風祭文庫・アスリートの館






「祐太朗の悩み」


作・風祭玲

Vol.352





ワーァァァ

「回せッ」

「ほらそこだっ」

「食らいつけ!!」

そんな声に押されながら、

青のシングレットに身を包んだ俺は目の前に迫る対戦相手を見据えていた。

「くそっ」

「このっ」

キュッキュッ!!

シューズの音を鳴らしながら、

俺は迫ってくる対戦相手の後ろに回ろうとするが、

しかし、相手も俺の動きを牽制しながら俺の後ろに回ろうとする。

バッ

パシッ

常に先手を打ってくる相手に対して俺はその先を読み攻撃を仕掛ける。

トンッ

マットにタイムバトンが放り投げられた。

俺に与えられた試合時間を確実に消化している証だ。

「くそっ」

開始早々相手にポイントを取られているだけに、

このまま時間が尽きてしまえば俺の負けだ。

「何とかしなければ…」

心の中に湧いてくる焦りの気持ちを押し込みながら俺は攻める機会を探した。

と、その時、

スッ

相手の左腕が微かに下がった。

「シメタ!!」

そのチャンスを見逃すことなく、

俺はその左腕に食らい付くと、

左側から一気に相手の後ろ側に回り込み腰を落とし、

「くおのっ!!」

思いっきり相手を抱えあげた。

フワッ

相手の脚が床から浮かび上がる。

「いけー」

持ち上げられ焦る相手を俺は構わず倒すと2回、3回と振り回した。

ブーッ

と同時に、試合終了のブザーが鳴り響く、

その音に俺は起きあがると、

スッ

俺の腕が高く掲げられた。

「勝ったのか…俺は…」

ガックリと項垂れる対戦相手を見た俺はそう感じ取ると、

「よっしゃぁ!!」

と大声を張り上げた。




タタン・タタ・タタン

タタン・タタ・タタン

「んっあれ?」

ハッと目を覚ますと、

俺は通勤電車の座席に座った状態で右手を高く掲げていた。

と同時に、

「え?

