風祭文庫・アスリートの館






「変心」
-第1話:事故-


作・風祭玲

Vol.476





春…

「よーしっ、ダッシュ!!」

「5番、雉沼

 宜しくお願いします」

フィールドに思いっきり響き渡るように

俺は声を張り上げ番号と自分の名前を返事を叫ぶと、

ピッ!!

甲高く笛が鳴り響いた。

すると、

それを合図に

タッタッタッ!!

俺はボールを片手に春の陽が照らし出すフィールドの中に飛び出すと、

待ち構えていたショルダー姿の先輩や後輩たちが一斉に俺に向かって飛び掛ってくる。

「うらぁぁぁ!!」

向かってくるアメフト部員達を俺は交わし、

そして蹴散らせながら、俺は100ヤード向こうに聳え立つポールに向かってひたすら走り続けた。

カシャカシャ

ギシッ!

ギシッ!

俺の動きに合わせて身に着けているアメフトのショルダーが軋む音をあげ、

その音を聞きながら俺は風を切る。

そして、100ヤードを全速力で走りぬけ、

その勢いのまま天空に向けて聳え立つポールを潜り抜けると

カチッ

俺のタイムを計っていたコーチがストップウォッチを思いっきり押し込み、

その針が指す数字を読み取ると、

「5番、雉沼

 よしっ

 合格!!!」

と声を張り上げた

「ハァハァ

 ハァハァ

 あっありがとうございます」

ゴールに飛び込んだ俺は合格の知らせに息を切らせながら返事をすると

そのまま倒れ込んでしまった。

「ハァハァ」

「ハァハァ」

呼吸を整えながらゴロリと仰向けになり、

「○番、佐竹、宜しくお願いします!!」

俺の後のヤツの声が響き渡るのを聞きながら

俺はヘルメットの中より青い空をただ眺めていた。



「ハァハァ」

「ハァハァ

 ハァ……

 うしっ!!」

3分程度だと思う、ようやく呼吸を整えた俺は地面を叩き立ち上がると、

「よう、雉沼っ

 やったじゃないか」

と俺のレギュラー入りを褒め称えるその声に

「なぁに、大したことないですよ」

俺はニヤケながら返事をする。

そして、喜びを誤魔化すかのように、

カシャッ

カシャッ

っとスパイクで地面を軽く突っつきながら

ふと、自分の腕を見た。

日に焼け、赤黒くなった太い二本の腕が視界に入ってくる。

「ふぅ」

それを見た俺は大きく息を吸って吐くと、

ムワッ…

2週間近く洗濯をしてなく汗と泥で汚れたユニフォームからは饐えた臭いが漂ってきた。

「うわっ

 クセー」

その臭いに俺は思わずそう叫ぶと、

「あぁ?

 何言っているんだ?

 洗濯してねぇーからだろう?

 さっさと洗濯しろよ、こっちまで臭ってくるじゃないか」

と俺があげた声に仲間がそう言うと

「うるせー、

 色々と忙しいんだよ、俺は」

と言い返す。

すると、

「おーしっ

 集合だ!」

テストを終えたコーチが声を上げると、

俺たちはコーチの周囲に集まった。

「レギュラーテストに合格したものは、

 雉沼、

 お前たった一人だ!

 まったく情けねーぞ!」

と俺達を叱咤する声を上げると、

「ウィッス!!」

俺達は返事をする。

「ったく、

 おいっ」

俺達の返事を聞いたコーチは隣に立つキャプテンに声をかけると、

「はいっ」

コーチに変わってユニフォーム・ショルダー姿のキャプテンが前に立ち、

「お前達は春からはアメフト部の中核を担う3年だ、

 それなのにこの様では先が思いやられる。

 その弛んだ気持ちを引き締めるために、

 いまより紅白戦を行う。

 負けた側は今日より2週間、

 ユニフォームもショルダーも脱ぐことを禁止するからな」

と声を張り上げると、

「えぇ!!」

俺達1年から一斉に声が上がった。

「文句を言うな!!

 さっさと準備をしろ!」

そんな声に怯まずキャプテンはさらに声を張り上げ俺達に命令をすると、

「紅白戦だってよ」

「負けた側は2週間これを着たままだってよ」

「たまんねーな」

「うぇぇぇ」

アメフトのショルダー・ユニフォームで完全に固めている俺たちは

この格好のまま2週間も過ごすことになることに背筋を寒くすると、

「おらっ

 モタモタするな」

なおも愚図る俺達の尻をキャプテンは叩いた。

そのとき、

「………」

小便をもよおした俺は

ザッ

足を反対に向けるとフィールドから離れ始めた。

「こらぁ!!

