風祭文庫・アスリート変身の館






「杏の春」



原作・@wolks(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-332





春・4月

桜が満開の季節。

とある街にあるとある高校。

「今日から高校デビューか…」

紺色のブレザーの制服にチェック柄のネクタイを締める

一人の男子生徒がぼそりとつぶやいた。

彼の名前は木之下杏。

そんな彼の目線の中には

同じ紺色のブレザーにリボン、スカートの女性生徒達の制服があった。

「着るなら

 あの制服を着てみたかったな」

彼はつい2年前の4月までは

水泳に励むごく普通の女の子であったが、

たまたま社会見学で訪れていた製薬会社の事故に巻き込まれ、

そのことによって男性へと性転換してしまったのだ。

突然、降って沸いたの女性から男性への性転換。

杏は肉体が男性に性転換してもそれに抗うように

女性でいようと執着してしまったために居場所をなくしてしまう。

さらに、そんな杏に追い討ちを掛けるように、

杏を男性化させるかのごとく男臭い環境へと追いやり、

男のように振舞うことを矯正されてきた。


そんなとき、

杏はファッションデザイナーの卵である女性・西本奈央と出会い。

彼女と打ち解けることで、

自分の進路を少しずつ見出していく。

さらに、人命救助や水泳大会で記録を残したことによって、

想いを寄せていた同級生の幸司と同じ高校に高校に推薦枠で入学したのである。



入学が決まった後の杏はバッサリと切られた髪も少しづつ伸ばしはじめ、

引越しや住居の準備などで忙しいことを理由にして

なんとか肩ぐらいの長さにまで戻した。

そして、一人暮らしをはじめたことで

世間体を気にして女装を禁止していた家族からの監視を受けることなく、

杏は自分の希望通りの生活を始めたのである。



入学式前の廊下は案内に不慣れな新入生達でごった返し、

その中を杏は歩いていく、

しかし、杏の注意は遠くを歩いている女子生徒たちの制服に向けられ、

自分のすぐ近くの状況はあまり把握してなかった。

そして、そのような注意力が散漫しているときに高い確率で起こる事故がある。

「わっ!」

「きゃっ!」

ドタン!

そう、俗に言う出会い頭での衝突事故である。

女子生徒たちの制服に気をとられていた杏は

廊下の角から別の女子生徒が出てきたことに気づくのが遅れ、

その結果、回避行動をとる間もなく

その女子生徒とぶつかってしまったのである。

「痛ったぁ

 ちょっと、どこ見て歩いているのよ!」

「ごっごめん」

見知らぬ者同士の出会いとしては

あまりお勧めできないシチュエーションの中、

杏は尻餅をついてしまった女子生徒に謝るものの、

しかし、非の無い相手からすれば、

攻撃の目標が目の前に居る状況である。

話し合いによる和平か、

それとも互いの戦力を掛けた総力戦か、

現女子vs元女子。

まさに一触即発の最前線に杏は身を投じたのであった。



「あの誰です?

 あなたは…」

突然現れ、

実況中継を始めだした謎の老僧に向かって杏は尋ねると、

「ん?

 コホンっ

 なぁに、ただの通りすがりの者だ、

 気にするでないぞ、新入生よ」

咳払い一つして老僧はそう言い残して立ち去っていく。

「知っている人?」

老僧を見送った杏は女子生徒に尋ねる。

すると、

「馴れ馴れしく人に話しかけないでよ、

 大体、あなたがぶつかってきたからいけないんでしょ」

杏に話しかけられたことに腹を立てたのか、

女子生徒・河田美緒はつっかかってくる。

「あっ、

 いや、

 その」

彼女の剣幕に押された杏は

会話の流れを変えようと、

「あの、河田さん、

 君のその制服、

 かわいいなと思って…」

と彼女の制服を指差した。

その途端。

「ひっ、

 なっなによっ

 この変態っ!

 あんたなんかにそんな事言われる筋合いなんて無いわ!

 けがらわしい」

顔を真っ赤にして美緒は怒鳴ると、

すぐに腰を上げて杏の前から去っていく。

「あっ

 あの…」

美緒の後姿に向かって杏はこれ以上何も言えず。

ただ見送っていたのであった。

まさに最悪の展開・バッドエンドな結末である。



「そんなに言わなくても」

美緒を見送りながら杏は呟いていると、

「心の花がションボリしている子、みぃつけた」

と言う女子の声が響き、

「で、今の気持ちをお聞かせください」

とマイクが向けられる。

「え?