 あっ」

周囲の視線を一身に浴びていることに気づくと、

「どっどうも…」

そう言って誤魔化しながら俺は大人しく腕を下げる。

オホンっ

誰がしたのかは知らないが咳払いが一つ響き渡る。

「またこの夢かぁ…」

俺は顔を赤くしながら背もたれに寄りかかるとそう呟いた。

そう、この夢は就職をしてからこっち、よく見る夢だった。



俺の名前は赤城祐太朗、

とあるコンサルタント会社に勤めて4年目になるサラリーマンだ。

ぱっ見た目はどこにでも居るリーマンなのだが、

これでも学生時代にはアマチュアレスリングに打ち込み、

そこそこの成績を残すことが出来たんだけど、

でも、その経験が社会で生かされることはあまりなかった。

まぁ強いて言えば、

酒が強いのと先輩仕込みの芸が宴会で上司ウケするくらいか…



「え?…

 プレゼンは11時からですか?」

時間前に待ち合わせ場所に着いたものの、

しかし、なかなかメンバーが集まらないことに俺は会社に電話を掛けると、

電話口に出た同僚は集合時刻が変更になっていることを俺に知らせた。

『いいじゃないか、

 その辺の喫茶店でノンビリ時間でも潰していろよ』

と同僚は笑いながら言うが、

しかし、俺は仕事前にノンビリするのはどうに性に合わなかった。



『なんだ、赤城っ

 試合前にそんなに息を上げてはダメだぞ』

『いえっ

 こうしていた方が試合に集中できるんです』

試合前、

身体から湯気を上げながら体を動かし続ける俺に

あきれ顔でそう言ったコーチの言葉が頭をよぎる。

「さて、どうしようか…」

まさか駅前でプレゼンの資料を広げるわけにも行かず、

取りあえず落ち着けるところを探しながら俺は歩き始める。

とその時、

「アマチュアレスリング・新人戦」

と言う垂れ幕が駅前のロータリーに掲げられているのが俺の目に入ってきた。

「そうか…

 この駅は…あの体育館の最寄り駅だっけ」

この駅が学生時代レスリングの試合でちょくちょく乗り降りしていたことを思い出すと、

ふと周囲を見回した。

すると、

「おーしっ集まったかぁ…」

「うぃーす」

お揃いのトレーニングウェアに大きなスポーツバックを抱えた集団が、

駅のあちらこちらに屯していた。

「あはは、

 いるいる…」

間違いなく大会に出場する選手達だった。

無骨そうな顔をした男達を眺めながら俺は思わず笑みを浮かべると、

「がんばれよ」

っと呟いた。

すると、

「あっちょっと待ってください」

女の子の声が響き渡ると、

同じトレーニングウェアに身を包んだ女子が数名走り抜けていった。

「ん?マネージャか?」

彼女達のその姿に俺は首を捻りながらそう思ったが、

しかし、彼女たちから漂ってくる雰囲気は明らかに選手の物と同じだった。

「そういえば、

 最近、女子のアマレスラーが増えているって話を聞いたが、

 はぁ、こういう大会にも出場をするのか…」

俺はたった一人の女子マネの気を引こうと

アレコレを陰謀策謀の限りを尽くした選手時代の思い出しながら、

時代が変わってしまったことをふと実感した。

そんな中をすり抜けながら俺は歩いていくと、

『心の診療所・あなたの心を診てあげます』

と言う文句が書かれた看板が俺の目に留まった。

「心の診療所?」

怪訝そうな目で俺はその看板を見た後、

「はぁ…

 最近は変な商売が流行る物だな…」

と呟きながらその前を通り過ぎようとしたが、

ピクッ

何かが俺の心の奥に引っかかると、

ピタッ

俺の脚はその場で止まってしまった。

そして、振り返ると、

「まぁいいやっ

 ちょっと暇つぶしに覗いてみるか」

と自分なりの理由を見つけると、

キィ…

【心の診療所】と書かれているドアを開けた。



「ここは…」

ドアを開けた途端、

俺は無数の星が瞬く宇宙空間に立っていた。

「なんだ?