 雉沼っ

 どこに行く?!」

そんな俺にキャプテンは怒鳴り声を上げると、

「ションベンでーす、

 それくらいは良いでしょう」

と俺は声を張り上げ返事した。

「5分で戻って来い!!」

俺の返事にキャプテンは時間を区切ると、

「あっ俺も付き合う」

「俺も」

「俺も…」

とたちまち数人が俺の後を追いかけてきた。



ジャァー…

グラウンドの隅にある男子トイレで俺達は一直線に並ぶと、

用意が出来た者から順に勢い良く放尿を開始する。

「なぁ、どぅ思う?」

用を足しながら一人が声を掛けると、

「キャプテンかぁ?」

「そーだなぁ、

 張り切っているのはいいけど、

 少し空気読めって言いたいなぁ」

「まぁな…」

仲良く並びながらそんな会話がトイレに響き渡る。

すると、

「ん?

 なんだ、雉沼っ

 お前、まだ出さないのか?」

なかなか俺のところから音がしないことに俺の隣に立つ高岡が声を掛けてくると、

「んっあぁ…」

俺はそんな返事をしながら悪戦苦闘した後、

ジャァァァァ…

やっとの思いでチンポを取り出して便器に向けると

その途端、俺の膀胱から出てきた小便がチンポの中を通り、

そして噴出する。

「ふぅ…」

自分の体から流れ出る小便の振動を感じながら俺は身体の力を抜くと、

「おっ、雉沼のってデカイな…」

いつの間にか覗き込んできた高岡がそう感想をいうと、

「いっいいじゃないかよ」

そんな高岡に向かって俺は怒鳴った。

「なぁに恥ずかしがっているんだよ、

 男同士だろう、

 ハハ

 それだけのモノが突っ込まれたら女みんなヒィヒィ善がるぜ
 
 まったく親に感謝するんだな」

先に自分のチンポを仕舞いこんだ高岡は笑いながら俺にそう言うと、

「先行っているぜ」

と言葉を残して、

カチャ

カチャ

とスパイクの音を響かせフィールドへと戻っていった。

「親に感謝か…」

高岡に言われた言葉を俺は繰り返すと、

ブルン

小便を出し終えたチンポを小さく振り、ユニフォームの中へと仕舞む、

そのとき、

ピピー!!

フィールドより笛の音が鳴り響いた。

「いけねっ

 時間が…」

その音に俺は慌てて押し込んで見せるが、

その際に

ガシッ!!

俺の爪が完全には仕舞いこまれてはいなかったチンポを思いっきり引っ掻いてしまった。

だが普通の男なら飛び上がって痛がるシーンにもかかわらす俺は

「あっ、やべぇ」

と言うだけで悠然とチンポをしまって見せる。

そう、俺のチンポは痛みを感じることは無い作り物のチンポで、

俺の股間から伸びるこのチンポの根元には俺の股間から小さく飛び出ている突起があり、

チンポはその突起に被せられるように付けられていた。

また、このチンポからは大小二本の管が出ていて、

小さい管は俺の股間に空いている上の穴に、

そしてやや太目の管は下の穴に差し込まれていた。

また、運動などでチンポが外れて仕舞わないように、

俺の左右の太ももの付け根にはバンドが巻かれ、

チンポはそれに固定されていた。

「………」

俺は無意識にユニフォームの上からチンポを掴むと左右に揺らせた。

これは小便で少し位置がずれてしまったチンポを本来の位置に戻すための仕草で、

あの日から続けてきた儀式である。

そう、あの日とは…

俺が生まれた日であり、そして、それと入れ替わるように今野友里恵と言う女性が消えた日でもあった。



3年前…春…

「え?、3年ですか?」

「はい」

とある邸宅でひれ伏して許しを請うあたしに

この館の主である雉沼加世子は静かな声である条件を出した。

「さっ3年間…

 あたしが息子さんの…その代わりをするのですか?」

緊張でカラカラになった声をあげながらあたしは聞き返すと、

「えぇ、

 そうですの…」

加世子夫人はそう返事をし、

痛々しそうに包帯を巻いた腕をあたしに見せながらティーカップに入った紅茶を啜る。



ことの起こりは数日前、

「おめでとう!」

「ありがとう」

「ねぇ新婚旅行はどこに行くの?」

「え?