 誰ですか、

 あなた」

自分にマイクを向ける制服姿の少女に向かって杏は問いたずねると、

「良くぞ聞いてくれました。

 みんなが知りたい。

 私も知りたい。

 沼ノ端タイムスの編集長っ、

 増子美代とはこの私…

 あぁちょっと、どこに行くの」

増子と名乗る女子生徒は杏のまで仰々しく自己紹介をするものの、

その途中で杏は逃げ出してしまったのであった。

「貴重な取材先、

 このまま逃がすかっ」

逃げ出した杏を美代はすぐに追いかけえてくると、

「何で追いかけるんですかっ」

逃げながら杏は抗議をする。

「何言っているんです。

 新入生・木之下杏くんっ、

 わたしの閻魔帳によると、

 水泳での中学生・コースレコード保持者であるあなたは、

 この春、期待のホープなんですよ。

 そんな有名人のインタビューを取れなくて、

 編集長は務まりません」

トレードマークのメガネを指で引き上げながら、

美代は杏に迫る。

「期待のホープって、

 そんな」

美代の言葉に杏は立ち止まって視線を逸らすと、

「いいねぇ、

 そういう仕草、

 初々しくて

 さて、君は水泳での推薦を受けてこの学校に入学してきたけど、

 目標はやはりオリンピック?」

と美代は早速取材をはじめだす。

「おっオリンピック?」

彼女の言葉に杏は顔を上げると、

「いえ、そんなのは…まだ何も、

 ただ、幸司君と同じ学校に行けたらと」

とつい志望動機を話してしまう。

しかし、

「幸司…

 幸司…

 遠山幸司、

 君と同じ水泳で推薦の新入生だね。

 なるほど、

 水泳・木之下杏、

 入学早々、遠山幸司にライバル宣言。

 これはいけるぞ!」

メガネを輝かせながら美代は燃え上がると、

脱兎のごとく杏の前から姿を消した。


 
「ライバルだなんて、

 そんな…」

一人取り残された杏は呆然としながら呟くと、

「はぁ、

 この学校に進学したのって、

 間違いだったのかな」

と心情をこぼす。

やがて始まった入学式、

【…と言うわけでありまして、

 なにはともあれ、

 誰一人欠けることなく、

 全員無事卒業の日を迎えられるよう。

 心より期待しております】

演壇に立つ校長からの祝辞をもって式は終了し、

杏達、新入生は各人に割り当てられたクラス編成に従って

各々の教室へと向かっていく、

そして、杏が教室に入ると、

「あっ、

 あの子が木之下君だわ」

数人女子生徒が杏を見つけると声をかけてきた。

「はい?」

突然のことに杏は驚くと、

「君が木之下くんね。

 新聞読んだわ」

「水泳のコースレコード保持者って、

 すごいね」

「遠山幸司君にライバル宣言って本当?」

と次々と質問攻めにしてくる。

「へ?」

彼女達の言葉に杏は驚くと、

「見ろよ、

 アイツが木之下だよ」

「前の中学で水泳をやっていた奴から聞いたけど、

 木之下って3年の奴が大会にいきなり出てきて、

 レコード・タイムを取ったって言っていたぞ」

「じゃぁ、

 マジでオリンピックを狙う気なのか」

「すげーな」

クラスの男子からも杏を一目置く声が響き始めた。

「どうなっているの?」

いきなりの状況の変化に杏は冷や汗を掻きながら、

女子生徒が持っている紙を見せてもらった途端。

サーッ

杏の顔から一気に血の気が引くと、

「ちょっとごめん」

の声を残して教室を飛び出していく。

そして、

「増子さんって方、

 居ますかっ」

の声と共に、

沼ノ端タイムズ編集室に飛び込むと、

「こっこの記事はなんですかっ」

と美代に向かって抗議したのであった。



「なにって、

 君のインタビュー記事でしょう」

この手のことには手馴れているせいか、

美代は落ち着いた口調で返事をすると、

「書いてよいことと、

 悪いことがありますっ」

と杏は抗議する。

しかし、

「わたしが書いた記事は公開されている情報と、

 さっき、あなたにインタービューした情報とを掛け合わせたものよ、

 違うところがあるなら、

