風祭文庫・バレリーナ変身の館






「呼び止めたのは」



作・風祭玲

Vol.289





「はいっ?」

不意に呼び止められたような気がして俺は立ち止まると周囲を眺めた。

ヒュゥゥゥゥ

人気のない夜道に一陣の風が吹き抜けていく、

「気のせいか?」

そう思いながら歩き始めると、

『…くん…』

再び声が俺の耳に入ってきた。

「!!っ、誰…?」

振り返って見るが、

しかし、どこにも俺を呼び止めた者の姿はなかった。

「…なんだ?」

ゾク…

言いようもない気味悪さに俺の背筋が寒くなると

まるでそれを見計らったように、

フワリッ

フワリッ

と道路上をまるで白い綿帽子のようなモノが

静かに舞っている姿が俺に目に飛び込んできた。

「でっ出たぁぁぁ!!」

それを見た俺は思わず腰を抜かすと、

『ねぇってば…』

ハッキリとした少女の声が響き、

ストン

白い衣装に身を包んだ少女が俺の目の前に降り立った。

「うわぁぁぁぁ!!」

あまりにものの唐突さに俺は悲鳴を上げると、

『(クス)そんなに驚かなくてもいいじゃない』

少女はそう笑いながら俺がよく見えるように顔を見せる。

「え?」

彼女の姿を俺はシゲシゲと眺めると、

少女は真珠色に輝く肩を露出させたキャミソールのようなベストと

傘のように大きく横に広がった形のスカートを身につけ、

脚の全体を覆う白いタイツが彼女の美しさをさらに引き立たせていた。

「なっなっ…」

少女を指差し、

俺は声にならない声を上げていると、

『ふふ…』

少女はシニョンにまとめ上げた髪の毛と

その髪の毛を包む込むように羽の飾りに手をやりながら小さく笑い、

スッ

っと足先を包むピンク色をした靴で爪先立ちで挨拶をした。

そして、

『四條君、さがしたわ、迎えに来たわよ』

と俺に告げた。



「迎えに…でも、彼女…どこかで…」

俺は少女の顔を見ながら

以前、彼女とどこかで会っていたような感じがしていると、

『さぁ、あたしと一緒に来て…

 もぅすぐ舞台の幕が上がるのよ』

と言いながら少女が俺に手を差し伸べると俺の手を握りしめた。

その瞬間、

グワッ!!

周囲の景色が勢いよく一回転したと思ったら、

トッ

いつの間にか俺は周囲に鏡が張られたフローリング張りの床の上に立っていた。

「!!っ

 ココは?」

突然変わった景色に俺は混乱していると、

『うふふふ…思い出した?』

と少女は俺に言う。

「思い出す?」

『そう、四條君があたしと約束…

 あたしはそれで迎えに来たのよ』

「約束?

 何か約束をしたっけ?」

彼女の言葉に俺は聞き返すと、

『そうしたわ…

 ただ、あなたはいまそれを忘れているだけ…』

少女は俺の顔を見ながらそう告げた。

「約束…ねぇ」

そのようなコトがあったかと俺が首を捻ると、

『そう……

 それでは思い出させてあげましょう』

と少女が俺に告げた途端、

パァァァァ!!

俺の周りは光に包まれた。



……パン、パン、パン!!

「はいっ、

 アン・ドゥ・トワァ!!」

広いレッスン室に手拍子と共に女性の声が響き渡る。

ハァ…

ハァ…

その手拍子に合わせてレオタードに身と包んだ少女が

水を被ったような汗をかき必死になってレッスンをしていた。

「はいっ、どうしました?

 動きの線が崩れてきてますよ」

少女の動きを女性はそう指摘すると、

「はい…」

少女は身体を持ち直すと踊り続ける。

しかし、

さすがに少女も体力の限界を越えたらしく、

「あっ」

と言う声を残してまるで脚が縺れるようにして倒れてしまった。

「仕方がないですね、15分休憩します」

肩で息をする少女に女性は冷たくそう告げると、

彼女一人をレッスン室に残して去っていってしまった。

クスン…

少女はその場で泣き始める。

すると、

「これじゃぁ、まるでシゴキだなぁ…」

と言う声と共に、

「よっ!!」

一人の男子が開けられていた窓から顔を出した。

「(きゃっ)誰?…」

突然の少年の登場に少女は驚くと、

「怪しいモンじゃないよ、

 お前…二階堂愛だろ、

 俺は四條篤っていって、

 5年3組、そう二階堂と同じクラスさ」

と彼は自己紹介をした。

「四條?」

そう言われて少女は必死になって思う出そうとすると、

「いいよ、ムリをしなくても…

 二階堂…お前あんまり学校に来てないだろう?

 だから、先生が様子を見てこいってな、

 で、近所に住んでいる俺がこうしてきたわけ…

 あっ言って置くがちゃんと呼び鈴は押したぞ、
 
 でも、返事も何もないからちょっとな…」

少年は片目を瞑りながらそう言うと、

「そうなんだ…迷惑掛けてゴメンね」

立ち上がった少女は少年に礼を言う。

「なにもお前が謝ることないだろう

 それにしても自分家にこんな部屋があるなんて凄いな」

レッスン室を見回しながら少年はそう言うと、

「うん…もぅすぐ発表会だし

 それにあたし、みんなに期待されているから」

と少女は小さく言う、

「そうなんだ、

 でも…学校に来なくて良いのか?」

少年の問いに少女は黙ってしまうと、

ガタン!!

