 すると、あの子の足には新しいピカピカの新入りがしっかり履かれていたのよ、

 もぅそれを見たら、泣きたくなっちゃったわ

 あんな、外国生まれの新入りの奴にあたしは…

 あたしは負けたのよ!!』
 
「そっそれは…(仕方の無いことでは…)」

泣き咽ぶトゥシューズに僕はそう思いながらも、

そのことは口には出来なかった。

『だから、ねっ

 あなたには感謝しているわ
 
 あのまま、ロッカーに置かれていたら
 
 あたし、明日にはゴミ箱送りになっていたのよ、
 
 うん、
 
 感謝しているわ』

「そうですか」

盛んに感謝の言葉を告げるトゥシューズを見下ろしながら、

「(参ったなぁ…

  どうしようこれぇ…
  
  夢子さんのトゥシューズを夢子さんだと思って手元に置こうと思っていたのに

  これじゃぁ、もって帰れないよぉ)」
 
僕は困惑し、

そして、どうやって手放そうかとそのことを考え始めていた。

すると、

『ねぇ』

トゥシューズが僕に話しかけてきた。

『あたしを救ってくれたお礼に何かしてあげたいんだけど、

 見ての通りあたしって、トゥシューズでしょう。
 
 バレエを踊ることしか出来ないんだけど…』

「いや、別に良いですよ、

 そんなに気を使ってもらわなくても」

突然のトゥシューズからの申し出に僕は困惑しながら返事をするが、

しかし、

『いいえっ

 そう言うわけにはいきませんわ
 
 そうだ、
 
 ねぇ、バレリーナになってみない?
 
 うふっ
 
 あたしと組んであたしを見捨てたあの子を悔しがらせましょうよ』

「えぇ!!」

『大丈夫、

 あたしに任せて!!
 
 行くわよ、
 
 それっ!!』

ヒュン!!

トゥシューズは僕をバレリーナにするようなセリフを言うと、

掛け声と共に僕の手から消えてしまった。

「うそっ

 きっ消えた?」

まさにかき消すように消えてしまったトゥシューズに僕は驚いていると、

ギュッ!!

「痛い!!」

いきなり僕の両足に締め付けるような痛みが走った。

「え?

 なにぃっ!?」

僕の足を襲った痛みに僕は下を向くと信じられない光景に目を見張る。

ギュゥゥゥ…

いつの間にか僕の足には靴ではなく

さっきまで手の内にあったトゥシューズが履かされ、

くすんだローズピンクの光沢を発していた。

「え?

 え?
 
 えぇ!?」

ピッチリと僕の足を包むトゥシューズに僕が驚いていると、

『驚くのはまだ早いわ、

 さぁ、
 
 バレリーナにしてあげるわ』

僕の足を包み込んだトゥシューズはそう告げた途端、

ジワッ!!

僕が履いていた靴下が見る見る薄地の白いバレエタイツへと変化していくと、

脚を覆いながらさかのぼり始めた。

「うわぁぁぁ!!

 何だこれぇ!!」

脚が包み込まれていくその感覚に僕は悲鳴を上げるが、

しかし、

シュルシュルシュル

バレエタイツは瞬く間に僕の足を覆い尽くしてしまうと、

ついには

ピチッ!!

っと僕の股間から腰を覆い尽くしてしまった。

「うぇぇぇ

 気持ち悪い!!」

股間を覆うバレエタイツの感触に僕は股間を押さえながら

内股で座り込んでしまうと、

『まだまだ、これからよ』

トゥシューズの声が再び響き渡り、

ズズズズズ!!!

「うっうわぁぁぁ!!!」

履いていたズボンの糸が足の先の方から

一本一本解れるようにしてバラバラに崩れはじめると、

その糸は僕の腰の周りに浮かび上がり、

シュルルルルル

瞬く間に白く染まりながら硬質のパニエへと変化していくと、

シュシュシュシュ…

まるで幾重にも重なる傘のようなスカートとなって僕の腰周りを飾る。

さらに、着ていたシャツも

シュルリ…

腕を覆っていた袖が消え、さらに肩を露出させていくと、

キャミソールのような真珠色の厚手のベストへと変化し

そして、胸周りには羽をあしらった飾りが付きくと、

その中にちりばめられた石が光り輝き始めた。

まさにその姿はバレリーナの衣装・チュチュだった。

「どっどーなっているんだよ」

衣装だけはバレリーナになってしまった僕が悲鳴を上げると、

『ふふ

 驚くのはまだ早いわ』

トゥシューズの声が響くのと同時に

ムリムリムリ!!

突然、僕の胸が膨らみ始めると、

ギュゥゥゥゥ!!

それに反比例するかのように腰回りが絞られ、

その一方でお尻が張り出していった。

「やっいやぁぁ!!」

喉仏が消えてしまった僕の口から女の子の声が上がると、

いつの間にか僕の股間からは男のシンボルが消えてしまっていた。



『もぅ少しよ』

トゥシューズからの声が響く中、

「いやぁぁ

 やめてぇ
 
 バレリーナなんてなりたくない」

すっかりバレリーナと化してしまった僕の口からそんな言葉が飛び出した。

しかし、

『嫌がることは無いわ

 大丈夫、
 
 あたしに任せなさい、

 あの子に負けないバレリーナにしてあげるから』

「やめてぇぇぇ」

シュルシュルシュル

伸びた髪が巻き上げられ、

頭の後ろにお団子が作られると、

サササ…

っと髪に羽飾りが付き、

さらに、濃厚なメイクが僕の顔に施されていく、

そして、それらを感じながら、

「(あぁん、

  夢子さんのトゥシューズなんて盗まなければよかった…)」

と僕は後悔をしていた。



ハァハァハァハァ

夜の公園を照らす灯りにチュチュを光らせながら

バレリーナとなってしまった僕は肩を揺らせながら息をしていると、

『ふふっ

 可愛いバレリーナの誕生ね、
 
 さぁ、お立ちなさい。
 
 これからバレエのレッスンよ、
 
 はいっ』

夜の公園に響き渡るその声に僕はのろのろと立ち上がると、

ゆっくりと方膝を折り、頭を下げる、バレエのお辞儀をすると、

スッ!!

僕は高く足を上げた。



それから半月後…

「はぁ…」

まもなく始まる舞台を前にして

チュチュを身につけ

そしてメイクを終えた大海夢子は浮かないため息をついていた。

「どうしたの?」

「緊張している?」

そんな夢子の様子に周囲の人間が気づくとやさしく声を掛ける。

「うっうん…

 大丈夫よ」

心配する周囲に夢子はそう返事をするが、

しかし、彼女の頭の中には半月前に紛失してしまったトゥシューズのことが離れなかった。

「はぁ

 どこに行っちゃたんだろう…

 あーあたしのバカバカバカ!!」

これまでずっと履き続けていたお気に入りのトゥシューズだっただけに、

夢子にとってその紛失の衝撃からはなかなか立ち直れなかった。

「大海さんっ

 しっかり、
 
 おねがいね」

夢子を育ててきたバレエ教室の先生から励まされ、

「はっはいっ」

頭を切り替えた夢子は新しいトゥシューズの音を響かせ

晴れの舞台へと向かっていった。



そして、僕はというと、

『いぃ

 ここがあたし達の舞台よ
 
 さぁ、あなたのバレエをみんな見てもらうのよ』

「はいっ」

チュチュ姿で夢子さんの舞台となるホールの正面に立った僕は大きく頷くと、

スッ!!

バレリーナらしくジュッテをしながら向かっていた。

夢子さんの舞台へ向かって…



おわり