 ひ・み・つ」

「いーなぁ…

 あたしも結婚したいなぁ」

友人達に祝福され、あたしは幸せの絶頂に立っていた。

そう、桜が咲くこの日、

あたしは高校時代から付き合っていた今野隆と結婚し、

今野友里恵となった日だった。

「ねぇ、あなた…」

「なに?」

「幸せ?」

「あぁ…」

初夜…

あたしの薬指に輝く指輪を眺めながらそう夫に尋ねると、

夫はそう返事をすると、軽くあたしの頬にキスをした。

「うふっ

 あたしもし・あ・わ・せ」

夫のキスにあたしは全身で喜びを表しながらそう囁くと、

夫の唇に自分の唇をあわせた。


ところが翌朝…

「おいっ、

 友里恵起きろ!!」

夫の声に起こされたあたしは

「んなに?」

寝ぼけ眼のまま起き上がると、

「いいからこいっ」

夫のその声と共に、

ブワッ

一面の雪景色をなった街並みが見せつけられた。

「うわぁぁぁ

 綺麗…」

ホテルから見下ろす一面の銀世界にあたしはしばし見とれると、

「何が綺麗なもんか、

 おいっ空港行きの特急が運休って出ているぞ」

TVをつけた夫はあたしに向かってそういった。

「え?

 特急が止まっている?」

その声にあたしは目が点になると、

その1時間後…

ゴワァァァ!!

あたしは夫の運転するクルマの中に居た。

「飛行機飛ぶのかなぁ…」

大雪で渋滞気味の高速道路を横目にしながら、

ふと尋ねると、

「判らない…

 ただ、空港ではそんなに積もっていないというから

 飛行機は飛ぶと思うよ」

ハンドルを握る夫はそう返事をすると、

「どっどうしよう!!」

その返事を聞いたあたしは不安そうな声を上げた。

しかし、

「え?

 この先通行止め?」

道路を走る車をインターへと誘導する黄色いライトを明滅させる作業車を見た途端、

夫は声を上げると、

「仕方が無い、

 一般道で行くぞ」

とあたしに声をかけ、クルマをインターへと向かわせた。

「ねぇ

 運転代わろうか?

 もぅ2時間も運転しているよ」

都心を出てからずっとハンドルを握る夫にあたしはそう言うと、

「そうだな…

 雪も少なくなってきたし、

 友里恵頼む…」

とあるコンビニの駐車場にクルマを入れた夫はあたしにそう言うと席を空けた。

そして夫に代わりあたしがハンドルを握って約30分後

あたし達夫婦に悲劇が起こった。


私鉄の駅前を通過していたとき、

いきなりわき道から顔を出した車に

「あっ危ない!!」

夫が思わず声を上げるとあたしは反射的ブレーキを踏んだ、

しかし、あたし達が乗ったクルマは無常にもスリップをすると、

横断頬腕信号待ちをしていた一人の夫人を跳ね飛ばしてしまったのであった。

「大丈夫ですか?!」

唖然としているあたしに構わず夫は飛び出し、

そして、倒れている夫人に声をかける。

「え?

 じっ事故?

