風祭文庫・バレリーナ変身の館






「継ぐ者」



作・風祭玲

Vol.175





「ふぅ…」

開業したばかりの地下鉄の電車を降りると、

私は出口へと続くエスカレータを幾本も乗り継いで地上へと向かった。

「これじゃぁタクシーで来れば良かったなぁ…

 全く最近の地下鉄は深くなるばっかりで、全然便利じゃないぞ」

などと文句を言いながら自動改札を抜けると

私の目の前に閑静な住宅地が広がった。

「えぇ…っと」

地図を見ながら住宅地を歩いていくと、

やがて”山中バレエ団”と書かれた看板が立つ建物が見えてきた。

「ここだな…」

私は地図を懐にしまうと、

キッ…

ドアを開けながら、

「ごめんくださいーぃ、××出版の高瀬ですが…」

と声をあげた。

すると、人気のない部屋の奥から

トゥシューズの音を響かせながら一人の白鳥姫が姿を現した。

真珠色のクラシックチュチュを身につけメイクを施した彼女が、

「高瀬さんですね、お待ちしていました」

と舞台挨拶のポーズをしながら私に挨拶をすると、

「あっ…高瀬ですが…」

私は驚きながら彼女の挨拶をした。

彼女は私の表情を見ながら、

「…あぁ、コレですか?