レッスン室に誰かが戻ってきた音が響き渡ると、

「あっありがとう、心配してくれて」

少女が少年にそう言うと、

「おっおぉ!!」

その声を残して少年の姿は窓から消えた。

「愛ッ、誰か居るの?」

と言う声と共に女性がレッスン室に入ってくると、

「ううん…窓の所に猫が居たから…」

レッスンをする素振りをしながら少女はそう返事をした。



それから、少年と少女との窓越しの交際はつづいた。

結局少女は殆ど小学校には行かずに卒業し、

そして、中学校に進んだが

しかし、学校に行くことはあまりなかった。

「なぁ…

 そのままでは愛はバレエしかできないバレエ人形になってしまうぞ」

中学生になった少年は少女にそう言うと、

「うん…でも、あたしママの期待を裏切ることは出来ないよ」

バーレッスンをしながら少女はそう答えるが、

「それにしてもねぇ…」

少年は頬杖を付きながらため息を吐く、

そして、ふと、

「超能力かなんかで俺と二階堂が交代できたら良いのなぁ…」

と呟くと、

チラッ

少女は少年の方に視線を送ると、

「そうねぇ…そんなことが出来たらいいね…

 そうだ、

 ねぇ、出来るようになったら、

 あたしと身体を交換してくれる?」

少女のその言葉に、

「あぁ、いいよ」

少年は笑みで答えた。

すると、

「ふぅ〜ん、そう言うこと?」

突然響いたその声に少女と少年がハッとすると、

レッスン室の入り口の所に腕組みをしながら少女の母親が立っていた。

「ママ!!」

少女が思わず叫ぶが、

「まったく、

 なかなか愛が上達しないからもしやと思っていたけど…」

母親はそう言いながら少年の方へと近づいていくと、

「ママ、やめて!!」

少女は母親の脚に縋った。

「離しなさい!!」

母親は少女を足蹴にしながらそう叫ぶと、

「やめろ!!」

その様子を見た少年は思わずそう叫んだが、

しかし、

「逃げて!!お願いだから…」

少女のその言葉に押されるようにして少年は逃げ出してしまった。

そして、その出来事の数日後、

少女は母親に連れられるようにして街から姿を消してしまった。



「…そうだった…」

思い出した俺の口からその言葉が漏れると、

『ふふ…

 こうして会えたのは何年ぶりかな』

少女・愛は俺に向かって呟く、

「じゃぁ…ココは…」

俺は周囲を振り返りながらそう尋ねると、

『そう…ココはバレエのレッスン室よ…』

と愛は俺に告げた。

「って、約束ってまさか…」

俺は愛にした約束のことを問いただすと、

『うふっ

 でもね、あたし…自分の身体を無くしちゃったから…』

愛は寂しそうにそう言うと、

「無くしちゃった?」

俺は思わず聞き返した。

『うん…

 発表会の前の日にね、事故で…

 だからホラ…あたしって昔のままでしょう?』

愛はそう説明すると、

一瞬、

ユラッ

彼女の姿が揺らぐと半透明になる。

「おっおいっ…」

その様子を見た俺は思わず声を上げると、

『悔しかった…

 あんなに頑張ってレッスンをしたのに…

 だけど…ね、

 あたしにはまだ篤君の身体がある…』

愛は俺を見ながらそう言うと、

ユラリ…

と近づいてきた。

「まっ待てよ…

 俺の体をどうするんだよ」

俺は一歩一歩下がりながらそう訊ねると、

『あたしに…その身体貸して…』

愛は俺に向かってそう答えるなり、

フワッ

っと覆い被さってきた。

「ばかっヤメロ!!」

俺は思いっきり抵抗をしたが、

スッ!

愛の手が俺の腕の中に入り込むと、

ミシミシミシ!!

見る見る日に焼けた俺の手は、

細く白い女の手へと変わり、

さらに、

彼女の脚が入り込んだ俺の脚も穿いていたズボンが消え失せ、

代わりに白いバレエタイツとピンク色のトゥシューズを履いた脚へと変わってしまった。

『あぁ…

 あたしの手と脚が…』

その様子を見ながら愛は悦びとも取れる言葉を漏らす。

その一方で。

「やめろぉ!!」

俺は藻掻きながら動かなくなってしまった手足を使ってこの場から逃げ出そうとする。

ミシミシ…

そうしている間にも俺の上半身にはあの白銀に輝くバレエの衣装が姿を現し、

スルスル…

パニエのスカートが伸びると、

その一方で、細く変化した括れを

膨らんでいく胸をベストが華麗に表現する。

「あ・あ・あ」

喉仏が消え、

まるで少女のような声を俺が上げ始めると、

『ふふ…

 あたしの新しいからだ…』

愛は俺の手を動かしながらそっと俺の頬を撫でると、

スルスルスル…

すっかり長く伸びた髪がシニョンに結い上げられて行った。

そして、

羽根飾りとティアラが結い上げられた髪を飾り終えると、

『さぁ、貸して貰うわ』

愛は俺にそう告げると、

メイクが終わりルージュが引かれた俺の唇に軽く唇を重ねた。

「あぁぁぁぁぁっ!!」

その声の残して俺の記憶はそこで終わってしまった。



すべてが終わり、

静まりかえったレッスン室で一人のバレリーナがゆっくりと立ち上がりながら

「ねぇ、これで良かったの?ママ…」

振り返りながら尋ねると、

「それで良いのよ…」

と言う声と共に彼女の母親が姿を現した。

そして、

「さぁ、愛っ

 あなたのその新しい身体があなたのモノになるまでレッスンよ」

と告げると、

「はいっ」

コトッ!!

トゥシューズを鳴らしながら、愛はレッスンを始めた。

1羽の白鳥となって舞台の上で華麗に舞う日を夢見ながら…



おわり