 これ?」

予想もしていない事態に

俺は入ってきたドアを手探りで探したが、

しかし、入り口から一歩も動いていないはずにも関わらず、

俺の真後ろには入ってきたドアは存在していなかった。

「バカな…」

振り返って自分の後ろにドアがないことに驚くと、

『ようこそ、心の診療所へ』

鈴の音のような澄み渡った女性の声が響き渡った。

「!!」

サッ

その声に俺は反射的に足を開き腰を落とすレスリングのタックルの構えをした。

『そんなに警戒をしないでください、

 赤城祐太朗さん』

女性の声はまだ名乗っていない俺の名前をそう告げると、

「なっどうして俺の名前を…」

俺はそのことを聞き返した、

すると、

『ここは、心の診療所です。

 あなたがここに入った途端、
 
 あなたのプロフィールはすべてわたしの手元に届きます』

そう説明をしながら

コツコツコツ

年は20代半ば、

腰まで伸ばした青紫色の髪を棚引かせながら、

白衣を軽く羽織った女性が俺の前に姿を見せた。

ゾクッ

氷のナイフを連想させるその表情を見たとき、

俺の背筋に冷たいものが走った。

女性は俺の前に立ったあと、

スッ

と腰を下ろし、

『ようこそ、心の診療所へ、

 わたしは所長の神眼(しんめ)玲華と言います。』

女性は俺にそう自己紹介をすると薄っすらと笑みを浮かべた。

「………」

神眼玲華と名乗るこの女性からは敵意を感じることがなかったので、

俺は構えを崩すと起きあがった。

すると、

「まぁ、そこにお掛けになってください」

玲華がそう言った途端、

フッ

俺の後ろに一つのイスが姿を現した。

「いつの間に…」

そう思いながら

ドサッ

俺は無言のままイスに腰掛けると、

『さて、

 赤城さんは心の中に燻っている物を抱えていますね』

俺がイスに座った途端、

玲華は手にしていたボードに視線を落としながら俺に向かってそう告げた。

「え?、燻っている?」

玲華の言葉に俺は思わず尋ねると、

『はいっ

 あなた自身は気づいていないと思いますが、
 
 あなたの心の奥、
 
 そう、ちょうど真ん中から少し右側のところで、
 
 ジリジリと燻っている物があります。
 
 それがあるために幾ら仕事をこなしても達成感を感じることなく、
 
 そして、先ほど見たような夢を見るのです』

と答えた。

「なんで、夢の事まで知っているんだ!!」

夢のことを指摘された俺は思わず玲華に食ってかかると、

『ですから、あなたの心の中はすべて見えています』

玲華は冷静な目で俺にそう告げた。

「ふぅ…

 そうですか」

彼女のその言葉に俺はイスに座り直すと、

「あぁ、確かに心の中にモヤモヤはあるよ、

 いろんな事があるからね」

半ばヤケ気味に俺はそう返事をした。

『ならば解消してみれば如何ですか?』

俺の言葉に玲華はそう言うと、

「解消?

 どうやって?

 まさか体を動かすのが一番ですよ…

 なんて言うのか?」

軽蔑した視線で玲華を見ながら俺はそう言うと、

『そうですねぇ

 まぁ、それが一番かも知れませんが、

 でも、あなたはレスリングをおやりになっていたのですよね』

「あぁそうだよっ

 インカレで準優勝!!
 
 俺の勲章さ」

『でも、本音は満足をしていない』

「まぁな…

 最後で負けちゃったからな」

『もう一度やって見ますか?』

「はぁ、何をいってんだ?

 俺がもう一回、吊りパンを着て社会人レスリングをしろとでも言うのか」

『いえ社会人では、あなたの心は晴れないでしょう。

 学生でするのです。

 そうすればあなたの心は晴れ渡ります』

玲華は俺に向かってキッパリとそう告げた。

「あのなぁ、心眼さん。

 俺は会社員なのっ

 サラリーマンなのっ

 そんな時間なんて無いし、

 大体、学生と混じってレスリングなんて出来る分けないでしょう?」

俺は呆れた口調でそう言うと、

『そうですか?』

玲華はスッと立ち上がると俺の傍に立ち俺の肩に手を乗せた。

そして、

『静かに目を閉じてください…

 そして、思うのです。
 
 あなたの現役時代を…
 
 さぁ…』

と囁いた。

「え?」

玲華のその言葉に俺は半信半疑で目を閉じると、

俺の現役時代を思い起こした。

『そうです…

 そうそう…』

俺の心を見透かすかのような玲華の声が聞こえてくる。

『さぁ…

 あなたは現役時代に向かっています…』

と言う玲華の声がすると、

シュルシュル

俺が着ていたスーツが消えていくと、

ムクリ…

体中の筋肉が沸き上がり始めた。

「あぁ…

 なんだこの感覚は…
 
 昔に戻っていくようだ」

次第に張り出してくる筋肉を感じ取ると、

履いていたビジネスシューズはいつの間にかレスリングシューズの感覚に変っていた。

そして、服も試合で着ていたシングレットに変わると俺の身体を締め付けてきた。

「そうだ、これだよこれ、

 この感じを俺は求めていたんだ」

立ち上り始めた汗の臭いに俺は昔を思い出す。

『さぁ…

 赤城さん、あなたをあの時の試合会場に連れて行ってあげます』

玲華のその声が響いたとき、

「そうだ、いまなら女の子もレスリングをして居るんだっけ…」

俺はさっきみた女子選手達のことが頭の中をよぎった。

そして、

「あんな娘たちと一緒に練習が出来れば、いいだろうなぁ…」

と思うと、

『あっ

 ダメですっ

 違うことを考えては!!』

玲華の悲鳴にも似た声が響き渡った。

「え?」

その声に俺が驚くと、

パァァァァァァァッ!!

一瞬周囲が真っ白に光ると、

「うわぁぁぁぁぁ!!」

床が抜け落ちたように俺は真っ逆さまに落ちていった。



「うわぁぁぁぁぁ

 とっ止まれぇぇぇぇっ」

大声を上げながら俺はそう叫んでいると、

シュルルルルル…

現役時代の身体に戻っていた俺の体が変化し始めた。

「なに?」

ピクッ

ムリムリムリ

盛り上がっていた胸板が次第に萎んでいくと、

変わりに左右に2つの膨らみが姿を見せてきた。

「やっやだ」

その光景に俺は思わず両手で隠すと、

コリッ

硬くなった乳首が俺の手のひらを刺激する。

「あっ」

ビクンっ

その感覚に俺は思わず声を漏らすが、

しかし、

俺の体の変化はそれだけではなく、

メリメリメリ…

体中がまるで粘土細工のように作り変えられていく、

「あぁ…

 なんだ?