 実はもぅスグ舞台ですので…それで…」
 
そう自分を指さして説明すると、

「さっどうぞ…」

と私をスタジオの中へと案内した。

彼女の名は百道政子…

23歳になったばかりでありながら、

既にローザンヌのコンクールなど国内外の数々の賞を総なめにし、

常に高い評価を得ている天才バレリーナである。

一方、私はとある週刊誌の記者で、

今日は彼女の取材でこのバレエ団に伺っていたのであった。



「他の方は居ないんですか?」

人気のない様子に私が訊ねると、

「えぇ…何故か今日はポッカリと空いてしまって、

 それで私が思う存分使わせてもらっれいるんです」
 
私の横を歩く彼女はそう答えると、

レッスン室の隣にある応接室に通された。

そこで私は自分の名刺を彼女に差し出すと早速インタビューを開始した。

私の質問に彼女はハキハキと答え、

インタビューは順調に進んでいった。


話を進めていくウチに私は彼女は徐々にうち解けて

インタビューとはあまり関係ない話までもいつの間にかしていた。

そのとき、私の頭の片隅に彼女に纏わるあるウワサのことが、

徐々に頭をもたげて来ていた。

しかし、私はあえてのそのウワサのことは口にしなかった。

そして、一通りのインタビューが終わると、

「お忙しいところ、どうもありがとうございました。

 今度の舞台楽しみにしています」

私はそう言って腰を上げようとすると、

「あの…」

彼女は何か意を決したような表情で私に声をかけた。

「はい?」

私は思わず聞き返すと、

「ちょっと…あの…

 …あたしの話…聞いていただけますか」

と彼女が言う。

これは、何か面白いことでも聞けるのかと期待して、

「えぇ、良いですよ」

私はそう言うと上げ掛けた腰を戻すとイスに座り直した。

そして、私が落ち着いたのを見計らうようにして、

「…実はあたし………

 あっこれは高瀬さんにだけには知ってもらいたくって言うんです」

と彼女が切り出すと、

「それは光栄です」

私はそう返事をした。

すると、彼女はレッスン室の窓を見上げながら、

「…実はあたし……中学校の頃まで男の子だったんです」

と呟いた。

「え?」

私は一瞬自分の耳を疑った、そして

「まさか…あのウワサは本当だったのか?」

瞬時に思った。彼女はさらに続け

「…簡単には信じてもらえないと思いますが、

 あたしは中学2年の頃までは男の子だったんです、
 
 ちゃんと学生服着てね…」

彼女はそう言いながら手で学生服のジェスチャーして見せた。

「高瀬さん…

 私の母がバレエ団のプリマバレリーナだった事はご存じですよね」

彼女は私の顔を見つめてそう尋ねてくると、

「えぇ…確か…有名なバレリーナでしたよね、

 9年ほど前に行方不明になった。と記憶していますが…」

そう私は答えると、

「はい、母が行方不明になったのは私が中学の2年生の時でした」

「中学2年?…あなたがその…女性になったのも同じ?」

と私が訊ねると、

彼女は静かに頷きそして、

「実は母にはある呪いが掛けられていたんです」

と答えた。

「呪い?」

「はい……

 …実は母は私を妊娠した時に、
 
 ”子供を取るか”、”バレエを取るか”で悩んだそうです。
 
 そして、母が下した決断は自分の跡を産まれてくる子に託すことにして
 
 舞台を去りました。

 しかし、生まれてきた私が男の子だったために、
 
 母の落胆ぶりは父も心配するくらいだったそうです。

 ですから赤ん坊だった私に母は自分の舞台写真を見せながら、

 ”おまえが女の子だったらねぇ”

 といつもため息をついていた。と聞かされました。

 ですので一旦は舞台から去る決意をしていた母は、

 私の手が掛からなくなった頃、再び舞台復帰を目指しましたが、
 
 しかし、出産と子育てによるブランクは大きく、

 母が再びプリマの座を得るには並大抵のことではなかったそうです」
 
「それは大変だったんですね…」

彼女の話に私がそう言うと、

「そのとき母は舞台復帰をするために

 ある魔術師を通じて悪魔と契約をしたそうなんです」

「悪魔?契約?」

「えぇ、その契約とは悪魔から舞台に復帰するだけの力を得る代わりに

 年に1度その悪魔の前でバレエを踊ってみせることでした」

「悪魔?…まさか…?

 俺を引っかけてるのか?」

私は彼女の言葉を半信半疑で聞いていた。

「容易には信じられないと思いますが

 しかし、母は周囲の人が驚くスピードで
 
 プリマバレリーナとして舞台に復帰する事が出来ました。
 
 そして、毎年1回その悪魔の前でバレエを踊っていたそうです」
 
「………」

私は返す言葉がなかった。

彼女はさらに話を続け、

「一方で母は生まれた我が子が男の子であるこをを恥じたのか、

 なかなか私に自分の舞台を見せることはなく、

 また私もバレエについての関心はほとんどありませんでしたし、

 父が公演の様子を納めたビデオを私に見せながら、
 
 ”ほら、これが母さんだよ”
 
 って教えてくれるのを、
 
 ”ふ〜ん”
 
 と言う程度にしか思っていませんでした。

 ただ、一度だけ小学校に上がったばかりの頃に
 
 母は私をバレエ団の稽古場に連れていき、
 
 自分達の稽古の様子を見せてくれたことがありました。

 華麗な舞台とは違い、

 色とりどりのレォタード姿の女性達が
 
 懸命に稽古している姿を私が眺めていると、
 
 母が近づてくるなり

 ”どぉ?あの人達みたいになってみたい?”