 どこが違うのか具体的にお願いします」

メガネを光らせて美代は聞き返してきた。

すると、

「じゃぁ、言わせてもらいますけど、

 遠山幸司君と私が何でライバル関係なんですかっ」

と杏は言う。

けど、

「普通、そうじゃない?」

美代はあっさりと返事をした。

「え?」

「そりゃぁ友情もあるでしょうけど、

 男同士が同じ競技で張り合うってことは、

 普通”ライバル”と言うよね。

 それも、

 君には遠山君への”愛情”でもあるのかしら…

 それはそれで、

 あたしにとっては好都合なんだけど」

驚く杏に向かって美代は興味津々に問い尋ねる。

「そっそんなこと…

 あっありません」

蛇ににらまれた蛙のように、

杏は冷や汗を流しながら否定すると、

「と言うことは、

 この記事は正しい。

 と認めてくれますね」

と美代は杏に迫った。



「はぁ…

 幸司君とライバル関係だなんて…」

教室に戻った杏は自分の席でうなだれていると、

一人の人影が杏の側に立ち、

「木之下杏君って君だったの」

と聞き覚えのある声が降ってきた。

「はい?」

その声に杏は顔を上げると、

朝、杏がぶつかった少女・河田美緒が立っていた。

「河田さん?」

美緒を見上げながら杏は話しかけると、

「美緒でいいよ」

と彼女は返事をし、

空いていた前のイスに腰掛ける。



「あたしね、

 中学のとき、水泳をやっていたの。

 無論、この学校でも水泳部に入るつもりよ」

「はぁ…」

「木之下君も水泳部に入るんでしょ」

「えぇ、まぁ」

「了解したわ。

 それが聞きたかったの。

 そうそう、

 あなたが破ったコースレコードの前の保持者ってね、

 あたしの兄貴だったの。

 小さい頃からあたしと一緒に水泳をしててね。

 兄貴があたしの目標だったのよ。

 その兄貴が立てた記録をあなたが破った。

 ふふっ、決めたわ。

 あたし、あなたを追い抜いて見せるから」

杏に向かって美緒はライバル宣言をしてみせる。

「あっあの…」

思いがけない彼女の宣言に杏は困惑すると、

「女のあたしが男のあなたにライバル宣言をするっておかしいかしら?」

「そっそんなことは」

「だったらいいじゃない。

 いいこと、

 あなたとあたし、

 水の中では男も女も無いからね、

 真剣勝負よ」

美緒はそういい残して立ち去っていく。



「なんで…

 こんなことに」

美緒が去った後、

杏は頭を抱えていると、

「木之下くーん」

の声と共に女子生徒達が杏のところに集まってきた。

「さっきの人って

 B組の河田さんでしょ」

「何を話していたの?」

「えぇ、まぁ…」
 
「木之下君の名前って杏っていうんだね。

 男の子でその名前ってちょっと変わっているよね」

「そうそう、てっきり女の子だと思っていたわ。

 でもあたし好みって感じ、

 彼女になってあげようか」

「あはは、

 変な事言わないの。

 木之下君困っているじゃない」

「うっうん…」

美緒とは違って好意的な女子に囲まれて杏は戸惑いながらも、

改めて彼女達が着ている制服に視線が向いていた。

「あれ、

 なんかぼーっとなってるけど、

 大丈夫?」

「うん、大丈夫。

 ところでさ

 その制服、可愛いね」

「ここの制服って、

 確かに可愛いよね」

「着てみたい?」

「あっ、

 冗談よ、

 冗談。

 気にしないで…」

杏は男になって以降、

女子の制服を羨ましそうに見ていると、

変態呼ばわりされたり、

オカマ呼ばわりされてきたけど、

女子の制服を眺めていて好意的なことを言われたのは初めてだった。

変わった名前だったから、気になっちゃって。」

「こうしてみると、

 木之下君って結構かっこいいよね」

「かっこいいっていうより、

 むしろかわいいほうじゃない?」

「うーん、

 かわかっこいい。かな」

「あはは、

 なにそれ?」

彼女達がそう思ってもある意味仕方が無いかもしれない。

杏は男になる前はクラスのアイドルと言われるぐらい