 どっどうしよう…」

あたしはハンドルを握ったままそう呟き続けていた。



後悔をしても始まらなかった。

幸いあたしがはねた夫人は怪我の程度は軽く、

その日1日病院に入院しただけで、翌日には退院してしまったそうだった。

けど、事故を起こしてしまった。と言う意識を消すことが出来なかったあたしは

「どんなお詫びでもします」

と泣き叫びながら警察に訴えると、

「そのことだが…」

事故についての話に来ていた夫人の弁護士はそう切り出し、

「ふつう、こういったことはあり得ないのですが、

 雉沼さんが、あなた方に会いたいそうです」

と告げた。

「雉沼さんって…」

「君が跳ねたご夫人だよ」

「え?」

弁護士の予想外の言葉にあたしは言いようもない緊張感を感じた。



程なくして弁護士が用意したクルマで雉沼さんの所に向かう間、

あたしは夫と共に口を開かずにジッと座り続けていた。

クルマは小さな峠をいくつか越え、

やがて姿を見せた新興住宅が立ち並ぶ街並みを抜けた先に雉沼さんの自宅があった。

「雉沼さんはこの地域の名家でねぇ

 旦那さんに先立たれ、

 去年、可愛がっていた息子さんを病気で失ってからは一人でこの屋敷に住んでいるんだよ」

広い敷地の中に建つ和洋折衷の屋敷を興味深そうに見ているあたし達に向かって弁護士はそう言うと、

「さっ、中に入るよ」

と告げ、ゆっくりと開き始めた門の中へとクルマを進めた。



コポコポコポ…

「どうぞ…」

弁護士とは玄関先で別れたあたし達は応対に出たメイドによって応接室に通され、

テーブルを挟んで体面に置かれている大きなソファーの隅で恐縮していると、

メイドが正面のテーブルの上に湯気が上がる紅茶のティーカップを2つ差し出した。

その途端、

フワッ

木の香りが満ち溢れている応接室に紅茶の香りがほのかに経ち上っていくが、

しかし、あたし達はそれには手をつけることは無かった。

「ねぇ…」

紅茶を見つめながらあたしが話しかけると、

「なっなんだよ」

身体をビクッと反応させて夫が返事をする。

「いっ慰謝料って、どれくらい取られるのかなぁ…」

「しっ知らないよ、

 ちょっと当てただけだろう?

 あの弁護士と保険屋に任せておけばいいんだよ」

「そっそう?」

ふと頭の中をよぎった事故慰謝料の事についてあたしが尋ねると、

そう夫は返した。

そのとき、

カチャッ

閉じられていた重厚なドアが開き、

キィ…

メイドに押される車椅子に乗った夫人が応接室に入ってきた。

「!!」

それを見たあたし達は慌てて立ち上がると、

「こっこの度は誠に申し訳ありません(でした)!!」

と声を合わせて叫びながら頭を深々と下げた。

「………」

言いようもない、胃がキリキリするような無言の時間が過ぎていく。

顔中から噴出した汗が頬をつたり

ポタ

っと滴り落ちたとき、

「ねぇ」

黙っていた夫人が声を掛けた。

「はい?」

その声にあたしが顔を上げると、

「篠山さんになんでもします。

 って言ったそうねぇ」

夫人はメイドに支えられ、

痛む足を引きずりながらソファーに座ると、

紅茶を啜りながらあたしに尋ねた。

「はっはいっ

 許していただけるのなら…

 あたしに出来ることなら何でもいたします」

夫人の言葉にあたしはそう返事をすると、

「ふぅぅぅん」

夫人はあたしを見つめながらそう返事をし

「あれを…」

横に立つメイドなにかを指示をした。

すると、

「はいっ」

メイドはそう返事をすると

応接間の一角に設けてある様々なトロフィーや賞状が掛かる棚より、

一つの写真楯を取り出すと、

「これ、

 あたしの息子なのよ、

 まったく、華奢な身体のクセにアメリカンフットボールなんかに夢中になってね、

 毎日、夕方になると傷だらけで帰ってきたわ、

 本当にしょうもない子…

 ねぇ、あなたもそう思うでしょう」

とあたしに話を振ってきた。

「え?

 はっはぁ」

夫人のその話にあたしは相槌を打つと、

「なんか…

 由紀夫君って…

 友里恵に似ていないか?」

と写真を見ていた夫がふと呟いた。

「ちょちょっと、

 いきなり…なんてことを…

 不謹慎でしょう」

夫の言葉にあたしはあわてて夫の口を塞ぐと、

キラッ!!

夫人の目が一瞬に光り、

「そうでしょう?