 と囁きました。

 私は躊躇わずに首を横に振りましたが、

 それを見た母は結構残念そうな顔をしていたのを覚えています。

 いま思えばあれは母からのある種のメッセージだったのではないか
 
 思っているのですが、本当のことは判りません…」

「メッセージ?…

 で、それと、その……性転…」

と私が言いかけると、

「あっその話ですよね、

 それから何事もなく時間が過ぎ、
 
 私が中学2年になったときサッカーの試合中にケガをしてしまったんです。
 
 あっあたし…これでもサッカー部に所属していたんですよ。

 当時はJリーガーになるのが夢でしてね…

 あっすみません、また脱線してしまいましたね」

笑いながら彼女はそう言うと、

「で?」

私はその先の話を聞きたかった。

「大きなケガではなかったのですが

 あたしはレギュラーメンバーを外され、

 それを期に一気に緊張の糸が切れてしまったんですね、

 なんのやる気もなくなってしまって、

 結局部活を辞めてしまったんです。
 
 そしてその頃から、素行が荒れだして…
 
 ついには無免許で乗り回していたバイクで事故を起こしてしまったんです。
 
 病院に担ぎ込まれたあたしの為に母は公演先から急いで駆けつけてくれ、
 
 ずっと看病をしてくれました。
 
 けど、そのときは母は約束を破ってしまっていたんです」
 
「約束?」

「えぇ…悪魔の前でバレエを踊るという…」

彼女はそう言うと視線を下に落とした。

「私が退院した日、母は姿を消しました。

 父はもちろん、バレエ団の方々も母を探しましたが、
 
 いくら探しても母の居場所の手がかりはつかめませんでした。

 で、そしてしばらくしてあたし宛に一つの荷物が届いたんです」
 
「荷物?」

「はい、しかもその送り主を見て私は驚きました。

 なんと、行方不明の母だったんです。
 
 あたしは半分おっかなびっくりで包みを開けると、

 中からピンク色のトゥシューズと白のバレエタイツと共に、
 
 真珠色に輝くこのクラシックチュチュが出てきたんです」
 
「それは行方不明になったお母さんからのバレエの衣装だったの…ですか?」

私が驚きながら訊ねると、

「えぇ…」

彼女は大きく頷いた。

「そして、それらと一緒に一通の手紙が入っていました」

「手紙?」

「はい、その手紙で私は母が悪魔と契約していたことを知ると同時に、

 母が私の看病のために悪魔との約束を反故にしたこと、
 
 そして、これから母は悪魔からその罰を受ける。
 
 と言う内容でした」

「罰?」

「えぇ…母は罰として悪魔によってこのチュチュにされてしまったんです」

と言う彼女の話に

「そのバレエ衣装に?ですか」

私は声を上げた。

「あたしも驚きました。

 母がいま自分の手元にあるチュチュに姿を変えられたなんて
 
 容易には信じられませんでした。
 
 でも、そのとき声が聞こえてきたんです。
 
 獣が唸るような低い声で、
 
 ”お前の母親は私との約束を破ったのでその衣装にした。
 
  もしも、お前が母親に代わって私のためにバレエを踊るのなら
 
  考え直してやっても良い…”

  そして、その気があるのならその衣装を身につけろ…
 
 って”

 って言って来たんです。

 あたしは、あたしのために約束を破ってバレエ衣装にされてしまった

 母を助けるために躊躇わずその衣装を身につけました」

「それで?…」

「するとあたしの体が

 見る見る女の子の身体へと変化し始めたんです」
 
「女の子に?」

「えぇ…部活で日焼けしていた肌は白くなり…

 …身体の線が細くなって…

 …腕も細く、
 
 …背は小さく
 
 …そして胸が膨らんでいきました。
 
 あたしは自分の身体の変化に驚きました。
 
 そして、気がつけばあたしはいつの間にかポアントで立つ、
 
 バレリーナになっていたんです。

 すると再び悪魔から、
 
 ”よし…お前は今日から私のバレリーナだ、
 
  しかし、まだお前を認めるわけには行かない。

  母親を元に戻したければ私に認められるように頑張ることだ”

 と言ってきました。
 
 私は”約束が違う”と言いいかけましたが、
 
 悪魔の言うことに従いました。
 
 だって、反発しても母は元に戻りませんし…」

「じゃぁ、あなたがバレエを踊るのは…」

私はそう言うと、

「えぇ…悪魔に認めてもらうため…でしょうか?」

と彼女は言った。

「いま話したことは、おそらく誰に言っても信じてくれないと思います。

 でも、このトゥシューズ…

 あれ以来もぅ10年近く履いているんですが」
 
と言いながら彼女はひょいと脚を持ち上げると、

私にトゥシューズを見せた。

まるで今日下ろしたてのような真新しいトゥシューズだが、

「これ全然草臥れないどころか、いつまで経っても真新しいまま…

 それはこのチュチュにも言えます」
 
と言いながら彼女は身につけている真珠色のチュチュに手を触れると

「あたし、思うんです。
 
 母はあたしのためにこうして頑張ってくれているんだって…」

彼女はそう言うと愛おしそうに自分自身を抱きしめていた。



帰り道、私はこの話をどう言う形で記事にしようか考えたが、

しかし、このことは私と彼女だけの秘密にしようと思った。



おわり