かわいいと評判の女の子だったのだ。

それに、いくら水泳部で泳いできたといっても

ほかの男子生徒に比べると若干華奢な体つきだった。

男子としてはかわいらしく、

ヘタをすれば美少年にも見えてしまう、

杏の第一印象はそういう感じだった。

そのあとも自分の名前が気になって声をかけてきた女子生徒はいたが、

不思議なことにみんな杏に悪い印象をもつ女子生徒はいなかった。

製薬会社の不祥事の隠蔽、賠償金、中学校も世間体を気にしていた。

おそらく杏が女だったということは、

生徒たちはもちろんのこと、

学校側からも伏せられているのだろう。

男になったばかりの頃、

初めのうちはかばってくれる女友達もいたが、

しかし、杏の頑なな態度のために水泳部以外の者は去ってしまい、

気が付けば杏はクラスの中で孤立してしまっていたのであった。

それに比べれば今のこの環境は

いい意味で非常に珍しいものだった。

そのためか杏は常にぼんやりしていたようだった。

「どうしたの?

 入学した初日からなんか変だよ?」

様子を見ていた女子生徒が杏に声をかける。

「あっ…なんでもないよ」

思いがけない問いかけに杏は慌てて返事をする。



入学式、オリエンテーションや部活の勧誘などでその日は一日費やされた。

杏は水泳で推薦で入ったということもあり、

入部のため、水泳部の部室へと向かっていく、

そして、

「幸司君!」

部室で自分が密かに想いを寄せていた遠山幸司を見つけると、

つい彼の姿を見いってしまったのであった。

幸司とはクラスが別で杏との接点はあまり多くはないが、

水泳部なら一緒に居られる。

そう思いながら彼の姿を見ていると、

「…ずっと遠山君を見てるけど、

 やっぱり、

 ライバルとして闘志を燃やしているの?」

と尋ねられた。

「え?」

その言葉に杏は驚くと、

杏の目の前にいたのは同じクラスになった男子生徒だった。

「そんなわけでは…」

「だよなぁ、

 まぁ、あんな学校新聞に踊らされるほうがどうかしているよ」

「そう思う?」

「うん、そう思うよ」 

「よかったぁ、

 ボクは中学校からずっと水泳やってたし、

 それに推薦でここに入ってきたのに、

 ライバルだとかどうのこうのって言われるのは…」

「ふーん、なるほどね。

 確かに君は全然むさくるしい感じがしないし、

 煽りには付き合わないほうがいいよ」

杏の目の前にいる生徒は割と細身の体つきで、

杏より少し髪が短いぐらいの少年だった。

「いやぁ、実は俺も中学校まではむさくるしいスポーツの部活にいて、

 それでむさくるしいイメージがあったけど、

 君みたいなのが入るんなら、

 水泳とかも悪くないと思ったんだ」

「そうなんだ」

「俺は松平涼介、

 同じクラスだから、

 改めて自己紹介をする必要も無いけど、

 よろしくな」

目の前の少年も比較的自分に好意的であった。

女として見られないばかりか、

男としても半人前とみられただけでなく、

男臭い環境に耐えてきた杏にとっては思いがけないことだった。

杏は男臭さにはむかうように匂いの処理や毛の処理を怠らなかった。

そのせいかむさくるしい印象はどこにもない。

男の中にもむさくるしさを嫌う人間や、

どんなに汚しても後を清潔にするのが好きな人間はいるのだ。

女だけでなく男の友達もできることを杏は確信したのであった。



夕方、

杏は一人暮らしをしているマンションに帰ってきた。

男子高校生の一人暮らしとは思えないほどに整理した部屋、

そこにはいかにも女子中学生や女子校生が好みそうな小物が多数置かれていた。

帰宅した杏は部屋のドアに鍵をかけて制服を脱いでシャワーを浴びると、

消臭スプレーをかけて保湿クリームを丁寧に体に塗る。

そして用意していた下着からスカート、ブラウスまで

女子の格好に身を包み、ベッドに横になった。

「ふう…」

部屋に帰ってきて女装している時が一番安心しているのだったが、

「でも、男の子も悪くないのかも…」

杏にとって初めての感情が芽生えてきたのであった。



つづく