 あなたもそう思いますでしょう?」

っと夫・隆に言ってきた。

「え?」

夫人のその様子に夫は思わず引くと、

「ねぇ、あなた」

と今度はあたしを見ながら声を掛ける。

「はっはい?」

「由紀夫は活発で可愛い子だったのよ、

 それなのに、もぅあたしは由紀夫の手を握ることすら出来ない。

 これって悲しいことよねぇ」

「は…い…」

「夫に先立たれ、

 そして、息子にも会えなくなってしまったの。

 そんなときに事故に遭うだなんて…

 ねぇ、

 あたしどうしたらいいのかしら」

夫人はそう言いながら悲しく、

そして、絶望に満ちた表情をすると、

「申し訳ありません」

あたしは夫人の足元にひれ伏して許しを請うた。

しかし、

「そんなに謝られても、ねぇ」

あたしを見下げながら夫人はそう言うと、

いまにも自殺をしてしまいそうな物悲しい表情を再びする。

そのとき、あたしは咄嗟に、

「あっあたしでよければ…

 そんなに由紀夫君にあたしが似ているのなら、

 あたし、由紀夫君の代わりになります」

そう叫んでしまった。

「おっおいっ」

あたしの提案に夫は驚くと、

「しっ仕方がないでしょう?」

とあたしは小声で言い返した。

すると、

「そう…」

夫人は短く返事をすると、

包帯が巻かれている腕を伸ばしてあたしの頬を撫でながら、

「では、3年間…でいいわ…

 あなた、由紀夫になってくれる?」

と尋ねた。

「え?、さっ3年ですか?」

「そうよ」

あたしに向かって夫人は静かな声でそう提案をすると。

「さっ3年間…(も)…

 あたしが息子さんの…その…代わりをするのですか?」

緊張でカラカラになった声をあげながらわたしは聞き返す。

「えぇ、

 そうですの…」

あたしの言葉に夫人はそう返事をするとティーカップに入った紅茶を啜った。



「おっおいっ

 本当にいいのか?」

呆然とするあたしに夫が尋ねると、

「しっ仕方が無いわ、こうなってしまっては…」

とあたしは小声で返事をした。

すると、

「もし…」

ティーカップから口を離した夫人が声をあげると、

「はい、

 お呼びでしょうか、奥様」

と言う声と共に2名の別のメイドが応接間に姿を見せた。

そして、

「ねぇ

 見てぇ、

 由紀夫が帰ってきたのよ」

と夫人はあたしを指しながら嬉しそうに言う。

「え?

 いやっ

 あのぅ」

夫人のその言葉にあたしは驚くと、

メイド達は笑うことなく静かに頭を下げると

「お帰りなさいませ

 由紀夫様」

とあたしに向かって挨拶をし、

そして、

「さっ

 どうぞこちらへ」

とあたしを招いた。

「たっ隆さん」

場の雰囲気に流されそうになったあたしは思わず夫に声を掛けると、

「ちょと待ってくれ」

メイド達を制止させようとして夫は立ち上がるが、

「さて、今野さんには別のお話がありますの」

夫に向かって夫人はそう切り出し、

その一方であたしは、

「さーさ」

「どうぞ、こちらへ」

メイド達はあたしの腕を無理やり掴むと、

まるで応接間から引きずり出すように連れ出すと、

廊下の挟んで反対側にある別の部屋へと押し込んでしまった。

「隆さーん、

 いやっ

 離して!!」

夫の名を叫びながらあたしは抵抗するが、

しかし、メイド達の力は意外と強く、

バタン!!

まるであたしと夫との仲を引き裂くように扉は閉められてしまった。



「イヤッ

 出して、
 
 ここから出して!!」

メイド達の手をふりほどいたあたしは締められた扉に飛びつくと、

泣き叫ぶように声を上げ、

ドアの取っ手をつかみ幾度も押したり引いたりを繰り返した。

けど、閉じられたドアはまるで壁のごとく微動だにせず、

自分の力で開けることを諦めたあたしはドアを叩き始めた。

すると、

「そんなに叩いても開きませんよ」

「そうですわ、

 ささ、こちらに来て、
 
 お茶でも如何です?」

「とびきりのローズティーをご用意致しましたわ」

と部屋に置いてあったテーブルに

テーカップを置いたメイドはあたしに声を掛けた。

「何ですってぇ、

 こんなところでのんびりお茶なんて飲めるわけ無いでしょう!!
 
 あたしを隆さんの所に返しなさいよ!」

メイドの言葉にあたしはそうまくし立てると、

スッ

あたしの目の前に湯気が立つティーカップが差し出され、

「さぁ、

 これを飲んで落ちてきなさい」

とメイドはあたしにそう告げた。

「なに?」

あくまで自分のペースを崩さないメイドのその態度にあたしは殴りかかろうとしたとき、

ガクッ

「あれ?」

急に膝の力が抜けてしまうとあたしはその場に膝を突いてしまった。

「え?

 なっなん…」

次々と体の力が抜けていく様子にあたしは困惑するが、

しかし、そうこうするうちに、

「あ…」

ドサッ!!

あたしはまるで崩れるようにその場に倒れてしまうと、

「うふふ…

 奥様は心優しい方ですよ」

「そうですよ、

 全てを任せて楽にしてください」

「さぁ、

 着替えをしましょうねぇ…」

そんなメイド達の言葉に送られながらあたしは意識を失ってしまった。



つづく