 かっ体が変わっていくぅ」

俺は見る見る変わっていく身体を感じながら落ちていった。



「…さんっ

 赤城さん!!」

ハッ

呼びかけられる声に俺はハッと気がつくとすぐさま周囲を見た。

「ここは?」

ざわざわ…

すると俺が居るところはどこかの更衣室のようだった。

「更衣室?」

そう思いながら振り返ると、

「えっ!!!」

俺は思わず目を丸くして驚いた。

「何を驚いているの?」

「ほらっ、もぅスグあたし達の試合よ」

俺の目の前にはシングレットに身を包んだ女の子たちが呆れた表情で立っていた。

「え?

 あっあのぅ」

俺は目のやり場に困りながらそう訊ねようとすると、

「どうしたの?さっきから」

「緊張しているの?」

「もぅしっかりしてよねっ」

女の子達は口々にそう言うと俺の背中を叩いた。

「いっ一体…どうなっているんだ?」

突然の環境の変化に俺は驚きながら改めて周囲を眺めると、

「んなにぃ!!」

俺の周囲には着替え途中の女の子達が俺を見ていた。

「うわぁぁぁ…

 ここって女子更衣室!?」

俺はいま自分が女子更衣室の中に居ることに気がつくと、

「すっすみませーん」

と声を上げて更衣室から飛び出し、

そのまま男子トイレへと駆け込んだ。

「うわぁぁぁ」

男子トイレに駆け込んできた俺の姿を見るなり用を足していた男性達は一斉に慌て始める。

「なっなんだ?」

その様子に俺は訝しげながらふと洗面所の鏡を見ると、

「ん何ぃ!!!」

鏡に映し出された自分の姿に思わず呆然としてしまった。

そう、鏡に映し出された俺の姿は

顔に俺の面影を残しているものの、

しかし、首から下には2つの膨らみを持った胸に、

くびれた腰、

そして、ツルンとした股間をさらけ出したシングレット姿の女性が映し出されていた。

「うっうそ!!」

その光景に俺は慌てて股間に手を差し伸べてみるが、

しかし、

「なっ無い!!」

俺の手には股間にあったはずの男のシンボルの感覚はなく、

代わりに一直線の溝があることを俺に伝えてくる、

「そんな…おっ俺…女になっている…」

ヘタリ…

俺のその場に崩れるように座り込むと、

「ちょっと、

 赤城さんっ
 
 そんなところで何をしているの」

と叫びながら女子選手達が入ってくるなり

俺の腕を掴みあげると試合会場まで引きずっていった。

そして、

「いい加減にしてくださいっ

 初めての試合で緊張しているのは判りますが、

 これ以上、変な行動をすれば帰って貰いますからね」

試合会場の隅でリーダー格と思える女子が俺に向かってそう怒鳴ると、

「まぁまぁ

 この試合頑張ろうね」

別の女子が俺にそう言いながら呆然としている俺の手を握ると

次々とその上に手が重ねられた。

そして、

「○×大学ぅぅぅ

 ファイトォ!!」

と叫んでシングレット姿の女子選手達はそう言って気合いを入れると、

それぞれの階級の試合が行われる所へと向かっていった。

「一体…何が…

 おっ俺は男だったんだぞ…

 そんな…

 いっ一体、どういうこと

 れっ玲華さん
 
 説明してくれよ」

女子選手になった俺は目の前で繰り広げている試合を見ながらそう呟いていた。



『あちゃぁ…

 レスリング選手にして試合会場に連れて行こうと思っていたのですが

 彼の心の中に湧いた女子選手の事に引っ張られてしまって、

 女子選手になってしまわれましたね。

 しかも、あたしが手が出せないところに落ちてしまって…
 
 仕方がないです、赤城さん…
 
 女子選手として悔いの無い様に頑張ってください』



おわり